« 2023年8月 | トップページ | 2023年10月 »

2023年9月

2023年9月30日 (土)

ケアマネジャーと会談

4年前の2019年9月30日は晴れで30℃の月曜日、母が施設に4回目の入所をして64日目、午後3時50分ころ面会に行きました。

8月中旬ころから母の体調不良の日が多く、病院で診察した結果、最大の原因は塩分不足ではないかということでした。

そのため、9月初旬ころから塩分を補うために『ふりかけご飯』を食べることにして、様子を見るということになりました。

その『ふりかけご飯』は母も気に入ってくれて、食事の量も増えてきて9月下旬には体調の良化が感じられるようになってきていました。

ただ、体調は良化したように見えるものの母に元気が出ないので、私は環境を変える意味でも帰宅することを母に提案していました。

この日は、自宅で介護をしていた当時のケアマネジャーが帰宅後もお世話をしてくださるということで、母に会いに来てくれました

ケアマネジャーには前日母が泣いたことを話し、本人の意思を尊重したい旨を伝えると「それがいいでしょう」と答えてくれました。

この日の母は食堂のいつもの場所にいましたが、ケアマネジャーを紹介すると「良く覚えていない」と小さな声で言っていました。

この日も母はあまり元気がありませんでしたが、それなりに一生懸命ケアマネジャーと話をしていました。

相変わらず母は帰宅することについては否定的で、ケアマネジャーは帰り際に「ゆっくり進めましょう」と言ってくれました。

ただ、会談後に母が「今日はラジオを聴いていない」と思い出したように言うので、私は母のバッグにラジオを入れておきました。

このところ「うるさいから」とラジオを遠ざけていた母がラジオを聴く気になったのだとすれば、私は『良い兆しかな?』と思いました。

2023年9月29日 (金)

「何もかも不安」

4年前の2019年9月29日は晴れで28℃の日曜日、母が施設に4回目の入所をして63日目、午後3時55分ころ面会に行きました。

8月中旬ころから母の体調不良の日が多く、病院で診察した結果、最大の原因は塩分不足ではないかということになりました。

そのため、9月初旬ころからふりかけご飯を食べることにして、様子を見るということになりました。

そのふりかけご飯は母も気に入ってくれて、食事の量も増えてきて9月下旬には体調の良化が感じられるようになってきていました。

ただ、体調は良化したように見えるものの母に元気が出ないので、私はこのころ環境を変える意味でも帰宅することを考え始めていました。

この日の母は食堂のいつもの場所にいましたが、母に挨拶をする前に看護師さんが私に話しかけてきました。

「今日は泣いてしまいました」と母が泣いたことを教えてくれたので、本人に尋ねましたが理由ははっきりとは分かりませんでした。

このところ精神的に不安定になっていたので、その状況がピークになったということでしょうが、私には為す術がありませんでした。

いずれにしても、いろいろな出来事や考えることなどが全て悲観的になっているように感じられました。

少し前に帰宅のことを話したために、母はそれも気にしているようで帰宅するのは「何もかも不安」と話していました。

私が「ここにいれば安心できる?」と尋ねると「安心だけど置いて行かれそう」と母は言い、施設にいても孤独を感じている様子でした。

一時期よりも認知はしっかりしていましたが、逆にいろいろ考えすぎていて、不安感に押しつぶされそうになっているように見えました。

2023年9月28日 (木)

「しっちゃかめっちゃかだ」

4年前の2019年9月28日は晴れで28℃の土曜日、母が施設に4回目の入所をして62日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

8月中旬ころから母の体調不良の日が多く、病院で診察した結果、最大の原因は塩分不足ではないかということになりました。

そのため、9月初旬ころからふりかけご飯を食べることにして、様子を見るということになりました。

そのふりかけご飯は母も気に入ってくれて、食事の量も増えてきて9月下旬には体調の良化が感じられるようになってきていました。

ただ、体調は良化したように見えるものの母に元気が出ないので、私はこのころ環境を変える意味でも帰宅することを考え始めていました。

このところ母に元気が無いので、この日はほうれん草を炒めたものとキウイフルーツを持って、母に食べてもらおうと用意して行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、前日同様に頭を抱えるような姿勢で「しっちゃかめっちゃかだ」と言っていました。

なかなか気分がすぐれない様子でしたが、朝からリハビリがあったということで、前日よりは多少元気があるような気がしました。

いつものように9階の面会室に行き、私が持参したものを食べて母は「おいしい」と言い、予想以上にたくさん食べてくれました。

食欲や体調に問題があるというよりも、気分的に落ち込んでいて、なかなか元気が出ないというのが正直なところのようでした。

リハビリでは「元気が無い」と先生に心配されたそうでしたが、ベッドと車椅子の移動はいつもよりも足取りが軽く見えました。

それでも、母がこの状態では帰宅しても逆効果になりそうなので、まずは母の精神的安定を取り戻す必要があると思いました。

2023年9月27日 (水)

ケアマネジャーは快諾

4年前の2019年9月27日は晴れで27℃の金曜日、母が施設に4回目の入所をして61日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

8月中旬ころから母の体調不良の日が多く、病院で診察した結果、最大の原因は塩分不足ではないかということになりました。

そのため、9月初旬ころからふりかけご飯を食べることにして、様子を見るということになりました。

そのふりかけご飯は母も気に入ってくれて、食事の量も増えてきて9月下旬には体調の良化が感じられるようになってきていました。

ただ、体調は良化したように見えるものの母に元気が出ないので、私はこのころ環境を変える意味でも帰宅することを考え始めていました。

前日はその考えを施設の相談員の方に伝えて、この日は以前お世話になっていたケアマネジャーに相談してみました。

「もし帰宅をすることになれば、またよろしくお願いします」と、そのケアマネジャーは快諾してくれました。

ところが、この日の母は食堂のいつもの場所にいましたが、両方のこめかみを押さえる姿勢をしていて調子が悪そうに見えました。

話を聞いてみると「寝てない」「しっちゃかめっちゃか」「誰に爪切りをお願いしようか気になっている」などと、頭を抱えていました。

どうも体調に問題があるというよりも、気分的に落ち込んでいて、いろいろなことが気になって仕方がないという感じでした。

いつものように9階の面会室に行って日光浴をすると、母は「気持ちいい」と少しだけ元気が出たのか笑顔で言いました。

ただその笑顔も長続きはせず、母がこの状態では帰宅も逆効果になりそうなので、まずは母の精神的安定を取り戻す必要がありました。

2023年9月26日 (火)

ヒゲを切る

4年前の2019年9月26日は晴れで27℃の木曜日、母が施設に4回目の入所をして60日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

8月中旬ころから母の体調不良の日が多く、病院で診察した結果、最大の原因は塩分不足ではないかということになりました。

そのため、9月初旬ころからふりかけご飯を食べることにして、様子を見るということになりました。

そのふりかけご飯は母も気に入ってくれて、食事の量も増えてきて9月下旬には体調の良化が感じられるようになってきていました。

ただ、体調は良化したように見えるものの母に元気が出ないので、私はこのころ環境を変える意味でも帰宅することを考え始めていました。

そしてこの日、私はその考えを施設の相談員の方に伝えて、いよいよその方向で進めようとしていました。

この日は母が食堂のいつもの場所に見当たらず、職員さんに尋ねると「お風呂に行っている」ということでした。

そこで9階に行って待っていると、およそ10分ほどして母がお風呂場から出て来ました。

「お風呂でヒゲをいじられた」と母は笑っていましたが、確かに母の鼻の下には一本だけ長いヒゲが伸びていました。

この日の母はそこそこ元気で話もたくさんできましたが、内容は今ひとつ分からないものもありました。

認知がおかしいわけではなく、おそらく母としては辻褄が合っているのでしょうが、少し頭が混乱している感じがしました。

「ふりかけご飯をたくさん食べた」と胸を張っていた母のヒゲを切ってあげると、母はその辺りを触れて確かめて笑っていました。

2023年9月25日 (月)

帰宅を提案

4年前の2019年9月25日は晴れで29℃の水曜日、母が施設に4回目の入所をして59日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

8月中旬ころから母の体調不良の日が多く、病院で診察した結果、最大の原因は塩分不足ではないかということになりました。

そのため、9月初旬ころからふりかけご飯を始めて、様子を見るということになりました。

そのふりかけご飯は母も気に入ってくれて、食事の量も増えてきて9月下旬には体調の良化が感じられるようになってきていました。

それでも施設に向かっている時は『今日はどうかな?』と、毎日不安を抱えながら歩いていたように覚えています。

そして、体調は良化したように見えるものの母に元気が出ないので、私は環境を変える意味でも帰宅することを考え始めていました。

この日の母は食堂のいつもの場所にいましたが表情は相変わらず硬く、どこか不安そうな顔をしていました。

いつものように9階の面会室に行って話をすると、いろいろな話をしてくれましたが、どれも今ひとつ状況が分からないものでした。

午前中にリハビリに行って「今日も見学がほとんどだった」ということは分かりましたが、それも元気が出ない原因の一つのようでした。

ただ、前日姉が面会に来てくれたことはしっかり覚えていて、認知や意識に問題はないものの気分が晴れないということでした。

そこで、私が帰宅するのはどうか尋ねてみたところ、母は微妙な表情をしながら「大変だよ」と自宅での生活を心配していました。

それでも、私が「ウチで折鶴を一日5羽折っていたこともあったね」と言うと、母は思い出したのか少し笑ったように見えました。

2023年9月24日 (日)

大騒ぎで憂鬱に

4年前の2019年9月24日は晴れのち曇りで31℃の火曜日、母が施設に4回目の入所をして58日目、午後3時30分ころ面会に行きました。

8月中旬ころから母の体調不良の日が多く、病院で診察した結果、最大の原因は塩分不足ではないかということになりました。

そのため、9月初旬ころからふりかけご飯を始めて、様子を見るということになりました。

そのふりかけご飯は母も気に入ってくれて、食事の量も増えてきて9月下旬には体調の良化が感じられるようになってきていました。

それでも施設に向かっている時は『今日はどうかな?』と、毎日不安を抱えながら歩いていたように覚えています。

特にこの日は午前中に施設から電話があり、母が右腕から出血をしたということでその状態も心配でした。

この日の母は食堂のいつもの場所で両手で頭を抱えるような姿勢をしていたので『気分が悪いのかな?』と思いました。

そんな母に、この日面会に来てくれた姉と一緒に挨拶をすると、元気の無さそうな声が返ってきました。

それでもいつものように9階の面会室に行き、南向きの窓から明るい外を見せると、母も少しずつ元気が出て来たようでした。

母の話によると「今朝出血をして、皆に大騒ぎをされて憂鬱になった」、「せっかくのリハビリがほとんど見学だった」と言っていました。

その後には久しぶりに姉と会話したりして気分が紛れてきたのか、声も生き生きしてきて、右腕も含めて母の体調に問題は無さそうでした。

最後に再び「体調は悪くないけど、休みなさいと言われて憂鬱になった」と、母は振り返っていました。

2023年9月23日 (土)

ラジオの「音がうるさい」

4年前の2019年9月23日は晴れで31℃の月曜日、母が施設に4回目の入所をして57日目、午後3時55分ころ面会に行きました。

このころは母の体調が良くない日も多く、病院での診察の結果、最大の原因が塩分不足ではないかと思われていた時期でした。

そのため、9月初旬から始めていたふりかけご飯を続けて、様子を見るということになりました。

そのふりかけご飯は母も気に入ってくれて、食事の量も増えてきて9月下旬には体調の良化が感じられるようになってきていました。

それでも施設に向かっている時は『今日はどうかな?』と、毎日不安を抱えながら歩いていたように覚えています。

この日の母は食堂のいつもの場所にいて、おやつを食べ終わったというので9階の面会室に向かいました。

母の話では入浴が最後になったそうで、帰って間もなくという状況だったようでした。

また、このところ職員さんに新しい人が増えているようで、入浴後の着替えで何か不手際もあったということでした。

そういった施設の変化も母は気になっているようで、以前と違ってどことなく遠慮がちなところがありました。

それでも少しずつ元気になってきた点もあって、この日も腿上げが良く上がり「脚が軽くて歩けそう」と微笑んで言いました。

ただ、ラジオはほとんど聴かなくなっていて、母が言うには「音がうるさい」とのことで、気分的に受け付けない様子でした。

見たところ体調はそれほど悪く無さそうでしたが、精神的に今ひとつ元気になれないという感じがしました。

2023年9月22日 (金)

「その辺りを歩きたいね」

4年前の2019年9月22日は晴れのち曇りで27℃の日曜日、母が施設に4回目の入所をして56日目、午後3時30分ころ面会に行きました。

このころは母の体調が良くない日も多く、病院での診察の結果、最大の原因が塩分不足ではないかと思われていた時期でした。

そのため、9月初旬から始めていたふりかけご飯を続けて、様子を見るということになりました。

そのふりかけご飯は母も気に入ってくれて、食事の量も増えてきて体調の良化が徐々に感じられるようになってきていました。

それでも施設に向かっている時は『今日はどうかな?』と、毎日不安を抱えながら歩いていたように覚えています。

この日は少し早い時間でしたが母は食堂のいつもの場所にいて、おやつを食べ終わったところのようでした。

日に当たりながら話をしようということで9階の面会室に行きましたが、運悪くちょうど曇ってきたところでした。

それでも窓際で話をすると、この日の母は相変わらず声が小さくゆっくりした話し方でしたが、内容はしっかりしていました。

また「ふりかけご飯がおいしくて、よく食べている」と言うとおり、少しずつ元気が出て来た感じがしました。

特に腿上げをすると「むくみが無くて脚が軽い」と嬉しそうに言い、続けて「その辺りを歩きたいね」と意欲を見せていました。

ただ「でも、転んだら危ないから」と、慎重な母らしい言葉も出ましたが、気持ちが前向きになってきたのは嬉しいことでした。

「明日がお彼岸の中日だよ」と私が言うと、母は「お墓も行かなきゃいけないけどね」と少し寂しそうな表情をしていました。

2023年9月21日 (木)

リハビリと植木鉢

4年前の2019年9月21日は曇りで25℃の土曜日、母が施設に4回目の入所をして55日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

このころは母の体調が良くない日も多く、病院での診察の結果、最大の原因が塩分不足ではないかと思われていた時期でした。

そのため、少し前から始めていたふりかけご飯を続けて、様子を見るということになりました。

そのふりかけご飯は母も気に入ってくれて、食事の量も増えてきて体調の良化が徐々に感じられるようになってきていました。

それでも施設に向かっている時は『今日はどうかな?』と、毎日不安を抱えながら歩いていたように覚えています。

この日の母は食堂のいつもの場所にいて挨拶をすると「今日はリハビリがあった」と、にこやかな表情で教えてくれました。

話の続きをしようと9階の面会室に行くと、曇り空で日光浴はできませんでしたが、母は「暖かい」と喜んでいました。

そして、この日のリハビリは腿上げはしたということでしたが、ほとんど運動はしないで植木鉢を見ていたと話していました。

どうも、母に元気が無いのでリハビリの先生が遠慮をしているのか、この頃のリハビリは軽い運動に終始しているようでした。

そのために体力が落ちてきて、食欲不振から元気が出ないという悪循環に陥ってしまっているような感じもしました。

もっとも、この時母は91歳なので年齢相応ともいえたでしょうが、これまでの元気さを思うと残念な気がしました。

ただ、この日も声は小さく話のテンポもゆっくりでしたが、認知はしっかりしていて会話を楽しむことはできました。

2023年9月20日 (水)

腿上げ20回「何だか軽い」

4年前の2019年9月20日は晴れで27℃の金曜日、母が施設に4回目の入所をして54日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

このころは母の体調が良くない日も多く、病院での診察の結果、最大の原因が塩分不足ではないかと思われていた時期でした。

そのため、少し前から始めていたふりかけご飯を続けて、様子を見るということになりました。

そのふりかけご飯は母も気に入ってくれて、食事の量も増えてきて体調の良化が徐々に感じられるようになってきていました。

それでも施設に向かっている時は『今日はどうかな?』と、毎日不安を抱えながら歩いていたように覚えています。

この日の母は食堂のいつもの場所にいましたが、ちょうど何処かへ行こうと動き始めたところで「トイレに行く」と言っていました。

そのため私は先に部屋に行き10分ほど待っていると、母が「出た」と嬉しそうな表情で現れました。

この日は天気が良いので9階の面会室に行こうとしたところ、母が「ウンチが漏れた」と言うので、再びトイレに行くことになりました。

結局、部屋で着替えながら話をすることになりましたが、便通があったためか母は「朝からお腹が空いていた」と言っていました。

「ふりかけご飯がおいしくて、たくさん食べている」と続けて、更に「おやつは全部食べた」と胸を張っていました。

そのためか体調は良さそうで、声にも元気があり機嫌も良く、たくさん話をしてくれました。

最後にリハビリの代わりに腿上げを20回やりましたが、私が「本当に良く上がるね」と言うと、母は「何だか軽い」と笑顔で答えました。

2023年9月19日 (火)

「こんな子が欲しいね」と笑顔

4年前の2019年9月19日は晴れで27℃の木曜日、母が施設に4回目の入所をして53日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

このころは母の体調が良くない日も多く、病院での診察の結果、最大の原因が塩分不足ではないかと思われていた時期でした。

そのため、少し前から始めていたふりかけご飯を続けて、様子を見るということになりました。

そのふりかけご飯は母も気に入ってくれて、食事の量も増えてきて体調の良化が徐々に感じられるようになってきていました。

それでも施設に向かっている時は『今日はどうかな?』と、毎日不安を抱えながら歩いていたように覚えています。

この日は母が食堂のいつもの場所に見当たらず、部屋で寝ているということでしたので、私は部屋に向かいました。

ベッドを覗くと母はすぐに目を開き「おやつを食べた後、腰が痛くなるから」と言って、再び横にならせてもらったということでした。

せっかくの好天なので9階で日光浴をしたいところでしたが、母にベッドに座ってもらって話をすることにしました。

この日は「朝から入浴をして、その他にもいろいろあって忙しかった」と母は言っていましたが、今ひとつ話の内容が分かりませんでした。

ただ、この日の母はこれまでよりも元気で、声にも力があったように感じました。

特に曾孫の動画を見せたときには「かわいいね、こんな子が欲しいね」と満面の笑顔で、機嫌の良さもこれまでと違っていました。

この日のように元気に話をしてくれると嬉しいものでしたが、しきりに「寒い」と言っていて、体調は少し心配な点もありました。

2023年9月18日 (月)

背中を掻いた跡

4年前の2019年9月18日は雨で24℃の水曜日、母が施設に4回目の入所をして52日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

このころは母の体調が良くない日が多く、病院での診察の結果、最大の原因が塩分不足ではないかと思われていた時期でした。

そのため、少し前から始めていたふりかけご飯を続けて、様子を見るということになりました。

そのふりかけご飯は母も気に入ってくれて、食事の量も増えてきて体調の良化が徐々に感じられるようになってきていました。

それでも施設に向かっている時は『今日はどうかな?』と、毎日不安を抱えながら歩いていたように覚えています。

この日の母は食堂のいつもの場所にいて、また何らかの便秘の処置をしてもらったと言っていました。

それはどうも座薬を入れたようで、「まだ出ていない」と言いながらも、それほど切羽詰まった様子ではありませんでした。

母によると、この日は特に行事もなく、座薬を入れたことだけが印象に残っているようでした。

着替えの時に母の背中を見てみると、掻いたような跡が数多くあって着ていたTシャツには小さな血の跡が付いていました。

おそらく暇な時間が多かったため、背中の痒みが気になってひたすら掻いていたのでしょう。

この日の母は相変わらず声が小さくおとなしかったですが、笑ったり笑顔が出たりして、少しずつ元気になっているように感じました。

これで更に便通や背中の痒みが気にならなくなれば、母の表情も明るくなるのかと考えたりもしました。

2023年9月17日 (日)

盛り上がりが今ひとつ

4年前の2019年9月17日は晴れで31℃の火曜日、母が施設に4回目の入所をして51日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

このころは母の体調が良くない日が多く、病院での診察の結果、最大の原因が塩分不足ではないかと思われていた時期でした。

そのため、少し前から始めていたふりかけご飯を続けて、様子を見るということになりました。

そのふりかけご飯は母も気に入ってくれて、食事の量も増えてきて体調の良化が徐々に感じられるようになってきていました。

それでも施設に向かっている時は『今日はどうかな?』と、毎日不安を抱えながら歩いていたように覚えています。

この日の母は食堂のいつもの場所にいて「リハビリに行って、帰って来たばかり」と話してくれました。

久しぶりのリハビリがやはり楽しかったのか、この日の母の表情はかなり明るいように見えました。

いつものように9階の面会室で日光浴をしながら話をすると、前日に『敬老会』があったことをしっかり覚えていました。

細かい内容までは分からないと言っていましたが、それでも「楽しかった」と笑顔で振り返っていました。

しばらく西日を背中に受けて温まったところで部屋に戻り、着替えの際に背中をタオルで拭いてあげると「気持ちいい」と喜んでくれました。

また、車椅子に座りながら腿上げを20回やるととても良く上がりましたが、母は「脚は上がるけど歩けない」と不満そうな表情をしました。

会話は普通にできるようになり、この日は特にリハビリに行ったので元気でしたが、まだどこか気分的に盛り上がらない感じの母でした。

2023年9月16日 (土)

小規模になった『敬老会』

4年前の2019年9月16日は雨のち曇りで28℃の月曜日、母が施設に4回目の入所をして50日目、午後2時ころ施設に行きました。

このころは母の体調が良くない日が多く、病院での診察の結果、最大の原因が塩分不足ではないかと思われていた時期でした。

そのため、少し前から始めていたふりかけご飯を続けて、様子を見るということになりました。

そのふりかけご飯は母も気に入ってくれて、食事の量も増えてきて体調の良化が徐々に感じられるようになってきていました。

それでも施設に向かっている時は『今日はどうかな?』と、毎日不安を抱えながら歩いていたように覚えています。

この日は午後2時から『敬老会』が予定されていて、私が到着したときには母は既に椅子に座っていました。

ただ、もしかすると母は昼寝をしていたのか、いつもと違う部屋の雰囲気に戸惑っている感じもありました。

そして、私が母の後ろの席に座ると『敬老会』はすぐに始まり、前年と同様の演し物が続いて一時間程度で終了しました。

前年は入所者の歌が2曲あったところ、この年は1曲に減ったりするなど、やや小規模になった感じはありました。

そのため歌の練習期間も短かったようで、母から練習の様子を聞いたことはほとんどありませんでした。

丁度母が元気のないころでしたから『敬老会』の練習で元気が出ればいいなと思っていましたが、この年は練習が少なくて残念でした。

それでもこの日は母の声にも少しずつ力強さが出て来ていて、また、多少無理しながらも笑顔が時々出るようになりました。

2023年9月15日 (金)

『敬老会』前日

4年前の2019年9月15日は晴れで30℃の日曜日、母が施設に4回目の入所をして49日目、午後4時ころ面会に行きました。

このころは母の体調が良くない日が多く、病院での診察の結果、最大の原因が塩分不足ではないかと思われていた時期でした。

そのため、少し前から始めていたふりかけご飯を続けて、様子を見るということになりました。

そのふりかけご飯は母も気に入ってくれて、食事の量も増えてきて体調の良化が徐々に感じられるようになってきていました。

それでも施設に向かっている時は『今日はどうかな?』と、毎日不安を抱えながら歩いていたように覚えています。

この日は母がトイレに行っていたので様子を聞くと、便秘のために何かの処置をしてもらったけれども、まだ出ないとのことでした。

ただ、母は「食事はおいしくいただいています」と言うので、便秘以外の体調は悪く無さそうでした。

この日も「少し温まろう」と9階の面会室の窓辺に行くと、母の服装が前日と変わっていたのに気がつきました。

母に尋ねると「お風呂に入った」ということで、翌日に『敬老会』があるため、本来月曜日の入浴がこの日になったようでした。

前年の『敬老会』の頃は母の体調も良好で、さらに姪が来てくれたこともあって、母は「楽しかった」と振り返っていました。

また、事前に歌の練習もたくさんやって、当日の母は歌も振り付けも元気いっぱいで本当に楽しんでいました。

ただ、この年は少し前から母の体調があまり良くないので、『敬老会』をきっかけに元気を取り戻してくれたらいいな、と思っていました。

2023年9月14日 (木)

「そうよ、おいしかった」

4年前の2019年9月14日は曇りで25℃の土曜日、母が施設に4回目の入所をして48日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

このころは母の体調が良くない日が多く、病院での診察の結果、最大の原因が塩分不足ではないかと思われていた時期でした。

そのため、少し前から始めていたふりかけご飯を続けて、様子を見るということになりました。

そのふりかけご飯は母も気に入ってくれて、食事の量も増えてきて体調の良化が徐々に感じられるようになってきていました。

それでも施設に向かっている時は『今日はどうかな?』と、毎日不安を抱えながら歩いていたように覚えています。

この日の母は食堂の定位置で厚手のカーディガンを着ていて「あったかい」と微笑していました。

この日は曇り空でしたが9階の面会室に行くと、人が結構多くいましたが、母と二人で外を眺めながら話をすることにしました。

日光浴はできませんでしたが徐々に明るくなってきて、母は「ここに来ると温まる」と言い、それなりに楽しみにしている様子でした。

私が「今日もふりかけご飯食べたの?」と尋ねると、母は「そうよ、おいしかった」と穏やかな表情で答えてくれました。

その後、着替えの際に背中をゴシゴシ拭いてあげると、母は「真ん中が気持ちいい」と嬉しそうに言っていました。

そして着替えが終わると「サッパリした」と笑顔も出て、次に頭をタオルで拭くと「力が強いですね」と気分が良さそうでした。

この日の母の声は全体的に小さいながらも会話がしっかりできて、本人も体調の回復を少しずつ実感しているようでした。

2023年9月13日 (水)

腿上げで得意気

4年前の2019年9月13日は曇りで25℃の金曜日、母が施設に4回目の入所をして47日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

このころは母の体調が良くない日が多く、病院での診察の結果、最大の原因が塩分不足ではないかと思われていた時期でした。

そのため、少し前から始めていたふりかけご飯を続けて、様子を見るということになりました。

そのふりかけご飯は母も気に入ってくれて、食事の量も増えてきて体調の良化が徐々に感じられるようになってきていました。

それでも施設に向かっている時は『今日はどうかな?』と、毎日不安を抱えながら歩いていたように覚えています。

この日の母は食堂の定位置にいて、私の姿を見たときに微笑んでくれたように見えました。

早速いつものように9階の面会室に行くと、曇り空で日光浴はできませんでしたが、声が小さいながらも会話は普通にできました。

前日は面会時に母が寝ていたのでそのまま帰ったことを話すと、母は誰かに教えてもらったようで知っていました。

また、久しぶりに入浴をしたことについて「最初は怖かった」とのことですが、最後は「気持ち良かった」と笑っていました。

この日は少し元気がいい感じがしたので、久しぶりに着替えながら腿上げやってもらうと、私が思っていた以上に良く上がりました。

「膝が良く上がっているね」と私が言うと、母は「そうでしょ」と得意気な笑顔を見せてくれました。

母の声に元気が無いのは相変わらずでしたが、体調は悪く無さそうで話も普通にできたので、この日は安心して帰れました。

2023年9月12日 (火)

久しぶりの入浴で熟睡

4年前の2019年9月12日は晴れで28℃の木曜日、母が施設に4回目の入所をして46日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母の調子が良くない日が多く病院で診察した結果、最大の原因が塩分不足ではないかと思われていた時期でした。

そのため、少し前から始めていたふりかけご飯を続けて、様子を見るということになりました。

そのふりかけご飯は母も気に入ってくれて、食事の量も増えてきて体調の良化が徐々に感じられるようになってきていました。

それでも施設に向かっている時は『今日はどうかな?』と、不安を抱えながら歩いていたように覚えています。

この日は食堂の定位置に母がいないので職員さんに尋ねてみると「部屋で寝ています」ということでした。

そこで部屋に向かうと、母は少し前に買ってあげた夏物の七分袖の上着で、こちらを向いてベッドに横たわっていました。

この日は入浴をしたはずなのでベッドの周囲で洗濯物の回収などをしていても、母は一向に目を覚ます気配はありませんでした。

入浴は2回キャンセルしていて久しぶりで気持ちが良かったのでしょう、よく眠っていましたので私はそのまま帰ることにしました。

帰り際に職員さんと話をすると、昼食後に入浴をしたのでおやつを食べてから昼寝をすることになった、ということでした。

気になる食事のことを尋ねると、ご飯は全部でおかずも6~8割ほど食べている、と教えてくれました。

それを聞いて、おそらく前日よりも体調は良化しているのだろうと思い、安心して帰ることができました。

2023年9月11日 (月)

「ご飯までおいしい」

4年前の2019年9月11日は晴れで33℃の水曜日、母が施設に4回目の入所をして45日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

前日は母の体調不良の原因が『慢性硬膜下血腫』ではないかという私の考えで、病院の診察を受けました。

その結果、おそらく最大の問題は塩分不足だろうということで、少し前から始めていたふりかけご飯を続けて、様子を見ることになりました。

ふりかけご飯は母も気に入っていて、少しずつ食事の量も増えてきて体調も良化しつつあるように感じられました。

それでも施設に向かっている時の気持ちは『今日はどうかな?』と、多少の不安を抱えていました。

この日の母はちゃんちゃんこを着ずに食堂の定位置にいましたが「エアコンが効いていて寒い」と言っていました。

そこで私の汗まみれの腕を掴ませると、母は「何これ!」と驚きましたが、しっかりと外の暑さを感じてくれたようでした。

そんな母を連れていつものように9階の面会室で話をすると、前日病院で検査をしたことをしっかり覚えていました。

私が「異常ないから、ふりかけご飯をしっかり食べてね」と言うと、母は「何だかご飯まで変わったようにおいしい」と笑顔で答えました。

また「今日はタオル折りをやりました」と言いながら、タオルの巻き方まで教えてくれました。

その他、敬老会のために『大きな栗の木の下で』を歌って練習したそうで、そのせいかこの日の母の声はこれまでよりも元気がありました。

それでも弱気な言葉が時々出るなど、まだ体力や精神的に不安がありそうで、本調子にはもう一歩という気がしました。

2023年9月10日 (日)

『慢性硬膜下血腫』は否定

4年前の2019年9月10日は晴れで36℃の火曜日、母が施設に4回目の入所をして44日目、午前10時ころ施設に行きました。

私は母の状態から『慢性硬膜下血腫』の疑いがあるのではないかと考えて、この日に診察をしてもらうことになっていました。

そのため午前中に母のフロアに行くと、母は食堂の定位置にいましたが、テーブルに積んであるタオルに関しては「知らない」と言いました。

他の人たちはタオル折りをしていたようですが、母はやらなかったということでしょう。

病院から呼び出しがあり、まずCTスキャンを受けることになりましたが、入室前に母はかなり怖がっているようでした。

その後、CTスキャンが無事終了して診察室で医師に話を聞くと「慢性硬膜下血腫はなく、脳には異常なし」ということでした。

つまり私が心配していた病気ではなく、認知も問題ないという結果でした。

それは喜ぶべき良い結果でしたが、それではこのところ母が「調子が悪い」と言っている原因が謎のまま残ってしまいました。

医師の説明では「やはり塩分の不足が原因ではないか」ということで、ふりかけご飯を食べ始めて5日目、これを続けることになりました。

これまでも塩分不足と言われたことはありましたが、医師がそれほど重要視していないように感じたため、軽視していた面はありました。

今回は数日前からふりかけご飯を食べていて母も気に入っていたため、しばらくそれで様子を見ようと考えたわけです。

確かに一時期より母の調子は少しずつ良化しているようで、この日の会話の中でも時々笑顔が見られ意識もしっかりしていました。

2023年9月 9日 (土)

『慢性硬膜下血腫』を確信

4年前の2019年9月9日は雨のち晴れで36℃の月曜日、母が施設に4回目の入所をして43日目、午後4時ころ面会に行きました。

私は母の状態から『慢性硬膜下血腫』を疑い始めていて、前日に看護師さんに頭の検査をしたい旨を伝えておきました。

また、この日は母の入浴が予定されている日なので、朝のうちに電話して入浴を止めて欲しいとお願いしました。

するとお昼前に施設から電話で「明日、脳神経外科の予約が取れた」と連絡がありました。

このころの母の体調が心配であることから、母に伝える前にそのように予定を入れておいたわけです。

さて、この日の母はちゃんちゃんこを着て食堂のいつもの場所にいて、私が手を振ると気付いたようで笑顔を見せてくれました。

「おやつを食べたところ。甘いものだった」と言う母は、続けて「ご飯を食べたか覚えていない」とも言っていました。

ただ「ふりかけご飯がおいしかった」とのことで、はっきりとは分かりませんでしたが全く食べていないわけではないようでした。

また、翌日病院で検査をしてもらうことを伝えると、母はかなり怖がっているような表情をしていました。

それでも、私がこの日の入浴を中止してもらう連絡をしたことは知っていて、記憶はそれなりにしっかりしていました。

母が7月に入院した際にベッドに頭をぶつけたことがあり、時期から考えて私は『慢性硬膜下血腫』に間違いないように感じてきました。

そして、それが翌日に判明すれば母の状態を改善できると、何故か私は確信していました。

2023年9月 8日 (金)

『慢性硬膜下血腫』の疑い

4年前の2019年9月8日は晴れで33℃の日曜日、母が施設に4回目の入所をして42日目、午後2時45分ころ面会に行きました。

台風が近づいているために少し早めに行きましたが、母は食堂のいつもの場所にいておやつを待っている状況でした。

おやつにはまだ時間があるようでしたので、母を9階の面会室に連れて行き外を見ながら日光浴をしました。

面会室で話している間の母の声は元気が無く、そして何よりも感情の起伏がない感じで小さな声でボソボソと喋っていました。

そして、しばらく日に当たっていた母が「温まった」と言うので、おやつを食べるためにフロアに戻ることにしました。

母がテーブルにつくと、お茶とブルーベリーゼリーが運ばれて来ました。

ゆっくりおやつを食べてもらうことにして、私は先に部屋に行って洗濯物の整理をすることにしました。

母が来たところでこの日の話を尋ねると、便通はあったがご飯を食べたかどうかは覚えていないと話していました。

それでも「今日のおやつはおいしかった」と微笑んでいて、何も食べないということでもないようでした。

この日の母は相変わらず声に元気はありませんでしたが、会話は普通にできて認知症という感じでは無いなと思いました。

ただ、声に抑揚が無く感情の起伏もないので、私はウツの症状なのかなと考えてもみました。

また、母の状態からネットを検索してみると『慢性硬膜下血腫』というものかもしれないと、新たに思い始めていました。

2023年9月 7日 (木)

「体調不良なのに……」

4年前の2019年9月7日は晴れで33℃の土曜日、母が施設に4回目の入所をして41日目、この日は午後3時に施設に行きました。

通常の定期診察の日ということで、少し早めに行くと母は食堂のいつもの場所でおやつを食べているところでした。

病院の予約が3時半ということで部屋で待っていると、おやつの後にトイレに寄っていた母が笑顔で現れました。

食事のメニューを変えてから、少しずつ食べるようになってきて母の顔色も良くなって来たように見えました。

ただ、場所や時間の感覚はまだ戻っていないようで、慣れているはずの病院でも初めて来たような表情をしていました。

結局、待合室で4時まで待たされましたが、この日はボーッとした感じはなく、しっかり目を開いて起きていました。

診察の結果は、ナトリウムはやや良化していて、他の持病の値も横ばいという感じでした。

また、脚のむくみもほとんど無く、先生は「新しい薬が効いているのでしょう」と話してくれました。

診察後、先生の声を聞いて母は「先生の声は小さい」と言っていて、少しは思い出したようでした。

そして全体的に悪くないという診断でしたが、母は「体調不良なのに……」と不満そうな表情でした。

その後、施設に戻って着替えをする際、車椅子からベッドに移る動きは意外と軽い足取りでできていました。

この日の母は相変わらず声が小さく元気が無い感じでしたが、食事を取れるようになって体調は少しずつ良くなっているように見えました。

2023年9月 6日 (水)

ふりかけご飯を食べる

4年前の2019年9月6日は晴れで33℃の金曜日、母が施設に4回目の入所をして40日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

前日は母が食事をとらないとのことで診察をしてもらい、食事制限を外して様子を見ようということになりました。

その後の昼食ではそれなりに食べてくれましたが『今日はどうかな』と、不安を抱えながら施設に向かいました。

母は食堂のいつもの場所にいて起きていましたが、状況がよくわかっていないような表情をしていました。

職員さんに母の食事について尋ねると「ご飯はふりかけをかけて5割ほど、おかずは2割だけ」ということで、食べてはいるようでした。

9階の面会室で日光浴をしながら話をすると、母は「ふりかけご飯がおいしかった」と言い「あれだけで良かった」と続けました。

おいしければ食べてくれることは分かりましたが、相変わらず食欲が無さそうなのが心配でした。

また職員さんも話していましたが、この時の母は自分の状況が今ひとつ分かっていないようでした。

それでもヤクルトを飲んで「おいしい」と言ったり、曾孫の思い出話をして笑ったり、前日までとは雰囲気が少し変わってきていました。

話し声が小さくて元気が無いのは同じでしたが、これまでは話をすることが億劫な感じでしたので、多少良化したように思いました。

ただこの日の母は、部屋での着替えの時に、枕カバーとして愛用している高橋由伸のタオルを不思議そうに眺めていました。

私は、母の食欲が回復して意識がはっきりしてくれることを、願うばかりでした。

2023年9月 5日 (火)

食欲不振で診察

4年前の2019年9月5日は曇りで28℃の木曜日、母が施設に4回目の入所をして39日目、午前9時前に施設から電話がありました。

母が前日の夜とこの日の朝食を食べず、血圧が低く脈拍も少ないということで、病院で診てもらうため来てくださいとのことでした。

病院では母はストレッチャーに乗せられて救急の受付の辺りにいて、意識はありましたがボーッとした表情をしていました。

主治医の話では、血液検査やレントゲンでは持病は悪化しておらず、とにかく食欲が無いようだということでした。

私がこれまでの経緯を説明したところ、先生は食事制限を外してメニューを改善することで様子を見ようとの話でした。

その後、施設の看護師さんと話をすると、普通食でも施設の食事は塩分が控えめなので、ふりかけを使おうということになりました。

そしてこの日の昼食は、9階の面会室で私が買ってきたおにぎりや海苔巻きなどを一緒に食べることになりました。

母は納豆巻きやいなり寿司を「おいしい」と言いながら食べていて、更にデザートのみかんもおいしそうに食べてくれました。

振り返ってみると、母は6月頃から施設の食事がおいしくないと言い始めて、母としては珍しく食事を残すことが度々あったようでした。

それがここに来て食欲不振になり、おそらくそのために栄養不足を起こしてしまったものと思われました。

特に塩分不足が指摘されたので食事の制限を無くしたのですが、改めて考えるとそれは持病の悪化につながることではありました。

それでも久しぶりにたくさん食べた母の状態はいくらか良化したように感じられ、『このまま元気になってくれればいいな』と思いました。

2023年9月 4日 (月)

元気の無い小さな声

4年前の2019年9月4日は曇りで26℃の水曜日、母が施設に4回目の入所をして38日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

このころの母は体調不良の日が多く、施設に向かう私は毎日『今日はどうかな?』と不安に思いながら歩いていたものでした。

この日の母は食堂の定位置で居眠りをしていましたが、ズボンの辺りを見るとゼリーのかけらのようなものがいくつか落ちていました。

おそらくおやつに食べたものだろうと考えていると、職員さんが「この頃は、以前よりはしっかり食べていますよ」と教えてくれました。

そして、この日も曇り空でしたが9階の面会室に行き、窓辺で母のお気に入りのチョコレートを食べさせてあげました。

それから、タブレット端末でウチのベランダの鉢植えなど、花の写真を何枚か見せてあげました。

花が好きな母は興味深そうに一枚一枚を見ながら、時々嬉しそうな笑顔を見せてくれました。

ただこの日の母は、いかにも元気がなさそうな小さな声で話していて、いつも車椅子の脇に置いてあるバッグも忘れたと言っていました。

また、前日と同様に着替えの際にカーディガンの肩パッドを自分で合わせられなくなり、意識も不安定な感じがしていました。

それでも、話の辻褄は合っていて会話は普通にできていました。

見た目の表情に覇気がなく、声が小さく動きも鈍いので元気のなさが目立っていましたが、母の認知は別に問題は無さそうでした。

前日私が食べたトマトがおいしかったので「明日トマトを持ってくるね」と言うと、母は笑顔で頷いていました。

2023年9月 3日 (日)

栄養不足気味?

4年前の2019年9月3日は曇りで29℃の火曜日、母が施設に4回目の入所をして37日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

このころの母は体調不良の日が多く、施設に向かう私は毎日『今日はどうかな?』と不安に思いながら歩いていたものでした。

この日の母は食堂のいつもの場所で居眠りをしていて、寒そうな格好に見えましたがよく眠っているようでした。

この日も早速9階の面会室に移動して、窓辺で外を見ながら話をすることにしました。

母の話では「画用紙に丸を描いた」ということで、母は「何かの作品の一部になるのだろう」と推測をしていました。

また「お昼にパンが出た」と言っていましたが、不思議なことに「自分が食べたかどうかは分からない」とのことでした。

そしてその後に「私は食べなかったのではないかな?」と言い出し、この日は記憶が今ひとつ曖昧なところがありました。

それから「朝からリハビリがあった」「軽いメニューだった」と言いながらも、リハビリがあって嬉しそうな表情をしていました。

体調に関しては「悪くないんじゃないの」と言い、便通もあったということで、気分は良さそうでした。

着替えの際に、頭をタオルでゴシゴシと擦ってあげると、母は「気持ちいい」と喜んでくれました。

ただカーディガンを着るときに眠くなったのか、ボタンや肩パッドの位置を合わせられなくなってしまいました。

このころは食事の量が減ってきていて、意識が薄れたりすぐに眠くなってしまうという症状が、時々出るようになっていました。

2023年9月 2日 (土)

珍しく快調な日

4年前の2019年9月2日は晴れて31℃の月曜日、母が施設に4回目の入所をして36日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

このころの母は体調不良の日が多く、施設に向かう私は毎日『今日はどうかな?』と不安に思いながら歩いていたものでした。

この日の母は食堂のいつもの場所にいて「エアコンが効いていて寒い」と言うので、早速9階の面会室で日光浴をしようと行きました。

エレベーターを待っていると、職員さんが「今日の昼食はほとんど食べていましたよ」と、嬉しい報告をしてくれました。

また「3日ほど便秘をしたので座薬を使いました」ということで、久しぶりに出たためか、この日の母は気分が良さそうでした。

この日は朝から体調が良かったのか、入浴も普通にしたそうで「クリームを塗ってもらってスベスベだ」と、嬉しそうに笑っていました。

そして、このころ母のお気に入りになっていたチョコレートも「おいしい」と言って食べてくれました。

その他に食事を食べない場合を心配して持って行ったリンゴ味のゼリーも、おいしそうに2口ほど飲んでいました。

朝から入浴して便通があり食事もしっかり食べたこの日の母は、意識も全体的にはっきりしていました。

話をしていてもいつもよりも声に力強さがあり、記憶もしっかりしていて楽しい時間を過ごすことができました。

ただ、車椅子とベッドを介助しながら往復してもらうと、息が切れていた感じだったのが気になりました。

栄養不足や運動不足など、やむを得ないことではありましたが、母が徐々に弱っていくようで少し寂しく思いました。

2023年9月 1日 (金)

「着替えて温かくなった」

4年前の2019年9月1日は晴れて33℃の日曜日、母が施設に4回目の入所をして35日目、午後4時ころ面会に行きました。

このころの母は体調不良の日が多く、施設に向かう私は毎日『今日はどうかな?』と不安に思いながら歩いていたものでした。

この日の母は食堂のいつもの場所にいましたが、エアコンが効いていて寒そうで、ちゃんちゃんこを着ていました。

「暖かいところに行こう」と、いつものように9階の面会室に行って、日光浴をしながら話をすることにしました。

話をする前に少し窓辺で温まっていると、母は「温かい」と小さな声でしたが嬉しそうに言いました。

母の話では「昼寝から起きて、おやつにあんこを食べた」ということでしたが、寝起きから間がないためか少しボーッとしている感じでした。

また、日曜日ということもあって特に行事もなく、一日まったりと過ごしていたのですぐ眠くなるようでした。

そして、この日も私が持参したチョコレートを食べさせると、母は「おいしい」と言い、このころのお気に入りになりました。

この日の体調は「便通もあったような気がする」と言っていて、それほど悪くは無さそうでした。

その後、部屋に戻って着替えると「日光浴して、着替えて温かくなった」と母の笑顔が見られました。

結局この日は体調には不安はありませんでしたが、意識が今ひとつはっきりしていない感じを受けました。

ただそれは、日曜日で暇だったことと、エアコンが効きすぎて寒かったことが大きな原因だったのかもしれません。

« 2023年8月 | トップページ | 2023年10月 »

最近の写真