« 2022年10月 | トップページ | 2022年12月 »

2022年11月

2022年11月30日 (水)

「誰も来ない」と、残念そう

4年前の2018年11月30日は晴れて15℃の金曜日、母が施設に再入所して5日目、午後3時45分頃面会に行きました。

母はちょうどトイレに入っているところで、戻って来ると「今は出なかったけど、朝たくさん出た」と教えてくれました。

この日は朝食を食べようとテーブルに着いたところ、お腹が痛くなったのでトイレに行ったとのことでした。

その時にたくさん出たそうで、退院後ずっと出ないと言っていたので、ホッと一安心というところでした。

ただ、この日はリハビリも無く午後は昼寝をしたそうで、一日ゆっくりと過ごしていたようでした。

それでも施設の生活に少しずつ慣れてきたようで、車椅子を自分で動かすことも増えてきたと言っていました。

また、話し声にも力が出てきたように感じられて、徐々に元気が戻ってきたように思いました。

ただ、体調が良くなって元気が出てくると、今度は退屈さを持て余しているようでした。

それから、展示会が開催中にもかかわらず、私以外誰も面会に来てくれないことにも不満があるようでした。

ここ数日「誰も来てくれない」と口に出していて、自慢の作品を見てもらえないことを残念に思っているようでした。

それでも、むくみはほとんど無く便通もあったということで、体調の不安が解消されつつあるのは私には嬉しく思いました。

母にとっても退院後5日目にして、以前の施設での生活を取り戻しつつあった時期でした。

2022年11月29日 (火)

手術の選択

4年前の2018年11月29日は曇りのち晴れで15℃の木曜日、母が施設に再入所して4日目、午後4時頃面会に行きました。

母はいつもの場所にいて、この日は午前中に入浴をして午後は昼寝をしたということでした。

この日も9階に行き展示会を見ましたが、4日目でもあり母にも色々見えてきたものがあるようで、他の人の作品を感心して見ていました。

感想を述べる母の声の大きさも徐々に戻ってきたようで、元気が出てきたようにも感じました。

むくみの方も入院時の枯木のような細さではなくなりましたが、座る生活になってからもそれほど悪化はしていませんでした。

また、この日もまだ便通は無いと言っていましたが、お腹が苦しいこともなく体調は良さそうでした。

ところで、退院後の母は入院することになった原因や自分の状況について医師と私が話した内容を知りたがっていました。

私が聞いたのは、今回のむくみの原因として大きいのは心不全によるものだろうということでした。

心臓の状態としては弁膜の動きが良くないので、若い人であれば解決するには手術しかないと医師は言っていました。

ただ年齢を考えれば最悪がステージ4とすれば、まだ2くらいなので手術しないで寿命を全うする方が良いだろう、ということも言いました。

私は母が心臓の手術を望むとは思いませんでしたし、心配性な方なのでなるべく深刻にならないような内容を母には伝えました。

これで良かったと思っていますが、手術の選択も含めてありのままを母に話したらどうだったか、ということは今でも時々考えます。

2022年11月28日 (月)

寂しそうな一言

4年前の2018年11月28日は晴れて19℃の水曜日、母が施設に再入所して3日目、午後4時頃面会に行きました。

母はいつもの場所にいて、昼寝の後におやつを食べてトイレに行った後、そこで落ち着いていたようでした。

話を聞くと、この日もまだ便通が無く食事の量が多く感じられて、お粥を少し残してしまったということでした。

その後9階に行き展示会を見ましたが、3日目ともなると母にも徐々にいろいろと見えてきているようでした。

自分の作品だけではなく、他の人の作品も様々に眺めて楽しんでいました。

ただ、習字や工作など日頃の自分の成果を見てもらいたいようで「誰か見に来てくれないかな?」と、寂しそうに一言呟いていました。

かなり前から楽しみにしていた展示会ですので、母としても誰かに見てもらって詳しく話をしたい様子でした。

ところで、前日母が自分の病状について尋ねてきたので、この日は少し詳しく話をすることにしました。

私が母を病院に連れて行って一緒に病室に入るようになってから、医師は私に母の状態を説明するようになりました。

母は耳は少し遠かったですが、認知はしっかりしていましたので母に説明をしても良かったのですが、なぜか私が聞くようになっていました。

母にとって悪い話は知りたくないでしょうから却って良かったかもしれませんが、私にとっては人の命のことですから責任重大でした。

そんなわけで、あまり悲観的なことは話さずに、心臓は丈夫だが老化で少し働きが落ちているということを伝えておきました。

2022年11月27日 (日)

温かい歓迎の言葉

4年前の2018年11月27日は曇りで19℃の火曜日、母が施設に再入所して2日目、午後3時45分頃面会に行きました。

母はおやつを食べてトイレに行った後に、食堂の定位置でくつろいでいたところのようでした。

話を聞くと、この日は午前中にリハビリに行き、午後はベッドで横になっていたということでした。

以前と同じような施設での生活が再び始まりましたが、この日も母はまだ入院前のような調子を取り戻してはいないように見えました。

例えば、9階の面会室に行く時にエレベーターでリハビリの先生に会いましたが、母は誰だか分からなかったようでした。

ここ数日、どことなく元気がなかった母は面会室で話し始めると、私が施設の医師と話した内容について尋ねました。

とりあえず12月6日に通院する予定を教えて、状況についてはまた改めて話してあげることにしました。

その後の着替えの際には、それほど寒くないこの日も、ちゃんちゃんこを着ることに拘っていました。

病院の看護師さんに繕ってもらったことが嬉しかったのか、すっかり母のお気に入りになっていました。

まだ退院の翌日ということで、18日間の入院生活の名残が母の心身に残っているように感じました。

それでも面会室で母と話をしていると、多くの職員さんが母を見つけて温かい歓迎の言葉を掛けてくれました。

母はその声に笑顔で答えていましたが、一日も早く以前のように明るく元気に過ごしてくれたらいいな、と私は思いました。

2022年11月26日 (土)

退院、再び『老健』へ

4年前の2018年11月26日は晴れて18℃の月曜日、母が入院して18日目、いよいよ母が退院して再び『老健』に入所する日になりました。

まず『老健』で母を乗せる車椅子を借り、それとともに母の病室に向かいました。

病室のベッドに横になった母は既に着替えていて、荷物もまとめてありました。

看護師さんが縫い直してくれたちゃんちゃんこを着ていて、胸には母の名前とウサギが刺繍してありました。

その後主治医が来て、12月6日が最初の通院予定との話があり、ナースステーションにはリハビリの先生の姿も見かけました。

母は前日同様に少し元気がない感じで、お世話になった皆さんとお別れすることが寂しそうな様子でした。

施設に移るとフロアの医師から母の病状の説明があり、心臓の弁膜の働きがあまり良くなく、治癒のためには手術しかないとのことでした。

年齢を考えると、そのまま寿命を迎える方がいいだろうという話でしたが、定期的な通院は認められることになりました。

母は以前使っていた部屋の同じベッドで寝ることになりましたが、しばらく離れていた環境に少し緊張しているような感じでした。

その後私は一旦帰ってから、以前と同じように午後3時45分ころ施設に面会に行きました。

ちょうど9階の面会室では展示会が行われていて、母の折鶴や習字の作品などが飾られていました。

この展示会を楽しみにしていた母は、作品とともに写真に納まってくれましたが、この日は笑顔は出ずに緊張気味の表情になりました。

2018年11月26日

2022年11月25日 (金)

「怖いよ、あれ」

4年前の2018年11月25日は晴れて16℃の日曜日、母が入院して17日目、午後4時頃に面会に行きました。

母はベッドに寝ながらラジオを聴いていて、おそらくもうすぐ始まる大相撲中継のために準備をしていたのでしょう。

母は「今日で終わりだね」と言いましたが、確かに相撲は千秋楽でしたが、もしかすると病院での生活のことだったのかもしれません。

そして私が挨拶代わりに母の手に触れると、母は「冷たい!」と大きな声を出し、この日の寒さに驚いていました。

母は横になったまま喋っていたので、鼻が詰まったような話し声でしたが、顔色は良くとても元気にたくさん話をしてくれました。

まず「ちゃんちゃんこを縫ってもらった」と、ポケットが取れかけていた愛用のちゃんちゃんこについて話し始めました。

見てみるとポケットが付いているだけでなく、母の名前と干支のウサギが刺繍してあり、看護師さんがやってくれたと微笑んでいました。

また私が「明日着るものを持ってきた」と言うと「カーディガンでいいね」と、退院の予定もしっかり把握していました。

それからリハビリの話もしてくれて、このごろは棒を握らずに板に手を置きながら歩く練習をしているそうでした。

「板でスルスル行くわけよ。怖いよ、あれ」と、いかにも怖そうな表情で率直な感想を述べていました。

また、数日前から施設で展示会が始まっていることを伝えると「今?見たいねぇ」と、とても楽しみにしていました。

帰り際に再び母の手を握ると、室温ですっかり温まった私の手を「温かくなった」と、母は笑顔で言ってくれました。

2022年11月24日 (木)

「お別れが寂しい」

4年前の2018年11月24日は晴れて15℃の土曜日、母が入院して16日目、午後4時頃に面会に行きました。

母の病室に入りベッドを覗くとそこは空で、同室のおばあさんが「そこじゃないの?」とナースステーションを指さしてくれました。

そのためナースステーションに戻り中を見てみると、母はちゃんちゃんこを着てラジオを持った姿で車椅子に座っていました。

そういえば、約5か月前の施設に入所する前の入院でも退院が近づいた頃に、母は何回かナースステーションの中で見つかりました。

その時も母はナースステーションにすっかり馴染んでいて、私は母がそこにいることに気づかず通り過ぎたものでした。

そのまま食堂に行って話をすると、この日は午前中にリハビリをして、午後には入浴をしたということでした。

そして、入浴後に部屋には戻らずラジオを持って来てもらって、そのままナースステーションにいたと言っていました。

その後食堂の南向きの窓から外を眺めると、日が傾き始めて、もう少しできれいな夕焼けが見られそうな空の色になっていました。

そろそろテレビで大相撲中継が始まっているというので、母をかぶりつきで見られる位置に連れて行きました。

ただ、この日の母は二日後には退院することが決まっているのに、どことなくいつもより元気がないように感じました。

その辺りを母に尋ねると、一つにはまだ一度もトイレを使っていないなど、施設での生活に不安があるようでした。

もう一つは、お世話をしてくれた看護師さんたちと再びお別れをすることが「寂しい」と、母は神妙な表情で言いました。

2022年11月23日 (水)

「そうだね、忘れちゃったよ」

4年前の2018年11月23日は晴れて空気の冷たい15℃の金曜日、母が入院して15日目、午後4時頃に面会に行きました。

母はベッドに横になって目を瞑っていましたが、私がその体をトントンと叩くとすぐに目を開けました。

どうもこの日はまだ便通が無く、母は少し気になっているようで、確かにお腹が少し硬くなっていました。

ただ、前日にたくさん出たということも話していたので、まだそれほど深刻な状況ではないかなと思いました。

食事は3度とも食堂に行ってしっかり食べているそうで、前夜も食堂のテレビで大相撲を楽しんでから夕飯を食べたということでした。

それでも私の「このところ寒くなってきたので、おでんや牡蠣鍋を食べている」という話には、母は羨ましそうにしていました。

また私がこの朝、仕事先で富士山を見たことを話すと「病院でも筑波山が見えるらしい」と母は言いました。

ただ、話として聞いてはいるものの「良く見えなかった」と言っていて、母自身はまだ見てはいないようでした。

次に外の寒さの話をすると、母も「お世話してくれる人の手が冷たいことで分かる」と言っていました。

その話を聞いて母の手に触れてみると、暖かいというよりも暑いくらいの手をしていました。

この日の最後にカレンダーを見せて「今日は11月23日だけど結婚記念日じゃないの?」と、私は母に尋ねました。

すると母は笑いながら「そうだね、忘れちゃったよ」と、少し気恥しそうに言いました。

2022年11月22日 (火)

施設では使えない薬

4年前の2018年11月22日は曇りで肌寒い14℃の木曜日、母が入院して14日目、午後3時55分頃に面会に行きました。

この日はその前に午後1時20分頃、病院の主治医から電話があって退院とその後の通院について説明がありました。

また、前日施設の看護師長が話していた母が新たに服用している利尿剤についての説明もありました。

主治医の話では、現在使用中の利尿剤が一錠300円するので、その薬は施設では使えないと断られたということでした。

そのため、外来で診察することにするので、その際は親族の付き添いをお願いしますとのことでした。

これまでの施設での約4か月間は、むくみが酷くなっても通院ができずに、私はただ心配するばかりでした。

その点で定期的に外来で診察をしていただけるのは、私にとっても母にとっても悪いことではないと思いました。

その後いつもの時間に会った母は、ベッドに横になっていましたが眠ってはいませんでした。

この日は午前中にリハビリがあり、例によって伝い歩きを2往復したということで、退院の準備はOKという感じでした。

また、前日は私が帰った後に食堂のテレビで、食事の前まで「お相撲をずっとかぶりつきで見ていた」と笑顔で教えてくれました。

「良く見えた」とのことでしたが「久しぶりだから力士の名前が分からなかった」と、少し残念そうに話していました。

そして、この日も食事の際には食堂に行ったそうですが、母は「今日は移動の途中が寒かった」と暖かい病室でしみじみと言いました。

2022年11月21日 (月)

なぜか「また太る」

4年前の2018年11月21日は晴れて17℃の水曜日、母が入院して13日目、午後4時頃に面会に行きました。

この日はその前の午後3時頃、入院前に母がいた施設の看護師長さんから電話がありました。

主な内容は、26日の午前10時30分に退院してその施設に戻るということで、私が付き添えるかどうかの確認でした。

他には薬を替えた、その薬が高いとか通院をどうするかなど話してくれましたが、私は退院と聞いただけでホッと一安心しました。

その後病院に行き、母の部屋を覗くとベッドにいないのでナースステーションで尋ねると、母は車椅子に座ってそこにいました。

そのまま食堂に連れて行き、テレビをつけて大相撲中継を見ながら話をすることにしました。

この日は午前中にリハビリをして、午後はお風呂に入ったということでした。

母にとっては久しぶりの入浴で「気持ち良かった」と言っていて、その帰りにナースステーションにいたようでした。

また、この日の母はリハビリでしっかり2往復歩けたそうで、体力もかなり回復してきた感じがしました。

そして、母に5日後に退院して施設に戻ることを伝えると、なぜか「また太る」ということを気にしていました。

母は長い間、腎臓病や糖尿病でカロリーを気にしていましたので、施設では厳しい制限が無いことに不安があるのでしょう。

母にとっては入院しているよりも普通の生活の方が楽しいことは確かですが、それなりに心配しながらの生活になることも確かでした。

2022年11月20日 (日)

「4時になるから来ると思った」

4年前の2018年11月20日は曇りで15℃の火曜日、母が入院して12日目、午後3時50分頃に面会に行きました。

母のベッドを覗くと、母は仰向けでラジオを持って横になっていました。

私を見つけて「そろそろ4時になるから来るかと思っていた」と、笑いながら言いました。

それを聞いて、母も私が現れることを楽しみにしていたようで嬉しく思いました。

入院してベッドで寝ていることが長くなると、時間の感覚が狂いやすいので意識して4時頃に行くようにしていました。

そんな私にとっては、ほぼ毎日、ほぼ同じ時間に面会に行っていた甲斐があったというものでした。

ところでラジオについては、前日も大相撲中継を聴いたそうですが「早すぎてよく分からなかった」と、母は苦笑いしていました。

入院してから電波の状況があまり良くないこともあって、久しぶりに聴いたのが相撲中継で、その早さについていけなかったようでした。

また、この日は血液検査をしたようで左腕のひじの内側に絆創膏が貼ってありました。

そして耳に付いていた検査機器とカテーテルが外してあったので、検査結果も悪くはなかったのだろうと思いました。

いよいよ退院も近くなってきたようで、この日は看護師さん4人がかりで体重を測ってもらったということでした。

「重かった」と言われたと、母は笑顔で振り返っていました。

2022年11月19日 (土)

叶わなかった母の願い

4年前の2018年11月19日は曇りで16℃の月曜日、母が入院して11日目、午後3時40分頃に母の面会に行きました。

私が挨拶をした時、ベッドに仰向けになっていた母はラジオを聴こうとしているところでした。

むくみもなくなり元気になってきて、退屈なようで「相撲を聴こうとラジオを見つけた」と言っていました。

ただ、ラジオの大相撲中継は4時過ぎからなので、まだ少し早かったようでした。

相撲までの間、母はこの日も元気に話をしてくれましたが、まずはリハビリのことを話しました。

朝、すっかり日曜日だと思っていたらリハビリに呼ばれて、例によって伝い歩きを2往復したということでした。

最後に「明日はリハビリはお休み」と言われたそうで、リハビリ好きの母としては少し残念そうでした。

ところで、この日は母の91歳の誕生日で、そのことをリハビリの先生に伝えたとのことでした。

すると先生は「退院したらお祝いしましょう」と言ってくれたと、母は笑顔で話していました。

実は、施設にいれば誕生会でお祝いしてくれるので、母は先月「来月は自分の番だ」と、楽しみにしていました。

ところが自分の誕生月に入院することになり、誕生日も病院で迎えることになってしまいました。

また、翌年の母の最後の誕生日も同じような時期に入院し、残念ながら誕生会でお祝いしてもらうという母の願いは叶いませんでした。

2022年11月18日 (金)

「今日にも見に行こうかな?」

4年前の2018年11月18日は肌寒い曇りで16℃の日曜日、母が入院して10日目、午後3時45分頃に母の面会に行きました。

ベッドにいた母は、私が「もうすぐ4時。外は寒いよ」と挨拶代わりに言うと、「暑い」と一言。

確かに病室は暖かく母は汗を掻いているようで、肌に何か塗ってもらったとのことで、「それでもまだ痒い」と言っていました。

この日も相変わらず元気にいろいろと話してくれましたが、気に掛かっていることがあるようでした。

その一つは前日も言っていた「日曜日なのに誰も来ない」ということで、この日も「誰も来ない」と何度か言いました。

もう一つは「今日は展覧会だけど、見に行った?」と、施設の展示会のことが気になっているようでした。

これは少し前にも母は言っていて、楽しみにしていた展示会のことを入院中もずっと考えているのだろうと思いました。

ただ、展示会はまだ始まっていないので「23日からだよ」と教えると、「今日で終わりじゃないんだ」と納得したようでした。

また、この時母がいたのは4人部屋で窓側ではないので「外の天気が全然見えない」「もう日が短いんだろうね」と、少し寂しそうでした。

その上日曜日ということで病院も静かで、体調が回復してきた母にとって元気を持て余しているような感じでした。

いろいろと話をしているうちに再び展示会の話になり「職員さんが、元気になったら見に来てね、と言ってたよ」と私が母に言いました。

すると母は「今日にも見に行こうかな」と答え、私が「まだやってない」と笑うと、母も「やってるのかと思った」と笑っていました。

2022年11月17日 (木)

『日曜日には誰かが来る』?

4年前の2018年11月17日は晴れて爽やかな20℃の土曜日、母が入院して9日目、午後3時45分頃に母の面会に行きました。

母はベッドで眠っているようでしたが、声を掛けるとすぐに起きて「二人でお茶を飲みに行ったんじゃないの?」と言いました。

突然のことで、私には母が何を言っているのかわかりませんでしたが、何か夢でも見ていたのだろうと思いました。

「今日は日曜だから、誰か来てくれるんじゃないかと思った」と、母は続けて言いました。

話を聞いてみると、どうも『日曜日には誰かが来る』と母は思い込んでいたようでしたが、いずれにしてもこの日はまだ土曜日でした。

その後の母の話では、この日は午前中からリハビリをしたということでした。

おそらくリハビリを済ませ、その後一寝したために目が覚めた時は日曜日だと思ったようでした。

それにしてもこの日のリハビリでは、いきなり手すりの伝い歩きを2往復して先生を驚かせたと、母は笑顔で話してくれました。

また、とても良い天気だったので、車椅子でベランダに連れて行ってもらったということでした。

すると、隣の『老健』のリハビリ室から眺めている人がいたので手を振ってみると、「向こうも手を振ってくれた」と母は喜んでいました。

外出時にはお気に入りのちゃんちゃんこを着て、リハビリ後の昼食はこの日も食堂で食べたそうで、順調な回復ぶりが窺えました。

ただ、ベッドでのラジオの受信状況が良くないらしく「聞くのを諦めた」と言っていて、暇な時は寝ているしかないのが不満な様子でした。

2022年11月16日 (水)

蘇った記憶

4年前の2018年11月16日は晴れて19℃の金曜日、母が入院して8日目、午後3時45分頃に母の面会に行きました。

母は例によってベッドで左側を下にして横になっていましたが目は開けていました。

私が「面会だよ」と声を掛けると母は話し始めましたが、いつもと違ってヒソヒソ話をするように声をひそめているような感じでした。

何かあったのかと気になりましたが、話をしていると元気がないわけではなさそうなので安心しました。

その母の話の内容としては、この日はリハビリの先生の肩を借りながら何度か車椅子に乗り移る練習をしたということでした。

また、昼食時はそのまま車椅子に乗って移動して、食堂のテレビの前で食べたと言っていました。

そして移動時には、お気に入りのちゃんちゃんこを久々に着たそうで、それを布団の上に広げてありました。

その移動の際にナースステーションの前を通った時、4か月ほど前の入院の記憶が蘇ったと母はしみじみと振り返っていました。

ただ、食欲はまだあまりないようで「おかずを一品残してしまった」と、母は残念そうな口調で言っていました。

ほとんど一日中ベッドの上で過ごしていますのでやむを得ないと思いますが、母にとって提供された食事は残してはいけないものでした。

戦争を経験した人たちにはそのような人が多いと感じますが、母も例外ではなく特にその傾向が強かったように思います。

それでも、食事を残したことを悔しそうに話す母の姿を見て、『まだまだ元気だね』と、私は順調な回復を確信しました。

2022年11月15日 (火)

4カ月ぶりの再会

4年前の2018年11月15日は朝から快晴で18℃の木曜日、母が入院して7日目、午後3時45分頃に母の面会に行きました。

母はベッドで眠っていましたが、丁度看護師さんが採血をしようとしているところに私が現れたので起こしてくれました。

看護師さんの話では、新しい薬を使ったので採血をするということでした。

また、母の状況としてはカテーテルは付けたままでしたが、点滴は外されていました。

この日に母が話してくれたのは、リハビリの先生が来てベッドの柵を使って起き上がってみたということでした。

そして、意外と楽に起き上がったのを見て、先生が驚いていたと母は嬉しそうに笑っていました。

また母は、先生の声を聞いたときに「すぐ思い出した」と、およそ4か月振りの再会を振り返っていました。

母は若い頃から運動が好きでなかったこともあってか、4月に骨折入院した際のリハビリはあまり成果が出ませんでした。

この時の母は心身ともに不調だったこともあり、先生の指導を厳しく感じたこともあったようです。

ところが、5月に再び入院した時の母は前向きにリハビリに取り組み、伝い歩きができるところまで回復しました。

退院する時に先生は「今回はやる気が違っていました」と母のことを褒めてくれました。

その先生と三度目のリハビリが始まりそうなので、この日私は母の靴と靴下を持って行ってあげました。

2022年11月14日 (月)

「遠くまでありがとう」

4年前の2018年11月14日は晴れで17℃の水曜日、母が入院して6日目、午後3時50分頃母の面会に行きました。

母はベッドに仰向けの状態で眠っているようで、心なしか顔色が青白く見えました。

鼻には酸素吸入をしていて、足から点滴を入れているようでした。

母の話では、この日は検査で病院内を移動したそうで、病室も変ったと考えているようでした。

そのためか、いつもと同じ場所にいるのにも関わらず「遠くまで来てくれてありがとう」と私に言いました。

ちょっと母の記憶が怪しいのかと思い、前日は姉が来たことを覚えているか訊ねたところ、最初は怪訝そうな表情をしていました。

それでも二人で来たということは思い出したようで、そんな話をしているところに主治医の先生が現れました。

先生の話では、翌日にも点滴は外して近いうちにリハビリを始めようと思うということでした。

貧血などはまだ残っているようですが、とりあえずここまでの回復は順調だということでした。

この日の外気はかなり冷たくなってきましたが病室内は暖かく、母は「暑い」と言っていました。

この後も母が順調に回復すると、次の行き先を考えなければならず、それはまず第一に入所していた施設ということになります。

面会後その点を施設の相談員に電話で確認をすると、退院後は再入所できるとのことで、改めての申し込みも必要無いという話でした。

2022年11月13日 (日)

あくまでも前向き

4年前の2018年11月13日は曇りで18℃の火曜日、母が入院して5日目、午後3時30分頃母の面会に行きました。

火曜日ということで入院後初めて姉が来てくれたので一緒に病室に行くと、丁度ベッドメイキングをしているところでした。

少し待ってから母の様子を伺うと、ベッドにほぼ仰向けで横になっていて眠っているように見えました。

相変わらず鼻から酸素吸入をしていましたが、点滴は外されたようでした。

よく眠っているようにも見える母の肩をトントンと叩くと目を開けました。

姉が母の顔を覗き込むと、すぐに分かったようで元気よく話し始めました。

顔色も良く、話を始めると止まらない様子は施設にいた頃と変わっていない感じがしました。

食事は既に3食出されていて「お昼には珍しく洋食が出た」と、嬉しそうに笑顔で教えてくれました。

そして、これが本当においしかったようで「おいしかった。初めて食べた」と、母の最大級の賛辞も出ました。

食事の後には、前回の入院時から顔見知りの看護師さんたちに顔を撫でられたりしながら、楽しく時間を過ごしたということでした。

その顔からはむくみはほとんどなくなり、いつものポッチャリした母の顔に戻っていました。

脚もすっかりむくみが取れて細くなり「また鍛えよう」と、状態が回復してきた母はあくまでも前向きでした。

2022年11月12日 (土)

『特養』を訪問

4年前の2018年11月12日は曇り時々雨で19℃の月曜日、母が入院して4日目、午後4時頃母の病室に行きました。

母はこの日も左側を下にして鼻からは酸素を入れてベッドに横になって眠っているようでした。

顔を見るとほとんどむくみは無くなったように見え、右の肩をトントンと叩くと目を覚ましました。

母の話では、この日のお昼からベッドを起こしてご飯を食べ始めたということでした。

前日既に「お腹が空いた」と言っていた母にとって待望の食事ということで、回復も順調のようでした。

「お粥とジャガイモの練ったものが出て、おいしかった」と嬉しそうに微笑んでいました。

また「出てきたものは全部食べた」とも言っていて、相変わらず食欲は旺盛なようでした。

老化のためか心臓の働きが悪くなり、むくみで入院することになりましたが、元気で陽気な話しぶりは施設にいた時と同じでした。

ところで、この日は面会の後に病院に併設された『特養』を訪ねて、入所の申込書を入手しました。

前日主治医は母の退院後には再び『老健』に戻れるような話をしていましたが、他の選択肢も考えておこうと思い訪問したのでした。

連絡もせずに行きましたが、わざわざ指導員の方が丁寧に説明をしてくれて、施設としては悪くない印象を持ちました。

ただ、看取りもする施設ということで、さすがに『老健』とは違って厳かで、どこか怖さも感じるような雰囲気がありました。

2022年11月11日 (金)

リハビリルームに思いを馳せる

4年前の2018年11月11日は晴れて21℃の日曜日、母が入院して3日目、午後3時20分頃母の病室に行きました。

母はこの日も左側を下にして横になっていましたが、起きていたようで肩をトントンと叩くと目を開けました。

ただ、ずっと寝ているためか鼻が詰まったような声でしたが、元気にたくさん話をしてくれました。

それでもまだ左腕と顔の左側が少しむくんでいましたが、かなり回復していることは確かなようでした。

息苦しさもなくなり「お腹が空いてきた」と言っていて、やはりむくみが食欲を抑えていたように思いました。

また、前日の母の姿を見た看護師さんに「もっと早く来れば良かったのに」と言われたと苦笑いしていました。

それは私も同感でしたが、健康保険が使えない施設に入所していることが、思った以上に難しい問題にしてくれました。

この日もすっかり細くなった母の脚を確認して「枯木のようだ」と私が言うと、母は大笑いをしていました。

私が「また鍛え直さないとね」と続けると、母は「そうだね、あそこでね」と、早くもリハビリルームに思いを馳せていました。

それから前日はベッドの上で「暑い」と言っていた母でしたが、「今日は全部着替えてサッパリした」と、嬉しそうな表情をしていました。

また、私が前日行った施設で、母が時々話をしていた同室の入所者の人が心配そうに「寂しい」と言っていたことを母に伝えました。

すると母は「けんか相手がいなくなってね」と、少し寂しそうな笑顔で言いました。

2022年11月10日 (木)

心臓の老化か?

4年前の2018年11月10日は晴れて23℃の暑くなった土曜日、午前10時頃、前日母が入院した病院から電話がありました。

母の容体はあまり変化はないようですが、利尿剤の点滴の効果か尿は出ているそうで、この日の午後1時に主治医との面談が決まりました。

そして、午後1時にまず母の病室に行くと、母は左側を下にしてベッドに横になっていました。

そのためか顔の左側は瞼などがむくんでいましたが、右側はかなり良化しているように見えました。

また、布団を捲って脚を見ると前日までパンパンだったのが噓のように、細く枯木のようなシワの目立つお年寄りの脚に戻っていました。

母は「良く寝たようだ」と言い、意識もしっかりしていて会話も普通にできて、入院前のような息苦しさはありませんでした。

この日の母の状態を見て、もっと早く通院か入院ができれば良かったという思いがさらに強くなってきました。

その後の主治医の話では、加齢により心臓の働きが落ちているということとスピードが勝負という言葉が気になりました。

また、体調が良くなり退院できるようになれば施設に戻れるようなことも話していましたが、もしそうならば安心だと思いました。

その後は午後3時30分ころ、母の荷物を回収するために施設に行きました。

丁度おやつが終わったところで、私は職員さんたちに母の状態について「大分良くなった」と伝えました。

それを聞いていた母と同室の入所者の方が「安心した」と言ってくれましたが、続けて「寂しくなるよ」と呟いていました。

2022年11月 9日 (水)

入院で問題解決

4年前の2018年11月9日は曇りで時々雨の降る17℃の金曜日、母が施設に入所して129日目、午前9時30分ころ施設から電話がありました。

母のフロアの看護師さんからで、母のむくみが悪化して朝食が取れずに体調不良を訴えたため、隣の病院で検査をしているということでした。

おそらくそのまま入院することになると思われるので、私に来て欲しいとの要請でした。

もう少し話を聞くと、一度は車椅子に乗れて意識もあり話も出来たが、一応ストレッチャーで病院に運ばれたとのことでした。

その後病院に着いて、ベッドに横になった母の姿を見た時、私は「一日でこんなになってしまうのか」と驚いたものでした。

確かに前日までの母はいかにも息苦しそうで、首の下にはおそらく水分が溜まったたるみが目立っていました。

ところがこの時病院で会った母は、それに加えて両瞼までがぷっくりと膨れるほど顔全体がむくんでいました。

それでも母は意識はしっかりしていて会話も普通にでき、本人は見た目ほど苦しくは無さそうで、その点は安心できました。

結局、母は施設に移る前に入院していた同じ病院の同じフロアに、再び入院することになりました。

そのため、前日施設の医師との会談で決まった内容は一度も行われることなく、ずっと思っていましたがやはり話し合いが遅すぎたのでした。

これは私の印象ですが、施設の医師は入所時最初に「老健は保険が使えない」と言うほど、投薬や通院を避けたがっているように感じました。

ところがこの日の母の姿は誰が見ても「入院した方がいい」という状態の上、入院すれば母の保険を使うので問題が解決したわけです。

2022年11月 8日 (火)

医師と面談したものの……

4年前の2018年11月8日は晴れて19℃の木曜日、母が施設に入所して128日目、午後3時ころ面会に行きました。

この日は医師と面談することになっていたので少し早く行くと、丁度おやつの時間で母は食堂のいつもの場所にいました。

午前中に入浴をしてその際に体重を測ったそうで、また、おやつの前まで昼寝をしていたと言い、珍しくカーディガンを着ていました。

母の声を聞くとやはり息苦しそうで「話をすると苦しい感じもある」と本人も言い、ついに自覚できるほどの状態になってしまいました。

そして「お腹が膨れている感じがして食事も全部食べると多く感じる」とも言っていて、脚だけでなく上半身もむくみの影響が出てきました。

その後医師と面談しましたが、医師はまず母の血圧が高いのでいろいろ薬を試している、という話をしました。

私の方からは、しばらく測ったことのない血糖値のことと、血圧よりもむくみの解消を第一に考えて欲しい旨をお願いしました。

それについての医師の答えは、まず「明日血液検査をして、インシュリンを使うかどうか決めたい」というものでした。

そして、むくみの解消については「利尿剤を増やして対応する」と了承していただきました。

私はそれまで、病院と施設が併設されているので医師同士も情報をもっと共有できているものと勝手に思い込んでいました。

ただ、施設の医師は常駐ではなかったり本人のやる気の問題などで、きめが細かい治療は求めることができないだろうと感じました。

それでも医師との面談は有意義だったと私は思いましたが、翌日母が入院してしまい、結局この面談の内容は意味のないものになりました。

2022年11月 7日 (月)

医師との面談予約

4年前の2018年11月7日は曇りのち晴れで20℃の水曜日、母が施設に入所して127日目、午後3時40分ころ面会に行きました。

母はちょうどトイレに行っていて、それも珍しくフロアの一番奥のトイレに入っているということでした。

戻ってきた母と話をすると、この日は朝も昼もいい感じに便通があると言い、むくみ以外の体調は良さそうでした。

ただ、私は前日のむくみの悪化具合が気になったので、この日の午前中に施設に連絡の電話をしました。

施設でもこれまで血圧の対策をしてくれていましたが、むくみについてもフロアの看護師さんにはお願いをしていました。

そこで、フロアの医師とも話をしたいと考えて電話をしたところ不在で、事務所の相談員の方とお話をすることになりました。

その結果、翌日はその医師が出勤するということで、母との面会時に面談していただくことになりました。

考えてみると、その医師に会ったのは母が入所した日だけで、その後は毎日面会に行っても顔を見たこともありませんでした。

思い出したのは、入所初日に言われた「老健では健康保険は使えない」という言葉でした。

そうすると、母を病院で診てもらうためにはどうすればいいのか、そんなことをネットで調べたりもしました。

ある『老健』では、通院の前日に退所の手続きをして自分の保険で診察を受けた、というケースもネットに上がっていました。

母の場合はどうなるのか、症状や手続きなどの不安が多い中、医師との面会が翌日に予定されました。

2022年11月 6日 (日)

「明日から寂しいね」

4年前の2018年11月6日は曇りのち雨で20℃の火曜日、母が施設に入所して126日目、午後3時45分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、母の前には紙のサンマがあり、隣の人はカニで、前の人の所にはタイのような魚が置いてありました。

話を聞いてみると、研修の看護学生さんたちと釣り大会をして、最後に各人が気に入った魚をいただいたということでした。

9階の面会室に移動して話をすると、この日は午前中にリハビリがあり、午後はおやつの前に釣り大会を楽しんだとのことでした。

リハビリはいつもよりも短めだったそうですが、看護学生の一人が見学に来たので緊張したと言っていました。

そして、リハビリ終了後に時間が余ったので窓を開けてベランダに出たところ、「涼しい風が吹いていた」と笑顔で振り返っていました。

この日の天気は今一つでしたが、室内が暑いので「カーディガンはずっと着ていない」と言い、外の風が気持ち良かったようでした。

ただ体調の方は、この日も前屈みになると息苦しそうな話し方になるのは相変わらずでした。

リハビリの先生にも「今日はかなり脚がむくんでいる」と言われたそうで、本人も「脚が硬くて痛かった」と話していました。

この日の母も元気にたくさん話をしてくれましたが、むくみや息苦しさは段々と悪化しているように見えました。

ところで、このところいろいろとお世話をしてくれていた看護学生の研修がこの日で最後だということでした。

それを聞いて私が「明日から寂しいね」と言うと、母も「うん、寂しい」と頷きながら呟いていました。

2022年11月 5日 (土)

「ピヨピヨ、ピヨピヨ」

4年前の2018年11月5日は曇りで22℃の月曜日、母が施設に入所して125日目、午後4時ころ面会に行きました。

母はいつもの場所にいて居眠りをしていましたが、挨拶をすると「おやつを食べてトイレに行ったところ」と、いつものように言いました。

9階に行って話をすると、この日は午前中に入浴をして、午後は看護見習の人たちと唄ったり工作をしたということでした。

この日は外も暖かかったですが、室内も暑いので母はカーディガンを脱いでいました。

また、入浴後に着た肌着が厚手の物だそうで、母は私の持参した冷水をいつも以上にたくさん飲んで「おいしい」と言いました。

それから車椅子に座って話をしている限り、母の声はそれほど息苦しそうには聞こえませんでした。

ただその後、母の部屋で着替えるためにベッドに座って話をすると、この時は話し方が押し出すような感じになりました。

そして、「ピヨピヨ、ピヨピヨ」というヒヨコが鳴くような音が母の周囲でしているように私には聞こえました。

どうもそれは母が息を吸う時に鳴っているようで、おそらく姿勢によって気道が狭くなって音がしているのかな、と考えました。

母も前屈みの姿勢になると苦しいようで、脚のむくみだけでなく上半身のむくみも、いよいよ心配に状況になっていました。

ところで、前日の更新がこのブログの1,000回目になりますが、皆様のおかげで1,000日続けて更新することができました。

母の四十九日の法要が済んで数日後に始めたブログですが、思いがけず長く続けることができて嬉しく思います。ありがとうございます。

2022年11月 4日 (金)

「胡坐かけるの?」

4年前の2018年11月4日は曇りで16℃の日曜日、母が施設に入所して124日目、午後3時50分ころ面会に行きました。

母がいつもの場所にいないので周辺を探していると、車椅子に乗って自力で移動している母がいました。

「トイレに行って、手を洗ってきたところ」と話してくれましたが、その声はやはり息苦しそうに聞こえました。

母が言うには、椅子に座っていたり前屈みの姿勢になると息苦しさを感じるということでした。

また「自分でも車椅子を動かすと息切れがするので、アレッと思うことがある」とも言っていて、症状が悪化しているように思いました。

そして脚のむくみを見ると、こちらもかなり太くなっていて心配な状況になってきました。

母は少し前に脚に痛みを感じた頃から、寝る前にベッド上で脚を揉むことにしているそうで、そのためか痛みは感じないと言っていました。

前日も胡坐をかいて左右20回ずつ揉んだそうで、この日も痛みは無いとのことでした。

それを聞いた私が「胡坐かけるの?」と言うと、母は「それくらいできる」と、笑いながら元気な声で答えてくれました。

私は以前にも、母の脚がむくみでパンパンに太くなったのを見たことがありましたが、いよいよその時の太さに近づいてきていました。

ただ、その当時は息苦しさはなかったので、この時点で上半身についてはカロリーオーバーか何かで太ったのかと考えていました。

その後数日で母は入院することになりますが、検査の結果は心不全と診断されて上半身もむくみだったことがわかります。

2022年11月 3日 (木)

「月曜日だ!」

4年前の2018年11月3日は晴れて19℃の土曜日、母が施設に入所して123日目、午後3時45分ころ面会に行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、車椅子に座ったまま腕組みをして居眠りをしているようでした。

この日も室内が暑いからかカーディガンを脱いでいて、その肩をトントンと叩くと母は目を開けました。

この日は文化の日で祝日のため特別な行事などは無く、ずっとまったり過ごしていたということでした。

母によると体調は問題無いようでしたが、ここ数日と同様に話し声は少し息苦しそうに聞こえていました。

その後、部屋に移動して着替えながら、母が不得手だという深呼吸の練習を何度かしました。

練習をするうちに深呼吸も上手くなり、その後はいくらか声が出やすくなったようにも感じました。

また、やはり室内が暑く感じていたようで、私が持参した冷水を3口ほどおいしそうに飲んでいました。

この日私はカレンダーも持参して母に見せましたが、すると11月生まれの母は自分の誕生日を探しました。

「月曜日だ!」誕生日を見つけた母は大きな声で叫びましたが、それはとても元気な声で息苦しそうな話し声とは違っていました。

それから、脚を見るとかなりむくんでいて息苦しさとともに心配になりましたが、母自身はそれほど体調不良を感じてはいないようでした。

この時季は日没が早くなり、丁度日が沈むところを窓辺で一緒に見ていると「すごいね」と、母はきれいな赤い夕陽に感動していました。

2022年11月 2日 (水)

新たな体調不安でも元気

4年前の2018年11月2日は晴れて19℃の金曜日、母が施設に入所して122日目、この日も母の面会に行きました。

ただ、この日の記録が現在手元にありませんので、残念ながら当日の母の状況ははっきりとは分かりません。

それでも当時の母の音声や私の日記から、このころの様子を振り返ってみようと思います。

母が施設に入所したのが2018年7月4日、このころの母は生涯で最も明るく元気ではないか思うほど陽気に毎日を過ごしていました。

そのためこの時期以後のことを私は『母の第二の人生』と呼んでいて、母も『第二の人生』を本当に楽しんでくれたと思います。

ところで、母は若くして腎臓病を患い血圧が高めで、その後糖尿病も発症して、いつも何か体調に不安を持ち続けているような感じでした。

そんな母が90歳を過ぎてから、元気で陽気な『第二の人生』を過ごすことができた理由については幾つか考えられます。

そのうちの一つは施設入所前の入院時に、おそらく母にとっての体調不安が解消されたことではないかと思います。

その入院時に血糖値が安定してインシュリン注射が止められ、一時期は精神安定剤を服用して心身ともに状態が良くなったようでした。

結局、11月まで母は施設入所以来120日以上病院に行きませんでしたが、これだけ通院しないのも母にとって人生初だったかもしれません。

ただ10月の終わりごろから、むくみが目立ってきていて話し声も息苦しそうに聞こえてくるようになりました。

しばらく心配していなかった体調不安が現れたわけですが、このころの母はそれまでと変わらずに元気さを失うことはありませんでした。

2022年11月 1日 (火)

半年延長が決定

4年前の2018年11月1日は晴れて19℃の木曜日、母が施設に入所して121日目、午後4時ころ面会に行きました。

エレベーターで母のフロアに着くと、母はカーディガンを脱いでいつもの場所にいました。

確かにこの日も室内はかなり暖かく、「午前中にお風呂に入った」という母を連れて9階の面会室に移動しました。

まず「今日も便通が無い」とのことで、久しぶりにヤクルトを飲ませてあげました。

その後いろいろと話をしていると、やはり母の話し方が少し息苦しそうに聞こえるのが気になりました。

それを本人に伝えると、母は「普段から息苦しいわけではないが、話をするとハアハアする」と言っていました。

前日辺りから私が気になっていたのが、息苦しさとともに目立ち始めた顎の下のたるみでした。

後日、そのたるみは水分だろうと施設の医師に言われましたが、この日の時点では私は「太ったせいかな?」と考えていました。

また、母は前夜よく眠れず職員さんを呼んで吸い飲みで水を飲ませてもらったそうで、それも息苦しさと関係しているような気がしました。

そんな母と面会室で話をしていると、ケアマネージャーが現れて「書類に印鑑が欲しい」と言われました。

「半年間の延長が認められた」ということで、とりあえずあと半年の間、母が施設にいられるようになったのでした。

その点ではひとまず安心できましたが、今度は母の体調が心配になってきました。

« 2022年10月 | トップページ | 2022年12月 »

最近の写真