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2021年10月

2021年10月31日 (日)

再び水分制限

2年前の2019年10月31日は木曜日、晴れて23℃の日、この日は通院のため午前10時頃施設に行きました。

母はいつもの場所でおやつのお茶を飲んでいて、お通じも既に2回あったと体調は良さそうに見えました。

予約時間は11時でしたが、一度病院に行き採血とレントゲンを済ませました。

施設で11時まで待って再び病院へ行き、窓辺の暖かい所で待っている間、母は外を見ながら「風が無くて穏やかだね」と言いました。

結局呼ばれたのは12時頃で、前回から精神的に落ち着いていることと、少し前から脚のむくみが出てきたことを先生に話しました。

先生によりますと、心臓が大きくなっていてBNPの値が高くなっているとのことで、水分のことを聞かれました。

その後、先生が施設に電話して、再度水分制限をすることと利尿剤を増やすことになりました。

次回の診察は一週間後ということになり、外からは見えない悪化を先生も感じたのだろうと思いました。

ただ、この日の母はとても元気で、むくみも脚だけに見え、会話もしっかりできていて目も良く見えているようでした。

母はこの十日ほど後に最後の入院をすることになりますが、今でもこの時に入院していればどうだったかな、と考えることがあります。

というのも、食事や水分のことは施設にお任せしなければなりませんので、少し歯がゆいところがありました。

良し悪しはともかく、施設では必ずしも家族の思うような介護をしてもらえないことも多いですから。

2021年10月30日 (土)

「初めてあんなの見た」

2年前の2019年10月30日は水曜日、晴れて23℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母は定位置にいましたが、このころは部屋に西日が入ってさらに暑くなるので、「暑い」と言いながら参ったような表情をしていました。

面会室に移ると、やはり遮光カーテンが閉めてありましたが、開けて外を見ながら話をしました。

この日の朝は凄い霧で、母も見たということで「初めてあんなの見た」と驚いていました。

そして「真っ赤な太陽も見た」と言い、朝の記憶もしっかりしていました。

また、昼食にはうどんが出たことも教えてくれました。

部屋での着替えの際には、やはり暑さでかなり汗をかいているのが分かりましたが、乳液を塗ってもらっているので痒くはないとのことでした。

それから、腕に内出血している箇所がまた現れて、母はそれをかなり気にしていました。

脚のむくみは昨日までと変らない感じに見えましたが、母は「ふくらはぎの辺りに違和感がある」と言いました。

血圧は165/79、脈拍は78、ベッドと車椅子との移動が少し苦しい感じになってきているのが心配でした。

この日の母は着替えをしながらも朝の濃霧のことを話していて「凄かった」と、長い人生でも最も凄い霧を見たようでした。

最後には部屋の窓からきれいな夕焼けが見えて、母は「凄いね」と、こちらは笑顔で喜んでいました。

2019年10月30日

2021年10月29日 (金)

「杖で歩いていたね」

2年前の2019年10月29日は火曜日、雨が降る16℃のやや寒い日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの場所にいて、さすがに寒いようでこの日はちゃんちゃんこを着ていました。

「一日どんよりして時間が分からない」という母を連れて面会室に行って話をすることにしました。

雨降りなので見通しは良くありませんでしたが、一昨日散歩で行った幼稚園を指さして教えてあげました。

母は分かったのか分からなかったのかはっきりしませんでしたが、この日も「散歩は良かった」とあらためて言っていました。

この日はリハビリがあったそうで、おそらく昨日のことも含めてでしょう、先生といろいろな話をしたということでした。

母の話を聞くと、やはり外に興味があるようで、リハビリの時間に外を見て、雨が降る中で無風なんだなと思った、と話していました。

前夜はラジオで何かを聴いたようですが、内容までは覚えていないとも言っていました。

また、10年も前の温泉に行った時の写真を見せると「杖を使って歩いていたね」と、昔の記憶が蘇ったようでした。

ただ、体調の方はやや心配が増えてきて、脚のむくみが前日よりも目立ってきた感じがしました。

血圧も178/80と、このところ高めの数字が出ていました。

相変わらず元気で楽しく話をしてくれましたが、むくみや血圧など少しずつ危険な兆候も表れてきました。

2021年10月28日 (木)

「昨日のお散歩は良かった」

2年前の2019年10月28日は月曜日、良い天気で風もない23℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの位置にいましたが、入浴をしたようでカーディガンを着ないで「今のところ暑い」と言っていました。

そこへリハビリの先生が来て、自宅に戻ることも考えているということを聞いてお話をしたいと言われました。

先生は、歩く練習をして欲しいと言われるかと思って心配になったとのことでした。

こちらからは、これからもできる範囲でやって欲しい旨を伝えると安心してくれたようでした。

この日は着替えはしませんでしたが、母と部屋に行って話をすることにしました。

ちょうど夕焼けが見られるような時間になっていたので、二人で窓の外が見えるような位置に座って話しました。

話の中心は前日の散歩のことで、母は「昨日の散歩は良かった」と、しみじみと振り返るように言ってくれました。

そして、「今日も外を見たら無風のようだから行きたいなと思った」と言い、「腰の痛みも出なくて良かった」とも言っていました。

より元気になって、ウチに帰る意欲も出てきたのか「車椅子がウチに入るかな?」などと心配するようにもなってきました。

ただ、むくみが徐々に目立ってきていて、血圧も185/80と少し高いのが気になりました。

また、腿上げも20回できましたが最後の何回かはキツそうで、体調の方がいつまでもつのかが心配になってきた頃でした。

2021年10月27日 (水)

初めての散歩

2年前の2019年10月27日は日曜日、曇りで23℃の日、この日は散歩に行くつもりで午前10時25分頃施設に行きました。

母はいつもの位置にいて、少し前までタオル折りをしていたとのことで、外出することは忘れていたようでしたが、その気はありそうでした。

職員さんに外出届を渡して一階に降り、母にはフリースジャケットを着せてマスクを着けてあげました。

いよいよ外に出ようとした時に、ちょうど日が出てきて母は「まぶしい」と言いました。

このところリハビリの時間にベランダに出て外気に当たることはあるようでしたが、外出するのは母にとって一年半ぶりくらいのことでした。

施設と通院や入院をしている病院とはドア一つで移動できますから、この建物から外に出るのがまさに一年半ぶりということです。

施設の前の公道に出ると、散歩している小さな犬を見つけて母は「カワイイね」と言いながら思わず手を伸ばしていました。

太陽も顔を出して暖かくなり「気持ちいいね」と、母は喜んでいました。

そして初めての散歩から帰った後、母は「風もなく穏やかで良かった」としみじみと笑顔で言いました。

ただ、車椅子で散歩してみると、意外に施設の周囲の路面があまり良くなく「腰が疲れた」とも言っていました。

「今日はお昼寝したら起きられないかもしれない」と、緊張もあったようで、少し疲れたような表情も見えました。

それでも初めての散歩をとても喜んでくれて、また連れて行ってあげようと思いました。

2021年10月26日 (火)

明日は散歩?

2年前の2019年10月26日は土曜日、晴れて25℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの場所にいて眠っていましたが、挨拶をすると「何もすることが無くて寝てしまった」と言っていました。

「暑い」という母を連れて面会室へ行くと、うっすらと富士山のシルエットが見えていましたが、母にはよく見えなかったようでした。

この日はリハビリがあり、立ち上がって外を見たそうですが、それ以外はまったりと過ごしていたとのことでした。

暇な時間にはラジオでも聴こうかと思ったそうですが、食堂の周辺は電波が良くなく聴こえなかったようでした。

このごろリハビリの時間にベランダに出ていることを聞いていたので、「明日散歩でもしようか?」と尋ねてみました。

母ははっきりとは答えませんでしたが、まんざらでもない感じで「ベランダに出ると気持ちがいい」と言っていました。

また、このごろは自ら車椅子を動かして「自由に移動している」と言い、元気さをアピールしてくれました。

前日は面会に来なかったため一日空きましたが、脚のむくみは相変わらずで、それほど悪化はしていない様子でした。

そして、前日は着替えなかったようで、二日ぶりに背中を拭いてあげると「それが気持ちいい」と笑顔で言いました。

着替えの後に車椅子に戻り西向きの窓から外を見ると、ちょうど真っ赤な夕焼けが見頃で、これは母にもはっきり見えていました。

このところ窓から外を見ることが楽しみになっている母は、久しぶりの見事な夕焼けに歓声を上げて喜んでいました。

2019年10月26日

2021年10月25日 (月)

曾孫の動画ときれいな夕焼け

2年前の2019年10月25日は金曜日、豪雨が降る16℃の寒いくらいの日、この日は施設に面会に行きませんでした。

前日、母に「明日、風雨が強かったら来ないかもしれないよ」と言うと、母は「心配だから来なくていいよ」と言ってくれました。

その言葉に甘えることにしましたが、この秋は風雨が強い日が何度かありました。

そういう日は事前の予報で「明日は来れないかもしれない」と母に伝えて、行かないようにしていました。

10月に入って母は心身ともに元気になっていましたので、この日はあまり心配しないで休めました。

8月頃の母はおそらく塩分不足によるもので、食欲不振や認知の不安定さが表れました。

また、9月には食欲はそこそこ回復したものの精神的に不安定になりました。

そういう時期ですと、一日でも会わないと家にいる方が不安になりますが、このところの母は元気で機嫌も良かったので安心していました。

リハビリでは立ち上がる練習も復活していたようですし、ベランダから外にも連れて行ってもらっていたようでした。

また、ラジオを聴くことも楽しみになっていて、世間のニュースにもついていけるようになっていました。

一年前のような陽気さこそありませんでしたが、いろいろなことに対する興味がまた出てきたように感じました。

特にこのころ楽しみにしていたのが、曾孫の動画ときれいな夕焼けでした。

2021年10月24日 (日)

「乳液できれいになった」

2年前の2019年10月24日は木曜日、曇りで20℃の日、午後4時頃に施設に面会に行きました。

母はいつもの位置にいましたが、その前に頼まれていたワセリンを職員さんに渡しました。

母は腕を見せながら「お風呂上りに乳液を塗ってもらってきれいになった」と言っていました。

また、母は「腕をまくって皆に見せている」とも言っていて、とても嬉しそうな表情をしていました。

曇り空で面会室に行っても日光浴はできませんでしたが、母は「朝は太陽を見た」と喜んでいました。

この日は入浴の時に結構長いこと待たされたようで、そこからいろいろなことを話してくれました。

特にお風呂場でのことのついては特に熱心に説明をしていました。

そのような様子で、この日も母は体調も問題なく穏やかな口調ながらも元気な声でたくさん話をしてくれました。

また、車椅子とベッドとの移動もスムーズで、腿上げも20回楽に上げていました。

ただ、このところ気になっていたのが脚のむくみで、こちらは押してみると少し痛みがあるようでした。

それから、襟のある上着を着ていたからか、首の辺りが苦しい感じと言っていたのが新たな不安になりました。

これまでは元気な母と話ができて帰り道の足取りも軽かったですが、少しずつ不安を抱きながら帰る時期になってきていました。

2021年10月23日 (土)

「きれいな朝日を見た」

2年前の2019年10月23日は水曜日、晴れて24℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの場所にいて、元気そうな様子で「今日はリハビリに行った」と教えてくれました。

この日はとても天気が良かったので、リハビリ室のベランダに出て、周囲を歩いてもらったと言っていました。

「少し風があったかな」と振り返りながら「気持ち良かった」と、笑顔で話してくれました。

母にとっては、久しぶりの日光浴だと思うので、ホッと安心しました。

また、私が「昨日富士山に初冠雪があったらしいよ」と言うと、母は「ラジオで聴いた」と答えました。

このころはラジオをよく聴くようになって、また楽しみが増えたようで、一層元気になってきたように感じました。

着替えの際の車椅子とベッドとの移動は、リハビリの効果もあるのでしょうか、余裕で立ち上がっていました。

ただ、脚のむくみはこのところずっと同じような状況で、少し心配な点ではありました。

それでも、ウチのゼラニウムの写真や曾孫の動画を見てとても喜んでいて、本人は体調に不安はなさそうでした。

最後に「今朝、きれいな朝日を見られて良かった」と、しみじみと呟いていたのが印象的でした。

この日も母は気分良さそうに穏やかな口調でたくさん話をしてくれて、私は安心して帰ることができました。

2021年10月22日 (金)

10月の誕生会、コーヒーを飲む

2年前の2019年10月22日は火曜日、雨のち曇りで18℃、午後4時頃施設に面会に行きました。

母はいつものところにいて、いかにも元気そうに見えました。

「誕生会でコーヒーを飲んだ。おいしかった」と、この日は10月の誕生会があり、お気に入りのコーヒーを飲んでご機嫌でした。

この日の外は曇り空でしたが、面会室の窓際でベランダの植物を見ながら話をすることにしました。

誕生会では10月生まれの人が二人いたとか、とにかくコーヒーがおいしかったことを嬉しそうに話してくれました。

また、しっかりテーブルクロスまで掛けたので、しきりにその折り目を気にしている人がいたことまで報告してくれました。

この日も口調は穏やかでしたが、とても元気にたくさん話をしてくれました。

いつもの腿上げ20回はとても良く上がり、ベッドと車椅子の移動も慣れたものでした。

最後に曾孫の写真と動画を見せると、母はいつものように歓声を上げて喜んでいました。

ただ、このところ気になっていた脚のむくみが、より目立ってきたのか靴下のゴムの上に少し溜まり出したようになっていました。

ここ数日は曇りや雨の日が多く、窓辺での日光浴もできなかったので、早く晴れてくれないかと思ったものでした。

そして振り返ると、母の好きだった誕生会のコーヒーはこの日が最後になってしまいました。

2021年10月21日 (木)

「大きいといいね」

2年前の2019年10月21日は月曜日、曇りで22℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの所にいましたが、少し前に入浴したと言っていました。

曇り空で見晴らしは期待できませんが面会室に行き、大きくプリントした一昨日の曾孫たちとの写真を見せました。

「大きいといいね」と母は言い、一緒に遊んだことを思い出したような笑顔でじっと見つめていました。

「巨人勝ったの?」母は、このころまたラジオを聴く意欲が出てきましたが、前夜はその前に眠ってしまったようでした。

その他の話題としては、施設での入浴の仕方を説明してくれて、「今日は背中にお湯を掛けてもらって気持ちが良かった」と笑顔で話してくれました。

この日も元気にたくさん話をしてくれましたが、「帽子が違う」などと、勘違いかと思うようなこともたびたび言っていました。

それでも便通もあって体調は良さそうで、むくみも前日までと同じくらいに見えました。

血圧を測ると146/67、脈拍は67で、この日の朝に血圧を測りに来た看護師さんも一度だけ測って、そのまま黙って帰ったとのことでした。

最後に新しく送ってくれた曾孫の動画を見せると、いつものように歓声を上げながら笑顔で見ていました。

入浴して、クリームを塗ってもらって気分が良さそうで、とても元気なこの日の母でした。

2021年10月20日 (水)

「腿上げをやっています」

2年前の2019年10月20日は日曜日、曇りで23℃の日、少し早い午後3時30分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの場所にいて「今日は暑いから廊下にいた」と、室内が暑いので涼しいところを探して動いていたようでした。

このところ自分で積極的に行動するようになってきていて、明るさ元気さも取り戻していました。

面会室に行って前日の話をすると、まず孫娘が大変そうだったと心配していました。

また、楽しみにしていた大根の煮物やのり巻きを食べられて良かった、と喜んでいました。

そして、今朝は爪を切って欲しいと言ったら、切ってもらえたとご機嫌な様子でした。

着替えの際に脚を見ると、気になるほどではないにしても、むくみが少しありました。

腿上げ20回は、この日もよく上がりましたが「15~6回目からしんどかった」と母は言っていました。

リハビリの先生に「いつも腿上げをやっています」と伝えると、先生が「いいですね」と言ってくれた、と教えてくれました。

前日のリハビリでは、以前は怖かった手すりを持って立つところに立ってみたと言っていて、リハビリにも意欲的になってきました。

最後に、曾孫が誕生日プレゼントの鉄道模型を気に入ってくれて良かった、と嬉しそうな笑顔で話していました。

このころは再び母が元気さと陽気さを取り戻していたので、この二か月後には亡くなってしまうとは思ってもいませんでした。

2021年10月19日 (火)

鉄道模型で一緒に遊ぶ

2年前の2019年10月19日は土曜日、雨のち曇りの23℃の日、孫娘が曾孫を連れてお昼に来てくれることになっていました。

私は少し遅れて午後1時頃に施設の面会室に行きました。

面会室では昼食は既に終わっていて、母は曾孫と一緒に遊んでいました。

曾孫の2歳の誕生日に母がプレゼントした鉄道模型を持って来て、床に広げて動かしていました。

曾孫たちが来てくれたのは8月以来で、当時の母は食欲があまり無く、元気もイマイチで心配されてしまいました。

それが今回は母の体調もかなり回復して、孫娘の話では母がリクエストした大根の煮物などを、たくさん食べていたということでした。

曾孫たちと一緒に食べて遊んで、母は本当に楽しそうでした。

11月には母は入院をすることになり、結局、彼らと会ったのはこの日が最後になってしまいました。

残念ではありましたが、しばしば「曾孫の顔を見られるとは思わなかった」と言っていた母の楽しそうな笑顔が印象的な日になりました。

2019年10月19日

2021年10月18日 (月)

「明日のお昼が楽しみだ」

2年前の2019年10月18日は金曜日、曇りで20℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの位置にいましたが、左目の上が内出血しているので教えると、本人は「わからない」と言っていました。

明日は曾孫たちが来てくれるので食事の希望を尋ねると「おでんのような煮物がいい」ということでした。

そして「大根やはんぺんが入っていると、なおいいね」とも話していました。

この日も全体に口数も多く元気でしたが、前日書いた習字のことをこの日のことだと思っていて、時間の感覚はイマイチでした。

リハビリもなかったようで、一日まったりと過ごしていたので時間の経過が曖昧なのでしょう。

厚手の肌着を着ていたので少し背中が汗ばんでいて、衣類の選択が難しい時季になったことを感じました。

前日気になった脚のむくみは同じくらいで、右の瞼が少しむくんでいるような感じでした。

血圧は173/80、脈拍が81で、血圧も少し気になるレベルで、相変わらず脈拍は多い状態でした。

それでも、明日来る曾孫の動画を見て盛り上がり、声も大きく出るようになって、とても元気になりました。

最後に「明日のお昼が楽しみだ」と、笑顔で言っていました。

むくみが心配ではありましたが、とりあえず明日は楽しんで欲しいな、と思いました。

2021年10月17日 (日)

脚がむくみ始めた?

2年前の2019年10月17日は木曜日、曇りのち雨の天気の中、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母は定位置にいましたが、襟の無い服を着ていて少し寒そうに見えました。

それでも入浴したからか、元気そうで自ら積極的にいろいろと話をしてくれました。

食事の話ではクリームシチューのようなものが出て、おいしかったと言っていました。

入浴後には便通もあって体調が良いのでしょう、意識もはっきりしていて機嫌も良さそうでした。

日光浴はできませんが、面会室の窓際で話をしていると職員さんが来て、この日に母が書いた「光」という毛筆の作品を見せてくれました。

かなり久しぶりに書いたはずですが、それにしてはうまく書けていて、凧にして作品展に飾るのだと話してくれました。

その後部屋で着替えることにしましたが、脚を見るとレッグウォーマーをしていました。

そのレッグウォーマーを外して触ってみると、久しぶりに少し太くなっているように感じました。

また、靴下を脱がせてみると、くるぶしからつま先の辺りも少しむくんでいるようでした。

それでも、車椅子とベッドとの移動はスムーズで腿上げ20回も良く上がり、声も良く出ているなど、この日の母はとても元気でした。

ただ、これまでなかった脚のむくみが出てきたようで、また心配な状況になってきました。

2021年10月16日 (土)

少し寒くなった日

2年前の2019年10月16日は水曜日、曇りで18℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの場所にいて、この頃よくやっていたようにテーブルに濡れた紙を置いて手を拭いていました。

乾燥する時期になったことで始めたようで、やはり乾燥が関係あるのか話し始めた声も少しかすれ気味でした。

「今朝は少し寒かったね」と話し掛けると、母は「大丈夫だった」と答えてくれました。

この日面会に行く途中で撮影した金木犀の花の写真を見せると、花好きの母はタブレットの画面に近づいて興味深そうに見ていました。

その他の話では、夜中に懐メロを聴いたけれども、曲名までは覚えていないと言っていました。

この日は曇り空で、面会室にいても日光浴はできないので、フロアに戻って着替えをすることにしました。

ベッドへの移動はスムーズで、特に立ち上がってからの姿勢が安定していましたが、本人は「一歩目が出ない」と、不満も口にしていました。

曾孫たちが今度の土曜日に来てくれる予定だと伝えると、「楽しみだね」と言いながら、早くも当日の天気を心配していました。

腿上げ20回も良く上がり体調は良さそうでしたが、血圧を測ると153/69、脈拍が79で、やはり少し脈拍が多いのが気になりました。

着替えをしているうちに、西の空が見事な夕焼けになっていたので見せてあげると、母は大喜びしてくれました。

最後に、冷えと乾燥を心配して「朝晩寒くなってきたので気をつけてね」と言うと、母は「そうですね」と笑顔で返してくれました。

2021年10月15日 (金)

リハビリで「調子が良かった」

2年前の2019年10月15日は火曜日、曇りで22℃、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母は定位置にいて「良く分からない」などと呟いていました。

面会室に行って話をすると少し認知が怪しいのか「今日はお風呂に入った」と、前日の出来事と混同していました。

リハビリに行ったことは確かなようで、「調子が良かった」と言い、腿上げ20回もできたことを報告してくれました。

このところリハビリでは、補助付きながらも立ち上がる運動を毎回のようにしているとのことでした。

そしてこの日は、窓際の横棒を持って立ち上がって外を見たことを嬉しそうに話してくれました。

その効果もあってか、この日も車椅子とベッドとの移動もスムーズで、母もかなり自信があるようでした。

見た目のむくみはほとんど無く、体調の良さは母自身も自覚していました。

ただ、この日も脈拍は76で、やや多めなのが少し心配でした。

それから、食事を残すと注意されることに対してイライラしている感じはこの日は同じでした。

また、食堂では場所取りで喧嘩をする人がいるようで、そのことも気にしているようでした。

一時期よりはかなり穏やかな表情になりましたが、まだ気になることがあると落ち込んでしまう様子でした。

2021年10月14日 (木)

再び弱気に「怖い」

2年前の2019年10月14日は月曜日で体育の日、曇りで時々雨が降る21℃の涼しい日、午後3時55分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの位置にいて、珍しくカーディガンを着ていませんでした。

おそらく入浴時に洗いものと一緒にされたのだと思いますが、この日の母は少し認知が怪しいのか、これからお風呂だと思っていたようでした。

寒くはないというので、そのまま面会室に移動して話をすることにしました。

雨降りなので日光浴はできませんが、ベランダの小松菜が育っているのを見ながら、おやつにゼリーを食べたと教えてくれました。

話をしていると、この日は何かにつけて「怖い」と言い、再び少し弱気になっている感じがしました。

このころは食事制限がなくなって「もっと食べるように言われる」と、しきりに気にしていることもありました。

いろいろなことで周囲が気になって、弱気になっている点もあるようでした。

また、この日の脈拍が81で、ここ数日70台以上が続いていて本人も「ドキドキする」と言っているのが少し心配でした。

それでも食事は朝からおいしく食べたと言い、その他の体調もそれほど問題はなさそうでした。

いつものように腿上げ20回も良く上がって、「元気です」と母は笑顔で言ってくれました。

最後に、少しでも気が休まるように「無理しないでいいから、バランス良く食べてね」と伝えると、母も頷いていました。

2021年10月13日 (水)

「皮かと思った」

2年前の2019年10月13日は日曜日、台風一過で29℃の爽やかな快晴、少し早く午後3時15分頃施設に面会に行きました。

丁度おやつが終わった時間で、母はいつもの場所でお茶を飲んでいるところでした。

面会室から外を見ると、良く晴れていて富士山が山頂部だけ影絵のように見えていました。

前日の台風は夜遅くに最接近したため、母はほとんど気にならなかったようでした。

その前夜はラジオを聴いていたそうですが、おそらく台風情報ばかりだったのでしょう、母はずっと話をしていたと言っていました。

この日も、先日きれいにした襟足の写真を見せると「カットして良かった」と満足そうな感想でした。

また「新しい薬が顆粒で飲みやすくておいしい」ということでしたが、「食事制限がなくなって食べるのが大変だ」とも言っていました。

着替えの際の車椅子とベッドの移動はこの日もスムーズで、腿上げ20回も楽にこなしてくれました。

この日はカラッとした陽気のせいか、珍しく背中に汗をほとんど掻いていませんでした。

いつの頃からか母は腕を握ったりすると内出血しやすくなり、施設ではその部分に透明なシールのような絆創膏を貼ってくれていました。

その絆創膏が少しはがれかけていて、それを見た母は「皮かと思った」と言いながら自分で大笑いしていました。

この日の母は一時期のように声を潜めるようなこともなく、明るい声でたくさん話をしてくれてご機嫌でした。

2021年10月12日 (火)

台風19号で面会自粛

2年前の2019年10月12日は土曜日、天気予報で史上最大級と言われていた台風19号の接近により、面会には行きませんでした。

前日は台風の動きが予報よりも遅くなったために面会に行き、母に「来ちゃいけないと言ったでしょ」と怒られてしまいました。

この日も台風は予想よりも遅れていて、午後4時頃はまだ出かけられそうな天気でした。

ただ、前日に「明日は来ないで」と母に釘を刺されていて、また心配させてもいけないので、施設に行くことは止めておきました。

それは10月に入ってから母の調子が良くなってきたことも大きく、安心できたからでもありました。

8月の母は、おそらく塩分不足から体調不良と食欲不振を起こしてしまいました。

9月は、ふりかけご飯のおかげか食欲は戻りましたが、精神的に落ち込んでしまいました。

そして10月に入ったころから元気を取り戻して、以前ほどではないとしても陽気になってきました。

一時期聴かなくなっていたラジオを聴くようになり、相撲の話題など世の中のことも分かるようになってきていました。

結局、母が施設で暮らすのはあと一か月ほどなのですが、最後の一か月が元気に過ごせて良かったと思います。

2021年10月11日 (月)

「明日は来ないで」

2年前の2019年10月11日は金曜日、曇りで25℃の日、台風が接近しているために少し早めの午後3時30分頃施設に行きました。

母はおやつを食べてからトイレに行き、流しで手を洗っているところでした。

「来ましたよ」と挨拶をすると「来ちゃいけないって言ったでしょ」と、台風を心配していた母が言いました。

私は、台風が予想よりも遅れていたので行きましたが、母は「台風が来るから二日間来るなと言った」と、よく覚えていました。

それだけ母は元気になって来ていて、声はまだ抑え気味でしたが、良く喋る上に笑い声も良く出るようになりました。

意識や認知もしっかりしてきて、会話はほとんど普通にできるようになりました。

前日も見せた、整えた襟足の写真を見せてあげると「いいですね」と納得していて、襟足だけでいいと注文したと話していました。

また、「ずいぶんきれいになるものですね」とか「ずいぶん黒い毛があるね」と自分の後頭部を見て感心していました。

そして、この日もベッドへの移動は余裕でこなしていて、むくみもなく体が軽いと言っていました。

頭を拭くと「すいませんね」とお礼を言ってくれて、背中を拭くと「それがいいんだよね」と喜んでくれました。

「まさかと思ったけど来てくれて良かった」と言っていて、肌着を交換できたことが嬉しそうでした。

最後に「明日は来ないで」と私に言い、相変わらず台風のことを心配していました。

2021年10月10日 (日)

「襟足を見たい」

2年前の2019年10月10日は木曜日、曇りで26℃の日、早朝6時30分頃に施設から電話がありました。

母がベッドの下の床に座っていたとのことでしたが、ケガはなく体調も悪くないというので、いつもの時間に面会に行くことにしました。

午後4時5分頃母のフロアに行くと、母は南側の部屋にいて「鏡を探している」と言いました。

いつもは昼寝をしている時間に美容師さんが来て、髪を切ってもらったので見てみたいのだということでした。

この日は朝一で入浴して午後には髪を切ってサッパリしたので、いかにも気分の良さそうな表情をしていました。

部屋で話をすると、今朝はベッドの足元の方から布団と一緒に落ちたのだと言っていました。

そして、帽子を脱いで写真を撮り襟足の状態を見せてあげると、満足そうな笑顔を見せてくれました。

腿上げ20回はこの日も良く上がり、脚のむくみもなく体調はとても良さそうでした。

ベッドと車椅子の移動も余計な力が抜けていて、とてもスムーズに行えるようになってきました。

前日はラジオで野球を聴いたと言い、また楽しみが増えてきた様子でした。

心身ともに好調になってきて、「アー、良かったわ」という言葉が母の口癖になってきていました。

2019年10月10日

2021年10月 9日 (土)

「皆さん元気で良かった」

2年前の2019年10月9日は水曜日、晴れて25℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの場所にいて、目の前のテーブルに何故かペーパータオルとハンカチを置いていました。

職員さんがこの日も下剤を飲んだことを教えてくれて、その結果出たそうで、それもあってか母は機嫌が良さそうでした。

母のフロアは晴れて西日が入るため既にカーテンが閉められていたので、面会室に行き日に当たることにしました。

面会室のフロアは西日が部屋の中ほどまで射していて、とても眩しくなっていました。

直接日に当たると暑すぎるので陰になったところに座って、話をすることにしました。

この日はお昼に珍しくソバが出たと言い、温かい汁がかかった短いソバだったということでした。

ただ、母はソバはあまり好きではなく、この時もかなり残してしまって、もったいなかったと言っていました。

それでもかなり元気を取り戻してきていて、ベッドへの移動もほぼ一人で右へ5歩動いて勝手に座っていました。

ラジオも良く聴いているようで、自発的にいろいろと考えられるようになってきたようでした。

この日の母は機嫌が良く、これまでより声にも力が増していて、その声でしきりに言っていたのが「皆さん元気で良かった」という言葉でした。

一時期のうつ状態が解消されたのは良かったですが、母は別の意味で夢の中にいるような感じもありました。

2021年10月 8日 (金)

「襟足を切って欲しい」

2年前の2019年10月8日は火曜日、曇りで27℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

いつもの位置に母がいなかったので職員さんに尋ねると、部屋にいると教えてくれました。

部屋に行くと、母はベッドに横たわりながらラジオを聴こうとして、イヤホンを抜いてしまって困っているところでした。

ラジオを聴こうとする気持ちが出てきたことは良かったですが、まだ以前のような調子には戻っていないのかという感じでした。

母の話では、おやつを食べてからすることもなく周囲がうるさいので横になっていたということでした。

また、この日はリハビリもないので退屈だったこともあったようです。

体調については、便秘気味でまた座薬を使ったとのことですが、それ以外は良好なようで安心しました。

ベッドに座っての着替えでは脚のむくみは全くなく、腿上げ20回はこの日も良く上がっていました。

その後の車椅子への移動もまずまずの動きで、立ち上がるのも身軽な感じに見えました。

帰り際に、前日母が「襟足を切って欲しいと言ってある」と言っていたので、職員さんにその旨を尋ねてみました。

すると、その話は伝わっていなかったそうですが、中2か月開いていたので職員さんが予約してくれたということでした。

この日が申し込みの締め切りだったそうで、その職員さんに感謝するばかりでした。

2021年10月 7日 (木)

「朝も富士山を見た」

2年前の2019年10月7日は月曜日、曇りで24℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの位置にいて、入浴をしたようで服装が前日と変わっていましたが、しっかりと起きていて意識もはっきりしているようでした。

いつものように面会室に行こうとすると「朝も行って富士山を見た」と、母は言いました。

面会室とお風呂場は同じフロアにあるので、最近教えた富士山の方向を覚えていて、富士山が見えていたことが分かったのでしょう。

この日は朝から入浴して、「気持ち良かった」と久しぶりに喜んでいました。

これまでは気分が落ち込んでいて、入浴にも不安があったのか今一つサッパリしなかったようでした。

食事や水分の制限がなくなったことで、気持ちの余裕が出たのか、食事がおいしかったと話してくれました。

また、「新しい薬がおいしい」と言っていて「今日は目もパッチリで眠気もない」というので、おそらくよく眠れたのでしょう。

それから、一時期は全く聴かなくなっていたラジオを聴いていて、いつもと違う局になってしまって変え方が分からないと困っていました。

車椅子とベッドとの移動も慣れてきて、ほとんど一人で出来るほど元気さが出てきました。

腿上げも20回良く上がり、「リハビリの先生に、いつもやっていると言った」ということも教えてくれました。

この日も声は小さめで穏やかな感じでしたが、以前とは心身の調子が明らかに違い、かなり元気になってきていました。

2021年10月 6日 (水)

大人のふりかけ「最高だ」

2年前の2019年10月6日は日曜日、曇りで20℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

この日施設では午後2時から4時まで停電するということで、日曜日は早めに行くことも多かったのですが、いつもの時間に行きました。

母は定位置にいて、今まで停電していたことが何かの災害の影響だと思っていたのか「無事に来てくれて良かった」と心配していました。

停電でエアコンがしばらく止まっていたので暑かったとも言っていました。

前日の通院に関して「問題無かったね」と私が言うと、やはり母は結果が不安だったようで「ホッとした」と答えました。

再開した抗うつ薬は溶かして飲んだのか、「おいしいお茶を飲んだ」と言っていました。

また、ふりかけご飯はおいしく食べているというので「大人のふりかけだよ」と教えると「最高だ」と笑顔で喜んでいました。

そして、原因ははっきりしませんが、ここ数日は『うつ状態』よりも『そう状態』が多くなっていて、この日も明るく上機嫌でした。

同時に体力的にも元気になってきたのか、車椅子とベッドとの移動も余裕で行っていました。

いつもの腿上げ20回も、この日は一段と高く上がっていて、母も笑顔で自賛していました。

8月、9月と続いていた体調不良と精神的な落ち込みは消えて、ようやく元気を回復したようでした。

ただ、母に残された時間はあと1か月ほどでした。

2021年10月 5日 (火)

予想外に乗り気

2年前の2019年10月5日は土曜日、晴れて31℃の暑い日、母の通院の日なので午後3時に施設に行きました。

母は定位置にいて、起きたばかりのような表情で、おやつを前に置いたまま食べずにじっとしていました。

まずレントゲン撮影に行くことになっていて、その前にトイレに行った母は「出た、ホッとした」と言っていました。

レントゲンを撮影して一旦病院から戻り、母はおやつを食べました。

ここ数日、母はそれまでのうつ状態から、時々そう状態にもなるような感じで、この日も機嫌が良く元気でした。

いたるところで感謝の言葉を発していて、時には鼻歌も出るくらい陽気で、感情を抑えきれないように感じました。

その後の診察では全体的に良好で、むくみや認知は問題無いとのことでした。

ナトリウムや貧血の値もまずまずで、ただ、クレアチニンという腎臓に関する値が悪化していたのが気になりました。

また、うつ症状については前年の6月の入院時に服用していた薬を再び使うことになりました。

そして、水分不足も心配だということで、今後は水分と食事の制限はなしということも決まりました。

病院からの帰りに、天気の良い日にドライブでも行こうかと誘うと、母の答えは予想外に乗り気でした。

また、馴染みのスーパーに買い物でも、と私が言うと、これまでの否定的な態度とは違って、まんざらでもなさそうな表情をしていました。

2021年10月 4日 (月)

富士山のシルエット

2年前の2019年10月4日は金曜日、雨のち晴れで30℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

翌日は通院の日なので、看護師さんに午後3時に来ることと先生にうつ症状について相談することを伝えました。

母はいつもの場所にいましたが、面会室に行こうと言うと「もう行った」と返答してきました。

ちょっと意味不明でしたが、この日は最近では珍しくラジオを聴いていて、ただ部屋の中央なのでやはり雑音が入るとのことでした。

それでも、うつ症状が出てからは何も自発的にしなかったので、久しぶりにラジオを聴いている姿を見て嬉しく思いました。

面会室に行くと、西日の中に富士山がシルエットとして見えていたので母に教えてあげました。

目が慣れてくると母にも見えてきたようで、数年前に旅行先で見た富士山を覚えていて懐かしがっていました。

窓際で熱心に富士山に見入る母の横顔を見て、すっかりシワが増えて顔全体も小さくなってしまったな、と感じました。

この日も話し方は穏やかで落ち着いた様子でしたが、相変わらず声は小さく元気がなく聞こえました。

ただ、この日はパンを食べたことやラジオで歌を聴いたことなどを教えてくれて、認知もかなりしっかりしていました。

車椅子とベッドとの移動もスムーズで、腿上げ20回も楽にこなして、体力も少しずつ回復している感じもありました。

毎日見ている曾孫の動画には、この日も「カワイイ」と歓声を上げて見てくれました。

2021年10月 3日 (日)

「バイバーイ、元気でね」

2年前の2019年10月3日は木曜日、晴れて29℃の日、午後4時5分頃に施設に面会に行きました。

母のフロアに行くと、母に挨拶をする前に一人の職員さんが話しかけてきて、最近の母の様子について尋ねられました。

私は「うつ病のような感じ」と答えると、その職員さんも「自分も夜勤の前にそのように言われた」と言いました。

ところが、職員さんが夜勤中の母の状態は愛想も良く明るかったとのことですが、その後に泣いていたと聞いた、と言っていました。

このところ感情の起伏が激しくなっているようで、基本的にうつ状態でしたが、時々そう状態も現れるような感じでした。

その後に母に「4時だよ」と言うと「4時じゃないでしょ」との返事とともに「月明かりが見える?」と尋ねてきました。

時間の感覚も今一つのようで「まだお日様があるよ」と教えて、面会室に行き外を見せると「まだこんなに明るいんだ」と驚いていました。

この日も声は小さく穏やかな話し方でしたが、たくさん話してくれて、気分的にはそれほど落ち込んだ感じではありませんでした。

ただ、職員さんも話していましたが、いろいろ考えすぎて話が悪い方に向かってしまうような感じはありました。

それでも、いつものように曾孫の写真と動画を見せると、声を上げて喜び最後には「バイバーイ、元気でね」と笑顔で手を振っていました。

一時期のように落ち込んでいるばかりではなく、会話は普通にでき、状況も大体理解しているようではありました。

ただ、「今朝はおせんべいをパリッと食べた」と言いながら「あれは夢か」と呟いたりして、現実と妄想が混ざっている感じもしました。

2021年10月 2日 (土)

「大きな女の人だ」

2年前の2019年10月2日は水曜日、晴れて30℃の暑い日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの場所にいて、テーブルの上にはおやつとお茶が残っていました。

おやつの途中でリハビリに行ったとのことで、それらを持って面会室に移動して話をすることにしました。

面会室は西日が入って暑いくらいで、テーブル席で日光を背に受けて温まりながら曾孫の動画を見てもらいました。

母が送った誕生日を祝うメッセージに対するお礼の動画です。

その動画が始まるや否や、母はタブレットの画面を触りながらはしゃぎ始めて、曾孫が動いている間ずっと歓声を上げていました。

その姿を見て私は、この日の母は気分的にも明るいのかと思いましたが、話をするうちにいろいろな面が出てきました。

例えば、話しの内容が実際に起きたことなのか、夢などで想像したものなのか今一つ理解しづらい感じでした。

また、移動中のエレベーターに途中から乗って来た女性に対して「大きな女の人だ」と、大きな声で言ったりしました。

逆に突然感謝の言葉を言ったり、涙ぐんだりして気持ちの起伏が激しく、自分で押さえられない感じに見えました。

「待ちましょう、待ちましょう」という歌詞の歌が思い出せないと、とても拘ってもいました。

機嫌が良かったり、突然落ち込んだり、何かに拘ったり、少し元気が出てきましたが、躁うつ病の典型的な症状のようにもなってきました。

2021年10月 1日 (金)

「動画はいいね、面白い」

2年前の2019年10月1日は火曜日、晴れて30℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの場所にいて、会うなり良く喋ってくれて、少し元気が良いのかなと感じました。

「いろんな人が来た」とか「いろいろ大ありだ」などと言っていましたが、今一つ要領を得ない内容でした。

声はいつものように小さめでしたが、落ち着いた話し方で積極的に話してくれました。

また、前日来てくれた以前のケアマネージャーのことを覚えていて、意識もそこそこしっかりしていました。

それでも、「リハビリは行ったような行かないような、その辺は朦朧として定かではない」とも言っていました。

そして突然「それで、明日来るの?」と言い出しましたが、私には何のことだか分かりません。

話を聞いているうちに、曾孫が「また行くね」と言っていたという話の続きだと分かりました。

そこでタブレットで曾孫の動画を見せると「動画はいいね、面白い」と満面の笑顔でじっと見つめていました。

その後の着替えの際のベッドへの移動もスムーズで、お得意の腿上げ20回も楽にこなして「得意だよ」と自慢していました。

最後に私が「今日もありがとう」と言うと、母は「こちらこそ」と何気なく挨拶をしてくれました。

この日の母は声の元気は今一つでしたが、たくさん話をしてくれた上に笑い声も良く出ていて、心身ともに回復してきた感触はありました。

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