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2022年6月

2022年6月30日 (木)

サッパリしてグッスリ寝た

4年前の2018年6月30日は晴れて33℃の暑い土曜日、母が脱水で入院して38日目、午後3時30分ころ母の面会に行きました。

母の病室に入るとリハビリの先生の姿が見え、ちょうどリハビリから戻ってベッドで寝たところだということでした。

この日も暑いので、持参した水筒の冷水を吸い飲みに入れて飲ませると「冷たくておいしい」と、リハビリ帰りの母は喜んでいました。

前日の夜には身体を洗ってもらって、パジャマと下着をその時に替えたと言っていました。

サッパリしてグッスリ寝たので、リハビリがこの時間になったとのことで、午前中は良く眠っていたので起されなかったのかもしれません。

母の話では「夕べ遅くお風呂に入って、今日は2度寝、3度寝をしたのでリハビリが午後になった」とのことでした。

ただ、「それでも、寝起きにしては良く出来た」と自画自賛していて、この自信がこのころの母の元気さを支えているように思いました。

そして前夜のお風呂は、何日かぶりだったので気持ちが良かったと、母は繰り返し話していました。

そのお風呂場では「シャレたシャツ買うね」「いい趣味だね」と褒められたので「息子が選んだ」と、答えたことを報告してくれました。

また、看護師さんたちとはよく話をしているようで、もう母が施設に移動することを知っている人もいると言っていました。

この日の母は、良く寝てリハビリをして冷たい水を飲み、満足そうな笑顔でいろいろと話をしてくれました。

最後に「じゃ、また来るよ」と挨拶をすると「明日でしょ?今日じゃないでしょ」と母は言い、まだ話し足りないような素振りでした。

2022年6月29日 (水)

6月29日に梅雨明け

4年前の2018年6月29日は晴れた金曜日、母が脱水で入院して37日目、午後3時40分ころ母の病室に行きました。

母はベッドに仰向けで横になっていましたが、目は開いていました。

エアコンが効いている中でタオルケットを掛けているだけの母に「寒くない?」と尋ねると、母は「寒くないよ」と答えました。

ただ、仰向けだからか母の声が鼻声の感じがして少し心配しましたが、母は「ラジオが調子悪い」とラジオの心配をしていました。

調べてみると電池が切れていたので電池の交換をしておきましたが、気分が安定してラジオを聴く余裕が出てきたようでした。

この日は梅雨明けが発表され、この時点では6月中の梅雨明けは史上初ということで暑い日々が続いていました。

それもあって、このところ水筒に冷水を入れて持って行っていて、母はそれを飲むのを楽しみにしていました。

私が「梅雨明けのようだ」と言うと、母は「あらまぁ」と驚いていました。

また、この日が6月29日ということもしっかり分かっていて「早いねぇ」と言いながら「年取るねぇ」と大笑いをしていました。

7月4日に施設に移動する予定を改めて伝えると、母はやはり緊張気味でいろいろと心配しているようでした。

少し前には控えめながらも、ウチに帰りたそうな素振りの母でしたが、予定が決まってからは帰りたいとは言いませんでした。

それでも自分でいろいろな想像をしていて、却って不安や心配を膨らませているように感じました。

2022年6月28日 (火)

「今度は戻って来ないで」

4年前の2018年6月28日は曇りのち晴れの蒸し暑い木曜日、母が脱水で入院して36日目、午前10時30分に母のリハビリを見学に行きました。

まず母は手すりを握って立ち上がり、次に手すりから両手を離して10数えるなど緊張した面持ちながらも、想像以上の動きをしていました。

その次に手すりを掴みながら真剣な表情で4~5メートル先まで歩き、それを2往復繰り返しました。

私が思っていたよりもはるかにハードな内容と緊張感、そしてどこか厳かな雰囲気の中、懸命にリハビリをする母の姿に感動しました。

リハビリの先生の話では「前回とは本人の気持ちが違うので進み方が早いし、6月に入って飛躍的に上達した」ということでした。

その後、主治医の先生に前日話があった『老健』の入所についての報告をして、了解されました。

ここにきて、リハビリの進捗状況を確認し、次の行き先の目処も付き、何か一気に物事が進み始めました。

この日はリハビリ見学をした後一旦帰宅し、再び午後3時45分に母の病室に行きました。

母はベッドに横になりながらラジオを聴いていました。

来週の水曜日に『老健』に移動する予定だと話すと、母は早くも少し緊張気味の表情をしていました。

そして、母の病室からの帰りには、階段で偶然リハビリの先生に会いました。

私が「7月4日に施設に移ることになりました」と、先生に話をすると「今度は戻って来ないで」と、先生は笑顔で言いました。

2022年6月27日 (月)

突然、入所可能に

4年前の2018年6月27日は晴れた水曜日、母が脱水で入院して35日目、この日は午後3時45分ころ母の面会に行きました。

その前に午後2時ころ、病院の隣の『老健』にショートステイなどに関して電話で聞いてみることにしました。

ショートステイならば7月8日から11日までが空いていて、本格的な入所は7月末ならばできるかもしれないということでした。

それを聞いた私は、既に退院を勧められている母には他も当たってみないといけないかな、と思いました。

ところがすぐに『老健』から折り返し電話があり、7月4日か6日に入所可能だということでした。

こちらとしては全く異存はありませんので、その方向で話を進めていただくことをお願いしました。

その後、面会に行った時、母のベッドが空でしたので看護師さんに尋ねると、珍しくこの時間にリハビリに行っているとのことでした。

そこでリハビリルームに行ってみると、母はいつもの担当とは違う先生とパズルをやっていました。

パズルの一片に描かれている絵が小さいので、母は少し見にくそうにしていましたが、それでも笑顔で楽しんでいて安心しました。

翌日にはリハビリの現状を見学することになっていて、また『老健』の入所も決まりそうで、いよいよ次の段階を考えることになりました。

ただ、この日は母と話ができず、母の意思を確認する前に話が進んでしまうことは私の考えとも少し違っていました。

結果的に『老健』に移動後も、母は元気に楽しく過ごしたわけですが、この時に母の考えを確認できればより良かったと思っています。

2022年6月26日 (日)

一番元気な入院患者

4年前の2018年6月26日は晴れて30℃の火曜日、母が脱水で入院して34日目、この日は午後3時45分ころ母の面会に行きました。

この日は少し前に姉が到着していて、母はこちらを向く形でベッドに座って姉と話をしていました。

そこに看護師さんが来て、ナースステーションで話がしたいということで、私は少しの間席を外すことになりました。

話の内容は、施設が空くのはいつになるかわからないが、リハビリが進んでいるのでその状況を見て欲しいということでした。

つまり自宅に戻るならばいつでも退院できる状況だ、ということを言っていたのだと思います。

翌々日の木曜日にリハビリを見学することに決めて病室に戻ると、そこにリハビリの先生が現れました。

そして先生が補助をしながら、母がベッドから車椅子に移動するところを見せてくれました。

確かに、骨折入院して退院する際の動きと同じくらいには回復しているように思いました。

リハビリの先生は「明るく元気になってきて、病院にいるのがもったいない」とも言っていました。

ここ数日の母の様子を見ていると、90歳を過ぎて入院している人で、これほど元気な人はいないだろうと確かに思います。

ただ、一度退院して自宅に戻り再び入院しているだけに、もう失敗はできないという気持ちが私にはありました。

それでも病院からの帰り道、姉と意見が一致したのは「母は今が人生で一番明るいのではないか」ということでした。

2022年6月25日 (土)

「いくつですか?お若いですね」

4年前の2018年6月25日は晴れて33℃の暑い月曜日、母が脱水で入院して33日目、この日は午後3時40分ころ母の面会に行きました。

病室では母のベッドの周囲にカーテンが閉められていましたが、中で話し声がしていました。

窓際に立つ看護師さんと母が話をしているところで「もうそろそろ起きようとしていた」と、ひと眠りしていたようでした。

そして、この日も母は笑顔で元気にたくさん話をしてくれました。

まずこの日は、既にリハビリを終えていましたが、「とにかく暑かった、パジャマを替えてもらって気持ちがいい」と言いました。

また、お昼の食事の際には70歳くらいと思われるおばあさんから「おばあちゃん、いくつですか?」と聞かれたそうです。

母が年齢を答えると「そうですか、お若いですね」と言われたそうで、母は満更でもない表情をしていました。

そして、食事の内容については「ミカンとパインがおいしい」と言っていて、おそらく缶詰のものだと思われます。

お気に入りのポータブルトイレは「大きくて立派だから楽だけど、家には置けない」と、母は帰宅後のことを心配しているようでした。

リハビリの調子については「大分慣れたけど、まだ回るところでフラフラする」と、自分ではもう一息という感じで振り返っていました。

看護師の皆さんに「良く似合う」といわれるちゃんちゃんこについては「三越か高島屋で買ったかな?」と、懐かしそうに話してくれました。

最後に、翌日の火曜日に姉が来られそうだと伝えると「たくさん話が出来るね」と楽しみにしていました。

2022年6月24日 (金)

暇を持て余す暑い日曜日

4年前の2018年6月24日は晴れて暑い日曜日、母が脱水で入院して32日目、この日は午後3時30分ころ母の面会に行きました。

病室で母は仰向けに寝ていてラジオを聴いていましたが「競馬ばっかりやっている」と、ラジオがつまらないと言っていました。

この日は日曜日なのでリハビリも無く、ラジオを聴いて時間を潰しているようでした。

この日の母はニュースの内容を話してくれるなど、相変わらず元気にたくさん喋ってくれました。

また、このころ愛用していたベッドサイドのポータブルトイレの使い心地が良く、便通が順調なのでたくさん食べたと笑っていました。

そしてさすがに病室も暑いようで「暑いね」と言いながら、私が持参した水筒の冷水を飲みたいと催促しました。

私の方からは、前日主治医と話をした施設への移動について話をしました。

以前から母には隣接する老健のことは話してありましたが、空きが出れば移動できるかもしれないと説明しました。

ただこの時、母は言いませんでしたが、このころ母はウチに帰りたいということを何度か発言していました。

確かに当時の母は、そろそろ自宅に戻れそうな状況でしたし、今でもこの時に自宅に戻ったらどうだったか考えることもあります。

もしかすると骨折前と同じように定期的な通院だけで、94歳の今でも自宅で生活している可能性がないとは言えません。

それでも実際の第二の人生のように、施設での笑顔に溢れた楽しい生活が送れて良かったな、というのが今の私の気持ちです。

2022年6月23日 (木)

リハビリの効果を本人も自覚

4年前の2018年6月23日は雨の土曜日、母が脱水で入院して31日目、この日は午後3時45分ころ母の面会に行きました。

病室で母はベッドの背を起こして本人も起きていて、ウチから持って行ったタオルケットを洗って欲しいと、脚元に置いてありました。

この日は既にリハビリもやって、身体を洗ってもらったとも言っていました。

「シャワーをしてもらったけど、2回目かな?」と振り返り、疲れたのか「食欲が無くなった」と笑っていました。

その後「内職をするところでペットボトルのお茶を貰った」とのことで、ベッドサイドのテーブルに置いてありました。

このころの母にとって、ナースステーションは内職をする場所のようでした。

また、リハビリでは洗濯ばさみを使った運動があり、小さな女の子と一緒にやったと言っていました。

洗濯ばさみの色を揃えたり、時々硬いものがあったり、なかなか難しかったとのことでした。

それでも「小さな女の子に負けちゃいけないと思って、一生懸命にやった」と笑顔で話してくれました。

母自身もこのようなリハビリの効果を自覚していて「休めなくなった」と楽しそうに言いました。

わずか十日ほど前に腕の運動から始まったリハビリが大きな効果を上げて、母の生活の一部として欠かせないものになっていました。

この日も30分ほど一緒にいましたが母がほぼ一方的に話をしていて、もしかすると世界一賑やかな90代の入院患者だったかもしれません。

2022年6月22日 (水)

入院後30日目

4年前の2018年6月22日は晴れの金曜日、母が脱水で入院して30日目、この日は午後3時45分ころ母の面会に行きました。

病室で母はベッドに仰向けに寝て、首だけこちら側に向けていたので、部屋に入った私とちょうど目が合いました。

「今来たの?」と母は私に話し掛けてきました。

このところベッドサイドにはポータブルトイレが置いてあり、今はこれを使っているようで、母も割と気に入っているようでした。

この日も母は元気で、楽しそうにいろいろと話をしてくれました。

看護師の皆さんが、母が愛用しているちゃんちゃんこを褒めてくれること。

母が帽子を被ると「似合う」「いいのがあるじゃない」などと、声を掛けてくれると。

看護師さんたちと良い関係が築けているようで、私も嬉しく思いました。

そして入院後30日目、すっかり元気になり明るく話をする母の表情を写真に撮りました。

2018年6月22日

2022年6月21日 (火)

3時の息子と栗饅頭

4年前の2018年6月21日は曇りの木曜日、母が脱水で入院して29日目、この日は午後3時20分ころ母の面会に行きました。

病室に入ると、母はベッドに仰向けで横になりラジオを聴いていました。

挨拶をするとこちらを見て、この日も元気に話を始めました。

少し前まで外で作業をしていて「3時に息子が来る」と言って、今戻ってきたところだということでした。

当時はピンと来なかったことですが、これはおそらくナースステーションで事務仕事を手伝っていたのだろうと思います。

「仕事しながら栗饅頭を食べた」とも言っていて「おいしかったけど、今でもあるんだね」としみじみ呟いていました。

またこの日は、リハビリをやって、外のトイレも使ったし、ポータブルトイレも使ったと教えてくれました。

リハビリは「だんだん出来るようになってきた」と自信が出て来たようですが、腕も鍛えているので腕の付け根が痛いとも言っていました。

自分ではやった覚えがないので怖いけど、先生が「この前出来たから出来る」というので一生懸命やっているという話でした。

今回はリハビリに対する意欲が前回の入院時と全く違うのが、私にも良く分かりました。

その他ポータブルトイレについては「すごくいい」、食事は「おいしかった」と、笑顔で話していました。

このところの母は入院患者とは思えない元気さなので、早く次を決めないといけないかなと、そんな気分にもなってきました。

2022年6月20日 (月)

要介護4でも元気で陽気

4年前の2018年6月20日は雨で蒸し暑い水曜日、母が脱水で入院して28日目、この日は午後3時45分ころ母の面会に行きました。

母の病室に入ると、窓際にポータブルトイレが置かれているのが見えました。

そこで窓側まで回って母に声を掛けると、ベッドに仰向けの姿勢のままラジオを聴いているところでした。

十日ほど前に久しぶりにラジオを聴かせたときには、母は「中国語?」と反応するなど、よく聞き取れなかったようでした。

それが、自ら積極的にラジオを楽しもうとするまで回復したことに、私は感動しました。

母の説明では、この日はまだリハビリはしていないが、ポータブルトイレは少し前に使ったばかりだということでした。

小さい方は出来たが、大きい方はなかなかできなかったとも話してくれました。

それでもポータブルトイレを練習したことで、普通の生活に向けて動き出したことが母も楽しそうで、私もとても嬉しく感じました。

ただ、骨折入院中に受けた介護保険の区分変更で、前日に要介護4という決定が出て、いよいよ大変な状況になっていました。

といっても要介護度とは逆に、母はすっかり元気で陽気になり、いよいよ第二の人生が始まった感じになってきました。

ところで、入院当初には冷たい水を入れた水筒を毎日持って行きましたが、栄養が心配な時期を経てゼリーを持って行くようになっていました。

すると母は「この頃水が置いていない」と良く分かっていて、元気になったのは嬉しいことですが、注文も多くなってきました。

2022年6月19日 (日)

リハビリ順調で生き生きと

4年前の2018年6月19日は晴れた火曜日、母が脱水で入院して27日目、この日は午後3時45分ころ母の病室に行きました。

そして、母のベッドに近づくと他に誰も居ないようでしたが、どこからか話し声が聞こえてきました。

それは「寒いよう、寒いよう」と、窓の方を向いて寝ている母がしきりに言っていたのでした。

どこか入院前に「お腹が痛いよう」と言っていた口調に似ていたので、私は少し不安になりました。

母は眠っていたようでしたので身体に触れてみると、どこも冷たく感じられるところはなく、むしろ熱く感じるくらいでした。

「また来たよ」と挨拶をすると母は目を開けましたが、やはり「寒いよう」というのは、ほとんど寝言だったようで安心しました。

目を覚ました母はこの日も元気にたくさん話をしてくれました。

特にこの日のリハビリは良く出来たそうで、身体を支えてもらって手すりから両手を離して立ち上がるところまで出来たと言っていました。

わずか一週間前には腕の訓練をしていたことを考えると、その進み具合は私の想像を超えていました。

もちろんそれ自体嬉しいことですが、母が元気な声で楽しそうに一生懸命話してくれることが信じられない思いでした。

また、前日私が持って行ったカーディガンを早速着ていて、生きることに積極的になってきたように感じられて嬉しく思いました。

この日の母も眠りが覚めてからの話は本当にしっかりしていて、もう逆戻りすることはなさそうだと感じました。

2022年6月18日 (土)

「お赤飯、食べたいなぁ」

4年前の2018年6月18日は曇り時々雨の月曜日、母が脱水で入院して26日目、この日は午後3時45分ころ母の病室に行きました。

この日も寒いのか母は、タオルケットと布団をしっかりと掛け、ちゃんちゃんこも着て寝ていました。

眠っているのかと思って手を握ってみると、母は目を開けてこの日も元気に話し出しました。

便通があってスッキリしたけれども、そのタイミングでリハビリの先生が来たため、これまでのところリハビリはしていないということでした。

「ところで、6月18日はお祖母ちゃんの誕生日じゃない?」と私が尋ねると、母は「そのようだ」と返事をしました。

そして「明治38年じゃないか」とか「お祖父さんとは8歳違う」などと教えてくれました。

また、前日に来た姪がバラの花の写真がたくさん載った本を、持って来てくれたことが話題になりました。

「そういえば、お祖母ちゃんも花が好きだったね」と、母は自分の母親を思い出していました。

「今日はお赤飯でも食べるかな」と私が言うと「いいなぁ、食べたいなぁ」と母は言い、食欲も全く問題なくなりました。

この日の母も大変元気で、笑顔や笑い声も自然と出るようになり、約15分間楽しく会話ができました。

最後に、肌寒い日が続いていたので持って行ったカーディガンを、母に見せてあげました。

「寒かったら着るといいよ」と私が言うと、母は嬉しそうに頷いていました。

2022年6月17日 (金)

帰宅が第一希望

4年前の2018年6月17日は肌寒い曇りの日曜日、母が脱水で入院して25日目、この日は午後4時30分ころ母の病室に行きました。

この日は午後2時頃に姪が一週間ぶりに母に会いに来てくれて、一緒に本を読んだり折紙をして楽しんだということでした。

姪からの連絡では、母が楽しかったと言っていたこと、ウチに帰りたいようなことを言っていたことを知りました。

そして私が行った時には、看護師さんが母のベッドの背を立てているところでした。

母が水を飲みたいと言ったからのようで、私は姪がベッドサイドにレモンティーを置いて行ったことを教えてあげました。

それを吸い飲みに入れて母に渡すと、母は飲んだ後に「これはおいしい!!」と何度も言っていました。

その後の会話では、母は姪とたくさん話ができて楽しかったと言っていましたが、昼寝をしたからかそれは前日のことだと思っていました。

「昨日休みだったから来てくれた」と思い込んでいて、折紙で風船を作ってくれて、バラの花がたくさん写った本も持って来てくれたと。

「風船を上手く揚げられなくて大笑いした」と、母は笑顔で振り返っていました。

この日はこれまででも一番元気だったように感じられ、声も良く出ていて姪との時間がどれほど楽しかったか、私にも良く伝わってきました。

最後に私が帰ろうとすると「家の様子を見たいなぁ」と、母はそれまでと違ってやや控えめな声で言いました。

元気を取り戻した、このころの母の思いは、施設に移動するよりも家に帰ることが第一希望だったようでした。

2022年6月16日 (木)

2時半まで切手を貼っていた

4年前の2018年6月16日は曇りで16℃という寒い土曜日、母が脱水で入院して24日目、この日は午後3時40分ころ母の病室に行きました。

母もさすがに寒いのか、ちゃんちゃんこを着たまま布団を掛けてベッドに横になっていました。

私が「また来ましたよ」と声を掛けると、母はすぐに目を開けて「少し前に寝たばかり」と言いました。

続けて「2時半まで切手を貼っていたけど、まだやっているんじゃないの」と言いました。

当時の私は母のこういう言葉の意味が分からないため、夢に見た過去の思い出を話してくれたのかな、と思ったりしました。

しかし、今ではその意味はほとんど分かります。

おそらく、この日も母は昼食を車椅子で広間まで食べに行き、帰りにナースステーションに寄って2時半まで切手を貼っていたのでしょう。

このころ、私は面会時のベッドに横たわっている母しか見ていませんが、実際の母は私が考えていた以上に元気だったのだと思います。

つまり「2時半まで切手を貼っていた」というのは、朦朧として昔話をしていたのではなく、母の少し前の行動を正確に伝えてくれていました。

当時の日記にも私は『内容は良く分からないが、たくさん話をしてくれて元気だった』と書いていました。

このころ一番心配だったのが母の元気さでしたから、仕方ない面もありますが、後で振り返って初めてわかることも多いのだと思います。

「今日は6月16日だ」と教えると、母は「ばあさんの誕生日がもうすぐだ」と、二日後に迫った祖母の誕生日のことを口に出し、記憶もしっかりしていることがわかりました。

2022年6月15日 (水)

「そろそろ帰ろうかな」

4年前の2018年6月15日は雨の降る金曜日、母が脱水で入院して23日目、この日は午後3時40分ころ母の病室に行きました。

この日の母は窓の方を向いていて、布団を肩まで掛けてベッドに横になっていました。

私が挨拶を兼ねて「寒くない?」と声を掛けると、母は「寒くないよ」と答えてくれました。

この日は冷たい雨が降っていましたが、確かに病院内は少しムッとするほど暖かく感じられました。

そのため、母もこの日はお気に入りのちゃんちゃんこを着ないで横になっていました。

それでも母によると、車椅子で食事やリハビリに出かけるときは寒かったと話していました。

この日は右側を下にしたまま目を開けて、このころの通常運転となった、元気にたくさんの話をしてくれました。

同時にこちらも通常運転でしたが、母の記憶に基づく話なので、今一つ理解できないこともありました。

特にこの日は「女の子たち」という言葉が頻繁に出て来て、どうもそれは先日来てくれた姪たちのことだろうと分かりました。

それから「あの人が刺された」とも言っていて、こちらはさすがに私も「あの人って誰?」と尋ねてしまいました。

それに対して母は「あの人はあの人だよ、2人しかいない」と答えたので、私は『えっ、2人いるのか』と、さらに誰だか分からなくなってしまいました。

最後に「そろそろ帰ろうかな」という言葉も出て、元気になった母がいろいろ考えるのはいいことだと、私は前向きに考えることにしました。

2022年6月14日 (火)

久しぶりのハイテンション

4年前の2018年6月14日は曇りの木曜日、母が脱水で入院して22日目、この日は午後3時40分ころ母の病室に行きました。

母は仰向けでベッドに横になっていましたが、眠っていはいませんでした。

私が挨拶をするとこちらを向いて、誰だか確認する間もなく元気な声で話し始めました。

この日も朝からリハビリを頑張り、お昼はたくさん食べたことを話してくれました。

その他にもいろいろな話をしてくれて、結局30分ほど母のマシンガントークを聞くことになりました。

この日の母の様子を見て、今回の入院の3日目に同じようなハイテンションだったことを思い出しました。

その時の母は、子供に戻ったように一生懸命に話をしてくれて、ただ内容はひたすら母の脳内にあった昔の話だったと思いました。

楽しそうに元気な声で話してくれましたが、前日まで意識がなかったのですから、私にすれば狐につままれたような感じでした。

その当時はまだ点滴をしていましたが、点滴を外してからしばらくの間は、元気がなくなっていたのはここに記してきた通りです。

その点、今回は食が安定してリハビリも順調に行えるようになってきているので、心配することはないように思いました。

その他には食事中他の人から「おいくつですか?」と聞かれたとか、ラジオを聴きたいと言い出したり、元気になってきたのは明らかでした。

ただ、印象的ながら今でも分からないのが「戻ってきたら、金ぴかの『何とか全集』が置いてあった」という母の謎の言葉でした。

2022年6月13日 (月)

印象的だった両腕の屈伸

4年前の2018年6月13日は曇りの水曜日、母が脱水で入院して21日目、この日は午後3時40分ころ母の病室に行きました。

母はベッドに仰向けで、元気そうに両腕を屈伸させていました。

前日リハビリで竹を持つ運動をしたところ、良くできなかったと言っていたので、腕の運動をしていたものと思います。

この日も朝早くからリハビリに行って、竹を持って運動をしたことを話してくれました。

少し前に水の入ったカップを持つ手が震えていたこともあったので、まず腕の筋肉から鍛えているのでしょう。

また、先生に体を押さえてもらいながら立ち上がる練習もしてみたとのことでした。

食事については、昼食は車椅子でテーブルに移動して完食し、朝食も7割がた食べたということでした。

このところ食が安定し、リハビリも順調に行えるようになってきて、状況が良い方に回り始めたように感じました。

数日前にも記しましたが、このころから私が『母の第二の人生』と呼ぶ一年半ほどの時間が始まったように思います。

正確に何時からと確定することは難しいのですが、この日の様子は明らかにその時間が始まっていました。

リハビリや食事を楽しみ、屈託のない笑顔で話し、元気で陽気に過ごしてくれました。

一か月前には弱気になっていた母を、半ば無理やり自宅に戻しましたが、この時の母とは全くの別人になったように感じました。

2022年6月12日 (日)

「話が面白くてカワイイ」

4年前の2018年6月12日は曇り一時雨の火曜日、母が脱水で入院して20日目、この日は母の面会の前に併設されている老健に寄りました。

申込書の提出に伺ったのですが、前日に主治医と施設の所長が母のことで話し合いをしていたと、相談員の方が教えてくれました。

インシュリン注射のことと、母がまだ自分で食事を取れないので、もう少し病院で様子を見ることになったそうです。

施設から病院に移動して母の病室に行ったのは午後3時40分ころ、この日は姉が先に来ていました。

まず姉の話を聞くと、看護師さんが母のことを「話が面白くてカワイイ」と言っていたとのことでした。

そしてこの日もリハビリに行き、昼食はテーブル席で食べたということでした。

この時ベッドの上で母は、左側を下にしてこちら側を向いて寝ていました。

私が手を握って「また来たよ」と挨拶をすると母は、目を閉じたまま「ありがとね」と答えてくれました。

私が姉が来ていることを教えると、母は目を開けて姉に向かって話を始めました。

まずリハビリの話で、竹を持ったけれどあまりできなかったとか、話をしているうちにいろいろと思い出してきたようでした。

話を聞いていて私は、竹を持つというのは自力で食事が出来るように腕を鍛えているのかな、と思いました。

この日の母も話し始めると止まらないくらい元気で、前日のような悲観的なことも言わなくなっていました。

2022年6月11日 (土)

来春までは難しい

4年前の2018年6月11日は雨で肌寒い月曜日、母が脱水で入院して19日目、この日は午後4時ころ母の病室に行きました。

この日の母はベッドで左側を下にして、こちら側を向いて寝ていました。

母はやはり寒く感じたのか、この日も前日に続いて赤いちゃんちゃんこを着たまま横になっていました。

私は母が眠っているのかと思いその身体に触れると「手が冷たいね」と、母は起きていたようでした。

続けて母は目を開けずに「ありがとうね。お世話になりました」と、まるで最後の挨拶のように言いました。

その他にも「いろいろしてくれたね、あなたは。私は何もしてあげなかったのに」ということも言っていました。

また、前日には姪が母親と一緒に来ていたことを覚えていて「もっと早く会えれば良かったね」と、何度も会っているわけですが……。

その姪たちに対しては「みんな長生きしてください」「みなさんによろしく」と、言葉を送っていました。

この日の母の話はとても聞き取りやすく、全体にしっかりと会話ができた気がしました。

昔の記憶はあまり覚えていないこともありましたが、意識や口調ははっきりしていて、母の体調がかなり回復しているように感じました。

ただ、その内容はかなり寂しいもので、いつもこういうことばかり考えているのかと、少し不安になりました。

そして、この日一番印象的だった母の言葉は「春が来るまで生きられればいいけど、難しい」というものでした。

2022年6月10日 (金)

雨の日曜日の寝顔

4年前の2018年6月10日は雨の日曜日、母が脱水で入院して18日目、この日は午後3時30分ころ母の病院に行きました。

この日の母はベッドでグッスリ眠っていました。

いつものように窓の方を向いて右側を下にして、ちゃんちゃんこを着て布団もしっかり掛けていました。

本当のところは分かりませんが、ちゃんちゃんこを着て広間に昼食を食べに行ったのでしょう。

雨の降る肌寒い日でしたから、寒さが苦手な母はちゃんちゃんこを着たまま眠ってしまったのだと思います。

寝顔に触れても冷たくはなく、穏やかな顔をしていたので、お昼もしっかり食べたのでしょう。

ここにきて母に少し元気が出てきたので、この日は起こさずに寝顔に挨拶をしただけで病室を出ました。

さて、私の母が脚の骨折で入院したのがこの年の4月2日、母が90歳の時でした。

5月12日に退院をしたものの自宅で調子が悪くなり、再び脱水で入院したのが5月24日でした。

そして、6月に入ってこのころにようやく母が元気を取り戻しつつありました。

その後の母に残された時間は1年半ほどでしたが、私はその1年半を『母の第二の人生』と呼んでいます。

その第二の人生を、母が元気で陽気に過ごしたことが、このブログを始めるきっかけになっています。

2022年6月 9日 (木)

施設の見学と姪の面会

4年前の2018年6月9日は晴れて暑い土曜日、母が脱水で入院して17日目、この日は午後3時45分ころ母の病院に行きました。

日曜日に来てくれた姪が、この日も午後1時ころ母の面会に来てくれることになっていました。

先に病院に行った姪から、母は今日も元気という連絡が来たので、私は珍しく安心して出かけられました。

母の病室のあるフロアの広間での話は私が着いたときもまだ続いていて、本当にこの日の母が元気だということが分かりました。

この日の昼食も広間で食べたとすれば、母は4時間くらい車椅子に乗ってこの場所にいたことになります。

そして病室に戻った後、お疲れの様子の母に久しぶりにラジオを聞かせてあげました。

イヤホンを耳にして母は「中国語?」などと言っていて、放送を普通に聞けるようになるには慣れる時間が必要なようでした。

それでも、少し元気が出てきた母がいろいろな刺激に触れて楽しそうにしていたので、私も嬉しくなりました。

ところで私は、この日の午前中には病院の隣の『老健』の見学に行きました。

相談員の方の話を伺いながら、面会ルームの見晴らしがよく、習字や俳句もできるとのことで、一刻も早く移動させたい気持ちになりました。

また、この日は病院のケアマネージャーとの面談もあり、その人が地域医療連携室で話をした人だったことには驚きました。

そしてその人の話では、主治医も今の元気なうちに介護施設に行くのがいいと考えている、ということでした。

2022年6月 8日 (水)

「二日で一日なのでしょうか?」

4年前の2018年6月8日は晴れの金曜日、母が脱水で入院して16日目、この日は午後3時30分ころ病室に行きました。

前日の面会時の母の調子が良くなかったことから、また私の悪い癖が出て、場合によっては点滴の提案をしようと考えていました。

そういう気持ちを抱きながら母の病室に入ると、母は車椅子に座っていて、その周りを3人の看護師さんが囲んでいました。

看護師さんたちは笑顔でしたが母の顔に表情はなく、手にお茶の入ったストロー付きのコップを持っていました。

ちょうど私が来たということで、皆で病室を出てテレビのある食堂の方へ向かいました。

途中で看護師さんにこの日の様子を聞くと、朝食はあまり食べなかったけれども昼食は完食したということでした。

「昨日は一日中臥せっていましたが、二日で一日なのでしょうか?」と看護師さんは首を傾げていました。

もちろん私にも良く分かりませんが、二日に一度完食すればいいというものではないだろうとは思いました。

そこで、心配で前日から考えていた点滴のことを看護師さんに話してしまいました。

ただ、母が昼食を完食した直後ということで、いかにもタイミングの悪い提案になってしまい、その場の雰囲気を悪くしただけでした。

ここ三日ほど面会時の母は寝ているだけだったとはいえ、この日のタイミングは確かに良くなかったと思いました。

看護師さんとの会話の間、母はしきりにコップのストローを口に入れようとしていましたが、手が震えていてなかなか口に運べませんでした。

2022年6月 7日 (火)

振出しに戻る?

4年前の2018年6月7日は晴れた木曜日、母が脱水で入院して15日目、この日は午後3時30分ころ病室に行きました。

ここ数日、面会時の母は元気がないことが多かったので、心配しながらベッドを覗きました。

この日の母はこちら側を向いて横になっていましたが、ほとんど意識はないように見えました。

手を握ってみると多少反応してくれたような気もしましたが、声を掛けてもそのまま寝ているだけでした。

脈拍は異常ないようですし、呼吸も普通にしていましたが、布団の外に出していた右腕はとても冷たくなっていました。

そこに看護師さんが現れて、私に何かの書類のサインを求めました。

聞いてみると、母が危険な動きをするのでベッドに柵を取り付けるようで、そのためには家族の同意が必要だということでした。

その看護師さんの話によると、この日も昼食は車椅子に乗って食堂に行きましたが、母は全く食べなかったとのことでした。

その他には、母をベッドから出そうとした時に「ごめんなさい」と言いながら、拒否をしたことを話してくれました。

既に点滴を外しているので食事を取らなくなると、栄養不足と体力の低下がいよいよ心配になってきます。

また、良化したように思えた精神面も、ウチにいた頃の不安定な状態に戻ってしまったように感じられてきました。

母が意識不明で入院してから二週間ほどが経過して、状況は振出しに戻ったように見えました。

2022年6月 6日 (月)

それが頼り

4年前の2018年6月6日は雨の水曜日、母が脱水で入院して14日目、この日は午後2時50分ころ『老健』から電話がありました。

病院に併設されたその施設の相談員の方との話し合いで、6月9日の午前11時に訪問することが決まりました。

そしてこの日は午後3時30分ころ母の病室に行きましたが、入室前は前日の母の様子が良くなかったのでかなり不安でした。

病室に入ると母は珍しく入口の方を向き左側を下にして寝ていましたが、表情は穏やかそうに見えました。

身体にはタオルケットだけを掛けていて、私が「寒くない?」と尋ねると、母は頷いてくれました。

その後、手を握りながら声を掛けると、その時も母は頷いていたので意識はあったものと思いますが、終始無言でした。

ただ、声は出しませんでしたが表情を見ると、精神的にも安定して寝ていたようでした。

「また来るよ」と私が帰りの挨拶をすると、この時も母は頷いてくれました。

ベッドサイドのテーブルにリハビリの先生からの伝言があったため、病室からリハビリルームに向かいました。

あいにく担当の先生は不在でしたが、代わりの先生が母の現状について教えてくれました。

大体私の想像通りでしたが、病室で会う時の母は疲れたように横になっていることが多いので、栄養不足と筋力の低下が心配でした。

それでも、他の時間の母の様子を知っている先生や看護師さんがあまり不安そうではないのが心強く、それが頼りという感じでした。

2022年6月 5日 (日)

『老健』からの連絡待ち

4年前の2018年6月5日は晴れた火曜日、母が脱水で入院して13日目、この日は午後3時45分ころ病院に行きました。

その前に、主治医との面談で話が出た病院に併設された『老健』に連絡をしてみると、担当者不在のため翌日の連絡を約束してくれました。

そしてこの日は、前日の面会時に母の様子が今一つだったこともあり、不安を抱きながら病室に向かいました。

この時の母はベッドに仰向けで静かに寝ているように見えましたが、近づくと身体に力が入っていて小刻みに震えていました。

私が挨拶代わりに母の手を握ると、しばらくして何か夢でも見たのか、さらに大きく喘ぎ始めました。

私が手を離そうとすると母は握り続けてきましたが、そのうちに掛けていたタオルケットで顔を覆い隠してしまいました。

そういった様子を偶然見ていた主治医ではない医師が「家でもこうだったのですか?」と訊いてきました。

私が骨折入院以来のことを説明すると「昨日は元気でしたけどね」と話していました。

いずれにしても、面会のタイミングでこの調子では母と話をすることもできないので、短い時間で帰ることにしました。

ただ、帰り際に頭を撫でながら「また来るよ」と言うと、母は頷いたように見えました。

このような状態の日があると、自宅に戻して失敗した経験から、やはり家で面倒を見るのは難しいのかなと感じました。

翌日の『老健』からの連絡を待って、そちらの方向で話を進めることが良さそうな気がしてきました。

2022年6月 4日 (土)

『老健』に行ってみよう

4年前の2018年6月4日は晴れて暑い月曜日、母が脱水で入院して12日目、この日は午後3時30分ころ病院に行きました。

前日の母は便意を気にしていたからかイライラした感じだったので、まだ溜め込んでいるのではないかと心配しながら病室に入りました。

ところが母は、穏やかな表情でベッドに仰向けになっていて、静かにしていましたが目覚めているようなので声を掛けました。

母は少し目を開けてこちらを見ましたが、眠っていたのか既に夜になったと思っていて戸惑っていました。

それでも少し話もできて、ウンチが出たとかリハビリに行ったと言っているようでしたが、よく聞き取れませんでした。

そこで看護師さんに確認してみると、母の話の内容はその通りで、しかもお昼ご飯は完食していたと教えてくれました。

さらに他の看護師さんによると、この日はリハビリに行く時も元気でしたが、日によって調子の差が大きいということでした。

調子が悪いと全然ダメな時もあると言い、この日の面会時も寝起きだったからか少し不調のような感じがしました。

ところで、この日は母の面会の後に主治医と話をすることができました。

既に母は脱水状態は脱し、自分で食事が取れて点滴も必要ないので、いつでも退院はできる状態だということでした。

そこで次の行き先として施設のことを主治医が話した時に、私は初めて「老健」という言葉を知りました。

そして、その「老健」がこの病院に併設されていると主治医が言った時、「行ってみよう」と私は思いました。

2022年6月 3日 (金)

便意との闘い

4年前の2018年6月3日は晴れの日曜日、母が脱水で入院して11日目、この日は午後1時30分ころ姪が母の病院に来てくれました。

二人で母が入院しているフロアに行くと、母は車椅子に乗ってナースステーションにいました。

手には前日に飲んだゼリーを持っていて、聞いてみるとトイレに行きたがったので連れて来られたようでした。

ただ、便器に移って用を足すのはまだ無理だったようで、そのままベッドに戻って姪と話をしてもらうことになりました。

私は一旦帰宅しましたが、姪の話ではその後一時間ほどいろいろな話をすることができたようでした。

午後4時30分頃、私が再び母の病室に行くと母は不在で、もしかしたらと思いナースステーションを覗くと、やはり母はそこにいました。

この時ナースステーションにいた理由ははっきりとは分かりませんが、この時も便意が関係していたような感じがします。

というのは、この日は夕食に付き添って午後6時30分頃までいましたが、その時まで便意について何か言っていたからです。

そして、そのためかこの日は珍しくイライラした様子が戻って来ていて、話をしていても噛み合わず、どこか上の空のような気がしました。

このところ母に食欲が戻ってきたのはいい兆候ですが、その結果便意に悩まされることになり始めていました。

今振り返ると、その時の母の調子で一喜一憂し過ぎだったと反省もしていますが、当時は次から次と心配の種が出てきたものでした。

いずれにしてもこの日は、母は便意に悩まされ、私はその母の不機嫌さに振り回されたような一日でした。

2022年6月 2日 (木)

レモン味ゼリー

4年前の2018年6月2日は晴天の土曜日、母が脱水で入院して10日目、午後3時30分ころ母の面会に行きました。

前日も母といろいろ話ができましたが、このころの母の体調は日替わりなので、多少の不安を抱えながら病室に入りました。

この日の母も良く喋ってくれて、結局一時間くらい話をしていました。

内容は私にも良く分からないような昔話が多かったですが、演歌や野球の話もしていました。

何よりも元気そうなのが良く、精神状態はもう大丈夫かと思えるような感じでした。

ただ、前日尿の出が悪かったのでこの日はカテーテルをつけていて「最初は濁ったのが出た」と母は言っていました。

もしかすると時々母の体調が良くないのは、腎臓の調子に関係しているのかもしれないとこの時に思いました。

また、看護師さんによるとこの日の朝は8割がた食べたそうですが、昼は1~2割しか食べなかったということでした。

そこで、このところ食が安定しない母に補助食品としてゼリーを飲ませてよいかどうか尋ねてみました。

その後許可が出たので、この日持参した飲むタイプのレモン味ゼリーを母に飲ませてあげました。

「おいしい」と言いながら、母は何回もそのレモン味ゼリーを吸っては飲んでいました。

それを見て私は、これからは毎日冷たいゼリーを持って来ようと思いました。

2022年6月 1日 (水)

残ったのは体力面だけ?

4年前の2018年6月1日は晴れた金曜日、母が入院して9日目、午後3時30分ころ母の面会に行きました。

前日は久しぶりに母と噛み合った話ができましたが、食事をあまり食べなくなっていたので体力が心配になってきました。

このころの母の体調は日替わりのようで、特に私にとっては面会時の様子しかわからないので、毎日不安を抱えながら会いに行きました。

この日の母は仰向けに寝ていて、落ち着かないのか両手で布団のカバーをしきりに触っていました。

顔を見ると、前日は開かなかった目がこの日は開いていたので声をかけると、前日よりも元気な声で話し始めました。

ただ、母の話は分かりにくい点もあったので後で看護師さんに確認をすると、昼食は全て食べたということでした。

また、母が話していた「午前中にリハビリに行って外の桜並木を見た」というのも間違いないとのことでした。

この日の会話で私が特に嬉しかったのが「ここのご飯は温かくておいしい」と、母が言ったことでした。

とにかく、食欲が出てきたのは良いことだと思いました。

後日この日の音声を聞いてみると、母は意外にしっかりとした声でまとまった内容の話をしていました。

時々笑ったり、最後には「ウチを見たいな」などと30分以上も話をしていて、認知も精神状態も問題ないように感じました。

当時は心配なあまり、私が緊張していたこともあったと思いますが、冷静に見ると残った母の問題点は体力面だけだったのかもしれません。

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