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2022年1月15日 (土)

医師との話と責任の重さ

今日も通院や施設での医師とのやり取りについて考えてみようと思います。

確か母が80歳くらいの頃から、私は母の通院の送り迎えをしていたように思います。

そして母が86歳の時に、むくみが悪化してクリニックから病院を紹介されました。

母は当時杖を使って歩いていましたが、病院では母のために車椅子を借りて、私がその車椅子を押して一緒に診察室に入ることになりました。

そうなると医師によっては私の方に話をしてくる人もいて、徐々に私は母の病状や薬のことなどに詳しくなっていきました。

母は「先生の声が小さくてよく聞こえない」としばしば話していて、私に良く聞いておくように暗に言っているようでした。

年齢とともに母の耳が遠くなっていたことも確かですが、少しずつ私の責任が重くなっていくのを感じました。

心配性の母にとって、年齢とともに悪化していくであろう状況を知りたくないという気持ちもあったと思います。

そして、施設の医師との話は全て母と離れて私が一人で聞いていて、母は私を介してしか自分の病状を知らないという状況になりました。

母もそれを望んでいたような感じでしたが、果たしてそれで良かったのかなと考えることもあります。

また、母が受ける検査や治療を決めるのが事実上私になり、それぞれの決断が良かったのかという思いが今でも時々浮かんできます。

全体的に母の晩年は悪くなかったと私は思いますが、母の率直な感想を聞いてみたいような、聞きたくないような感じがしています。

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