父の思い出

2022年4月10日 (日)

脚をケガして1年9か月後

13年ほど前に亡くなった父の命日が今日10日です。

父は84歳まで畑仕事を続けていたほど元気な人でした。

ただ脚にケガをして、脚を引きずって歩くようになってからは引きこもりがちになってしまいました。

そして、脚のケガから1年9か月後に亡くなりました。

父のことを思い出すと、母のようには熱心に面倒を見てあげられなかったことを残念に思います。

日本の介護保険は2000年から始まったそうですが、父がケガをしたのは2007年でした。

父が脚を引きずって歩いていたことを思えば、当然介護認定をしてもらうべきだったと今では思います。

ところが当時は私にも知識がなく、誰にも教わることもありませんでした。

その点、母の時には父の前例があったこともあり、早い時期から介護認定をすることができました。

やはり介護だけではありませんが、知識や経験は少しでも多い方が助かります。

父が実際に介護保険を使ったかどうかは分かりませんが、少しは元気を取り戻せたかもしれません。

それから、これを記している最中に気づいたのですが、そういえば母も脚のケガから1年9か月後に亡くなりました。

2022年4月 2日 (土)

父のケガ

昨日は被介護者の精神状態に注意することの大切さを記しました。

実例を上げますと、私の父は畑を借りて野菜作りを84歳まで続けていました。

往復に自動車が必要なほどの少し離れた場所の畑に通っていて、元気に畑仕事をしていました。

ところがある日、耕運機を使用中に脚にケガをして、それがきっかけで脚を引きずって歩くようになってしまいました。

実は、そのケガをした日は畑仕事を止めるために後片付けをしていたということでした。

ですから、それ以降は畑に行くこともなく家に引きこもりがちになりました。

高齢者が家に引きこもると、運動不足から衰えが早くなるように思います。

実際に、あれだけ元気だった父も、この怪我の後は2年足らずで亡くなってしまいました。

今から思うと、父のケガの程度はリハビリをすれば脚を引きずらなくなったくらいだったかもしれません。

そしてもしかすると、普通に歩けるくらいに回復すれば、父ももう少し長生きできたかな、とも思います。

当時は私にも介護保険の知識もなく仕方なかったことですが、父には申し訳なかったと感じています。

そんな訳で、高齢者が精神的に落ち込むと身体的にも衰えが早くなったと思われるケースとして、父のことを記してみました。

2022年2月16日 (水)

「年は取りたくないものだ」

介護が問題視される時、ほとんどの場合「介護は大変だ」という面から語られるように思います。

介護者が一人で抱え込んで、いわゆる介護地獄に陥るというのは良く聞く話です。

ただ、私が母の面倒を見るようになって全てが終わった今、改めて考えるのは介護される人のことです。

「年は取りたくないものだ」と、私の父はしばしばこのように言っていました。

父は本当に元気な人で、最後の入院をする直前までほとんどすべてのことは自分で出来ていました。

それでも、様々なことで加齢による不便なことはあり、そのような時に「年は取りたくないものだ」という言葉を自嘲気味に発していました。

ただ、少なくとも介助が必要な点はないように見えましたので、私もほとんど手助けをすることはなかったわけですが。

今から思うと、父に対してももっと優しくしてあげれば良かったと反省しています。

もっとも、その反省が生きて、母に対してはできるだけのことをしてあげられたのかもしれませんが。

いずれにしても、加齢による衰えは誰にでも起こり、寂しく感じたり気落ちをする原因になるものだと感じます。

介護問題が語られる際に、軽視されがちに見える被介護者の精神状態に、もっと目を配ってもらえると良いと思います。

2022年1月12日 (水)

知られていない介護認定

ここ数日、父の晩年のことについて考えているうちに、いろいろと思い出したことがありました。

昨日は、当時介護保険について詳しく知っていれば違った対応もあったのでは、と反省をしました。

実は、父が亡くなった際の入院時、病状がやや回復した時に主治医から次の行き先を考えるように言われました。

つまり、自宅に帰るかどこか介護施設に入所するか決めてください、という意味でした。

私は介護保険も介護施設も考えたことすらありませんでしたから、一から調べる必要がありました。

まず介護認定をしてもらうための手続きを始め、同時に介護施設を検討することになりました。

ただ、介護認定の面接は済みましたが、介護施設の選定前に父の病状が再び悪化して、主治医は次の行き先について口にしなくなりました。

結局、父は介護保険を使うことはありませんでしたが、死後に届いた通知では要介護4か5だったように記憶しています。

それでもこの時に得た知識によって、その後母のためにも介護認定を申請して要支援1という結果を得ました。

母の場合、腰を痛めたことで入浴が不便になり、浴用の椅子を買うために申請したものでした。

その結果として一割負担で椅子を買うことができました。

このような知識はほとんどの人が必要を感じてから調べるのでしょうが、もっと広く世の中に知られて欲しいものだと思います。

2022年1月11日 (火)

介護の知識の必要性

昨日に引き続いて父のことを思い出してみようと思います。

父は本当に元気な人でしたから、母に比べて最後まで冷たく対応し過ぎたかな、という思いが私にはいつまでも残っています。

もっと優しくしてあげれば良かったな、というのが正直なところです。

私は、母の月に一度の通院には仕事の休みを取って付き添っていましたが、父の通院の際は一人で行けると考え仕事に行きました。

結局その日父は病院に行かず、その後救急でその病院に問い合わせたところ断られたことがありました。

最終的には少し遠い病院に入院して、父はそこで亡くなることになります。

あの日、私が付き添って病院に行っていればと思うことが今でもあります。

それでも介護や医療のことは、父の時に経験したことが母の時には大いに役立ちました。

父は母よりも10年早く亡くなっていますので、父には申し訳ないですが、良い経験になったということでしょうか。

つまり、父の晩年に私にもっと介護の知識があれば、もっと違った対応ができたかもしれないということにもなります。

母は晩年、本当に元気で楽しそうに施設で過ごしてくれました。

父の時にも私に介護の知識がもっとあれば、父ももう少し楽しい晩年が送れたのではないかと思っています。

2022年1月10日 (月)

父の思い出

10日は父の命日なので、今日も仕事帰りにお墓参りに行ってきました。

父は母の10年前に86歳で亡くなっていますが、80代になっても元気な人でした。

82歳まで私と一緒にゴルフに行ったり、84歳まで畑を借りて野菜を作っていました。

そして、畑仕事をしているときに器械の誤操作で脚にケガをしてから元気がなくなり、引きこもりがちになりました。

それまでは車の運転が大好きで本当に元気に過ごしていました。

こんな思い出があります。

今でもそうかもしれませんが、一緒に行っていた当時のゴルフ場はほとんどが高齢者のプレーヤーでした。

特に平日のお客さんは私よりも高齢の方ばかりでした。

ところが、ある時に私が気付いたのが『この日のゴルフ場で、明らかに父が最高齢だな』ということでした。

運転が得意で好きな父は82歳でもゴルフ場への往復を自ら運転し、1ラウンドプレーしていました。

そういう父でしたから、私も晩年の父が苦しいときにほとんど手を差し伸べることができず、今でも残念に思うところがあります。

今となっては、月に一度のお墓参りが唯一の親孝行になってしまいました。

最近の写真