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2022年9月

2022年9月30日 (金)

『老健』入所後3か月

4年前の2018年9月30日は台風24号の接近で雨が降る24℃の日曜日、母が施設に入所して89日目、母の面会には行きませんでした。

前日に台風が近づく予報が出ていたので、母に「明日は来ないからね」と伝えておきました。

この年は台風が多かったこともあって、母が施設に入所してから雨予報のために面会に行かない日も何度かありました。

ただ、この日は日中は雨が止んでいる時間もあって、行こうと思えば行けたかなという状況ではありました。

それでも、母が施設に馴染んでくれていて、元気に陽気に過ごしていたので安心して一日休むことにしました。

母が調子悪そうにしていると会えないのは辛いものですが、このころの母はとにかく元気でしたので、私にも不安がありませんでした。

ただ、逆に元気ということは、今から考えると施設に居られるのかという別の問題が出てきます。

というのは当時の私の認識では、『老健』は入院後に帰宅出来るようになるまで3か月ほど入所するところ、というものだったからです。

もちろん実際には、それ以上に長く入所している人がほとんどのようでしたが。

ただ、このころは母が入所して丁度3か月が経過して、母の状態も自宅で生活することに問題無さそうな感じになってきていました。

そして確かに、母が自宅に戻るとしたらこの時期以外にはなかったように思います。

それでも私は、母が最後までこの施設で過ごすことが出来て本当に良かったと、今でも感謝しています。

2022年9月29日 (木)

「リハビリで疲れた」

4年前の2018年9月29日は雨で22℃の土曜日、母が施設に入所して88日目、午後3時45分ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの位置にいたので肩をトントンと叩くと、「疲れてる」と母は一言。

聞いてみると、久しぶりにリハビリがあって、いつも2往復の伝い歩きをこの日は3往復したということでした。

話しの続きを9階の面会室でするために移動すると、土曜日なので面会のテーブルが全て埋まっていたため、母と並んで長椅子に座りました。

この日は午前中にリハビリがあったそうですが、「まだ疲れている」と、母はあらためて呟いていました。

先生が他の人と掛け持ちをしていたので、自分で数えながらやったところ、いつもより多めの運動になってしまったようでした。

このころの母はリハビリがお気に入りでしたが、入所も3か月となると、その回数が減ってきたのでつい頑張ったのでしょう。

最後には歩行器の運動もしたそうで「疲れたけど、痛くも痒くもないから大丈夫」と、自分を納得させるように言っていました。

また、この日は雨が降っていて暗いので、ボーッとしている時間が多いと言い、気分もスッキリしないようでした。

そして脚のむくみを見ると少し目立ってきた感じで、母も「立った時に少し厚みを感じた」ということでした。

また、目の見え方が良くなく立ち上がりがふらつくので血圧の薬を2つ増やした、という心配なことも教えてくれました。

少しずつ不安も出てきましたが、とりあえず元気にリハビリを頑張った、この日の母でした。

2022年9月28日 (水)

「まあ、いい天気!」

4年前の2018年9月28日は晴れで26℃の金曜日、母が施設に入所して87日目、午後3時40分ころ母のフロアに行きました。

エレベーターを降りると母が食堂のいつもの位置にいることがわかりましたが、まず職員さんが私に話しかけてきました。

どうやら母と大相撲の話で盛り上がり、行司のことまで話したということでした。

その後、母の後ろから向かいの大きな鏡に手を振ると、母は私に気づき早速話し始めました。

この日もトイレに行くたびによく出るということと、まだリハビリに呼ばれていないことを教えてくれました。

「この日もリハビリが無いと二日続けてお休みだ」と、寂しそうに言っていたのが印象的でした。

その後、9階の面会室に行くと、西日がフロアの床中を眩しく照らしていて、母は「今日は一日いい天気だね」と呟いていました。

前日に厚手の肌着を着せたこともあって、母はやはり暑いようで、ヤクルトと冷水を飲み「今日は水が美味しい」と言っていました。

また、昼食の話では「ソーメンのようなものが出た」とのことで、例によって細かく切ってあったのでスプーンで食べたということでした。

着替えのために母の部屋に行くと、ここも部屋の前の廊下まで日が差していて、部屋の窓から外を見た母は「まあ、いい天気!」と笑顔。

ただ、車椅子から立ちあがる時に「脚が思い」と言うので、二日間リハビリが無い影響があるのかもしれないと感じました。

また脚のむくみも少しあり、これも運動不足によるものかと心配になってきました。

2022年9月27日 (火)

事故ではないですが……

4年前の2018年9月27日は雨のち曇りで20℃の木曜日、母が施設に入所して86日目、午後4時ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの位置にいて、まったりと寛いでいるように見えました。

そこで職員さんが私に話しかけてきて「事故というほどではないですが……」と言いました。

母が流しの辺りでどこかに手をぶつけて出血したようで、左手の甲に絆創膏が貼られているのが見えました。

先日の頭に瘤を作った時とは違って、施設でも事故には当たらない程度のケガで、本人もそれほど気にしていませんでした。

ただ、前日と違うカーディガンを着ていたので、ひょっとして血が付いたのか気になって母に聞いてみました。

この日は朝、歌を唄っていたところをお風呂に呼ばれて行ったということでした。

カーディガンは血が付いたわけではなく、洗い物と一緒になってしまったのではないか、と母は話していました。

この日の体調は、前日に続いて便通が良すぎるくらいということで、とても元気そうでした。

また、敬老会が終わって暇を持て余す時間は多くなったようですが、歌の練習をしたためかその後も話し声が力強く元気な感じがしました。

そして、このところ朝晩が寒くなっていましたが、前日の夜も寒いことはなく良く眠れたようでした。

それでも厚手の肌着を持って行ったので着てみてもらうと、母は「いいじゃない」と気に入った様子で、そのまま着ていました。

2022年9月26日 (月)

「さすがに寒いね」

4年前の2018年9月26日は曇りのち雨で20℃の水曜日、母が施設に入所して85日目、午後3時40分ころ母のフロアに行きました。

母が食堂のいつもの位置にいたので、向かいの鏡を見ながら手を振ると気付いてくれました。

この日の母は機嫌が良さそうに微笑んでくれたので、いつも母の表情を確かめるまで緊張している私も気が楽になりました。

この日機嫌が良い理由の一つは、便通が良いからだそうで、トイレに行くたびに出るのだと言っていました。

逆に出すぎを心配していたので、私が「食べた以上には出ないから大丈夫」と言うと、母は笑って納得していました。

この時、母の隣のテーブルの人たちは折り紙を切って板に貼る工作をやっていました。

話を聞くと、母も午前中には同じ作業をやったそうで、今は手持無沙汰にしているところに私が現れたようでした。

9階の面会室に移動してさらに話を聞くと、朝一番にはリハビリに行ったということでした。

リハビリでは「初めて横歩きをして怖かった」と言っていて、新しい動きにも挑戦したようでした。

また、リハビリの先生が「2~3週間のうちには新しい歩行器を試してみたい」と話してくれたそうでした。

9月も下旬になってこの日は肌寒く、いつものようにヤクルトと冷水を一口飲んで「今日はさすがに寒いね」と、母は言っていました。

その後、肌着とカーディガンを厚手の物に着替えて「暖かくなった」と、母は喜んでくれました。

2022年9月25日 (日)

「おいしければ、それでいい」

4年前の2018年9月25日は曇りのち雨で25℃の火曜日、母が施設に入所して84日目、午後3時30分ころ母の面会に行きました。

この日はお昼頃から豪雨が降り出したので自動車で行き、そのため少し早めの時間に母のフロアに着きました。

母は定位置にいて少し元気がなさそうに見えましたが、実際は「今、トイレで出た」と、ホッとしているところだということでした。

朝一番でリハビリに行って、今さっき硬いおやつを食べてトイレに行ったのだと教えてくれました。

それから9階の面会室に行くと、改めてリハビリでは歩行器を使って歩いたことを報告してくれました。

リハビリの前にトイレに行って便通があったこともあり、身体の動きも良く好調だったと母は喜んでいました。

そしてこの日も朝、血圧を測ったそうですが、看護師さんに「いいですね」と言われたということでした。

母は何か不安なことがあると、ずっと気にするタイプですので、看護師さんのこういった一言は有難いものでした。

また、姪が子供の新しい動画を送ってくれたので母に見せると、眼鏡を掛けて繰り返し見ていました。

やはり高齢者にとっては、写真より動画の方がわかりやすいようで、いつまでも楽しそうに笑顔で見つめていました。

最後に、この日の食事の話では「よくわからない不思議なものが出たけど、食べたらおいしかった」と言っていました。

そして、「おいしくいただければ、それでいいね」と、自分の話を自分でまとめてくれました。

2022年9月24日 (土)

暇な時間の増加

4年前の2018年9月24日は曇りで28℃の月曜日、母が施設に入所して83日目、午後4時ころ母のフロアに行きました。

前日、母が「何となく体調が良くない」と言っていたので、不安を抱えながらエレベーターを降りると母はいつもの場所にいました。

ただ、母が一人でポツンと定位置にいるのを見て、また今日も元気がないのかと思いました。

それでも私から話しかけてみると、便通が無いこと、朝一で入浴したこと、血圧に問題はなかったことなどを、母は話してくれました。

思っていたよりも元気そうな声だったので、私も少し安心できました。

それから9階の面会室に行くと、母と同室でテーブルでもいつも隣にいる人が息子さんのような人と話をしていました。

その隣のテーブルで改めて話をすると、母はこの日の朝、入浴の前にいつものように血圧と体温を測ったそうです。

一回の測定で看護師さんが「OKです」と言ったので、母はホッとしたと言っていました。

そして、お風呂上りには保湿クリームを塗ってもらって気持ちが良かったと嬉しそうでした。

また、この日は朝6時ころまで良く眠れたと言っていて、それもあって体調が良かったのかもしれません。

ただ、早いもので敬老会が終わって一週間が経ち、何もしていない暇な時間が増えてきたようで、体調の維持が心配になってきました。

大相撲が終わったこともあり、何か母の暇つぶしになるものを考えないといけないな、と思いました。

2022年9月23日 (金)

体調不良の兆し

4年前の2018年9月23日は晴れで29℃の日曜日、母が施設に入所して82日目、午後3時40分ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが「なんだか具合が良くない」というのが最初の言葉でした。

また、「なかなか出ない」と前日と同様に便通の心配をしていて、職員さんと一緒にトイレに行くことになりました。

少し待っていると「やっぱり出ない」と言いながら戻ってきたので、9階の面会室で話をすることにしました。

詳しく母の話を聞いてみると、朝起きた時の目の見え方が良くなかったので気になったようでした。

そこで、看護師さんに何度か血圧を測ってもらったということでした。

母は自宅に居る時も寝覚めが良くないと、まず初めに血圧と血糖値を心配していました。

この日は久しぶりに寝起きの時に目がよく見えなかったので「血圧が高いのかな?」と考えたようでした。

施設に入所以来の母はずっと元気で、体調の不安は便秘を訴えるくらいでしたが、新しい不安の種が芽生え始めてきました。

また、着替え時に脚のむくみを見てみると、心なしか前日よりもむくんでいる感じで、母も「立つとわかる」と言っていました。

この日は日曜日で、これといった行事もなくずっと座っていたことも関係していたのかもしれませんが。

いずれにしても、体調不良の兆しが出てきた時期ではありました。

2022年9月22日 (木)

敬老会から展示会へ

4年前の2018年9月22日は曇りで27℃の土曜日、母が施設に入所して81日目、午後3時40分ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて「朝早くリハビリをやって疲れた」と言っていましたが、元気そうに見えました。

ただ「今日はまだ出ていない」と例によって便通の心配をしていました。

それから、午後は紙をちぎって工作をしたことなどを話してから、あらためて9階の面会室に向かいました。

9階は西日が部屋の奥まで差す時季になってきていて、母もとても眩しがっていました。

最近はリハビリでは毎回歩行器を使っているそうで、この日は特に往復の帰りが真っすぐ歩けたと喜んでいました。

そのためか、疲れていたので珍しく食堂のテーブルに伏して寝ていたら、工作の時間が始まったということでした。

折り紙をちぎって貼る作業を、何に使うかはわからないまま適当に貼っていた、と笑っていました。

この日も良く話をしてくれましたが、先日の敬老会のために歌の練習をした効果か、声の出方が良くなったように感じました。

そして、敬老会が終わって次は展示会のために、時間のある時には工作をしているようでした。

このころの母は本当に元気で活動的でしたから、暇な時間にやるべきことがあるのは有難いことでした。

この日の着替えでは「背中にはシワが無いね」と私が言うと、母は「うん」と返事をして、若さをアピールしているように思いました。

2022年9月21日 (水)

お風呂の話に花が咲く

4年前の2018年9月21日は雨で19℃の金曜日、母が施設に入所して80日目、午後4時ころ母のフロアに行きました。

前日の木曜日に入浴をしなかったので、この日は入るかもしれないと考えて少し遅めの時間に行きました。

というのは、このころはおやつの後に入浴することが何度かあり、その場合には4時頃に母が風呂場から出てきていたからです。

私が待っていると職員さんを急かすことにもなりかねないので、それも気の毒だと思ってゆっくり行ったのでした。

その甲斐あってか、母はいつもの場所にいて「ちょうど今リハビリから戻ってきた」と言っていました。

おやつの後に入浴ではなくリハビリということでしたが、面会に行くタイミングとしては丁度良かったようでした。

そのおやつもこの日は9月の誕生会だったそうで、9月生まれの人が3人いて、ケーキとコーヒーでお祝いをしたとのことでした。

そんな話をする母の服が前日のものと違っていたので「お風呂に入ったんじゃないの?」と私が尋ねました。

すると母は「あっそうだ、入った」と思い出したように言い、その後には入浴の話になり、母がお風呂の入り方から説明してくれました。

話を聞くと、足から入って浮くような感じで、半身浴のような状況でお湯に浸かっているということでした。

この日は午前中に入ったそうで「乳液のようなものを全身に塗ってもらって気持ちが良かった」と笑顔で話してくれました。

いつものように、むくみが気になる脚を見てみると、確かにスベスベしていて肌が若返ったように見えました。

2022年9月20日 (火)

「年寄りに見られるから嫌だね」

4年前の2018年9月20日は雨で25℃の木曜日、母が施設に入所して79日目、午後4時ころ母のフロアに行きました。

木曜日なので入浴をすると思って少し遅めの時間に行きましたが、母はいつもの場所にいて「お風呂は入らなかった」と言いました。

9階の面会室に移動して話をすると、この日は午前中にリハビリをやって疲れたと言っていました。

リハビリではいつものコースに加えて、頑張って歩行器を使って歩いたと自賛していました。

「今日は膝の裏も痛くなく調子が良かった」と、母は体調の良さをアピールしているようでした。

それというのも、午前中のリハビリ後にお昼を食べてトイレに行くと、「どっさり出た」ということでした。

それを確認した職員さんに「たくさん出たね。今日はお赤飯炊かなきゃ」と言われたと、母は大笑いしていました。

続けて「ホッと安心した」と言い、これでしばらくは心配の種が一つ無くなりました。

また、この日は時間のある時に俳句をしたそうで、初めての先生が来て初歩からやったということでした。

「中秋の名月の中にウサギがいる」と言ったら、それに基づいて先生が一句作ってくれたそうでした。

母の部屋での着替えの際に脚を見ると、むくみもほとんど無く「靴がゆるい」と母は言っていました。

「足の甲にシワが目立つね」と私が言うと、母は「シワが増えると年寄りに見られるからイヤだね」と苦笑いをしていました。

2022年9月19日 (月)

「すごいわねぇ」

4年前の2018年9月19日は晴れて25℃の水曜日、母が施設に入所して78日目、午後3時45分ころ母のフロアに行きました。

母がいつもの場所にいたので、向かい側の大きな鏡に手を振ると、母は私の姿に気づいて微笑んでくれました。

いつものように、おやつを食べてトイレに行って戻ってきたところだと言っていました。

9階の面会室に行き話をすると、今日は午前中一番にリハビリに呼ばれたということでした。

リハビリは中三日開いて久しぶりだったので、背筋を伸ばして歩いたら、先生が手を叩い褒めてくれたそうでした。

歩行器は使わなかったようですが、頑張って手すりに沿って2往復歩いたと話してくれました。

このころの母は本当にリハビリを楽しみにしていて、この日も「脚が軽い」とリハビリの効果を喜んでいました。

ただ、リハビリの先生に「脚がむくんでいる」と言われたと気にしていましたが、私が見た限りそれほど変化はないように思いました。

また食事に2回目のパン粥が出たそうで、母は「おいしかった」と食欲もあり、体調は悪くないようでした。

そして、この日の暇な時間には『間違い探し』をした、と教えてくれました。

よく見るために眼鏡や拡大鏡を使っていると「すごいわねぇ」と、母が本気になった様子を見て誰かが驚いたということでした。

母は「着物の模様が違うと思った」と間違いを見つけたようでしたが、答えを教えてもらっていないので正解は不明とのことでした。

2022年9月18日 (日)

「もう90代なの?」

4年前の2018年9月18日は晴れて31℃の火曜日、母が施設に入所して77日目、午後3時30分ころ母のフロアに行きました。

火曜日ということで姉が来ていて一緒に挨拶をすると、いつもの場所にいた母は、これまでにリハビリは無くお風呂に入ったと言いました。

そして9階の面会室に行くと、今日のおやつがおいしかったという話に続いて「昨日は楽しかった」と、前日の敬老会の話題になりました。

それにしても敬老会終了後に見た母の楽しそうな表情は、今でも忘れられないほど印象的なものでした。

その敬老会では皆が頭に飾りをつけていましたが、母がつけたら皆に「カワイイ」と言われたと、嬉しそうな笑顔で話してくれました。

また、敬老会に来てくれた姪の子供の初めての誕生日が間近なので「何かプレゼントを送ろうか?」と、私が提案しました。

すると母は「そうだね」と同意した後に「自分の年齢がわからない」などと、言い出しました。

「昭和2年生まれだけは覚えている」ということで、「90歳だよ」と教えると「もう90代なの?」と、改めて驚いていました。

この日は便通もあり、入浴後には看護師さんが「脚にむくみはありませんね」と言ってくれたそうで、体調は良いようでした。

ただ、今から振り返ると、このころが母の体調のピークで、この後はリハビリの回数が減り、むくみも徐々に目立つようになっていきました。

そして、敬老会の前までは連日のように出し物の歌の練習をしたりしていましたが、その後は暇な時間も増えていったように思います。

それでも、この日は姉が来てくれたこともあり、いつもよりも声に元気があったように感じました。

2022年9月17日 (土)

夢のような一日

4年前の2018年9月17日は曇りで31℃の月曜日、母が施設に入所して76日目、午後1時25分ころ母のフロアに行きました。

この日は敬老の日で、施設でも敬老会が開催されるので姪と一緒に見ることになり、早めに出かけました。

フロアに着くと、最後のリハーサルでしょうか皆が並んで『青い山脈』を唄っていました。

終わったところで母に「来ましたよ」と挨拶をすると、丁度その時姪から連絡が来たので迎えに行きました。

姪と二人でフロアに戻り、しばらく母と話をしていると敬老会が始まりました。

職員さんたちの出し物があり、白寿・卒寿・米寿の方が表彰され、『青い山脈』『見上げてごらん夜の星を』を皆で唄って終わりました。

ご家族の方々も総数で20人ほど集まっていて、なかなかの盛況だったと感じました。

敬老会が終わった後の母は本当に楽しかったようで、その表情から笑顔が消えることはありませんでした。

私には、この時90歳の母がわずか4カ月ほど前に意識不明で入院し、その後に一からリハビリを始めたということが信じられませんでした。

また、そのような経緯を考えると、この日のことは母にとって夢のようだったでしょうが、私にとっても間違いなく夢のようでした。



2018年9月17日

2022年9月16日 (金)

敬老の日の有難さ

4年前の2018年9月16日は曇りで28℃の日曜日、母が施設に入所して75日目、午後4時10分ころ母のフロアに行きました。

この日は施設が入っている建物が午後2時から4時まで停電する予定とのことで、少し遅く4時10分過ぎに行くことにしました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、挨拶をするとすぐに「今日も出ない」と言いました。

このころの母の唯一とも言える不安が便秘だったと思いますが、この日もまだ出ていないようでした。

それを聞いて私が「明日のことで緊張して出ないのでは?」と言うと、母は「そうかもしれない」と笑いながら答えました。

ずっと出し物を練習してきた敬老会がいよいよ翌日に迫り、母が緊張しているのは間違いないようでした。

それでも、この日も「食事が美味しい」と言っていて、体調は良さそうなので便秘もまだ心配するほどでは無さそうでした。

ところで翌日が敬老の日ということで、ウチの町会からもポストにお祝いが入っていました。

それを持って行って9階の面会室で母に渡すと、中からお祝い書きと500円のクオカードが出てきました。

母は眼鏡を掛けて手には拡大鏡を持って、そのお祝いの文章を声を出して読み始めました。

母はこの時90歳でしたが、その文章を読む元気な姿を見て、私はこれまで以上に敬老の日の有難さを感じました。

2018年9月16日

2022年9月15日 (木)

「午前中から馬力をかけた」

4年前の2018年9月15日は曇りで25℃の土曜日、母が施設に入所して74日目、午後3時45分ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、どこかお疲れの様子に見えました。

その辺りを母に尋ねると、「午前中から馬力をかけた」と疲れている理由を独特の表現で話しました。

どういうことかと聞くと、明日と明後日はリハビリが無いということを聞き、歩行器でも2往復歩くなど頑張ったとのことでした。

そういうわけで、午前中のリハビリをしっかりやったためか、昼食が美味しくて完食したことも教えてくれました。

また、珍しく朝食に大きな牛乳が出たそうで、よく聞くと200㎖くらいのパックだったようでした。

この日の母はリハビリを元気にこなして、食欲もあるということで、相変わらず体調は良さそうでした。

それでも肌着を交換してあげた時に「寒い」と言っていて、暑さ寒さが微妙な時季になったので注意しないといけないな、と思いました。

それから、いよいよ明後日に迫った敬老会の話もたくさんしました。

敬老会の時間は1時間ほどらしく、『青い山脈』と『見上げてごらん夜の星を』の2曲を練習しているということでした。

この2曲を唄うことは以前から聞いていましたが、当日は姪と一緒に私も見に来ることを伝えました。

母は微笑みながら「大したことは、やらないよ」と、あらかじめ予防線を張っているようなことを言っていました。

2022年9月14日 (水)

「うどんが出た」

4年前の2018年9月14日は曇りで25℃の金曜日、母が施設に入所して73日目、午後4時ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、テレビでは相撲中継をやっていましたが、そちらに目を向けることもなくまったりとしているようでした。

そのまま9階の面会室に行って話をすると、この日は午前中にリハビリをして昼食後に昼寝をしたということでした。

おやつには甘い羊羹のようなものを食べたそうで、その前までグッスリ寝たというので、まだ少しぼんやりしているように感じました。

おやつではお茶をおかわりしたと言いながら、私が持参したヤクルトを飲み干し、水筒の冷水も2口ほど飲みました。

「最近、歌の練習をしない」と不安そうに言い、いよいよ近付いた敬老会のことを心配していました。

また、この日のリハビリはいつも以上にしっかりやったそうで、珍しく「疲れた」という言葉を口にしました。

そんな話をしていると「今日うどんが出たんだよ」と、突然食事の報告が始まりました。

以前出たソバと同じように短く切ってあったそうで「うどんはそんなにおいしくなかった」と、率直なご意見でした。

「でも出汁が効いていて、おつゆを全部飲んだ」と、続けて体調に少し心配なことも言っていました。

そして、「肉もあって、これはおいしかった」と、元気な声で一生懸命に食事の話をしてくれました。

この日は脚のむくみもほとんど無く、昼食も完食し、たくさん話をすることもできて、少しぼんやりした感じでしたが元気な母でした。

2022年9月13日 (火)

「泣いていても仕方ない」

4年前の2018年9月13日は曇りで24℃の木曜日、母が施設に入所して72日目、午後4時ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所で寛いでいて、顔色も良く元気そうに見えました。

挨拶をして9階の面会室に行くと、いつものようにこの日のことを話し始めました。

この日は午前中に入浴をして、午後はリハビリがあり、おやつを食べてからトイレに行って、まったりとしていたということでした。

リハビリでは意地で2往復歩いて、その後に歩行器もやり、おやつがおいしかったと話していて体調は良い様子でした。

実際に、母は「今朝はグッスリ寝たので目が良く見えている」と笑顔で言っていました。

また先日のケガ以来、夜寝る前に「立っちゃダメだよ」と念を押されていると言いながら苦笑いをしていました。

ところで、この日私は母の面会に来る前に、少し前に入院した叔母の面会に行っていて、そのことを母に伝えました。

母も叔母が入院したことは知っていて「人相変わったでしょ?」と、心配していました。

確かに、以前に会った時よりも少し痩せて年を取った感じもしましたが、それほど変わっていないようにも見えました。

「母も頑張っているから頑張って下さい」と叔母に伝えたことを話すと、母は無言で頷いていました。

「面会に行く?」と私が聞くと「行かない。二人で抱き合って泣いていても仕方ない」と母は言い、今度は笑っていました。

2022年9月12日 (月)

「しっかり練習しないとね」

4年前の2018年9月12日は曇りで24℃の水曜日、母が施設に入所して71日目、午後4時ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、どことなく元気がなさそうに見えたので「元気ないね」と声を掛けました。

話を聞くと、便通が4回もあり軟らかいので3回目には少し漏らしてしまったとか……。

この日はリハビリも無く、天気も曇っていて薄暗いので気分的にもあまり盛り上がる感じではなかったようでした。

前夜は蒸し暑く感じてあまり良く眠れなかったと言い、目の見え方も今一つ調子が良くないということでした。

それでも話をしているうちに元気が出て来て「今日も歌の練習をした」と、教えてくれました。

以前から『青い山脈』は聞いていましたが、もう一曲は『見上げてごらん夜の星を』を練習しているとのことでした。

その後、再び体調の話になり、リハビリが無くずっと座っているので脚が痛いと言いました。

また、脚のむくみはあまり目立ちませんが「ふくらはぎを鍛えてカッコよくしたいね」と、母は相変わらずリハビリに意欲的でした。

そして、姪が17日の敬老会を楽しみにしていることを伝えると、母は「しっかり練習しないとね」と、こちらもやる気を見せていました。

この日は主にお腹の調子が気になるようで「トイレに行くたびに出そうな気がする」と不安そうでした。

ただ、それでも「食事は全部いただいている」「デザートの果物が美味しい」と言っていて、心配するほどではないかな、と思いました。

2022年9月11日 (日)

カワイイ動画に笑顔

4年前の2018年9月11日は曇りで24℃の火曜日、母が施設に入所して70日目、午後3時50分ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、テレビが大相撲の土俵入りをやっていましたが「良く見えない」と言いながら気になっているようでした。

この日は火曜日で姉が来てくれていたので、前日の事故でけがをした頭の部分を一緒に見ると、かなり良化しているようでした。

9階の面会室に行きテレビをつけて、相撲を見ながら三人で話をすることにしました。

母の話は私が毎日聞いている内容と変わりませんでしたが、姉がいることでいつも以上に声に力がこもっているように感じました。

この日は午前中にリハビリを頑張って、便通もいい感じであり食事もおいしくいただいていると、心身ともに好調な様子でした。

また久しぶりに、この頃は血糖値を測らないしインシュリンも打たないということを話していました。

それから、17日の敬老会に姪が来てくれることになり、子供の動画を送ってくれたので私のスマホでその動画を見せました。

前年に家族でウチに来た時以来、その子の姿を見た母は「かわいいねぇ」「元気で結構でございます」と、笑顔が絶えませんでした。

また、「動くのはいいね」「また見たいですね」などと、スマホの動画も気に入ったようでした。

そして姪が来ることになり「しっかり練習してね」と私が言うと、母は練習している内容について姉に熱心に説明していました。

そんな元気な母を連れてフロアに戻ると、テレビに大相撲中継が映っていたので母をその前に座らせて、私と姉は帰りました。

2022年9月10日 (土)

ケガも笑い飛ばす勢い

4年前の2018年9月10日は曇りで30℃の月曜日、母が施設に入所して69日目、午後4時ころ母のフロアに行きました。

母はいつもの場所にいて「今、お風呂から帰って来た」とのことで「脚にローションを塗ってもらった」と嬉しそうに言いました。

その時、職員さんが私のためにわざわざ椅子を持って来て「今日は事故がありました」と、話し掛けてきました。

その言葉を聞いて少し驚きましたが、朝6時半頃母がタンスの上の衣類を取ろうとして頭をぶつけたということでした。

母の頭を見てみると確かに青いコブができていましたが、『事故』とは少し大げさに扱われてしまった感じがしました。

動けるようになってきた母が少し無理をしたのかな、と考えて「みなさんにお任せした方がいいよ」と私は母に伝えました。

すると母も「わかりました。以後気をつけます」と神妙な感じで答えてくれました。

ケガは大したことがないようで、その後の母は自分を担当してくれていた職員さんの責任になるのではないか、しきりに気にしていました。

そんな中でも午前中にリハビリをして、午後には入浴と、この日も元気に忙しく過ごしたようでした。

久しぶりのリハビリでは歩行器も使うなど、「フルコースで頑張った」と話してくれました。

また、リハビリに行った時に既に「先生が頭をぶつけたことを知っていた」と、大笑いしていました。

このころの母はいつも元気で陽気でしたが、この日は多少のケガなど笑い飛ばすような勢いがありました。

2022年9月 9日 (金)

「お相撲を見ていますよ」

4年前の2018年9月9日は晴れて31℃の日曜日、母が施設に入所して68日目、午後3時50分ころ母のフロアに行きました。

母がいつもの場所にいないので少し探していると、職員さんが「お相撲を見ていますよ」と教えてくれました。

食堂のテレビには大相撲の土俵入りが映っていて、母は珍しくテレビの正面に座って画面を見ていました。

母の説明では「おやつを食べて休んでいると拍子木の音がしたので、ここに移動してきた」ということでした。

この日が大相撲九月場所初日の日曜日でしたが、9階の面会室は人が少なかったのでテレビをつけて、土俵入りの続きを見ながら話をしました。

母の話では、この日も時間のある時には敬老会の出し物の練習をしたそうでした。

『青い山脈』などの歌を唄いながら振り付けの練習をしているということでした。

この話は数日前から聞いていますが『青い山脈』以外の曲は思い出せないと、母は苦笑いをしていました。

そして体調面のことを訊ねると、便通が2回あってそれなりに出たと、嬉しそうな表情で教えてくれました。

また、前日とこの日と二日続けてリハビリが無かったからか、立ち上がる時に脚に少し違和感があると言っていました。

確かに脚を見てみると少しむくみがあり、リハビリが無く座っている時間が長くなると、どうしてもむくみやすいようでした。

帰りに食堂に戻ると、テレビは相撲中継ではなく他の番組になっていましたが、母はそれを気にすることもなく私を見送ってくれました。

2022年9月 8日 (木)

小さくなった背中

4年前の2018年9月8日は晴れ時々曇りで32℃の土曜日、母が施設に入所して67日目、午後3時45分ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、カーディガンを脱いでいたので室内が暑いと感じていたのでしょう。

この日はリハビリが無いと言われていたので、午前中はまったりと過ごし、午後に敬老会の出し物の練習をしたということでした。

例えば『青い山脈』を唄いながら、紐の付いた棒を振って踊るのだと説明してくれました。

『青い山脈』の他にも何曲か出し物があるので、この日は拡大鏡を使って歌詞を見たところ結構見えたと喜んでいました。

その拡大鏡を掛けて歌詞を見ていたところ、ある職員さんが「良く似合う」と言ってくれたことも笑顔で話してくれました。

また、職員さんが「明日からお相撲だよ」と教えてくれたと言っていました。

母は「そういえば、テレビも新聞も見ないからバカになるかな」と自問し、「情報源はラジオだ」と自答して納得していました。

家にいた頃の母は長い時間をかけて新聞を読み、暇な時間はテレビの前で過ごしていましたから、変われば変わるものでした。

またこの日はずっと座っていたからか、足のむくみが少しあり、着替えのために立ち上がった時に「少し違和感がある」と言っていました。

そして、汗ばんだ背中を拭いてあげるために背後に回ると、母の背中は温かくスベスベしていました。

母の背中を拭くようになってから数年が経過して、最初の頃よりも明らかに小さくなっていましたが、まだシワはほとんどありませんでした。

2022年9月 7日 (水)

気分次第で軽い足取り

4年前の2018年9月7日は曇りで31℃の金曜日、母が施設に入所して66日目、午後3時45分ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、トイレから帰って来たそうで「昨日出なかったけど、今日は出て良かった」とホッとしている様子でした。

また、少し前には紐の付いた棒状のものを振りながら『青い山脈』などを唄ったということでした。

このところ来る敬老会のための練習をしていて、母もこの催しをとても楽しみにしているように感じました。

そして、母の楽しみと言えばリハビリですが、明日明後日はお休みだと言われたということでした。

また、この日のリハビリは脚の痛みがそれほどで無く、歩行器も使って歩いて充実していたようでした。

ただ「犬のぬいぐるみが乗った歩行器で歩いていたら、他の先生が来て手を叩いたので舞い上がってしまった」と照れ笑いをしていました。

それから食事の話では「味の付いた玉子が出て、おいしかった」とこの日も満足した様子でした。

その他では「鶴をもっと持って来てもいいんじゃない?」と言って、展示会のことも積極的に考えているようでした。

ただ、朝血圧と体温を測定したそうで、母は血圧の薬を増やしたと聞いたと言っていて、少し心配な状況になってきました。

それでも、この日の母も明るく元気にたくさんのことを話してくれたので、私も帰り道の足取りがとても軽く感じられました。

母の骨折入院以来5か月ほど通い慣れた道でしたが、気分次第でこんなに違って見えるものかと、不思議な気持ちになったものでした。

2022年9月 6日 (火)

歩行器も頑張った

4年前の2018年9月6日は曇りで32℃の木曜日、母が施設に入所して65日目、午後3時50分ころ母のフロアに行きました。

この日は入浴があるはずなので少し遅めの時間に行きましたが、母はいつもの場所にいておやつを食べているところでした。

やはり少し前にお風呂に行っていたというので、おやつが終わるまで壁に貼ってある習字の作品を見ることにしました。

9月3日の日付が書かれた「あき」「とんぼ」という2枚が新しい作品のようでした。

母がおやつを食べ終わったところで9階の面会室に行って話をすると、まず数日前に持ってきた折鶴の話になりました。

前日私が帰った後に、職員さんが部屋の折鶴を見てくれて「いいですね」と言っていたということでした。

「今後、もしかすると施設で折り紙をしてくれるかもしれない」と、母は期待をしている様子でした。

次に習字の話になり「少し筆が乱れていたね」と私が言うと「乱れた。急いで書いたから」と母は言いました。

昼寝から起きると既に皆が書いていて、母は寝起きに急いで書いたそうで「あまり見たくない」と、今回の作品はかなり不本意なようでした。

そして、この日はリハビリが午前中にあって、久しぶりに歩行器で歩いたと笑顔で教えてくれました。

母が「最近、歩行器で歩いていない」と先生に話したところ「じゃ、やりましょう」となったということでした。

通常どおりのメニューをこなした上で歩行器もやったので「今日は頑張った」と、母は満足したような笑顔を見せてくれました。

2022年9月 5日 (月)

二日分の話

4年前の2018年9月5日は晴れて34℃の水曜日、母が施設に入所して64日目、午後3時40分ころ母のフロアに行きました。

二日ぶりに挨拶をすると「あまり元気がない」と母は言いましたが、話し始めるとこれまでのようにたくさん話をしてくれました。

9階の面会室に行くと、西日が部屋の奥まで射すようになり、母は「眩しい」と言いながら手を顔の前にかざしていました。

この日の母は、最初に前日の朝一番にリハビリに行ったことを話してくれました。

脚に痛みがあり、また目の見え方にも少し不安があったようでしたが、運動は問題無くこなしたと言っていました。

そして歩行器はやらなかったことと、今後リハビリの回数が減るらしいことを聞いたと教えてくれました。

次にこの日の朝食に『お粥パン』を食べたそうで、「これがすごくおいしかった」と、笑顔で言いました。

それを聞いて私は、先月の会議で話題になった『牛乳をかけたパン』のことを思い出しました。

そして、それを食べた母がとても喜んでいるのを見て、私も心の底から『良かったな』と思いました。

他には昼寝から目覚めたら便意があったので、トイレに行くと二日ぶりに「ものすごく出た」と、母なりの言い方で話してくれました。

「お腹がやわらかくなって気持ちいい」と言い、続けて「おやつのカステラをおいしくいただきました」と笑っていました。

最後に「今日のご飯はおいしかった」と、母はあらためて言い「パン粥も玉子焼きもおいしかった」と満足そうな表情をしていました。

2022年9月 4日 (日)

リハビリに意欲的

4年前の2018年9月4日は曇り時々雨で29℃の火曜日、母が施設に入所して63日目、この日は台風接近のため面会には行きませんでした。

四国から大阪方面に多大な被害をもたらした台風21号は、上陸した台風としては25年ぶりの強さといわれていました。

そのため前日のうちに母には面会に来ない旨を伝えていて、母も「帰るまで心配だからね」と答えてくれました。

火曜日ですから姉も面会に来てくれるところでしたが、それは一週間後のお楽しみとなりました。

ところで、このころの母は生涯で一番楽しそうにしているのではないかと思うほど、毎日元気で陽気でした。

その原因はいくつか考えられますが、そのうちの一つは間違いなくこのころ週に5日は励んでいるリハビリでした。

母は元々運動が苦手で、さらに高齢になってからはほとんど家を出ないような生活になっていました。

持病があり薬も複数服用していて、何となく気分がすぐれないことも多かったように思います。

そういう生活が、この年の4月の脚の骨折による入院をきっかけにガラッと変わり、私が『母の第二の人生』と呼ぶ生活が始まりました。

骨折は40日間の入院で済みましたが、二週間後に自宅で脱水症状になって再び入院し、この時に母はリハビリに意欲的に取り組み始めます。

意識不明で入院して半月ほどベッドで寝ていたため、前の入院とは違って、90歳で一からリハビリを始めたので大変だっただろうと思います。

そういう状況でしたから、ここまで回復したことについて母は「よく頑張った」「先生のおかげと自分の努力」などとよく自讃していました。

2022年9月 3日 (土)

「骨折前と変わらないね」

4年前の2018年9月3日は雨のち曇りで26℃の月曜日、母が施設に入所して62日目、午後3時40分ころ母のフロアに行きました。

母はいつもの場所にいて、前に聞いたことがあるカットされたどら焼きのようなおやつを食べているところでした。

母の話では、お風呂に行っていておやつが遅くなったそうで、カステラが緑色をしていましたが「味はわからない」と笑っていました。

この日は朝食後に書道をやり、2枚書いたそうですが「眼鏡を掛けずに山勘で書いた」「何を書いたかは忘れた」ということでした。

また午前中にはリハビリもあり、朝のうちは脚の調子が良くなかったと言いながらも「良く出来た」と自賛していました。

ただ、一通りメニューをこなしたそうですが、この日も歩行器は使わなかったということでした。

他にも「工作でお花を作った」「爪を切ってもらった」と言っていて、この日は母にとって多忙だったようでした。

そして、いつものように母の部屋に行って着替える時の、車椅子からベッドに移るために立ち上がる動きが、この日は実に軽やかでした。

母が脚を骨折したのはこの時より5か月ほど前のことで、当時母は椅子から立ち上がるときに「ヨイショ」と気合を入れていました。

その気合とともにテーブルを手で掴んで、勢いをつけてやっと立ち上がっていたのを覚えています。

それを思うと、5か月後の方が楽に立ち上がっているように見え、私にとっては夢のように感じました。

そこで私が「脚を骨折する前と変わらないね」と言うと、母は満更でもなさそうな笑顔を見せてくれました。

2022年9月 2日 (金)

「みんな大変そうだ」

4年前の2018年9月2日は雨のち曇りで26℃の日曜日、母が施設に入所して61日目、午後3時45分ころ母のフロアに行きました。

母がいつもの場所にいるのを見かけたので肩をトントンと叩くと「出ないのよ」というのが母の第一声でした。

どうも便秘用に座薬を入れたらしいのですが、それでもなかなか出ないので気になっているようでした。

ただ、お腹を押しても痛くない上に、食事もおいしく食べているというのでそれほど心配は無さそうに思いました。

「ご飯はおいしいけど少ないので、おかずが余ってしまう」と、相変わらす食欲は旺盛なようで安心しました。

他の体調としては、日曜でリハビリが無いためか「脚は痛くない」と言い、むくみもほとんど無くなっていました。

気になる点としては、ここ数日続いていたのどの不調がこの日も続いているようでした。

それでも痰がからんでいるわけではなく、いつものように冷水を美味しそうに飲んでいました。

また、この日は日曜日なので暇な時間が多く「タオル折りをたくさんしました」と言っていました。

おそらく休日対応のためか、この日は介護の職員さんが少ないと母は感じているようで「みんな大変そうだ」と気遣っていました。

そして初めて聞いた話として「朝早く奇声を上げるおばあさんがいる」ことを母は教えてくれました。

施設での生活も60日が過ぎて、母には周囲の様子が良く見えているように感じました。

2022年9月 1日 (木)

「美味しいモノばっかりよ」

4年前の2018年9月1日は曇りで31℃の土曜日、母が施設に入所して60日目、午後3時40分ころ母のフロアに行きました。

母は先週の土曜日と同様に、少し離れた場所で森繫久彌のCDを聴いていたおじいさんと一緒に何か曲を聴いていました。

挨拶をして9階の面会室へ一緒に行くと、さすがに土曜日のためテーブル席は満席で、長椅子に横に並んで話をしました。

この日はラジオ体操をしているとリハビリに呼ばれ、歩行器以外はいつものコースをこなしたということでした。

歩くとやはり膝の裏が痛いそうですが、その代わりかどうか背筋を伸ばす運動を初めてやったと言っていました。

その後は、この日も食事の話になり「ご飯がおいしく食べられた」、「玉子焼きもおいしい」と嬉しそうに笑顔で言いました。

8月22日の会議の後に変わったメニューを、かなり気に入っている様子でした。

「美味しいモノばっかりよ」と言いながら、この日も私が持参した水筒の冷水を3~4口ほど飲んで、母は満足そうでした。

前日と同様に話し声が少しかすれている感じがしましたが、それ以外の体調はとても良さそうでした。

その後、一緒に森繫久彌の歌を聴いていた人の話になり、その人は母よりも年上で大正12年生まれだとか。

大正12年だと父と同年齢ということになり、またその人は鍼灸を順天堂やお茶の水の近くでやっていたということでした。

「そんな話を3回くらい聞いた」と、母は笑いながら話してくれました。

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