記録して良かった
このところ母が脚の骨折で入院した4年前のことを振り返っています。
さすがに4年前のことですから、私の記憶もかなり怪しくなっています。
ただ、この入院時に私はICレコーダーを購入し、そして日記を書くようになりました。
当時母は既に90歳になっていたので、入院や手術ということになると、何時の会話が最後になるか分からないという思いがありました。
そのため、会話を録音して記録しようと思ったわけです。
今になってそれが役立っていて、この時期の母の入院時に私は一日に二回面会に行っていたようです。
それ自体あまり覚えていませんが、この時は私にも時間があったので片道30分程度の病院に二回通っていたのでしょう。
若かったから出来たのだという思いとともに、それだけ心配だったのだと改めて思いました。
また、4年前の記憶が蘇ると同時に、それ以前の記憶も少しずつ思い出せるようになった気がします。
介護の状況が変わると、それ以前にやっていた日常のことが思い出しにくくなったように思います。
ところが記録したものがあれば、それを縁に遡ることもできたでしょう。
結局、私が母のことについて記録したのは最後の2年弱に過ぎませんが、それだけでも本当に良かったと今では思います。
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