一緒にいてくれているという実感
今日は先日新聞に掲載されていた記事を元にして、介護について少し考えてみようと思います。
ある医師の実家では、お母さんと同居していた弟さんがお母さんの介護をしていたそうです。
時々その弟さんから電話があって、この医師は医学的な見地からアドバイスをしていたということです。
そんなある日、弟さんから「言っているだけじゃなくて、家に来てくれないか」という怒りを込めた電話が来たそうです。
そして、実家に帰った時に見たお母さんの病状と弟さんの介護する姿に悲しくなり、自分を責めたということでした。
私も母の介護をしていた者として、どちらの立場も良く分かります。
特に介護は人それぞれですから、一般的なアドバイスが役に立つことはあまりないでしょう。
私の場合は食事の世話が一番で、それほど大変ではありませんでしたが、それでも人手があれば助かることは確かでした。
この方の弟さんもおそらくそのような状況であったと思います。
ただ、この記事にある「家に来てくれないか」という言葉は、人手が欲しくて言っていただけではないでしょう。
それは医師であるお兄さんが言っているように『介護者が必要としているのは言葉ではなく、存在なのだ』ということに尽きるのだと感じます。
つまり、介護者には『一緒にいてくれているという実感』こそが必要だと、この医師は理解したそうで私もそれに同感します。
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