やっと開いた瞼
4年前の2019年3月23日は曇りで9℃の土曜日、母が3月7日に入院して17日目、この日は午後3時40分ころ面会に行きました。
前日の母は元気でしたが調子の波が大きいころでしたので、不安な気持ちを抱きながら病室に入りました。
この日の母も窓側を向いて横になっていて、私が肩を叩くとすぐに話し始めました。
目を閉じたままでしたが話し声は普通で、その点は安心できましたが「ウンチが出て仕方ない、止まらない」と、心配なことを言いました。
「昼食にうどんが出て美味しかった」と話しながら「不安があるのでベッドで食べた」と苦笑いをしていました。
元気さはそこそこという感じでしたが、話し声は明るく意識はしっかりしていたので、楽しく話をすることができました。
そして、いろいろな話をしているうちに母の瞼が開いたので私が手を振ると、それを見た母は笑ってくれました。
この日の母はラジオを聴かずに寝ていたようで、母の友達のラジオは背中側に放って置かれていました。
そろそろ大相撲中継の時間というころに、翌日の日曜日はお昼頃に来ることを約束して、私は帰ることにしました。
ところで、5年前の2018年3月23日に母は椅子から落ちて脚を骨折し、これが『母の第二の人生』が始まる原因になりました。
『この事故が無ければどうなっていたか』ということは何とも言えませんが、間違いなく事故後の母は人生を楽しんでいたと思います。
私がこのブログを始めようと考えたのも、そして今でも記し続けているのは、その時期の母の笑顔が忘れられないからでもあります。
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