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2021年11月

2021年11月30日 (火)

最後の会話

2年前の2019年11月30日は土曜日、晴れて12℃の日、午後6時40分頃母の病室に行きました。

この日の母は、やや右側を下にして寝ていましたが、瞼の腫れなどは前日までと変わらない感じがしました。

心電図は順調に見えましたが、脈拍は75、血圧は210/90と、相変わらず高い値が表示されていました。

「来ましたよ」と声を掛けると、目を開けたので手に触れると「冷たい」と、母は絞り出すような小さな声で言いました。

意識は朦朧としているようですが、開けた眼は見えている様子でした。

このところ毎日乾燥していて、母の唇もカチカチになっていたので拭いてあげると喜んでくれました。

「少しずつ良くなっているからね」と私が言うと、母は「大丈夫」とかすれた声で答えてくれました。

最後に「また明日来るよ」と言うと、母は手を振るような仕草をしていました。

このころは毎日行く前は不安で「今日はどうかな?」と考えながら病室に入っていましたが、少しでも話ができるのは嬉しいものでした。

鎮静剤が効いているからか、母は目が覚めていても朦朧としてはいますが、数日前と違って表情は穏やかになっていました。

結局、この日が母との会話が成り立った最後の日になりました。

6~7分の面会でしたが、最後の会話になるのでしたら、もっと長く話をすれば良かったと今では思います。

2021年11月29日 (月)

「私はどこにいるの?」

2年前の2019年11月29日は金曜日、晴れて10℃の日、この日は母の病室に午後6時ごろ行きました。

これまで施設や病院には午後4時頃行っていましたが、残念ながらもう時計代わりは必要ないと思ったからでした。

病室に入ると母は左側を下にして寝ていて、計器によると脈拍や心電図、血圧は安定しているようでした。

ベッドの反対側に回って話しかけてみると、起きていたようでした。

目覚めていても脈拍、血圧が安定しているとすれば、もう精神的には大丈夫なのかなと思いました。

挨拶をすると、母は朦朧としているようで「私はどこにいるの?」と小さな声で尋ねてきました。

その他には「明日の土曜日に何かある?」「どこかでお葬式しているんじゃないの?」とも訊いてきました。

朦朧とした意識の中だったと思いますが、小さいながらもしっかりとした口調でした。

ただ、瞼のむくみや上にしている右腕の太さなどは、前日までとあまり変わっていないように見えました。

なかなか上半身のむくみは取れず、良化が見られないのはこれまでの入院時とは異なる点でした。

母は目覚めていても穏やかで、もうパニック障害の心配は無くなったようでした。

しかしそれは、おそらく鎮静剤が効き始めて朦朧としているからで、良かったような寂しいような複雑な気持ちでした。

2021年11月28日 (日)

「また いじめられた」

2年前の2019年11月28日は木曜日、曇りの日、この日も朝まで母に付き添い夕方再び病室に行きました。

午後4時に行くと、母は右側を下にして丸くなって寝ていました。

この日は室内も寒いのか、珍しくタオルを肩まで掛けていました。

瞼の膨らみは相変わらずの様子で、下にしている右腕もかなりふくれているように見えました。

ただ、その他の部分のむくみはかなり落ちてきたように感じました。

話しかけると起きていたようで「寒い」と言いました。

これまでは寝ていても暑そうにしていることが多く、前夜は氷枕で気持ちよさそうに眠っていましたが、この日は寒いようでした。

計器の数字を見ると、この日の朝とほとんど同じで脈拍が5~60台で、酸素量が95くらいで落ち着いていました。

少し話をしましたが、母は「また いじめられた」と言っていました。

もしかすると、酸素量が90を切ってアラームが鳴った時に痰の吸引をされたのかもしれません。

この日の朝までには力が入ることもほとんど無くなり、酸素量が90を切ることも無くなっていたのですが。

鎮静剤を使い始めて3日目、気持ちは落ち着いてきたようですが、意識はまだしっかりしているように感じました。

2021年11月27日 (土)

最後の付き添い

2年前の2019年11月27日は水曜日、曇りで11℃の寒い日、この日も朝まで母に付き添い姉と交代して一旦帰宅しました。

前夜の母は目を覚ますと苦しいと言って、ベッドの柵を掴んだり、周囲のコードを思いきり引っ張ったりしたことが何度かありました。

そのたびに手を握ってあげたり、水を飲ませてあげたり、うるおいシートで唇を拭いてあげたりしました。

そして、この日は姉と交代して姪が付き添いに来て「ゆっくり来ればいいよ」と私に言ってくれたので、午後8時ごろ母の病室に行きました。

母の様子としては、顔のむくみや腕のむくみは少なくとも良化はしていないように見えました。

最初は左側を下にして寝ていて苦しそうでしたが、右を下に変えると楽になったようで良く眠っていました。

そして、午後11時頃に目を覚ましたので、口の周囲をうるおいシートで拭いてあげると喜んでくれました。

午前1時半頃には利尿剤の点滴を交換するアラームが鳴り、その時に来た看護師さんが氷枕を用意してくれました。

暑くて唇が渇くくらいなので氷枕が気持ち良かったのか、脈拍も60台で安定していてよく眠っていました。

午前2時、4時頃にも唇を拭いてあげると、気持ちよさそうな笑顔が出たような気がしました。

この夜は眠りが浅くなってもそれほど力が入ることもなく、精神的に落ち着いてきたように思いました。

付き添いも4日目になり、私の体力が限界に近づき母も穏やかに眠れるようになってきたので、夜の付き添いはこの日を最後にしました。

2021年11月26日 (金)

「水を飲みたい」

2年前の2019年11月26日は火曜日、曇りで9℃という寒い日、母の付き添いも3日目になりました。

前日から鎮静剤の点滴も始まり、今後どうなっていくのかという不安の中、母の状況はあまり変化がありませんでした。

前日の夕方からこの日の朝までの付き添いでは、パニック障害の症状がずっと続いていました。

母はほとんどの時間ベッドに横になって眠っていましたが、1~2時間ごとに目を覚ますと体に力が入ってしまいました。

ベッドの柵を力強く掴むと「苦しい」と言いながら起きようとします。

その手を握って「大丈夫だよ」と言ってあげるのが付き添いである私たちのほとんど唯一の仕事でした。

この日も夕方に再び行って姉と交代しましたが、むくみの状態などはほとんど変わっていないように見えました。

ただ、瞼の腫れがまた悪化しているように感じましたが、もしかすると寝ながら泣いていたのかもしれません。

鎮静剤もまだ2日目で、精神状態も不安定な様子でした。

この日の夜もまだ目が覚めると、身体の周囲のコードやカテーテルを力一杯握りしめて引きちぎろうとすることが何度かありました。

この夜、午後11時頃「水を飲みたい」というので、とろみのついたお茶が入ったカップを持ってストローで飲ませてあげました。

印象的だったのが、その時に母がお茶を飲んだ力強さで、それは一気に全部飲んでしまいそうな勢いで、その感触は今でも私の手に残っています。

2021年11月25日 (木)

「殺しに来る」

2年前の2019年11月25日は月曜日、曇りの日で、前夜から病室で母に付き添い、午前9時頃姉が来てくれたので帰宅しました。

この日の夜も付き添わなければならないので布団に横になりましたが、眠ることはできずにいろいろと考えてしまいました。

私が見た印象的な母の様子は、目が覚める前に眠りが浅くなると体に力が入って呼吸ができなくなる姿でした。

目が覚めそうになると血圧と呼吸が乱れ、次にベッドの柵を手で力一杯掴み、息が止まって苦しがっていました。

これまで、息を止めると血中の酸素量が減るので器械のアラームが鳴り、看護師さんが痰の吸引をする流れが続いていたのでしょう。

母は「痰の吸引が苦しい」「いじめられている」「殺しに来る」などと言っていましたが、この流れのことだったのだろうと思いました。

代わりに付き添っている姉も同じような状況であることを知らせてくれました。

私が考えたのは、これはパニック障害で過呼吸を起こしているのではないかということでした。

私が母から初めて痰の吸引が苦しいと聞いたのが十日ほど前で、ここ数日、精神的におかしかったのはこれが原因だったのかとも思いました。

夕方、姉と交代のために病院に行き主治医の話を聞くと、心臓が徐々に悪化していて突然死の可能性も高くなっているとのことでした。

状況は理解しましたが、私からはパニック障害の可能性と現状の精神状態では治療も覚束ないのではないかと主治医に伝えました。

結局、鎮静剤を使うということになりましたが、しばらく付き添いを続けなければならず、また新たな局面を迎えました。

2021年11月24日 (水)

「死んだ方がましよ!」

2年前の2019年11月24日は日曜日、雨のち曇りで20℃の日、午前10時50分頃母の病室に行きました。

母はベッドに仰向けになってぐっすり眠っていましたので、一旦帰って夕方もう一度来ることにしました。

心電図や酸素量、血圧の数値は悪化してはいないようでしたが、母の寝顔はまた少しむくみ始めたように見えました。

その後、いつものように午後4時頃に母の病室に行くと、この時も母はベッドでよく眠っていました。

そこに一人の看護師さんが来て、ベッドに柵をつけるため家族の同意が欲しいので書類にサインをして下さい、と言ってきました。

そうこうしているうちに母が目を覚ますと同時に酸素不足のアラームが鳴り始め、突然苦しがり出しました。

大変なことになったと思うと同時に看護師さんが部屋に入って来て、痰の吸引をしました。

母はとても嫌がっていて「あんなことをされるくらいなら、死んだ方がましよ!」と叫んでいました。

私もとてもいたたまれず「それもそうだろうな」と母の言葉に頷きました。

この日は日曜日で、主治医がいないので話をすることはできませんでしたが、この後個室に移動して親族が付き添うことになりました。

この日の夜は私が付き添って、翌日の日中には姉が来てくれることになりました。

私にとっては突然の事態で何が起きたのか不安な中、この夜は病室で過ごすことになり、新たな局面に入りました。

2021年11月23日 (火)

ほったらかし

2年前の2019年11月23日は土曜日、雨で13℃の日、午後4時頃に母の病室に行きました。

母はこの日もベッドの背を立てて座っていて、目を開けて起きていました。

顔のむくみは前日と同程度、また前日の面会時に替えた尿袋には500ミリリットルほど溜まっていて、まずまず出ているようでした。

心電図も元気よく、酸素量は足の指で測っていて96~97くらいで小康状態という感じでした。

ただ、体調に比べて今度は精神面が心配になってきました。

「ずっとほったらかしで、ご飯も食べていない」などと言っていて、不機嫌な様子でした。

前日もそんなことを言っていましたが、看護師さんの話では1~2割程度、お昼に食べていたということでした。

ただ、母が言うには、多くの看護師さんの中には派閥があって、可愛がってくれる人達と反対側の人たちがいるのだと。

その人達が頭を叩いたり、食事を出さなかったりするので食べていないのだということを言っていました。

看護師の派閥については3月の入院時にも言っていたので、そんなこともあるかもしれないなという程度には聞いていました。

体調が一旦持ち直して、いろいろ考える余裕が生まれたということもあるのでしょうが、頭痛の種が増えたような感じもしました。

目や耳の調子は良さそうでしたが、「誰々が死んだ」とか悲観的なことを言い始め、精神面の不安が大きくなってきました。

2021年11月22日 (月)

薬の増量の効果?

2年前の2019年11月22日は金曜日、雨で7℃という寒い日、午後4時頃に母の病室に行きました。

当然前日よりもむくみが進んでいるだろうと不安を抱えながら部屋に入ると、カーテン越しに外された一台の器械が見えました。

カーテンの向こう側に行って母の様子を見ると、ベッドの背を立てて胡坐をかくような姿勢で座っていました。

前日同様に何かとりとめのない話を始めましたが、ひとまず危険な状態ではないことで安心しました。

ただ、やはり施設にいると思っているようで、「誰も来ない」など、ちょっとした文句などを言っていました。

それでも顔を見ると、瞼と首の下のふくらみを除くとスッキリしていて、少し良化したように思いました。

一昨日、先生が話していた薬の増量の効果があったのかな、とも思いました。

話している様子や動きなどを見ていると、前日までよりも目や耳の状態も良化しているようでした。

ラジオで相撲を聴かせると、この日は聞こえているようで「中村?」などと反応していましたが、聴きながら眠ってしまいました。

とにかく、点滴による薬の増量が効いたのか尿量も増えているようで、この日はこれまでよりも体調は良さそうでした。

少し猶予が与えられた感じはしましたが、薬が効かなくなれば透析以外に打つ手がない状況に変わりはありません。

2021年11月21日 (日)

「頭がおかしいでしょ?」

2年前の2019年11月21日は木曜日、晴れて15℃の日、午後4時頃に母の病室に行きました。

このころは毎日母の状態に不安を抱きながらの面会でしたが、この日の母はベッドに仰向けになって目を開けていました。

挨拶をすると「頭がおかしいでしょ?」と話しかけてきたので、誰かと人違いをしているのかと思いました。

「何をするの?」とも聞いてきたので「4時になったから来たよ」と伝えましたが、良く分かっていない様子でした。

そこに現れた看護師さんの話では、午前中から良く分からない感じだったということでした。

とにかく積極的に話してくれますが、施設でのことなど取り留めのない話が多く、精神的な落ち着きがありませんでした。

そして、目は開いていましたが、ものが見えているのかどうか、何か幻を見ているような落ち着きのなさでもありました。

その後、大相撲中継が始まったので聴かせると、しきりにラジオを触ったり、最後にはイヤホンを耳から外していました。

体調の方は、この日は鼻への酸素吸入は取れていて、心電図も前日のように元気で高い脈を表示していました。

そのためか母自身は元気がありましたが、尿の出は良くないようで、顔のむくみも少し増えたように見えました。

この日は、これまでのように体調の悪化を心配するというよりも、精神面が持つのかということが心配になりました。

前日の先生の電話やこの日の状態から、話をするのもこの日が最後になるかもしれないという思いで、1時間半ほど一緒にいました。

2021年11月20日 (土)

自分の手で瞼を開ける

2年前の2019年11月20日は水曜日、晴れて15℃の日、午後4時頃に母の病室に行きました。

いつものように不安を抱えながら入室すると、仰向けで起きていた母は上機嫌でした。

ただ、この日にあったことを一生懸命に話してくれているようですが、今一つ内容がわかりませんでした。

それでも母は一方的に話をしますが、顔や腕がまたむくみ始めたようで、私にはそれがとても気になりました。

その後も、私が曾孫の物まねをすると母は大笑いをするなど、とにかくハイテンションでずっと何かを話し続けていました。

帰りがけに心電図を見るとこちらも元気で、血圧や酸素量も悪くなさそうでしたが、尿量が前日からあまり増えていないようでした。

その上、むくみの影響か瞼が開きにくそうで、この日も母は自分の手で瞼を開けていましたが、見えているのかどうか不明な様子でした。

なぜ母がこんなに元気なのかと不思議に思いながらも、とりあえず安心して帰途につくと、途中で主治医の先生から電話がありました。

内容は、この3日で母の尿量が100ミリリットルほどしか出ていないということでした。

そして、やはり私が感じたように、再びむくみ始めていたようでした。

先生の話では、いろいろな薬を試したがほとんど効かなくなったので、薬を増やしてダメなら点滴を抜くということでした。

腎臓に限界が来て、心臓がどこまでもつかという状況のようで、人工透析を考えているとのことでした。

2021年11月19日 (金)

92歳の誕生日

2年前の2019年11月19日は火曜日、曇りで21℃の日、この日も午後4時頃に母の病室に行きました。

母は左側を下にしてこちらを向いて寝ていましたが、話しかけると起きていたようで目を瞑ったまま話を始めました。

まず、「あちこちが痛い」と言いました。

また、午前中には鼻の中を治療したと言い、その後はほったらかしにされていると不満そうでした。

この日は母の92歳の誕生日なので、私は「ウチに帰ったら寿司を食べて祝杯をあげるよ」と言いました。

母も自分の誕生日だと知っていたようで「昨日から考えていた」と残念そうな表情で答えてくれました。

「退院したら一緒に食べよう」と私が言うと、母は「そうだね」と少し笑ったように見えました。

この日は25分ほど話していましたが、のどや口の周囲が乾くような感じがしながらも一生懸命に話してくれました。

ずっと横になったまま話をしていたので鼻が詰まった感じで声も小さかったですが、意識ははっきりとしていました。

前日と違って寝ていても話をしている最中に酸素量が90を切ることはなく、息苦しさは良化しているようでした。

ただ、心電図の山が小さく、時々不規則な脈を打ちながら脈拍が70から50~100の範囲を行ったり来たりしていました。

この心電図と元気が今一つなことは心配でしたが、苦しそうな話し方ではなかった点は安心して帰れました。

2021年11月18日 (木)

「外に行きたいな~」

2年前の2019年11月18日は月曜日、晴れて21℃の良い天気、午後3時45分頃に母の病院に行きました。

この日は姉が来てくれましたが、前日の状況が心配だったのでこれから行くのが不安だと伝えてから、一緒に病室に行きました。

母はベッドの背を起こしてぐっすりと眠っていました。

なかなか起きないのでその場で姉と話をしていると、10分ほどしてから母は目を覚ましました。

「足が痛い」と母が言うので看護師さんを呼ぶと、点滴をしている足を動かすと痛いようで、点滴の場所を変えてもらいました。

その看護師さんの説明では、横になると酸素が足りなくなってしまうのでベッドを立てているということでした。

ただ、この姿勢で眠るのは難しい上、その姿勢を保つことも大変で、あちこちが痛くなるようでした。

そして看護師さんが言ったように、話をするとアラームが鳴るくらい酸素量がギリギリで、いかにも苦しそうな話し方をしていました。

それでも、翌日が母の誕生日なので姉が持ってきたウサギのぬいぐるみを見て「ありがとう、カワイイ、ぴったりだ」と、嬉しそうでした。

意識は少しボーッとしているような感じもありましたが、会話は普通にできて姉と話して笑ったりもしていました。

また、この日もカーテンが開いていて「外が良い天気なのはわかる」、「外に行きたいな~」と、これも苦しそうな声で言っていました。

最後に私と姉が「また来ます」と言いながら手を握ると、母は「暖かい、ありがとう」と笑顔を見せてくれました。

2021年11月17日 (水)

「晴れていることはわかる」

2年前の2019年11月17日は日曜日、晴れて17℃の日、午後4時頃に母の病室に行きました。

母は横になっていましたが、目は覚めていて「ずっと寝ていて具合が良くない」と言いました。

食事もほとんど食べずに汁物を飲んだ程度だということでした。

私が行った時は、酸素吸入を怠ると数字が87くらいまで下がり、アラームが鳴るという状況でした。

また、時々痰がからむのと数回続けて深呼吸をしていて、本人は無意識のようでしたが『少し苦しいのかな』と思いました。

ただ、酸素量は酸素吸入を着けて普通に呼吸をしていれば90を切ることはないようでした。

心電図も小さな脈が混ざっていましたが、それほどの乱れはありませんでした。

ずっと寝ていた割には意識もはっきりしていて、会話も普通にできました。

この日はカーテンを開けておいてもらったそうで、東向きの窓から空が見えて「晴れていることはわかる」と言っていました。

利尿剤の点滴も一週間が過ぎましたが、顔のむくみがまだ取れていないようにも見えました。

帰り際には相撲中継が始まっていたので、ラジオのイヤホンを耳に入れてあげました。

『今回はこれまでのようには回復しないな』と思い始めた頃でした。

2021年11月16日 (火)

初めての痰の吸引

2年前の2019年11月16日は土曜日、晴れて17℃の日、午後4時頃に母の入院している病院に行きました。

エレベーターの前で施設でお世話になっていた職員さんに出会い、ここまでは回復しつつあることを話しました。

施設では母が入院したころ、同時に5人ほどが入院して人数が減り、寂しくなったと言っていました。

この日の病室での母は、右側を下にして窓の方を向いて寝ていました。

正面の方に回り込むと、母はよく眠っていて鼻に管が入っていませんでしたが、酸素不足を知らせるアラームは鳴りませんでした。

酸素吸入が終わったのかと思いましたが、よく見ると管が外れていただけでした。

母が目を覚ました後に言ったのは「今日はいろいろと検査をした」ということでした。

中でも、痰を取るときに喉の奥まで器具を入れられて死ぬ思いをした、と思い出しながら話してくれました。

ここ数日、痰がからむことが多いからか、もしくは血中酸素が90を切ってアラームが鳴るからか、どうも初めて痰の吸引をされたようでした。

ただ、母自身はこれを検査のためだと思っていたようでしたが、その後これが大きな問題を引き起こすことになってしまいました。

話をしている間にも痰がからむことがあって心配でしたが、母は「お腹が空いた」とも言っていて少し元気になったようにも感じました。

計器の数字や心電図の形もそれほど悪くなく、『本当に回復しつつあるな』と思いながら帰途につきました。

2021年11月15日 (月)

「当分来れないね」

2年前の2019年11月15日は金曜日、晴れて17℃の日、午後4時頃に母の病室に行きました。

部屋に入ると母は横になったまま、こちら側をうつろな目で見ていました。

まだ鼻には酸素吸入をしていて、私に話掛けてくれましたが、聞きとりにくい話し方をしていました。

そして少し苦しいのか、話し出すと酸素不足を知らせるアラームが鳴っていました。

前日から東側の部屋になったので「朝日を見ましたか?」と尋ねると「8時半まで眠っていて起きたら朝食だった」と残念そうでした。

母の話では、いろいろ検査があったり手術をしたりしたが、それ以外はほとんど眠っていたようだ、とのことでした。

確かにまた器械が増えているようでしたが、手術をしたというのはよく分かりませんでした。

この日の心電図は安定していて、血圧は数値は表示されていませんでしたが動きは安定していて、酸素量だけ時々90を切っていました。

確認すると、レントゲンを2回撮って、私が来る少し前に左側が下になるように体位を変えてもらったということでした。

「ラジオが聴こえない」と言うので私が持っていたラジオと交換して、イヤホンを耳に入れて大相撲中継を聴かせてあげました。

また、曾孫の写真を持って行って、ベッドサイドのテーブルに置いてあげると「当分来れないね」と寂しそうに呟いていました。

体調の不安は相変わらずありましたが、窓側のベッドとはいえそろそろ『せん妄』も気になってきました。

2021年11月14日 (日)

4人部屋、東側奥へ移動

2年前の2019年11月14日は木曜日、晴れて22℃の暑い日、午後4時頃に母の病室に行きました。

いつもの個室を覗くと誰もいず、看護師さんに尋ねると母は病室を移動したとのことでした。

4人部屋の奥で東向きの窓に面したベッドに寝ていました。

良く寝ていたのか母は状況がわかっていないようでしたが、移動したことを教えると理解していました。

相変わらず鼻には酸素吸入をしていましたが、昨夜は食事が出たとも言っていました。

それでも、お粥だったから食べなかったそうで、おかずは肉が出てそれは食べたとも言っていました。

ただ、前日までよりもコードだかチューブが増えているようで新しい器械も置いてありました。

むくみは、脚は既に枯れ枝のようでしたが、顔はポチャポチャした感じで上半身にはむくみが残っているように感じました。

また、話をしていても苦しそうな感じはありませんでした。

心配なのは心電図が不安定で、感覚がまばらな上に大きさもまちまちで、母の心電図としては珍しいものでした。

いろいろ話をした中で、「窓が東向きだから朝日が見えるよ」と教えると、とても喜んでいました。

施設の部屋の窓は西向きなので夕焼けを楽しみましたが、本当は朝日を見たかったようで、楽しみができて良かったなと思いました。

2021年11月13日 (土)

「大分むくみが無くなりましたね」

2年前の2019年11月13日は水曜日、曇りで少し肌寒い18℃の日、午後4時頃に母の病室に行きました。

この日母は前日とは反対に左側を下にして横になってよく眠っていました。

何度か挨拶をしながら体を叩くと、「いててて」と言いながら体を動かして目を覚ましました。

変わらず鼻から酸素吸入をしていて、これが動いたり外れたりして気になっているようでした。

また、室内が暑いと言い、私の手に触れて「冷たいね」「手袋をした方がいいよ」と心配してくれました。

続けて「これから会社に行くの?」と尋ねるので「夕方です」と答えると母は笑っていました。

それから、暑いので「水が飲みたい」と言ったら「昨日飲ませてもらっておいしかった」と、吸い飲みが置いてありました。

その他、看護師さんたちに「また来たの」と怒られ「皆知っている人らしい」「私は分からないけど」という話もしてくれました。

この日は先生も現れ「大分むくみが無くなりましたね」と言ってくれたとのことでした。

意識もはっきりしていて、3日前にお墓参りに行ったことも覚えていて「暖かくていい天気だった」と楽しそうに振り返っていました。

会話が普通にできて「顔もスッキリして安心した」と伝えながら手を握り「汗かいてるね」と言うと「暑いわよ」と母は答えていました。

最後に「じゃまた来ます」「ご苦労様でした」とお互いに挨拶をし、順調な回復に安心して帰途につきました。

2021年11月12日 (金)

「昨日の夜は一番苦しかった」

2年前の2019年11月12日は火曜日、晴れて21℃の日、午後4時頃前日入院した母の病室に行きました。

母は右側を下にして壁側を向いてベッドに寝ていました。

眠っている様子でしたので掛けている布団を捲って脚のむくみを見てみました。

入院時から着用していたグレーのレッグウォーマーはそのままで、脚はかなり細くなっているのがわかりました。

その時、母は目を覚ましてこちら側を向きました。

瞼の腫れはまだあり、特に下にして寝ていた右目の瞼はかなりむくんでいました。

それでも話をする声には苦しさは感じられず「昨日の夜は一番苦しかった」と振り返っていました。

おそらくそれは一昨日のことだろうと思いますが、もしかすると昨夜も苦しかったのかもしれませんが。

時間の認識は難しいのでしょうが意識ははっきりしていて、ここまでは順調という感じでした。

まだ鼻から酸素吸入をしていて、利尿剤を点滴していましたが、面会中の心電図や血圧、脈拍は安定していました。

最後に母の手を握ると「冷たい手だね」、「皆さんによろしくね」と言ってくれました。

この日もその後に施設に寄って、母の部屋の片づけをして帰りました。

2021年11月11日 (木)

『一日でこんなになるのか』

2年前の2019年11月11日は月曜日、雨のち曇りで20℃の日、午前10時30分頃施設の看護師長から電話がありました。

母が息苦しさを訴えたため、これから病院で診てもらうということで、私も急いで行くことになりました。

まず施設に行くと、看護師さんが入院が決まったことを教えてくれたので、病院に行くと主治医の先生が診てくれていました。

先生の話では、利尿剤で治療するが心臓が持つかどうかがカギで、こういうことの繰り返しになるということでした。

母の顔を見ると『一日でこんなになるのか』と思うほど、両方の瞼がすっかりむくんでいました。

母はしきりに「苦しい、苦しい」と言っていましたが、話かけるとわかったようで意識はしっかりしていました。

鼻に酸素吸入をしていながら口呼吸をしていたので「鼻で吸ってね」と言うと「誰も教えてくれなかった」と、母は言っていました。

その後、入院手続きを終えて一旦帰宅し、夕方4時45分頃施設から時計やちゃんちゃんこ、バッグなどを持って、再び母の病室に行きました。

母は仰向けで熟睡していて、瞼の腫れはほとんど治まり、脚のむくみも無くシワが目立つほどで、その脚に触れると母は目を開けました。

話をしても息苦しそうな感じはほとんど無く、ここまでは順調に回復しているように思いました。

母もむくみや息苦しさが無くなって安心したようで、最後に「明日、また来るよ」と母の手を握ってから帰りました。

このころの私は、近々母が入院することを覚悟していて、この日の電話もかなりの確率で予測していたので、安心した面もありました。

2021年11月10日 (水)

介護タクシーでお墓参り

2年前の2019年11月10日は日曜日、良く晴れて19℃の日、母とお墓参りをする予定で午前10時20分頃施設に行きました。

お願いしていた介護タクシーが施設の駐車場に既に到着していましたが、母の体調によってはキャンセルもあることは話しておきました。

母はいつもの場所にいて、予想外に元気で「朝から日の出を拝んだ」と言いながら、外出することにも積極的でした。

暖かく無風の好天の中、父の月命日の10日ということもあり、母を乗せた介護タクシーでお墓参りに向かいました。

前日のうちに供えておいた新しい花を見て、母は「きれいだね」と神妙な表情で言ってくれました。

施設に戻ってからは、「暖かくて良かった」ということを何度も繰り返して本当に嬉しそうでした。

大分汗を掻いたようなので、部屋で着替えていると「動悸がする」と、この時は数秒程度でしたが自覚症状が出ました。

「ご飯食べられるかな」と心配そうで、話し声も少し苦しそうに聞こえ、脚のむくみも進んだように感じました。

かなり疲れたようでもあり「夕方また来るよ」と告げて、私は一旦家に帰りました。

夕方4時頃行くと、母は定位置にいて「お昼は完食して、昼寝も熟睡した」と言っていてとても元気でした。

面会室に行き、この日のお墓参りの写真や曾孫の動画を見て、いつものように嬉しそうな表情で楽しんでくれました。

天気にも恵まれて母も大喜びの一日でしたが、動悸が二日続いたことは、これまで以上に危険な状況だと感じました。

2019年11月10日

2021年11月 9日 (火)

「動悸がした」自覚症状

2年前の2019年11月9日は土曜日、良く晴れて18℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの場所で、前日と同様に首を右に傾けて熟睡していました。

挨拶をして起こすと、母は「車椅子を自分で動かして戻ってきたら、動悸がなかなか治まらなかった」と言っていました。

お昼前からそういう感じだったようで、朝食は全部食べたが昼食はかなり残したとのことでした。

脚のむくみを見てみると、それほど変化がないようでしたが、言われてみると顔が少しふっくらしているように思いました。

右足にはぶつけて内出血した部分が大きなあざになっていて、本人も痛いと言っていました。

話を聞いていると息切れする感じはしますが、呼吸そのものが苦しいわけではないということでした。

血圧を3回測ってみましたが、188/85、脈拍は84などでほとんど同じ数値が並び、母としてもかなり高いものでした。

母の話では、じっとしている時に動悸がするわけではないが、何か違和感がある感じだということでした。

「明日、予定しているお墓参りは難しいかな?」と言うと、母も「この感じだと無理かな」と残念そうに言いました。

この日も普通に会話ができて動画を楽しんだり、元気もいつも通りでしたが、前日まで以上に押し出すような苦しそうな話し方になりました。

自覚症状が表れて、翌日のお墓参りどころではない状況になってきました。

2021年11月 8日 (月)

「わぁ、きれいだ。いいじゃない」

2年前の2019年11月8日は金曜日、晴れて20℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの場所で良く眠っていましたが、私が挨拶をしながら「4時だよ」と言うと、母は「もうそんな時間?」と言いながら起きました。

「晴れてるの?」と聞きながら「行きましょう」と、面会室に行くことに自ら積極的に動いてくれて、この日も元気そうでした。

前日の診察もよく覚えていて、その後に入浴してよく眠れたと話してくれました。

面会室では外を見て「夕焼けか、大分赤いですね」「面白いね、ずっと見ていると」「こういうのはいいね」と、穏やかに微笑んでいました。

この日は、たくさん話をしてくれて笑いも出ますが、発声は押し出すような少し息苦しい感じがしました。

本人も「今日は話をしていても何かハァハァするね」と自覚があるようでした。

また、翌々日の日曜日に介護タクシーでお墓参りに行くことを提案すると、母は「いいですね」とかなり乗り気でした。

「車椅子で行かれるの?」「ウチのお墓でしょ?」「どのくらい乗るの?」などと次々に聞いてきて、興味を示してくれました。

ただ体調は、着替えの際の車椅子とベッドとの移動はできましたが、その後の呼吸がいつもよりも明らかに苦しそうでした。

そして、腿上げ20回もできましたが、母は「何かフーフーするね」と少し違和感があるようでした。

それでも、最後に部屋の窓から見える夕焼けを「わぁ、きれいだ。いいじゃない」と嬉しそうに見つめていました。

2021年11月 7日 (日)

「失敗だったの?」

2年前の2019年11月7日は木曜日、晴れて22℃、母の通院の日なので午前11時頃施設に行きました。

母はいつもの場所にいて、「タオル折りをして疲れた」と言い「今日もきれいな日の出を見た」と、元気に報告してくれました。

採血のため一旦病院に行ってから、少し時間が空くので新しく送られてきた曾孫の動画を見せました。

曾孫が母の名前を言えるようになったので送ってくれた動画を見て、母が大喜びをしたので私はその様子を撮りました。

その後、診察の前に食事を済ますことになり、母が食べる昼食を久しぶりに見ました。

私が思っていたよりも多い料理を母はほぼ完食して、「食べ過ぎた」と言っていましたが、食欲はまだ大丈夫なようで安心しました。

病院での診察では、脚のむくみは前日よりも目立っている感じで、声の出し方も少し気になることを先生に伝えました。

また、検査の数値も多少悪化していましたが、先生は次回は二週間後にレントゲンも撮りましょうということでした。

診察後、母は「失敗だったの?」と不安そうな表情で尋ねてきましたが、水分や食事の制限の効果がないのか心配したのだと思います。

私はむくみなどの症状があまり無ければ通院に不安はあまり感じませんでしたが、母にとっては診察はいつも不安だったのだと感じました。

施設に戻り昼寝のためにベッドに横になると、母は少し涙ぐんでいました。

曾孫を見ると涙が出るとか、私の食事が心配だとか、自分は楽ばかりしてこれでいいのかと、うつ状態の頃のように考え込んでいました。

2019年11月7日

2021年11月 6日 (土)

「すごい!真っ赤だ」

2年前の2019年11月6日は水曜日、晴れて22℃の暖かい日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はトイレに入っているところで、買って行ったふりかけを職員さん渡して、その後もしばらく待ちました。

母は「出そうで出なかった」と言いながら、毎日出ているけど今日はまだだと笑っていました。

面会室に行くと、この日も雲一つない快晴で、今にも夕日が沈もうとしていました。

母の背中に日を当てながら、しばらく食事の話などをしました。

母の話によると、ご飯は少なくなったので自分としてはちょうどいいくらいで、ふりかけがおいしいとか牛乳も時々出るということでした。

その後部屋に戻っての着替えでは、日光浴をしていた背中の汗を拭いてあげると「気持ちいい」と、いつものように喜んでくれました。

ベッドに座らせて話をすると、一年前の入院直前の時のように少し息苦しそうな発声に聞こえました。

ただ、脚のむくみは前日並みでそれほど悪化している感じはありませんでした。

その後、タブレットで家の近所で撮った銀杏並木の写真を見せると、母はとても懐かしがってくれました。

最後に、部屋の窓からきれいな夕焼けを見て「すごい!真っ赤だ」と感激しながら見つめていました。

いつものように元気な母でしたが、いよいよ見えない部分のむくみが心配になってきた頃でした。

2021年11月 5日 (金)

「ベランダを散歩した、良かった」

2019年11月5日は火曜日、晴れて19℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの位置にいて、こちらを見ていたので手を振ると私のことが分かったようでした。

西日が入るのでカーテンが閉められていましたが、母は「部屋の中が暑いのでカーディガンも脱ぎたいくらい」と言っていました。

面会室に移動すると、こちらは西日が部屋の中央付近まで入り込んでいたので、背中に夕日を浴びる位置で話をすることにしました。

この日はリハビリがあって、最後には立ち上がる運動までしたことを母は教えてくれました。

また、いつものように外に連れて行ってもらって、ベランダを散歩したとのことでした。

「天気が良いので気持ち良かった」と、このところ外気に触れることが多くなり、母は嬉しそうな笑顔で話してくれました。

それから、リハビリの先生と小さな車椅子の話をしたそうで、帰宅する気持ちもかなり盛り上がってきたようでした。

そして、よく眠れているからか体調も良さそうで、この日も元気で機嫌も良くたくさん喋ってくれました。

ただ、その顔を見ると、むくんできたのか丸く見え、気のせいか声も少し苦しそうな発声をしているように聞こえました。

ベッドへの移動もこれまでより楽ではなさそうで、いつも20回している腿上げも10回で止めておきました。

最後に部屋の窓からきれいな夕焼けを見て、母は感動の声を上げていましたが、私にはむくみの程度がかなり気になりました。

2021年11月 4日 (木)

「いい日の出を見た」

2年前の2019年11月4日は月曜日、晴れて20℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの場所にいて、「朝からお風呂に入った」と言っていて、気分も良さそうに見えました。

散歩に行った疲れもなく、前日は昼も夜もよく眠れたということでした。

この日も少し前まで昼寝をしていて、この時もまたよく眠れたそうでした。

面会室に移動すると、空には雲一つなく夕日が眩しいので、夕日を背にして話をすることにしました。

まず、母はこの日の入浴のことを一生懸命に話してくれました。

それから、昨日はよく眠れたことと今朝は「日の出を見た。いいところを見た」と、教えてくれました。

元気にたくさん喋ってくれましたが、その間しばらく背中に夕日を受けていたので「温かくて気持ちいい」と、笑顔で言いました。

快食、快眠、快便で体調もいいのでしょう、この日は機嫌も良かった母でした。

いつもの腿上げ20回も軽快で、ベッドと車椅子との移動もスムーズにできて「調子よかった」と自賛していました。

ただ、むくみは前日並みでしたが、血圧が187/72と高めに出たのが少し心配になりました。

この日は、一年前の入所当時ほどではないにしても、明るくご機嫌な母が戻ってきた感じがしました。

2021年11月 3日 (水)

「今日の散歩も良かったね」

2年前の2019年11月3日は日曜日、どんよりした曇りで20℃、母を散歩に連れて行くつもりで午前10時30分頃施設に行きました。

母は定位置にいて、「タオル折りをたくさんした」と言い、体調はとても良さそうでした。

曇りで微風だと教えると、母は散歩に前向きで、前週も着たフリースジャケットを羽織って行くことにしました。

外に出ると前回よりもヒンヤリしていましたが、母は「ジャケットのおかげで寒くない」と言いました。

そして施設の向かいの公園の辺りから周囲を一周して戻るころ母は「少し肌寒くなってきた」と言っていました。

散歩から戻ると母は「車椅子に座っているだけで緊張する」とのことで、かなり疲れた様子でした。

そのためか、着替えの途中でじっと動かないでいたり、車椅子とベッドの移動も足取りが今一つしっかりしていませんでした。

また、いつもの腿上げも途中で咳込んだりしたので、この日は18回で終わりにしました。

このころは様々な点で加齢のためか、だんだんと体力が低下しているな、と感じるようになってきました。

それでも「今日も食事はおいしくいただきました」と言ったりしていて、体調の良さは見ていて分かりました。

そして最後に「今日の散歩もよかったね」と嬉しそうな笑顔で言ってくれて、私の方も嬉しくなりました。

2019年11月3日

2021年11月 2日 (火)

「こんな日は外に行きたいね!」

2年前の2019年11月2日は土曜日、晴れて20℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの位置にいて、昼寝から起きたばかりなのか少し寝ぼけ気味のような顔をしていました。

そのまま面会室に行くと、西日が強いために遮光カーテンが閉められていました。

そのカーテンを開けると雲がほとんど無く快晴なのを見て母は「こんな日は外に行きたいね!」と力強く言いました。

このところリハビリ中にベランダに出たり、前の日曜日には散歩をしたので、外出願望が頭をもたげてきたようでした。

「明日の日曜日にまた散歩しようか?」と誘うと「天気次第でね」と、母は笑顔で答えてくれました。

この日は特に何もなく、ずっと寝ていたようだと言っていて、そのために寝ぼけ顔をしていたようでした。

また、日差しが強くカーテンを閉めていても室内が暑いので、早く着替えをして欲しいとのことでした。

頭と背中を強めにゴシゴシ拭いてあげると「気持ちいい」と言い、着替え終わると「サッパリして温かい」と喜んでくれました。

ただ、脚のむくみは良化というよりも、気持ち悪化したように見えました。

また腿上げも20回、相変わらず良く上がっていましたが、最後の何回かは疲れていたようでした。

そして、ベッドから車椅子への移動で足がガクッとなるなど、体力的な衰えも少しずつ出てきたような感じがしました。

2021年11月 1日 (月)

室内用の車椅子

2年前の2019年11月1日は金曜日、晴れて24℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はちょうどトイレに入っているところで、出てくるのを待って面会室に行きました。

面会室の大きな窓から西日が部屋の真ん中あたりまで入ってきていて、雲一つない空が見えました。

母の話では、この日はリハビリと入浴があり、結構忙しく過ごしていたようでした。

リハビリでは、晴天の下でベランダに連れて行ってもらって「風もなく気持ち良かった」と笑顔で振り返っていました。

また、以前母に教えた小回りのきく室内用の車椅子について先生と話をしたと言っていました。

一月前と違って元気を取り戻した母は、ウチに帰ってみることにも積極的になってきていたようでした。

その後しばらく面会室で写真や動画を見て過ごし、再び窓辺に行って日没を一緒に見ました。

この時期の夕日は沈むのが速く、日が陰り始めると富士山の影が現れましたが、母に見えたかどうかは分かりませんでした。

そして、前日の診察で水分制限が再開されたことについては、やはり食事も減っていたそうで「ちょうどいい」と、母は言っていました。

脚のむくみは前日までと変わらないように見え、心身ともに問題なさそうで元気でした。

最後に、朝晩が冷えてきたので気をつけるように言うと、母は笑顔で頷いてくれました。

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