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2022年12月

2022年12月31日 (土)

「だから、今日はきれいだ」

4年前の2018年12月31日は晴れて8℃の月曜日、母が施設に再入所して36日目、午後4時ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、挨拶をすると「ちょうどトイレから出てきたところ」と言っていました。

ただ「昨日、今日とまだ出ていない」と続けて、便通に少し不安があるような感じに見えました。

9階の面会室に行って話の続きをすると、この日は午前中にはタオル折りをして午後に入浴をしたので昼寝はしていないということでした。

それでもこの日の母も元気があって、上機嫌でたくさん話をしてくれました。

まず、この日のお風呂では「背中にたっぷりお湯を掛けてもらって、気持ちが良かった」と笑顔で言っていました。

また「背中と脚が痒いと言ったら、保湿クリームを塗ってもらって、ドライヤーもしてもらった」と嬉しそうな表情をしていました。

そして「だから、今日はきれいだ」と、週に2回しかない入浴を楽しんだことを本当に気持ちよさそうに語ってくれました。

次に、食事の話としては「今夜の食事はおソバが出る」と聞いているようでしたが、これは母はあまり嬉しくない様子でした。

大晦日はどこの施設でも『年越しソバ』が出てくるのでしょうが、ソバがあまり好きでない母にとっては残念だったかもしれません。

また、新聞にこの日の『紅白歌合戦』の曲順が掲載されていたので見せてあげると、母はポシェットからハズキルーペを取り出しました。

そこそこ見えていたようで「後は紅白歌合戦を聴くだけだ」と笑顔で言い、ベッドに横になってラジオで聴くことを楽しみにしていました。

2022年12月30日 (金)

楽しかった姪との食事

4年前の2018年12月30日は晴れて9℃の日曜日、母が施設に再入所して35日目、午前11時50分ころ施設に行きました。

この日は姪が母と一緒に9階の面会室でお昼を食べているというので、私も少し顔を出そうと思いました。

お昼の面会室からは、きれいな青空の中に見事な富士山が見えていて、姪と母は二人でテーブルに着いて食事中でした。

ただ、話が弾んでいたからか、デザートを含めて5~6品ある母の食事はほとんど進んでいないように見えました。

私は毎日夕方に面会に行っていたので、母の食事はほとんど見たことが無く、あらためて『意外と多いな』と、感じました。

その後、夕方に来ることを伝えて挨拶だけで帰った私に、姪から『食事が多いと言いながら、春雨サラダ以外は完食した』と連絡が来ました。

また、リハビリのことやパンを食べた話をしたり、母の習字の作品を見たりして二人で楽しく時間を過ごしたということでした。

そして、母の昼食の様子を撮った写真や二人の笑顔の写真を送ってくれました。

この日は風が強く寒かったのですが、夕方に再び行くと室内も寒いようで母はちゃんちゃんこを着ていました。

姪との昼食が終わった後のことを尋ねると、いつものように一時間ほど昼寝をしたということでした。

ただその前には、このところ便通が頻繁にあるので、姪と一緒に面会室から戻るとトイレに飛び込んでしまったようでした。

そのため、最後に姪を「見送ることが出来なくて残念だった」と言いながらも、楽しい時間を過ごせて満足そうな表情をしていました。

2018年12月30日

2022年12月29日 (木)

「今朝はパンが出て驚いた」

4年前の2018年12月29日は晴れて10℃の土曜日、母が施設に再入所して34日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

エレベーターを降りると母は食堂のいつもの場所にいで、話し掛けると「今朝は南側の窓で朝日を見た」と言っていました。

「南側には高い建物が多いね」と続ける母を連れて9階に行くと、こちらは西日が眩しい時間でした。

少し前の頃と比較してかなり日が長くなっていて、母も話をしながら日没の光景を楽しんでいました。

この日の話の内容として「今朝はパンが出て驚いた」と、母が笑顔で言ったのが印象的でした。

「パンは何か月ぶりだろう」と感慨深そうに言い「サンドイッチのような8枚切りくらいの薄いパンに何かが塗ってあった」ということでした。

ただ「味はよく分からなかった」と言いながらも「柔らかくておいしかった」と、喜んでいました。

母はウチで生活していた当時、朝食は毎日パンを食べていて、ガーリックペーストを塗ったトーストに紅茶が母のお気に入りでした。

それにしても、この日の母の表情を見ていると、母のパン好きは私が思っていた以上のようでした。

そんな話をしているうちに日没を迎え、前日同様に富士山のシルエットを見ることができました。

そして、この日も母の体調に問題はなく昼寝の後には皆で歌を唄ったそうで、それもあってかいつも以上に声も元気な感じがしました。

最後には翌日に来てくれる予定の姪に送る写真を撮ると、母はいい笑顔で手を振ってくれました。

2018年12月29日

2022年12月28日 (水)

「あらら、見えた」

4年前の2018年12月28日は晴れて10℃の金曜日、母が施設に再入所して33日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

施設のエレベーターの両側に門松が置かれていて、前日母が作ったと話していたダルマがその中に見えました。

母のフロアに着くと母は食堂の定位置にいましたが、室内はいつも以上に暑く、そして静かでテーブルに伏している人が目立ちました。

母を9階に連れて行くと、外は風が強く寒いので見通しが良く、私の目にははっきりと富士山が見えました。

とりあえず母にこの日の話を聞くと、午前中にはリハビリがあり、午後はいつものように昼寝をしたということでした。

食事に関しては、嫌いなお粥は柔らかいご飯になったそうですが、全体に量が多いと言っていました。

ほぼ完食しているようですが、おかずについては変化があったのかどうかわからないと首を捻っていました。

また、便通について「リハビリに行った後、3日分出た」と言っていて、むくみも含めて体調は問題ないようでした。

ところで、冬至を過ぎて日が長くなってきたようで、この日は日没後に富士山がシルエットとして、暫くの間見えていました。

以前同じ場所で母に「富士山が見えるよ」と教えた時は「何となくわかる」と、母は言ってくれました。

実際にわかったのかどうかは不明でしたが、この日は「あらら、見えた」「良く見える」と、富士山のシルエットを眺めていました。

やがて富士山のすぐ脇に日が沈んだのを見て母は「素晴らしいですね」と笑顔で感嘆の言葉を発して、私も『良かったな』と思いました。

2022年12月27日 (火)

本音は「お刺身が食べたい」

4年前の2018年12月27日は晴れて12℃の木曜日、母が施設に再入所して32日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、久しぶりに緑色の帽子を被っていたのが印象的でした。

母に挨拶をして話を聞くと、この日は午前中に入浴をして、その時に被らされた帽子だということでした。

そして話の続きを面会室でしようということで9階に行くと、ちょうど西日が眩しい時間になっていました。

このころ気になっていた食事のことを尋ねると「少し前に栄養士が来て、何かを増やすようなことを言っていた」とのことでした。

結局、何が増えるのかは分かりませんでしたが、母は食事の内容に変化があることを楽しみにしていました。

ただ、既に量的に多いとも言っていたので、量が増えてもあまりうれしくないようでしたが。

おそらく母の本音としては「お刺身が食べたい」ということで、それはマグロの刺身が好きな母は時々口にしていました。

もっとも、施設の食事で生ものは出て来ないので、それは無理な注文ではありました。

以前にも記しましたが、母が晩年をこの施設で過ごしたことを、私は考え得る中でベストの選択だったと思っています。

ただいくつか残念な点もあり、その中の一つは母が好きだったマグロの刺身が食べられなかったということでした。

自宅での介護と施設での介護、人それぞれに違いもありますが、食事の内容が同じようにはいかないことも考えておく必要があるでしょう。

2022年12月26日 (月)

「みんなにそう言われる」

4年前の2018年12月26日は曇りで12℃の水曜日、母が施設に再入所して31日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、既にカーテンが閉められていて室内が薄暗い感じがしました。

母に話しかけると、外の様子が見えないため「何時かわからない」と困惑した様子で言っていました。

前日は病院に行ったこともあって着替えをしなかったので、この日は9階に行くことなく部屋で着替えることにしました。

着替えながら話をすると、この日はまだ便通が無いようでしたが、確か前日はトイレに行くたびに出ていると話していました。

そこで私が「そんなに出るものでもないよ」と言うと母は「みんなにそう言われる」と、笑っていました。

また、食事が変わると聞いていたので様子を聞いてみると、あまり変化はなく「お粥の水分が減っているくらい」と言っていました。

他には「おやつに甘いものが出た」ということでしたが、母は「いつものゼリーの方がいい」と、こちらは少し不満そうでした。

体調は変らず良さそうでしたが前日は診察で疲れたため、夜の7時にはベッドに連れてきてもらって横になったということでした。

ラジオを聴きながら一寝して目が覚めたら、ラジオが「10時です」と言っていたので「3時間はグッスリ寝た」と言っていました。

定期的な通院でも、やはり母はそれなりに心配していたようで、病院から戻ると疲れが出たようでした。

それでも、この日の母は元気があって大きな声で話していて、耳も良く聞こえていたようで、楽しい話がたくさんできました。

2022年12月25日 (日)

体調良好でも新たな問題

4年前の2018年12月25日は晴れて10℃の火曜日、母が施設に再入所して30日目、午後2時40分ころ施設に行きました。

この日は退院後2回目の通院でしたので少し早めに行きましたが、母は昼食後の横になっている時間ということでした。

そのため私が母の部屋に行ってみると、母はラジオを聴きながら気持ちよさそうに眠っているところでした。

とりあえず母を起こして看護師さんに予定を尋ねると、まずレントゲンを撮りに行って下さいということでした。

そこでエレベーターで施設の1階まで下りると、母は受付の所のクリスマスツリーを見つけて、しばらくの間ジッと見つめていました。

病院の待ち時間にこの日の話を聞くと、午前中にはリハビリがあったと言っていました。

また、このところずっと便通が良すぎるくらいなのは変わらず、何度もトイレに行って行くたびに出ているということでした。

確かに病院に出かける前にもトイレに行っていたので、その状況は母にとって深刻なのだろうと感じました。

便秘するよりは良いのかもしれませんが、母が気分的に落ち込まないか、新たな問題が発生したようにも思いました。

病院での診察の方は前回と変わらないか、貧血のように少し良化しているものもあって、ここまでのところ問題は無さそうでした。

血圧やむくみも小康状態で、またしばらく施設での生活をこれまでと同様に続けていられるようになりました。

その結果を聞いてホッとする間もなく施設に戻ると、母はすぐにトイレに飛び込んでいました。

2022年12月24日 (土)

入浴後の笑顔

4年前の2018年12月24日は晴れて12℃の月曜日、母が施設に再入所して29日目、午後4時ころ面会に行きました。

母が食堂のいつもの場所にいなかったので、職員さんに尋ねると部屋で寝ているということでした。

一瞬体調が悪いのかと心配になりましたが、入浴が午後になったので昼寝が遅くなり、まだ寝ているようでした。

男性の職員さんと一緒に部屋に行くと、母はまだベッドに横になっていたので職員さんが起こしてくれました。

そして目を覚ました母をベッドに座らせて、まずこの日の話から始めました。

この日は午前中にはタオル折りをして、午後に入浴をしてからおやつを食べて昼寝をしたと、母は言っていました。

入浴後には背中と脚に保湿クリームを塗ってもらい、気持ち良く眠れたようでした。

この日に入浴を担当してくれた人がお湯をたっぷり入れてくれたので、身体や脚が浮かんで気持ちが良かったとも言っていました。

ところで、母はこの年の4月に脚の骨折で入院した際に、手術の前日に久しぶりの入浴をして「気持ち良かった」と話していました。

久しぶりというのは母は80代で腰を痛めて以来、一人では湯船に入らなくなっていたからです。

入浴の代わりに温めたタオルで身体を拭いていて、背中などは私が拭いてあげていました。

ただ、身体を拭くだけとお湯に浸かるのは格段の差のようで、施設での入浴は週2回でしたが、入浴後の母はいつも笑顔でした。

2022年12月23日 (金)

心配な筋力の衰え

4年前の2018年12月23日は曇り時々雨で12℃の日曜日、母が施設に再入所して28日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、施設の室内は相変わらず暖かく外から来たものにとっては快適でした。

この日も9階に行って話をしましたが、年末になったからか日曜日にもかかわらず面会室には一組しかいませんでした。

母はこの日も元気が良く「ウンチが良く出る」と言い、トイレに行くたびに少しずつ出ているということでした。

健康のためには良いことですが、トイレに着く前に出てしまうこともあるというので、さすがにそれは心配になりました。

そして、オムツの中に出ると気持ちが悪いので頻繁にトイレに行くという悪循環になっているようでした。

年齢のため仕方ないことですが、リハビリの回数も減って筋力が衰えたことも影響している気がしました。

それでも母は体調が良いので、この日も元気な声でいろいろと熱心に話をしてくれました。

日曜日なのでまったりと過ごしたようですが、午前中にはタオル折りや『荒城の月』などの歌を唄ったりしたということでした。

午後はいつものようにお昼寝で良く寝たと言っていました。

ただ、現状の食事の内容に少し不満があるようで、特に外観では何かわからないものが多く、味が良くわからないということでした。

そこで先日「25日からメニューが変わる」と言われ、それを母はとても楽しみにしているようでした。

2022年12月22日 (木)

懐かしい『シッカロール』

4年前の2018年12月22日は曇りで10℃の土曜日、母が施設に再入所して27日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、この日は曇っているからかテレビが良く見えたのでフィギュアスケートを楽しんだそうでした。

その後いつものように9階に移動すると、早くも初詣のための神社が出来ていて、鳥居や賽銭箱も揃えてありました。

変化のない施設の生活でもお正月気分が味わえるように、いろいろと考えてくれていて嬉しく思いました。

話を聞くと、この日の母は朝から便通があったそうで、口数は多く元気な声で体調の方は問題なさそうでした。

それでも前日の昼寝で熟睡したからか、夜はなかなか寝付かれなかったと言っていました。

そのため「夜中に見回りに来た職員さんを初めて見た」と笑顔で話してくれました。

ただ「その後はよく眠れた」ということで、この日の寝起きはスッキリしていたと喜んでいました。

その後、部屋での着替えの際に脚のむくみを見ると、前日までとあまり変わらず柔らかい状態でした。

そして右足に保湿クリームを塗っていると、少しザラザラする部分があり、母はその部分を「痒い」と言いながら掻き始めました。

それを見て私は「なるべく掻かないようにね」と母に言いましたが、その時に思い出したのが『シッカロール』のことでした。

家にいた頃の母は入浴後に『シッカロール』を塗ることが習慣になっていて、母が愛用していた『シッカロール』は今でもウチにあります。

2022年12月21日 (水)

アッという間の90年

4年前の2018年12月21日は晴れて14℃の金曜日、母が施設に再入所して26日目、午後4時10分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、挨拶をすると「ちょうどトイレから戻ったところ」と言っていました。

この日は曾孫の新しい動画を見せてあげようと思っていたので、面会室には行かずに最初から部屋へ行きました。

まずこの日の話を聞くと、午前中にリハビリがあったと言い、そのためか昼寝はよく眠れたとのことでした。

リハビリでは「いつも通り2往復歩いた」と充実していたようで、この日の母の話し声も元気で体調も良さそうでした。

また、食事について話があり制限が少し緩和されるかもしれないということで、母は「パンの話も出た」と、楽しみにしている様子でした。

着替えの途中で脚に保湿クリームを塗りながらむくみを見ると、このところ少し出てきていましたが、まだ柔らかい感じでした。

一通りの話と着替えを終えてから、私のスマホで曾孫の新しい動画を母に見せてあげました。

ほぼ1年前に生後3か月の時に会って以来の曾孫を見て、母は「もう歩いてる。早いものだね」と言いながら喜んでいました。

これまでも写真は見ていましたが、動画は動きがあるだけ分かりやすいようで、母はしきりに「カワイイね」と笑顔で見つめていました。

繰り返し動画を見ながら「曾孫なんだね」と母が言うので「90歳違いの曾孫だよ」と、私が答えると母は大笑いしていました。

そして「90年なんてアッという間だね」と、しみじみと呟いていました。

2022年12月20日 (火)

「首の辺りがスースーする」

4年前の2018年12月20日は晴れて14℃の木曜日、母が施設に再入所して25日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、挨拶をすると「お風呂上りで暑い」と言いました。

この日は午前中にはタオル折りをたくさんしたということでした。

そして午後に入浴をして、上がった後には背中や脚にたっぷりと保湿クリームを塗ってもらったと嬉しそうでした。

ただ、入浴の前に出しておこうと考えて何度かトイレに行ったけれども、この日は未だに出ていないと言っていました。

それでも体調は良さそうで、声には元気があってたくさん話をしてくれました。

少し気になったのが脚のむくみで、依然として柔らかいものの前日までよりも少し上までむくんでいる感じがしました。

また、入浴後でしたが母が「暑い」と話していたので、肌着だけ着替えることにしました。

お風呂上りに半袖の冬物を着ていましたが、母が「首の辺りがスースーする」というので、ハイネックの物に替えてあげました。

ところで、母のむくみが悪化して総合病院を紹介された頃から後、私はとにかく母が寒い思いをしないように心掛けてきました。

その点はほぼ成功したと考えていますが、その後に母が「寒い」と言ったのは、エアコンの風が直接当たった時くらいでした。

つまりそれは夏場に多かったので、晩年の母は冬場は暖かく過ごしてくれたのだろうと勝手に思っています。

2022年12月19日 (月)

楽しいクリスマス会

4年前の2018年12月19日は晴れて13℃の水曜日、母が施設に再入所して24日目、午後4時5分ころ面会に行きました。

母はトイレに入っているということで部屋に行って待っていると、笑顔の母が職員さんに連れられてきました。

「出た」と嬉しそうに言った母は、この日も元気で体調も良さそうでした。

この日は午前中にリハビリがあり、伝い歩きを2往復して頑張ったと、まずは教えてくれました。

そのような母の軽快な動きを先生も喜んでくれて、「次のリハビリは金曜日」と言われたということでした。

また、昼寝の後のおやつの時間には『クリスマス会』を楽しんだとのことでした。

職員の皆さんがサンタクロースに扮装し、『きよしこの夜』や『ジングルベル』を唄ったと言っていました。

そして、アイスクリームやリンゴジュースをいただいて「おいしかった」と、母は嬉しそうな笑顔でした。

この日のようにリハビリをしたり楽しい催しがあると、母は声に元気があり目もしっかり見開いていてとても活気がありました。

その上この日も良い天気で、短い時間ながらきれいな夕焼けが現れて、母は感動しながら見つめていました。

このように母が笑顔で元気に過ごしていた日を振り返ると、4年後の今でも『良かったな』と私は感じます。

おそらく、この日の帰り道は既に暗く寒かったはずですが、間違いなく私の気持ちと足取りは軽かったと思います。

2022年12月18日 (日)

「今日は富士山見えました」

4年前の2018年12月18日は晴れて13℃の火曜日、母が施設に再入所して23日目、午後4時ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、挨拶をすると「暑いでしょ?」と、母は室内の暖房を暑く感じているようでした。

9階の面会室に移動すると、西の窓からほとんど雲のない空が見えましたが、まだ少し夕焼けには早い時間でした。

私が西方の夕景を眺めながら「富士山が見える」と言うと、母は「えっ、本当?」と探してもよくわからない様子でした。

また、この日の体調の話を始めると「ウンチの出ること!」と、母は驚くような表情で言い「昨日の夜もドッと出た」と続けました。

そして「今日も出た」と笑っていました。

この日はリハビリも無く、タオル折りもやらず何もしていないということでしたが、良い天気なので窓から外を見ていたとのことでした。

ただ、お昼を食べてからおやつの前までたっぷり寝て「お昼寝は十分した」と話してくれました。

昼寝の後のおやつはゼリーで、他の人は『きんつば』だったそうですが、母にとってはゼリーが冷たくておいしかったと嬉しそうでした。

話をしているうちに夕日が沈む時間になり、母は「あら、いいじゃない」と茜色に染まった西の空を見つめて言いました。

太陽が沈む少し右側に富士山があることを私が教えると、母は「そう言われれば、そんな感じもする」と見え始めたようでした。

その後は母にも富士山がわかったようで「いいモノを見ました」、「今日は富士山見えました」と、感動した表情で言っていました。

2022年12月17日 (土)

楽しそうなタオル折り

4年前の2018年12月17日は雨のち晴れで10℃の月曜日、母が施設に再入所して22日目、午後4時ころ面会に行きました。

母が食堂のいつもの場所にいたので私は向かい側の鏡を見ながら手を振ると、母はそれに気付いてくれました。

母が最初に言ったのは「お風呂から戻ったばかり」ということで、戻ってきたらおやつが用意されていたそうでした。

このころでは珍しく午後に入浴したようでしたが、お風呂場のある戻ってきたばかりの9階へ行って話をすることにしました。

話をする前に9階から西の空を見渡すと、この日は久しぶりにきれいな夕焼けが見られそうな空模様でした。

変わりゆく空の色を眺めながら改めて話をすると、この日は午前中にタオル折りをたくさんやったと言っていました。

そして午後は、いつもならば昼寝をする時間に入浴をしたそうでした。

入浴後には背中や脚などに保湿クリームを塗ってもらい、手の爪も切ってもらったと笑顔で話してくれました。

その後におやつを食べたと言い、入浴前には便通もあったようで体調も問題なさそうでした。

ところで、母は空いた時間によくタオル折りをしていて、時々は疲れたというほどやることもあったようでした。

もちろん施設で自分たちが使うタオルを畳んでいるわけですが、認知症の人などはやらないようで、母は時々愚痴をこぼしていました。

「やらない人がいるから、自分の方に回される」と言いながらも、母は楽しそうに私にタオルの折り方を教えてくれたこともありました。

2022年12月16日 (金)

赤ちゃんのように

4年前の2018年12月16日は曇りで5℃の日曜日、母が施設に再入所して21日目、午後4時ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所で職員さんとボール投げをしたりして遊んでいて、とても楽しそうな表情をしていました。

私が挨拶をすると、この日も母は便通の話から始めて「昨日の夜に出て、今おやつの前にも出たので安心だ」と、言っていました。

昨夜はベッドに入ったところで出たので、ベッドの上で赤ちゃんのようにおしめを替えてもらったと、笑顔で話していました。

「だからよく眠れたのかな」と明るい声で続け、この日も母の体調に心配はなさそうでした。

前日も記しましたが、こういった内容を笑顔で明るく話してくれるのは、私にとっても嬉しいことでした。

ただ、このところおしめの中に漏らしてしまったということを時々聞くので、筋力の低下が原因なのか、その点は新たな不安でした。

また、この日のおやつは「美味しいものが出た」と言い、麦茶とともによく分からない甘いものが出たと教えてくれました。

ここ数日は便通が良いので食事もおいしいようで、この日も日曜日でまったり過ごしていた中でも元気がありました。

ただ少し気になったのが脚のむくみで、足の先から踝くらいまで、柔らかいながらもむくみが始まったような感じでした。

それでもこの日の母は全体的に口数も多く、笑顔でいろいろな話をしてくれて、私も楽しい時間が過ごすことができました。

残念なのは、このところ雲の多い日が続いていて、なかなかきれいな夕焼けを見ることができず、その点だけは母も寂しそうでした。

2022年12月15日 (木)

「ウンチ出た?」

4年前の2018年12月15日は晴れて10℃の土曜日、母が施設に再入所して20日目、午後4時ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて挨拶をすると「朝からウンチが出た」と嬉しそうに報告してくれました。

2日間出なかったので下剤も考えていたようでしたが、おやつの後にも出たということなので、しばらくは安心できそうでした。

この日は土曜日なので特別な催しは無く、前日に続いて年賀状作りをしたそうで、午後にはいつものように昼寝をしたとのことでした。

話をしていても体調は良さそうで、口数も多く元気があって、笑顔を何回も見ることができました。

ところで、高齢になってからの母は悩みの一つは便秘で、施設に面会に行ってもそれが話題にならない日は無いくらいでした。

ウチにいた頃から毎回の通院では便秘薬を必ず出してもらうことにしていました。

母は若い頃は、ほぼ毎日便通があったそうで、一日出ないと辛いというようなことも言っていました。

インシュリンの注射をしながら食事をしていた時期もあり、食事の量は結構食べていましたから、一日溜めると辛かったと思います。

そんな事情を知っていたこともあり、母がウチにいる頃は母がトイレから出てくると、私は時々「ウンチ出た?」と尋ねたりしたものでした。

そんな子供に対してするような口調に、母は「出たよ!」と、やはり子供のような口調で笑顔で答えてくれました。

そんなやり取りをしていたからか、母は施設でも便通のことを恥ずかしがることもなく率直に明るく話してくれました。

2022年12月14日 (水)

「全部お任せした」

4年前の2018年12月14日は晴れて10℃の金曜日、母が施設に再入所して19日目、午後4時ころ面会に行きました。

母は車椅子に座りながら腿上げの運動をしていて、私が挨拶をすると母の第一声は「全部お任せした」と、頭髪をカットした話題でした。

ただ、「その分寝る時間が無くなった」と言い、そしてなぜか腿上げの運動をしていたということでした。

9階の面会室に行って話を続けると、この日は午前中にリハビリに行きフルコースをこなした、と母は言いました。

意欲的に「もう一回やりたい」と母が申し出て、結局2往復歩いたと笑顔で教えてくれました。

ただ、何といってもこの日の母のメインイベントは、頭髪のカットでした。

美容師さんが2人来ていたそうで、終わった後に「みんな『カッコイイ』と言ってくれた」と、母は満足そうでした。

また「あの人は予約していないから断られた」と、いつも隣にいる同室の人のことも話していました。

高齢になると髪が細くなり伸びも遅くなりますが、母は「長いのが気になっていた」と言っていて、サッパリして嬉しそうでした。

考えてみるとこの前に母が髪を切ったのは、この年の3月に脚を骨折する前のことでした。

そして、ウチで私が母の面倒を見ていたその時期には、何度か母の髪を切ってあげたことを思い出しました。

この日もよく眠れて「朝も良く文字が見える」と言う母の体調は良さそうで、久々の散髪にも満足して母はとてもご機嫌な様子でした。

2022年12月13日 (火)

「年賀状を書いていた」

4年前の2018年12月13日は曇りで10℃の木曜日、母が施設に再入所して18日目、午後4時ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、カーディガンの下には新しい服を着ていたので入浴をしたことが分かりました。

また、テーブルの上にはハズキルーペが置いてあり、何かの作業に使っていたように思いました。

話を聞くと「年賀状を書いていた」と言い、展示会も終わって今度はお正月の準備に入ったようでした。

9階の面会室に行き話の続きをすると、午前中に入浴をして背中や脚に保湿クリームを塗ってもらったと嬉しそうに話してくれました。

また、看護師さんが「初めて切る」と言いながら爪を切ってくれたそうで、見ると深爪を避けて遠慮したような切り方になっていました。

その時に脚のむくみも見てもらい「ないわねぇ」と看護師さんが言ってくれたと、母は笑顔で教えてくれました。

確かに私が見ても脚のむくみは前日よりもさらに良くなったような気がして、ほとんどわからないくらいでした。

またこの日の午後は、いつものように昼寝をしてから例の年賀状作りをしていたということでした。

そして、おやつにはいつものゼリーに何かプラスアルファがあったそうで、「特別においしかった」と嬉しそうな表情でした。

外を見ると、この日は曇り空でしたが「朝には富士山と筑波山を見た、という人がいた」と、母は言いました。

ここ数日、天気が今一つで夕焼けを見ることができず残念そうな母でしたが、声には元気があって体調も良い日々が続いていました。

2022年12月12日 (月)

快便で大騒動

4年前の2018年12月12日は雨のち曇りで10℃の水曜日、母が施設に再入所して17日目、午後3時45分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、あまり元気がないように見えました。

話を聞くと、昼寝に行く前にトイレに行ったら便通があり、横になったところベッドでまた出てしまったということでした。

そういえば少し前にも、夜ベッドに入ったところで出てしまったということを聞いたばかりでした。

この日は特に行事は無く、午前中はタオル折りをして、午後に昼寝をしようとして『大騒動』になってしまったと言っていました。

それでも「おやつにはゼリーと紅茶をおいしくいただきました」と、笑顔で教えてくれました。

話を始めると母の声はしっかり出ていて、元気もあっていつもと変わりはないようでした。

また脚のむくみは柔らかく、このところ代謝が良いからかむくみには良い状況のように思えました。

ただ、快便はいいのですが、ベッドに入ってからおしめの中に出てしまうのはかなり厄介なことでした。

母も「後始末が大変で大騒動になった」と振り返っていました。

周囲に対して迷惑を掛けてしまうことはある程度仕方のないことですが、母が精神的に落ち込んでしまうことも心配な点でした。

とりあえずこの日は『大騒動』はありましたが、母自身は心身ともに落ち着いていたので、その点では安心できました。

2022年12月11日 (日)

2か月ぶりのコーヒー

4年前の2018年12月11日は曇りで7℃の寒い火曜日、母が施設に再入所して16日目、午後4時ころ面会に行きました。

母に挨拶をすると、リハビリに行っている間に12月の誕生会があったそうで、忙しかったと言いました。

昼寝をしてるところを起こされてリハビリに行き、帰って来ると誕生会は終わっていて、母の分のコーヒーが残っていたということでした。

本来であれば11月の誕生会は母も主役になるはずでしたが、丁度入院していた時期に当たり母は残念そうにしていました。

それでも、およそ2か月ぶりにコーヒーが飲めて、母は「久しぶりでおいしかった」と喜んでいました。

また、このところ便通がよくあるそうで、前日はトイレに行くたびによく出ていたと言っていました。

夜も横になってから便意を感じてトイレに行き「そのおかげで良く眠れた」と嬉しそうに話してくれました。

その上「今朝も出た」と言い「お腹がペチャンコだ」と、お腹を叩くような格好をして笑っていました。

この日はとても寒く、私も初めて自宅で暖房を使いましたが、母も「移動中の通路が寒い」と言いました。

ただ、この時は冬物の厚手の肌着を着ていたので「部屋の中は暑い」と言い、着替えの前に早くも脱ぎ始めていました。

汗で背中が痒いようで、背中を拭いてあげてから肌着を替えてあげると「これは暖かい」と喜んでくれました。

最後に脚のむくみを見てみると、リハビリと便通のおかげか柔らかく体調は良さそうで、口数も多くとても元気な母でした。

2022年12月10日 (土)

「私はまだお粥だよ」

4年前の2018年12月10日は曇りで10℃の月曜日、母が施設に再入所して15日目、午後4時ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、例によってエアコンが効いていて暑いのかカーディガンを脱いでいました。

食堂の南側の部屋に前日までの展示会に出ていたリングの作品が来ていたので「今までそれを見ていた」と母は言っていました。

また、朝からたくさん便通があったことや午前中に入浴をしたことを元気な声で話してくれました。

その続きは面会室で聞こうと9階へ行くと、展示会場は片付け中でしたが、まだ残っている展示会の作品もありました。

それらを眺めながら母と習字や塗り絵、折鶴のことなどを話しました。

母は「今日ベッドサイドに鶴があった」と言い、展示会でもたくさんの折鶴が見られて「良かった」と笑顔で振り返っていました。

その後は食事の話になり、前日ハヤシライスが出たようでしたが「残している人が多かった」と母は言っていました。

「珍しいから食べればいいのに」と続けて「私はまだお粥だよ」と、最後は愚痴も出てきました。

また、リンゴジュースやお茶を飲み干さないとだめだ、などと言われるそうで、その点も不満な様子でした。

おそらく施設の方では、母の持病や脱水症状などを考えて水分を決めているのだろうと、私は思っていました。

ただ、むくみの関係もあるので、本人が飲みたくない量まで飲ませるのはどうだったのか、という疑問は今でもあります。

2022年12月 9日 (金)

展示会最終日

4年前の2018年12月9日は曇りで12℃の日曜日、母が施設に再入所して14日目、午後4時ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、隣の席では母と同室の人がちょうど塗り絵をしていました。

母に挨拶をして、この日が展示会の最終日ということで、早速9階に行くことにしました。

俳句の所では母の作品が2点あるのを見つけ、折鶴の所では記念の写真を撮りましたが、母はポーズをとっていました。

結局、母が入院前から楽しみにしていた展示会を見に来てくれた人はいませんでしたが、この日の母は楽しそうでした。

そして母の話では、朝から便通があり「さっきも出た」と言っていて、体調が良いからか口数が多く声もよく出ていました。

この日は、先ほど隣の人がやっていた塗り絵を珍しく母もしたそうで、午後には昼寝をしたということでした。

その塗り絵は『花売り娘』という細かいものだったそうで、母はそのためにハズキルーペをポシェットから出したとのことです。

それに気付いた職員さんをはじめとして、皆でハズキルーペの話題で盛り上がったようですが、母はよく分からなかったと言っていました。

また、この日も前日に続いて外は北風で寒かったですが、施設の室内は暖房が効いていて母も暑がっていました。

部屋に戻って着替えの際に背中を拭いてあげると、母は「気持ちいい」と喜んでくれました。

そういえば、ウチで母の介護をしていた頃も、就寝前に身体を拭いてあげていたなと、数か月前のことを懐かしく思い出しました。

2018年12月9日

2022年12月 8日 (木)

「嬉しいね」「いいね」

4年前の2018年12月8日は曇りで12℃の土曜日、母が施設に再入所して13日目、午後4時ころ面会に行きました。

とても寒い外から暖かい室内に入って母に挨拶をすると、母は「暑いわよ」と元気な声で言いました。

いつものように9階の面会室に行き翌日で終わる展示会を見ていると、母は「ほとんど見たね」と呟いていました。

展示会が始まった頃、母は入院中でしたので楽しみにしていた展示会をとても気にしていましたが、一通り見られて満足した様子でした。

それでも翌日までということで、もう一度母の作品を中心に見て回ることにしました。

鶴を見つけて「母さんが折った鶴だよ」と私が言うと、母は「嬉しいね」「いいね」と笑顔を見せてくれました。

また習字の作品では「いもほり」「秋の七草」「栗ひろい」が掲示してあり、久しぶりにしては見事な筆遣いでした。

ただ、展示会の会場で母が気にしていたのは「あまり人がいないね」と、結局誰にも見てもらうことができず残念そうでした。

それでも、このところ室内の暖房が暑いこともあって「ここは涼しくていいわ」と爽やかな表情で言っていました。

この日の昼寝の時も暑さですぐ起きてしまったそうで「半袖の肌着だからどうかと思っていたけど暑かった」と、振り返っていました。

その後、部屋に戻って着替えの際に、その半袖の肌着を脱がせて背中を拭いてあげると「いい気持ち」と喜んでくれました。

この日は暑さを気にしながらも体調は良さそうで、元気な声でたくさん話をしてくれました。

2018年12月8日

2022年12月 7日 (水)

暖かい施設の冬

4年前の2018年12月7日は曇りで18℃の金曜日、母が施設に再入所して12日目、午後4時ころ面会に行きました。

母はトイレに行っているのか食堂のいつもの場所にいませんでしたが、看護師さんと前日の病院での診察について話ができました。

看護師さんからは次回の受診の付き添いを確認され、私はむくみが酷くなれば予約日の前でも受診するように言われたことを伝えました。

その後母の部屋で待っていると、やはりトイレに入っていた母が元気そうな表情で現れました。

この日は午前中にラジオ体操をしていたら今週2回目のリハビリに呼ばれ、いつものように2往復歩いたということでした。

やはりリハビリがあった日は顔色も良く、声にも元気があるように感じました。

それから前日の通院後の話になり、病院から戻って昼食を取り、その後すぐにお風呂に呼ばれて忙しかったと振り返っていました。

その入浴後に着たのが冬用の厚手の肌着なので暑いと母が言うので、夏用のブルーの半袖の物に替えてあげました。

母と私にとって初めての施設の冬でしたが、結局エアコンが良く効いていて、この後も厚手の物はほとんど必要ありませんでした。

このころ母はおやつにゼリーをよく食べていましたが、この日も「ゼリーが冷たくておいしかった」と話していました。

それから病院の主治医について母は「あの先生はあまり話をしない」と感想を述べていました。

私も確かにそんな印象を受けていましたが、最終的には余計なことや不確実なことは言わない信頼できる先生だと思いました。

2022年12月 6日 (火)

久しぶりの通院の日

4年前の2018年12月6日は雨のち曇りで12℃の木曜日、母が施設に再入所して11日目、この日は午前中に通院することになっていました。

併設されている病院とはいえ、通院するケースはあまりないようで看護師さんも戸惑っている感じがしました。

結局、12時頃まで施設で待ってから病院の待合室に行きましたが、診察室に呼ばれたのは12時40分頃でした。

母が外来でこの病院に行ったのはこの年の3月以来ですが、待ち時間が長くなったこともあり、その間にいろいろ思い出してきたようでした。

特に「こんなにきれいだったかな?」ということを、しきりに呟いていました。

その後、12時40分頃になって診察室に呼ばれると、入院時の主治医が血液検査の結果などを見て診察してくれました。

血圧がかなり高めだったため、先生は施設の看護師に電話をして、いつもこんなに高いのかどうか確認していました。

また、血液検査ではかなり貧血気味でしたが、先生の話では入院時とあまり変わっていないということでした。

結果として、貧血に関しては「このまま続くようなら、輸血も考えましょう」とのことでした。

また、前のように急激にむくむこともあり得るし、むしろ老化現象の一つなので確実に繰り返すだろうと言われました。

次回の予約は2週間後になりましたが、それまでにむくみが酷くなるようなら予約日の前でも受診するようにとのことでした。

確かに母はこの後2回入退院をして、3度目の入院が最後になりました。

2022年12月 5日 (月)

『よそ行き』の服装

4年前の2018年12月5日は曇りで18℃の水曜日、母が施設に再入所して10日目、午後3時40分頃面会に行きました。

母はいつもの場所にいましたが、この日も暑いようでカーディガンは脱いでいました。

9階の面会室に行って話をすると、この日は朝から快便で体調の方は良さそうでした。

また、午前中にはラジオ体操をしてからタオル折りをやり、午後はいつものように横になったということでした。

退院後は毎日午後に昼寝をしていて、それが脚のむくみの悪化をそれなりに押さえているのだろうと思いました。

それから退院後初めての通院が翌日に迫り、フロアの看護師さんと話したことを母に伝えました。

病院が施設の隣なので採血は施設で済ませ、呼び出しがかかってから出かければいいということでした。

また、受付も済ませてくれるので、私は午前11時頃に行くということになっていました。

それを聞いて母は、翌日の通院には『よそ行き』の服装で行くものだと考えているようで「ブラウスが欲しいね」などと言っていました。

確かにウチにいた頃の母は、ちょっと外に出かけるにも部屋着を着替えて『よそ行き』を着るような人でした。

ただ、施設から病院へは外に出ることなくドアを一つ通るだけなので、私は当然施設での服装のまま行くものだと思っていました。

今考えると、家から通院した時のように『よそ行き』に着替えた方が、母も喜んでくれたのかなと思ったりもします。

2022年12月 4日 (日)

「今日もすごい」夕焼け

4年前の2018年12月4日は晴れて22℃の火曜日、母が施設に再入所して9日目、午後4時頃面会に行きました。

母はいつもの場所にいて、挨拶をすると「暑い」と言うので「外も暑いよ」と私が答えると、母は「そう」と頷いていました。

ここ数日は外気が冷たいことが多く、室内のエアコンが暑かったのですが、この日は日差しが強くそれが暑いようでした。

特に部屋の奥深くまで日が差すようになってきたので、窓のカーテンを閉めても室内が暑くなっているとのことでした。

ですから、昼寝の時間も母は「日が当たって、暑くて眠れなかった」と言っていました。

その時に汗を掻いたとも話していたので、9階の面会室には行かず、母の部屋で着替えをしながら話をすることにしました。

部屋に行くと、12月の夕方にもかかわらずベッドの枕元に置いた時計の温度計が26℃を示していました。

施設の入っているビルではこの時期に冷房は使えないようでしたが、確かにこの暑さではなかなか眠れないな、と思いました。

この日は午前中にリハビリがあったそうで、2往復歩いた時には久しぶりだったせいか「少し怖かった」と振り返っていました。

着替えも終わり最後に夕焼けを見ようと部屋の窓から外を見ると、向かいのマンションに日が沈み、きれいなオレンジ色が見えました。

母は「昨日も見たけど、今日もすごい」、「こんなのはなかなか見られない」と、しきりに感心していました。

この日の母は少し暑さに参っているようでしたが、退院直後とは違って声や表情にも元気が出てきたように感じました。

2022年12月 3日 (土)

「夕焼けを見ていた」

4年前の2018年12月3日は曇りで16℃の月曜日、母が施設に再入所して8日目、午後4時頃面会に行きました。

母が食堂のいつもの場所にいたので挨拶をすると、母は「夕焼けを見ていた」と言いました。

おそらく食堂の西向きの窓から見たのでしょうが、確かに段々と日没が早くなっていましたが、夕焼けにはまだ少し早い時間のようでした。

その後9階に移動して話すと、この日は午前中に入浴したそうですが、厚手の肌着を着たので「暑い。着替えたい」と言っていました。

また、この日も展示会を見て回り、母は作品を見ては「考えるのがすごい」と、担当の職員さんのセンスに驚いていました。

そして自分の作品を見て「鶴も持って来て良かった」と、しみじみと呟いていました。

さらに展示会の期限がまだ一週間あるので「皆、来ればいいのに」と、まだ誰も見に来ていないことを残念がっていました。

いろいろ話をしているうちに日没が近づいて、雲が多い中でもそろそろ夕焼けか、という時間になってきました。

着替えをするために母の部屋に行くと「お風呂の後、着替えが暑そうだったので『えーッ』と、思った」と、母は言いました。

そのリクエストに応えて、肌着や帽子を薄手の物に替えている間、母は入浴の手順などを熱心に説明をしてくれました。

入浴後には背中と脚にクリームを塗ってもらい、ドライヤーも掛けてもらって、母の体調は良さそうで脚のむくみも心配ありませんでした。

着替えが終って部屋の窓から母とともに外を見ると、既に夕日は沈んでいて、すっかり日が短くなったことを実感しました。

2022年12月 2日 (金)

『事件』があった

4年前の2018年12月2日は曇りで13℃の日曜日、母が施設に再入所して7日目、午後4時頃面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、この日は外が寒いので室内のエアコンが効きすぎて暑いのか、カーディガンを脱いでいました。

話を聞くと、「今日はずっとこの格好でいる」とのことで、体調に問題は無さそうでした。

9階の面会室に行くためにエレベーターに乗ると、「今日は事件があった」と、母は言いました。

私は『何だろう?』と思いながら9階に着くと、母は早速話し始めました。

前夜、早めにベッドに行くと、横になった途端にウンチが出てしまったということでした。

なかなか止まらないので、そのままトイレに連れて行ってもらったところ、ものすごい量が出たと、笑顔で話してくれました。

「そのおかげでお腹もペチャンコになって、よく眠れたのではないかな」と自己分析していました。

また、そのためかこの日は食欲もあってたくさん食べられたと言い、入院前のような元気さが戻ってきたように感じました。

そして、この日は日曜日にも関わらず展示会を誰も見ていなかったので、母と一緒に改めてゆっくり見て回ることができました。

退院後一週間が経過して施設の生活にも慣れて来たからか、母は食欲も回復して元気が出てきました。

また、体調も良さそうで口数も多くなってきましたが、この日母が最初に言った『事件』が何かは最後まで分かりませんでした。

2022年12月 1日 (木)

もう一歩かな?

4年前の2018年12月1日は晴れて18℃の土曜日、母が施設に再入所して6日目、午後4時頃面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、室内が暑いようでカーディガンを脱いでいました。

話を聞くと、この日は午前中にリハビリがあり、午後はいつものように昼寝をしたということでした。

リハビリの内容はいつもと同じだったそうですが、手すりを使っての歩行は1往復だけだったと話していました。

退院後、一週間でリハビリは2回目でしたので、今後もこれくらいのペースになるのかと私は思いました。

そして9階では展示会を開催中ですから、土曜日のこの日は人出が多いと思い、母の部屋で着替えをしながら話を続けることにしました。

脚のむくみを見るとそれほど変わりなく、ただ肌のかさつきが目立ったのでローションを塗ってあげました。

この日はまだ便通が無いと言っていましたが、食欲は普通で全体的な体調は問題なさそうでした。

また母は、ここ数日展示会をやっているのに誰も見に来てくれないと、残念そうな表情をしていました。

ところがこの日は「みんな忙しいから仕方ないね」と元気な声で言っていましたが、その表情は相変わらず寂しそうではありました。

それでも退院後少しずつ元気を取り戻してきたようで、明るい表情も見られるようになってきました。

そこで、姉に母の笑顔の写真を送ることにしましたが、入院前の屈託のない笑顔までもう一歩かな、という表情が撮れました。

2018年12月1日

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