避けられた人工透析
4年前の2019年12月28日は晴れで11℃の土曜日、12月20日に亡くなった母の葬儀は25日に終了しました。
私の気持ちも徐々に落ち着いてきて、母との思い出なども落ち着いて考えられるようになってきました。
母は若い頃から腎臓を患いながらも、本人も予想外だったと思われる92歳まで生きることができました。
それでも糖尿病を発症し、それが悪化してクリニックから病院を紹介された時は深刻に悩んでいたようでした。
確か母が86歳の時でしたが、おそらく病院に行く前日に「人工透析してまで生きたくない」という言葉を聞きました。
結局この時は通院をすることが決定しただけでしたが、本人はそこまで悲観的に考えていたのでしょう。
実際に人工透析を受ける以外に方法がなかったとしたら母がどうしたかは分かりませんが、私は勧めるしかなかったと思います。
ただ、その人の生き方は本人が決めるべきなのは確かですから、母が拒否をしたら他の方法を取るほかなかったかもしれません。
幸い母は人工透析を受けることなく人生を終えたわけですが、私には今でも気に掛かっていることが一つあります。
それは母が最後の入院をしていた時に主治医から「利尿剤が効かなくなったので人工透析をしたい」と連絡がありました。
その時に私が思い出したのが母の言葉で、即答を避けたためそのまま利尿剤の点滴を続け、一か月後に母は亡くなってしまいました。
この時すぐに人工透析をしていたら母がもう一度元気になったかどうかは分かりませんが、その言葉が私に引っかかっていたのは確かでした。
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