「当分来れないね」
2年前の2019年11月15日は金曜日、晴れて17℃の日、午後4時頃に母の病室に行きました。
部屋に入ると母は横になったまま、こちら側をうつろな目で見ていました。
まだ鼻には酸素吸入をしていて、私に話掛けてくれましたが、聞きとりにくい話し方をしていました。
そして少し苦しいのか、話し出すと酸素不足を知らせるアラームが鳴っていました。
前日から東側の部屋になったので「朝日を見ましたか?」と尋ねると「8時半まで眠っていて起きたら朝食だった」と残念そうでした。
母の話では、いろいろ検査があったり手術をしたりしたが、それ以外はほとんど眠っていたようだ、とのことでした。
確かにまた器械が増えているようでしたが、手術をしたというのはよく分かりませんでした。
この日の心電図は安定していて、血圧は数値は表示されていませんでしたが動きは安定していて、酸素量だけ時々90を切っていました。
確認すると、レントゲンを2回撮って、私が来る少し前に左側が下になるように体位を変えてもらったということでした。
「ラジオが聴こえない」と言うので私が持っていたラジオと交換して、イヤホンを耳に入れて大相撲中継を聴かせてあげました。
また、曾孫の写真を持って行って、ベッドサイドのテーブルに置いてあげると「当分来れないね」と寂しそうに呟いていました。
体調の不安は相変わらずありましたが、窓側のベッドとはいえそろそろ『せん妄』も気になってきました。
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