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2023年2月

2023年2月28日 (火)

「そういうこと」

4年前の2019年2月28日は雨で8℃の木曜日、母が施設に再入所して95日目、この日は午後4時ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、自分で車椅子を動かしてどこかへ移動しようとしていました。

話を聞いて見ると、私がそろそろ来ると思って迎えに行こうと思った、などと言っていました。

この日は午後に入浴をしておやつを食べたところだそうで、「今日は寝ていない」ということでした。

ある職員さんが「寝ていると息子さんが来るよ」と言ったそうで、昼寝はしなかったそうでした。

実は前日、このところの母の体調に不安があったので、私は面会して帰宅した後に施設に電話をしたのでした。

前日私が電話したことを母は知っていたようで、自分の元気な姿を見せようと思ったのかもしれません。

確かにこの日の母は入浴したこともあってか、このころとしては明るく元気な様子でした。

私が前日の電話は「このごろ鼻声だから熱を測ってください」とお願いしたんだと説明をしました。

すると母は「今日は熱が無かったからお風呂に入れた」と笑顔を見せてくれました。

ただ、この日は朝がとても寒く、母は「朝寒くてね、厚手のパジャマで良かった」と、雨でもやった外を見ながらしみじみ言っていました。

「まだ朝晩寒いかもしれないから、それだけ気をつけてね」と私が言うと、母は「そういうこと」と答えて、よくわかっている様子でした。

2023年2月27日 (月)

「珍しく食事を残した」

4年前の2019年2月27日は曇りで11℃の水曜日、母が施設に再入所して94日目、この日は午後4時ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、いかにも元気がなさそうに見えました。

話をすると、まず「お誕生会をやった」と教えてくれました。

それから部屋に移って話を聞くと、お腹が柔らかく調子が悪いと自ら言っていました。

それでも「お誕生会のチョコレートケーキは美味しかった」と、嬉しそうに笑っていました。

話し声がかすれ気味に聞こえたので、まず血圧を測ると162/63,脈拍は73で、母としては普通の数値でした。

そして、この日午前中にリハビリがあったそうで「1往復歩けた」と、体力も問題なさそうでした。

ただ、このころは何といっても便通が不安で、おやつの前に行きたかったようでした。

それでも職員さんが「おやつの後にしたら」と言うので、「食後に行ったらよく出た」と笑っていました。

元気が出ないのは自覚していましたが、他に風邪のような症状もなく、ただ「珍しく食事を残した」と本人が言っていました、

ただ、いつものように話をしているうちに徐々に元気が出てきて、覚醒のレベルも上がってきたように感じました。

心配なのは、本人が元気がでないと言っている上に、右足に少しむくみが出てきていることでした。

2023年2月26日 (日)

パンで食欲旺盛

4年前の2019年2月26日は曇りで12℃の火曜日、母が施設に再入所して93日目、この日は午後4時ころ面会に行きました。

母が食堂のいつもの場所にいたので挨拶をすると、おやつを食べてトイレに行って手を洗ったところだと教えてくれました。

そして「ウンチがいっぱい出た」と報告してくれました。

このところ便通で悩まされていた母でしたが、この日の表情は少し明るく見えました。

その後、部屋に行って話をしているうちに、意識もはっきりしてきて元気がでてきました。

この日もリハビリはなく、暇な時間にはいつものようにタオル折りをしていたということでした。

いろいろな話をしているうちに、朝食にパンが出たことを思い出したと、母は言いました。

「おかずが足りなかった」、「水浸しのお粥より遙かにいい」と、続けていました。

好きなパンが出たことで食が進み、おかずの量が少なく感じられたようでした。

いずれにしても食欲が旺盛で、その他の体調も良さそうに見え、このころとしては安心して話ができた日でした。

ただ、このころから睡眠時にヨダレが出るようになり、枕カバー、パジャマや肌着を濡らすことが多くなりました。

そのため、この日もそれらが洗い物として、ロッカーの中に置いてありました。

2023年2月25日 (土)

我慢の限界のような表情

4年前の2019年2月25日は曇りで15℃の月曜日、母が施設に再入所して92日目、この日は午後4時5分ころ面会に行きました。

母が食堂のいつもの場所にいなかったので職員さんに尋ねると、入浴が午後になり昼寝をしているということでした。

そこで部屋に行くと、母はベッドにいましたが起きていて「ほとんど寝ていない」と言っていました。

母が厚手の帽子を被っていたので薄手のものに替えてあげましたが、入浴をしたので着替えはそれだけにしました。

この日はレモンのゼリーを持っていき飲ませてあげると、母は半分くらい飲んでいました。

前日の母は便通で悩まされ、夜も出たそうですが、この日はまだ出ていないと言っていました。

「ラジオの調子が悪いから見て」と言うので見てみると、ボリュームが絞られていました。

この日の午前中にはタオル折りをかなりやったそうで、サイズの違うものもあったとのことでした。

そんな話をしているうちに母は「トイレに行きたい」と言い出しました。

「いまにも出そうだ」と慌て始めましたが、車椅子に乗り換える足取りはしっかりとしていました。

エレベーター前まで一緒に行き私を送ってくれましたが、振り返ると母は我慢の限界のような表情をしていました。

便意を催してからあれだけ早いと、確かに間に合わないこともあるだろうと感じ、何か対策ができないかと心配になりました。

2023年2月24日 (金)

二重のショック

4年前の2019年2月24日は晴れて14℃の日曜日、母が施設に再入所して91日目、この日は午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、私が母に挨拶をする前に職員さんが私に話しかけてきました。

その職員さんの話によりますと、昼寝をする際に母がウンチを漏らしてしまい、そのために落ち込んでいるということでした。

改めて母に声を掛けると、職員さんと私が話していたことを気にしていたので、話を聞いた旨を説明しました。

母の中ではその事件は前夜のことか、この日の昼寝の時かよくわからなくなっている様子でした。

結局、一騒動の後に少し横になって眠ったようなので、この時もまだ覚醒のレベルが今ひとつだったようでした。

部屋に行って着替えながら話をしていると「ズボンも汚したらしい」と、母は言いました。

そこでロッカーの中を見てみると、確かに洗ったと思われるズボンが置いてありました。

この日も話をするうちに徐々に元気な声になってきましたが、やはり気がかりなことがあるせいか、いつもの調子ではありませんでした。

「日曜だから期待したけどパンは出なかった」とも言っていて、これも母にとっては残念なことでした。

これまで食事にパンが出るのは日曜日が多かったので、密かに期待していたようでした。

ただでさえ一日ぼんやり過ごすことが多い日曜日に、ショックな出来事が起きて、母の気落ちが長引かないか少し心配になりました。

2023年2月23日 (木)

「あなたの洗濯物」

4年前の2019年2月23日は晴れて15℃の土曜日、母が施設に再入所して90日目、この日は午後3時45分ころ面会に行きました。

母が手を洗っている姿を見かけたので、挨拶をすると「タイミング良かった」と、ちょうどトイレから出てきたということでした。

母は続けて「暑い」と言っていて、その言葉を聞いたとき私は『少し元気がないのかな』と感じました。

話を聞いてみると「今日はなにもないよ」、「ずっと寝てた」ということで、覚醒のレベルが今ひとつのようでした。

そして睡眠中にヨダレで服を濡らして着替えたので、洗濯物として置いてあることを教えてくれました。

また、このところ気になる血圧を測ってみると170/64で、いつもの母の数字でした。

食事は全部食べたと言っていて、便通もあったそうなので体調は悪くなさそうでした。

ただ、「脚のむくみが少しあるね」と私が言うと、母は「何もしてないからね」とリハビリがないのが寂しそうでした。

「それはいけないね」と私が答えると、母は「いけないよ」と自嘲気味に言っていました。

それでも、この日もいろいろと話をしているうちに母の頭も起きてきたのか、声にも元気が出てきたように感じました。

帰り支度をする私の荷物を見て母が「重そうですね」と言うので、私が「あなたの洗濯物」と返すと、母は大笑いをしていました。

最後に私が「また来ます」と挨拶をすると、母は「お願いします」と笑顔で言ってくれて、元気がない訳でもありませんでした。

2023年2月22日 (水)

一瞬、驚くべき数字

4年前の2019年2月22日は晴れて15℃の金曜日、母が施設に再入所して89日目、この日は午後4時5分ころ面会に行きました。

母が食堂のいつもの場所にいたので挨拶をすると、母は「手にクリームを塗っていた」と言いました。

よく見ると母の隣には誰も座っていない椅子が置いてあり、少し前までそこに看護師さんがいて母の手にクリームを塗っていたようでした。

部屋に行って話をすると「おやつを食べたときフラフラした」と、母は少し心配になるようなことを言いました。

よく聞いてみると、いつものように午後は昼寝をしていて、おやつの直前までぐっすり眠っていたとのことでした。

その後、おやつを食べてトイレに行き、その後にクリームを塗ってもらっていたという流れだったそうです。

そして「その最中にフラフラした」と母が言うので、血圧を測ってみました。

最初の結果が85/54という驚くべき数字でしたが、この時は腕を動かしていたように見えたので、改めて測ってみました。

その結果は170/67、170/59で、少し高いながらもいつもの母の数字でしたので安心できました。

それにしても、最初の数値は本当に誤っていたのか今でもわかりませんが、その後にそれらしい数字が出てホッとしたことを覚えています。

母もフラフラしたということで最初のうちは不安そうでしたが、話をしているうちに段々と元気が出てきたように見えました。

そして、私が帰る時にはエレベーター前まで見送りに来てくれて、笑顔で手を振っていました。

2023年2月21日 (火)

『けん玉』で思い出す

4年前の2019年2月21日は晴れて15℃の木曜日、母が施設に再入所して88日目、この日は午後4時5分ころ面会に行きました。

母が食堂のいつもの場所にいなかったので、職員さんに尋ねると部屋で寝ているということでした。

木曜日なので入浴の予定があったはずですが、それが午後になったそうで、入浴後におやつを食べて寝ているとのことでした。

そこで部屋に行くと、母はいつものように左側を下にして横になっていました。

少しの間様子を見ていると、母が動いたのでトントンと肩を叩くと目を開けました。

「少し前に起きていた」と言いながら、母はベッドの手すりを使って上手に起き上がりました。

この日は入浴をしたので着替えはしませんでしたが、脚に保湿クリームを塗っていないと言っていました。

「背中は塗ってくれたけど脚は塗っていない」とのことで、脚にだけローションを塗ってあげました。

そしてベッドから車椅子への移動は、ここ数日と違って「踵も痛くない」と言っていて、結構楽に移動していました。

また、入浴前に便通があって体調がよいとのことで、ヤクルトを一本おいしそうに飲み干しました。

それから、私が持参した『三山ひろし』のカセットを聴かせると、「いい声だね」と言いながらも、良く覚えていない様子でした。

以前は良くテレビで見ていたので、私が「けん玉の得意な人」と言うと、母はなんとなく思い出したような表情をしていました。

2023年2月20日 (月)

ネタはわからない

4年前の2019年2月20日は晴れて暖かい19℃の水曜日、母が施設に再入所して87日目、この日は午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、挨拶をすると「今日も工作をした」と教えてくれました。

話を聞くと、紙を塗らして丸めた玉のようなものを作っていたということでした。

おそらくひな祭りにちなんだものと思われますが「作品が出来上がらないと何に使うのかわからない」と、母も言っていました。

その後部屋に移り、着替えながら話を続けました。

この日は午前中にリハビリがあり、久しぶりに一往復歩いたということでした。

ただ、前日も話していたのですが「右足の踵に力を入れると痛い」という状態は続いているようでした。

そして午後はいつものように昼寝をして、背中には前日に病院から出してもらった薬を塗ってもらって「全然痒くない」と笑顔で言いました。

また、昼食には「お寿司が出た」と言っていましたが、「ネタがなんだかわからなかった」と苦笑いしていました。

母は「魚の切り身かな?」とも言いましたが、施設で生ものが出るはずはないので、焼き魚だったのでしょうか。

いずれにしても母が喜んでいましたので、楽しく食事ができて良かったと思いました。

暖かくなったこの日も母はヤクルトを一本おいしそうに飲み、体調も良さそうで元気にたくさん話をしてくれました。

2023年2月19日 (日)

「塩分が足りない」

4年前の2019年2月19日は曇りで14℃の火曜日、母が施設に再入所して86日目、この日は午後2時30分ころ施設に行きました。

通院の日ということでいつもよりも早い時間に行ったわけですが、母はいつもの場所で何か工作をしているところでした。

通院の前に、このころ少し心配になっていた血圧を測ってみると178/64、脈拍は75でした。

その後、隣の病院に行って診察ということになりました。

それほど心配な結果ではありませんでしたが、今となって少し気になるのがこの時「塩分が足りない」と言われたことでした。

今では多くの食品に減塩の商品がありますが、母はかなり前から減塩の醤油を使うなど気を遣っていたようでした。

ところで私は最近になって知ったことですが、母は次男を妊娠したときに妊娠中毒症になってしまったそうでした。

「母子ともに命の保証はできない」と言われながらも、母は出産をする決意をしたようです。

60年も前のことですので、相当な決意だったものと思います。

その結果、二人とも命は無事でしたが、母は腎臓を悪くして高血圧に悩まされるようになりました。

私も母が降圧剤を服用していることは知っていましたし、かなり早い時期に減塩醤油を使い始めたことも知っていました。

ですから今更「塩分が足りない」と言われても、それに対する解決策は簡単には見つかりませんでした。

2023年2月18日 (土)

気持ちいい入浴

4年前の2019年2月18日は晴れて暖かい14℃の月曜日、母が施設に再入所して85日目、この日は午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、私が挨拶をすると母は「暑い」と言いましたが、確かに私も暑く感じました。

この日は外も天気が良く暖かい上に、施設の室内には西日が入ってきていて、かなり暑くなっていました。

部屋に行って話をすると、午前中には入浴をして、午後は昼寝をしたということでした。

入浴前には3回も血圧を測ったというので心配になり、私も持参した血圧計で測ってあげました。

結果は164/57、脈拍は64でやや高めとは言えますが、母としてはいつもと同じくらいで心配するほどではありませんでした。

入浴をしたので着替えはしませんでしたが、お風呂上がりには保湿クリームを全身に塗ってもらったということでした。

そして、この日の母はお風呂での様子をいろいろと話をしてくれました。

特に、背中にお湯をかけてもらったそうで「これが気持ちいい」と言いながら、いかにも気持ち良さそうな表情をしてくれました。

母は腰を痛めてから家では浴槽に入ることがなくなりましたが、やはり湯船に浸かると気分が違うようでした。

皮肉にも車椅子の生活になってから入浴を楽しめるようになったわけで、おそらく母は元々お風呂好きだったのでしょう。

話し声がやや小さいのと、鼻が詰まったり痰が絡むことが少し心配でしたが、この日の母も元気にたくさん話をしてくれました。

2023年2月17日 (金)

体力の低下が心配

4年前の2019年2月17日は晴れて11℃の日曜日、母が施設に再入所して84日目、この日は午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所で居眠りをしていて、私が挨拶をすると母は「暑いのでつい居眠りをしてしまう」と言っていました。

この日は日曜日なので特に行事もなく、一日まったりと過ごしていたということでした。

部屋に移動して話をすると、前夜ラジオの調子が悪くなったので職員さんを呼んだとのことでした。

ただ、夜勤の人たちでは直すことができなかったので、一晩中ラジオを聞くことができずに退屈していたようでした。

また、この日も午後はいつものように昼寝をして、おやつを食べたところで私が来たということでした。

このころはリハビリの回数も減っていて、週末はまったり過ごすことが多く、こういう日は覚醒のレベルも少し落ち気味に感じました。

それでも、便通があって体調も悪くないとは言っていましたが、どうしても少し元気がないように見えました。

そんな状況でも部屋が暑いこともあって、久しぶりに私が持って行ったヤクルトを、母は一気に飲み干していました。

そして、話をしていると徐々に眠気も覚めたのか、元気な声でたくさん話をしてくれました。

ただ、ベッドから車椅子に移動する際に左足が一瞬ガクッとして、身体の動きに不安が出てきました。

結局、この日の母も元気で体調には問題がありませんでしたが、運動量が少ないので体力が心配になってきました。

2023年2月16日 (木)

「ちゃんと足首があるよ」

4年前の2019年2月16日は曇りで13℃の土曜日、母が施設に再入所して83日目、この日は午後4時10分ころ面会に行きました。

母が食堂のいつもの場所にいたので、「こんにちは」と挨拶をすると、母は「あ、どうも」と元気そうな声で答えてくれました。

続けて「雪降ってないの?」と聞くので「今日は暑いよ」と私は答えました。

「何もやることがないから皆寝てる」と言う母の手に触れると、その手もこの日は熱くなっていました。

部屋に移動して話をすると、おしめで股ずれしたのか「薬をつけてもらった」と言っていました。

「痛くはないけど、絆創膏を貼ってくれたのかもしれない」とも言っていて、それほど心配する必要はなさそうでした。

便通などの体調も良さそうで「最近お腹が膨れていないね」と私が言うと、母は「出てるのよ」と笑っていました。

朝食の時の話では、母のところに最後に持ってきたので『パンかな?』と期待したら「水分の多いお粥でがっかりした」と苦笑いでした。

それでも、オムレツのような玉子焼きがおいしくて、いつも完食していると胸を張っていました。

また、前日に続いて新しい靴の話をして「皆が気に入ってくれている」と、嬉しそうに教えてくれました。

そんな話をしながら脚のむくみをチェックすると、むくみはなく「ちゃんと足首があるよ」と、母は自慢していました。

これまで何度もむくみに悩まされてきた母の脚ですが、このころは以前のようには、むくむことはなくなっていました。

2023年2月15日 (水)

手のカサカサは皺だった

4年前の2019年2月15日は曇りで5℃の金曜日、母が施設に再入所して82日目、この日は午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、居眠りをしていたので肩を叩くと目を開けました。

「部屋が暑くて眠くなる」と言いながら、「雪降ったね」と、お昼頃に少し降った雪のことを話し始めました。

ある職員さんが「息子さん来れないかもしれないね」と言っていたと、母は教えてくれました。

外は寒いながらも雪はそれほど降らなかったのですが、私の手が母の身体に触れたとき外の寒さを知ったようでした。

「手が冷たいね、なんで手袋はめないの?」と母は尋ねましたが、私が「手袋ないんだ」と答えると大笑いをしていました。

その他にも、背中に保湿クリームを塗ってもらった時に面白いことがあったそうでした。

クリームを塗った看護師さんが「他に何かありますか?」というので「手がカサカサする」と母は言ったそうです。

ただ、よく見るとそれはシワだったようで、「シワかーッ!」と大笑いをしたということでした。

また、洗濯をするために持ち帰った新しい靴の評判が良いそうで「皆に言われた」と、母は嬉しそうに笑顔で話してくれました。

「あの靴良かったのにどうしたの?」とか「色も良かったし名前も入っていた」などと言われたそうでした。

この日の母は熱心にいろいろと話してくれて、最初は眠そうな声でしたが最後はしっかりした元気で陽気な声になっていました。

2023年2月14日 (火)

不安なく楽しい日

4年前の2019年2月14日は曇りで8℃の木曜日、母が施設に再入所して81日目、この日は午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、外の寒さにもかかわらずカーディガンを着ていませんでした。

挨拶をして「寒くないの?」と尋ねると、母が「暑い」と答えたので、私も『確かに部屋は暑いな』と感じるくらいの暑さでした。

続けて話を聞くと、この日は入浴が午後になったそうで「おやつを食べてくつろいでいたところ」だということでした。

そのため「今日はお昼寝をしていない」とも言っていました。

部屋に移って着替えながら話をすると、初めのうちは母の口調が少しろれつが回っていない感じがしました。

その前に昼寝をしていないと話していたので、母は少し眠いのかなと私は思いました。

ただこの日も母は元気で、たくさん話しているうちにいつもの口調が戻ってきました。

入浴後には全体的に保湿クリームを塗ってもらったそうで、身体にかゆみがないことで母は楽しそうに話をしてくれました。

それは午前中から便通が何度かあり、食事もおいしく完食していることも大きかったものと思います。

気になる血圧も162/68、脈拍62で母としては安定した数値でした。

このころは、時々体調不安を訴えることがありましたから、心配のないこういう日は母との会話も弾んで楽しかった記憶があります。

2023年2月13日 (月)

パンとリハビリで元気な日

4年前の2019年2月13日は曇りで8℃の水曜日、母が施設に再入所して80日目、この日は午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて私が挨拶をすると、「暑い」と一言。

そして、この日も部屋で着替えながら話をすることにしました。

母は「今日はリハビリがあった」と教えてくれましたが、この週は月曜日が休日だったからか「少し混んでいた」とのことでした。

リハビリが減って、このところの母の動きが重く感じられていましたが、この日のリハビリでは2往復歩けたと言っていました。

それから「今日はパンが出た」と、嬉しそうに話してくれました。

パンと一緒に薄焼きの卵が出てきたそうで「これがおいしかった」と、満足そうな笑顔で振り返っていました。

また、昼寝の前には看護師さんが身体に保湿クリームを塗ってくれたということでした。

そのためか「今日の昼寝は良く眠れた」と、前日と異なり母の体調はかなり良さそうでした。

そして、リハビリをしたこともあってか、車椅子とベッドとの移動もかなり楽に動いてくれました。

この日は様々な効果によって母は明るく元気で、目や耳の調子をはじめとして覚醒のレベルも良い感じがしました。

このころは母の体調がすぐれない日も出てきたので、こういう日の帰り道は足取りが軽かったことを覚えています。

2023年2月12日 (日)

「体調がいまいち」

4年前の2019年2月12日は晴れて11℃の火曜日、母が施設に再入所して79日目、この日は午後4時10分ころ面会に行きました。

母が食堂のいつもの場所にいたので挨拶をすると、「手を洗ったところ」だと言いました。

おそらく、おやつを食べてからトイレに行って、その後食堂の手洗い所で手を洗って定位置に戻ってきた、ということだと解釈しました。

そして、この日も部屋で着替えながら話をすることにしました。

母は「今日は体調がいまいちだ」と言っていて、聞いてみると「よく眠れなかった」とのことでした。

それでも、この日の午後もいつものように昼寝の時間があったそうですが、それも少し短かったようだと話していました。

また、午前中の暇な時間にはタオル折りをしたそうで、「タオルを折ることはできるけど、目がよく見えていない感じ」とも言っていました。

この日はリハビリもなく身体を動かしていないこともあって、どこか意識がボーッとしている様子でした。

前日こちらに記したように、この頃の母の体調が少し心配になってきていたので、この日は血圧計を持って行っていました。

一週間後に通院の予定もある上に、母が「体調がいまいち」というので、久しぶりに血圧を測ってみました。

その結果は190/70、脈拍は70と、少し心配な値が出ました。

便通はあり脚のむくみはないので、母は相変わらず元気に見えましたが、少しずつ不安な点が現れ始めました。

2023年2月11日 (土)

上半身も注意が必要

昨日は関東地方でも雪が降るような寒い一日でしたが、4年前の2月11日も寒い日でした。

2019年2月11日は曇りで4℃の月曜日、母が施設に再入所して78日目、この日は午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの位置にいましたが、外と同様に室内も寒いのか、ちゃんちゃんこを着ていました。

この頃の母は私が面会に行くと元気にたくさん話をしてくれましたが、少し気になることが現れ始めた時期でした。

その一つはリハビリの回数が減ったこともあってか、車椅子とベッドを移動する際の足取りが重く感じられたことでした。

前年の秋頃は歩行器を使って見事に歩いていましたが、その練習が減ってからは立ち上がるものの、その後の動きが鈍くなっていました。

おそらく『老健』の本来の役割としては、歩行器で歩けるようになるところまでで、後は自宅でお過ごしくださいということなのでしょう。

ただ母は持病がありますし、当時は母が一番施設の生活を楽しんでいた時期でしたので、帰宅することは全く考えられませんでした。

もう一つの気になることとは、脚のむくみは全くありませんでしたが、声が小さく話し声が少し息苦しそうに聞こえることでした。

母は前年の11月に入院した際に心不全と診断されていました。

それまで心臓に問題はないと考えていましたが、むくみの原因が心臓にも由来しているので、脚だけでなく上半身も注意が必要になりました。

ですから、母の話し方が息苦しそうに聞こえてきたのは、私にとっては少し嫌な感じがしていました。

2023年2月10日 (金)

「『足が臭い』と言っていた」

4年前の2019年2月10日は晴れて8℃の日曜日、母が施設に再入所して77日目、この日は午後3時30分ころ面会に行きました。

前日は雪のために面会を止めていたこともあって、いつもよりも少し早めに施設に行きました。

母が食堂の定位置にいたので、向かいの鏡を見ながら挨拶をすると、それに気づいた母は「久しぶり」と挨拶を返してくれました。

そして少し早い時間に行ったこともあって、母は「今、おやつを食べたところ」と説明してくれました。

また、「暑い」と言っていて、確かにこの日の室内は特別暑いように感じました。

この日も着替えながら話を続けることにして、直接部屋に向かいました。

自分のベッドに座った母は、身体に塗ってもらう痒み止めの薬についての話を始めました。

看護師さんの話では、背中に塗るものと手足に塗るものは違っていて、背中の薬は時間を開けないといけないと言われたそうでした。

母によると、それを聞いたのは前夜のことで、この日の朝も背中に塗ってもらったと母は言いました。

確かに背中に触れるとまだしっとりとしていたので、この時は脚にだけ保湿クリームを塗ってあげました。

すると、母は今度は足の話を始め「今朝、靴を履かせてくれた人が『足が臭い』と言っていた」と、苦笑していました。

少し前に履き始めた刺繍で名前の入った水色の靴も、そろそろ洗わないといけない時期になっていたようでした。

2023年2月 9日 (木)

「毎日、大変ですね」

4年前の2019年2月9日は雪で1℃の土曜日、母が施設に再入所して76日目、この日は面会には行きませんでした。

前日、母には「雪の降り方によっては来ないかもしれない」と伝えておいたので、行かないことにしました。

昨日も記したように、この頃の母の状態はほとんど心配する必要がなかったので、安心して家にいました。

それでもほぼ毎日面会に行っていたので、一日だけとはいえ母に会わないのは思っていた以上に寂しいものでした。

施設の職員さんには「毎日、大変ですね」と、何度か言われたものでした。

そう言われたときに私は「ウチで面倒をみているよりは楽ですよ」と、そのように答えたものでした。

今から思うと、確かに体力的には大変だったように思います。

それでも元気で陽気な母に会って話をするのは楽しく、身体の疲れは吹き飛んでいたような感じがします。

もっとも、私が母の面倒をみていたといっても、食事の支度と身体を拭いてあげることくらいでした。

ただ、そういう生活が2年半ほど続き、外出するのが通院だけという、ほとんど二人で引きこもりのような状態でした。

会話もほとんどなく、テレビを見て時間をつぶして食事の時間を待つような毎日でした。

そんなつまらない日々に比べれば、母が笑顔でその日の話をしてくれる施設での面会は、短い時間でしたが充実感がありました。

2023年2月 8日 (水)

雪の前日

4年前の2019年2月8日は曇りで9℃の金曜日、母が施設に再入所して75日目、この日は午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、室内でも寒く感じるのか、ちゃんちゃんこを着ていました。

この日は午前中にリハビリがあり、前回とは違って久しぶりにリハビリルームで行ったということでした。

この頃はリハビリ中に血圧を測りながら動いていたそうですが、この日はなぜか血圧は測らなかったと言っていました。

それでも歩行訓練を一往復したそうで、それなりに充実していたようでした。

体調の方も良さそうで、ここ数日便通も柔らかいものがよく出ていると教えてくれました。

そして背中と脚にローションを塗ってあげましたが、脚のむくみは全くないという感じでした。

また、食事のことも話してくれて「お吸い物が出た」と嬉しそうな表情を見せてくれました。

それからおやつには甘いものが出たそうで、母はあんこなどの甘いものはあまり好まないのですが「今日はおいしかった」と笑顔でした。

翌日の天気予報が『雪が降るかもしれない』ということなので、母に「雪の降り方によっては来ないかもしれない」と伝えておきました。

毎日面会に行っている私が黙って行かないと、母が心配してはいけないという思いで一言言っておきました。

私にとっても、このところの母の状況に不安がなかったので、面会に行かないという選択が安心してできた訳です。

2023年2月 7日 (火)

裸でトイレ

4年前の2019年2月7日は晴れて16℃の木曜日、母が施設に再入所して74日目、この日は午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、この日も直接部屋に行って着替えながら話をすることにしました。

この日は木曜日ということで午前中に入浴をして、午後はいつものように昼寝をしたということでした。

お風呂の前には便通はなかったそうですが、入浴の準備中に便意を催したと笑っていました。

「お風呂場のトイレに裸で入った」と言いながら「たくさん出た」と、笑顔で教えてくれました。

それを聞いて、私はこの日も持参したヤクルトを母に見せることなく、持ち帰ることにしました。

「お風呂の後に背中にクリームを塗っていない」と言うので、着替え中に背中だけ保湿クリームを塗ってあげました。

また、おやつには「かりんとうが出た」と話していましたが、歯のない母にはあまり嬉しくなかったようでした。

そして、先日書いた習字の作品が『梅まつり』と『福はうち』だったことが改めて判明しました。

ところで、この日の母は相変わらず食欲も旺盛で元気でしたが、少し気になる点も出てきました。

話し声が少し小さく感じられるとともに、巻き舌のような話し方になっているような気がしました。

また、少し耳が遠くなったような感じもして、母の体調について私の中に不安が頭をもたげ始めてきました。

2023年2月 6日 (月)

冷たいヤクルト

4年前の2019年2月6日は雨で9℃の水曜日、母が施設に再入所して73日目、この日は午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、この頃としては珍しくちゃんちゃんこを着ていました。

「お昼寝した後、寒かったので着ていた」と言っていて、外は冷たい雨でしたが室内も寒く感じられたようでした。

この日も部屋で着替えながら話をすることにして、母と一緒に部屋に向かいました。

母の話では、この日は特に催しもなく午前中はタオル折りをして、午後はいつものように昼寝をしたということでした。

昼寝の後のおやつには母のお気に入りのゼリーが出たそうで、うれしそうに報告してくれました。

また体調面では便通も順調にあるということで、『二日続けてヤクルトを飲んだおかげかな』と、私は思ったりもしました。

この日もヤクルトは持って行っていましたが、少し肌寒いので母の前に出すのは止めました。

母はいつの頃からか宅配のヤクルトを飲むようになりましたが、寒い時期には冷蔵庫から出して常温にしてから飲んだりしていました。

また、飲まない日があって溜まってしまうと一週間キャンセルしたりもしていました。

そんなわけで、この日は寒そうにしていましたので冷たいヤクルトは、母に見せないようにしました。

このところ「身体が痒くないのでよく眠れる」と母は言っていて、この日も元気にたくさん話をしてくれました。

2023年2月 5日 (日)

『出張リハビリ』

4年前の2019年2月5日は曇りで9℃の火曜日、母が施設に再入所して72日目、この日は午後4時10分ころ面会に行きました。

まず受付の表示を見ると、前日までと変わって感染症が発生しているフロアから母の所が外されていました。

こういうことだけでも少しはホッとした記憶があります。

それからエレベーターに乗り母のフロアでドアが開くと、この日も目の前に母がいました。

前日は職員さんが「そろそろ来るよ」と言ってエレベーター前に連れて来てくれたのでしたが、この日は偶然だったようでした。

そのまま部屋に行って話をすると、この日は午前中にリハビリがあったということでした。

インフルエンザ対策で先生が母のフロアに来て、『出張リハビリ』が行われたと言いました。

先生がコンパクトな手すりを持って来てくれて、歩行訓練まであって少し歩いたとのことでした。

久しぶりにリハビリをすることができて嬉しかったのでしょう、母はその内容を事細かに教えてくれました。

体調も良さそうで、この日もむくみは無く、便通も柔らかいものが良く出ていると話していました。

前日、久しぶりにヤクルトを飲んだ効果かどうかは分かりませんが、この日も一本あっという間に飲み干していました。

頻繁に保湿クリームを塗ってもらっているようで、背中や腕のキズも無くなっていて、母は本当に元気でした。

2023年2月 4日 (土)

「そろそろ来るよ」と、お待ちかね

4年前の2019年2月4日は晴れて暖かい19℃の月曜日、母が施設に再入所して71日目、この日は午後4時10分ころ面会に行きました。

母のフロアでエレベーターを降りると、私の目の前で母は待っていました。

職員さんが時間を見て「そろそろ来るよ」と言って、エレベーターの前に移動させてくれたので「そのまま待っていた」とのことでした。

わざわざ歓迎してくれた母を連れて、部屋に行って話をすることにしました。

母の話では、この日は午後入浴をして、その後におやつを食べたということでした。

お風呂上りには保湿クリームを全身に塗ってもらったと、嬉しそうに報告してくれました。

また、痒かったのか腕を掻いたようで、かなり傷が出来ていたので看護師さんが状態を見てくれたとも言っていました。

そして、前日初めて着てもらった八分袖のパジャマの感想を尋ねると「寒くはなかった」とのことで、気に入ってくれた様子でした。

この日も午後に入浴をして昼寝をしていないので「よく眠れるかな?」と、このところ快眠が続いているので体調も良さそうでした。

それから脚のむくみも確認してみましたが、ほとんどわからないくらいでした。

ただ、何となく息苦しそうな話し方に聞こえたので母に尋ねてみると「鼻が詰まっている」と言いました。

施設で感染症が流行っていた時期なので少し心配しましたが、何度か鼻をかむと話し方も調子が良くなりました。

2023年2月 3日 (金)

脛が「細くなった」

4年前の2019年2月3日は晴れて14℃の日曜日、母が施設に再入所して70日目、この日は午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、ラジオを聴いているようでした。

この日も部屋に行って話をすることにしましたが、まず第一声で「今朝は久しぶりにパンが出た」と教えてくれました。

今回のパンはあんパンのような形をしていて、ジャムなどをつけて食べたそうですが「おいしかった」と嬉しそうに言っていました。

また前夜は7時ころにはベッドに来て、すぐに眠ってしまって、朝の4時頃まで何も覚えていないほど熟睡したようだとのことでした。

前日は昼寝もしないで『鬼退治で大活躍』をしたために疲れが出たのか、母はよく眠ったようでした。

それに前夜は「身体が痒くなかったこともあると思う」と、母は付け加えていました。

いずれにしても快眠のおかげもあって、母の体調はこの日も良さそうでした。

この日の夜も暖かそうだという予報が出ていたので、新しい八分袖のピンクのパジャマを用意してあげました。

着替えながら母は自分の脛を見て「細くなった」と、しみじみと呟いていました。

母の好きなリハビリの回数がすっかり減り、足取りも少し重くなってきた自覚もあるので、脚の細さをより寂しく思っていたのでしょう。

ずっとむくみがちだった母の脚が、むくみが無いと『こんなに細いのか』と思うほど細かったのは確かで、寂しく感じるのもわかりました。

2023年2月 2日 (木)

鬼退治で大活躍

4年前の2019年2月2日は晴れて13℃の土曜日、母が施設に再入所して69日目、この日は午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、うたた寝をしていましたが「こんにちは」と声を掛けると、母は「おっ」と声を上げて目を開けました。

まず第一声で「豆まきをやった」と言い、「男の人たちが鬼をやった」と続けて教えてくれました。

お昼を食べた後にやったので昼寝をしていないそうで「だから今寝ていた」と、言い訳のようなことも話しました。

「青鬼と赤鬼がいて、豆をぶつけた」と、母は楽しそうに笑顔で豆まきのことを話し続けました。

ただ「豆じゃなくて紙か」と訂正もして、実際には丸めた紙を鬼に向かって投げたということでした。

中にはやらなかった人もいたようですが、母は「私はバンバンぶつけた」と大笑いしていました。

「紙を拾って渡してくれる人がいたのでドンドン投げた」と言うので「大活躍だね」と私が言うと、楽しそうに頷いていました。

前夜の話では、身体が痒かったのでベッドで人を呼んだそうですが、誰も来なかったので「そのうち寝ていた」ということでした。

また、看護師さんが背中を見てくれて「ずいぶんきれいになりましたね」と言ってくれたことも嬉しそうに教えてくれました。

その他の体調も良さそうで、昼寝をしないで『豆まき』を楽しんだこともあって、上機嫌で声にも元気がありました。

今振り返っても、こういう日の面会は本当に楽しかったことを思い出します。

2023年2月 1日 (水)

「後光が差してる」「まん丸だ」

4年前の2019年2月1日は晴れて10℃の金曜日、母が施設に再入所して68日目、この日は午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、この日も「ここは暑い」と言っていましたが、確かに私も暑く感じました。

感染症のこともあって部屋で話をしましたが「ずっとヒマだった」と、この日もリハビリが無かったので残念がっていました。

着替えの際の車椅子とベッドとの移動にも「リハビリしないから脚がちょっと重い」と、不満を漏らしていました。

ただ、前日は夜7時くらいにはベッドに来て、その後ずっと眠っていて「朝5時まで何も知らない」と、珍しいことを話してくれました。

「今日は眠くないからおかしい」と母が言うので「それだけ寝れば眠くないでしょ」と私が笑うと、母も納得しているようでした。

快眠できたこともあってか、ヒマな時間を過ごしていてもこの日の母はとても元気でした。

食事もお粥ではなく柔らかい白飯だったそうで、おかずも珍しく白身魚の切り身が出て「おいしかった」と言っていました。

私が「おいしくいただけて良かったね」と母に言うと、母は「私は良かったわ」と答えてくれました。

また、前日撮影した写真を姉が見て「後光が差してる」と言っていたことを伝えると、母は写真を見て「まん丸だ」と大笑いしていました。

この日も前日の写真のような朗らかな表情をたくさん見ることができて、母の体調に問題は無さそうでした。

そして最後の挨拶は「また来ます」という私の言葉に「ご苦労さまでした」と、母が笑顔で返してくれました。

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