楽しかったことも
この二日ばかり新聞の人生相談のコーナーから、両親を見送った後、いつまでも後悔しているという話を取り上げました。
おそらくそれはほとんどの人が経験することで、時間が解決してくれるという回答もその通りなのだと思います。
そして私も母が亡くなって4年半ほど経ちますが、今でも時々後悔の念のようなものが頭に浮かぶことがあります、と昨日の記事に書きました。
ところで私がこのブログを始めたのは、母の四十九日の法要が済んでから数日後のことでした。
その当時はまだ、後悔することが頭の中にたくさん詰まっていたように覚えています。
ただその後は毎日、ブログを書くために記録を読んだり記憶を遡ったりしていました。
すると、母の介護生活も後悔することばかりではなく、それなりに楽しかったことも思い出しました。
特に施設に入ってからの母の写真は、笑顔に溢れたものがとても多いことが分かりました。
それは、ウチでの引きこもりのような生活では考えられないことでした。
そういう施設での生活、私が『母の第二の人生』と呼ぶ時間があったので、このブログを始めたという事情もあります。
そんなふうに毎日両親のことを考えているのは、人生相談の相談者とは少し違うのかもしれません。
それでも、今でも私もいろいろと後悔することがあるので、なかなか解決できる問題ではないような気がします。
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