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2022年7月

2022年7月31日 (日)

残念ながら写真が無い

4年前の2018年7月31日は晴れて32℃の火曜日、母が施設に入所して28日目、午後3時40分頃に母のフロアに行きました。

火曜日ということで姉が来てくれることになっていて、母は前日から楽しみにしていました。

いつもの場所に座っていた母に姉と私が一緒に挨拶をすると、早速「9階へ行こう」ということになりました。

この日は午後からリハビリで、少し遅くなったので今おやつを食べたところだということでした。

リハビリはしっかりできたそうですが、この日も朝から膝の裏が痛かったと言っていました。

膝を伸ばすと痛いそうで、むくみが原因なのかクッションのためか分かりませんが、このころの母の数少ない不安な点でした。

その他の話題は私がいつも聞いているような内容で、姉を相手にいつも以上に熱心に元気な声で話していました。

ところで、母が施設に入所してほぼ一か月、このころの母は本当に元気で陽気でした。

私が思っていた以上に施設に馴染んでいて、何をしても楽しそうでいつも笑顔が絶えませんでした。

入所前に病院にいた頃から母はとても明るくなって、これならば施設でもやっていけそうだと感じてはいました。

ただ、その想像以上に母は毎日楽しそうに話してくれて、私も毎日面会に行くのが楽しみになりました。

少し残念なのは、このころの母の写真がほとんど無いことで、毎日一枚ずつでも撮れば良かったと今では思います。

2022年7月30日 (土)

「図々しいね」

4年前の2018年7月30日は晴れて蒸し暑い32℃の月曜日、母が施設に入所して27日目、午後3時45分頃に母のフロアに行きました。

母が食堂のいつもの場所に見当たらなかったので職員さんに尋ねると、トイレに入っているということでした。

どうも母は便秘が始まったようで「なかなか出ない」と言いながら、いつものように9階の面会室に行くことにしました。

この日は午前中のほとんど朝一に入浴をして、リハビリは午後おやつの前に行ってきたということでした。

そして、おやつを食べてトイレに行っていた時にちょうど私が現れたようでした。

また、前日に続いて薬が減ったことを話してくれましたが、苦い薬が無くなり、小さな錠剤を5粒ほど飲んでいると言っていました。

インシュリン注射もしていないと言い、薬が減ったことを喜んでいるのか単に報告してくれたのか、私には何とも分かりませんでしたが。

他には先日の台風の話になり「台風が変な方向に行ったね」と母は言い、ラジオでしっかりと情報を掴んでいるようでした。

真鶴や熱海も被害を受けて、今でも九州にいると私が話すと「図々しいね」と、母は笑っていました。

話が一段落して面会室から母のフロアに戻るときは、いつも私が母の車椅子を動かすのですが、この日は母が自ら車椅子を動かし始めました。

そしてエレベーターまで母が自力で移動させたので「元気だね」と私が言うと、母は「元気だよ」と答えました。

また、ある職員さんから「元気だね、カワイイね」と言われたと、母は笑顔で教えてくれました。

2022年7月29日 (金)

まったり過ごす日曜日

4年前の2018年7月29日は晴れて32℃の日曜日、母が施設に入所して26日目、午後3時45分頃に母のフロアに行きました。

二日ぶりに会う母は食堂のいつもの場所にいて、居眠りをしていたのか目を瞑っていました。

「9階に行こうか?」と私が話掛けると母は頷いたので、面会室に行って二日ぶりの話をすることにしました。

この日は日曜日なので面会室のテーブル席が満席で、窓辺でベランダの鉢植えのメロンを見ながら話を始めました。

この日は特に行事もなく、まったりと過ごしていたようで、話は主に面会に来なかった昨日のことになりました。

母の話によると昨日はリハビリがあり、気になっていた膝の裏側の痛みをリハビリの先生に治療してもらったとのことでした。

その治療のおかげかこの日は気になっていた右足の調子はいいようでしたが、今度は逆に左側が痛くなったと言っていました。

また、クッションを使ってからお尻のキズは痛くなくなって調子がいい、と笑顔で話してくれました。

それから、今日は職員さんが休日シフトのためかリーダーの機嫌が悪そうだ、と母は声を潜めて言いました。

母の施設での生活も一か月近く経過して周囲の様子もかなり見えてきたのか、そんなことも教えてくれました。

そして夜中には台風の状況が心配なので、ずっとラジオを聴いていたということでした。

「だから、ラジオの電池を替えておいて欲しい」と、すっかり施設に慣れた様子で母は私に言いました。

2022年7月28日 (木)

母と会わない日

4年前の2018年7月28日は28℃で雨の土曜日、母が施設に入所して25日目、この日は母の面会に行きませんでした。

というのはこの日、台風12号が接近するという予報が出ていて、前日母に「明日は台風で来れないかもしれない」と伝えておきました。

それに対して母は「無理しないでいいよ」と答えてくれました。

このころの母は心身ともに調子が良かったこともあって、私は心配することもなく一日ウチで過ごすことができました。

ただ実際には、台風は予想よりも南寄りの進路をとったので、いつもの時間に面会に行くつもりなら行けたくらいの天候でした。

私が病院や施設に通い続けていたのは4月2日に母が骨折で入院してから毎日で、多い時は一日3回行った日もありました。

その上、この年の夏は暑かったこともあって、このころ私は体力的に少し疲れていたのでこの日は良い休みになりました。

ただ、それだけ毎日母に会いに行っていたので、面会に行かない、母に会わない、ということが結構寂しいものだと感じました。

実際に、2015年11月に母の介護のために私が休職してからは、ずっと家で一緒に過ごしていました。

つまり母と顔を合わせない日はなく、この日のように丸々一日母の顔を見ない日はいつ以来かと考えてみました。

そう考えると、介護休職前も自宅から出勤していたので、母に会わなかった日はかなり遡らないと無さそうでした。

結局、それがいつかは今でも分かりませんが、元気で陽気な母と会って話をすることが既に私の楽しみになっていたことは分かりました。

2022年7月27日 (水)

快適な介護

4年前の2018年7月27日は28℃で曇りの金曜日、母が施設に入所して24日目、午後3時30分ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、カーディガンを脱いで手に持っていました。

この日は外が涼しいために室内の冷房があまり効いていないのか、少し蒸し暑いようでした。

母が前日言っていたように、この日はリハビリがお休みで、午後には恒例の昼寝をしたということでした。

その昼寝の前に便意を催してトイレに行ったところ「ものすごくたくさん出た」と、母は笑っていました。

「お腹がやわらかくなった」と言うので触ってみると、確かに大分余裕が出来たような柔らかさでした。

便秘は母の悩みの種の一つですから、これでしばらくは不安の一つが無くなったと、ホッとしていたようでした。

また、この日はリハビリと入浴が無かったので母にとっては暇な一日だったようでしたが、皆で歌を唄ったことを教えてくれました。

『上を向いて歩こう』、『リンゴの唄』などを唄ったそうで、母も楽しく時間を過ごせたようでした。

また、このころ楽しみになったのが自分で車椅子を動かして窓から外を見ることで、母によると「今日は日差しが暑い」と言っていました。

このように母は施設の生活にすっかり慣れてきていましたが、職員さんたちも母のことを徐々にわかって来てくれたようでした。

皮膚の弱い母は強く腕を掴むと内出血しやすいのですが、入所当初は数多くあったあざがほとんど色褪せてきていて、母が快適な介護を受けている証拠のように感じました。

2022年7月26日 (火)

久しぶりのケーキ

4年前の2018年7月26日は晴れて30℃の木曜日、母が施設に入所して23日目、午後4時20分ころ母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいるのが見えましたが、挨拶をする前に職員さんが話しかけてきました。

その人の話では、この日は7月の誕生パーティーでケーキを食べたということでした。

また、先日から使っているクッションのこととそれに伴って替えた車椅子のことを話してくれました。

その後に母に挨拶をすると「今リハビリから帰って来たところ」と、母は言いました。

この日はおそらく午前中に入浴をして、午後にリハビリに行ったのだろうと思います。

そして、おやつの時間に誕生会があってコーヒーを飲み、ケーキを食べたということのようでした。

その間に昼寝をしたとすれば、母にとっては盛りだくさんの忙しい一日だったのかもしれません。

新しいクッションは調子がいいようですが、使い始めてから右ひざの裏が痛いと言い始め、この日のリハビリでも痛かったようでした。

座席が少し高くなったので脚に余計な力が入るなど、その影響が出ているのかもしれません。

また、誕生会に1㎝角くらいの小さなケーキが出て「10個くらい食べた」「ケーキは久しぶり」と笑顔で振り返っていました。

「今月生まれの人はプレゼントをもらっていた」と楽しそうに話す母を見て、私も嬉しくなりました。

2022年7月25日 (月)

「外を見ようと思った」

4年前の2018年7月25日は晴れて32℃の水曜日、母が施設に入所して22日目、午後3時40分ころ母のフロアに行きました。

いつもの所に見当たらなかったので周囲を探してみると、母は食堂の西側の窓の方に向かって自分で車椅子を動かしていました。

挨拶をするとともに事情を尋ねてみると、母は「外を見ようと思った」と言いました。

この日も昼寝をしたそうで、その上まだ起きてから間がないので、いつもよりも母の表情がぼんやりしているように見えました。

覚醒のレベルが今一つかと思ったので「9階で話をしようか?」と確認すると、母は頷いてくれました。

この日の母の話では、午前中にリハビリに行って、午後は横になって休憩をしたということでした。

また、この日から新しいクッションを使っていて、そのためか今までよりも低めの車椅子に乗っていました。

施設ではそれほど母のお尻のキズを気にしてくれていて、母も「調子がいい」と言うように、とても有難く思いました。

そして、このころの母は自力で車椅子を動かすことに興味を持ち始めたようでした。

施設に入る前の入院中に母は、自分で車椅子を動かす人を見て「自分はやらない」と言っていました。

変われば変わるものですが、じっとしているよりも積極的に動くというのは良い方向への変化なので、私も嬉しく思いました。

母も毎日のリハビリで腕に力が付いたので自信が出てきたのでしょうが、窓辺に行って外を見るのが楽しみになってきたようでした。

2022年7月24日 (日)

「なんでもやってみよう」

4年前の2018年7月24日は晴れて36℃の火曜日、母が施設に入所して21日目、午後3時30分ころ母のフロアに行きました。

この日は姉が来てくれたので一緒に行きましたが、母は食堂のいつもの場所で居眠りをしていたように見えました。

挨拶をして、この日もいつものように9階の面会室に行って話をすることになりました。

この日の母も元気でしたが、新しい話し相手が来たということで、いつも以上に熱心に話をしてくれました。

まず、この日もリハビリがあり内容も充実していて、自分としても良く出来たと笑顔で話していました。

また、お尻のキズのこともあって、今日も横になって休んだと言っていました。

他には、「最近は自分で車椅子を動かして窓の外を見ている」と言い「結構小さく回れる」と楽しそうな表情をしていました。

以上のことは私にとっては既に聞いている内容がほとんどでしたが、いくつか興味深いことも母は話しました。

そのうちの一つは、脚の爪を切っていて椅子から落ちた時のことを母はよく覚えていて、その時の様子を鮮明に姉に話していました。

既に4か月前のことですし、その後2度の入院がありましたので、私は母が当時のことをそこまではっきり覚えていたことに驚きました。

そして、母は最後に先日の夏祭りのことを姉に話して「生まれて初めて綿菓子を食べた」と、また言っていました。

続けて母は「なんでもやってみよう」と前向きな言葉で話を締め、久しぶりにたくさん話ができて、とてもご機嫌な様子でした。

2022年7月23日 (土)

自ら車椅子で移動

4年前の2018年7月23日は何と39℃にまで上がった晴れの月曜日、母が施設に入所して20日目、午後3時50分ころ母のフロアに行きました。

暑い日が続く中でも母は相変わらず元気で、この日は自ら車椅子を動かして手を洗いに行こうとしていました。

「どこ行くの?」と職員さんに声を掛けられながら、母は車椅子を上手に操っていました。

母が手を洗い終わるのを待って、9階の面会室に話をするために行きました。

この日の母もいろいろ話してくれましたが、午前中はリハビリをして午後には入浴したことをまず教えてくれました。

休み明けのためかリハビリがいつもより長めで、内容も充実していたと母は話していました。

その成果を見せたいのか、母は車椅子に座ったまま腿上げをしてくれましたが、確かに思った以上に軽々と上げていました。

また、初めて水色の帽子を被っていましたが、皆に「可愛くなった」と言われたと笑っていました。

ところで、施設に入所する前の入院時に母は自ら車椅子を動かしている人を見て、「自分はやらない」と言っていました。

それが、腕の力も付いて自信が出てきたのか、少し前から母も自ら車椅子を動かすようになっていました。

前日は「疲れた」とか「手が汚れた」と言いながらも「窓辺まで往復した」と、笑顔で嬉しそうに話してくれました。

やはり自分の行きたいところに自力で行けるようになり、元気な母にさらに楽しみが増えたようでした。

2022年7月22日 (金)

お手玉と昔話

4年前の2018年7月22日は晴れて37℃にまで上がった暑い日曜日、母が施設に入所して19日目、午後3時50分ころ母のフロアに行きました。

母はいつもの場所にいて、珍しく何人かで談笑していました。

一人の年配の看護師さんがお手玉をやっていて、おやつの後の時間を皆で昔話をして盛り上がっていたようでした。

しばらく私も昔話に加わった後、いつものように9階の面会室に母と一緒に行きました。

この日は日曜日なのでリハビリはなかったものの、母によると「いろいろあって忙しかった」ということでした。

まず、この朝も起されるまで寝ていたようで、エアコンが効いていて涼しいためか「良く眠れる」と言っていました。

また、この日もお尻の治療を兼ねて昼寝をしたということでした。

「そういえば」と母は言いながら「新しく内出血した」と、腕を見せました。

以前からシールを貼ってある所は色が薄くなってきたようでしたが、確かに新しく小さな内出血が何か所かあってシールを貼られていました。

母はいつからか少し強く腕を掴まれるだけで、その部分の周囲が広く内出血してしまうようになりました。

それ以外にも90歳を前にした頃から、ふっくらしていてシワの少なかった母の顔にも「シワが増えたな」と感じるようになりました。

この日の母も年齢を感じさせないくらい元気に話してくれましたが、お尻を始めとする皮膚の状況は年齢を隠せなくなってきたようでした。

2022年7月21日 (木)

「1時18分に起きた」

4年前の2018年7月21日は晴れて35℃の土曜日、母が施設に入所して18日目、午後3時45分ころ面会のために母のフロアに行きました。

母はいつもの場所にいて、いつものように9階に移動して話をすることになりました。

この日の母は9階の面会室に行く途中で妙なことを言い出しました。

「今日起きたのが1時18分だったから、朝ごはんも昼ごはんも食べていない」と、話し始めました。

お尻のキズを治すためにゆっくり寝ているように言われ、その後は誰も起さないので1時18分まで何も知らずに寝ていたと言っていました。

それでも、午後にはリハビリをやって、おやつも食べたということでした。

また「便通が無いので看護師さんに診てもらったら少し出た」とも言うので、何も食べていないことはないだろうと私は思いました。

2、3日前からお尻のキズの治療のために昼寝をしているので、母の時間の感覚が少し混乱しているのではないかと考えました。

そのうち母も「1時18分というのは違うかもしれないな」と言い始め、やはり少し混乱していたようでした。

その他の母の様子は、話をする声も元気で口も良く回って、脚のむくみも前日より柔らかくなっていて良化しているように感じました。

このごろ4年前のことを毎日振り返っていますが、今でも新しい発見があって認識が新たになることがあります。

その一つが、母が施設で昼寝をするようになったのは、脚のむくみのためだと思っていましたが、実際はお尻のキズが理由だったようでした。

2022年7月20日 (水)

「全然痛くない、調子いい」

4年前の2018年7月20日は晴れて35℃の金曜日、母が施設に入所して17日目、午後3時45分ころ面会のために母のフロアに行きました。

母はいつもの場所に寛いだ様子でいましたので、そのまま9階に移動して話をすることにしました。

この日はリハビリはなく、かわりに午後には昨日お祭りで入れなかった入浴をしたということでした。

母によると、この日は2つのお風呂ではなく一か所だったと言っていたので、前日入れなかった人だけをこの日にしたのかなと思いました。

その後は、このころ痛がっていたお尻のキズを手当てしてもらった、ということでした。

いつものように薬を塗ってもらうだけではなく、テープを貼ったとのことで「全然痛くない、調子いい」とご機嫌でした。

また、食事の話ではおやつにイチゴ味の赤いアイスクリームを食べたと言っていました。

それから、お昼には短く刻んだうどんが出て、美味しくなかったので残したと苦笑いをしていました。

この日は土用の丑の日で「ご飯の人達は鰻を食べていたらしい」と母は言っていましたが、今でも『本当だったのかな?』と思っています。

ところで、施設に入所以来、母はとても元気で毎日たくさんのことを一生懸命に話をしてくれました。

この日も元気にいろいろ話してくれましたが、風呂上りで少し疲れていたのかいつもほどの勢いが感じられませんでした。

目の開き方がイマイチで、喋り方も少しろれつが回らないように思えて当時は心配しましたが、眠たかったのかもしれません。

2022年7月19日 (火)

体重の増加

4年前の2018年7月19日は晴れて35℃の木曜日、母が施設に入所して16日目、午後3時45分ころ面会のために母のフロアに行きました。

いつもの場所に母の姿が見当たらないので職員さんに尋ねると、ちょうど9階に体重を測りに行っているとのことでした。

少し待っていると母は戻って来ましたが、この日は9階で夏祭りをやっているというので、母の部屋で話をすることにしました。

この日も例のように午前中にリハビリがありましたが、いつもと違って木曜日でもお風呂がなかったということでした。

そのかわりにお祭りに行って「綿菓子というものを生まれて初めて食べた」と言っていました。

このころの母は、元気にたくさん話してくれましたが、表現が少し大げさなこともあったので「本当かな?」と思いました。

それはともかく、この日も夏祭りという行事を楽しみ、母の体調も良さそうでした。

気になる脚のむくみを見てみると、前日よりも右足の甲が少し柔らかくなった感じがしました。

またその後、一緒に体重を測りに行った職員さんに体重を聞いてみました。

何故か最初は言葉を濁していましたが、結局入所当初よりも2.5㎏増えていたとのことでした。

それを聞いて、入所前は脱水症状で40日に亘り入院していたので、体重の増加は悪いことではないと考えていました。

ただ、むくみもあったとはいえ、2週間余りで2.5㎏は少し増えすぎていたかもしれないと今では思います。

2022年7月18日 (月)

利尿剤と昼寝を始めました

4年前の2018年7月18日は晴れて35℃の水曜日、母が施設に入所して15日目、午後3時45分ころ面会のために母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて、この日も9階の面会室に行って話をすることにしました。

ただその前に、このところ脚のむくみが気になっていたので、看護師さんに過去の血液検査のデータと薬のリストを渡しました。

これは状態が安定していた頃のものですが、参考までにと思い持って行ったものでした。

ところが看護師さんの話では「今日から利尿剤を飲み始めました」ということでした。

それだけ誰もが心配していた母の脚のむくみでしたが、見てみるとこの日も変わらず膨らんでいました。

触れたり動かしたりしても痛みを感じるようになってきたようで、少しでも薬で良化して欲しいものだと思いました。

そのような状況でも母自身は元気で、この日も午前中にリハビリをしたと言っていました。

そのリハビリの効果を母も感じていて「座ってテレビを見ているだけとは違うね」と、自宅にいた頃の自分と比較して笑っていました。

また、この日は昼食後におやつの時間まで1時間ほど昼寝をしたことを教えてくれました。

母によると、昼寝はお尻のキズを癒すために始めたようだとのことでした。

他にはおやつにお饅頭を食べたことや、周囲の入居者のことなどを笑顔で話してくれて、施設の生活にすっかり慣れた様子の母でした。

2022年7月17日 (日)

二重瞼で目もパッチリ

4年前の2018年7月17日は晴れて35℃の火曜日、母が施設に入所して14日目、午後3時45分ころ面会のために母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所にいて「トイレから戻ってきたところ」だと言っていました。

施設に入所してから2週間ほど経過して慣れてきたこともあるのでしょう、この日の母も元気にいろいろと話をしてくれました。

まず、連休で間が開いたリハビリをこの日はやったと、母は嬉しそうに笑顔で話していました。

また、昨夜はラジオを聴きながら横になったところ、すぐに眠ったようで目が覚めたら朝になっていた、ということでした。

「生まれて初めてこんなに寝た」と、職員さんに話したところ「そんなはずはないでしょう」と言われたと笑っていました。

「昨日、温泉に入ったせいかな?」と続けて母は言い、施設のドラム缶のようなお風呂をすっかり気に入ったようでした。

ところで、母はウチで生活していた頃は、いつも眠りが浅いようで夜中に何回か起きては水を飲んだりしていました。

そして、朝の寝覚めが悪い時には血圧や血糖値の心配をしていました。

ウチでもそういう具合でしたから、よく眠れたというのは施設での生活に慣れた証拠なのだと思いました。

そんな話を聞いたからかこの日の母は、確かに目もしっかり開いていて、瞼も二重で目がパッチリしているように感じました。

元気に一生懸命話してくれて体調も良さそうな母でしたが、脚のむくみだけは心配で足の甲に触れると痛がっていました。

2022年7月16日 (土)

皮膚の弱さ

4年前の2018年7月16日は晴れて35℃の月曜日、母が施設に入所して13日目、午後3時45分ころ面会のために母のフロアに行きました。

母はちょうどトイレに行くところだというので、出て来てから9階の面会室で話をすることにしました。

この日の母も元気でしたが、海の日で祝日ということで前日に続いてリハビリはありませんでした。

ただ、月曜日なので通常通り入浴はあり、その後脚のケガの治療をしてもらったと言っていました。

また、施設に入所以来ずっと言っていたお尻のキズの痛みを看護師さんに診てもらい、何かの治療をしてもらったということでした。

ところで、晩年の母は皮膚の状態に悩まされることが数多くありました。

たとえば、2015年5月頃には類天疱瘡を発症し、手足に水ぶくれがたくさんできました。

その類天疱瘡の症状は、ステロイド剤を服用することで治まりましたが、母は生涯ステロイド剤を飲み続けました。

そして、母が施設でも気にしていたお尻のキズは、おそらくこの時をきっかけにして出来たものではないかと思います。

それ以外にも内出血をしやすくなり、腕などは採血をしたり強めに握ったりするだけで、その周辺が広く赤黒くなったりしました。

内出血した部分の皮膚が剝がれると外に出血するので、施設ではその部分にシールを貼っていたこともありました。

母はずっと年齢の割には元気でしたが、最後の頃は点滴も腕にはできなくなり足にするなど、皮膚の状態は限界に近いものがありました。

2022年7月15日 (金)

持病の悪化と引き換えに

4年前の2018年7月15日は晴れて36℃の日曜日、母が施設に入所して12日目、午後3時50分ころ面会のために母のフロアに行きました。

母はちょうどおやつが終わったところで「小さなゼリーが出た、おいしかった」と笑顔で言いました。

「いろんなものを食べてお腹がいっぱい」で、何度かトイレに行ったけれども「まだ出ない」ということでした。

日曜日なので暇だったそうで「たまには自分で車椅子を動かす練習でもしてみたら」と言われて「やってみた」そうです。

ただ、母は「怖かったから止めた」と、苦笑いをしていました。

また、少し前までみんなで童謡や歌謡曲を歌っていたそうですが、「眼鏡がないので歌詞が見えなかった」と、残念そうにしていました。

この日の母も元気で、次から次へといろいろなことを思い出しながら、一生懸命に話をしてくれました。

このように体調の良さは相変わらずでしたが、このころずっと気になっていたのが脚のむくみでした。

この日は改めて靴下を取って見てみましたが、両足ともかなりむくんでいました。

日曜日ということでリハビリも無く、ずっと座り続けていたこともあったのでしょうが、ちょっと心配になりました。

この後、脚のむくみは一時小康状態を保ちますが、およそ4か月後に入院した際に心不全と診断されます。

残念ながら母が楽しんだ第二の人生は、持病の悪化と引き換えにならざるを得ないものだったのかもしれません。

2022年7月14日 (木)

幼児の面会

4年前の2018年7月14日は晴れて猛暑の土曜日、母が施設に入所して11日目、午後1時ころ面会のために母のフロアに行きました。

この日は姪(母の孫)が、初めて施設に来てくれるというので、一緒に行きました。

姪は先月、母の入院中に3回も面会に来ましたが、施設入所後も早速、暑い中を母に会いに来てくれました。

母はちょうどトイレから出て来て手を洗っているところで、みんなで9階の面会室に行って話をすることにしました。

このころの母は来客があるといつも以上に元気になるので、この時も姪を相手にほとんど一方的に喋っていました。

私がいつも聞いているお風呂の話しや書道のこと、食事やおやつのことなどを熱心に話していました。

この日も午前中にリハビリをしたということで、母は「今日は疲れた」と言っていました。

ところで、姪はこの前年に長男を出産していて、この日も施設の駐車場に連れて来ていました。

前日施設の職員さんに幼児の面会について尋ねたところ、遠慮していただきたいということでした。

そのため私は駐車場で会いましたが、母のところには姪が一人で来て曾孫と顔を合わすことはできませんでした。

ただその後確認した所では、面会室では幼児とも会えるということで、翌年のことですが母と一緒に遊ぶことができました。

施設によって規則は違うものですが、このようなこともありますから、しっかり確認しておけば良かったと後悔したものでした。

2022年7月13日 (水)

「今日もここに泊まるの?」

4年前の2018年7月13日は晴れた金曜日、母が施設に入所して10日目、午後3時45分ころ面会のために母のフロアに行きました。

母はこの日も食堂のいつもの場所にいましたが、暇そうにしていてテーブルの斜向かいの人と何か話をしていました。

この日も時間の感覚が今一つのようで「今寝ようと思っていたところ」と、言いました。

もしかするとウチにいた時のように、特に昼食後に少し寝たかったのかもしれませんが、施設では昼寝をさせないようでした。

それでも話し出すと元気なのは相変わらずで、この日も午前10時からリハビリをしたということでした。

いつもと同じ内容だったようですが、先生から「いいじゃないですか」「凄いですね」と言われ「確かに調子良かった」と喜んでいました。

ただ、午後は何の行事もなく退屈だったようで「暇ばっかりだ」と呟いていました。

ところで、母は施設に入所当初の何日か「今日もここに泊まるの?」と私の帰り際に尋ねてきました。

その直前まで施設での出来事を笑顔で楽しそうに話していた母が、私が帰ろうとするとその言葉を発したことが何度かありました。

その時の母の表情は何かに恐れているようで、私はその言葉を聞くたびに『夜中に何かあるのかな?』とは思いました。

ただ、今から思うと元気になった母は帰宅したかったのかもしれないな、と考えるようになりました。

施設入所後の母が「ウチに帰りたい」と言ったことはありませんでしたが、本心はどうだったか今ではなんとも言えません。

2022年7月12日 (火)

至れり尽くせりの生活

4年前の2018年7月12日は晴れた木曜日、母が施設に入所して9日目、午後4時ころ面会のために母のフロアに行きました。

この日も食堂のいつもの場所にいましたが、母の服装が前日と変わっていました。

いつものように9階に行って話をすると、この日も午前中にリハビリをして、午後はやはり入浴をしたとのことでした。

リハビリでは脚の間でゴムまりを潰し、腿上げをして、手すりを掴んで歩いたということでした。

また、入浴は全身がドラム缶に入るような感じで、頭を洗ってくれる別の人もいると教えてくれました。

「お風呂は気持ちいい」と、母は笑顔で強調していました。

入浴の後はおやつの時間で、この日は小さいクッキーのようなものを食べたと言っていました。

この日も暑いのでお風呂上りに汗を掻いたそうで、下着を替えたいということで部屋に戻って母をベッドに座らせました。

シャツを脱いだ際に見えた母の胸には、かなりシワが増えたように感じました。

骨折入院する前は毎日、母の身体を拭いてあげていましたが、久しぶりに見たその身体は痩せてシワも多くなっていました。

それでもこの日も元気で、脚のむくみも悪化はしていないようでした。

リハビリ、入浴、おやつ、その間に定時の食事があり、忙しいながらも至れり尽くせりの生活に母も慣れてきたように思いました。

2022年7月11日 (月)

「今日は忙しかった」

4年前の2018年7月11日は晴れた水曜日、母が施設に入所して8日目、午後1時45分ころ面会のために母のフロアに行きました。

この日は珍しく食堂のテレビが大相撲中継をやっていましたが、母はそれを見ることもなく誰かと打ち合わせのような話をしていました。

それでも私の姿を見つけると、すぐに9階の面会室に行って話をしようと実に積極的でした。

この日の母も前日と同じ服装でしたが、ズボンの左ももに汚れがあり尋ねると「イチゴジュースのようなものをこぼした」と言いました。

そしてリハビリの話から始まり、10時ごろから太ももでボールを潰す運動や手すりに沿って歩く運動をしたとのことでした。

本人によると「良く出来た」ようで、他に編み物のようなこともしたと言っていました。

「今日は忙しかった」「ずいぶんあちこちに行った」など、他にもたくさん話をしてくれました。

また、誰かが「お相撲始まったんだよね」と言ったことから、この日は食堂のテレビが大相撲中継になっていたようでした。

ただ母は、テレビで相撲をやっていることには気づいていなかった様子で「それじゃ見られるね」と、改めて楽しみにしていました。

この日も元気な声で一生懸命に話をしてくれましたが、心なしか脚のむくみも少し細くなったように見えました。

車椅子からベッドに移動する際に立ち上がってもらうと、毎日のリハビリの成果なのか今までで一番楽に立ったように感じました。

今から振り返ると、この頃の体力ならば自宅に戻っても問題なかったかな、とも思います。

2022年7月10日 (日)

いきなり「お習字の時間です」

4年前の2018年7月10日は晴れた火曜日、母が施設に入所して7日目、午後1時05分ころ面会のために母のフロアに行きました。

この日は姉が初めて施設に来てくれたので、待ち合わせて一緒に母に会いに行きました。

昼食後の時間だったので、母はいつもの場所で前日と同じ服装の上にカーディガンを着て居眠りをしていました。

9階の面会室に行くと母は姉が来てくれて嬉しいようで、いつも以上に元気に一生懸命話してくれました。

話の内容は私にとっては聞き慣れたものでしたが、母は新しい人が来たので話したくて仕方がないという感じでした。

「ドラム缶のようなお風呂に入った」「4回も5回も食べている」と、施設での生活を元気な声で楽しそうに話していました。

また、前日も話していたように久しぶりの習字をやったと言い、貼りだしてあるというのでフロアに戻ってから皆で見ました。

いきなり「お習字の時間です」と言われて書いたけど、筆が良くなかったと母は一言文句を言っていました。

「なつ」「うみ」「せみ」の3枚が貼ってあり、思っていた以上に上手に書けていました。

姉と一緒に「うまいね」と言うと、母は「いきなり書いた割には、上手く書けた」と満足そうな笑顔で答えてくれました。

母は以前、書道教室に通っていましたが、それはおそらく80歳の頃までなので、およそ10年ぶりくらいに筆を握ったと思います。

ほぼ毎日のリハビリで鍛えていて、本人が言うように「腕に筋肉が付いてきた」ことで、習字という楽しみがまた一つ増えました。

2022年7月 9日 (土)

力強い右手

4年前の2018年7月9日は晴れの月曜日、母が施設に入所して6日目、午後3時40分ころ面会のために母のフロアに行きました。

エレベーターが母のいるフロアに止まると、そのドアが開く前に早くも母の元気な声が聞こえてきました。

エレベーターを降りてすぐ左側のところで、ちょうど母が看護師さんに脚のケガを手当てしてもらっているところでした。

お風呂から帰って来たところだそうで、どちらかと言えばケガよりも脚のむくみの方を皆が心配していました。

この日はおやつをまだ食べていないということで、おやつを持って9階の面会室で話をすることにしました。

この日も午前中にリハビリがあり、母によると結構頑張ったそうで、午後には入浴をしたということでした。

その他に盆踊り、習字をやったと言っていましたが、もしかするとこれらは昨夜のことでしょうか。

習字も上手く出来たと言い、『花火』など季節にちなんだ言葉を何枚か書いたとのことでした。

母はおやつを食べながら話をしていましたが、おやつはお茶とプリンでした。

お茶がたくさん入ったカップを右手だけで持って、しっかりと口元に運んで飲んでいました。

また、プリンは完食しましたが、こちらもスプーンに乗せたプリンを確実に口に入れていて、右手にしっかり力が入るようになりました。

ほんのひと月前にはカップを持つ手が震えていたこともありましたが、よくここまで回復したものだと感慨深いものがありました。

2022年7月 8日 (金)

お尻の痛みと脚のむくみ

4年前の2018年7月8日は晴れの日曜日、母が施設に入所して5日目、午後3時40分ころ面会のために母のフロアに行きました。

この日の母も食堂のいつもの場所にいましたが、少し居眠りをしていたようでした。

入所後初の日曜日でリハビリも何もないので、暇を持て余していたのかもしれません。

母は少し前まで入院していて、暇なときはベッドで寝ていたわけですが、施設では昼寝の時間もないので疲れている様子もありました。

それでも相変わらず元気はあり、前日夜からの施設でのことをいろいろと話してくれました。

ただ、いつものように母の認識で話してくれるので、私には分からないことがたくさんありました。

「日曜日だから交換台が9時までと言われた」とか「イタリア人がいて次にドイツ人が来た」と言われても、サッパリ分かりませんでした。

とりあえずこの日も、元気な声で一生懸命に話してくれたので、心身ともに問題はないように感じました。

ところで、施設では起きている時間はずっと車椅子に座っているので、母は「お尻が痛い」と少し前から言っていました。

そこで、この日は座布団を持って行って車椅子に敷いてあげると、母は「かなり違う」と喜んでくれました。

座布団を敷くときに少しだけ母に立っていてもらいましたが、その立ち姿は今までで一番余裕があったように見えました。

ただ、靴下と靴を替えた時に見た母の脛の辺りのむくみは、かなり心配になるくらい太くなっていました。

2022年7月 7日 (木)

車の運転?

4年前の2018年7月7日は曇りの土曜日、母が施設に入所して4日目、午後3時40分ころ面会のために母のフロアに行きました。

この日の母は食堂の真ん中にいて、これから看護師さんに脚のキズの手当てをしてもらうところでした。

退院の数日前に脚の治療をしたことは聞いていましたが、傷口を見たのは初めてでした。

思っていたよりも大きな傷口でしたが、リハビリや入浴も普通に出来ていたので、消毒をしていれば大丈夫だということでした。

この日も9階の面会室で話をしましたが、土曜日ということで面会者が多く、初めてテーブル席が満員になっていました。

この日も午前中にリハビリがあって、母は車の運転をしたと言い「タイヤを動かした。うまいと褒められた」と笑っていました。

私にはよく分かりませんでしたが、車椅子を動かす練習をしたのかな、と思いました。

他には、座ったままボールを膝に挟んでそれを潰す練習をしたと言い、その後には腿上げをして見せてくれました。

椅子に座ったまま両足を2~3回上げ下げしましたが、私の想像以上に軽々と高く上げていました。

また「盆踊りの練習には班長がいる」とか「まだ習字の時間と言ってこない」など、いろいろ教えてくれました。

次から次と自分のペースで楽しそうに話をしてくれる母は、この日も元気で陽気でした。

ただ服装が入所翌日に交換したものとずっと同じなので、この日は帽子だけ取り替えてあげました。

2022年7月 6日 (水)

母の居場所

4年前の2018年7月6日は曇りの金曜日、母が施設に入所して3日目、午後3時30分ころ面会のために母のフロアに行きました。

母は食堂のいつもの場所に車椅子で座っていて、どうやら母の居場所が決まったような感じがしました。

服装は前日と同じものでしたが、夜の就寝時にはパジャマを着たということでした。

そして、ぞの母の車椅子を押して前日と同じように9階の面会室に移動し、話をすることにしました。

前日は「リハビリ、食事、お風呂と忙しかった」と母が言っていたので、この日はどうだったか尋ねてみました。

母の話によると、この日も午前中にリハビリを済ませたということでした。

その他、この日も母はいろいろな話をしてくれましたが、とても元気でひたすら喋ってくれました。

施設での出来事についても話してくれるのですが、病院での会話と同様に母の認識で話すので、当時の私には理解できないこともありました。

まだ施設に慣れていないこともあるのか、駅のホームとか学校の辺りと表現されても、私には何処のことかよく分かりませんでした。

また、前夜に何かあったようで、盆踊りの練習に町内会長のような人が来たと話していました。

さらに「コンクールに出るので、夜残された」とも言っていて、前日は夜も忙しく過ごしていたようでした。

病院にいた時もそうでしたが母の記憶は結構しっかりしていて、時間や場所や人などの認識は怪しいものの、元気に楽しんでいる様子が分かり安心しました。

2022年7月 5日 (火)

初日からハードスケジュール

4年前の2018年7月5日は曇りで時々雨の降る木曜日、母が施設に入所した翌日、午後3時45分ころ面会のため母のフロアに行きました。

母は食堂の前日と同じ場所に車椅子で座っていて、目の前にはお茶が半分ほど入ったカップが置いてありました。

ちょうどおやつが終わった時間で、アンズのシャーベットのようなものを食べたと言っていました。

その後は部屋に行って衣類を着替えてから、見晴らしが良く面会室のある9階へ行き、そこで話をすることにしました。

「今日ここに来た」と母は言い、聞いてみると何らかの映画を見たということでした。

次にリハビリの話になり、この日は10時からリハビリがあって、女の先生が担当で「良く出来ますね」と言われたと喜んでいました。

「前の先生がうるさかったから良く出来ている」と母は笑顔で言い、病院の先生は厳しかったと振り返っていました。

また「初めて横歩きをした」と言い、「リハビリルームが広い」と周囲の環境も良く見えているようでした。

朝はラジオ体操をしたそうで、「みんなうまい」「だからご飯がおいしい」と、体調には問題なさそうでした。

ただ、「ほんとに短い時間に食事、食事で大丈夫かと思う」と、母は早くもカロリーオーバーを心配していました。

施設での初日を振り返って「今日は忙しかった。リハビリやってご飯食べてお風呂入って」と、少し疲れた表情ながら満足そうに言いました。

まだ環境に慣れていない上に初日からハードスケジュールでお疲れだったのか、病院にいた時よりも少し元気がないようにも見えました。

2022年7月 4日 (月)

「愉快な人ばかりで良かった」

4年前の2018年7月4日は曇りの水曜日、母が脱水で入院して42日目、午前10時に母の病室に行きました。

いよいよ退院して隣の『老健』に移動する朝、母は既に着替えてその服装のままベッドに横たわっていました。

トイレを済ませてゆっくりしていたという母は「おしゃれだ」「似合う」と、服装を看護師さんたちに褒められたと笑顔で言いました。

また、看護師さんの中には、母が使っていたカップに『おめでとう』などと寄せ書きをしてくれた人たちもいました。

母も看護師さんたちのことを「愉快な人ばかりで良かった」と、ほほ笑みながら振り返っていました。

ところで、この入院中に母が何故ここまで元気で陽気になれたのか、いくつか原因として考えられるものがあります。

そして、そのうちの一つとして確実なのは、母と看護師さんたちとの関係が良好だったことだと思います。

そのようなわけで母は笑顔で退院し、やや緊張しながらも元気に施設に入所することができました。

入所時の説明では、入院中の血糖値が安定していたのでインシュリン注射は止めていて、精神安定剤はまだ使っているということでした。

この当時服用していた精神安定剤も、母の元気や陽気さの原因の一つだったのかもしれません。

いずれにしても、新しい環境に対する緊張感の中にも笑顔と元気さを保ったまま、母の施設での生活が始まりました。

もう4年も前のことになってしまいましたが、この日のことを私は今でも昨日のことのように覚えています。

2018年7月4日

2022年7月 3日 (日)

前向きな移動の前日

4年前の2018年7月3日は晴れて暑い火曜日、母が脱水で入院して41日目、いよいよ施設に移動する前日になりました。

この日は午後3時30分ころ母の面会に行きましたが、母はベッドに仰向けで眠っていました。

挨拶代わりにトントン叩くと母は目を開けて「大事な日に来ないかと思った」と言っていて、既にその日になった気持ちでいるようでした。

「時間も着て行くものも分かっている」と母は言い、心構えも出来ていて精神的には落ち着いているようでした。

母の話では、この日もリハビリがあり、その内容はリハビリの集大成のようなものだったと話してくれました。

また、今回の入院中に仲良くなった看護師さんも多く「夜中にいろんなことを話していた」と、母は前夜を楽しく過ごしたようでした。

この日の母も話し始めると止まらないくらい元気で、前日までと違って移動への不安も言わずに笑顔で陽気に話をしてくれました。

「この後、夕飯を食べてまた寝るのね」母は自分に言い聞かせるように言い「ここで食べた栗饅頭がおいしかった」と振り返っていました。

ところで、心身の不調から意識不明で入院して40日ほど、母は信じられないくらい元気で前向きになりました。

そして、施設への移動の前日のこの日も落ち着いていて、むしろ楽しみにしているようにも感じられました。

おそらく、この時の状況の母であれば自宅に戻ることも可能で、その場合どうだっただろうと、私は今でも考えることがあります。

ただ、この翌日からの生活を母が本当に楽しんでくれたこともあり、施設への入所はベストの選択だったな、と思っています。

2022年7月 2日 (土)

「ちょっと考えた、夏服のこと」

4年前の2018年7月2日は晴れて暑い月曜日、母が脱水で入院して40日目、午後3時30分ころ母の面会に行きました。

母の話では、午前中にお風呂に入って、午後はリハビリをやって、今ちょうどベッドに横になったということでした。

母は仰向けでタオルケットだけを掛けていて、移動が近づいた施設のことを考えていたようでした。

母は普段着のまま出掛けることはほとんどない人なので、特に新しい場所に行くのに何を着ようか考えているようでした。

「ちょっと考えた、夏服のこと」と母は言い、続けて「タンスを一度見に行かなきゃと思ってる」とも言いました。

はっきりと「ウチに帰りたい」とは口にしませんでしたが、帰りたそうな様子をほのめかしていました。

母は続けて「おしゃれする時に困るからね」と大笑いをしていて、この日も元気で陽気なことは相変わらずでした。

そこで、私が一例として持って行った夏服を見せると「あら、いいじゃない」「あることがわかれば安心だ」と、一安心したようでした。

また、前日に話をした眼鏡を試して母は、「良く見える」と言ってから眼鏡を外し「外しても見える」と笑っていました。

最後には「ないよりはいいね」と一人で納得していました。

この日も施設への移動を考えると不安はあるようでしたが、心身共に元気で問題は無く「そういえば便秘しないね」と呟いていました。

自分で歩いてポータブルトイレを使っているそうで「自分のトイレもいいものだね」と、慣れた環境に余裕を感じさせてくれました。

2022年7月 1日 (金)

「それでさ、やっぱりさ」

4年前の2018年7月1日は晴れて暑い日曜日、母が脱水で入院して39日目、午後3時30分ころ母の面会に行きました。

病室に入ると母はベッドに仰向けになっていましたが、目を開けて起きていました。

「ラジオで競馬をやっている」と言いながら、このころ楽しみにしていた冷水を待っていたのか「水を飲みたい」とも言いました。

そこで吸い飲みを洗って、持参した水筒から冷水を入れてあげると、母はほとんど全部を勢いよく飲みました。

「それでさ、やっぱりさ、眼鏡がテレビの前にあるけど……」私は、母が突然何を言い出したのか良く分かりませんでした。

結局、7月4日に施設に移動することが決まって、母はいろいろな不安や心配を口にしているようでした。

この時期になると母は「ウチに帰りたい」とは言わなくなりましたが、口ぶりからは一旦帰宅してそれなりの支度をしたい様子でした。

「何やらされるか分からないから」と言っていて、施設では何らかの仕事をすることになると思っているようでした。

「いろんなメガネがあるから、全然見えないと話にならないから」と言い、ウチに戻っていい眼鏡を持って行きたいという考えのようでした。

振り返ると、このころは時々ナースステーションで事務仕事を手伝ったりしていて、施設でも何か作業をすると母は思っていたようです。

「事務仕事のような難しいものをやらされるかと思っていた」とも言っていて、これはリハビリのパズルからの連想もあったかもしれません。

初めての場所に行く前に心配したり不安を持つのは当然ですが、相変わらず母は元気で陽気でしたので、私はあまり心配していませんでした。

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