生命の行方
2018年7月に施設に入所した母は、11月にむくみが酷くなって病院に入院することになりました。
検査の結果は心不全と診断され、おそらく老化が原因で心臓の弁膜の働きが良くないということでした。
完治を目指すには手術しかないそうで、母の場合は手術しないで「このまま寿命を待つのかな」と医師は独り言のように話していました。
私は母に「老化で心臓の働きが衰えてきたらしい」と、当たり障りのない感じで伝えておきました。
母が心臓の手術を希望することはないだろうとの思いから、手術のことは話題にすることもありませんでした。
結局母の心臓は、この時からおよそ1年で終わりを迎えることになりました。
それでも私はこの時の判断を『まぁ良かったかな』と前向きに捉えているというのが、昨日の記事でした。
ただ当然ですが、母がこの判断を私と同様に前向きに捉えてくれたかは分かりません。
母の通院に付き添うようになり、その内に一緒に診察室に入るようになりました。
そして母が入院するときには、私が手続きや同意書にサインをすることになりました。
そのような感じで、いつの間にか母の人生に私が関わるようになっていました。
最終的には母の生命の行方を私が決めているように感じて、精神的に辛い時期もあったように記憶しています。
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