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2023年7月

2023年7月31日 (月)

「隣の人はパン」

4年前の2019年7月31日は晴れて34℃の水曜日、母が施設に4回目の入所をして3日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、外の暑さに比べて室内がとても涼しく感じられました。

先日まで入院中していた病院の窓から外の景色が見えていたので、このころの母は外を見ることが楽しみになっていました。

そのため、この日も母を連れて9階の面会室に行って、西向きの窓から外を見ながら話をすることにしました。

母の話では、この日も体調は良いとのことでしたが、前日同様に朝測定した血圧が高かったということでした。

血圧を測った看護師さんに「気分はどう?」と尋ねられたそうで、その時に母は「高かったのかな、と思った」と話していました。

特に気分が悪いことはなかったということでしたが、その一言はかなり気になっている様子でした。

それでも朝食後にはトイレに行って便通もあったとのことで、普通の生活に少しずつ戻れている実感があるとのことでした。

ただ少し気になってきたのが、母の話の中に施設でのことに対する批判のようなものが出てきたことでした。

それは例えば、母の食事制限が退院後に更に厳しくなったようで「病院の方がおいしかった」と口にするようになりました。

以前から病院の食事がおいしいとはよく言っていましたが、施設で露骨に言うことはなかったように思います。

この日も「隣の人は3食ともパンだ」と、パン好きな母の不満そうな言葉が印象に残りました。

2023年7月30日 (日)

『少し疲れた』?

4年前の2019年7月30日は晴れて33℃の火曜日、母が施設に4回目の入所をして2日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母が食堂のいつもの場所にいなかったので職員さんに伺うと、部屋で寝ているとのことでした。

部屋に行くと、母はベッドの上でこちら側を向いて目を開けたまま、ラジオを聴いているようでした。

挨拶もそこそこに、母は「朝、血圧を測ったら高くて、少しフラフラする感じだった」と話し始めました。

それでも「朝からリハビリに呼ばれて、普通にできた」と嬉しそうに笑顔で言っていました。

そして、リハビリから戻った後はタオル折りをして、お昼を食べて昼寝をしたということでした。

その昼寝の後にはおやつを食べてから、またベッドで横になっていたところだったようでした。

母はこの日の全てのことを話そうとするかのように、思い出しながら一生懸命に話をしてくれました。

その声は入院当時の押し出すような苦しいものではなく、落ち着いて楽に話せているように思いました。

朝方、血圧が高かったこと以外には体調は良さそうでしたが、脚を見るともう前日のような細さではありませんでした。

やはり一日座って生活をすると、脚にむくみが出ることは避けられないようでした。

とりあえず、前日まで2週間ほどベッドの上で過ごしていた母が、普通の生活を再開した初日は『少し疲れた』という感じでした。

2023年7月29日 (土)

4回目の施設への入所

4年前の2019年7月29日は晴れて33℃の月曜日、母が7月15日に入院して15日目、いよいよ退院の日になりました。

まず午前9時に病室に行くと母はベッドで寝ていて「朝食を広間で食べて、トイレに行ってからまた寝た」と話してくれました。

体調は問題無さそうな顔色をした母に看護師さんが付いてきてくれて、午前10時30分ころ隣の施設に移動しました。

施設では以前と同じ部屋の同じベッドを使ううことになり、落ち着いたところに医師が現れて母の状況の説明がありました。

その医師の話は、母の状態はあまり良くなっていないことと高価な薬が使われていることを説明してくれました。

私の願いとしては、年齢的に持病の良化よりも現状で楽しい日々を一日でも長く生きて欲しい、ということだけでしたが……。

この日は午前中に4回目の施設への入所手続きを済ませて私は一旦帰宅して、午後4時5分ころ再び母に面会をしに行きました。

母のフロアに着くと、母は食堂の以前座っていた場所に何事もなく戻って来たように見えました。

母の話では「トイレから自分で運転して戻って来た」と、嬉しそうな表情で報告をしてくれました。

久しぶりに施設に戻って来たのと、このころ母が外の景色を楽しみにしていたので、見晴らしの良い9階の面会室で話をすることにしました。

およそ2週間ぶりに戻って来たわけですが、話をする母の顔はまだ少し緊張しているのかな、という感じがしました。

そして、その後部屋に戻ると、同室の入所者の方が熱烈に歓迎してくれたので、母は少し涙ぐんでいました。

2019年7月29日

2023年7月28日 (金)

『こんなに細いのか』

4年前の2019年7月28日は晴れで32℃の日曜日、母が7月15日に入院して14日目、午後3時10分ころ面会に行きました。

少し早い時間に行ったからか母の姿は病室にはなく、ベッドはもぬけの殻でラジオも置いたままでした。

この日は日曜日ですし、このところ車椅子でトイレに行っていると聞いていたので、広間のトイレの前でテレビを見て待つことにしました。

数分の間待っていると、使用中の札が掛かっていたトイレから母が看護師さんと一緒に出てきました。

トイレからの帰りは私が車椅子を押して病室に戻り、この日は母にベッドに座ってもらって話をすることにしました。

今回の入院の面会は、母がいつもベッドで寝ていたのでどこか鼻が詰まったような声でしたが、この日は普通の声で話ができました。

入院の前は少し苦しそうな押し出すような話し方が印象的でしたが、むくみが取れて普通に話してくれて安心しました。

やはり日曜日ということで看護師さんも時間があるようで、「トイレに行ってみる?」と言われたので、行ってみたということでした。

行ってはみたところ便通はなかったようでしたが、この日も体調は問題ないと元気な声で言っていました。

ただ「立ち上がるとオシッコが漏れる」とのことで、しばらくベッドにいたことで体力は落ちてしまったようでした。

その点は退院後にどこまで回復できるか、年齢的なこともあるので心配ではありました。

それにしても、むくみの無い母の脚は『こんなに細いのか』という驚きがあり、写真に収めてみました。

2019年7月28日

2023年7月27日 (木)

絶えない笑顔

4年前の2019年7月27日は晴れで31℃の土曜日、母が7月15日に入院して13日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母は右側を下にして出入り口側を向いて横になっていましたが、目は開けていてラジオを聴いていました。

挨拶代わりの母の言葉は「ラジオがすぐ消える」とのことで、電池を交換してあげると良く聞こえるようになりました。

ラジオが落ち着いた後に母が話したのは「お風呂に入った」ということでした。

いよいよ月曜日に迫った退院の準備でしょうか、入浴してパジャマも着替えてサッパリした表情をしていました。

そして周囲を見ると、前日まで着けていた心電図や酸素計のコードもなくなっていてスッキリしていました。

ついに母は積極的な治療が必要な病人ではなくなって『退院を待つ元気なおばあさん』になったようでした。

本人も「今日も車椅子でトイレに行って、帰りは自分で運転して戻って来た」と元気さを強調していました。

そんな中でもショックなこともあったそうで、それは浴室の鏡で自分の身体を見たときだということでした。

その時の様子を母は「細くて婆さんみたいな身体で、シワだらけだ」と思い出しながら笑っていました。

自虐的なことを言いながらも笑顔が絶えず、顔色も良く元気な声で話す母は、退院後の準備もすっかり出来ているように思いました。

この日の母の笑顔は、今でも忘れることができません。

2019年7月27日

2023年7月26日 (水)

看護師さんと「久しぶり」

4年前の2019年7月26日は晴れで33℃の金曜日、母が7月15日に入院して12日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は前日同様に奥の壁側を向いて横になっていましたが、眠っていたわけではないようで、声を掛けるとすぐに起きて話し始めました。

「今さっきまで看護師さんとお話をしていた」と母は言いました。

詳しく聞くと、母の愛用するちゃんちゃんこに刺繍をしてくれた看護師さんが二人で来てくれたということでした。

今回母は6階に入院していましたが、これまでは全て7階の病室だったので、その二人の看護師さんは担当の7階から来てくれたのでしょう。

母はその二人の名前はわからないということでしたが「『久しぶり』と言いながら、二人で来てくれた」と、嬉しそうに言いました。

その話をしている間の母の表情はずっと笑顔で、それだけ楽しかったのだと感じました。

この日は天気が良く暑い日で、母は「今朝は暑さで目が覚めた」と言っていました。

また、東側の窓から青空がきれいに見えたそうで、「朝から気分が良かった」ということでした。

「雲の流れが速かったので、風が強そうなのがよくわかった」と外の様子もしっかり把握していました。

そして「今日は2度ほど車椅子でトイレに行った」と、順調な回復ぶりをアピールしていました。

3日前にぶつけて出来た頭の瘤はまだありましたが、その他の体調は問題無さそうで、母は元気な声でたくさん話をしてくれました。

2023年7月25日 (火)

外の景色を楽しむ

4年前の2019年7月25日は晴れで32℃の木曜日、母が7月15日に入院して11日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

前日退院の予定が決まりましたが、今回の入院はずっと個室でしたので母との会話も気楽な感じで出来ました。

この日の母は奥の壁側を向いて横になっていましたが、タオルケットと布団をお腹の辺りまで掛けていました。

この日は天気も良く暑かったので病室のエアコンが効いていて涼しかったのでしょう、よく眠っているように見えました。

母の肩をトントンと叩くと目を覚ましましたが、やはり「よく眠れた」と言っていました。

母の話では、車椅子でトイレに行くと便通がありサッパリしたのでぐっすり眠れた、ということでした。

それを聞いて母のお腹の辺りを触ってみると、確かに柔らかくなっていて弾力がありました。

施設でズボンがきつくお腹を押すと固かったのは『もしかするとかなりむくんでいたのかもしれない』と、この時には思いました。

状況の変化としてはカテーテルが取れていて、トイレに行く時は「ちゃんちゃんこを着てちょうど良かった」と振り返っていました。

また、この日の母は外の様子についてよく話していて「今日は朝から良い天気で、窓を開けてくれて爽やかだった」と喜んでいました。

前日の夕方には「明るい夕焼けのようなものが見えた」と言っていて、退院が近づいて外のことにも興味が出てきたようでした。

この日の母の話し声は少し抑え気味に感じましたが、自らトイレに行くことをお願いしたり、外の景色を楽しんだり活動的になってきました。

2023年7月24日 (月)

退院決定も不安な様子

母が施設や病院のお世話になっているときに、私のところに施設や病院から電話が来ると、内心穏やかではいられないものでした。

4年前の2019年7月24日は曇りで29℃の水曜日、母が7月15日に入院して10日目、午前中に私に施設の看護師さんから電話がありました。

この時は母は病院に入院中でしたので、施設からの電話は不安というよりも『何だろう?』と思いました。

結局、この時の電話は「29日に退院の予定が出たので当日は立ち会えますか」という確認でした。

母の点滴が取れたのが、つい二日前のことでしたので『もう退院の予定が出るとは早いな』というのが私の率直な感想でした。

この日は午後4時10分ころ面会に行くと、母は左側を下にしてタオルケットを掛けて眠っていました。

耳にはイヤホンを入れていて、ラジオを聴きながら眠ってしまったようでしたが、肩をトントンと叩くと目を開けました。

母の話では病室でレントゲンを撮ったそうで、それ以外はひたすら寝ていたと言っていました。

「来週の月曜日には退院だよ」と私が言うと、母は退院のことは聞いていなかった様子でした。

その後看護師さんと主治医の先生が現れて、退院についてのお話がありました。

退院の話は母にとって嬉しいのかと思いましたが、この時の母の反応は意外にも施設に戻っての生活に不安があるような感じでした。

入院後はずっとベッドの上でしたので、いわゆる普通の生活を送るには体力的にも精神的にもまだ自信が無いようなことを話していました。

2023年7月23日 (日)

『良く覚えているな』

4年前の2019年7月23日は曇り時々雨で28℃の火曜日、母が7月15日に入院して9日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

病室に入ると母は右側を下にして寝ていて、左耳にはラジオのイヤホンを入れて目を瞑っていました。

この日母が最初に話したことは、朝ベッドに頭をぶつけたので冷やしているということでした。

見てみると確かに帽子を脱いでいて、頭頂部にはガーゼのようなものが貼ってありました。

他には左目が少し充血しているように見えましたが体調は問題無さそうで、いつも通りに明るく元気な声で話をしていました。

「今朝はパンが出た」と言い、今回の入院では初めてのことで味については触れませんでしたが、母は嬉しそうな表情をしていました。

それから初めて車椅子でトイレに行ったそうで「2回行った、ウンチも出た」と、こちらも嬉しそうでした。

ただ、施設の車椅子と違って「クッションが無かった」と言っていて、私は『良く覚えているな』と思いました。

また母の話しぶりでは、車椅子とトイレの移動の際に思ったほど動けなかったようで、この時は少し残念そうな顔付きでした。

最後に私が「今日は近所の花火大会だよ」と教えると、母は「以前行ったねぇ」と、おそらく2~30年は前のことを良く覚えていました。

そして、さらに私が驚いたのは、この花火大会をウチのベランダに出て見たことを、母が覚えていたことでした。

こちらは時間的には2年前のことですが『そんなちょっとしたことまで良く覚えているのだな』と、改めて母の記憶力に感心しました。

2023年7月22日 (土)

「腕のシワが目立ってイヤだね」

4年前の2019年7月22日は曇りで24℃の月曜日、母が7月15日に入院して8日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

病室に入ると母はこちら側を向いて寝ていて、左耳にはラジオのイヤホンが入っていました。

肩を叩いてみるとすぐに目を開けて、この日も体調が良さそうな顔色をしていました。

また改めて母の周辺を見てみると、点滴を取ったようでベッドの周りがスッキリとしていました。

その時ちょうど現れた看護師さんの話では「飲み薬の利尿剤を増やして点滴を取った」ということでした。

母の顔はむくみが無くなっていて、入院の3日前の内出血の後も消えて表情も穏やかになっていました。

ただ、病院でここまで元気になってしまうと、ひたすら時間を持て余しているようでした。

暇な時間は寝るかラジオを聴くしかないそうで、ずっとラジオが友達でしたが、お気に入りの大相撲中継は前日で終わってしまいました。

その大相撲中継はしっかりと聴いていたようで、ご贔屓の「妙義龍が最終的に一つ勝ち越した」と、笑顔で話してくれました。

また「今日は月曜日だからリハビリのことを思い出した」と少し残念そうな表情をしていました。

体調に自信が出てきたのでしょう、リハビリを懐かしんでいて、母は今にも身体を動かしそうな雰囲気でした。

最後には「むくみが無くなると腕のシワが目立ってイヤだね」と、自分の腕を見つめて苦笑いしながら言っていました。

2023年7月21日 (金)

穴子のない日曜日

4年前の2019年7月21日は曇りで28℃の日曜日、母が7月15日に入院して7日目、午後4時ころ面会に行きました。

病室に入ると母はベッドの上で壁側を向いて、つまり左側を下にして横になっていました。

ラジオを聴きながら眠ってしまったようで、イヤホンが外れてラジオも既にオフになっていました。

母が目を覚まして話し始めると、この日も体調が良いようで元気な声でたくさん話をしてくれました。

まず、昼食後に便通があり、その後にもう一回出てスッキリしたと、嬉しそうに笑っていました。

そのためもあってか「お腹はぺちゃんこだ」と言い、確かにお腹の辺りのむくみも取れてきたようでした。

また「もうお腹が空いた」と笑顔で言っていて、旺盛な食欲が戻って来ていました。

さらに「日曜日なのに穴子が食べられなくて残念だ」と言うので、私が「それは退院後のお楽しみだね」と答えると、母は笑顔で頷きました。

そういえば前週の日曜日に一緒にお昼を食べた翌日に入院したので、早くも一週間が経過したことになりました。

母の回復は順調で、この日は心電図も安定していて、脈拍も58~60くらいの値をずっと表示していました。

足下を覗くと、両足に点滴を着けているのが痛々しい感じがしましたが、顔の内出血はほとんど無くなっていました。

ということで、当面の心配はなくなりましたが、元気さを取り戻した母にとって日曜日は暇を持て余して退屈な一日だったようでした。

2023年7月20日 (木)

余裕の母と先生の説明

4年前の2019年7月20日は曇りで29℃の土曜日、母が7月15日に入院して6日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

病室に入ると母は仰向けで左耳にはラジオのイヤホンを入れていたので、私は大相撲中継を聴いているものと思いました。

ところが母は「大沢悠里」と呟いて、どうやらTBSラジオを聴いていたようでした。

すっかり体調が良くなった母は暇を持て余している様子で、思っていた以上にラジオが友達になっていました。

また「今日はウンチが出た」と喜んでいて、本人も体調の良さを感じているようでした。

ただ、病室でもこの日の蒸し暑さがわかっていて、先日持って行ってあげた扇子を広げて使っていました。

母は「涼しい」と言いながら笑顔で自身を仰いでいました。

そこに主治医の先生が現れて「大分良くなってきました」と、私に話しかけてくれました。

また「利尿剤の点滴をいつ取るかという段階です」と説明してくれました。

私が気になっていた『上半身のむくみ』について尋ねると、先生は「肺です」という答えでした。

考えていたよりも深刻な答えでしたが、普通の生活では脱水の危険があるので、入院時ほどの利尿剤は使えないということでした。

ただ、これからは今までよりも利尿剤を増やすことも考えているようでしたが、それはそれで心配も増えることになりました。

2023年7月19日 (水)

「青空が見えて、明るくていい」

4年前の2019年7月19日は曇りのち晴れで30℃の金曜日、母が7月15日に入院して5日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

病室に入ると母は、こちら側を向いて右側を下にして横になっていました。

大相撲中継が始まった時間で、母は目を開けてラジオを聴いていました。

見たところ顔のむくみも無くなってきていて、これまで気になっていた右の瞼の膨らみや顎のたるみも無くなったように感じました。

脚のむくみは前日の時点で既に無く、お腹の張りもほとんど気にならなくなったようでした。

また、本人も体調が良くなってきた自覚があるようで「今日もよく食べた」と笑っていました。

そしてこの日は入院以来初めて晴れ間が出たので、母は「今日は少し青空が見えて、明るくていい」と、外の様子に喜んでいました。

看護師さんたちとも良く話をしていて、前日は『赤い帽子』について尋ねられたと話していました。

ただ赤い帽子は持っていないはずでしたが、帽子は毎日変えてあげていたので、この日は「いくつ持ってるの?」と聞かれたそうでした。

私が「赤い帽子というのは、ちゃんちゃんこのことではないかな?」と言うと、母は「そうかもしれないね」と答えてくれました。

いずれにしても母は順調に回復しているようで、顔のむくみや施設にいた頃の内出血も治まっていました。

声もこの日は横向きで話したこともあってか、それほど鼻声でもなく、心配事はほとんど解消されてきていました。

2023年7月18日 (火)

『枯れ枝のようだ』

4年前の2019年7月18日は曇りで29℃の木曜日、母が7月15日に入院して4日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

病室に入ると母は壁の方を向いて左側を下にして眠っていました。

私が母の肩をトントンと叩くと目を開けて「することもないのですぐ寝てしまう」と言っていました。

月曜日に「胸が苦しい」ということで入院したわけですが、症状も治まって不安が去り暇を持て余し気味というところでしょうか。

「ラジオはよく聴いている」ということで、この時も母にラジオを手渡すと早速イヤホンを自分の耳に入れていました。

ちょうど大相撲中継をしている時間で、母は今場所の状況を良く把握しているようでした。

また、この日は左腕に腕帯を巻いていて血圧を時々測るのか、150という値が表示されていました。

母の話では、この日は主治医ともう一人男の人が来て、何か様子を見ていたようだとのことでした。

脚の状況を確認してみると、『本当の母の脚はこんなに細いのか』と驚くほどむくみは既に無くなっていました。

それを見た時に私は、失礼ながら細さといい見た目といい、まさに『枯れ枝のようだ』という感想を抱いてしまいました。

それはともかくとして、この日の母は声はまだ鼻づまりのような感じでしたが、元気に話をしてくれました。

ただ、ベッドから外の様子が見えるのに、ずっとどんよりした天気が続いていたので「面白くない」と、愚痴をこぼしていました。

2023年7月17日 (月)

3日目、順調な回復

4年前の2019年7月17日は曇りで28℃の水曜日、母が7月15日に入院して3日目、午後4時ころ面会に行きました。

病室に入ると母はベッドに仰向けで寝ていて、ラジオを聴きながら眠ってしまったのか耳にはイヤホンを入れていました。

私が母の肩を叩きながら「来ましたよ」と声を掛けると、母は目を開けました。

母の話では、この日は主治医が来て、母の身体に触れてむくみの様子を調べていたということでした。

また、利尿剤を増やしてカテーテルを使うことになったようだと教えてくれました。

そして先ほど測った血圧は150くらいだったそうですが、降圧剤も増やしていると説明があったとのことでした。

他には前日同様に「食事がおいしい」と言っていて、ただ「お粥の水分が多い」と、この点だけには文句がありそうでした。

前夜もよく眠れたそうですが、目が覚めるとラジオを聴いていたということでした。

脚のむくみは既にほとんど無いようでしたが、お腹の辺りはまだ硬く張っているような感じがありました。

この日は鼻からの酸素吸入は外れていましたが、寝たまま話をしたからか母の声は鼻声のように聞こえていました。

それでも一緒にいればいつまでも話を続けそうな元気さがこの日の母にはあり、私は順調な回復に安心したものでした。

ただ、利尿剤や降圧剤を増やすという状況でしたから、今から思うともっと深刻に捉えるべきだったようにも感じています。

2023年7月16日 (日)

入院2日目、いろいろな検査

4年前の2019年7月16日は雨で25℃の火曜日、前日は母が施設に3回目の入所をして102日目でしたが、また入院することになりました。

ただ、入院後に目を覚ました母は昼食も普通に食べて元気そうに話をしてくれたので、入院2日目のこの日は安心して面会に行けました。

午後4時に母の病室に入ると、母は入り口とは逆の壁の方を向いて左側を下にして眠っていました。

後ろから肩を叩いてみると、母は目を開けてすぐに元気そうに話を始めました。

入院当日の前日は休日だったため、この日はいろいろな検査に連れて行かれたということでした。

また、前日はよく眠れたと言っていて「珍しいことだ」と、自ら驚いていました。

それから食事の話になり「ここの食事は多いから全部は食べられない」と言いながら「キウイがおいしかった」と笑っていました。

これまで施設での食事は制限されていましたが、入院して却って充実した食事を楽しんでいるようでした。

そして前夜はラジオを聴いていたと言っていて、電波が入りやすいのか「ラジオの調子がいい」と、喜んでいました。

この日も施設にいた時と同様に、母は元気な声でたくさん話をしてくれましたが、やはり少し押し出すような声が気になりました。

本人も「胸からお腹にかけて少し息苦しい感じはする」と言っていて、しばらく治療が必要なことを感じさせました。

それでも前日姉が来てくれたことも良く覚えていて、意識は変わらずしっかりしていました。

2023年7月15日 (土)

初めて経験した胸の熱さ

4年前の2019年7月15日は曇りで22℃の月曜日、母が施設に3回目の入所をして102日目、午前中私は仕事に出かけていました。

この日は海の日で休日でしたが、仕事中の午前9時頃に施設から私に電話が掛かってきました。

内容は、母が胸の痛みを訴えたので調べたところ脈拍が40で、酸素吸入が必要な状態だということでした。

そこで、仕事を途中で切り上げて病院に行くことになり、午前11時頃に母のいる病室に着きました。

これまでの入院はいつも7階の病室だったのですが、この時は6階の個室に入院することになりました。

私が入室したとき母は眠っていて、鼻に酸素吸入、指には血中酸素濃度の測定器、胸には心電計を着けていました。

この日は休日で主治医は不在のため、しばらく看護師さんと話をしてから、いくつかの書類を書いていると母は目を覚ましました。

母の話を聞いてみると、この日の朝の状況はほとんど覚えていました。

朝食を全て平らげた後でトイレに行ったりしているうちに、胸が熱くなってきて苦しくなったということでした。

ただ、意識ははっきりしていて周囲のやり取りも聞こえていたと、母は振り返っていました。

「あの胸の熱さは初めて経験した」と母は言っていましたが、「知っている看護師さんたちなので安心だ」と笑顔も見せてくれました。

それなりに元気に話をしていると昼食が来て、母がほとんど全部食べたので、心配な状況の中でもなんとなく安心して帰路に就きました。

2023年7月14日 (金)

太股のむくみ

4年前の2019年7月14日は雨で22℃の日曜日、母が施設に3回目の入所をして101日目、午前11時10分ころ面会に行きました。

日曜日ということで恒例の昼食のために、穴子やサーモンのお寿司などを買って施設に向かいました。

母がいつもの場所にいないので職員さんに尋ねると、ちょうどトイレに行ったところだということでした。

少し待つと母は戻って来ましたが、顔の内出血は一昨日から比べるとかなり薄くなってきた感じがしました。

早速9階の面会室に向かうと、7月17日にお祭りが予定されているようで、提灯が飾ってありました。

お昼を食べる前にこのところ心配の一つだった血圧を測ると173/59で、この頃としては悪くない数字でした。

私が持参した食事の内容は毎週ほぼ同じで煮物の内容が少し違うだけでしたが、母は食べ始めから「おいしい」と言ってくれました。

この日も少し食べたところで「お腹いっぱい」と、母はため息を漏らしましたが、それからも意外にたくさん食べていました。

相変わらず母は年齢の割によく食べてくれて、私も少し安心したものでした。

ただ、その後いつものように部屋で着替えをすると、脚には前日と同じレッグウォーマーを着けていました。

このころは7月とはいえ肌寒い日が続いていて、夜中に寝ている間もそのレッグウォーマーをしていたのでしょう。

よく見ると、レッグウォーマーのゴムが当たっている部分がかなり凹んでいて、その状況が太股のむくみを表していたように思いました。

2023年7月13日 (木)

3度目でも194/80

4年前の2019年7月13日は曇りで24℃の土曜日、母が施設に3回目の入所をして100日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、前日心配だった顔の内出血は少し赤みが薄くなったように見えました。

特に白目が赤くなっていた部分は無くなっていて、見た目の痛々しさは少し和らいだ感じがしました。

そして本人の話では、目の見え方に問題は無く調子の悪い点も無い、と言っていましたので安心することができました。

そんな話をしながら、この日も着替えるために部屋に行って話の続きをすることにしました。

この日は特に行事も無く、一日どんよりしていたこともあって「ずっと眠かった」と母は言っていました。

そんな中でも爪を切ってもらえたそうで、きれいになった指先を母は嬉しそうな表情で見せてくれました。

また、この日の朝は厚手のカーディガンを着ていても少し寒かったと話していました。

それでも食事は問題なく良く食べられて、その後には便通もあったそうで体調は良さそうでした。

ただ、血圧を測ると最初に200を超えたので3回測ってみましたが、3度目でも194/80で、この日も血圧は心配な値でした。

その上、このころ特徴的だった押し出すような声は相変わらずで、話を続けているといくらか良化したかな、という感じでした。

翌日の日曜日は昼食を一緒に食べることを約束しましたが、顔面の内出血や押し出すような声、そして血圧は心配な状況になってきました。

2023年7月12日 (水)

嫌な感じの内出血

4年前の2019年7月12日は雨で22℃の金曜日、母が施設に3回目の入所をして99日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、母の顔を見ると左目の辺りが赤くなっているのがわかりました。

ある職員さんによると「朝よりも良くなってきています」ということでしたが、結構目立ちました。

そこに看護師さんが来て「原因は特定出来ていませんが、普通に見えているので一週間ほどで引けるのでは」と言っていました。

母の話では「朝からリハビリに行っていつもと同じように出来た」というので、見た目ほど心配の必要はない感じでした。

朝起きた時は「その顔どうしたの?」と言われて、確かにその時は目の奥がチクチクと痛かったそうでした。

ただ、本人の体調も問題はなく、食欲も普通にあったので「様子を見ましょう」ということになったようでした。

そのため、朝のリハビリは普通にこなし、午後も昼寝とおやつという、いつもの生活をしていたということでした。

この日は脚のむくみは目立たず、血圧も135/75という値で、体調はいつもよりも良いくらいでした。

ただ、このところ気になり始めた押し出すような話し方をこの日もしていて、母自身「少し鼻が詰まる感じがある」と言っていました。

実際には、この3日後に母は入院することになりますが、この日の内出血が何か関係しているのかどうかはわかりません。

また、これが母の持病の腎臓や心臓に関連したものかどうかも、今でも何とも言えませんが、顔を見た時に嫌な感じがしたのは確かでした。

2019年7月12日

2023年7月11日 (火)

気になる襟足

4年前の2019年7月11日は曇りのち雨で24℃の木曜日、母が施設に3回目の入所をして98日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、ちょうどこちらを見ていたので手を振ると気付いてくれました。

挨拶をすると母は「今朝は髪をカットしてもらってお風呂に入った」と、嬉しそうな表情で言いました。

そして、いつものように話をするために部屋に行くと、まず帽子を取って母の頭の写真を前後から撮りました。

母が自分の襟足の様子を気にしていたので見せてあげると、あまり反応はありませんでしたが、まあ気に入っていたのだと思います。

この日もこの時季としては涼しいので厚手のカーディガンを着ていましたが、ちょうど良さそうに感じました。

脚にはレッグウォーマーも着けていて、こちらも入浴後に冷えないようにしてくれたものだったのでしょう。

むくみも気になるほどではなく、血圧も178/78とまずまずの数値が出ました。

最初のうちの母は、この日も少し押し出すような声に聞こえましたが、話をしているうちに徐々に声も良く出るようになってきました。

朝食後には便通もあったと話していて、体調は変わらず悪くは無さそうでした。

前回の退院から100日近くが過ぎ、血圧、むくみや声の出し方など気になることが少しずつ増えてきていました。

それでも、この日の母も元気で笑顔もあり、確かに心配な点はありましたが、楽しい面会の時間を過ごすことができました。

2019年7月11日

2023年7月10日 (月)

左隣の人は2歳年下

4年前の2019年7月10日は曇りで24℃の水曜日、母が施設に3回目の入所をして97日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、珍しく左隣にいる人と何か話をしていました。

母の話では、その人は2歳ほど年下だったそうですが、母は「年上だと思っていた」と言いながら笑っていました。

「その人と話をしたのは初めてかもしれない」と母は続けて言いましたが、私は『もっと人と話せばいいのに』とずっと思っていました。

それから年齢のことでは、この時91歳の母よりも年上の人はこの施設ではあまりいないように感じていました。

それから母は、この日はリハビリも無く一日まったりと過ごしていたことを話してくれました。

「リハビリに行った人はたくさんいた」と寂しそうに言い、自分が呼ばれなかったことが残念だった様子でした。

それでも体調は変わらず問題無さそうで、朝食後には便通があり「一日出なかったからホッとした」と、喜んでいました。

また、食事の話では「5ミリ角くらいの豆腐が出た」と、珍しそうに話してくれました。

ただ、やはり血圧を測ると186/69とやや高目の値が出て、このところ高い日が続いているのが気になりました。

その上、前日気になった少し苦しそうな声の出し方はこの日も同じようで、気になると余計に不安が大きくなってくるように思いました。

それでも最後には、前日同様に曾孫の動画を見て、母は元気に歓声を上げて喜んでいました。

2023年7月 9日 (日)

「待っていたよ」

4年前の2019年7月9日は曇りで22℃の火曜日、母が施設に3回目の入所をして96日目、午後3時40分ころ面会に行きました。

火曜日ということで久しぶりに姉が来てくれたので、隣の病院で待ち合わせてから母のところに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいてラジオを聴いていましたが、まだ大相撲中継には早い時間でした。

母は久しぶりに会った姉に手を振りながら「待っていたよ」と、笑顔で言っていました。

食堂の壁に貼ってある母の習字の作品の数々を姉と一緒に見てから、いつものように部屋に行って話をすることにしました。

この日は朝からリハビリがあったそうで、母は「たくさん人がいた」と振り返っていました。

また「お昼はソバが出た」と報告してくれましたが、母はソバがあまり好きでなかったはずなので、それほど嬉しそうではありませんでした。

ただ気になったのが、このころ少しずつ脚のむくみが目立つようになってきたことで、ふくらはぎを押すと「痛い」と母は言いました。

そして血圧を測ると190/82で、この日も高めの値が出ました。

いろいろと気にし始めると『話し声も少し苦しそうで押し出すような感じかな』などと、不安の種が増えてくるものでした。

それでも、この日の母はリハビリに行ったことと姉が来てくれたことで、いつも以上に元気がありました。

そして最後には、曾孫がトウモロコシを食べる新しい動画を姉と一緒に見ながら、母は手を叩いて喜んでいました。

2023年7月 8日 (土)

「また食べたいね」

4年前の2019年7月8日は曇りで25℃の月曜日、母が施設に3回目の入所をして95日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、目の前のテーブルには小皿とカップが置いてありました。

話を聞いてみると「お風呂から戻って、おやつを食べ終わったところ」ということでした。

更に詳しく聞くと、この日は珍しく昼寝を早く切り上げて入浴をして、その後がおやつだったようでした。

何故そのようになったのかはわかりませんが、昼寝を早く切り上げた影響か、この時の母は少し寝ぼけているような感じもありました。

そして、この日もいつものように部屋で着替えながら話をすることにしました。

部屋に移動して、まずこのころ気になっていた血圧を測りましたが、173/69とまずまずの数値が出ました。

それから脚のむくみを見ると、足首から踝の上くらいまでむくみが少しわかるようになってきていました。

ふくらはぎの辺りも、以前のように枯れ木のような細さではなくなっていて、徐々に心配になってきました。

ただ、母はこの日も元気で「昨日のお昼はおいしかった。また食べたいね」と、前日の食事を思い出して喜んでくれました。

また、「明日は姉が久しぶりに来れそうだよ」と伝えると、母は「久しぶりだね。話したいことがいっぱいある」と笑顔で言いました。

この日の母は、話をするうちにしっかりしてきましたが、体調には少しずつ不安も出てきた頃でした。

2023年7月 7日 (金)

「たくさん食べた」

4年前の2019年7月7日は雨で20℃の日曜日、母が施設に3回目の入所をして94日目、午前11時10分ころ面会に行きました。

この日は日曜日なので、このころ毎週の恒例のようになっていた、昼食に『穴子寿司』などを食べるために午前中に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、頭が傾くほど本格的に居眠りをしていました。

この日は雨が降って肌寒いくらいでしたので、母は厚手のカーディガンを着ていました。

また、日曜日ということで特に行事もなく過ごしていた上に、外の景色が暗いので「つい居眠りをしてしまう」と言っていました。

そんな寝起きの母を連れて、お昼を食べるために9階の面会室に移動しました。

食事の前に、このころ気になっていた血圧を測ると145/60で脈拍が50と、妙に低い値が出ました。

続けて測ると、やはり148/51、149/45で、ほとんど眠っているのではないかと思われるような数字でした。

ただ、食べ始めるといつものように「お腹がいっぱい」と言ってからペースが上がり、以前ほどではないもののたくさん食べていました。

この日の母も、前週同様に穴子やサーモン、煮物やだし巻き玉子などを「おいしい」と食べながら笑顔も出るようになってきました。

最初のうちは寝ぼけ顔でしたが、食べているうちに元気が出てきて、食後にはいつものようにたくさんの話をしてくれました。

朝、便通もあったようで体調は良いということでしたが、「たくさん食べたから、また出るかもしれない」と笑っていました。

2023年7月 6日 (木)

採血が難しい血管

4年前の2019年7月6日は曇りで24℃の土曜日、母が施設に3回目の入所をして93日目、午後3時ころ面会に行きました。

この日は通院の日なので早めの時間に行ったわけですが、母のフロアにエレベーターが着くと目の前に母はいました。

その時は看護師さんに採血をしてもらっていましたが、看護師さんが「出来ない」と言うので、そのまま病院に行くことにしました。

以前から母の血管は浮き出にくく、採血時に上手くいかないことが何度かありました。

看護師さんによっては採血に苦手意識のある人もいて、母はそのたびに痛い思いをしていたようでした。

病院で採血を済ませ、施設に戻っておやつを食べたり着替えを終えた頃に診察に呼ばれたので、再び病院に行きました。

このところ血圧の値が高いのが心配でしたが、本人の体調は良さそうで元気もあり、意識もしっかりしていて絶好調という感じでした。

ただ、この日の検査では心臓や腎臓の値がやや悪化していて、もちろん老化もありますが心配の種は増えてきました。

それでも毎日の母の元気さを身近で見ていた私は、この時はそれほどの深刻さを感じてはいませんでした。

理由の一つは、脚のむくみが目立っていなかったからでしたが、ただ心不全と診断されてからは上半身を気にすべきだったように思います。

この時点ではそのような考えはありませんでしたが、全てが終わった今となってはチェックポイントが違っていたかな、と感じています。

次回の診察の予定は8月3日ということでしたが、残念ながら母の体調はその日まで持ちませんでした。

2023年7月 5日 (水)

枕元の折り鶴

4年前の2019年7月5日は曇りで25℃の金曜日、母が施設に3回目の入所をして92日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所で居眠りをしていましたが、この日も部屋に行って着替えながら話をすることにしました。

母の話では、そろそろ回数が減ると言われているリハビリでしたが、この日もあったということでした。

おやつの前にリハビリに行ったようでしたが「今日はたくさんの人がいた」と母は言っていました。

また、翌日は通院が予定されているので脚のむくみをチェックしましたが、それほど目立ってはいませんでした。

それから、便通はこの日も朝にあったそうで、こちらの方はこのところ調子が良さそうでした。

その他では食事の話が出て、母は「何かおいしい変わったものを食べた」と言っていました。

カレーのようにご飯に掛けてあり「何か肉が入っていたけど、よくわからない」とのことでしたが「おいしかった」と母は喜んでいました。

いろいろな話をしながら、私はベッドの枕元にオレンジ色の紙で折られた鶴が置いてあるのが気になりました。

母によると、リハビリが終わった後にエレベーターに乗るまでの時間が結構あったので、その間に折ったのだということでした。

この施設に入ってから母が折り紙をやったのはおそらく初めてでしたが、それなりにしっかりと折ってありました。

その久しぶりにしては良く出来た折り鶴を見て、私は『折り紙を持ってきてあげようかな』と思いました。

2023年7月 4日 (火)

『最高の一年』

4年前の2019年7月4日は雨のち曇りで26℃の木曜日、母が施設に3回目の入所をして91日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、挨拶をすると「おやつを食べてリハビリに行ってきた」と教えてくれました。

リハビリでは、いつものように最後に3回立って外を見たそうで、これが最近の楽しみになっているようでした。

また、朝一で入浴したそうで、その前には一度だけ血圧を測ったということでした。

念のため血圧を測ってみると170/70で、このころとしてはまずまずの値が出て、母の体調はとても良さそうでした。

ところで、この日から一年前の2018年7月4日は母がこの施設に入所した日でした。

そのため私は施設の職員さんへのお礼のために菓子折を持参して、「今日で一年だから」と言いながら母に見せました。

そして「『もう一年お願いします』と言って渡してね」と母に言うと「どうなっているかねぇ」と、母は笑顔を見せながら言いました。

この日の母は入浴とリハビリがあり、いつも以上に元気な声で陽気にたくさん話をしてくれました。

振り返ってみると、ここまでの施設での母の一年は、私が考えていたよりも遙かに楽しそうに過ごしてくれたと思います。

今となっては本人に確認は出来ませんが、私が知る限りこの一年は母にとっての『最高の一年』だったかもしれません。

この日私が帰る際、母から職員さんに菓子折を渡していましたが、その時に「もう一年」と母が言っていたのが印象的でした。

2023年7月 3日 (月)

部屋の配置換え

4年前の2019年7月3日は曇りで29℃の水曜日、母が施設に3回目の入所をして90日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、部屋のテーブルの配置が換わっていて、テレビを背にするような向きになっていました。

思い出してみると、このころは席替えや配置の移動などが頻繁にあったような気がします。

母に挨拶をしてから、前日気にしていた髪のカットを頼んだか尋ねると、母は「まだ」と答えました。

そのため、職員さんに髪のカットの予約をお願いしてから、この日も着替えのため部屋に向かいました。

この日も外は湿っていて蒸し暑かったのですが、室内はエアコンが効いていて、母のベッドの柵はひんやりと冷たくなっていました。

母の話では、この日はリハビリも無く一日まったりと過ごしていたとのことでした。

少し気になったのが、珍しく母が「おやつとお茶がおいしくなかった」と、不満を口にしたことでした。

そんなこともあって、最初のうちはこの日の母はいつもよりも元気がないかな、と感じていました。

それでも、むくみは目立たず朝から便通があったと言い体調は良さそうで、話が進むうちに元気も出てきたようでした。

ただ血圧が193/82と相変わらず高めなので、こちらの方は少し不安でした。

最後に「明日で入所して一年だよ」と私が教えると、母は「そう、早いねぇ」と時の流れの早さに驚いているようでした。

2023年7月 2日 (日)

「いろいろあった」が「忘れた」

4年前の2019年7月2日は曇りで26℃の火曜日、母が施設に3回目の入所をして89日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、挨拶をすると「今日はいろいろあった」と口にしました。

いつものように着替えながら話をしようと母を連れて部屋に行くと、ちょうど少し日が差してきたところでした。

明るくなってきた部屋で話を始めると、母は「今日は歯医者が来ていた」と話してくれました。

それに続けて「そろそろ髪を切りたい」と言っていて、私は『来週辺り予定があったな』と思い出しました。

そろそろ入所して一年になる母は、施設に来る様々な業者のこともよく知っていました。

また「今日のリハビリはたくさん人がいた」とのことで、母は「そのせいか適当にやらされた」と、少し愚痴っぽく言っていました。

いずれにしても今後リハビリの回数が減ることを、母が不安に思っているのは間違いがないようでした。

そこで私が「リハビリが減ったら何か他の運動を考えないといけないね」と言うと、母は「そうだね」と頷いていました。

そして食事の話では「玉子焼きがおいしかった」と言いながら「オムライスの皮のように薄かった」と笑っていました。

最後に、母が挨拶代わりに言っていた「今日はいろいろあった」という内容について尋ねてみました。

すると母は「忘れた」と笑っていましたが、この日も元気な声でたくさん話をしてくれました。

2023年7月 1日 (土)

白いカーディガン

4年前の2019年7月1日は曇り時々雨で25℃の月曜日、母が施設に3回目の入所をして88日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、おそらく初めてだと思われる厚手の白いカーディガンを着ていました。

そういえば、母は「白いものは汚れが目立つ」ということで、あまり好んでは着なかったように思います。

おそらく、入浴の際に職員さんがそのカーディガンをタンスで見つけて、母に着せたものだろうと思われます。

母の話では、午前中に入浴をした際に浴室で便意を催して、風呂場のトイレでたくさん出たということでした。

また、入浴の前にはこのところ気になっていた血圧を二回も測ったと、母は苦笑いしながら話していました。

そして、午後はおやつを食べてからリハビリに行ったとのことで、この日は忙しく過ごしていたようでした。

そのリハビリでは「来週からは更に回数が減る」と先生に言われたと、少し険しい表情で母は教えてくれました。

この日のように忙しいと母は元気ですが、動きが少ない日はやはり意識がぼんやりしていることも多いので、リハビリが減るのは心配でした。

それでもこの日のリハビリでは「最後に3回立った」と笑顔で言っていて、相変わらず元気さをアピールしていました。

前日はお昼にたくさん食べたので、夕食が食べられるか心配な様子でしたが「普通に食べられた」と、母は嬉しそうに笑っていました。

この日も脚のむくみはほとんど無く、お風呂上がりで肌はツルツルでしたが、血圧は190/77と少し高めなのが心配でした。

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