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2023年4月

2023年4月30日 (日)

すぐに診察

4年前の2019年4月30日は雨で17℃の火曜日、母が施設に3回目の入所をして26日目、午後2時30分ころ施設に行きました。

この日は4月上旬に退院してから2度目の通院ということで、いつもよりも早めの時間に行ったわけです。

母は昼寝中ということで部屋に行ってみると、ベッドの上でよく眠っていました。

後で確認してみると「今日も午前中にリハビリがあったのでよく眠れた」と、話していました。

看護師さんに母の状況を尋ねてみると、「朝、寝起きに血圧が高いときがある」ということでした。

その後、病院に行きレントゲンを撮ると「すぐ呼ぶので、診察室の前で待っていてください」と言われました。

ということで、診察室の前で母とともに待つ間もなく、患者さんが一人出てくるとすぐに呼ばれました。

かなりの回数この病院に通っていましたが、ほとんど待たずに呼ばれたのはこの時くらいだったでしょうか。

診察では先生が新旧のレントゲンを比較して「良化していますね」と言ってくれましたが、私にはほとんど同じように見えました。

また血液検査の結果では少し貧血が進んでいるようで、鉄分の薬を追加することになりました。

ただ、この日は病院で待たされなかったこともあり、母は「ほとんど疲れなかった」と言っていて、体調は良さそうでした。

元気な母は施設に戻ってからおやつを食べて、その後にもいろいろと話をしてくれました。

2023年4月29日 (土)

「隣の人と話をしていた」

4年前の2019年4月29日は曇りで19℃の月曜日、母が施設に3回目の入所をして25日目、午後4時ころ面会に行きました。

母が食堂のいつもの場所にいたので挨拶をすると「お風呂から上がったばかり」と言っていました。

そして「お風呂で初めて泡をかけてもらった」と言い、それが「気持ち良かった」と喜んでいました。

また、テレビで野球をやらないことを愚痴っていて、このころはテレビを見なくなっていた母にしては珍しいなと思いました。

おそらく体調も安定していて元気があるので、野球を見ることに興味が湧いてきたのかもしれません。

珍しいといえば「昼寝をしていない」と言っていて、その時間は「隣の人と話をしていた」ということでした。

昼寝をしないことは時々ありましたが、人と話をしていて昼寝をしなかったというのは初めて聞きました。

その人は黒板の文字や数字を読んでいたそうで、私はあまり知りませんでしたが、新しい人が来ることが時々あったのでしょう。

母から何度か新しい入所者のことを聞いたことがありましたので、私が考えている以上に人の入れ替わりがあったのかもしれません。

いずれにしても、母が昼寝もしないで人と話をすることを楽しんでいたのは悪いことではないな、と私は思いました。

また、前日の食事について尋ねると「トマトやキウイはおいしかった」と言い「ここでは出ないから」と続けていました。

この日の母は、お風呂上がりで気分が良かったこともあってか、眠気も見せずに元気な声でたくさん話をしてくれました。

2023年4月28日 (金)

「お待ちかねですよ」

4年前の2019年4月28日は晴れて17℃の日曜日、母が施設に3回目の入所をして24日目、午前11時30分に面会に行きました。

この日は前週の日曜日に続いて2度目の母との昼食ということで、サンドイッチなどを作って持って行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、挨拶をする前に職員さんが私に「お待ちかねですよ」と話しかけてきました。

また「サンドイッチを食べるんですよね」と職員さんが口々に言っていて、すでに皆さんに知れ渡っているようでした。

母を連れて面会室に行くと、この日は空気が澄んでいて西側の窓から富士山がくっきりと見えていました。

母に教えると、母も「しっかり見えた」と言っていて、思っていたよりもまだ雪を被った白い姿をしていました。

母がウチにいたころは、朝食はパンを食べるのが習慣になっていて、その際の飲み物はよく紅茶を飲んでいました。

ということで、この時も紅茶を淹れてあげて大根の煮物、トマト、キウイフルーツなどをパンと一緒に食べました。

しばらく食べてから、母は「満腹になった」と言いましたが、さすがにウチにいた当時ほどは食べなくなっていました。

それでも年齢の割には食欲は旺盛で、この日の体調も良さそうでした。

その後は部屋に戻って着替えをすると、背中に汗を掻いていたので拭いてあげると「気持ちいい」と、母は喜んでくれました。

この日の見事な景色や母と過ごした楽しい時間はとても印象的で、今でもよく思い出します。

2023年4月27日 (木)

「ちゃんちゃんこは、いらないよ」

4年前の2019年4月27日は曇りで17℃の土曜日、母が施設に3回目の入所をして23日目、午後4時ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、珍しくテレビの方を向いていましたが、そのテレビには巨人戦が映っていました。

その母に挨拶をする前に、私は職員さんに「明日は昼食を持ってきます」と、伝えておきました。

それから母に話を聞くと、テレビで野球をやっているのは分かっていましたが「よく見えないし聞こえない」と、言っていました。

とりあえずこの日も、部屋に行って着替えをしながら話をすることにしました。

この日の母は「寒い」と言っていて、カーディガンの上にちゃんちゃんこを着ていました。

着替えている間も、またその後も「寒い」というので、パジャマも冬の厚手のものを用意してあげました。

それでも、この日もリハビリがあったということで、体調も良さそうで元気がありました。

前の入院が長引いたことで、結局この週は5回もリハビリができて、母の心身にとって良い刺激になっているようでした。

また、近いうちにウチの土地が売れそうなめどが立ったので、そのことを母に報告をしました。

「土地が売れたら、母さんにちゃんちゃんこを買ってあげられそうだよ」と、私は母に言いました。

すると母は「ちゃんちゃんこは、もういらないよ」と、言いながら笑っていました。

2023年4月26日 (水)

「お昼寝もよく眠れた」

4年前の2019年4月26日は曇りで13℃の金曜日、母が施設に3回目の入所をして22日目、午後3時15分ころ面会に行きました。

少し早めに行ったので、ちょうど母はおやつを食べているところでした。

見たところ蒸しパンのようなものを食べていて、私は先に部屋に行って待っていることにしました。

しばらくして現れた母の様子は、時間がいつもよりも早いこともあってか、少しボーッとした表情をしていました。

それでも前夜にいい便通があったそうで、そのためか「よく眠れた」と嬉しそうに笑っていました。

ただ、前夜は暑かったためにエアコンが効いていたそうで「頭の辺りが寒かった」とも言っていました。

また、この日は曇りで部屋に西日が入ることもないので「お昼寝もよく眠れた」ということでした。

いずれにしても、リハビリもなくまったり過ごしていたようでしたが、この日の母も元気に話をしてくれました。

もう4年も前のことになりますが、毎日振り返っているといろいろと思い出すことがあります。

その一つは、母がこの年の4月始めに退院したときには、もう少し暖かくなったら散歩に連れて行きたいと考えていました。

ところが、この時期は例年のことですが、すぐに日差しが暑いくらいになってしまいます。

そのため、実際に母と散歩をしたのはこの年の秋になってしまい、結局3回だけだったことは今でも残念に思います。

2023年4月25日 (火)

「サンドウィッチが食べたいね」

4年前の2019年4月25日は曇りで24℃の木曜日、母が施設に3回目の入所をして21日目、午後4時ころ面会に行きました。

ちょうど母がお風呂に行っていたので、私は部屋に行って洗濯物を整理しながら母を待つことにしました。

しばらくして現れた母の話では、この日も午前中にリハビリがあったということでした。

これでこの週は月曜日から四日続けてリハビリがあり、そのおかげもあってか母の体調はずっと良さそうでした。

そして、昼食後はいつものように昼寝をしてからおやつを食べて、その後にお風呂に行っていたとのことでした。

なかなか忙しく過ごしていたようでしたが、この日も元気よくいろいろな話をしました。

まず、私が施設に来る途中で撮影したツツジの写真を見て「きれい」と、母は喜んでくれました。

そして、前日のことも良く覚えていて、巨人が勝ったと嬉しそうに言いました。

このところ夜は寝ながらラジオを聴いていて、前夜も目が覚めたときに野球の結果を言っていたので知っているということでした。

この頃は巨人の調子が良かったこともあり、母も楽しそうに野球の話題をよく話していました。

最後に「次の日曜日も一緒にお昼を食べようか?」と尋ねると「そうだね」と、母は頷いて言いました。

何か希望する食べ物を聞いてみると、母は「サンドウィッチが食べたいね」と答えてくれました。

2023年4月24日 (月)

「巨人が大勝した」

4年前の2019年4月24日は曇りで20℃の水曜日、母が施設に3回目の入所をして20日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて挨拶をすると「今、リハビリから戻って来た」と言いました。

少し疲れ気味に見えたので話を聞くと「お昼寝をしていないから」とのことでした。

その理由は、便秘のための座薬を入れたので万一のために寝ないでタオル折りをしていた、と言っていました。

そしてリハビリに行く前に便通があったそうで、安心してリハビリに励むことができたようでした。

そのリハビリも月、火、水曜日と連続してあり、その効果もあってかこの日も母は体調が良さそうでした。

前日のことも良く覚えていて、介護保険の更新のために来た人がこの施設のケアマネジャーの後輩だったとのことでした。

そのためもあってか、その人が面接後に改めて挨拶に来てくれたということを話してくれました。

また、前日はラジオでナイターを聴いて「巨人が大勝した」と喜んでいました。

そして、この日の日中も暑い室内で「ラジオを聴いて楽しんだ」とも言っていました。

食事に関しては「穴子かウナギのような味が付いたモノが出て、それがおいしかった」と、笑顔で教えてくれました。

最初は暑さと昼寝をしていないことで元気がないかと思えた母でしたが、話をするといつも通り機嫌がよく、元気もありました。

2023年4月23日 (日)

異性による介護

4年前の2019年4月23日は晴れて24℃の火曜日、母が施設に3回目の入所をして19日目、午後3時ころ施設に行きました。

この日は介護保険の更新のための面接が予定されていたので、少し早い時間になりました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが「今さっきお昼寝から起きたところ」と、眠たそうな表情で言いました。

この日も午前中にリハビリに行ったとのことで、今週も二日続けてリハビリがあり、体調は良さそうに見えました。

また、この日も気温が24℃にまで上がったこともあり「室内にいても暑い」と、少し気怠そうな顔で言っていました。

その後、介護保険に関する面接が始まりましたが、母の応答はハキハキしていて年齢を感じさせないモノがありました。

その様子は、あまり元気そうにしていると介護の等級が下げられるのではないかと、私が余計な心配をするほどでした。

この時の面接の中で印象的だったのが、母が「最初は男の人に介護されるのが恥ずかしかった」と言ったことでした。

母は施設に入所前の入院時に、とても元気で陽気になりましたが、その病院の母のフロアには女性の看護師さんしかいませんでした。

看護師さんたちとの会話や触れあいを楽しむことで、母が明るさを取り戻して元気になっていくのを私は目の当たりにしました。

ところが施設に移るとフロアの介護士さんには男性もいて、母としては少し違和感があって会話も難しかったものと思います。

それでも「今では慣れました」と、この時の母は笑顔で話していました。

2023年4月22日 (土)

4月の誕生会で久々の煎餅

4年前の2019年4月22日は晴れて25℃の月曜日、母が施設に3回目の入所をして18日目、午後4時ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、外の気温が25℃にまで上がったこともあり、ポロシャツ姿で暑そうな表情をしていました。

声を掛けると「リハビリから戻って来たところ」と言っていて、今週も早速月曜日からリハビリがあったとのことでした。

この日は午前中に入浴をして、昼食後は昼寝をして目が覚めると歌声が聞こえたそうでした。

眠っている間に4月の誕生会が行われていて、この日はケーキを断り煎餅をもらって「久しぶりに食べて、おいしかった」と言っていました。

歯のない母はウチにいるころ、前日の海苔巻き同様に煎餅もほとんど食べなかったのですが、施設での生活の方が歯の調子も良いようです。

この日は入浴をしていましたが、リハビリに行って汗を掻いた母の肌着を夏物の半袖に替えてあげました。

入浴をした日には着替えないことがほとんどでしたが、この日は室内も暑いので母も喜んでくれました。

また、前日の一緒に食べた食事について尋ねると「トマトがおいしかった」と言っていました。

前日のメニューは全体的に気に入ってくれたようで、次の日曜日も何か持って来ようと私も元気になりました。

他には巨人が阪神に3連勝したことや、ツツジや藤の花が見頃になってきたことなどを楽しそうな笑顔で話をしました。

この日は入浴、誕生会、リハビリと大忙しで暑そうにしていましたが、相変わらず母はご機嫌でとても元気でした。

2023年4月21日 (金)

かんぴょう巻きを平らげる

4年前の2019年4月21日は曇りで23℃の日曜日、母が施設に3回目の入所をして17日目、午前11時30分ころ面会に行きました。

この日は前から昼食を持ってくることを約束していたので、私は朝から煮物などを作り、他に『穴子寿司』などを途中で買っていきました。

母は食堂のいつもの場所にいて、部屋が暑いからか少し眠たそうな表情をしていました。

面会室に移動して、まず母のために特に軟らかく作った煮物を食べてもらうと、一言「おいしい」と言ってくれました。

それからトマトを食べると「昔ながらの味がする」と、おいしそうに二切れ目を口にしました。

そしてウチにいた頃はあまり出さなかったキウイフルーツを食べて「おいしい」と言っていて、意外に好みだったようでした。

メインは『穴子寿司』を含んだ様々なお寿司で、私の予想以上に母は以前と変わらない食べっぷりを見せてくれました。

ウチにいた当時の食べ方として、母は歯がないので噛み切れない物は口から出したり食べなかったりしていたものでした。

ところがこの日は驚いたことに、母はかんぴょう巻きを全て平らげていました。

私の記憶では、以前はかんぴょう巻きはかんぴょうを出していたと思うのですが、施設に入ったら全て食べられるようになっていました。

確かに食べる量は少し減ったように思いましたが、お箸の使い方や食べ方などは以前と変わらない感じがしました。

何よりこの日の母も元気で、次から次とおいしそうに食べてくれたので、是非また何か持ってきてあげたいと思いました。

2023年4月20日 (木)

『穴子寿司』に気が逸る

4年前の2019年4月20日は晴れて19℃の土曜日、母が施設に3回目の入所をして16日目、午後4時ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、少し眠たそうな表情で「暑い」のだと言っていました。

この日も午前中にリハビリがあったそうで、何とこの週は4回もリハビリに行ったことになりました。

そして昼食後には昼寝をして、おやつを食べてから、くつろいでいたということでした。

ところで、この日の昼食は以前も出たことのある短いうどんだったそうで「味は今イチだけど全部食べた」と胸を張っていました。

また、便通もあったということで体調に問題は無く、ただ暑さに少し参っている様子でした。

ということで着替えの際には背中を念入りに拭いてあげると「気持ちいい」と、喜んでくれました。

そして、この日の昼食にうどんが出たときの話では、私が来れなくなったので自分だけ『うどん』になったと思ったと話していました。

それは前日私が「お昼に『穴子寿司』を持ってくる」と言ったため、それが日曜日のことではなく今日だったと思っていたようでした。

そこで改めて「明日の11時半頃『穴子寿司』を持ってくる」と伝えておきました。

母が「食欲はある」と言っていたので、煮物なども作って持って来てあげようと思いました。

それにしても、母に予定を早めに伝えると、気が逸ってしまうというのは変わらないままでした。

2023年4月19日 (水)

「穴子寿司、楽しみだね」

4年前の2019年4月19日は晴れて24℃の金曜日、母が施設に3回目の入所をして15日目、午後4時ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、どこか眠たそうな元気の無いような表情をしていました。

まず私が「ウンチ出た?」と、前日座薬を入れた母に挨拶代わりに言うと、母は「出過ぎた」と苦笑いをしていました。

母の部屋に行ってその続きを聞くと、座薬が効いたようで、トイレで出した後に昼寝をしている間にも出てしまったということでした。

おそらくその経過からして、この日は昼寝をする時間がかなり短くなったのでしょう。

なんとなく母に元気が無く、眠たそうな表情をしていた訳が分かったような気がしました。

それでも母は「全部出て、お腹が軟らかくなった」と、安心したように笑っていました。

この日は午前中にリハビリがあったそうで、何とこの週は3回リハビリをやったことになりました。

また、前日見つけた習字の作品について尋ねると、母は「筆の具合が良くなかった」と少し不満そうに話していました。

そして、今度の日曜日の昼食に「穴子寿司を持ってくるよ」と伝えると、母はとても喜んでくれました。

この日は最初、便通のことが気になって心配していたのか静かな感じの母でした。

それでも話をしているうちに声も元気になってきて、最後は「穴子寿司、楽しみだね」と満面の笑みでした。

2023年4月18日 (火)

最後に入浴

4年前の2019年4月18日は晴れて22℃の木曜日、母が施設に3回目の入所をして14日目、午後4時ころ面会に行きました。

母が食堂のいつもの場所にいなかったので、職員さんに尋ねると「少し前にお風呂に行った」ということでした。

そのため、持参した洗濯物を母のタンスに収めてから、9階に行ってお風呂場の前で待つことにしました。

その前に職員さんに、次の日曜日に穴子寿司などの昼食を持って来ようと考えていることを伝えました。

また、もう少し暖かくなったら散歩に連れて行きたいということも話しておきました。

その後でお風呂場の前にいると、母は最後に出てきました。

このところ便通が無いので座薬を入れてもらったそうで、漏らしてはいけないと思って最後に入浴をしたと笑っていました。

入浴後でスッキリした表情の母はこの日も元気で顔色も良く、便通以外に何も心配はなさそうでした。

この日は午前中にリハビリがあり、その最後に立ち上がって外を見ると、まだ桜が残っていて「きれいだった」と感動の面持ちでした。

また、前夜もよく眠れたと言っていて、この日もリハビリと入浴をしたことで「よく眠れそうだ」と気分も良さそうでした。

そして、母をフロアの食堂に戻してあげた時、その壁に新しい習字の作品『こいのぼり』が貼ってあるのを見つけました。

この日は明るい面会室で元気な母と楽しく話ができて、このような日は私も帰り道が気分良く歩けたものでした。

2023年4月17日 (月)

『花見会』と海苔巻き

4年前の2019年4月17日は曇りで21℃の水曜日、母が施設に3回目の入所をして13日目、午後4時ころに面会に行きました。

この日の母は食堂のいつもの場所で居眠りをしていました。

挨拶をして話を聞いてみると、午後に『花見会』という催し物があったそうで、昼寝をしていないと言っていました。

『花見会』といっても演芸会のようなモノだったそうで、皆で歌を歌ったりしたということでした。

昼食後に9階の面会室に集まって行われたとのことで、昼寝の時間が無くなってしまったこともあって、母は少しお疲れの様子でした。

それでも眠たそうな表情をしながらも、母は「楽しかった」と笑顔で振り返っていました。

母が施設に入所する前にウチで過ごしていた頃、私は母がこのような施設に馴染めるとは思っていませんでした。

そして施設に入所後も、様々な催し物をどこまで楽しんでくれるか、半信半疑でいました。

それが母は積極的に催し物に参加して、その上いつも「楽しかった」と言っていて、予想外でしたが私にとっても嬉しいことでした。

『花見会』で楽しんだ母はこの日も元気でしたので、私は前日主治医に許可を得た食事について希望を聞いてみました。

すると「海苔巻きが食べたい」と言っていて、和食それも酢飯を使ったご飯のような物が頭に浮かんだようでした。

「前日はよく眠れた」と言う母は体調も良さそうで、なるべく早く食べたいものを持ってきてあげたいと、改めて感じました。

2023年4月16日 (日)

桜と新緑

4年前の2019年4月16日は晴れて22℃の火曜日、母が施設に3回目の入所をして12日目、午後2時30分に施設に行きました。

この日は病院で受診をするので少し早めに母のいるフロアに行きました。

今回はまずレントゲンを撮る必要があったので、一度病院に行ってレントゲンを撮り、診察で呼ばれるまでは施設で待つことにしました。

レントゲンを撮りに行った際には、病院の南側にある公園の風景を窓越しに母に見せてあげました。

そこには桜の木があり、ほとんど葉桜という感じでしたが、それでもまだピンクの部分が残っていました。

それは母にもよくわかったようで、真剣な面持ちでこの年の最後の桜を楽しんでいました。

また、その周囲には新緑が風に揺れていて、母にはその様子もしっかりと見えているようでした。

このところ意識がはっきりしていて、この日の目の調子も良さそうで、母は外の風景をしばらくの間眺めていました。

その後の診察では、私が心配していた貧血がやや良化していてその点では嬉しく思いました。

全体的に悪化は見られず安心したところで、私は主治医にそれまで気になっていた食事と散歩について尋ねてみました。

母が食べたいものを持ってきてあげることと、散歩に連れて行くことができるかどうかを訊いてみたのでした。

どちらも許可をいただきましたが、まず日曜日の昼食を持って来ることから始めることになりました。

2023年4月15日 (土)

「脚が浮いて気持ちよかった」

4年前の2019年4月15日は晴れで22℃の月曜日、母が施設に3回目の入所をして11日目、午後3時40分ころ面会に行きました。

母がいつもの場所にいなかったので部屋に行ってみると、そこにも母はいませんでした。

月曜日なのでお風呂の予定があったはずで、洗濯物をチェックしてみるとタンスの中にすでに洗濯物が置いてありました。

しばらく部屋で待っているとベッドの辺りに西日が当たっていて、ベッド上の気温が26℃と、とても暑くなっていました。

その後職員さんに話を聞くと、母はリハビリに行っているところだということでした。

そこで、私も久しぶりにリハビリルームに行ってみると、ちょうどリハビリが終わったところでした。

リハビリを終えて元気そうな母を連れて、こちらも久しぶりに最上階の面会室に行き話をすることにしました。

面会室にも西日がたっぷり入り込んでいて、窓際はとても暑くまぶしかったので、日陰を選んで話をしました。

母は入浴の話をしてくれて、退院後としては始めて湯船に浸かったそうで「脚が浮いて気持ちよかった」と、笑っていました。

また、そのためか「昼寝がグッスリ眠れた」と嬉しそうな笑顔で話していました。

その後は母の部屋に戻って、ラジオの話や野球のことなどを楽しそうに話してくれました。

この日は午前中に入浴して午後はリハビリと活動的に過ごしたこともあってか、いつも以上に元気な声がよく出ていました。

2023年4月14日 (金)

「昼寝で熟睡した」

4年前の2019年4月14日は曇りで18℃の日曜日、母が施設に3回目の入所をして10日目、午後3時50分ころ面会に行きました。

母はいつもの場所で居眠りをしていて、肩をトントンと叩いてみましたが、すぐには起きませんでした。

よく眠っていたようで寝ぼけ気味だったのか、目を覚ました後もまだ夢の中のような話をしていました。

まず「今日はお風呂に入った」と言っていましたが、日曜日なので入浴はしなかったはずでした。

その後に着替えのために部屋に行くと、パジャマや肌着などが洗濯物としてまとめてありました。

母に尋ねると「トイレで少し濡らしたかな?」と、こちらもはっきりとはしませんでしたが、そのような状況があったようでした。

トイレを使うようになり、おしめが減って楽になったということでしたが、逆に衣類を濡らしてしまうケースも出てきました。

高齢者にとってはこういうことが精神的な苦痛になることもあるので、ちょっと気になることではありました。

それでも、この日も母は元気があり体調は良さそうで、いつものようにたくさん話をしてくれました。

ただ「面白い絵本を見た」とか「童謡の替え歌を歌った」という内容で、今ひとつ私には理解できないことも言っていました。

おそらく日曜日なので暇な時間があり、その時に絵本を見たり替え歌を歌ったりしたのだろうと思いました。

ただ「昼寝で熟睡した」とも話していたので、もしかすると全て夢の中の出来事だったのかもしれませんが。

2023年4月13日 (木)

「一番良い桜を見た」

4年前の2019年4月13日は晴れて18℃の土曜日、母が施設に3回目の入所をして9日目、午後3時40分ころ面会に行きました。

母はいつもの場所にいて、挨拶もそこそこに元気な声で話し始めました。

まず、前日はトイレに行くたびに便通があったのに、この日はまだ出ていないと言っていました。

また、朝からリハビリがあったこと、そしてリハビリルームの外に出て眼下の桜を見たことを教えてくれました。

そして「良い天気で穏やかな日和の中、きれいな桜が見られた」と、嬉しそうな笑顔で言いました。

それに加えて「今までで一番良い桜を見た」と、いかにも感激したというような表情をしていました。

というのも、母は前年に脚を骨折してから脱水症状で意識を無くして入院するなど、いろいろと大変な時期がありました。

その頃のことを思い出して、後に母は「あの頃は少しおかしかったね」と振り返っていました。

私は当時の母の状況を見て『もうダメなのかな』と思ったことも正直ありました。

母がどこまで当時のことを記憶しているのか分かりませんが、おそらく母も諦めた瞬間があったのかもしれません。

そういう時期を経たので、翌年の桜を見ることができて感激したというのは、無理のないことのように思いました。

ただ、残念ながらこの日の『一番良い桜』が、母の見た最後の桜ということになってしまいました。

2023年4月12日 (水)

「『頭がカッコイイ』と言われた」

4年前の2019年4月12日は曇りで13℃の金曜日、母が施設に3回目の入所をして8日目、午後3時40分ころ面会に行きました。

母はいつもの場所にいて、「おやつを食べてトイレに行くのを待っている」と言っていました。

便通は「朝少しあった」そうで、その他にも時々出ているということで、体調は良さそうでした。

「便座が暖かくていいけど、ずっと座っていると脚が痛くなる」と、苦笑いをしながら続けて言いました。

そしてこの日は朝一でリハビリがあり、そのためか昼寝がよく眠れたと嬉しそうに話してくれました。

また、「リハビリにも慣れてきた」「最後に立って横に1、2歩歩いた」と、好きなリハビリを振り返っていました。

それから前日の夕方に髪を切ってもらったそうで、「髪が少なくなった」と笑顔で言いました。

「皆が『頭がカッコイイ』と言ってくれた」と喜んでいて、そのために帽子を外していたようでした。

そこで写真を撮って母に見せてあげると、「顔がでかいね」と、髪とは関係ない自分の顔の感想を述べていました。

また、髪と一緒に顔を剃ってもらったそうで「だいぶ寒いよ」と、スッキリした襟足と顔がひんやりしている様子でした。

それでも髪がサッパリして気持ち良かった上、皆に「カッコイイ」と褒められて、この日の母はいつも以上に上機嫌で話をしてくれました。

退院後すぐに頼んだ整髪でしたが、母は「昨日の夕方、最後にやってもらった」と、本当に嬉しそうな表情をしていたのが印象的でした。

2023年4月11日 (火)

「スムースに出た」

4年前の2019年4月11日は晴れて16℃の木曜日、母が施設に3回目の入所をして7日目、午後3時35分ころ面会に行きました。

母はいつもの場所にいて、私が挨拶をすると「もうそんな時間なの?」と驚いたように言いました。

ちょうどおやつを食べてくつろいでいたところだそうで、「暑いような寒いような」そんな感じがしているとのことでした。

確かに前日のように寒いことはなかったですが、それほど暑い日でもなく昼寝から起きた母には少し肌寒く感じられたのかもしれません。

それでも母は変わらず元気そうで、朝一でトイレに行って「スムースに出た」と嬉しそうに教えてくれました。

前日からトイレに行って用を足すようになり、母は「トイレが使えた」と喜んでいて、順調に慣れてきている様子でした。

また、この日は朝食後に一番で入浴をしたそうで、入浴後にはたっぷりクリームを塗ってもらったと笑顔で言いました。

ただ、入浴後に半袖丸首の肌着を着たために「首筋が寒い」とも言っていました。

そのため、入浴した日は普通は着替えないのですが、ハイネックの肌着に替えてあげると「暖かい」と喜んでくれました。

着替えるために車椅子からベッドに移った動きも問題なく、かなり体力も回復してきたようでした。

トイレを使えるようになり、生活のパターンが入院前と同様になったこともあって、母の表情にも余裕が出てきたように感じられました。

その余裕のためか、母は爪が伸びてきたことをしきりに気にし始めていました。

2023年4月10日 (月)

連日のリハビリでとても元気

4年前の2019年4月10日は雨で5℃の寒い水曜日、母が施設に3回目の入所をして6日目、午後3時40分ころ面会に行きました。

母がいつもの場所にいなかったので職員さんに尋ねてみると、リハビリ中とのことでした。

前日に続いてリハビリに励んでいるということで、私は『体力の回復も早いかな』と思い嬉しくなりました。

そこで部屋に行って待っていると、この日からトイレを使って排泄をすることになったということを聞きました。

一か月ほど入院していて、その後退院してからもまだトイレは使っていなかったので、かなり久しぶりだったようでした。

そのためかズボンを濡らしてしまったそうで、洗濯物としてタンスの中に置いてありました。

やはり母の年齢で入院をすると、体力が回復して元の生活に戻るまで、かなり時間がかかりそうでした。

ただ、それはやむを得ないことですので、本人も焦らずに少しずつ進んで欲しいと思いました。

やがてリハビリから戻って来た母は、この日の内容について笑顔を交えながら教えてくれました。

ゴムボールを使った運動などをして、以前と同じようなメニューになったと嬉しそうに話していました。

そして連日のリハビリの効果か、母は顔色も良く会話をしていても目や耳の状態も良いことがわかりました。

また、私が持参した新聞の見出しを眼鏡も掛けずに声を出して読むなど、とても元気でした。

2023年4月 9日 (日)

感激の今年の桜

4年前の2019年4月9日は晴れて17℃の火曜日、母が施設に3回目の入所をして5日目、午後3時40分ころ面会に行きました。

母は食堂の定位置にいて元気そうに見え、前日心配した湯冷めして風邪を引くことはなかったようで安心しました。

部屋に行って話をすると、この日はリハビリがあったことを嬉しそうに教えてくれました。

母の話では午前中にリハビリに行き、昼食後には昼寝をしておやつを食べたところだということでした。

リハビリでは先生が「今後は週に3回くらいやります」と言っていたそうで、リハビリが増えると母も元気になるので嬉しく思いました。

ただ、この日は手始めに車椅子に座ったままでできる運動をしただけだったようでした。

それでも最後に窓際で立ち上がり、外の桜を見ることができたそうで、母は「感激した」と、笑顔で言っていました。

また、前年は骨折も含めて3回入院したりして、母は「今年の桜が見られるとは思わなかった」と、神妙な表情で続けました。

おそらくこの言葉は本心から出たもので、この時も直前まで入院していたこともあり、毎回それなりに不安があったのだろうと思いました。

リハビリに行って桜を見た効果か、この日の母も元気な声でたくさん話をしてくれました。

ただ前日の入浴といい、この日のリハビリもかなり疲れたようで、「よく眠ってしまう」と母は言っていました。

一か月の入院後退院してまだ5日目なので、体力が追いつかず「ラジオも聴かないでよく眠れている」という状況だということでした。

2023年4月 8日 (土)

久々の入浴「気持ち良かった」

4年前の2019年4月8日は雨のち曇りで14℃の月曜日、母が施設に3回目の入所をして4日目、午後3時40分ころ面会に行きました。

母が食堂の新しい定位置にいないので、私はこの日から予定されていた以前母がいた部屋に行ってみることにしました。

部屋に近づくと、母が職員さんと話をしている声が聞こえてきました。

母の新しいベッドは以前の場所の向かい側で、同じように窓際だったので『いい場所に決まったな』と、私は思いました。

母はそのベッドに横になろうとしているところでしたが、私が来たことで一緒にベッドに座って話をすることになりました。

この日は午前中に入浴をしたと言っていましたが、よく聞いてみると大事を取ったのかシャワーで済ませたようでした。

それでも母は「蒸し風呂みたいで気持ち良かった」と言い、その後は全身にクリームを塗ってもらったと嬉しそうに話してくれました。

一か月ほど入院していて、その間は入浴はしていなかったはずなので、本当に久しぶりの入浴でした。

母はもう一度「すごい気持ち良かった」とあらためて言い、その後も会話の中でしきりに「気持ち良かった」と強調していました。

帰り際に母の手指や足首を握ると少し冷たくなっていたので、湯冷めをしないように布団を肩まで掛けてベッドに寝かせてあげました。

この日は久しぶりの入浴がとても嬉しかった様子で、母は元気な声でいつも以上に陽気にたくさん話をしてくれました。

そして施設での生活にも少しずつ慣れてきて、母には以前と同じような笑顔が戻って来ていました。

2023年4月 7日 (金)

黒いテニスウェア

4年前の2019年4月7日は晴れて21℃の日曜日、母が施設に3回目の入所をして3日目、午後3時50分ころ面会に行きました。

母は食堂の中の新しい定位置に座っていて、他の入所者の人と話をしていたようでした。

声を掛けると「おやつを食べ終わったところ」と言い、午前中にはタオル折りをしたとも言っていました。

久しぶりのタオル折りでしたが、職員さんも気を遣ったようで「少ししたところで止められた」ということでした。

それを聞いて、徐々に前の生活に戻って行っているようで嬉しい限りでしたが、慌てないでゆっくり進んで欲しいとも思いました。

それから食事の方は完食しているとのことで、お粥ではなく硬いご飯が美味しいと言っていました。

その後、この日まで仮に入っている個室に移動して着替えながら話をすることにしました。

肌着として、ウチにいたころから愛用していた黒いテニスウェアを着せてあげると、母は「久しぶりだ」と嬉しそうに笑顔で言いました。

また、私がスマホで撮影した桜の写真を数枚見せると、母は「懐かしい」と声を上げました。

それは母が80歳くらいまで通っていた書道教室に向かう道が桜並木で、その場所の写真があったからでした。

この時母は91歳になっていましたが、記憶の方は相変わらずしっかりとしていました。

そしてこの日も体調は良さそうで、後は体力が回復して施設の生活に慣れれば問題なし、という感じでした。

2023年4月 6日 (木)

『小さな桜』

4年前の2019年4月6日は晴れて21℃の土曜日、母が施設に3回目の入所をして2日目、午後3時45分ころ面会に行きました。

母は食堂の中の新しい定位置を与えられたようで、そこの場所で居眠りをしていました。

おやつを食べ終わり、そのまま眠ってしまったとのことで、話し始めた時はよくわからないことを口にしていました。

それでも全体的に元気で、目や耳の調子も良さそうで、たくさん喋ってくれました。

この日は午前中にリハビリルームに行ったそうで、ただリハビリそのものはやらなかったということでした。

それでも窓を開けてもらって外の桜を見たそうで、母は「小さな桜だった」と言いながらも嬉しそうな表情をしていました。

ただ、『小さな桜』と言う意味がよくわかりませんでしたが、3階から見下ろしたことと、ほとんど葉桜だったからだろうと理解しました。

それでも、母が楽しみにしていた桜を見ることができたので『本当に良かったな』と、私は思いました。

母の話では、リハビリルームの窓を開けると冷たい風が入ってきたのですぐ閉めたそうでしたが、「桜を見た」と喜んでいました。

また、体調は良いようで「食事は美味しくてほとんど食べている」とも話していました。

ただ、靴下を交換するときに脚を見ると、すでに足の甲からアキレス腱の辺りがむくんでいるようで気になりました。

そこから上は枯れ枝のような細い脚でしたが、座る生活だとすぐにむくみ始めることをあらためて実感しました。

2023年4月 5日 (水)

刺繍をしてくれた看護師さん

4年前の2019年4月5日は晴れて23℃の金曜日、母が3月7日に入院して30日目で退院当日となりました。

午前中の退院が決まっていて、母の移動については病院の隣にある『老健』の方で面倒を見てくれるとのことでした。

そのためこの日は、退院の手続きと施設の入所の手続きをするために、午後2時頃私は施設に向かいました。

まず母に会いに行くと、とりあえず最初の3日だけ使うことになった個室のベッドで眠っていました。

母が昼寝をしている間に職員さんや看護師さんといろいろと話をすることができました。

病院でのカロリー制限がより厳しくなっていることや、血液検査でいくつかの数値が悪化していることなどが分かりました。

その後は病院で退院の精算をしたり、施設で入所の手続きをしました。

30日も入院していたことで、施設でのリハビリが最初に入所した頃のように増えるという説明があり、これは母も喜ぶだろうと思いました。

一連の手続き終了後、再び母のフロアに行くと、ちょうどおやつが終わったところで「久しぶりにどら焼きを食べた」と、母は言いました。

退院時の様子を尋ねると、母は「桜を見るタイミングは無かった」と、残念そうな表情をしていました。

また、病院の看護師さんとも話をしたそうで「ちゃんちゃんこの刺繍をしてくれた看護師さんがわかった」と嬉しそうに言いました。

入院中に母のちゃんちゃんこに、母の名前とウサギを刺繍してくれた看護師さんに対してお礼を言ったと、笑顔で話してくれました。

2023年4月 4日 (火)

桜の中の退院前日

4年前の2019年4月4日は晴れて17℃の木曜日、母が3月7日に入院して29日目、午後3時45分ころ面会に行きました。

この日の母はベッドを半ば起こして手にラジオを持ちながら、イヤホンを左の耳に入れていました。

「今日もそろそろ来る頃だと思った」と言っていて、ラジオを聴きながら私を待っていてくれたようでした。

ただ、イヤホンの調子が良くないとのことで、イヤホンとついでに電池を交換してあげました。

この日はずっとベッドにいて、ずっとラジオを聴いていたということでした。

窓際のベッドなのでラジオの受信状況は良いそうで、前日も巨人が勝って一人で喜んでいたと言っていました。

この日の母も元気で饒舌でしたが、いよいよ退院が翌日に迫って不安も口にしていました。

例えば、ベッドの中で脚を動かしてみた時に「伸ばしたときに膝の裏が痛かった」と少し顔をしかめていました。

それでも気持ちはすでに施設に移っているのか、いろいろ思い出しながらトイレの使い方を私に教えてくれました。

ほぼ一ヶ月ベッドの中にいたので、焦ること無く以前の調子を取り戻してくれればいいなと、私は思いました。

「明日施設に戻るときに、少し遠回りしてもらって桜を見るといいよ」と私が言うと、母は笑顔で頷いていました。

桜はそろそろ散り始めていましたが、なんとか花が残っているうちに退院することができて、母も嬉しそうな表情をしていました。

2023年4月 3日 (月)

「そろそろとは思っていた」

4年前の2019年4月3日は晴れて14℃の水曜日、母が3月7日に入院して28日目、午後3時45分ころ面会に行きました。

この日はその前にお昼頃、母が入所していた病院の隣の『老健』の看護師長さんから電話がありました。

翌々日の5日の午前中に退院して施設に移ることが決まり、母にも話をしたという連絡をいただきました。

突然の感はありましたが、このところの母は体調も良さそうでしたので『待ちに待った』という喜びもありました。

病室に行くと、母はまだカーテンで囲われていましたが、元気そうにベッドに仰向けの姿勢でラジオを聴いていました。

午前中にレントゲンを撮りに行ったことを教えてくれて、「ちゃんちゃんこを着て行ったけど寒かった」と、言っていました。

「桜も見たかったけど……」と続けて「寒いので帰ってきた」と、少し残念そうに言いました。

また、同じく午前中には施設の看護師さんが来たことも、しっかりと分かっていました。

ただ、はっきり退院と聞いた訳ではないようでしたが「そろそろとは思っていた」と、嬉しそうな表情でした。

ここ数日、体調に問題はなさそうな母でしたが、実際に退院の話が出てくると不安なこともあるようでした。

「リハビリもしていないし……」とか「トイレも心配だ」などと、期待とともに不安も抱いている様子でした。

それでもこの日の母は顔色も良くご機嫌で、不安を口にしながらも前向きな感じがしました。

2023年4月 2日 (日)

「やっぱりこの字だ」

4年前の2019年4月2日は晴れのち曇りで13℃の火曜日、母が3月7日に入院して27日目、この日は午後3時45分ころ面会に行きました。

母は3月25日から感染症で隔離されたようになっていて、この日もカーテンで様子が見えなくなっていました。

そのためカーテンの向こう側にまわると、母はベッドに横になってラジオを聴いていました。

挨拶をすると、母は高校野球を聴いているところだと言いながら、「そろそろ来ると思った」と笑っていました。

高校野球の結果もよくわかっていて、元気になって退屈気味なこともあるのかラジオを熱心に聴いているようでした。

前日の会話でも新しい元号が『令和』ということも知っていて、ニュースもよく聴いているのだなと思っていました。

この日は私が持って行った新聞を見て、母は「やっぱりこの字だ」と『令和』の文字を確認していました。

他にも会話の中で「交通事故が多いねぇ」と言っていて、話題も豊富で元気な声でたくさん話してくれました。

また、前日も見せた桜の写真を再び見せると、この日はよく見えたようで「満開だ」と感動していました。

そして『できれば外に出て見てみたい』と口には出しませんでしたが、そのように思っているのではないかと感じました。

それから前日の夕方に主治医が様子を見に来てくれたことも教えてくれました。

感染症から一週間ほど隔離されていた母でしたが、すっかり元気になってこの日の覚醒のレベルはとても良好でした。

2023年4月 1日 (土)

「満開だ!」

4年前の2019年4月1日は晴れのち曇りで16℃の月曜日、母が3月7日に入院して26日目、この日は午後3時40分ころ面会に行きました。

母は3月25日から感染症で隔離されていて、この日もカーテンの向こう側のベッドに仰向けで寝て左耳にラジオのイヤホンを入れていました。

そして、目を覚ました母は「少し前に肌着やパジャマを替えてもらって寒い」と言い、布団を被っていました。

また、私が鞄から新しい帽子を出して被せると、こちらにも「冷たい」と声を出しました。

確かに少しひんやりする空気の日が続いていて、逆にそのおかげで見頃の桜が長いこと残っていました。

そんな桜を母に見せてあげたくてスマホで撮影した写真を、私は母に見せてみました。

最初のうち母は、画面が小さいこともあって「よくわからない」と言っていましたが、慣れてくると「満開だ!」と声を上げました。

また、ラジオの話題になると「昨日、巨人勝ったね」と、母は前日の試合で巨人が勝ったことを知っていました。

ただ、この日は月曜日でプロ野球の試合が無く、元気になってきた母にとって退屈な夜になりそうだと、残念そうな表情をしていました。

この日の日中は窓の外をよく見ていたそうで「朝はよく晴れていたのに、今は雲が増えてきた」と外の状況に興味津々といったところでした。

私が「夕方には雷が鳴るかもしれないらしい」と言うと、母は「早く帰った方がいいよ」と心配してくれました。

また、令和という新元号が発表されたことも知っていて、母は「覚えておけば話の種になるからね」と、笑顔で言っていました。

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