棺の中
4年前の2019年12月22日は曇りのち雨で10℃の日曜日、12月20日に亡くなった母はこの日も葬儀屋さんの和室に安置されていました。
前日は納棺の儀を行い、冷たくなった母はきれいにお化粧をされて棺に収っていました。
お通夜は24日で告別式が25日に決まっていて、もうしばらく母と一緒にいられることになっていました。
ただ前日も記したように、私には母が母では無くなったような不思議な感覚がありました。
それは一つには、痩せた顔にお化粧をしたことや、触れると冷たい身体が原因であったかもしれません。
また、この前年にも母が意識不明の昏睡状態になったことがあり、その時はすっかり元気に回復して『第二の人生』を生きてくれました。
その記憶があるために、母が再び蘇るのではないかという思いが強かったのかもしれません。
いずれにしても、私には傍らの棺に入っているのが母だという実感がなかなか湧いてこなかったのは確かでした。
そんな中、従兄弟や姪たちが母に会いに来てくれて、私はそこそこ忙しくこの日も過ごしました。
もう一つ不思議な感覚だったのが、棺に入った母と日中ずっと一緒にいたわけですが、これといった思いが湧かなかったことでした。
というのも私は、これ以前は棺の中の人と顔を合わせることができず、父の時でもなるべく見ないようにしていました。
ところが、この時は特に感慨もなく普通に母の顔を見ることができて、自分ながら『どうしてだろう?』と疑問に思ったものでした。
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