« 2023年4月 | トップページ | 2023年6月 »

2023年5月

2023年5月31日 (水)

「いい靴だね」

4年前の2019年5月31日は曇りで25℃の金曜日、母が施設に3回目の入所をして57日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母のフロアにエレベーターが着いてドアが開くと、私の目の前に母がいました。

そろそろ私が来ると思って待っていたとのことでしたが「室内が暑くて眠くなるので動いていた」という事情もあったようでした。

この日も着替えをしながら話をするために母の部屋に行きました。

この日は午前中にリハビリがあって、その最後には3回ほど立ち上がる運動もしたということでした。

その時に窓から外を見たそうで、母は「強い風が吹いていた」と言っていました。

このころは「リハビリで外を見た」という話をよくしていて、外の景色を見ることが母には良い刺激になっているように感じました。

ですから今でも『この頃に散歩に連れて行ってあげたら良かったなぁ』と思うことがあり、おそらく母も喜んでくれたでしょう。

そしてその後には、母が私をエレベーター前で待っていた時の話をしてくれました。

母がエレベーターの前にいるとある人が「いい靴だね」と、その時に履いていた靴を褒めてくれたと、母は嬉しそうに言いました。

それは私がネットで探して母に履いてもらったもので、全体が鮮やかな水色でマジックテープの所に名字の刺繍がある介護用のものでした。

この靴は母も気に入っていたと確信していますが、そんな出来事があったからか、この日の母も元気な声で楽しそうに話をしてくれました。

2023年5月30日 (火)

Tシャツで一騒動

4年前の2019年5月30日は晴れて27℃の木曜日、母が施設に3回目の入所をして56日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母が食堂のいつもの場所にいなかったので周囲を探すと、食堂の先の南側の部屋にいました。

私が挨拶をすると、母はまず「今さっきリハビリから帰って来た」と言いました。

それに続けて「いつものところが暑いからここで涼んでいた」と、状況を説明してくれました。

この日は朝一で入浴をして、ホットケーキ作りをしておやつにそれを食べて、その後でリハビリに行ったということでした。

この日のお風呂の話では、前回同様に「泡で楽しんで、面白かった」と、母は喜んでいました。

また入浴後の着替えの際に、新しいTシャツに関してちょっとした騒動があったことを話してくれました。

実はこのころ私は母の夏物衣料を買って持って行くことがあり、新しい商品は一応母に見せておくことにしていました。

ところが、この日の着替え用の白いTシャツを母が「私のじゃない」と言ったことで、迷惑をかけてしまったということでした。

また、おやつはホットケーキを食べてリンゴジュースを飲んで「おいしかった」と満足そうに笑っていました。

この日は昼寝をする時間も無く忙しく過ごしたようでしたが、上機嫌で元気にたくさん話をしてくれました。

最後に爽やかな笑顔の写真を撮ることもできました。

2019年5月30日

2023年5月29日 (月)

快眠で元気

4年前の2019年5月29日は雨のち曇りで25℃の水曜日、母が施設に3回目の入所をして55日目、午後4時ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、この日も例によって部屋で着替えをしながら話をすることにしました。

この日は午前中にリハビリがあって、そのおかげか「昼寝がよく眠れた」と嬉しそうに母は笑顔で話してくれました。

またこの日は天気が悪いので、部屋に日差しが入ることも無いため暑くなく、ベッドで眠るのが気持ち良かったようでした。

そして、前日は通院のために昼寝をする時間がなかったことで「夜はバタンキューだった」と、母は独特の言い方で快眠を表現していました。

いずれにしても、前日の診察の結果が悪くなかったことで、母は安心してよく眠れている様子でした。

それでも「今日は血圧を測らなかった」と言っていて、前日の診察で出た血圧の数値は少し心配しているようでしたが。

この日もむくみはほとんど無く、朝から便通もあったそうで、体調に問題はありませんでした。

その後「明日はお風呂だよ」と私が言ったことから、しばらく施設での入浴の話になりました。

母は「この前は泡を使ってもらって面白かったし、気持ち良かった」と、思い出して笑っていました。

また「男の人が担当だと、お股は自分で拭いている」などと、楽しそうに話をしてくれました。

この日は全体にいつも以上に元気で、ひたすら母が話をして私が聞き役という感じでした。

2023年5月28日 (日)

現状維持にホッと安心

4年前の2019年5月28日は曇りで28℃の火曜日、母が施設に3回目の入所をして54日目、午後2時30分ころ施設に行きました。

この日は通院の予約の日ということで早めに行くと、母はすでにいつもの場所で待っていました。

母は「昼寝をしないで待っていた」と言い、もう病院に行く用意ができていました。

すぐに隣の病院に行きレントゲンを撮影してから待合室にいると、それほど待つこともなく診察となりました。

まず、主治医に「このところむくみは目立たず、体調も安定しています」と伝えました。

先生はレントゲンと血液検査の結果から「心肥大はなく、血液の数値もおおむね横ばい」と、話してくれました。

その後血圧を測ると190/70という数値が出ましたが、母は普通にしていてあまり心配している様子はありませんでした。

ただ私は血液検査の結果から、栄養不足と貧血気味なのが少し気になりました。

このころの母は毎日元気でむくみも出なかったので、私はどこか血液検査の結果が良化していることを期待していたようでした。

それは、このころは週に5日リハビリがあり、また日曜日の昼食を一緒に食べたりしていたので多少の効果はあるのではと思っていました。

ところが現実は厳しいもので、母はこの時すでに91歳ということもあって、現状維持ならば良かったと思うしかない状況でした。

それでも、これまでの生活を変えることなく続けていけることになって、母もホッと安心していたようでした。

2023年5月27日 (土)

「人手不足なのかな?」

4年前の2019年5月27日は晴れて33℃の月曜日、母が施設に3回目の入所をして53日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、周囲を見ると珍しくほとんどの人が着席していました。

それでも室内はとても静かで、母と私の会話だけがその空間に流れていて、どこか場違いなような感じもしました。

その後はいつものように部屋に行って話をしましたが、母は「入浴しておやつを食べたところ」ということで、着替えはしませんでした。

この日は前日終わった大相撲の話を職員さんとしたことを話してくれました。

母のご贔屓の『妙義龍』と『遠藤』は二人とも負け越したことを、母はしっかり認識していました。

また、前日の食事を振り返り母が「良かった」と笑顔で言ってくれたので、私は『また持って来よう』と決意を新たにしました。

それから、この日はとうとう33℃にまでなりましたが、このところ暑い日が続き、母は連日エアコンの風を気にしていました。

「時々寒くなることもある」と言っていて、母は頭の辺りに当たる冷風に悩まされていました。

その他には翌日は病院に行くので、看護師さんがむくみのチェックをしてくれたということでした。

ただ、見たところ脚や瞼のむくみはほとんど無く、体調に問題はなさそうでした。

それよりも気になるのが、母が周囲の心配をし始めたことで、この日も施設のことを「人手不足なのかな?」と、一人で心配していました。

2023年5月26日 (金)

「懐かしい、すずらんかな?」

4年前の2019年5月26日は晴れて32℃の日曜日、母が施設に3回目の入所をして52日目、午前11時20分ころ面会に行きました。

日曜日ということで、母と一緒にお昼を食べるために穴子寿司などを持って行ったわけです。

母はいつもの場所にいて、すでに前掛けをして待っていてお茶も用意されていました。

9階の面会室に移動して窓際で食べ始めると、母はまだそれほどの量を食べないうちに「お腹がいっぱいだ」と言いました。

それでも、それから鯖寿司や玉子やほうれん草のおひたしなど、たくさん食べてくれました。

楽しみにしていたトマト、キウイフルーツやバナナといったフルーツも「おいしい」と言いながら食べていました。

食べながら私が取り皿用に自宅から持参した皿の柄を見て、母は「懐かしい、すずらんかな?」と、久しぶりに見た皿の柄を眺めていました。

食後には面会室の窓から外の景色を見て、ベランダにヒマワリの苗が植えてあるのを見つけていました。

その後は部屋に戻って、いつものように着替えをしながら話をすることになりました。

着替えは母が気に入ってくれた七分袖の上着の色違いのものを着ると、履いていた靴とお揃いの色になり、母は嬉しそうに笑っていました。

このところ30℃を超える暑い日が続いていて、この日も室内のエアコンがよく効いて、母は「頭の辺りが涼しい」と苦笑いをしていました。

食事前は少し眠たそうな表情をしていた母でしたが、食事後にいろいろと話をしている間にすっかり元気を取り戻していました。

2023年5月25日 (木)

「あまり細くなるのは嫌だ」

4年前の2019年5月25日は晴れて32℃の土曜日、母が施設に3回目の入所をして51日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母のフロアにエレベーターが着くと、母は『トイレ中』ということで少し待つことになりました。

職員さんに翌日の日曜日の昼食をキャンセルすることを伝えていると、母はトイレから笑顔で戻って来ました。

この日はおやつを食べてからリハビリに行ったそうで、そのためかいつも以上に元気があるように見えました。

部屋に行って着替えながら話をしていると、母は「夕べ考えたことがある」と言い出しました。

何かなと思って尋ねると、母が言うには「眼鏡がもう少しよく見えればいいなぁと思う」ということでした。

どうも皆で歌を唄ったことがあって、その時に暗かったからか歌詞カードが見えにくかったようでした。

これまで母は、眼科に行ったり新しい眼鏡を作りに行くことを嫌がっていましたが、この日はなぜか積極的になっていました。

それだけこのところの体調が良く、施設での生活を楽しめているのだろうと、私には感じられました。

ただ、この日は心配も口にしていて、母は「筋肉が落ちているのではないか」と考えているようでした。

入浴のたびに体重を量っているようで、母は「数字はわからない」と言っていましたが、体重減を感じている様子でした。

この日も元気にたくさん話してくれましたが、「あまり細くなるのは嫌だ」と、何か母の心に引っかかるものもあるようでした。

2023年5月24日 (水)

夢のような一年後

4年前の2019年5月24日は晴れて31℃の金曜日、母が施設に3回目の入所をして50日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母のフロアにエレベーターが着いてドアが開くと、母は目の前にいて「待っていた」と言いました。

実際のところは、この日は外が暑いのでエアコンが効いているようで、動きながら居場所を変えていたということでした。

壁に二日前に書いた習字の作品が貼ってあったので見ると、『あじさい』と『かたつむり』でした。

確かに母が「筆が良かった」と話していたように、なかなかの出来映えだったように思いました。

この日のことを尋ねると、午前中にリハビリに行って午後は5月の誕生会をしたということでした。

誕生会ではケーキを食べてコーヒーを飲んだと嬉しそうに話してくれました。

そして「おいしいものが出た」と、デザートの輪切りのビワのことを報告してくれました。

この日もリハビリと誕生会で楽しんで、母は元気な声でたくさん話をしてくれました。

ところで、この日からちょうど一年前の2018年5月24日は、母が脱水状態で意識不明になって入院した日でした。

その一年後に、母がこれほど元気になって毎日を楽しく過ごしているのは、本当に夢のように感じられました。

母は「コーヒーがおいしかった」「三角のケーキにゼリーが乗っていた」と、誕生会の様子を笑顔で振り返っていました。

2023年5月23日 (火)

『おニューの七分袖の上着』

4年前の2019年5月23日は晴れて29℃の木曜日、母が施設に3回目の入所をして49日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、食堂のテレビでは珍しく大相撲中継をやっていました。

母に挨拶をすると「午前中朝一でお風呂に入った」と教えてくれました。

入浴後には背中にたっぷりクリームを塗ってもらっただけでなく「胸の方にも男の人が塗っていた」と、笑いながら話していました。

ただ「脚には塗ったかな?」と母は首をかしげていましたが、その脚にはむくみはほとんどありませんでした。

前夜はベッドに入った後に便意を催して「おしめの中にたっぷり出た」と言い「だから問題なかった」と笑顔でした。

それもあってかこの日の体調は良さそうで、穏やかな表情とともに元気な声でいろいろと話をしてくれました。

また、この日の午後にはおやつを食べた後に、今さっきまでリハビリに行っていたと言っていました。

そして、入浴後には『おニューの七分袖の上着』に着替えていて、初めて着た母はそれを気に入ってくれたようでした。

この『七分袖の上着』はネットで私が選んだもので、長袖のものをいつも腕まくりしている母が喜んでくれると思って買ったものでした。

私が予想していた以上に母がそれを気に入ってくれたので、その後に色違いのものも購入したほどでした。

結局この服は一夏しか着ることはありませんでしたが、私はなぜかこの『七分袖の上着』を見ると母の笑顔を思い出すようになりました。

2023年5月22日 (月)

良い筆のお習字

4年前の2019年5月22日は晴れて25℃の水曜日、母が施設に3回目の入所をして48日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母のフロアでエレベーターを降りると、目の前の通路に車椅子に乗った母がいました。

母に話を聞いてみると「どこにいても暑いので、涼しいところを探して動いている」と、いかにも暑そうに言いました。

ちょうど大相撲中継が始まった時間なので、耳にはラジオのイヤホンを入れながら移動しているようでした。

この日はリハビリがないことを前もって聞いていたので、他に何かあったのか尋ねてみました。

すると母は「お習字をした」と答えてくれました。

今回も昼寝の後の寝起きに書いたそうでしたが「良い筆で書きやすかった」と喜んでいました。

ところが、いつものように「何を書いたのか覚えていない」と言って笑っていました。

この日の室内は、どこもエアコンが効いていないようで、母はしきりに「暑い」と口にしていました。

持病のこともあって、母はカロリーと水分を制限されているので、あまり暑いのは私としても心配でした。

それでも、この日の母も元気にいろいろと話をしてくれましたが、少し声が枯れ気味かなと感じました。

話をしているうちに母が便意を催したところで私は帰りましたが、元気ではあるが少し心配も出てきたという時期でした。

2023年5月21日 (日)

梅にウグイスの塗り絵

4年前の2019年5月21日は雨で22℃の火曜日、母が施設に3回目の入所をして47日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

この日は朝からかなりの雨降りでしたが、夕方になって少しずつ明るくなってきていました。

この日も母は食堂のいつもの場所にいて、室内からも外が明るくなってきているのが見えていました。

母に挨拶をすると「すごい雨だったね」と、母も朝方の豪雨に驚いていました。

そして、いつものように部屋で着替えながら話をしていると、母のズボンが中心からかなりずれているのを見つけました。

話がトイレのことになり、母は「暖かいタオルでお尻を拭いてもらうのが気持ちいい」と、笑顔で教えてくれました。

それから、午前中にリハビリがあったそうですが、最後に時間が少し余って塗り絵をしたと言っていました。

梅にウグイスの図柄で、母は「梅の花をピンクに塗った」と嬉しそうに話していました。

着替えが終わると、冷水を一口と私が持参したキウイフルーツを一切れ食べさせてあげました。

母は「おいしい」と笑っていて、私としても母がこんなにキウイフルーツを好きだったのだと、改めて知ったのはこの頃でした。

そして前日に続いて、次の日曜日の昼食は「サンドウィッチがいい」と、母はリクエストしました。

この日は前日とは違って、母の意識もしっかりしていて元気な声でたくさん話をしてくれました。

2023年5月20日 (土)

「ハムとか玉子かな」

4年前の2019年5月20日は曇りで27℃の月曜日、母が施設に3回目の入所をして46日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、ちょうど大相撲中継が始まったところでラジオを聴いていました。

この日も暑い日で、エアコンが盛んに冷風を送ってきていたので、母はテーブルから少し離れて座っていました。

いつものように部屋で着替えながら話をすると、午前中にリハビリがあって午後は入浴をしたということでした。

午後の入浴が昼寝の時間と重なってしまったため「今日は寝ていない」と、母は言っていました。

そのためかこの日の母は少し疲れているように見え、話をする口も回りにくいような感じがありました。

ただ、お昼を食べた後の入浴前に便通もあったそうで、体調は悪くないと話していました。

また、リハビリは「いつもの先生とマンツーマンでみっちりやりました」と、嬉しそうな表情をしていました。

そして「何かおいしいものを食べた?」と食事の話を振ってみると、母は少しのあいだ首を捻って考えていました。

しばらくして「それよりもサンドウィッチが食べたい」と言い、前日のキウイフルーツとは違うものが出てきました。

「どういうものがいいの?」と私が問うと、母は「ハムとか玉子かな」と答えました。

このようなやり取りの中で、私は『日曜の昼食は恒例にした方がいいかな』と思ったものでした。

2023年5月19日 (金)

心に刻んだキウイフルーツ

4年前の2019年5月19日は晴れて24℃の日曜日、母が施設に3回目の入所をして45日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、挨拶をすると「お相撲が始まったのでラジオを聴いている」と言いました。

食堂のこの位置にいると、ちょうど母の頭の辺りにエアコンの風が吹いてくるので、少しテーブルから離れた位置に座っていました。

そんな母を連れて部屋に行き、この日も着替えながら話をすることにしました。

いろいろな話が出た中で食事の話になり、前週の日曜日に私が持参した昼食の話題になりました。

この日はいつものように夕方の面会ということになりましたが、このころ何度か日曜日のお昼を一緒に食べていたのでした。

母が口にしたのは「キウイフルーツが食べたかった」ということでした。

前回の食事の直後にも母は「トマトとキウイフルーツがおいしかった」と話していたので、よほど記憶に残ったのだろうと思いました。

また、この日は『大相撲力士名鑑』という雑誌を持って行き、母に見せてあげました。

この雑誌は3月場所の時にも見せたのですが当時は母の体調が良くなく、あまり興味を示すことはありませんでした。

それに対して、この時は目もよく見えている感じで、母はページをめくって楽しそうに読んでいました。

いずれにしても次週の日曜日には『キウイフルーツを持って来ないといけないな』と、私は心に刻みました。

2023年5月18日 (木)

スープとステーキ

4年前の2019年5月18日は晴れて24℃の土曜日、母が施設に3回目の入所をして44日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、大相撲中継が始まったということでラジオを聴いていました。

前日に続いてこの日も母の頭の辺りに「エアコンの風が吹いてくる」と、少し不快な様子で言いました。

そんな母を連れて部屋に行き、着替えながら話をすることにしました。

この日はネットで買った新しい上着とズボンを着用してもらってみました。

上着は母も気に入ってくれたようでしたが少し薄い感じがして、エアコンがよく効いている状況では「少し寒い」と言っていました。

また、ズボンの方はサイズ自体は大きいくらいでしたが、ゴムの部分が少しきつめのようでした。

そのような着替えをしている間、母は昼食について話をしてくれました。

「スープが出た、おいしかった」と、私もスープについては初めて聞きましたが、母が喜んでいたので嬉しく思いました。

そして「ご飯だったけれど、おかずにはステーキが出た」とも言っていて、ただステーキと言ってもミンチの状態だったようでした。

また、日曜日に一緒に食べた際のトマトとキウイフルーツが気に入った様子で、私は『また食べさせてあげたい』と思ったものでした。

ただ、この時は翌日の日曜日に昼食を持参するつもりがなかったので、母には黙っていましたが、少しまずいことになったと感じました。

2023年5月17日 (水)

楽しい日々に少しの心配

4年前の2019年5月17日は晴れて26℃の金曜日、母が施設に3回目の入所をして43日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、テレビは珍しく大相撲中継をやっていましたが、それには全く気付いていないようでした。

そんな母を連れて部屋に行き、着替えながら話をすることにしました。

この日は室内も暑いのでエアコンが効いていて、ちょうど母の頭のあたりに冷たい風が来ると言っていました。

それでも、この日はなぜか厚手の帽子を被っていたので「ちょうど良かった」と、母は笑っていました。

脚のむくみをチェックすると、両足ともにほとんど目立ちませんでした。

ただ、この日はずっとまったりと過ごしていたためか、話し声が少しかすれているのが気になりました。

それから、何かおいしいものを食べたかと尋ねると、母は「いい匂いのものはあったね」と思い出すような素振りをしていました。

続けて「うどんは二日連続では出なかった」と言いながら、うどんがあまり好きではない母は、ホッとしたような表情をしていました。

このころは母の体調が良く会話も弾んで、私も面会に行くのが楽しい日々が続いていたように記憶しています。

同時にこのころ、食事や水分の制限が厳しくなったからか、母が周囲を気にしたりイライラした感じを見せるようになった気がしていました。

なんとなく何かを煩わしく感じているような、気になるものがあるような、そんなふうに思えて私は少し心配していました。

2023年5月16日 (火)

「鯉のぼりを見なかった」

4年前の2019年5月16日は晴れて24℃の木曜日、母が施設に3回目の入所をして42日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、午前中にリハビリをして午後に入浴したということでした。

そして、今さっきベッド上で身体にクリームを塗ってもらったところだと、気持ちよさそうに笑顔で言っていました。

昼食にはうどんが出たそうですが、母は「残してしまった」と残念そうに話していました。

母は以前から「うどんはあまり好きではない」と口にしていましたが、食事を残すというのは母としては滅多にないことでした。

それでも、お風呂から上がって間もないこともあって、私が持参した冷水をおいしそうに飲んでいました。

前日までよりも、右脚が少しむくんでいるように見えましたが、この日も体調はかなり良さそうでした。

また、私が持って行った近所のスーパーのチラシを「懐かしい」と言いながら、ずっと笑顔で見つめていました。

そして、おもむろに「バナナ半分食べてみたい」と呟いていました。

最後にカレンダーを見せると、少し寂しそうに「5月も半分終わっちゃったね」と言いました。

続けて「鯉のぼりを全然見なかった」と、このころはよく窓から外を見ていたようですから、母は鯉のぼりを探していたのかもしれません。

この日はリハビリ、入浴と忙しく過ごしたようでしたが、全体的にとても元気な母でした。

2023年5月15日 (月)

「剥がすのが痛い」

4年前の2019年5月15日は晴れて23℃の水曜日、母が施設に3回目の入所をして41日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、ちょうどリハビリから戻ったところだと言っていました。

おやつを食べた後に呼ばれたということで、そのためか覚醒のレベルも高く表情も生き生きとしていました。

いつものように部屋に行って着替えることにすると、母は「天気が良いから気分もいい」と笑顔で言いました。

この日のリハビリは人数が少なかったからか、先生とほとんどマンツーマンで行ったようでした。

内容は、もも上げを20回など「頑張った」と、母は自画自賛していました。

ところで、着替えをしながら母の腕をみると、両腕にテープというのかシールというのか透明のものが貼ってありました。

いつのころからか母は肌が弱くなり、腕を軽く握っただけでも内出血するようになりました。

そのため、皮膚が剥けたり傷が付いたりしても出血しないように、内出血をすると透明なものを貼るようになりました。

そのおかげでほとんど出血することはありませんでしたが、母は「剥がすのが痛い」と何回か話していました。

また、この日も脚はほとんどむくみがなく、母は「リハビリ中に靴が脱げそうになった」と、いつもの靴が小さく感じられたようでした。

そして、この日の母の話し声は大きくはありませんでしたが、積極的に話をしてくれて体調の良さをアピールしているようにも感じました。

2023年5月14日 (日)

柿色のカーディガン

4年前の2019年5月14日は曇り時々雨で20℃の火曜日、母が施設に3回目の入所をして40日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、母の前のテーブルには折ったタオルが積まれていました。

挨拶をすると母は「リハビリもなく、このタオル折りくらいしかしていない」と、この日について話してくれました。

そのためか少し元気もないように見え、外の天気が良くないこともあってか「肌寒い」と呟いていました。

それでも便通がしっかりあって、体調そのものに問題はないということでした。

また、前日はラジオをほとんど聴いていないと言っていましたが、大相撲の結果はなぜかよく知っていました。

ところで、このころは室内も暑い日があったので、薄手のカーディガンを買って持って行ってみました。

柿色というのでしょうか、母があまり着たことのないような色なので気に入るかどうか不安でしたが、とりあえず着せてみました。

ボタンが小さくて嵌めにくい様子で、試着した母は「薄いから暑くなったら着てみよう」と言っていました。

実際に今までのものよりもかなり薄く、肌寒いこの日には合わなかったようでした。

施設の室内はエアコンが動くと寒く感じることも多く、その後もこのカーディガンが使われることはほとんどありませんでした。

この日も話し始めると元気が出て「この頃、朝は南側の窓から外を眺めている」と、活動的な様子を教えてくれました。

2023年5月13日 (土)

リハビリのチカラ

4年前の2019年5月13日は晴れて23℃の月曜日、母が施設に3回目の入所をして39日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、挨拶をすると母は「リハビリからちょうど戻って来たところ」だと言いました。

また、この日は「午前中の朝一でお風呂に行った」とも話していました。

そして午後には、昼寝をしてからおやつを食べた後にリハビリをしたということでした。

そのリハビリが好調だった様子で「もう少し早く来れば見せられた」と、母は残念そうにしていました。

リハビリのチカラのおかげか、この日の母の覚醒レベルは高くて元気もあり、前日までの少しボーッとした感じはありませんでした。

また便通もあったそうで、この日の体調はとても良好だということでした。

脚のむくみなども前日までと変わらず、ほとんどわからないくらいの状況が続いていました。

その後、前日の食事について尋ねると「トマトが硬かったけど、キウイフルーツがおいしかった」と笑顔で話していました。

ウチで一緒に過ごしていた当時は気付きませんでしたが、母は私が思っていた以上にフルーツが好きだったようでした。

そして「何か食べたいものがあれば教えて」と私が言うと、母は「写真か何かないとイメージが湧かない」と答えました。

『それもそうだな』と思うと同時に、この日の母がいつも以上に元気で話が弾んだことが何よりも嬉しく思いました。

2023年5月12日 (金)

母の日の昼食

4年前の2019年5月12日は晴れて23℃の日曜日、母が施設に3回目の入所をして38日目、午前11時15分ころ面会に行きました。

この日は日曜日なので母とお昼を一緒に食べるため、私は早起きをして煮物などを作りました。

そして施設に向かう途中で穴子寿司や焼き鳥などを買ってから、母のところに行きました。

母のフロアに着くと、看護師さんに水分制限をしているので注意するようにと言われてから、母とともに面会室に行きました。

母は前日に続いて部屋の暑さにバテている感じで、少しボーッとしているように見えました。

それでも面会室で私が食事の支度をしていると、母は早くも穴子寿司を開けようとしていました。

その状況を見て、母の食欲が相変わらず旺盛のようで私は嬉しくなりましたが、よく見ると母は穴子寿司のパックを逆さまに持っていました。

結局母は、私が持ってきた数多くの品を少しずつ食べてくれて、この日は家にいたころと同じくらいたくさん食べていたように思います。

また、その頃よりも硬いものなどはよく噛めていたようでしたし、目や耳の状況も良くなっている感じがしました。

その後は部屋に戻って、いつものように着替えをしながら話をしました。

肌着を薄手のTシャツに替えましたが、この日は前日までと違ってエアコンが効いていたので『寒くないかな?』と少し心配になりました。

最後に、この日が母の日ということで記念の写真を撮ってみました。

2019年5月12日

2023年5月11日 (木)

良い天気がもったいない

4年前の2019年5月11日は晴れて27℃の土曜日、母が施設に3回目の入所をして37日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、なんとなく部屋が全体的に静かで暗い感じがしました。

西日が強いために早くもカーテンが閉められていて、外の良い天気がもったいないようにも思いました。

そして、エアコンの動きが良くないのか室内が暑く、そのためにほとんどの人がバテているように見えました。

母もやはり暑いようで、いつも着ているカーディガンを珍しく脱いでいました。

この日も部屋に行って着替えながら話をすることにしましたが、部屋のカーテンも閉まっていてエアコンも動いていませんでした。

そのため、ベッドの枕元に置いてある温度計が26℃を表示していて、私はこの場所で寝る母の脱水が心配になってしまいました。

この時の母の状態は暑さで少しボーッとしているようでしたが、話を始めるといつものような調子が戻って来ました。

ただ、リハビリの話をしてくれましたが、それがこの日のことか前日なのか記憶が曖昧になっていました。

それでも、この日も昼寝をしておやつを食べた後に便通があり、体調は悪くないということでした。

前夜はラジオのナイター中継が見つからず、そのまま寝てしまったそうで、ラジオも聴かずによく寝られたようでした。

この日の母は声がよく出ていて痰が絡むこともなく、暑そうにしていましたがとても元気でした。

2023年5月10日 (水)

室内も「暑いどころじゃない」

4年前の2019年5月10日は晴れて25℃の金曜日、母が施設に3回目の入所をして36日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、部屋を模様替えしたのか母は西の窓の方を向いて座っていました。

この日は外も良い天気で暑く、私は室内も暑く感じたので「暑くないの?」と母に尋ねると「暑いどころじゃない」と答えました。

気がつくと、エアコンもあまり動いていないようで、暑さのためか母も少し元気がないような感じがしました。

この日も部屋に行って着替えながら話をすることにしました。

母の話では、午前中にリハビリがあったそうで、連休明けのこの週も3回目のリハビリとなりました。

そして午後は昼寝をした後に9階に行って、久しぶりに工作をしたということでした。

あじさいの花を作ったそうで、秋の展示会あたりに見られるものかなと思いました。

また、日曜日に予定している昼食のリクエストを聞くと「特別な希望はない」と言いながら「また穴子寿司かな」と、首を捻っていました。

そんな話をしながら母は、室内が暑いこともあって、私が持参したオレンジ味のゼリーを美味しそうに飲んでいました。

話をしているうちに徐々に元気も出てきて、いつもの調子が戻って来たように感じました。

ただ、この日も声の調子が今ひとつで、タンが絡むことはありませんでしたが、ややかすれていた気がしました。

2023年5月 9日 (火)

『風邪でもひいたのかな?』

4年前の2019年5月9日は曇りで22℃の木曜日、母が施設に3回目の入所をして35日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、声を掛けると「朝、お風呂に入った」と挨拶代わりに答えてくれました。

また、便通もその前に済ませたので「気分が良かった」と笑顔で振り返っていました。

そして、そのお風呂に行く前には「タオル折りをたくさんやった」とも言っていました。

お風呂場では担当してくれた若い人たちが、母のブルーのTシャツを珍しそうに見ていたことも話してくれました。

それから食事について尋ねると「おかずが少なかった」と少し不満そうな表情をしていました。

それに続けて「ご飯が硬かった」と言いながらも「食べられないほど硬いわけではない」ということでした。

そこで私は「今度の日曜日もお昼に何か食べようか?」と提案すると、母は「パンとか、握りとか」と言い出しました。

さすがに握りのような生ものは施設では無理なので、母は「穴子もいいね」と笑っていました。

お風呂のことから食事のことまで、この日の母も元気にいろいろと話をしてくれました。

ただ、ここ数日気になっていたように、この日も話をしているうちにタンが絡んで来るようになりました。

この原因については後で大体見当がつきますが、この時点では『風邪でもひいたのかな?』と、私は心配をしていました。

2023年5月 8日 (月)

白いカーディガン

4年前の2019年5月8日は晴れて23℃の水曜日、母が施設に3回目の入所をして34日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、声を掛けると「リハビリから戻ったところ」と言っていました。

おやつを食べてからリハビリに行ったそうで「明日は先生がお休み」と言われたとのことでした。

この日のリハビリの最後には窓際で3回立ち上がって外を見たそうです。

「風が強くて、木が大きく揺れているのが見えた」と言っていて、相変わらず外の様子に興味が尽きないようでした。

また、私が「何かおいしいものを食べた?」と質問をすると「そうだ、言おうと思って忘れてた」と、母は大きな声で言いました。

何かと思えば「うどんが出た!」とのことで、いつものように短く切られたうどんに汁をかけて食べたということでした。

確か母はうどんをあまり好きではないはずでしたが、話のネタとしてうどんのことを覚えていてくれたのは嬉しく思いました。

そして着替えの時に、ウチから持って行った薄手の白いカーディガンを試着してもらいました。

家で母の持ち物を整理している時に、思ってもいなかったほどの数のカーディガンが見つかりました。

そこで、時季的に良さそうなものを選んで洗濯して持参したのですが、母は「薄くて少し寒い」と言い、それまで着ていた方を選びました。

「それにしてもたくさん持ってるね」と私が言うと、母は「駅前のスーパーが安くてね」と照れ笑いをしながら答えてくれました。

2023年5月 7日 (日)

生活のリズムが戻る

4年前の2019年5月7日は曇りで20℃の火曜日、母が施設に3回目の入所をして33日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、声を掛けると「午前中にリハビリに行った」と教えてくれました。

「久しぶりだったけど、割と動けた」と、連休前以来のリハビリを母も心配していた様子がわかりました。

予想以上によく動けたことでホッとしたのか「おかげで昼寝もよく眠れた」と嬉しそうに笑っていました。

リハビリは間違いなく母の生活のリズムを作っていましたので、連休が終わって私も安心することができました。

ところで、この日私は爪切りを持って施設に来ていました。

一週間ほど前から、母はたびたび職員さんに「爪切って」とお願いをしていたと話していました。

ところが、前日までは切ってもらっていなかったので「この日もどうかな?」と思いながら、爪切りを持って行ったわけです。

母の爪は予想以上に硬く、あまり深く切ってはあげられませんでしたが、母は喜んでくれました。

この日の母はリハビリをしたこともあってか、いつも以上に元気があって表情も明るさがありました。

例えば、私が持参した新聞を「見出しはよく見える」と言いながら、声を出して読んだりしていました。

ただ一つ気になったのが、少し声が枯れているように聞こえたことでした。

2023年5月 6日 (土)

極秘情報を披露

4年前の2019年5月6日は曇りで24℃の月曜日、母が施設に3回目の入所をして32日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所でラジオを聴いていて、声を掛けると「パリーグの試合だ」と言い「巨人は5時から」と、よく知っていました。

この日は午前中に入浴をしたそうで「朝一で入った」と教えてくれました。

そして、背中と脚にはクリームを塗ってもらって「気持ちが良かった」と、笑顔で話してくれました。

ただ、それ以外は休日らしくまったりと過ごしていたようで、少し元気がないような感じもしました。

4連休の最終日ということで、連日まったりしていた影響もあったものと思われますが。

その他にも、この日は一日中どんよりとした天気でしたので、外を見る楽しみがなかったことも影響していたかもしれません。

それでも「このごろ新しい人が入ってきた」「その人は認知症らしい」などと新しい話をしてくれました。

そしてその人の行動に問題があるようで、そのために「私の座席が毎日のように変えられる」と愚痴をこぼしていました。

また、若い職員さんが古株の職員さんのやかましさに対して良くない印象を持っているようだ、などと施設の極秘情報を披露してくれました。

連休中は暇なこともあっていろいろな情報が耳に入るようで、母が周囲の状況を気にし始めたように感じました。

いよいよ翌日からは通常に戻るので、母にも元気さが戻るといいなと思いました。

2023年5月 5日 (金)

「会いたいけどねぇ」と残念そう

4年前の2019年5月5日は晴れて25℃の日曜日、母が施設に3回目の入所をして31日目、午後3時50分ころ面会に行きました。

この日はその前に姉と一緒に叔母に会いに行き、その報告も兼ねて姉も面会に来てくれました。

母は食堂のいつもの場所でラジオを聴いていて、声を掛けると「巨人戦だよ」と言っていました。

「今日も負けている」と残念そうに言い「今日負けたら広島に3連敗だ」と、現状の調子の悪さを嘆いていました。

そして姉とともに面会室に移動して、会ってきたばかりの叔母の写真や動画を一緒に見ることにしました。

まず、叔母が車椅子に座る姿を見て「普通だね、別にどこもおかしくないね」と、あまり変わっていないことに安心していました。

動画では叔母が左手を使って母の写真を見ている姿が映っていて、私は母に「喜んでいたよ」と伝えました。

すると母は「そう、良かったね」と答えて、母も叔母の笑顔の写真を見て喜んでくれました。

さらに「会いたいけどねぇ」と、お互いのままならない現状を憂えて残念そうに呟きました。

それでも、最新の叔母の元気そうな様子が伝わって、この日の母はいつも以上に元気に話をしてくれました。

体調にも問題は無さそうでしたが、休日が続いてこの日もまったりと過ごしたそうで、休み明けの体力が少し心配でした。

最後に、久しぶりに来てくれた姉が母の日のプレゼントとして、カーネーションでプードルを象ったバスケットを母に渡していました。

2023年5月 4日 (木)

「また、お会いしましょう」

4年前の2019年5月4日は曇りで25℃の土曜日、母が施設に3回目の入所をして30日目、午後4時ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいてラジオを聴いているようでした。

この日は巨人の試合は放送していないので他のカードを聴いていて、「巨人戦の経過も時々言う」としっかり情報収集していました。

この日も休日なのでまったりと過ごしていたそうで、昼寝をしておやつを食べてトイレに行って戻って来たところだということでした。

朝一でトイレに行ったときに便通があったそうで、その時に少し出血したそうですが「今は大丈夫だった」と安心した表情をしていました。

その後いつものように部屋で着替えながら話をしましたが、むくみはほとんど見られず体調は良さそうでした。

暖かい時季なので代謝がいいということもあったのでしょうが、母は背中を拭いてあげるといつも「気持ちいい」と喜んでいました。

また、前日に「叔母さんに会いに行くよ」と伝えていたところ、やはりかなり気になっていたようでした。

そこで、叔母さんのために母のビデオメッセージを撮ろうと提案すると、母は早速緊張していました。

それでも「私は元気ですよ」、「また、お会いしましょう」と、笑顔で手を振りながら言ってくれました。

特養に入所している叔母の話になると、母はしんみりとしてしまいましたが、良い動画を撮影することができました。

最後に部屋においてある猫カレンダーの写真を見て「子猫がカワイイ」と、母は笑顔で呟いていました。

2023年5月 3日 (水)

フロアでの歩行練習

4年前の2019年5月3日は晴れて25℃の金曜日、母が施設に3回目の入所をして29日目、午後4時ころ面会に行きました。

母がちょうどトイレに入るところだったので、私は先に部屋に行き母を待つことにしました。

トイレから出てきた母のズボンが前日とは変わっていたので尋ねると「濡らしてしまった」とのことでした。

トイレで用を足すときにズボンを降ろす前に出てしまったようで、このようなことがあると精神的なショックが少し心配になりました。

それでも、この日の母も元気にたくさん話をしてくれて、そういった心配は吹き飛んでしまいました。

ところで、前日までは毎日のようにあったリハビリが、連休のためにこの日からは4日間無いことを知らされていました。

そのため、フロアの廊下で歩行器を使って練習をしていた人がいたことを母は話してくれました。

前年の9月ころに、母は歩行器を使ってかなりの距離を歩けるようになっていました。

ただ、ちょうどその頃に施設に入所後3ヶ月を経過したため、それ以降はフロアで歩行練習をすることになると言われていました。

それにもかかわらず母の歩行練習が一向に始まらなかったので、私はその当時問題になった血圧の関係で控えているのかと思っていました。

ところがこの日、母は歩行器で練習していた人について「見てても危ない。あれはやらない」と言っていました。

後にある職員さんも「私たちとの歩行練習を断った」と話していたので、おそらく母が拒否をしていたのだろうと今では考えています。

2023年5月 2日 (火)

「いい天気。外に出たい」

4年前の2019年5月2日は雨のち曇りのち晴れで23℃の木曜日、母が施設に3回目の入所をして28日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所で居眠りをしていたので、挨拶代わりに肩を叩くと目を開けました。

母の話ではこの日もリハビリがあり、午後には入浴をして「疲れた」と言っていました。

この日は午後になってから天気が良くなってきたので、食堂の窓から外を見せてあげました。

すると母は「いい天気。外に出たい」と、意外に積極的な言葉を発しました。

私としては一か月前に退院したときに、いつか散歩に連れて行ってあげたいと思っていましたが、何か催促された感じになってしまいました。

確かに散歩をするには良い時季になってきていて、母はリハビリに行った際には時々外を見ているとも話していました。

そして、このころはリハビリのある日が続いたこともあって、夜もよく眠れると言っていました。

ただ、この日は朝一にリハビリに行ったそうですが、翌日からは連休で4日間お休みだと言われたようでした。

母はリハビリが生活のリズムの中心になっている感じもあったので、リハビリの休みが続くのは少し心配がありました。

また、入浴した後にはクリームを塗ってもらって、その際に「爪を切って欲しい」と伝えたということでした。

前日から爪を気にしていましたが「そのうち切ってもらえそうだ」と、母は嬉しそうに笑っていました。

2023年5月 1日 (月)

「爪、切って」

4年前の2019年5月1日は曇り時々雨で23℃の水曜日、母が施設に3回目の入所をして27日目、午後4時ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、座席が移動していて向こう側を向いて座っていたので表情はわかりませんでした。

母の話では、この日も午前中にリハビリがあって、最後に3回立ち上がって外を見たということでした。

そしておやつを食べた後には便通もあって、この日も体調は問題なさそうでした。

ただ、座席が変わってエアコンの風が頭に当たることがあるので「寒い」と話していました。

そのため、着替えの際には少し厚手の帽子に交換してあげました。

この日は雨が降ったこともあり蒸し暑く、エアコンが活躍していて少し気になるようでした。

このころからは時々、エアコンの風で寒さを感じることがあり、母はしばしば愚痴を言っていました。

ただ、施設の部屋は西向きで暑いことが多く、エアコンが効かないと大変な暑さだったので、やむを得ないことではありましたが。

その暑さもあったのか前夜は何度か目が覚めて、そのたびにラジオを聴いていたと母は話していました。

また、爪が伸びてきたことを気にしていたので「『爪、切って』と、皆の耳元で囁くようにね」と言うと、母は笑っていました。

最後に、翌日の天気予報が良くなかったので「もしかすると、来ないかもしれない」と伝えると、母は頷いていました。

« 2023年4月 | トップページ | 2023年6月 »

最近の写真