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2023年1月

2023年1月31日 (火)

いい笑顔の写真

4年前の2019年1月31日は曇りで10℃の木曜日、母が施設に再入所して67日目、この日は午後4時ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、挨拶をすると「午後に入浴して背中や脚にクリームを塗ってもらって、おやつを食べた」と話しました。

身体にクリームを塗ってもらうのと同時に、皮膚科の医師に診てもらったとも言いました。

先日の通院時に気になったことで来てくれたのかは不明でしたが、保湿剤を塗ることは問題無いと言われたようでした。

このころは腕の内出血も目立ってきていて、特に激しい部分にはシールが貼られていましたが、その一部は古いものと交換されていました。

この日は入浴をしたので着替えはしないつもりでしたが、母が珍しく「半袖の肌着を替えたい」と言いました。

少し寒さを感じたのか、この冬に買った長袖でハイネックのピンク色の肌着に替えてあげました。

この日も体調は良さそうで、脚のむくみはほとんど無く、元気な声で話しながら笑顔も良く出ていました。

午前中にはタオル折りをしたり、歌を唄ったりしたことも教えてくれました。

ただ、気になるのが施設で感染症が出ていることで、この日も母はティッシュで鼻をかんだりしていました。

それでも鼻声ではなく元気でしたが、持参したマスクを一箱ベッドサイドに置いてきました。

この日はいい笑顔の写真が撮れました。

2019年1月31日

2023年1月30日 (月)

母のフロアで感染症が

4年前の2019年1月30日は晴れて10℃の水曜日、母が施設に再入所して66日目、この日は午後4時10分ころ面会に行きました。

この日は施設の受付に、母のフロアでも感染症が出たことが掲示されていたので、少し胸騒ぎがしました。

これまでは他のフロアで出ていたので面会室に行くことを自粛していましたが、自分のフロアでは対策も難しくなりました。

母のフロアに着くと、いつもの所に母の姿が見えないので心配しましたが、その時職員さんが話しかけてきました。

母がトイレに行っていることと、暫くはフロア内で面会するようにと伝えてくれました。

その間に母がトイレから出てきて「三日ぶりに出た」と、笑顔を見せてくれました。

部屋で話を聞くと、この日は午前中に久しぶりの習字をしたとのことでしたが「何を書いたか忘れた」と苦笑いしていました。

また、前夜は寝ていると身体が痒くなったので、職員さんを呼んでクリームを塗ってもらったということでした。

そして、この日の昼寝の時にも塗ってもらったとのことで、母の脚と背中はまだしっとりとしていました。

この日は話をしている間に母は咳込みだして「鼻がムズムズする」と言い、ティッシュで何回か鼻をかんでいました。

ただ、他に症状は無いようでインフルエンザではないようでしたが、少し不安な環境になってきました。

もちろん心配していても仕方のないことですが、マスクや水分など対処できることは何でもしてあげたい気分でした。

2023年1月29日 (日)

見慣れないおじいさん

4年前の2019年1月29日は晴れて10℃の火曜日、母が施設に再入所して65日目、この日は午後4時5分ころ面会に行きました。

母のフロアでエレベーターを降りようとすると、その乗降口に見慣れないおじいさんがいました。

その人はエレベーターのドアが閉まろうとすると手を入れていて、再びドアが開くのを楽しんでいるかのようでした。

新しく入所した人で帰りたがっていたのか、若しくは少し認知症もあるのか、そんな感じもしていました。

4年前のことでもこのような出来事はよく覚えていますが、その日の母の様子は記録を見てもあまりピンと来ません。

ただ、このころの母はいつも元気で体調も良く、心配といえば時々の便秘くらいだったように思います。

さて、この日の母は食堂の定位置にいて「頭に冷たい風が吹いてきて寒い」と、最初に言いました。

その後は部屋に行って着替えながら話をしましたが、午前中にリハビリをして午後は昼寝をしたと教えてくれました。

また、前夜は保湿クリームを塗ってもらって寝たのに「痒くて掻いた」と言っていて、確かに背中や右腕に傷がありました。

そのためこの時もクリームを塗ってあげましたが、脚にはむくみがほとんど無いこともわかりました。

この日はまだ便通が無いとのことでしたがそれほど心配している様子もなく、その他の体調には問題なさそうでした。

着替えが済んだ後には「暖かくなった」と、母は笑顔を見せてくれました。

2023年1月28日 (土)

「若い子が『これいいね』」

4年前の2019年1月28日は曇りで14℃の月曜日、母が施設に再入所して64日目、この日は午後4時ころ面会に行きました。

母はちゃんちゃんこを着て食堂のいつもの場所にいたので「寒いの?」と尋ねると「暑いけど背中が寒い」と言いました。

話をするために部屋に行くと、母は「食堂は暑い、廊下は寒い」とこの日の陽気に少し戸惑っているようでした。

この日はお昼前に入浴をしたそうで、その後すぐに昼食だったために慌しかったと、振り返っていました。

お風呂では「3人も4人も寄ってたかって洗ってもらった」と、そして「クリームも塗ってもらった」と、満足そうな表情でした。

また、入浴後にはドライヤーで頭を乾かし櫛を入れて帽子を被ったと、丁寧に説明してくれました。

母が帽子を被った姿を見て「若い子が『これいいね』と帽子のことを言ってくれた」と、嬉しそうに話してくれました。

そして、お風呂に入った後にご飯を食べさせてもらって「いい身分だよ」と、母は笑いながら言いました。

昼食後には昼寝をしてからおやつを食べたと言い、おやつは冷たいゼリーだったそうで「ペロッと食べちゃった」と、笑っていました。

便通は全然ないと言いながらも苦しくはないそうで、体調に問題は無さそうでした。

脚を見てもむくみは全然なく、母も「ないのよ」と嬉しそうに笑顔で言いました。

この日の母は本当に楽しそうな表情で、元気な声で一生懸命に話をしてくれたので、私も圧倒されました。

2023年1月27日 (金)

妙義龍が負け越した

4年前の2019年1月27日は晴れて10℃の日曜日、母が施設に再入所して63日目、この日は午後4時ころ面会に行きました。

母はカーディガンを着て食堂のいつもの場所にいたので挨拶をすると、「やっぱり暑い」と母は言いました。

職員さんが、相変わらず感染症の関係でしばらく9階は止めた方がいいというので、この日も部屋で着替えながら話をすることにしました。

母によると、この日は日曜日なので特に催しもなくまったりと過ごしていたということでした。

午後はいつものように昼寝をしたとのことですが、日当たりが良く暑いために「一時間ほどで起きてしまった」と言っていました。

背中と脚には保湿クリームを塗ってあげましたが、背中の掻き傷はほとんど無くなっていました。

また、早いもので「今日でお相撲も終わりだ」ということを母はしっかり分かっていました。

ご贔屓の妙義龍が負け越したことも知っていて、そんな母に翌日からの楽しみを何か探してあげないといけないと、私は思いました。

そして「何かおいしいものは出た?」と尋ねると、母は「今日もお粥は水が多かった」と不満を口にしていました。

前回パンを食べてから一週間が過ぎ、その後は出ていないそうで「『パン食べたい』と囁くといいよ」と私が言うと、母は大笑いしました。

この日の最後に部屋に備え付けの流しで車椅子の母が手を洗い、私がその後ろから肩に手を置いて「今日もありがとう」と声を掛けました。

このころ元気な母と話をするのが楽しかったので、何気なく掛けた言葉でしたが、唐突過ぎたのか母は不思議そうな顔をしていました。

2023年1月26日 (木)

「部屋も寒いや!」

4年前の2019年1月26日は曇りで8℃の土曜日、母が施設に再入所して62日目、この日は午後4時5分ころ面会に行きました。

母が食堂のいつもの場所にいたので、後ろから近づいて向かい側の鏡に手を振ると私に気づいてくれました。

この日は北風が強く寒い日で、母もそれを知っていたようで「寒いでしょ?」という言葉が挨拶代わりでした。

私が、この日も部屋に行って着替えながら話をしようと言うと、母は「部屋は暑いよ」と続けて言いました。

ただ、この日は曇っていて日差しが当たらないこともあって、部屋に着くと今度は「部屋も寒いや!」と、母は言っていました。

この日は朝から冷えたので「半袖で今朝は寒かった」とのことで、ハイネックの長袖の肌着に替えてあげました。

逆にこの日は汗を掻くこともないため、背中に傷もなく「昨夜は痒くなかった」と、母は微笑んでいました。

それでもいつものように保湿クリームを塗ってあげると、「冷たい!」と私の指が背中に触れるたびに母は叫んでいました。

そんな母の背中を見て、私が「若い頃のように背中はきれいだよ」と言うと、母は「きめ細かいからね」と答えました。

確かに母は色白で本人もそれなりに自信があったのか、若しくは冗談だったのか分かりませんが、なかなか楽しい会話になりました。

着替えも終わって午後4時半になり、母は「さて、これからはお相撲だ」と、ラジオで大相撲を楽しむつもりのようでした。

最後に私が「今晩は牡蠣鍋だ」と言うと、母は「あらいいわねぇ、牡蠣なんて出ないわよ」と羨ましそうに笑顔で言いました。

2023年1月25日 (水)

『背中が小さくなったな』

4年前の2019年1月25日は曇りで10℃の金曜日、母が施設に再入所して61日目、この日は午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、そろそろ大相撲中継が始まるラジオを聴いているようでした。

挨拶をする前にそんな母の動きや顔色を見ていると、この日も相変わらず体調は良さそうでした。

そして、ここ数日と同様に直接部屋に行って着替えながら話をすることにしました。

この日は午前中に「9階に行って何か工作の手伝いをした」と、母は教えてくれました。

母の話では何に使う物かは分からなかったようですが、紙にピンクの色を塗ったということでした。

ウチにいた頃は鶴を折るくらいしかしませんでしたが、こういう工作も気分転換になるようで母はいつも嬉しそうに話してくれました。

また、着替えの際にはいつものように脚と背中に保湿クリームを塗ってあげました。

この日の室内も母にとっては暑かったようで、母の背中はしっとりと汗ばんでいました。

私は、母が施設に入所する前にも身体を拭いてあげていましたが『背中にはなかなかシワが現れないな』と思っていたものでした。

ところがこの日、背中全体にクリームを塗っていると、筋肉が柔らかくなったと同時にシワも出来てきたことに気づきました。

そして何よりも『背中が小さくなったな』と感じて、少し寂しく思いました。

2023年1月24日 (火)

一月の誕生会の日

4年前の2019年1月24日は晴れて10℃の木曜日、母が施設に再入所して60日目、この日は午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、ラジオを聴いているようでした。

挨拶をした時に、母が座っているテーブルの上に何かが置いてあるのを見つけました。

母に尋ねると「正面に座っている方が作った」と教えてくれて、それはウサギや雪だるまを模った人形でした。

全てが白い3体の人形で、それらを作った人はこの日が誕生日だということでした。

母の話では、この日の午後に一月の誕生会をしたそうで、久しぶりに楽しんだと笑顔を見せてくれました。

コーヒーを飲んだり、おせんべいを食べたりして「お腹がいっぱいで夕食が食べられるか心配だ」と言っていました。

食事のこととしては、私が昼食を持参した先日の日曜日以来パンは出ていないようでした。

そこで私が「職員さんの耳元で『パン食べたい』と囁けば、また出てくるよ」と母の耳元で囁くと、母は「ハハハ」と大きな声で笑いました。

この日の午前中には入浴をしたので着替えはしませんでしたが、背中にクリームを塗ってあげました。

前夜にもクリームを塗ってもらったそうで、眠っている間痒くならず、よく眠れたようでした。

この日の母は脚や顔にむくみが無く、目もパッチリと開いていて、声も大きく出てとても元気な話しぶりでした。

2023年1月23日 (月)

「下谷の人と話が弾んだ」

4年前の2019年1月23日は晴れて12℃の水曜日、母が施設に再入所して59日目、この日は午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、珍しく隣の人と話をしていました。

また、こちらも珍しく食堂のテレビが大相撲中継を映していましたが、母がそちらを見ることはありませんでした。

母に尋ねてみると、話をしていた人は浅草あたりで生まれたそうで、コッペパンなど昔の話をしていたと笑顔で教えてくれました。

その後はこの日も部屋に行って着替えながら話をすることにしました。

前日「明日もリハビリがあるらしい」と話していたように、午前中にリハビリに呼ばれて運動をして、午後は昼寝をしたということでした。

そして母は「リハビリの先生が結構大柄だと改めて感じた」と、少し驚いたような表情をしながら言いました。

先生は女性としては大柄な方で、私は初めから感じていましたが、母は座っていることが多いので分かりにくかったのかもしれません。

それでも、今までも大きいとは思っていたようでしたが、この日は改めて先生の大きさを感じる何かがあったのでしょう。

体調はこの日も良さそうで、隣の人と話をしていたこともあってか、声にも張りがあっていつも以上に元気な感じがしました。

「下谷の方の生まれの人と話が弾んだ」と言っていて、おはじき、塗り絵、セミの話で盛り上がったということでした。

母のフロアには認知症の人も多く、あまり話し相手がいませんでしたが、この日は昔話が出来て本当に満足そうな顔をしていました。

2023年1月22日 (日)

『明日も予約が入っている』

4年前の2019年1月22日は晴れて11℃の火曜日、母が施設に再入所して58日目、この日は午後2時30分に施設に行きました。

母の通院が予定されていた時間に行ったわけですが、母は食堂のいつもの場所にいて既にマスクをして待っていました。

母に聞くと今まで短めの昼寝をしていて、起きたら職員さんにマスクを着けてもらったということでした。

この日は午前中にリハビリがあって2往復歩いたと言っていて、その影響もあってか母の体調は良さそうでした。

まずレントゲンを撮りに病院に行き、その後施設に戻るとおやつの時間になっていました。

この日のおやつは薄い白い皮にあんこが入ったお饅頭で、母は「おいしいけど甘い」と言っていました。

その後再び病院に行くと意外に早く診察室に呼ばれ、母の状態はそれほど変化が無いという結果でした。

腎臓の値がやや悪化していたのが気になりましたが、むくみも無いので薬も変えずに次回の診察は4週間後ということになりました。

施設に戻って、いつものように着替えながら話をすると、この日のリハビリで靴のことが話題になったと母は教えてくれました。

前日、私がネットで買った新しい水色の靴を履かせたのですが、その靴には名字が刺繍で書かれていました。

その刺繍についてリハビリの先生が興味を持ってくれたようで、そのことを母は笑顔で熱心に話してくれました。

リハビリが好きな母は、その先生のことも「優しいから好き」だそうで、「明日も予約が入っている、と言われた」と嬉しそうに言いました。

2023年1月21日 (土)

カワイイ90ばあさん

4年前の2019年1月21日は晴れて12℃の月曜日、母が施設に再入所して57日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母が食堂のいつもの場所にいたのはわかりましたが、挨拶をする前に職員さんに前日のお礼を伝えました。

前日の日曜日の昼食は私がサンドイッチなどを持参したのですが、職員さんによると母とそのことについて話をしたということでした。

母は「ハムを食べた」と言っていたそうで、前日はあまり表情には出しませんでしたが、それなりに覚えていてくれたようでした。

またこの日も他のフロアでインフルエンザが出ているそうで、面会室は使えるとのことでしたが、母の部屋で話をすることにしました。

この日は午前中に入浴をして午後は昼寝をするという、いつもの月曜日のパターンだったということでした。

入浴をしたので着替えは必要ありませんでしたが、新しい上着と靴を持って行っていたので試着をしてもらいました。

明るい水色の靴はそのまま履いてもらって、今までの物よりも薄手の上着はもう少し暑くなってから着た方がいいかな、と言っていました。

この日も元気にたくさん話をしてくれて体調も良さそうでしたが、前日たくさん食べたにもかかわらず便通はまだないということでした。

そして、この日の話の中で一番盛り上がったのが、母がお風呂で若い職員さんに「カワイイ」と言われたということでした。

それを聞いて母は「90ばあさんだよ」と答えたそうですが、そんな話をする母は満更でもない照れ笑いという表情をしていました。

確かにこのころの母は笑顔でいることが多く、帽子を被ってちゃんちゃんこを着ていると「カワイイ」という言葉も分かる気がしました。

2023年1月20日 (金)

「満腹だ」

4年前の2019年1月20日は晴れて12℃の日曜日、母が施設に再入所して56日目、午前11時30分ころ面会に行きました。

この日は初めて母とお昼を食べるために、サンドイッチなどを持ってお昼前に施設に行きました。

母は食堂のいつもの場所で既に前掛けをした姿になっていたので話し掛けると、最初に母は「今朝パンが出た」と言いました。

その上「朝食がパンだとお腹が空くね」と続けていましたが、今更仕方が無いのですが昼食もパンになってしまいました。

施設では他のフロアで再びインフルエンザが出たというので、食堂の南側のスペースで母と私が並んで食べることになりました。

母は私が持参したサンドイッチ3種類と、カブと油揚げの煮物、すき焼きやツナサラダを少しずつ食べてくれました。

その上、施設の食事もなるべく残さないように一生懸命に食べていました。

おそらく、久しぶりにそれだけの量を食べたのでしょう、母は「満腹だ」と笑ってはいましたが少し苦しそうな表情で言いました。

私としては、せっかく昼食を持って行ったにもかかわらず、母がそれほど喜んでいなかったので少し残念な感じはありました。

もしかすると、施設では食事を残すと何か言われるのか、必死に食べている姿を見て複雑な思いもありました。

それでも、まだたくさん食べられる母を見て、体調に問題は無さそうだと安心はできました。

そして私が帰る際に「送ってあげる」と母は言い、エレベーターの前で手を振っていたので『少しは喜んでくれたかな』と思いました。

2023年1月19日 (木)

着替えでサッパリ

4年前の2019年1月19日は晴れて12℃の土曜日、母が施設に再入所して55日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、その前に職員さんに翌日の日曜日の昼食を持ってくることを伝えました。

先日は「日曜日に昼食を持って来ることを考えている」と話したところ、誤解があったため、今回ははっきりと伝えておくことにしました。

その後に母に挨拶をすると、母は「かなり暑い」そして「痒い」と挨拶代わりに呟きました。

丁度大相撲が始まったのでラジオを聴いていたとのことですが「でも痒い」と、まだ言っていました。

「今日は何もなかった」と話す母を部屋に連れて行き着替えをすると、この日は頭にも汗が目立っていました。

一通り着替えると、母は「サッパリした」、「やっぱり着替えたからだね」と満面の笑顔で喜んでくれました。

ただ、母の身体にはあちこちに掻いた跡があり、暑くて乾燥した部屋で昼寝をする大変さを表しているように思いました。

また「明日サンドイッチ持って来るから期待してね」と私が言うと、母は「はい、ハハハ」と嬉しそうに笑っていました。

続けて「よろしく」と言いながら「サンドイッチ、美味しいでしょうね」と、早くも楽しみにしているようでした。

それでも母はカロリーを気にしていましたが、この日は車椅子への移動も足取りが軽く、体調は相変わらず良さそうでした。

「明日はお昼前に来るよ」という私の言葉に「はい、他の人は来ないでしょ?」と母は答え、母の期待は昼食だけではなかったようでした。

2023年1月18日 (水)

右腕の掻き傷

4年前の2019年1月18日は晴れて10℃の金曜日、母が施設に再入所して54日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて「久しぶりに9階の面会室に行って話しましょう」ということになりました。

9階ではカーテンが開けられていたので西日が部屋の奥まで射しこんでいて、どこにいても眩しい感じがしました。

日差しの勢いがすごいので夕景を楽しむこともできず、日陰になっている場所を選んで話をすることにしました。

母の話では、この日は特に催しもなく午前中にはタオル折り、午後はいつものように昼寝をして過ごしたそうでした。

ただ、昼寝の時もカーテンを閉めてあっても日差しが強く「暑くてよく眠れなかった」と言っていました。

久しぶりに面会室で母と向き合って話してみると、相変わらず体調が良さそうで声も元気なことが確認できました。

少し気になったのが、この時に着ていたハイネックの肌着の首の部分が伸びていたことでした。

もしかすると昼寝をしながら首から手を入れて身体を掻いたのかと思ったので、私は母に尋ねてみました。

すると母が極まりが悪そうに頷いたので、見てみると胸から腕、特に右腕にかなり掻いたような跡がありました。

乾燥する日々が続いているために体中が痒いようで、あまり搔かないように伝えましたが、それはもちろん母も分かっていることでした。

この日は背中と脚だけでなく腕や胸にもクリームを塗ってあげましたが、この時は本当に加湿器が欲しくなりました。

2023年1月17日 (火)

「少しは眠っていたらしい」

4年前の2019年1月17日は晴れて12℃の木曜日、母が施設に再入所して53日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母がいつもの場所に見当たらなかったので職員さんに尋ねると、入浴が遅くなってこの時間に昼寝をしているとのことでした。

そこで部屋に行くと、母はラジオのイヤホンを耳に入れてベッドに横になっていました。

丁度ラジオで大相撲中継が始まる時間なので、ラジオを聴きながら眠ったのだろうと思いました。

少しの間、起こすかどうか迷っていると母が動いたので話し掛けると、起きていたのかすぐに目を開けました。

母に聞いてみると「少しは眠っていたらしい」と言っていました。

入浴をしたため着替える必要が無いので、ベッドに横になったまま話をすることにして、帽子だけ新しいものに替えてあげました。

この日は午後3時頃からお風呂に行き、入浴後におやつを食べてから、トイレに寄ってベッドで横になったということでした。

寝る前に寄ったトイレでは2日ぶりに「ウンチがたくさん出てホッとした」と、嬉しそうに報告してくれました。

また「お風呂上りには保湿クリームをたっぷり塗ってもらった」と、こちらも嬉しそうでした。

そのおかげもあってか体調も良さそうで、横になったままの母は元気にたくさん話をしてくれました。

最後に私が「また来ます」と挨拶をすると、母はその姿勢のまま笑顔で手を振っていました。

2023年1月16日 (月)

リハビリ減り体力低下?

4年前の2019年1月16日は晴れのち曇りで10℃の水曜日、母が施設に再入所して52日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母はいつもの場所からちょうどトイレに行くところで、私は先に部屋に行って待っていることにしました。

私がいつものように持参した洗濯物を引き出しに仕舞っていると、母がトイレから戻って来ました。

母は「出なかった」と報告してくれて、前日の朝に出てからその後は出ていないということでした。

また、この日は午前中にリハビリをしたそうで、その時に「今週はもうありません」と言われたようでした。

そして午後はいつものように昼寝をして、この日はよく眠れたと嬉しそうに話してくれました。

それ以外の話では食事の時に材料の説明を受けたそうで、この話は私にとっては初めて聞くことでした。

このころ母は度々食事について注文をつけていたので、施設の方でも気にしてくれたのかもしれません。

やはり高齢者も自分の食べているものについては気になるので、説明してくれるのはいいことだと私は思いました。

最後に、着替えをしている時に母の脛の部分に内出血をして黒くなっている部分を見つけました。

母に心当たりを聞くと、トイレで車椅子から移動する時にぶつけたのだろうということでした。

前日は母の動きに不安定さを感じましたし、このころリハビリが減ったこともあるので動きが鈍くなることはとても心配な点でした。

2023年1月15日 (日)

「ソバおいしくない、パン食べたい」

4年前の2019年1月15日は曇りで8℃の火曜日、母が施設に再入所して51日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

いつもの場所でラジオを聴いている母の姿が見えましたが、その前に職員さんが「もう面会室に行けますよ」と教えてくれました。

ただ、この日は曇り空ということもあって、前日同様に部屋で着替えながら話をすることにしました。

部屋に入って西の窓から外を見ると少し夕日が見えてきて、母は「あら、いいじゃない」と、嬉しそうに声を上げました。

食堂の方は日が当たると早々とカーテンを閉めてしまって外が見えないそうで、母は「眠くなってしまう」と言っていました。

まず、この日の話を聞いてみると、朝起きぬけに便通があって嬉しかったということでした。

また、昼食の話では「今日はソバが出た」、「2~3㎝に切ってある」、「箸もあったけど掬えない」、「スプーンでちょうどいい」

いろいろと説明してくれましたが、元々母はソバがあまり好きではなく「出汁がもう少しどうにかならないかな」と、不満そうに言いました。

そこで私が「ソバおいしくない、パン食べたい、と耳元で囁くといいよ」と勧めると、母は「ハハハ」と大きな声で笑っていました。

この日も母は元気で明るく、体調も良さそうでたくさん話をしてくれましたが、不安もないわけではありませんでした。

一つには、このところリハビリの回数が少ないからか、ベッドと車椅子との移動時の動きが鈍くなってきたように感じました。

もう一つは母が次週の通院のことを気にしていたので『何か心配なことでもあるのかな?』と、こちらが少し不安になりました。

2023年1月14日 (土)

「誰かの孫が振袖姿で来た」

4年前の2019年1月14日は晴れて10℃の月曜日、母が施設に再入所して50日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所でラジオを聴いているようで、おそらく4時から始まった大相撲中継を聴いているものと思いました。

珍しく食堂のテレビでも大相撲をやっていましたが、母はそちらを見てはいませんでした。

母に挨拶をする前に職員さんが話しかけてきて、やはりインフルエンザが出たそうで9階の面会室には当分行けないとのことでした。

そのため、この日は母の部屋に行って話をすることにしました。

この日の話を母に聞くと、午前中に入浴をして午後は2時間くらいグッスリ寝たと、笑顔で話してくれました。

昼寝の後には、おやつを食べてからラジオで大相撲を聞いていて、その時に私が面会に来たということでした。

面会といえば、成人の日ということで「誰かの孫が振袖姿で来た」と、嬉しそうな笑顔で教えてくれました。

いつもの話題では、便通が「朝から2度ほどたくさん出た」とこれも嬉しそうに言っていました。

また、お風呂上りには保湿クリームを「『たっぷり塗って』とお願いしたけど、もう痒い」と、少し顔をしかめて言いました。

そして食事は「相変わらず水分の多いお粥だ」というので、私は「何か食べたいものがあれば持ってくるよ」と母に伝えました。

やはり一度お昼を持って来て一緒に食べるのがいいだろう、その時はサンドウィッチかカブの煮物にするか、などと考えたものでした。

2023年1月13日 (金)

「ゆっくり食べて」「何か変だな」

4年前の2019年1月13日は晴れて10℃の日曜日、母が施設に再入所して49日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、挨拶をする前に職員さんが私に話しかけてきました。

木曜日に私が「日曜日のお昼にパンを持って来て一緒に食べる」と言ったので、昼食を待った方がいいのか少し迷ったということでした。

確かにそんな話はしましたが、その翌日の金曜日にパンが出たと聞いたので、私としては今回は止めたのですが少し迷惑をかけたようです。

その後に母に「来ましたよ」と挨拶をすると、母は「ハイ、ここは暑いです」と答え、この日も室内を暑く感じている様子でした。

また、私が職員さんと話をしていたのを見ていたようで「何かパンの話をしていたよ」と言いました。

母によると、昼食時に「ゆっくり食べて」と言われたので「何か変だな」と感じたということでした。

一通り説明をして「また今度持ってくるよ」と言うと、母は笑顔で頷いてくれました。

いずれにしても滅多にパンは出ないようでしたが「おいしいパンだった」と、母は次の機会を楽しみにしていました。

そこで私が「職員さんの耳元で『パン食べたい』と囁くといいよ」と母の耳元で囁くと、母は声を上げて大笑いしていました。

この日は昼寝がよく眠れたと言っていて体調も良さそうでしたが、汗を掻いて「体が痒い」というのが悩みのようでした。

最後に「また来ますからね」と私が挨拶をすると、母は「どうもご苦労様でした」と笑顔で元気に返してくれて、いつもの楽しい面会でした。

2023年1月12日 (木)

座薬で大変な一日

4年前の2019年1月12日は曇りで6℃の土曜日、母が施設に再入所して48日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、車椅子の上で居眠りをしていました。

トントンと肩を叩いて起こすと、母は目を開けて「今日は大変だった」と言いました。

面会室には行かずに、直接部屋に向かいながら話を聞くと、なかなか便通が無いので座薬を入れたということでした。

そして、お昼前には出たそうですが「まだ出そうな感じがして落ち着かない」という状態が続いているようでした。

そのため昼寝はしないでタオル折りや廊下を散歩したりして、いつでもトイレに行けるようにしているとのことでした。

実際に何度かトイレに行って「何回かは出たような気がする」と言っていました。

そうこうしているうちに午後3時にはリハビリに呼ばれ、戻ってからおやつを食べて居眠りをしていた時に私が現れたようでした。

とにかく、前日まで数日間「出ない」と話していたので心配はしていましたが、ついに薬を使って何とか解消できそうな様子でした。

ただ昼寝をしていないからか、この日の母の話は今一つとりとめがない感じで、意識も便意に向かっているような気がしました。

それでも、おやつに甘いお饅頭が出て「おいしかった」と言っていて、体調は問題なさそうでした。

着替え時には「背中が痒い」と言うので見てみると、外気が6度のこの日でも室内は暑いようで、母の背中は汗でびっしょりでした。

2023年1月11日 (水)

「サラダくらいあればいいのに」

4年前の2019年1月11日は晴れて12℃の金曜日、母が施設に再入所して47日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、挨拶をすると「今日もここは暑い」と言いました。

早速9階に移動して「今日はリハビリはあったの?」と尋ねると、母は「なかった」という答えでした。

ということは特に催しはなく、いつものように午前中はタオル折りをして、午後は昼寝という日だったのだと思いました。

その時、突然母が思い出したように「パンが出た」と話し始めました。

聞いてみると朝食にパンが出て、前回と同様で薄い食パンに何かが塗ってあったということでした。

「おいしかった」と満足そうに言いながらも「味はよく分からなかった」というので、パンが出たことがよほど嬉しかったのでしょう。

ただ、おかずがいつものご飯の時と変わらなかったようで、母は「サラダくらいあればいいのに」と少し残念そうでした。

また、この日も便通がまだということで「看護師さんに指で確認してもらったけど、まだ下まで降りていないらしい」と母は言いました。

『そこまでしてもらっているのか』と少し驚きましたが、おかげで母も心配していないので私も安心できました。

この日も夕日がきれいでしたが、日没が遅くなった上に少し雲が出ていたので、夕焼けは今一つでした。

ただ、珍しく一直線に伸びた飛行機雲が鮮やかに見えていたので、母はしきりに感心していました。

2023年1月10日 (火)

「今も痒くない」

4年前の2019年1月10日は晴れのち曇りで空気が冷たい5℃の木曜日、母が施設に再入所して46日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、その前にフロアの職員さんに食事のことで話をしました。

というのも少し前に母の食事が変わりましたが、あまり母が喜ぶ方向の変化では無かったように感じたからです。

そこで、母の食べたいものを持参して一緒に食べることを考えて、その注意点を尋ねたのでした。

結局、衛生面など注意することはあっても、家族が一緒であれば自己責任の範囲でかなり自由にできそうでした。

その後9階の面会室で母と話をすると、この日は朝から入浴があり、前日傷のあった背中も問題なかったということでした。

その前日には私が帰った後に看護師さんにクリームを塗ってもらったので、夜中も背中が痒くなることはなかったそうでした。

また、この日の入浴後にもたっぷり保湿クリームを塗ってもらったので「今も痒くない」と笑顔で言っていました。

便通は前日からこの日もまだないとのことで、そろそろ心配し始めそうな時期ではありました。

それでも体調は良さそうで、窓から少し雲を被った富士山のシルエットも見ることができて、母は感動しながら見つめていました。

ところで、食事については私の仕事の都合もあるので、日曜日の昼食が一番いいだろうなと思いました。

メニューに関しては母の希望を最大限尊重して決めるつもりでしたが、一応、パンや煮物などが私の頭の中にありました。

2023年1月 9日 (月)

施設の冬は暑かった

4年前の2019年1月9日は北風が強く寒い晴天で7℃の水曜日、母が施設に再入所して45日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたがカーディガンを脱いでいて、挨拶をすると「暑い」と言いました。

この日は9階の面会室に行くと富士山は見えていましたが、夕日の反射がきついため残念ながら母にはよく見えなかった様子でした。

また徐々に日が長くなってきたために日没の時間が遅くなり、これまで見てきた富士山のシルエットも楽しめなくなってしまいました。

そして、この日も午後に昼寝をしたということですが、日当たりが良くて暖房も暑かったために「よく眠れなかった」と言っていました。

それから「寝ながら背中を掻いたらヌルっとしたので血が出たんじゃないか?」とも言いました。

その後、着替えの時に背中を見てみると、小さな出血部分がいくつかあり全体的に擦ったような傷がありました。

翌日には入浴があるはずなので、この傷だと沁みるのではないかと少し心配になりました。

母は家にいる時も背中が痒くなると割り箸で掻いたりして、時々かなりの擦り傷を作っていました。

それを見て私が「誰かに見られたら息子が虐待しているように思われる」と言うと、母は苦笑いをしていたものでした。

ただ、この日の背中はそれほどひどい傷ではなかったので、母がヌルっと感じたものは、おそらく背中に掻いた汗だったのでしょう。

いずれにしても、この日も含めて施設での冬の生活は寒さの心配はほとんど無く、逆に暑さを感じることが多かったです。

2023年1月 8日 (日)

着替えをしながら話す毎日

4年前の2019年1月8日は晴れて12℃の火曜日、母が施設に再入所して44日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、この日は午前中にリハビリをしたと報告をしてくれました。

通常のメニューをこなしたけれども、歩行は1往復だけだったと続けて教えてくれました。

また便通もあったそうで、昼寝の前に出て起きた後におやつを食べたらまた出た、と嬉しそうに言っていました。

おやつにはカステラに白あんが挟んであるようなものが出たそうで、母にとっては外れだったのかもしれません。

この日は晴れていましたが、少しもやっている感じで見通しが良くなかったので、9階に行くことなく部屋で着替えながら話をしました。

着替えとともに脚に保湿クリームを塗ってあげると、むくみはかなり落ち着いていて、ほとんど分からないくらいでした。

そして再び食事の話をすると「牛肉のひき肉のようなものが出た」と言っていました。

また、この日もお粥の水分が多いのと必ずほうれん草のおひたしのようなものが出てくると、少し不満げな表情をしていました。

ただ、温泉たまごのようなものがあったので「一番最後に飲んだ」と言い、こちらは「おいしかった」と笑っていました。

振り返ってみると、このころは母の調子も安定していて、施設に面会に行くのも楽しかったことを覚えています。

着替えをしながら小一時間ほど話をして帰る毎日でしたが、こういう日々ならば永遠に続いて欲しかったと思います。

2023年1月 7日 (土)

噂をすれば……

4年前の2019年1月7日は晴れて10℃の月曜日、母が施設に再入所して43日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所でタオル折りをしていましたが、声を掛けると「皆で噂をしていた」と言いました。

母の話を聞いてみると、どうも「そろそろ私が来る」ということを話していたそうです。

実は母が骨折で入院して以来、いわゆる『せん妄』という言葉を知って、私はなるべく同じ時間に面会に行くようにしていました。

つまり、病院や施設で母がよく「時間がわからない」と言っていたので、決まった時間に私が現れるようにしていたわけです。

その努力が実を結んだようで、他の人までが私が来る時間を覚えてしまったのでした。

母のタオル折りが終わってから、3日ぶりに9階の面会室に行って話をすることにしました。

この日も晴れてはいましたが、ちょうど富士山が見える辺りに雲があったので、残念ながらシルエットを拝むことはできませんでした。

この日は午後に入浴をしたとのことで、その前に便通があって良かったと話してくれました。

お腹が張っていて心配していたそうで、この年初めてで一週間ぶりの入浴が気持ち良かったこともあり、笑顔で振り返っていました。

また食事では、母の苦手な水分多めのお粥が出たそうで「パンは一度出たきりだ」と、不満そうに言いました。

そこで私が「『パンが食べたい』と、しつこく呟いたら」と勧めると、母は大きな声で笑っていました。

2023年1月 6日 (金)

パン好きを再確認

4年前の2019年1月6日は晴れのち曇りで7℃の日曜日、母が施設に再入所して42日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、職員さんがまず話しかけてきて「もう9階に行くことができます」とのことでした。

せっかくの話でしたが、この時は曇り空で夕日も富士山も見えそうにないので、この日も部屋で着替えながら話をすることにしました。

母の話では、いつもの日曜日のように一日中催しもなく、まったりと過ごしていたということでした。

この日はまだ便通が無いと言うので「昨日2回出たから大丈夫でしょう?」と聞くと、母は「お腹が張っている」と気にしていました。

それでも相変わらずむくみはほとんど無く、覚醒レベルも良く声も元気で体調は良さそうでした。

ずっと晴れて日当たりの良い日が続いていましたが、この日の午後は曇りで薄暗ったので、昼寝でよく眠れたことも効果的だったのでしょう。

それでも食事のことになると不満がある様子で「お昼のお粥が水分が多くてベチャベチャしていた」と母は言っていました。

また「なぜか挽肉ばかりよく出る」と、挽肉があまり気に入っていないようでした。

そして「今度いつパンが出るか楽しみにしている」と言い、私が思っていた以上に母はパン食を待ち望んでいました。

そういえば、施設に入所してから月に一度の誕生会で私は、母がコーヒー好きなことをを改めて認識しました。

そして、確かに母はウチで毎朝パンを食べていたことを思い出し、この日の会話では母のパン好きを再確認しました。

2023年1月 5日 (木)

感染症で面会室使用禁止に

4年前の2019年1月5日は晴れて14℃の暖かい土曜日、母が施設に再入所して41日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの位置にいましたが、母に挨拶をする前に職員さんに話しかけられました。

話を聞くと、他のフロアで感染症の患者さんが出たので暫くの間9階は使えなくなり、面会はフロア内でお願いしますとのことでした。

そのため母を部屋に連れて行き、着替えをしながら話をすることにしました。

母に「今日は何かあったの?」と尋ねると「ウンチが2回出た」というのが、この日の母の最初の答えでした。

昼寝の前に出て、昼寝の後におやつを食べてからトイレに行くと「また出た」と、笑顔で話してくれました。

前日不満を漏らしていたおやつについては、この日は皆がゼリーだったとのことで、母も嬉しかった様子でした。

土曜日なのでまったりと過ごしていたようでしたが、便通があってむくみもほとんど無く、目もパッチリ開いていて話し声も元気でした。

また私が「明日は部分日食らしいよ」と教えると、母は「今日もいい天気だったね」としみじみと言っていました。

そういえば9階に行けなくなると、このころ頻繁に窓から外を見ていた母の楽しみが減ってしまうなと思いました。

そして、西の窓から見える夕日がきれいで、日が沈むと現れる富士山のシルエットを感動しながら見つめる母の姿が印象的でした。

そんなふうに母を喜ばせてあげることが暫くできないのかと思うと、とても残念でした。

2023年1月 4日 (水)

ゼリーの方が口にあう

4年前の2019年1月4日は晴れて11℃の金曜日、母が施設に再入所して40日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

今だから言えますが時のたつのは早いもので、母にとって最後の三が日は前日で終わってしまいました。

たった一度の施設でのお正月でしたが、ウチでもお餅は食べなかったので、自宅にいる以上に正月気分を味わってくれたかもしれません。

ところで、この日の母は食堂のいつもの場所にいて、私が向かい側の鏡に手を振ると気付いてくれました。

もしかすると前日無かった入浴をするのかとも思っていましたが、服装を見ると変わっていなかったので、入浴はなかったようでした。

「リハビリはどうだったの?」と尋ねると「リハビリはやった」と、母は答えました。

そして9階に行くと、かなり日が伸びたので夕焼けにはまだ時間があるようで、富士山も光ってしまっていてよく見えない状況でした。

改めてリハビリについて訊くと「今年初めてで久しぶりなので、緊張して1往復だけ歩いた」と笑顔で話していました。

この日は朝から便通があったと言い、昼食後にも出て「お腹がやわらかい」とのことで、こちらはしばらく大丈夫そうでした。

また、数日前から食事の内容が変わったとのことで、この日のおやつはあんこの入ったお菓子だったと言っていました。

体調の良化によってメニューの制限が緩和されるのは嬉しいことですが、食べるものには好みがあるので難しい問題でもあります。

母はあんこが好きではないので「以前のゼリーの方が良かった」と、少し顔をしかめながら率直な意見を述べていました。

2023年1月 3日 (火)

トイレで忙しい一日

4年前の2019年1月3日は晴れて11℃の木曜日、母が施設に再入所して39日目、午後4時ころ面会に行きました。

エレベーターで母のいるフロアに着くと、母の姿は見えませんでしたがトイレに入っているようで声が聞こえていました。

ここ数日出ていないと話していたので、久しぶりにトイレで格闘しているのかと勝手に思っていました。

暫くの間待っていると、やはり想像通りだったようで母は笑顔でトイレから出てきました。

そのまま9階の面会室に移動して話を聞くと、母はこの日のトイレのことを時間を追って詳しく話し始めました。

座薬を入れたりして対策もしたようでしたが、この日は今も含めて2回出たと嬉しそうに言っていました。

また、午前中にはタオル折りをして、午後は昼寝、それ以外にはポシェットが一時なくなった騒ぎもあったようでした。

その上にトイレも忙しく、母にも時間の前後関係がはっきりしないようで、この日の話は少し要領を得ない感じがありました。

そして、前日姉たちが「思ったよりも元気で安心した」と言っていたことを伝えると、母は「私が一人で喋っていた」と苦笑していました。

それでもお義母さんがパーマをかけていたとか、ネックレスをしていたなどとよく覚えていて、とても嬉しかったようでした。

結局、この日の母も元気にいろいろと話してくれましたが、珍しく少し落ち着きがない感じがしました。

それは、前日皆が会いに来てくれて嬉しかったこともあったでしょうし、トイレで忙しかったことも関係していたのかもしれません。

2023年1月 2日 (月)

姉一家来るも、母一人の昼食

4年前の2019年1月2日は晴れて10℃の水曜日、母が施設に再入所して38日目、午後0時30分ころ面会に行きました。

この日は姉が家族で施設に来て、母とともにお昼を食べてくれるというので、食事の終わる時間を見計らって私も行くことにしました。

ところが私が到着する前に姉から「母と一緒には食べられない」という連絡がありました。

どういう事情なのか尋ねると「昼食用にお寿司を買って来たところ、施設では生ものは遠慮して欲しいと言われた」とのことでした。

やむを得ず母は一人で施設のメニューを食べ、姉一家は何も食べずに話をするということになりました。

そして、私が9階の面会室に着いた時には皆で歓談していて、母の食事は終わっていました。

それまでには皆でいろいろな話をしたり、母の作品も展示されている習字の作品を見たりして楽しんでいたようでした。

その後は母の部屋に移動して、さらに話が盛り上がり母もいつも以上に饒舌で楽しそうな声で話をしていました。

しばらくして母の着替えを始める時間に姉たちは帰ることになり、母は笑顔で見送っていました。

ただ、姉たちは帰る前に面会室に戻り、自分たちのお昼を改めて食べることになっていたのでした。

そのため私も母の着替えが終わった後に面会室に行き、姉たちと少し話をしてから帰ることになりました。

この日も母は体調が良さそうで話し声にも元気があったので、皆さんも久しぶりに会った母の元気の良さには驚いていました。

2023年1月 1日 (日)

「初日の出を見た」

4年前の2019年1月1日は晴れて10℃の火曜日、母が施設に再入所して37日目、午後4時ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、挨拶をすると「初日の出を見た」と言うので、おそらく先日のように南側の窓から見たのでしょう。

母が年の初めに日の出を見たのはいつ以来なのか分かりませんが、これも施設にいたからこそでした。

また「この日もまだ便通が無い」と言っていて、これで3日連続になるので少し心配になってきました。

母が苦しそうな表情をしているわけではありませんでしたが、新年早々便秘対策が必要になりそうな時期でした。

前日に、正月中に姉が来るかもしれないと伝えたところ、母はこの日に一緒に来るものと思っていたようでした。

母は昔からそういうところがあるので、なるべく予定は直前に伝えるようにしているのですが、この時もやはり思い込んでいたようでした。

「明日、お母さんも来るらしい」と改めて言うと、母は「お母さん久しぶりだね。年取ったんだろうな」と少し緊張気味に言っていました。

この日も話をしていた9階の窓からは、夕焼けと富士山のシルエットがきれいに見えました。

母はそれを見ながら「ここの奥に来てダルマを作った」と、衝立の奥のスペースで年末に工作をしたことを教えてくれました。

また前夜は紅白歌合戦の最初を食堂のテレビで見て、その後にベッドでラジオで聴いたところ歓声がうるさくて消したと苦笑していました。

最後に「明日は楽しみだ」と笑顔で言っていて、話し相手が来てくれるのが本当に嬉しそうでした。

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