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2023年6月

2023年6月30日 (金)

笑顔で「口から出そうだ」

4年前の2019年6月30日は曇り時々雨で24℃の日曜日、母が施設に3回目の入所をして87日目、午前11時10分ころ面会に行きました。

このころの日曜日は毎週母と一緒にお昼を食べることになっていて、この日も『穴子重』や『トロサーモン丼』などを買って行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、車椅子に座ったままその場で居眠りをしていました。

母を連れて9階の面会室に行き、生憎の天気で見晴らしは今イチでしたが、窓際に座って食べることにしました。

食べる前にまず、このころ心配をしていた血圧を測ると152/62と、珍しく低めの値が出ました。

また、母の話では「朝からドッサリ便通があった」ということで、体調は問題ないようでした。

まず穴子を食べて次にトロサーモンを食べると、母は早くも「お腹がいっぱいだ」と言っていました。

ウチにいた頃の母は食卓に出しただけ食べてくれたので、このところの食の細さは少し残念な気がしていました。

それでも、私が家から持ってきたトマトやほうれん草、キウイフルーツなどを「おいしい」と言いながら食べてくれました。

その後も玉子焼きや煮物などを食べてから、締めには穴子とトロサーモンを一切れずつ食べました。

結局、私が思っていた以上に母は多くの量をおいしそうに食べてくれたので、その点では嬉しく思うとともに変わらぬ食欲に安心しました。

ただ、食後に母は「口から出そうだ」と言いながら笑っていて、今度は食べ過ぎが少し心配でした。

2023年6月29日 (木)

短冊に書いた願い事

4年前の2019年6月29日は曇りで25℃の土曜日、母が施設に3回目の入所をして86日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、この日も新しいオレンジ色のカーディガンを着ていました。

このカーディガンはほとんど着てくれなかったように思っていましたが、こうして振り返ってみるとこの時期は集中して着ていたようです。

外は蒸し暑い日でしたが、室内はこの日もエアコンが効いていて涼しい中、部屋に行って着替えながら話をすることにしました。

まず、このころ気になっていた血圧を測ると190/78と、高めの数字が出たのでもう一度測って見ることにしました。

すると今度は200/86という値で、私は母に「少し高いね」と平静を装いながら言うと、母もそれ以上は聞きませんでした。

また、この日は一日中曇り空でどんよりとしているので、母は「時間の感覚がわかりにくい」と愚痴をこぼすように言いました。

その上、一日まったりと過ごしているので「頭が今ひとつスッキリしない」とも話していました。

それでもリハビリには行ったようで、その終了後に七夕の短冊に願い事を書いたということでした。

母は「『一日も早く元気になるように』と書いた」と言いました。

私が「元気じゃないの?」と尋ねると、母は「歩けなければ元気じゃない」と複雑な表情をして答えてくれました。

最後に、この日は「面会の人がたくさん来た」とも言っていて、いろいろな話をしているうちに母にも元気が出てきたように感じました。

2023年6月28日 (水)

「相変わらず顔が丸い」

4年前の2019年6月28日は曇りで30℃の金曜日、母が施設に3回目の入所をして85日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所でラジオを聴いているようで、挨拶をすると「歌劇をやっている」と言いました。

ラジオがFMになっていたようで、珍しいものを聴いていました。

この日も着替えをしながら話をしようと部屋に行くと、外が蒸し暑いからかエアコンが効いていて室内は快適でした。

着替えが一通り終わると、前日高い値が出て気になっていた血圧を測ってみました。

この時の値は184/79で、前日ほどではありませんでしたがやはり少し高めでした。

もちろん母は気分が悪いということはなく、いつも通り元気な上、むくみもほとんどなく体調は良さそうでした。

母の話では、この日はリハビリも無くまったりと過ごして、暇な時間にタオル折りをしたくらいだったということでした。

最後に、前日姪から送られてきた母にとっての曾孫の新しい動画を4本立てで見せてあげました。

これらを母は涙ぐみながら見ていたので、私は母に「お礼の動画を撮ろうか」と提案しました。

母が姪に対してお礼の言葉を述べる動画を撮った後に、それを母に見せると「相変わらず顔が丸い」と、自分の顔の感想を言っていました。

そして「このごろ幼気な子供を見ると涙が出る」と呟いて、「悪口を言わないからいいね」と言いながら笑っていたのが印象的でした。

2023年6月27日 (火)

高い血圧でも元気に入浴

4年前の2019年6月27日は曇りで28℃の木曜日、母が施設に3回目の入所をして84日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、挨拶をすると「今日はいろいろあった」と言いました。

この日は入浴をしたので着替えはありませんでしたが、部屋に行って話をすることにしました。

まず朝の入浴前に血圧を測ると高かったので、看護師さんに「今日は止めておきましょう」と言われたとのことでした。

ただ、母が「体調は悪くないので入りたい」と主張すると、結局午前中の最後に入ったということでした。

「気持ち良かった」と母は笑顔で振り返っていましたが、週に二回の貴重な入浴ですので是非入りたかったのでしょう。

私としては意外でしたが、心配性の母が血圧が高いと言われて入浴をしたのは、よほど体調の良さに自信があったのだと思います。

ウチにいた頃の母は、朝の気分がすぐれないと血圧を測って、その値が高いと納得して一日塞ぎ込んでいたような人でした。

施設に入所してからは私が「血圧が高くても体調が良ければ大丈夫」と頻繁に言ってきたからか、母も体調を重視したようでした。

またこの日はおそらく6月の誕生会があったようで、昼寝から起きたらコーヒーを飲んだということでした。

その後リハビリに行き、今さっき帰って来たところだったとのことでした。

最後に血圧を測ると196/75,204/84,188/80と3回とも結構高く、この日も母はとても元気でしたが、少し心配も必要な気がしました。

2023年6月26日 (月)

憧れの公園への散歩

4年前の2019年6月26日は晴れて30℃の水曜日、母が施設に3回目の入所をして83日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、おやつを食べてくつろいでいたところのようで、この日もオレンジ色のカーディガンを着ていました。

このカーディガンはほとんど着なかったように記憶していましたが、振り返ると実際には3日続けて着ていたのでした。

母が最初にこのカーディガンを見た時の表情と、ボタンが小さく薄手だったことで私に悪印象が残っていたからかもしれません。

部屋に行って話をすると、母は「朝一でリハビリに行ってきた」と報告をしてくれました。

この週としては初めてのリハビリで、母は「今日は先生とマンツーマンになった」と言っていました。

外の天気が良いので、先生にお願いをしてベランダに連れて行ってもらったということでした。

「風が爽やかで気持ちが良かった」と、母は嬉しそうな笑顔で話してくれました。

そして、先生が「息子さんと散歩して公園に行ったら?」と言ったそうで「近所に公園があるの?」と、私に尋ねてきました。

母が施設に入所以来、私は母を散歩に連れて行くことをずっと考えていましたが、実際にはまだ出来ていませんでした。

この年の4月に母が退院してから、私は母にしてあげたいこととして食事と散歩が頭に浮かびました。

このころ食事は毎週日曜日に一緒に食べていましたが、散歩はこの年の秋まで実行できず、今でも少し後悔しています。

2023年6月25日 (日)

「言いたいことを忘れた」

4年前の2019年6月25日は晴れて28℃の火曜日、母が施設に3回目の入所をして82日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、前日に続いてオレンジ色のカーディガンを着ていました。

この日もいつものように部屋に行って着替えをしながら話をすることにしました。

母は「最近暑くてよく眠れない」と言っていて、「今朝も寝汗を掻いたので肌着を替えた」ということでした。

そのように寝不足気味と言われると、いつもよりも少し顔がむくんでいるようにも見えました。

ただ、この日はリハビリも無く一日まったりと過ごしていたようですので、そちらの影響も否定できませんでした。

実際に、話をしているうちに徐々に声にも力強さが出てきたようでした。

脚のむくみを見てみると、それまでとほとんど変化は無さそうで、そう思うと顔のむくみも気にならなくなってきました。

いずれにしても暑さがこたえているようで、私が持参した冷たいゼリーをおいしそうに3口ほど飲んでいました。

このころは、冷水よりも味のあるゼリーがお気に入りのようでした。

いろいろと話をした最後に母は「何か言いたいことがあったけど忘れた」と、苦笑いをしながら言いました。

「思い出したら言えばいいよ」と私は母に言い、『何かリハビリの代わりを考えないと』と思いながら帰途につきました。

2023年6月24日 (土)

「ボタンは自分で留められた」

4年前の2019年6月24日は雨で19℃の月曜日、母が施設に3回目の入所をして81日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、少し前にネットで買って持って行ったオレンジ色のカーディガンを着ていました。

これは一度着た際に、母があまり気に入っていなかった様子だったのとボタンが小さかったことで、以後タンスに入れたままのものでした。

母に話を聞くと「お風呂上がりに着せられた」ということでしたが、「ボタンは自分で留められた」と言っていました。

この日は雨が降る少し肌寒い日でしたので、薄手のカーディガンを着ている母を見ていると、こちらも少し寒そうに感じてしまいました。

また、少し前に書いた習字の作品が貼られていたので見てみると『あじさい』と『つゆ』という文字でした。

母は「出来が良くない」と話していましたが、私が見る限りそれほど悪くは思えませんでしたが……。

確かに『つゆ』の『つ』を二度書きしたようでしたが、書きっぷりは相変わらず豪快に見えました。

それでもやはり母は、その作品を見たくないような表情をしていました。

この日は朝一で入浴をして、午後は昼寝をしてからリハビリがあったそうでしたが、今後はリハビリが減ると先生に言われたそうでした。

そうなると、ずっと体調が良かった母の生活のリズムが狂いがちになるので、何か対策を考えないといけなくなりました。

最後に母が「昨日の穴子はおいしかった」と言ってくれたので『また次も持って来よう』と、私は思いました。

2023年6月23日 (金)

『金穴子弁当』

4年前の2019年6月23日は曇りで23℃の日曜日、母が施設に3回目の入所をして80日目、午前11時20分ころ面会に行きました。

日曜日なので一週間ぶりに母とお昼を食べるために、穴子弁当や焼き鯖押し寿司などを買って施設に行きました。

母が食堂のいつもの場所にいないので、職員さんに尋ねると「トイレ中」ということでした。

母がトイレから出て来ると、お昼の分の薬をもらって面会室に移動しましたが、珍しくそこには誰もいませんでした。

母の話では、この日も朝から職員さんと「穴子の話で盛り上がっていた」ということでした。

これまで食べた穴子は押し寿司のような薄切りのものだったのですが、この日は『金穴子弁当』というものを買って来ていました。

それは見るからにふっくらとした穴子が、ご飯が見えないくらい上に乗っていて、いかにも贅沢な感じがしました。

食感も柔らかく、母は「おいしい」と言いながら食べてくれましたが、割と早く「満腹だ」と大きく息を吐いていました。

このころは食事制限もあって胃袋も小さくなってしまったのかもしれませんが、母は満腹と言ってからも結構な量を食べてくれました。

食事の後は部屋に戻って、いつものように着替えをしながら話をしました。

「最近は血圧を測らない」と母は心配そうに言っていましたが、体調は良さそうで脚のむくみもほとんど目立ちませんでした。

ただ、まだ便通が無いようでしたが、話をするうちに「トイレに行きたい」と母が口にしたところで、私は帰ることにしました。

2023年6月22日 (木)

「まだ6時半で驚いた」

4年前の2019年6月22日は曇り時々雨で26℃の土曜日、母が施設に3回目の入所をして79日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、珍しく右隣の人と話をしていました。

母の話では「浅草の観音様のことなどで盛り上がった」ということでした。

その人はこれまで前に座っていたそうですが、この日隣に移動してきたので話をしてみたようでした。

いわゆる下町で生まれ育った人のようで、「浅草辺りのことに詳しかった」と、母は笑顔で教えてくれました。

当時はあまり気にしませんでしたが振り返って見ると、このころ母のフロアでは良く席替えが行われていたようでした。

やはり人と人との相性があるのは、高齢者施設でも同じだということだったのかもしれません。

ところで、この日は前日母が話していたように、リハビリが無かったので一日まったりと過ごしていたということでした。

それでも、この日もむくみは目立たず体調も良さそうでしたが、母によると「まだ出ない」と、便通はまだ無いとのことでした。

また、前夜は夕焼けが見えず残念だったようですが、ベッドに入った時間を見ると「まだ6時半で驚いた」と笑っていました。

そして、ベッドでラジオのプロ野球中継を聴いているうちに寝てしまい、夜中に目が覚めて懐メロを聴いたと話してくれました。

寝ているときも暑いことが多いので「ベッドから布団が良く落ちる」そうで、「見回りの人が掛けてくれる」と感謝していました。

2023年6月21日 (水)

毎日のリハビリで元気

4年前の2019年6月21日は晴れて28℃の金曜日、母が施設に3回目の入所をして78日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母が食堂のいつもの場所にいないので周囲を見回すと、このころよくいた南側の窓際で同室の入所者の人と話をしているところでした。

この日も部屋で着替えながら話をすると、母は「朝、リハビリに行った」と教えてくれました。

この週も月曜日から金曜日まで連続でリハビリがあったことになり、そのおかげかこのころの母はいつも元気でした。

ただ「明日は先生がお休みだ」と言われたそうで、少し残念そうな表情をしていました。

『老健』では入所期間が長くなるとリハビリの頻度が減るので、その時々で母の元気さに違いが出ることを痛感したものでした。

おそらく高齢者になればなるほど、習慣として動くことが大切だと、あらためて教えられたように思いました。

見た目の元気さだけでなく、この日の母の血圧は163/69で、こちらも問題ありませんでした。

このころはむくみもほとんど無く、便通などの体調も安定していて、面会に行くことが楽しい日々が続いていました。

この日の母も元気な声でたくさん話をしてくれました。

ただ少し残念だったのは、以前温泉に行った時の写真を見せたところ、ほとんど覚えていないような表情をしていたことでした。

それでも「寝る前に見る夕焼けが楽しみ」と笑顔で言っていて、一日の終わりの楽しみが見つかって、母は嬉しそうにしていました。

2023年6月20日 (火)

笑顔の母が待つ日々

4年前の2019年6月20日は曇りで28℃の木曜日、母が施設に3回目の入所をして77日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、「お風呂から帰って来たところ」だと言っていました。

入浴をしたので着替えの必要はありませんでしたが、いつものように部屋に行って話をすることにしました。

この日も午前中にリハビリをして、午後は昼寝をしないで入浴をしたということでした。

リハビリについては前日も話していたのですが、一緒にやっている人の調子があまり良くなかったと、母は心配をしていました。

入所して一年近くなった母はすっかり先輩になり、このころ毎日のようにリハビリをしていたこともあって、周囲を見る余裕もありました。

また、入浴時にはこのころ着始めた七分袖の上着を、ある職員さんに「いいですね」と褒められたと、母は嬉しそうに笑っていました。

そして「昨日も夕焼けがきれいだった」と母は感動していましたが、「夜は7時前に寝た」とも言っていました。

「ナイターも聴かずに眠った」と、睡眠は足りているようで、この日は昼寝をしていない母でしたがとても元気がありました。

声にも風邪のような感じもなく、体調が良いからかずっと笑顔で喋っていました。

振り返ってみると、このころは暑い日が続いていましたが天気が良い日が多く、ほぼ毎日リハビリがあって母の体調もいい日が続きました。

面会に行くと笑顔の母が待っていてくれる、そういう楽しい日々で私は『こんな日がずっと続くといいな』と思ったものでした。

2023年6月19日 (月)

「サッサといい加減に書いた」

4年前の2019年6月19日は晴れて28℃の水曜日、母が施設に3回目の入所をして76日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、半分居眠りをしているような様子に見えました。

そのためか少し元気がないような感じがしていましたが、この日も話を続けるうちに徐々にいつもの調子が戻ってきました。

聞いてみると、昼寝から起きると習字をやっていて、母も書いたところ「上手く書けなかった」と、少し気落ちしていたようでした。

また、この日も朝一でリハビリに行ったことを教えてくれました。

気になったのが、声が少し掠れていたのと右目が少し腫れていたことで、これは寝起きから間もなかったからだったのでしょう。

その後部屋で着替えをすると、背中が汗ばんでいましたが傷などはなく、きれいな背中をしていました。

脚のむくみなどもほとんどなく、体調は全体的に問題はないようでした。

このところ暑い日が続いていたので、前日リクエストされたゼリーを持っていくと、母は美味しそうに3口ほど飲んでいました。

また、改めて習字について尋ねてみると「2~3枚書いたけど、何を書いたのか覚えていない」と言っていました。

それに続けて「お手本はいっぱいあったけど、サッサといい加減に書いた」と、あまり満足していない表情で話していました。

最後に、このころ楽しみにしていた夕焼けについて聞くと「見た、きれいだった」と前日を振り返って、やっと母の笑顔が見られました。

2023年6月18日 (日)

生きていれば114歳

4年前の2019年6月18日は晴れて28℃の火曜日、母が施設に3回目の入所をして75日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所で居眠りをしていて、よく眠っていたのか母が使っていると思われるタオルが下に落ちていました。

話を聞くと「今日は午前中にリハビリをした」と言い、いつものように部屋に行って着替えながら話の続きをすることにしました。

この日は鼻水もほとんど出なくなり、風邪の症状は治まったようでした。

この日も暑いので冷水を飲ませてあげましたが、母は「昨日のものが美味しかった」と、それとなくゼリーを要求してきました。

確か前日のものはリンゴ味だったと思いますが。

ところで6月18日は私の祖母、つまり母の母親の誕生日で、生きていれば114歳になる日でした。

母は家族など人の誕生日を良く覚えていて、この日も当然のように自分の母親の誕生日だと知っていました。

そのような日ということもあって、この日の話は祖父や祖母の思い出話に終始した感じになりました。

祖父は三男だとか、祖母の親族が富山でパン屋の修行をしたことなど、母は懐かしそうに話をしていました。

そのほか、自分が産婆さんに取り上げられたことや、『お嬢様』と呼ばれていたことなども笑顔で教えてくれました。

結局この日の母はいつも以上に元気な声でたくさん話をしてくれて、体調に心配はなさそうでした。

2023年6月17日 (土)

「ずいぶん脚が細いですね」

4年前の2019年6月17日は晴れて29℃の月曜日、母が施設に3回目の入所をして74日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂の洗面所のところで手を洗っていて「お風呂に行って戻って来たところ」と言っていました。

いつものように話をするために部屋に移動すると、いい天気で風も爽やかでしたが、日差しが暑いため残念ながらカーテンを閉めました。

この日は午前中にリハビリに行って、午後は昼寝の後におやつを食べてから入浴をしたということでした。

朝、鼻水が出たのでマスクをもらったと言い、それでも熱が無かったので入浴したとも話していました。

確かにこの時も母の声は少し掠れている感じはありましたが、心配するほどの風邪という状態ではなさそうでした。

そして、お風呂場での担当の人たちとのいろいろな出来事を話してくれました。

例えば「ずいぶん脚が細いですね」と言われたと、母は嬉しそうな笑顔で振り返っていました。

実際、前回の退院からかなりの日数が経過していましたが、母の脚はほとんどむくみがない状態が続いていました。

これまでも何回か記しましたが、施設に入る前は母はウチで浴槽に入ることを止めていたので、入浴の話を楽しむ母が夢のようでした。

最後に、前日の食事について尋ねると、母は「『鰯の竜田揚げ』が脂がのって美味しかった」と、思い出しながら笑顔で言いました。

そして私が「スイカを食べたのは内緒だよ」と言うと、母は大きな声で笑っていました。

2023年6月16日 (金)

「朝から穴子と言われた」

4年前の2019年6月16日は晴れて30℃の日曜日、母が施設に3回目の入所をして73日目、午前11時25分ころ面会に行きました。

日曜日なので恒例のようになっていた母との昼食を楽しむために、この日もその時間に合わせて買い物をして施設に向かいました。

母のフロアに着くと、母はちょうど流しの所にいて「トイレに行って手を洗っていた」とのことで、そのまま面会室に移動しました。

この日は見事な晴天なので窓際で食べることにすると、母は「眩しいくらいだね」「ここで食べるの?いいね」と、喜んでくれました。

私が「今日は30℃になるらしい」と言うと、母は「夏だね」と呟いて、午前中は暑さにバテていたのかほとんど寝ていたということでした。

タオル折りをしているうちに眠くなって、「日曜でお昼を一緒に食べるのを、すっかり忘れていた」とも話していました。

それでも職員さんに「朝から穴子、穴子と言われた」ということを笑顔で教えてくれました。

また、お昼が近づくと職員さんが「もうじきだね」と言うので「何が?」と聞くと「穴子」と言われたと笑っていました。

いよいよ食事が始まると、次から次に「おいしい」と言いながら、出てきたものを一通り食べてくれました。

穴子をはじめとして、いろいろな煮物やデザートのキウイやスイカも食べて、「あぁ、おいしゅうございました」と一礼していました。

私が思っていた以上にたくさん食べてくれて、さすがに母も満腹になったようで「いっぱい食べた」と振り返っていました。

結局一時間ほどかけた食事の後、母はますます元気が出てきた様子でしたが、最後には「眠くなった」と満足そうに微笑んでいました。

2023年6月15日 (木)

母と主治医との会話

4年前の2019年6月15日は雨で19℃の土曜日、母が施設に3回目の入所をして72日目、午後3時ころ施設に行きました。

この日は通院ということで早めに行くと、母は食堂のいつもの場所でおやつを食べようとしているところでした。

しばらく待って母がおやつを食べ終わってから、まずレントゲンを撮りに病院に行きました。

レントゲンの撮影が終わると、一度施設に戻っていろいろと話をしました。

この日も午前中にリハビリをしたことと、鼻水がよく出るということを母は教えてくれました。

その後、診察室の前で待っている間も話を続けましたが、母の声はかなり戻っていて風邪は良くなってきていたようでした。

診察では主治医がレントゲンの説明をしてくれて、前回から良化しているので水分制限が解除されることになりました。

血液検査の数値では貧血はやや良化していましたが、腎臓の悪化がみられるのが少し心配でした。

また、診察室で測定した血圧が208/80という数値で驚きましたが、先生はそれほど重視している感じではありませんでした。

この日は珍しく先生が少し大きな声で母に話しかけたところ、母もそれに応えて楽しそうに先生と話をしていました。

母の診察に私が立ち会うようになってから、母が直接医師と会話をするのは久しぶりで、それだけ本人も元気だったのだと思います。

この日の診察は血圧や腎臓の値など気になる点はありましたが、母が元気で陽気なので『それだけでいいのだ』という気がしました。

2023年6月14日 (水)

『おばあさんの仲間入り』

4年前の2019年6月14日は晴れのち曇りで26℃の金曜日、母が施設に3回目の入所をして71日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

前日、母の新しい介護保険証が送られてきたので施設に提出しましたが、これまでと同じく要介護4ということでした。

母は食堂のいつもの場所で目をつぶっていましたが、話を聞くと「おやつを食べて、トイレに行って、休んでいた」とのことでした。

そしていつものように部屋に移動すると、母はこの日も午前中にリハビリに行ったことを教えてくれました。

「朝寒かった」とも言っていて、蒸し暑いのでエアコンが効いていて、ここ数日と違って母は寒く感じているようでした。

また、母が突然「昨日の朝だよ」と言い出したので何の話かと思うと、どうも風邪気味だったので風邪薬を飲んだということでした。

そして「今朝体温を測った」そうで、施設としても母が風邪気味だと認識していた様子がわかりました。

ただ、少し前から母は痰が絡んだり声がかすれていましたが、前日くらいから治まっていた感じではありました。

母自身はこの日も体調は良さそうで、口数も多く声もこれまでよりは大分よく出ていました。

この日の母にとっては喉の調子よりも「脚を触るとヒリヒリする」と、自分の肌の状態が気になっていたようでした。

そして、自ら腕を目の前に出してシワの様子を見ながら「おばあさんはこうだった」と、自分の親と比べて苦笑いしていました。

私が「おばあさんの仲間入りしましたか?」と尋ねると、母は「しましたね」と言いながら、今度は大笑いをしていました。

2023年6月13日 (火)

桔梗が咲いた

4年前の2019年6月13日は晴れて26℃の木曜日、母が施設に3回目の入所をして70日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母はこの日もいつもの場所にはいない上、このころよくいた南側の部屋にも姿は見当たらなかったので、職員さんに尋ねました。

その職員さんもよく知らないようで「部屋にいるのではないかな?」と言うので、行ってみることにしました。

部屋に行くと、母はこちら側を向いてベッドに横になっていて、ラジオを聴きながら眠っているようでした。

話を聞いてみると、おやつを食べた後にトイレに行ってから、珍しくまた部屋に戻って眠ったということでした。

母の身体を起こしてみると、この日も話をすると痰が絡むような感じがありました。

また、遮光カーテンが閉まっていましたが、天気が良く日差しが強いために枕元の温度が26℃もあり、寝ていても暑いようでした。

この日は朝入浴したそうですが、昼寝をして汗を掻いていたということで、また着替えることにしました。

母は「今日のお風呂は熱かった」と言い、続けて「また泡で遊んで楽しかった」と嬉しそうに笑っていました。

普通に話をしていると少しかすれたような声でしたが、深く呼吸をすると痰が絡むような感じがしました。

ただ、声以外の体調に問題は無さそうで、ウチのベランダの桔梗が咲いたので写真を見せると、母はとても喜んでくれました。

最後に、ベッド脇の窓が開いていたのでそこから外を見ると、ちょうど風が入ってきて「爽やかで気持ちがいい」と母は笑顔で言いました。

2023年6月12日 (月)

カーディガンの肩パッド

4年前の2019年6月12日は曇りで21℃の水曜日、母が施設に3回目の入所をして69日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母はこの日もいつもの場所にはいませんでしたが、このころよくいた南側の部屋で何かのチラシのようなモノを見ていました。

おそらく定位置が暑いので移動していたのでしょうが、その近くには入所者のおばあさんが二人いました。

その二人ともどこか認知に問題があるような雰囲気でしたが、そのうちの一人が「おいしいから食べたら?」と私に話しかけてきました。

見てみるとそれはティッシュだったので、私はその人に「ありがとう」と返事をしてから、母を連れて部屋の方に向かいました。

いつものように着替えをしながら話をすると、母は午前中にリハビリに行ったことを教えてくれました。

この週も月曜日から3日続けてリハビリに行って、そのおかげもあり母の体調はこの日も良さそうでした。

ただ、相変わらず室内は蒸し暑く、母の背中は少し汗ばんでいました。

着替えが終わると、母は「体重が減った」と言い、続けて「だからカーディガンの肩パッドがすぐ落ちる」と肩に手を当てながら言いました。

このころは食事制限がされていたので、母は時々「量が少ない」というようなことも口にしていました。

それでも私との食事では結構食べていて、以前は飲み込めなかった海苔巻きや干瓢もまるごと食べていて、私は驚いたものでした。

その点について母は「食べられなかった記憶がない」と言っていて、私は『それはそれで良かった』と思いました。

2023年6月11日 (日)

桔梗の蕾

4年前の2019年6月11日は曇りで22℃の火曜日、母が施設に3回目の入所をして68日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母はトイレに行っているということで、先に部屋に行って待っていると職員さんが母を連れてきてくれました。

母は「微熱がある」と言っていて、数日前から咳をしたり痰が絡んだりしていたので『やはり風邪か』と、私は思いました。

後には『風邪ではなかったかもしれない』と思えることもありましたが、当時は風邪を引いたのだと考えていました。

この日も午前中にリハビリがあったそうで、母は「その時は晴れていた」と、外の景色を見られて嬉しかったようでした。

午後はいつものように昼寝をしてからおやつを食べて、今トイレに入っていたということでした。

室内は相変わらず蒸し暑い感じで、母は私が持参した冷水を2~3口ほどおいしそうに飲んでいました。

また、このころ気にしていた血圧は179/73、少し高めでしたが母としては標準の値でした。

寝起きのせいか、瞼の辺りが少しむくんでいるように見えましたが、全体的に体調は悪く無さそうでした。

ただ、微熱と時々絡む切りにくそうな痰が心配でした。

それでもこの日の母も元気で、明るい表情でたくさんの話をしてくれました。

最後に、ウチのベランダの桔梗に蕾ができたのでその写真を見せると、花好きな母はとても喜んでいました。

2019年6月11日

2023年6月10日 (土)

「スイカを食べた記憶はない」

4年前の2019年6月10日は雨で19℃の月曜日、母が施設に3回目の入所をして67日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母がトイレに行っていて、いつもの場所にはいなかったので先に部屋に行って待っていることにしました。

しばらくして職員さんに車椅子を押してもらって現れた母は、満面の笑みを浮かべていました。

特に便通があったからというわけではありませんでしたが、この日の母も元気でご機嫌が良かったということだったのでしょう。 

母の話では午前中にリハビリをして、午後は昼寝はなく入浴をしてからおやつを食べて、トイレに行っていたところとのことでした。

おやつには『水饅頭』のような透き通っていたものを食べたと言っていました。

前日の食事について尋ねると、母は「がんもどきがおいしかった」と笑顔で言ってくれました。

また、キウイフルーツがお気に入りのようでしたが「スイカを食べた記憶はない」と、首を捻っていました。

スイカは一番最初に食べたので印象が薄かったのか、食べたことを忘れてしまったようでした。

そして、この日の朝は「血圧を2回測った」ということなので改めて測ってみると、175/68という数字でした。

特に体調の問題は無さそうでしたが、この日も話している間に何度か痰が絡んでいました。

深く息をすると絡むようでしたが、母は「苦しくはない」と言っていたので、しばらく様子を見ようと思いました。

2023年6月 9日 (金)

海苔巻きも飲み込める

4年前の2019年6月9日は曇りで19℃の日曜日、母が施設に3回目の入所をして66日目、午前11時15分ころ面会に行きました。

日曜日ということで昼食を持って母のフロアに行くと、母は食堂のいつもの場所にいました。

9階の面会室に行く前に薬を飲み、トイレも済ませておきました。

この日の母は、まずカットスイカを一切れ食べてから、お赤飯と海苔巻きを食べました。

母は歯がないのでウチにいた頃は、海苔を噛み切れずに口から出したりしていましたが、なぜか施設では海苔巻きも飲み込めていました。

ここまでで母は「お腹がいっぱいになってきた」と言いましたが、ここから思った以上にたくさん食べてくれました。

母が好きながんもの煮物や、カボチャやナスの煮物もおいしそうに食べていました。

その間時々くしゃみをしたり痰が絡んだりしていて、私は『やはり風邪をひいたのかな』と、少し心配になりました。

ただ、その後もウチから持って行ったトマト、キウイやほうれん草のお浸しを「おいしい」と言いながら食べていました。

たくさん食べた後に「トイレに行きたい」と言うので母のフロアに戻ると、職員さんにトイレに連れて行ってもらいました。

トイレから出てきた母は「たくさん出た」と喜んでいて、その後は話し声も一層元気になっていました。

気になる血圧は142/56で問題なく、むくみなども気になりませんでしたが、喉の調子がどうなるのかが心配な点でした。

2023年6月 8日 (木)

血圧を測ってみると

4年前の2019年6月8日は曇りで25℃の土曜日、母が施設に3回目の入所をして65日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母が食堂のいつもの場所にいなかったので、このころよく移動していた南側の部屋を見てみると、私のすぐ目の前にいました。

やはり定位置は暑いようで、いやすい場所を探してそこでラジオを聴いていたということでした。

そして母の話では「今さっきリハビリから帰って来たところ」とのことで、リハビリが5日連続で行われたことになりました。

「今日はリハビリを3人でやった」とリハビリ好きの母は笑顔で言っていました。

その後は部屋に移動して着替えをしながら話の続きをしましたが、母の背中はやはり汗ばんでいました。

前日母が「最近血圧を測らない」と話していたので、この日私は血圧計を持参して母の血圧を測ってみました。

母によると「みんなは朝測っているのに、自分だけ飛ばされている」と、この日もこのように言っていました。

この時の数字は一回目が200/82、二回目が196/82と出て、私は平静を装って「少し高いね」と母に伝えました。

以前から、母の血圧でこのくらいの数値を見ることはありましたが、この時は施設で測らない理由をいろいろと考えてしまいました。

そして、この日の母もたくさん話をしてくれて元気もありましたので、血圧のことには触れないように、考えないようにしておきました。

ただ、前日に続いて少し鼻声のような感じがあったので『風邪気味なのかな?』と、こちらの方は心配になりました。

2023年6月 7日 (水)

「相棒が替わった」

4年前の2019年6月7日は曇りのち雨で24℃の金曜日、母が施設に3回目の入所をして64日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいてラジオを聴いていました。

母によると、「今まで南の部屋にいたけれども、電波の状態が良くなかったので移動してきた」と言っていました。

この日は朝からリハビリに行き、その前に便通もあったと報告してくれました。

リハビリの話では「相棒が替わった」と言っていて、先日母が「立てるようになった」と教えてくれた人とは違う人と一緒だったようでした。

また「最近は血圧を測らない」と少し心配そうに口にしていて、「この間の、お風呂の前も測らなかった」と続けていました。

その後、いつものように部屋に移動して着替えながら話をしていると、咳き込んだり痰が絡んだりしました。

母は「少し喉がいがらっぽい」というぐらいで、それほどの深刻さは感じていない様子でした。

この日の母も元気にたくさん話をしてくれて、特にリハビリの内容を熱心に教えてくれました。

「輪投げの台がきれいに塗ってある」とか「腕の運動を30回やった」と、動きを交えながら笑顔で話していました。

他には入所者の人たちのことも話しましたが、珍しく少し迷惑な人がいるようなことも言っていました。

いずれにしても、この日も母は体調も機嫌も良く、おしゃべりも絶好調という感じでした。

2023年6月 6日 (火)

「睡眠中に暴れていた」

4年前の2019年6月6日は晴れで32℃の木曜日、母が施設に3回目の入所をして63日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母が食堂のいつもの場所にいなかったので少し探すと、このころよく移動していた南側の部屋でラジオを触っていました。

ここ数日、母がずっと言っているようにこの日も「暑い上にラジオの電波が良くないのでここにいる」とのことでした。

しばらくの間、その場所で話をしてからいつものように部屋に移動しました。

母の話では、この日は午前中にリハビリと入浴を済ませたということでした。

そして、おそらく午後はいつものように昼寝をしてから、おやつを食べてくつろいでいたところだったのでしょう。

ところで、この頃はとにかく暑い日が続いていて、この日も32℃にまでなり室内も暑いためか、母は少し疲れている感じがしました。

前日の夜にはラジオを聴いて巨人が負けたことを知り、その上暑いこともあって「睡眠中に暴れていた」と笑っていました。

そんな話をしながら私が持参した水筒の冷水を、母はこの日も2~3口おいしそうに飲みました。

そして「お腹の中まで冷たくなった」と喜んでいました。

また、昼寝の前には「看護師さんに全身にクリームを塗ってもらった」と嬉しそうに教えてくれました。

母は暑さで少しバテている様子でしたが相変わらず話は弾み、この日私は洗濯物を持って帰るのを忘れてしまいました。

2023年6月 5日 (月)

『冷奴かな?』

4年前の2019年6月5日は曇りで28℃の水曜日、母が施設に3回目の入所をして62日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、その手前で二人の職員さんがベッドに寝ている入所者に対して痰の吸引をしていました。

とても苦しそうな音が聞こえて印象的でしたが、気にしないふりをして母に挨拶をしました。

母は「どこにいても暑い」と言いながら、少しバテ気味なような表情をしていました。

確かにたくさんの人が集まっているのにエアコンが効いていないという感じがして、皆さんジッと静かにしていました。

着替えながら話をすると、母は「夜中に寝汗を掻いたので、朝肌着を替えてもらった」と言っていました。

「昨日お風呂に入ったのに、身体が痒い」と、搔くような動きをしながら続けて言いました。

また、この日は午前中にタオル折りをしてからラジオ体操をしていたところ、リハビリに呼ばれたということでした。

そんな話をしながらもやはり喉が渇くようで、母は私が持参した水筒の冷水をおいしそうに2~3口飲んでいました。

その後、前日気にしていた爪を切ってあげると、母は自分でやすりの部分を使って気になるところを削っていました。

食事の話では、小さく切られた豆腐が冷たい水に入ったものがおいしかったと言い、私は『冷奴かな?』と考えてしまいました。

この日の母も元気でしたが、暑さが堪えているような様子もあったので、脱水に注意するように声を掛けてお別れしました。

2023年6月 4日 (日)

「みんな汗びっしょり」

4年前の2019年6月4日は曇りで27℃の火曜日、母が施設に3回目の入所をして61日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、挨拶をすると「人が多くて暑い」と言っていました。

この日も部屋で着替えながら話を始めると、午前中にリハビリに行って午後は昼寝をして、今おやつを食べたということでした。

毎日暑い日が続いていて室内もどこにいても暑いので、南側の窓のところで同室の入所者と話をしていたと教えてくれました。

そして、その人とは「入所当時にいろいろあって怒られたこともある」ということも話してくれました。

母の話では「車椅子がへたくそだ」と言われたとのことでしたが、母は入所前は自分で車椅子を動かしたことはありませんでした。

また、この日のリハビリでは「いつも一緒の人が頑張って立ち上がれるようになった」と、嬉しそうに言いました。

そういえば私も母が足の骨折後、病院のリハビリルームで立ち上がったのを見たときは、本当に感動したのを思い出しました。

着替えの際には、いつものように背中が汗で濡れていたので拭いてあげると、母は髪の毛と爪が伸びてきたことを気にしていました。

同時に暑い日が続いているので「みんな汗びっしょりでお世話をしてくれる」と、職員さんたちに感謝をしていました。

また、穴子寿司を食べたことを話したところ、ある職員さんが「穴子寿司を買って帰った」という話も披露してくれました。

この日の母は暑さに参っていた感じもありましたが、話をするうちに徐々に元気が出てきていました。

2023年6月 3日 (土)

子供たちに感動の涙

4年前の2019年6月3日は曇りで25℃の月曜日、母が施設に3回目の入所をして60日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、珍しくカーディガンを着ないで座っていました。

母に話を聞くと「ちょうどお風呂から帰って来たところ」ということで、お風呂上がりで暑いのだということでした。

確かに母の頬はまだポカポカしていて、私が「着替えはないけど部屋で話をしよう」と言うと、母は「たくさんある」と元気に答えました。

まず、朝にはずっと気にしていた便通があったことを報告してくれました。

そして午前中には「どこかの幼稚園児たちが歌や踊りを披露してくれた」ということでした。

皆で9階に集まって見たようでしたが、母は「100人くらいいた」と盛況な様子を教えてくれました。

母は「小さな子供たちがいたいけで、感動で涙が出た」と言い、「最後には一人一人と握手をした」と笑顔で話してくれました。

「私はあまりそういうことはしないのだけど」と照れながら「みんながしていたからね」と、言い訳もしていました。

子供たちに「上手だったね」と声を掛けたところ「子供たちは無表情だった」と少し残念な様子でしたが、母は楽しそうに笑っていました。

その後は前日の食事の話や、午後におやつを食べてからお風呂に行ったことなど、いつも以上に元気な声でたくさん話をしてくれました。

この日は昼寝をする時間も無いほど忙しく過ごしたようでしたが、子供たちとの交流で更に元気になった母でした。

2023年6月 2日 (金)

『穴子寿司』と記念写真

4年前の2019年6月2日は曇りで26℃の日曜日、母が施設に3回目の入所をして59日目、午前11時15分ころ面会に行きました。

日曜日ということで母と一緒にお昼を食べるために、途中で『穴子寿司』などを買って施設に向かいました。

母がいつもの場所にいなかったので探してみると、南側の部屋の窓の前で同室の入居者の方と話をしているところでした。

母に挨拶をすると、母は「どこにいても暑いのでここに来た」と言っていました。

9階の面会室に移動しながら話をすると、母は「今日もまだ便通がない」と少し不安そうな表情をしていました。

まず、食事の前に母がリクエストしてくれた『穴子寿司』を手に記念の写真を撮りました。

その『穴子寿司』『海苔巻き』『サーモン丼』など、買っていったものから食べました。

その後に家で作った『ゴーヤチャンプル』などを口にすると、母は「ゴーヤの味を思い出した」と微笑んでいました。

この日も前回同様に少し食べたところで母は「お腹いっぱい」と言っていましたが、それからかなりの量を食べてくれました。

便通がないと言いながらも結構食べていたので、私は『まだ余裕があるのかな』と少し安心したものでした。

その後部屋で着替えると、この日もやはり母の背中は汗ばんでいたのでしっかり拭いてあげました。

この日は車椅子とベッドとの移動の足取りが少し怪しい感じで、リハビリがないと体力面が不安になり始めた頃でした。

2019年6月2日

2023年6月 1日 (木)

いつも一緒のおばあさん

4年前の2019年6月1日は曇りで25℃の土曜日、母が施設に3回目の入所をして58日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母が食堂のいつもの場所に見当たらなかったので職員さんに尋ねると、ちょうどトイレに行っているということでした。

少し待って母がトイレから帰って来ると手を洗ってから部屋に行き、いつものように着替えながら話をすることにしました。

まず、ここ二日間便通がないと言い、この点を母は少し心配し始めていました。

トイレの前にはリハビリに行っていたそうで、結局この日まで五日間連続でリハビリがあったことになりました。

母は「今日もいつものおばあさんと一緒だった」と言っていて、顔見知りもできたようでした。

そして、この日も最後には立ち上がる運動の際に外の景色を見たそうで、母は「風が強かった」と話していました。

着替える時に背中を見ると少し汗ばんでいて、既にあせもになりかけている部分もあり「掻くと気持ちいい」と、母は笑っていました。

そこで私が少し力を込めてタオルで背中を拭くと、母は「それが気持ちいい」と言っていましたが、胸と脇は自分で拭いていました。

このところ室内が暑いことが多いので汗ばむのは当然ですが、母は掻きすぎる癖があるのでそれだけは心配でした。

最後に「明日の日曜日に何か食べたいものはある?」と私が聞くと、母は「穴子寿司」と笑顔で言ってくれました。

この日も声には元気があって機嫌も良く、体調も問題が無いので笑顔が溢れた母でした。

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