介護・医療

2023年12月 7日 (木)

絶筆『光』

4年前の2019年12月7日は雨のち曇りで7℃の土曜日、母が最後の入院をして27日目、この日は午後3時頃に母の面会に行きました。

姪たちがお見舞いに来てくれるというので、病院の待合室に集合してから二組に分かれて病室に行くことにしました。

この日の母は珍しく仰向けに寝ていたこともあってか、いびきを掻いていました。

両腕を布団の外に出して、姉が先月の母の誕生日に持ってきてくれたウサギのぬいぐるみを両手で持っていました。

おそらくこれらの姿勢は看護師さんの手によるものと思われましたが、前日の母は吐息のような声にならない声を出していました。

ですので、もしかすると目が覚めた時に母が同意したポーズだったかもしれませんが、私としても初めて見た光景でした。

いずれにしても外に出していた腕は相変わらず太く、どうしても上半身のむくみは取れないようでした。

前日は私が声を掛けると、母はわずかに瞼を開いて何か言葉を発してくれたので、皆さんがお見舞いに来てくれたこの日も期待しました。

しかしながら、誰が耳元で話しかけても全く反応はなく、それは仕方のないことでしたがとても残念に思いました。

それでも、当然ながら精神的に安定して良く眠っているからか、ここ数日は計器の値が悪くなく心電図も平坦で安定していました。

その後病室を出てから、隣接の施設で開催中の展示会を見に行くことになりました。

この年に母の名前で出品されたものとしては、工作のダルマと絶筆となった書道の『光』という二つの作品がありました。

2023年12月 6日 (水)

「大丈夫」もしくは「ありがとう」

4年前の2019年12月6日は曇りで10℃の金曜日、母が最後の入院をして26日目、私は午後6時55分に母の病室に行きました。

11月24日の夕方から28日の早朝まで4日間、夜間母の付き添いをしていましたが、心配だったパニック障害の症状はほとんど治まりました。

そのため、28日以後は普通の面会時間に行くことにしていて、この日も午後7時前に行くことになりました。

前日の母は声を掛けても何も反応が無くずっと寝ているので、時計代わりに決まった時間に行く必要がなくなったこともありました。

ただ同時に、母の状態が良化することはほとんど考えられなくなり、気分的に病院に足が向きにくくなってきたことも事実でした。

前の2日間は計器の数値がかなり良く『むくみが取れれば退院か』などと考えたりしましたが、この日も不安を抱えながら病室に入りました。

この日の母は左側を下にして寝ていて、胸には姪が母の誕生日プレゼントとして送ってくれたジャイアンツのタオルを掛けていました。

私が耳元に声を掛けると、思いがけず少し瞼が開いたように見え、同時に口を開けて何か言葉を発してくれました。

それは吐息のような声にならない声でしたが、おそらく私に「大丈夫」もしくは「ありがとう」と言ってくれたのだと今でも信じています。

それくらいの短い言葉でしたが、これまでの状況からして母が反応してくれるとは考えてもいなかったので、驚きとともに嬉しく思いました。

また、鎮静剤を使って10日経過し面会時はほとんど眠っていたので、もう話は出来ないと勝手に思っていたことを少し後悔しました。

もしかすると、この状況下でも母のベッドサイドに一日中いれば、少しは何か話が出来たのかもしれなかったのですから。

2023年12月 5日 (火)

安定の2日間

4年前の2019年12月5日は晴れで16℃の木曜日、母が最後の入院をして25日目、私は午後6時50分に母の病室に行きました。

11月24日の夕方から28日の早朝まで4日間、夜間母の付き添いをしていましたが、心配だったパニック障害の症状はほとんど治まりました。

そのため、28日以後は普通の面会時間に行くことにしていて、この日も午後7時前に行くことになりました。

前日の母は声を掛けると目が瞼の中で動いただけの反応しか無く、ずっと寝ているので時計代わりが必要なくなったこともありました。

ただ同時に、母の状態が良化することはほとんど考えられなくなり、気分的に病院に足が向きにくくなってきたことも事実でした。

前日は計器の数値がかなり良く『むくみが取れれば退院か』などと勝手に考えたりしましたが、この日も不安を抱えながら病室に入りました。

この日の母はやや右側を下にしてほぼ仰向けで寝ていましたが、声を掛けたり顔や身体に触れても全く動きませんでした。

ただ、そのためか却って計器に表示された血圧や呼吸、心電図の波形が安定していました。

また、血圧は172/68で酸素量は97、心電図も力強く前日よりも波形がきれいになったように感じました。

計器の数値は前日に続いて良化を感じさせてくれるもので、私はこの日も『退院』という文字が脳裏に浮かんでしまいました。

それでも冷静に母の様子を見ると、顔には少しむくみがあり、右腕はそれ以上に気になるほどの太さで、左手の甲もむくみが見られました。

この2日間、私の声に反応がほとんど無いのは残念でしたが、母は穏やかな表情で眠っていて数値も安定していたのは嬉しい限りでした。

2023年12月 4日 (月)

『また退院できるかな』

4年前の2019年12月4日は晴れで16℃の水曜日、母が最後の入院をして24日目、私は午後6時55分に母の病室に行きました。

11月24日の夕方から28日の早朝まで4日間、夜間母の付き添いをしていましたが、心配だったパニック障害の症状はほとんど治まりました。

そのため、28日以後は普通の面会時間に行くことにしていて、この日も午後7時前に行くことになりました。

前日の母は声を掛けると瞬きで反応してくれましたが身体は動かず、ずっと寝ているので時計代わりが必要なくなったこともありました。

ただ同時に、母の状態が良化することはほとんど考えられなくなり、気分的に病院に足が向きにくくなってきたことも事実でした。

前日は心電図に余計な波形が増えていたため、母の状況が日毎に悪化しているように感じられて、この日も心配しながら病室に入りました。

この日の母はやや左側を下にして珍しくほぼ仰向けで寝ていましたが、今思えばこの頃は看護師さんが姿勢を決めていたのかもしれません。

母の耳元に声を掛けると、閉じたままの瞼の中で目が何回かキョロキョロと動いていましたが、身体を動かすことはありませんでした。

その瞼や顎の下や顔全体が、まだいくらかむくんでいるように見えました。

また、布団の上に出していた右腕が手首の上の辺りまでむくんでいて、顔のむくみよりも気になりました。

血圧が珍しく158/68と表示されていて、酸素量も93で安定していたので、この数値だけ見れば前日よりも良化している気がしました。

これで穏やかな表情で寝ている母の顔や腕からむくみが取れれば『また退院できるかな』と、一瞬だけ夢を持った日だったように思います。

2023年12月 3日 (日)

瞬きだけ

4年前の2019年12月3日は晴れで16℃の火曜日、母が最後の入院をして23日目、私は午後6時40分に母の病室に行きました。

11月24日の夕方から28日の早朝まで4日間、夜間母の付き添いをしていましたが、心配だったパニック障害の症状はほとんど治まりました。

そのため、28日以後は普通の面会時間に行くことにしていて、この日も午後7時前に行くことにしました。

前日の母は吐息のような声で何かを言ってくれましたが、ずっとベッドに寝ているので、時計代わりが必要なくなったこともありました。

ただ同時に、母の状態が良化することはほとんど考えられなくなり、病院の方に足が向きにくくなってきたことも事実でした。

前日は母の両方の瞼が結構腫れていて再び悪化したように見えたので、この日も心配しながら病室に入りました。

この日の母は右側を下にしていて、暑いのか上衣が胸まではだけたような感じで、愛用の高橋由伸のタオルを掛けて寝ていました。

前日と違って瞼のむくみはほとんどありませんでしたが、手指のむくみはなかなか取れないよう見えました。

母の様子を見ているうちに、腕に巻いた血圧計が動き出し測定を始めると、220/100という数字が表示されてアラームが鳴りました。

そのままにして母に声を掛けると、瞼が動き出して何度か瞬きをしましたが、目が開くことはなく口や身体も動くことはありませんでした。

十日ほど前から鎮静剤を使ってきて、その効果で動けないのかと思うと同時に、母は瞬きで何かの意思を伝えてくれたのだと感じました。

ただ、血圧測定でアラームが鳴る状態であると同時に、心電図は一見して怪しげな波が増えていて、なんとなく絶望感が漂い始めました。

2023年12月 2日 (土)

広かった背中

4年前の2019年12月2日は雨で14℃の月曜日、母が最後の入院をして22日目、私は午後6時55分に母の病室に行きました。

11月24日の夕方から28日の早朝まで4日間、夜間母の付き添いをしていましたが、心配だったパニック障害の症状はほとんど治まりました。

そのため、28日以後は普通の面会時間に行くことにしていて、この日も午後7時少し前に行くことにしました。

前日の母は少し笑ったような表情もありましたが、ずっとベッドに寝ているので、時計代わりになる必要がなくなったこともありました。

ただ同時に、母の状態が良化することはほとんど考えられなくなり、病院の方に足が向きにくくなってきたことも事実でした。

この日も勇気を振り絞って病室に入ると、母は左側を下にして眠っていて、両方の瞼が結構腫れているように見えました。

前日までは点滴の量が減り、その分身体の水分も減ったためか、むくみが多少良化したような感じがしましたが、再び心配になってきました。

この日も「息子さん来ましたよ」と耳元で挨拶をすると、母の唇が動いて声にならない吐息で何かを言ってくれたのが分かりました。

同時に手が動いて、握っていた高橋由伸のタオルが揺れていたのでその手に触れると、明らかに前日よりもむくんでいました。

計器の数値は心電図こそ規則正しい感じでしたが、脈拍は90前後、血圧は215/100と表示されていました。

帰り際に母の背中に触れてみると、肩甲骨や背骨が目立っていて、筋肉はほとんど落ちてしまったような状態でした。

以前母の身体を拭いていた時に、身体の割に広いと思った背中が『こんなに小さくなったのか』と私は驚き、改めて寂しさを感じました。

2023年12月 1日 (金)

可愛い笑顔

4年前の2019年12月1日は晴れで13℃の日曜日、母が最後の入院をして21日目、私は午後7時20分に母の病室に行きました。

11月24日の夕方から28日の早朝まで4日間、夜間母の付き添いをしていましたが、心配だったパニック障害の症状はほとんど治まりました。

そのため、28日以後は普通の面会時間に行くことにしていて、この日も午後7時過ぎに行くことにしました。

前日は母の瞼が開いたりしましたが、ずっとベッドに寝ている状況なので、時計代わりに夕方に行く必要がなくなったこともありました。

ただ同時に、母の状態が良化することはほとんど考えられなくなり、病院の方に足が向きにくくなってきたことも確かでした。

この日も勇気を振り絞って病室に入ると、母は右側を下にして眠っていて、瞼の腫れがほとんど引いているように見えました。

前日に、点滴の量が減っていることに気付いたこともあり、水分を減らしたのがむくみにも影響しているのかと感じました。

そして前日と同様に「息子さん来ました」と声を掛けると、母は少し笑ったような表情になり何か声を出してくれました。

何を言っていたのかは分かりませんでしたが、その時の笑顔はこれまでに見たことのないような可愛さでした。

この日はベッドの周囲の計器には血圧は表示されていませんでしたが、脈拍が75、酸素量は95~96くらいで安定していました。

この時は酸素吸入のチューブが鼻にしっかりとは入っていないにもかかわらず、なかなか良い数値だったので、私も安心できました。

そんな鼻から外れかけたチューブと穏やかな表情で寝ている母を見て、私は『もう、そういう細かいことは大体でいいよ』と思いました。

2023年11月30日 (木)

最後に見た私の姿

4年前の2019年11月30日は晴れで12℃の土曜日、母が最後の入院をして20日目、私は午後6時40分に母の病室に行きました。

24日の夕方から28日の早朝まで、4日続けて夜間母の付き添いをしていましたが、心配だったパニック障害の症状はほとんど治まりました。

そのため、28日以後は普通の面会時間に行くことにしていて、この日も午後6時過ぎに行くことにしました。

この頃の母は既に食事を取ることもなく、ずっとベッドに横たわっていたので、時計代わりになる必要もないだろうという判断でした。

この日の母は右側を下にして寝ていて、やや腫れた瞼の状態は前日までと変わらないように見えました。

ベッドの周囲の計器を見ると、心電図はそれほど悪く無さそうでしたが、脈拍は75、血圧が210/90と表示されていました。

「息子さん来ましたよ」と声を掛けると、母が目を開けたので手に触れると「冷たい」と、元気なころと同じような反応をしてくれました。

カチカチに乾いた唇を拭いてあげると喜んでくれて、開けた目も見えているようでした。

珍しく瞼が両方開いたのは、むくみが多少良化したからかと思い腕に触れてみると、気のせいか少し細くなったようにも感じました。

ただ、点滴の量が減らされた様子もあって、むくみの良化はその影響のような気もしました。

会話の中で母は、朦朧とする意識の中でも「大丈夫」と笑い、私の「また明日来ます」という言葉に手を振るような仕草をしてくれました。

この日以降、私と一緒の時に母の瞼が開いたことは無かったので、もし目が見えていれば、母が最後に見た私の姿だったことになります。

2023年11月29日 (水)

時計代わりは必要ないかな

4年前の2019年11月29日は晴れで10℃の金曜日、母が最後の入院をして19日目、私は午後6時に母の病室に行きました。

24日の夕方から28日の早朝まで、4日続けて夜間母の付き添いをしていましたが、心配だったパニック障害の症状はほとんど治まりました。

そのため、28日の夕方からは普通の面会時間に行くことにしましたが、母はほとんど眠っているので、この日は午後6時ころ行きました。

2018年4月に母が脚を骨折して以来、施設入所後もずっと私は母の時計代わりになるように、午後4時ころに面会に行くようにしていました。

入院や施設での生活では時間の把握が難しいようで、母はよく私に時間を尋ねてきました。

そういう経験から、私が現れたら『夕方だ』と分かりやすいように、なるべく同じ時間に顔を出すようにしていたわけです。

ただ、この時の母の状況からすると『残念ながら、もう時計代わりは必要ないかな』と考えました。

また、母と話をしても楽しい内容にはならないと思い、眠っていたらそのまま帰ろうと考えたことも理由の一つでした。

この日の母はベッドに左側を下にして寝ていて、計器を見ると酸素量は90前後でしたが、脈拍や心電図は安定していました。

声を掛けると起きていて、「私はどこにいるの?」「明日の土曜日に何かある」などと、声は小さいながらもしっかりした口調で言いました。

さらに「何処かでお葬式をしているんじゃないの?」と、夢と現実が混ざり合いながらも、いろいろと考えているようでした。

鎮静剤のために朦朧としていたこともあったでしょうが、私はこの時の母の状態を見て『出来るだけのことはしてあげたかな』と思いました。

2023年11月28日 (火)

4日間で体力の限界

4年前の2019年11月28日は曇りの木曜日、母が最後の入院をして18日目、私は24日の夕方から病室で母に付き添っていました。

24日の夕方に面会に行くと、最初母は静かに眠っていましたが目が覚めそうになったときに突然苦しがり始めました。

同時にベッド脇の計器のアラームが鳴り出して看護師さんたちが来ましたが、初めて見た私は『大変なことになった』と、まず思いました。

驚いた私は、今にも母の命に関わるのではないかと考えて、姉のところに連絡をしたりしていました。

その間、苦しがっていた母に看護師さんは痰の吸引をしていて、母は違う意味で再び苦しがっていました。

その姿を見かねた私が看護師さんに相談すると、親族が付いて見守れば処置が変わるとのことで、突然私は母に付き添うことになりました。

一晩母の様子を見た私は、苦しい痰の吸引がきっかけとなってパニック障害を起こしているのではないか、と考えました。

そこで、25日に主治医に「パニック障害ではないか」と話した結果、鎮静剤を使うことになりましたが、しばらく見守る必要がありました。

昼の時間帯は姉が来てくれたので、私は夜の母の様子を見ることになりましたが、既にこのころは眠っていることが多い状況でした。

付き添って4日目の28日にはパニック障害の症状はほとんど治まって、母は目が覚めても身体に力が入ることも無くなりました。

夜だけとはいえ4日間付き添った私は体力に限界を感じたため、28日の早朝に一旦帰宅して、午後4時ころ再び面会に行きました。

母は精神的には落ち着いてきていて、穏やかに話をすることができましたが、顔や腕のむくみはまだかなり目立っていて厳しい状況でした。

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