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2022年8月

2022年8月31日 (水)

「9階へ行きましょう」

4年前の2018年8月31日は晴れて36℃の酷暑の金曜日、母が施設に入所して59日目、午後3時40分ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所でくつろいでいて、声を掛けると「9階へ行きましょう」と積極的に母の方から動き出しました。

9階の面会室に着くとまずリハビリの話から始まり、母はこの日はリハビリが無いものと思い込んでいたそうでした。

ところが朝の10時に工作の準備を始めていたところ、リハビリに呼ばれたということでした。

リハビリでは歩行器を使った運動以外はいつものセットをこなしたようですが、歩くと膝の裏が少し痛いと言っていました。

その次には、この日も食事の話になり「今日もお昼ご飯がおいしかった」と嬉しそうな笑顔で言いました。

また前日に続いて「ご飯が少ないからおかずが余ってしまう」と言った後に「お皿が大きいでしょう」と、母は笑っていました。

ただ、この時点で私は母の食事の様子を見たことが無かったので、何とも答えようがありませんでしたが……。

この日のおかずでは「煮物のようなものが刻まれて出た」、「チンゲン菜のようなものがおいしかった」とも付け加えていました。

そしてこの日は酷暑ということもあって、私が持参した水筒の冷水を4~5口ほど飲んで、母は満足そうでした。

話し声が少しかすれている感じがして、本人も違和感があると言っていましたが、それ以外の体調はとても良さそうでした。

いずれにしても、この日もリハビリをして、食事をおいしく食べられて、笑顔で話が出来る元気な母でした。

2022年8月30日 (火)

「ご飯がすごくおいしい」

4年前の2018年8月30日は曇りで34℃の木曜日、母が施設に入所して58日目、午後4時ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいましたが、定位置が変わったのかテーブルの端の方に座っていました。

最近新しい人が来たと母も言っていたので、人数が増えたからかテーブルが2つ付けてありました。

いつものように9階の面会室に行きその話をすると、母は「並ぶ場所が変わった」と言い、やはり席替えをしたようでした。

それから、職員さんと五木ひろしの話をしたそうで、良く知らないのでいろいろ教えて欲しいと言われたとか。

「ウチにたくさんあるレコードでも持って来ようか?」と私が言うと、母は「あるよねー!」と大声で笑い、記憶もしっかりしていました。

ところで、この日の話の中心は、数日前からお粥が白飯になった食事のことになりました。

私が持参した水筒の冷水をおいしそうに飲んだ後、突然思い出したように「今日のご飯はおいしかった」と話し始めました。

そして「玉子焼きが薄くて味がついていて、すごくおいしかった」と続けて言いました。

ただ「最近はご飯が出てくるのが遅いことがある」と不満も漏らしていましたが、それだけ食欲があるということなのでしょう。

「とにかくご飯がすごくおいしくてすぐ食べてしまうから、おかずが残ってしまう」と、贅沢な悩みも話してくれました。

入院以来数か月、ずっと食べていたお粥が白飯になって嬉しいこともあるのでしょうが、体調の良さを証明しているように感じました。

2022年8月29日 (月)

『良く頑張った』という思い

4年前の2018年8月29日は曇りで29℃の水曜日、母が施設に入所して57日目、午後4時ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、おやつを食べてからトイレに行って戻ってきたところだということでした。

「今は出なかったけど、昨日の夜にドッサリ出た」と笑顔で言い、便通の心配はないようでした。

また「今日は暑いからカーディガンを着たり脱いだりだね」と、エアコンがあまり効いていないようで少し暑さを感じているようでした。

そして「今日は目がチラチラする」とも言っていて、少し体調に不安があるようでした。

そのために午前中にあったリハビリでは、いつもよりも軽い運動で終わらせてもらったとのことでした。

周囲で咳をしている人が増えていて、体調の良くない人もチラホラいると話していて、そんなことも気になっているのかもしれませんでした。

ところで、前日はリハビリを姉とともに見学しましたが、姉が「思ったより元気だね」と言っていたことを母に伝えました。

母はそれを聞いて「先生のおかげと自分の努力」と、笑顔を見せながら自画自賛していました。

母自身にも良く頑張ったという思いがあったのでしょう、珍しく自慢するようなことを言いました。

確かにこのころの母の努力は頭が下がるほどで、90歳を過ぎてここまで出来るとは、私の認識も改めなければなりませんでした。

着替えの際に、汗ばんでいた母の背中に「明日はお風呂だよ」と言うと「入るだけで気持ちいいからね」と、楽しみにしている様子でした。

2022年8月28日 (日)

連日のリハビリ見学

4年前の2018年8月28日は曇りで30℃の火曜日、母が施設に入所して56日目、火曜日なので姉が面会に来てくれました。

私は前日母のリハビリを見学しましたが、この日もリハビリの時間に合わせて姉と一緒に見に行くことになっていました。

この日は午後3時半ごろに直接リハビリルームに行くと、母は手すりの前に座っていました。

これまでに腿上げなどの運動は終わっていて、あとは歩く運動を残すだけになっているようでした。

姉と私が見守る前で母は手すりの伝い歩きを一往復した後に、いよいよ歩行器を使って歩き始めました。

前日と比較して歩いた距離は少し短かったですが、それでも姉は「想像していたよりもスムーズに動けていた」と、驚いた様子でした。

母によると「脚の痛みは無いが、時々左脚の力が抜けるような感じがある」ということでしたが、見ている限り問題は無さそうでした。

先生の話では「入所したばかりなので多めに予定を入れている」ということで、さらに「意欲があるから」と母を褒めてくれました。

リハビリ見学を終えて9階の面会室に行くと、母は姉を相手に施設でのことを一生懸命話し始めました。

食事の話を主に、ラーメンが出たことやお粥が白飯に変りおかずも良くなったなど、私がいつも聞いている内容を楽しそうに話していました。

姉と私が帰るときには、母は「エレベーターの前まで送りましょう」と言い、笑顔で手を振ってくれました。

振り返ってみると、このころの母は心身ともに絶好調で、笑顔が絶えず充実した生活をしていたように思います。

2022年8月27日 (土)

二か月ぶりのリハビリ見学

4年前の2018年8月27日は晴れて36℃の月曜日、母が施設に入所して55日目、この日はリハビリ見学のため早めに母のフロアに行きました。

午後3時ごろに着くと丁度おやつが終わった時間のようで、母を見つけるとお風呂は済んでいる様子で前日と服装が変わっていました。

ただ、その入浴前に血圧を3回も測ったと、少し気になることを母から聞きました。

また、「今日はおいしいものを食べた」と笑顔で言い「何か牛乳を使ったもので、初めて食べた」と喜んでいました。

そのような話をしながら二人でリハビリルームに向かいました。

リハビリルームに入ると、母は慣れた様子で入り口に用意されたアルコールで両手を消毒して、すっかりやる気になっていました。

そのリハビリの内容はいつもとほとんど同じコースだったのでしょうが、私の想像よりもかなりハードなものでした。

私が母のリハビリを見たのは、まだ病院にいた時以来で二か月ぶりでしたが、動きは更に良くなっていました。

二か月前は手すりを伝って歩くだけでしたが、この日は手すり歩行の後に歩行器を使って10メートルほどを往復していました。

リハビリ後はさすがに疲れた様子で、いつものように水筒の冷水を「冷たくて美味しい」と言いながら、この日は2~3口飲んでいました。

そして脚の具合を見てみると、むくみはほとんどなくなって母は「逆に膝小僧が現れた」と嬉しそうに笑っていました。

さらに「もっとふくらはぎに筋肉が欲しいね」と、さらなる体力の増強に意欲を見せていました。

2022年8月26日 (金)

「どこに行っても暑い」

4年前の2018年8月26日は晴れて36℃の猛暑の日曜日、母が施設に入所して54日目、午後3時40分ころ母のフロアに行きました。

いつもより少し早く行ったからかテーブルの周りには多くの人がいましたが、誰の話し声もしない静かな中、母はいつもの場所にいました。

母は「今日はどこに行っても暑い」と暑さに少し参っている様子でした。

この日は日曜日で特別な行事もなく暇なので、昼食後は1時間半も昼寝をしたということでした。

暑いこともあって、昼寝の後のおやつに飲んだ人参ジュースがとてもおいしかったと、笑顔で話してくれました。

施設のエアコンもフル回転しているような音はしていましたが、あまり効いていない感じでした。

母の話では「朝起きたらタオルケットが反対になっていた」ということなので、おそらく夜中も暑かったのでしょう。

面会室から母の部屋に移動すると窓には遮光カーテンが閉めてありましたが、部屋全体が暑いので昼寝も寝苦しかったと思います。

とにかくこの日の母は口癖のように「今日はどこにいても暑い」と言っていました。

ベッドに座って着替えた後には、私が持参した水筒から冷水を飲んで「冷たくて美味しい」と、満足そうな表情を見せました。

そして、私の帰り際にもう一口その冷水を飲んで「夜欲しいなぁ、と思うけど」と言っていました。

施設では部屋での飲食が禁止になっていて、水筒を置けないことが残念そうでした。

2022年8月25日 (木)

「おっぱいが小さくなった」

4年前の2018年8月25日は晴れて再び猛暑になり35℃の土曜日、母が施設に入所して53日目、午後3時50分ころ母のフロアに行きました。

母の姿が見えないので探していたところ「リハビリ見学は27日の15時20分からでどうですか?」と職員さんに話しかけられました。

私としてはいつでも構わないのでそのまま決定しましたが、話しながら母を探すと少し先のテーブルの所にいました。

母の話では、おやつの後にトイレに行って出てくると、そこでおじいさんが森繁久彌の歌を聴いていたので一緒に聴いていたとのことでした。

このところ敬老会のために歌の練習をしているので、音楽に対して再び興味が出てきたのかもしれません。

この日はリハビリの先生がお休みでリハビリはなかったそうですが、母は「脚が軽くて調子が良かったのに残念だった」と言っていました。

その他には相撲の話や折鶴の話、食事のことなどを元気な声で話してくれました。

食事は普通の白飯になって美味しいし、海藻のようなものが多いことと「まだ箸よりスプーンが食べやすい」ことを教えてくれました。

それから、夏も終わりに近づき母のベッドの所まで日が差すようになったそうで「布団とタオルケットが熱い」と話していました。

また、この日は再び猛暑になったこともあり、私が持参した水筒の水を「冷たくて美味しい」と嬉しそうに飲んでいました。

そして、いつものように着替えをしていると、Tシャツを脱いだ時に「おっぱいが小さくなった」と母が呟きました。

「もう赤ちゃんも生まれないだろうから、いいんじゃない?」と私が答えると、母は「そうだね」と笑っていました。

2022年8月24日 (水)

周囲が見える良い先輩

4年前の2018年8月24日は雨のち曇りで31℃の金曜日、母が施設に入所して52日目、午後3時45分ころ母のフロアに行きました。

母の姿が見えないので職員さんに尋ねると、トイレに行っているとのことで、母が出て来てから一緒に9階の面会室に行きました。

「そろそろ息子が来る時間だ」と言いながらトイレに行ったと、母はこの日の話を始めました。

朝一、午前9時50分にはリハビリに行き、最後に2往復歩くなどいつものメニューをこなしたということでした。

ただ先生が新しい人の面倒を見ていたので「腿上げなどを勝手にやっていた」と、少し不満そうに話していました。

それでも脚の痛みは無く調子が良かったと言っていました。

食事の話では、普通の白米になったので水分の分だけ早く食べ終わるようになったと言いました。

また昨夜は珍しく冷奴が出て、この日の昼食ではラーメンが出たが、短い麺で掴めないのでスプーンで食べたと苦笑いをしていました。

食事のメニューが替わることは聞いていましたが、新しいものが出て来て母も喜んでいるようなので、私も良かったと思いました。

その他の話では、つい先日入所してきた人に「どこに泊まっているんですか?」と聞いたら「ここです」と言われたと、笑っていました。

そして「ここは風向きによっては寒いですよと教えたら、次の日から上着を着てきた」と、少し自慢げに話してくれました。

いよいよ施設に馴染んできた母の表情には余裕も感じられ、周囲が見える良い先輩になってきたようでした。

2022年8月23日 (火)

自宅で作った折鶴の話

4年前の2018年8月23日は変わりやすい天気で33℃の木曜日、母が施設に入所して51日目、午後3時50分ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、お風呂上がりのようでカーディガンを脱いだ格好で車椅子に座っていました。

母に挨拶をする前に、前日会議で話をした職員さんが来て「お粥が軟らかめの白飯になりました」と教えてくれました。

母にその話を聞くと「久しぶりに食べたご飯と玉子焼きがおいしかった」と、嬉しそうな笑顔で答えてくれました。

また、この日は午前中にリハビリをして、やはり午後に入浴ということでした。

リハビリはいつもと同じ内容で、最後に2往復歩いた時も膝の裏の痛みはほとんどないと言っていました。

そして、体重を測ったそうで前回はかなり増えたということでしたが、今回は2㎏減ったと言われたとのことでした。

確かに前日の会議で、当初の1,600キロカロリーから今は1,400キロカロリーにしているという話が出ていました。

その他には、工作をする時間があって毛糸で菊の花を作ったりしたと話してくれました。

そしてその際に、自宅で作った折鶴の話をしたので、持って来て欲しいと続けて言いました。

以前にも記しましたが、この折鶴は弟のために母が「一日5羽折る」と宣言して折り始めたものです。

糸も針も施設にあるからと言われたそうで、母の意気込みを感じて私も『持って来ないわけにはいかないな』と思いました。

2022年8月22日 (月)

「もう一回行きたい」

4年前の2018年8月22日は晴れて35℃の蒸し暑い水曜日、母が施設に入所して50日目、この日は午後2時から施設で会議がありました。

ケアマネージャー、相談員を始めとして看護師、介護士、リハビリ担当という現場の方々も揃って話し合いました。

ここまで母の施設での生活に問題はなく、次週にはリハビリを見学することも予定されました。

老健は一応3か月で退所が検討されるので、母の今後についても話がありました。

このころの母は帰宅するよりも施設にいることが楽しそうなので、私としてはこのまま引き続きお世話になりたいとお願いしました。

特養にも入所の申し込みはしてあるので、そちらが決まらなければ延長が認められる可能性が高いという説明がありました。

私は「今の母の状態は人生で一番明るく元気なように思います」と、皆さんにお伝えして感謝の意を表しました。

会議後、午後2時50分ころ母のフロアに行くと、ちょうどおやつの準備をしているところでした。

おやつが終わってから母の部屋で話をすると、この日は午前中にリハビリをして午後は昼寝をしたということでした。

リハビリでは歩行器を使って2往復歩いて「もう一回行きたい」と言ったら、先生に「もういいです」と言われたと少し残念そうでした。

また、脚のむくみはかなり良くなっていて左足の甲もやわらかくなり、心身ともに元気いっぱいという感じでした。

そして、新しい入所者が2人入って来たので少し話をしたそうで、母も立派な先輩になりました。

2022年8月21日 (日)

「コーヒーは何年ぶりかな?」

4年前の2018年8月21日は晴れて33℃の蒸し暑い火曜日、母が施設に入所して49日目、午後3時50分ころ母のフロアに行きました。

母は珍しく食堂のテレビの正面にいて、高校野球の決勝戦を見ていました。

その母に挨拶をすると「この場所でもよく見えないことがある」と言いながらも、母はこの日も元気にいろいろと話してくれました。

「今日は誕生会があってケーキとコーヒーを頂いた」と笑顔で言い、続けて「コーヒーは何年ぶりかな?」などと言っていました。

ウチにいる時にもコーヒーは時々淹れていたので、そこまで久しぶりではないはずですが、母特有の強調表現だったのかもしれません。

母の話では、この日は午前中にリハビリをして、お昼を食べて昼寝をして、おやつにケーキとコーヒーを頂いたということでした。

それから、先ほどの誕生会では90代の人が一人いたことを教えてくれました。

また、朝起きた時から脚は痛くなく、リハビリでは2往復歩いて調子も良かったと嬉しそうに話してくれました。

ところで、これまで火曜日には姉が一緒に来てくれていましたが、この日は多忙で来れないと言っていたと、母に伝えました。

母は「別に用事はないけど……」と言いながらも少し寂しそうでした。

それでも心身共にこの日も元気で、私が持参した水筒を左手だけで軽々と持ち、冷水を美味しそうに飲んでいました。

わずか2か月ほど前には水の入ったカップを持てなかったほど衰弱していたことを考えると、私には夢のように思えました。

2022年8月20日 (土)

一番元気?

4年前の2018年8月20日は曇りで28℃の月曜日、母が施設に入所して48日目、午後3時50分ころ母のフロアに行きました。

母が食堂のいつもの場所にいないので職員さんに尋ねると「まだお風呂」ということで、母の部屋に行って待つことにしました。

5~6分待っていると母が現れ、おやつを食べてから行ったので遅くなったということでした。

「脚にクリームを塗ってもらった」と嬉しそうに言うので見てみると、確かにスベスベした感じがしました。

おやつにはワインゼリーのようなものが出て「初めて食べた」と、こちらも嬉しそうな表情で言いました。

部屋での飲食は禁止でしたが、風呂上りなので持参した水筒の冷水を飲ませてあげると「おいしい」と、母は喜んでくれました。

また「リハビリは午前中にやりました」ということでした。

膝の裏の痛みもこの日はなく、最後に2往復歩いて調子が良かったようでした。

他には「何か書類にサインした」と教えてくれました。

おそらく22日の会議のための書類だと思いますが「署名の文字がしっかりしている」と、褒められたことを嬉しそうな笑顔で言っていました。

この日はリハビリと入浴があって忙しかったと思いますが、空いた時間には高校野球を見ながらタオル折りをしたということでした。

それでもこの日の母は疲れも見せずご機嫌で、これまででも一番元気があったように感じました。

2022年8月19日 (金)

「寝ながら考えたことがある」

4年前の2018年8月19日は曇りで30℃の日曜日、母が施設に入所して47日目、午後3時50分ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、テレビには珍しく巨人戦が映っていましたが、気づいていないのか全く見ていませんでした。

母に挨拶をすると、日曜日なのでリハビリも無くボサッとしていたと言いました。

家にいた頃の母はテレビの前で過ごすことが多かったですが、脚の骨折で入院して以来テレビにはあまり関心を示さなくなりました。

それでも前夜にNHKテレビの『懐かしのメロディー』を見たと言い「森進一が出たから五木ひろしは出ないと思った」と、笑っていました。

久しぶりに見たテレビにお気に入りの歌手が出なかったので、少し残念そうではありました。

また、いろいろと話をするうちに「寝ながら考えたことがある」と、母は言いました。

続けて「家で作った鶴はどうした?」と私に尋ね、どうやら前日ケアマネージャーが話していた展示会のことを考えているようでした。

施設では工作をする時間があり、その作品を展示会で披露するそうですが、家で母が作った折鶴も使ってもらいたいということでした。

折鶴は私の弟が無くなった時、母に「鶴でも折ろうか」と提案したところ、母は「毎日5羽折る」と言って始めたものでした。

既に何百羽あるかわからないほど家にはあり、施設で使っていただけるならそれも有難いと思いました。

このころの母は元気で陽気で何でも楽しんでいたので、私も出来ることは何でも協力してあげたいという気持ちでした。

2022年8月18日 (木)

「皆いい人で良かった」

4年前の2018年8月18日は晴れて爽やかな30℃の土曜日、母が施設に入所して46日目、午後3時45分ころ母のフロアに行きました。

母はトイレから出たところなのか流しで手を洗っていたので、挨拶をすると「いつもと違ってわからなかった」と母は言いました。

それは、私はいつもジャケットを着て面会に行っていたのですが、この日は珍しくポロシャツ姿で会いに行ったからでした。

そんなやり取りをしながら9階の面会室に行って、まずこの日の話から始めました。

今はやはりトイレから戻ったところだそうで「今日は2回出た」と嬉しそうに話してくれました。

午前中はラジオ体操とリハビリ、午後は昼食後にラジオを聴きながら昼寝をしたということでした。

リハビリに見学者がいて先生が説明をしながら進めたそうですが、この日は脚の痛みは無く調子は良かったようでした。

そんな話をしていると施設のケアマネージャーが現れて、22日の会議の前に本人の希望や情報を知りたいと母と私の話に加わりました。

私も初めて聞いた母の話として「男性にトイレの世話をされるのは最初恥ずかしかったが、皆いい人で良かった」と笑いながら言いました。

また希望としては「習字をもっとやりたい」、「ここにいたいと言えばいられますか?」などと率直に話していました。

全体の状況としてはリハビリは順調で、立ち座りは一部介助で入浴は週2回入れているなど、ここまで問題はないということでした。

母の話を聞いていると、本当に施設に馴染んでいて毎日の生活を楽しんでいることが良くわかりました。

2022年8月17日 (水)

帰宅の希望はない?

4年前の2018年8月17日は晴れて爽やかな風が吹く30℃の金曜日、母が施設に入所して45日目、午後3時45分ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの位置にいましたが、外の爽やかな風とは違い「エアコンの風が寒い」と言っていました。

いつものように9階の面会室に行き話をすると、この日は午前中にリハビリがあったということでした。

また、午後には歌を唄ったそうですが、歌詞を見るために眼鏡を使ったところ、あまり役に立たなかったようでした。

そして、朝起きた時に「自分で着替えて」と言われたので立とうとすると、「脚が痛かったのでどうなるかと思った」と言いました。

それでも、リハビリでは通常のメニューをこなして「最後に2往復歩けた」と笑顔で話してくれました。

その時は脚も痛くなかったそうで、久しぶりにリハビリをすることができて嬉しかったようでした。

ただ、リハビリの先生が進み具合を家族に見て欲しいと言っているので、母はその後に帰宅することになるのではないかと心配していました。

はっきり「帰りたくない」と口にしたわけではありませんが、このころの母の様子は帰宅することにかなり不安があるように見えました。

確かに、この年の4月に脚の骨折で入院した際には、私が早めに半ば強引に退院をさせてしまうことになりました。

その時の母も同じように不安を口にしていて、結果的に2週間ほどの自宅での生活の後、再び入院することになってしまいました。

その経験もあって心配していたのか理由は聞きませんでしたが、この時点で母には帰宅の希望はないように感じました。

2022年8月16日 (火)

「保湿クリームが欲しいね」

4年前の2018年8月16日は曇りで風の強い32℃の木曜日、母が施設に入所して44日目、午後3時45分ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの位置にいましたが、入浴後のようで今までよりも涼し気な服装をしていました。

そして壁を見ると、母が先日習字の時間に書いたと言っていた「ひまわり」が一枚新しく貼ってありました。

それを見た後、9階の面会室で話をすると、母は「今日もリハビリをしていない」と言いました。

介護の現場はいつもと変わらないので気づきませんでしたが、リハビリはお盆のためかお休みのようでした。

また、お風呂は私が思っていたように午後から入ったということでした。

それから、この日の母は入浴についていろいろと話してくれました。

この日は、ほとんどの人が午前中にお風呂に行ったようですが、母を含めて3人が午後に回されたということでした。

お風呂の湯加減は丁度良かったけれども、いつもよりもゴシゴシ擦られたと言っていました。

「保湿クリームのようなものがあれば欲しいね」と、母は続けて言いました。

しばらく気にしていませんでしたが、母は以前は入浴後にシッカロールを塗るなど肌の手入れをしていました。

これからは乾燥対策も必要だと思い、帰りがけに職員さんに保湿クリームのことを相談すると「検討します」と答えてくれました。

2022年8月15日 (月)

帰宅に不安そうな表情

4年前の2018年8月15日は晴れて33℃の水曜日、母が施設に入所して43日目、午後3時40分ころ母のフロアに行きました。

母は食堂の定位置から少し離れたところにいて、私が挨拶をするとテーブルを指差しました。

その方向を見ると、テーブルの上に白いアジサイの花のようなものが置いてありました。

聞いてみると「自分が作った」と言っていて、工作をする時間でもあったようでした。

その際には「眼鏡を使った」というので、早速前日に持ってきたポシェットが役立ったようで、私も嬉しくなりました。

その後、9階の面会室に移動してベランダのメロンや壁に貼られた習字を見てから、いろいろと話をしました。

この日はテレビで高校野球を見たり、おやつはレモンティーとミルクゼリーだったなどと話してくれました。

それから、昼食の後のトイレではたくさん出たと笑顔で言い、体調に問題は無さそうでした。

ただ、この日はリハビリが無かったそうですが、相変わらず左脚が少し痛いということでした。

また、いずれ予定しているリハビリ見学の話から、8月22日は会議があることを私は母に初めて伝えました。

それを聞いた母は、リハビリの結果次第ではウチに帰ることになるのかと思ったようで、少し不安そうな表情になりました。

施設に馴染んでいる母を無理に帰宅させるつもりはありませんでしたが、母が心配するような話をしてはいけないなと、私は反省しました。

2022年8月14日 (日)

愛用のポシェットと初対面

4年前の2018年8月14日は34℃で晴れた火曜日、母が施設に入所して42日目、午後3時50分ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所に座っていて「寒い」と言いました。

外が蒸し暑いのでエアコンが効いていて、母の辺りに冷たい風が吹いてくるようでした。

この日は母の声に痰がからむことはありませんでしたが、母自身が「風邪気味で鼻にきている」と言っていました。

それでも午前中にはリハビリをしたということですが、この日は膝の裏がとても痛かったそうです。

「左脚が歩き始めから痛かった」と母は言い、この膝の裏の痛みは日ごとに強弱はありながら、ずっと続いているようでした。

ただ、全体としてはこの日の体調は良さそうで、話し声もいつも通りに元気でした。

そして、この日も午後には敬老会の歌の練習をしたそうで「眼鏡があれば良かったと思った」と、前日と同じように母は言いました。

そこでこの日の午前中に買ったポシェットを持って行っていたので、母に見せました。

すると、初めて見た母はとても気に入った様子で、その後はずっと車椅子の自分の脇に置いて持ち運ぶようになりました。

その中に眼鏡とラジオを欠かさずに入れて、眠るときはベッドの枕元に置いて寝ていました。

私が選んだ小物入れを母が喜んでくれて、私もホッとすると同時に嬉しく思いました。

2022年8月13日 (土)

やわらかな頬

4年前の2018年8月13日は33℃で曇り時々雨の月曜日、母が施設に入所して41日目、午後3時40分ころ母のフロアに行きました。

この日は空模様が怪しげなので少し早めに出かけましたが、そのためか母はまだおやつの後のトイレの中でした。

母がトイレから出てくるのを待って、いつものように9階の面会室に行き話をすることにしました。

この日は午前中に入浴をして、午後にはリハビリがあり、おやつを食べてトイレに行っていた時にやはり私が来たということでした。

リハビリの時間に先生が、母のリハビリの進み具合を家族に見て欲しいので「時間を合わせます」と言っていたそうでした。

母の話によると、この日のリハビリでは最後の方は膝の裏がすごく痛かったと言っていました。

それでも脚のむくみは目立たなくなっていて、声に元気もあって体調は良さそうでした。

また、前日話していた敬老会で唄うという歌は「青い山脈」とか「高校三年生」だと教えてくれました。

その練習のために眼鏡が欲しいというので、私はポシェットでもあるといいかもしれないと考えました。

最後にこの日も一生懸命に話してくれた母のふっくらした頬を、私は左手の人差し指でツンと突いてみました。

母の頬は思った以上にやわらかく、栄養状態がすっかり回復したことを示しているように感じました。

この日は入浴とリハビリがあって、その上歌の練習までして忙しく過ごした母は、いつも以上にハイテンションでした。

2022年8月12日 (金)

「家族に見せると言っていた」

4年前の2018年8月12日は31℃で曇りの日曜日、母が施設に入所して40日目、午後3時45分ころ母のフロアに行きました。

母がいつもの場所にいないので周囲を探すと、西側の窓のカーテンを少しだけ開けて外を見ていました。

母の後ろから肩を叩くと、いつもの場所にエアコンの風が直撃して寒いので移動したと言っていました。

そしていつものように9階の面会室に行って話すと、この日は普通に話していても痰がからんでいました。

ただ、他に風邪のような症状はなく苦しそうでも無いので、持参した水を飲ませてあげて様子を見ることにしました。

前夜にはラジオで野球を聴いていて「同点の場面で終わった」と苦情を言いながらもよく覚えていました。

少し早めの午後8時くらいにはベッドに横になったとも言っていました。

この日も母は元気でしたが、日曜日ということでリハビリはなく暇な時間がたくさんあったようでした。

そして、この日はそういう時間にみんなで歌を唄ったりしたということでした。

ただ歌詞の文字が小さいようで、母には良く見えないので適当に唄っていると笑っていました。

それらの歌は9月17日の敬老の日に予定されている『敬老会』で唄うと聞いているとのことでした。

「家族に見せると言っていた」と母は言い、何やらその日が楽しみになってきました。

2022年8月11日 (木)

「こういうものが欲しかった」

4年前の2018年8月11日は33℃で曇りの土曜日、母が施設に入所して39日目、午後3時45分ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、どことなく眠そうにしていました。

聞いてみると、いつものようにおやつを食べてからトイレに行ってきたとのことでした。

前々日の夜に久しぶりに出てからは良く出ていて、この日もトイレに行くたびに出ていると、母は苦笑いをしていました。

9階の面会室に行くと土曜日ということでテーブル席が満員なので、窓辺でベランダのメロンの鉢植えを見ながら話すことにしました。

まず、母は「待っていたのにリハビリが無かった」と残念そうにしていました。

考えてみるとこの日は『山の日』で祝日なので、元々リハビリはない日だったのですが、翌日も日曜日でリハビリがありません。

このころの母は本当にリハビリを楽しみにしていて、生活の軸になっていましたから私も残念に思いました。

ただ、このところむくみも小さくなってきていて、便通もあるので体調に問題はなさそうでした。

それでもこの数日は痰がからんだり鼻水が出たりしていたので、私はポケットティッシュを持って行ってあげました。

それを手渡すと母は「こういうものが欲しかった」と、笑顔で自分のポケットにしまい込んでいました。

それを見て『そういえば、母はどこに行くにもポケットティッシュを持って行っていたなぁ』と、あらためて思い出しました。

2022年8月10日 (水)

「みんな喜んでくれた」

4年前の2018年8月10日は晴れて35℃の金曜日、母が施設に入所して38日目、午後3時50分ころ母のフロアに行きました。

母の姿は食堂のいつもの場所にあり、ゆっくりとくつろいでいるように見えました。

挨拶をして母の話を聞くと、かりんとうのようなものをおやつに食べたところだということでした。

そして、この日も窓から外を見てみたそうですが、ものすごく暑いのですぐに止めたと言っていました。

その後、9階の面会室に行くとすぐにくしゃみをして、話し中には痰がからむこともあり、少し風邪気味のようでもありました。

暑い日が続き、室内はエアコンが効いて寒い日もあったので、鼻風邪をひいたのかもしれませんでした。

それから、この日は午後にリハビリをしたようで、昼寝はしていないと話していました。

それでも風邪気味ということ以外は体調は良く、脚のむくみもほとんどなく両足とも足首から下が少し膨れているような感じでした。

リハビリの成果で体力も付き、車椅子とベッドとの移動の時も、片手で手すりを掴んだだけで軽く立ち上がっていました。

その時点の母の状況を知るために着替えの際に移動してもらっていたのですが、母も慣れてきたのかこの日は余裕でこなしていました。

そして、この日母の表情が最も明るくなったのは、前夜に便通があったことを話した時でした。

このころの母の唯一の不安が便秘で、本当に久しぶりだったということで「みんな喜んでくれた」と、母は笑顔で振り返っていました。

2022年8月 9日 (火)

「体重を測りたい」

4年前の2018年8月9日は曇りで33℃の木曜日、母が施設に入所して37日目、午後3時45分ころ母のフロアに行きました。

前日は天候不良のため面会に来なかったので、母と会うのは二日ぶりになりますが、母は全く変わらずに元気でした。

この日の天気は曇りながらも蒸し暑かったですが、室内はエアコンが効いていて母は「寒い」と言いカーディガンを着ていました。

この日の話を聞いてみると、午前中に入浴して続けてリハビリをしたということでした。

午後は昼寝をしておやつという、いつもの流れでその後トイレに入ったが「相変わらず出ない」と、母は便秘に悩まされているようでした。

それでも脚のむくみはほとんど目立たなくなっていて、リハビリ中も膝の裏はあまり痛くなかったということでした。

逆に、むくみが無くなって足が小さくなったので、靴が緩くて簡単に脱げてしまうようになっていました。

この時の母の靴は介護用のマジックテープで調節するもので、これまではむくみもあって少し大きめのものをゆったりと履いていたのでした。

母もむくみが良化して足首が小さくなった自覚があるそうで「体重を測りたい」などと言い出しました。

少し前に体重を測り、入所時より増えていると言われたことを気にしていたので、少しでも減ったと思ったのでしょうか。

いずれにしても二日ぶりに会った母は心身ともに調子が良さそうで、元気な声で話をしてくれました。

最後に私が持参した水筒の水を「冷たい」と言いながらも美味しそうに飲み、ニコッと微笑んでいました。

2022年8月 8日 (月)

2度目のお休み

4年前の2018年8月8日は台風接近で雨の降る水曜日、母が施設に入所して36日目、この日は母の面会には行きませんでした。

前日母に「天気によっては、明日は来ないかもしれない」と言っておいたので、7月28日以来2度目のお休みにしました。

このころの母は毎日元気で、それほど心配することもないので私にとっては良い休養になりました。

それでも脚のむくみや便秘など気になることもあるので、一日母の顔を見ないのは寂しいものではありました。

ところで、母がこの施設に入所する前の入院時に私は『老健』という施設を初めて知りました。

その『老健』を調べてみると、退院してすぐに自宅に戻るのは不安な人が3か月ほど滞在するところ、ということでした。

それを知って私は、入院してから元気を取り戻し始めたころの母にピッタリの施設だと感じました。

そして、入院していた病院の隣が『老健』だと知って見学をさせていただき、一刻も早く入所させてあげたいと思いました。

それらは全てこの年の6月後半のことで、その後7月4日に入所した母はわずかの期間ですっかり施設に馴染んでくれました。

それは私が期待した以上で、母の顔からはいつも笑顔が溢れていました。

『老健』の理念からすると母のような利用者が理想的で、3か月後には帰宅するのが良かったのかもしれません。

それでも私は、最後まで母がこの施設にお世話になることができて良かった、と今でも感謝しています。

2022年8月 7日 (日)

「ひまわり、を3枚書いたかな」

4年前の2018年8月7日は曇りで25℃の火曜日、母が施設に入所して35日目、午後3時45分頃に母のフロアに行きました。

母が食堂のいつもの場所にいなかったので職員さんに聞くと、ちょうどトイレから出てフロアの南側の窓から外を見ているところでした。

私も母と一緒に外を見てみると、ベランダにミニトマトの鉢植えがあり、いくつが実ができていました。

面会室に行くと母は「今日は涼しいね」と言い、これまでの連日の暑さで参っていたような表情から、涼し気な顔に変っていました。

この日の話を聞くと、午前中にリハビリをして、昼食後にはいつものように昼寝をしてから久しぶりに習字をしたということでした。

その後おやつを食べてからトイレに行き、出てきた時に私が来たようでした。

習字については、昼寝から起きたら皆の習字は既にほとんど終わっていたようでした。

そういう状況の中で、遅れてきた母も「ひまわり、を3枚書いたかな」と笑顔で話していました。

また、この日のリハビリも「膝の裏も結構軽いし、調子が良かった」と、振り返っていました。

むくみもかなり良さそうで、見てみると前日よりもさらに良化していて、足首から下に残っているだけのようでした。

最後に母の部屋で着替える際のベッドと車椅子との移動も実にスムーズで、私は思わず「楽に立つね」と母に言いました。

すると母は「本人も楽だよ」と答え、体調の良さをアピールしていました。

2022年8月 6日 (土)

自慢の腿上げ

4年前の2018年8月6日は晴れて35℃の月曜日、母が施設に入所して34日目、午後4時頃に母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所に見当たらず、ただトイレから母の元気そうな声が聞こえてきました。

トイレから出てきた母に尋ねると「前日から出ていないので、出そうだったから行ってみたけどダメだった」と、苦笑いでした。

このころ心身ともに絶好調だった母の数少ない不安の一つが便秘でしたが、この日もなかなか解消されないようでした。

面会室に行くと、母はしきりに「夕方から寝た」と言っていましたが、この時まだ4時過ぎで、夕方というには早いくらいの時間でした。

母はずっと認知には問題なかったのですが、時間の感覚が分からなくなる時があるように思いました。

そういうこともあって、私の面会時間も時計代わりになるように、ほぼ同じ時刻に行くことにしていました。

ところで、この日は午前中に入浴して、午後はリハビリをしたと母は話してくれました。

リハビリから戻った後に少し昼寝をして、おやつを食べてから今ちょうどトイレに入っていたところだということでした。

例によってリハビリは調子が良かったそうで、脚が良く上がったと母は笑顔で自慢していました。

むくみもかなり良化していて、膝の裏の痛みもそれほどでもなくなり、先生に「左脚が真っすぐ出ている」と褒められたと言っていました。

そして、車椅子に座ったままで腿上げをして見せてくれましたが、母が自慢する通り腿が良く上がっていました。

2022年8月 5日 (金)

くつろいだ笑顔

4年前の2018年8月5日は晴れて35℃の日曜日、母が施設に入所して33日目、午後3時40分頃に母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所に座っていて、私が挨拶をすると「ラジオを聴いていた」と言いました。

この日から高校野球が始まっていて、ちょうど第二試合が終わったところだということでした。

この日もベッドで横になる時間があったそうですが「今日も暑かった」と、母はこのところの暑さにバテ気味なようでした。

この日は日曜日でリハビリも無く暇だったので、皆で相撲の話などをして楽しんでいたそうです。

また、昼食に「すごくおいしいものが出た」と喜んでいましたが、母の説明が私には今一つ分からず残念に思いました。

「ひき肉の崩したようなもの」と言っていたので、おそらくハンバーグのようなものだったのでしょうか。

他に「グリーンのスープがバターかクリームのような味でおいしかった」ということなので、母は洋食を満喫したものと思います。

そして、おやつには1㎝角のカステラが出て来て、フォークも刺さらないような小さなものだったと笑っていました。

ところで、母が施設に入所して一か月余りが経ち、私が想像していた以上にそこでの生活に馴染んでくれました。

本当にこの時期の母はいつも元気で陽気でしたので、もっとたくさん写真を撮れば良かったと後悔しています。

そんな数少ない母の写真ですが、この日に入所以来初めての写真を撮影しました。

2018年8月5日

2022年8月 4日 (木)

「暑くてバテてる」

2022年、今年の夏はとても暑い日が続いていますが、私が母の施設に面会に行っていた4年前の夏も連日猛暑でした。

その4年前の2018年8月4日は晴れて35℃の土曜日、母が施設に入所して32日目、午後3時45分頃に母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて居眠りをしているように見えましたが、珍しくカーディガンを着ていませんでした。

母はエアコンの冷たい風が直接身体に当たるのがイヤなので、厚着をしていることが普通でした。

私がトントンと母の肩を叩くと母は目を開けて「今日は暑くてバテている」と言いました。

確かにエアコンがいつもほど効いていないようで、さすがの母にも暑すぎるようでした。

9階の面会室に行くと、土曜日だからかテーブル席が一杯のため、私が長椅子に座って母と横向きになって話をすることにしました。

この日はリハビリが午前中にあり、短めの時間だったそうですが初めて横歩きをしたと話していました。

その他にもいろいろな話をしてくれましたが、この日の母の話題の中心は「何しろ今日は暑い」ということでした。

「私でさえ暑いのだから」と言って、特に強調していました。

少し前には「今年は暑いから、ここにいて良かった」と喜んでいた母でしたが、連日の暑さにはさすがに参っている様子でした。

それでも「今日は土曜日か、早いねぇ」と、時の流れの速さに驚きながらも終始笑顔で話してくれて、体調に問題は無さそうでした。

2022年8月 3日 (水)

『タオル折り』

4年前の2018年8月3日は晴れて36℃の金曜日、母が施設に入所して31日目、午後3時45分頃に母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所に座っていて、タオルを折る作業をしていました。

この日はリハビリが無いということで、暇な時間が出来たのでその作業をしていたのだろうと、私は思いました。

挨拶した後、この日も9階の面会室に行って、母といろいろ話をすることになりました。

午前中に横になる時間があって、良く寝たおかげでお尻の具合は問題無いと言いました。

また、この日はリハビリが無いので膝裏の痛みの具合はまだ分からないということでした。

そして、元気いっぱいに自ら車椅子を動かしてテーブルの周囲を一回りしてくれました。

私が思っていた以上にスムーズにカーブを描いていて、自由に動けることで母も楽しそうでした。

それでも、窓辺に行って外を見たところ「暑いばっかりだ」と、このごろの暑さにうんざりしているようでした。

また、前日話があったパンについては「今のところ出て来ていない」と、少し残念そうな表情をしていました。

ところで、この日はやはり暇な時間があったそうで、そういう時は『タオル折り』か、机に突っ伏して寝ているくらいだと母は言いました。

この『タオル折り』は、この後私も頻繁に見ることになりましたが、介護の大変さを象徴しているような感じがしました。

2022年8月 2日 (火)

「ここにいて幸運だった」

4年前の2018年8月2日は晴れて36℃の木曜日、母が施設に入所して30日目、午後3時45分頃に母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、入浴後に替えたようで珍しく薄緑色の帽子を被っていました。

二人で9階の面会室に行くためにエレベーターの前にいると、看護師さんが「脚が良くなりましたよ」と声を掛けてくれました。

入所前にケガをした左足の脛のキズが治って、ずっと貼られていた絆創膏が無くなっていました。

母の話では、入院中にバケツの金具か何かで引っ掛けられたのではないか、ということで完治まで一カ月半ほどかかりました。

また、この日は昼食後に入浴して、それからリハビリがあって忙しかったということでした。

リハビリは翌日が休みになるようで、いつもよりもハードに3往復歩いたので、最後は膝の裏がかなり痛かったと話していました。

それから、前夜はとても暑かったことを振り返っていました。

母は、この年の夏は暑い日が続いていることを良く知っていて「ここにいて幸運だった」と、しみじみと呟いていました。

その他の話では、誰かから「パンは食べる?」と尋ねられたということを教えてくれました。

母は元々パン好きなのですが、ずっとお粥を食べているので以前から「パンを食べたい」と言っていました。

「久しぶりにパンが出てくるかもしれないね」と私が言うと、母は「そうだといいね」と笑顔で答えてくれました。

2022年8月 1日 (月)

「全部できた」

4年前の2018年8月1日は晴れて35℃の水曜日、母が施設に入所して29日目、午後3時45分頃に母のフロアに行きました。

母が食堂のいつもの場所にいなかったので、職員さんに尋ねると「トイレに行っています」とのことでした。

しばらく待つと他の職員さんと一緒に戻って来ましたが、9階の面会室が使用中ということを聞き、母の部屋で話をすることにしました。

部屋に移動し、母をベッドに座らせて着替えをしていると、母はまずこの日のことから話し始めました。

この日はリハビリが午後にあり、戻ってからおやつを食べてトイレに行っていたのだということでした。

また、エアコンが良く効いているのでカーディガンを脱げないと言っていました。

今年の夏も暑いですが、2018年の夏は35℃前後の本当に暑い日が続いていて、施設のエアコンも毎日頑張っていました。

それからこの日も膝の裏の痛みを気にしていて、リハビリで歩いたときはかなり痛かったようでした。

そして、この日のリハビリでは一桁の足し算をやったそうですが「全部できた」と母は笑顔で自慢していました。

また、前日来てくれた姉が「元気そうで安心した」と言っていたことを伝えました。

それに対して母は「薬も減っているしいいのかもしれないね」と、体調の良さを感じているようでした。

この日の母も元気で楽しそうに話をしてくれて、夕方とはいえ暑い中を帰る私の足取りもとても軽いものになりました。

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