2011年3月11日のこと
昨日に続いて東日本大震災の頃のことについて、記憶を辿りながら記してみることにします。
その時私は仕事中で、築45年を超える自宅に母が一人でいるため、とても心配したものでした。
職場から携帯で何度か電話をしても繋がらず、他の人たちもほとんどが繋がらない状態でした。
運良く午後4時過ぎには帰宅できることになり、徒歩で約3時間ほどの道のりを歩くことにしました。
途中の建物を見てもほとんど被害はないので、ウチも大丈夫だろうと少し安心しながら歩いていました。
1時間ほど歩いたところで公衆電話が見つかり、家に電話するとすぐに繋がり母と話をすることができました。
母は「怖かった」と言っていましたが、無事が確認できたことで気分は楽になりました。
思っていたようにウチまでは3時間ほどかかり疲れましたが、これといった被害もなくホッとしました。
気付いた被害としては、トイレのタイルにヒビが入っていたくらいだったようでした。
その当時、母はまだ要介護の状況ではなく、確か要支援1だったと思います。
私も定期的な通院の送り迎えはしていましたが、母は自分で杖を使って歩いているという状態でした。
80代半ばでしたが、洗濯や炊事などの家事もまだ母が普通にできるほど元気な頃でした。
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