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2021年9月

2021年9月30日 (木)

ケアマネと面会

2年前の2019年9月30日は月曜日、晴れて30℃の日、午後3時50分頃にウチで担当してくれていたケアマネージャーが施設に来てくれました。

まず、母が気分的に落ち込んでいること伝え、特に家に戻ることに対して弱気になっていることを説明しました。

その後、母のフロアに行ってケアマネが挨拶をしましたが、母は残念ながら覚えていないと言っていました。

面会室に移ってからもいろいろ話をしてくれましたが、母の話はどうしてもネガティブな方向に行きがちでした。

母も声は小さいながらも頑張って話していましたが、話しているうちに湿っぽくなってくるようでした。

それでもケアマネは母を見て「肌ツヤが良くなったし、むくみも取れてスリムになった」と、励ましてくれました。

結局、帰宅については急がず、母の気持ちを大切にしてゆっくり進めていきましょう、ということになりました。

ケアマネが帰った後は、部屋に移って話をしながら着替えをしました。

この日は曾孫の誕生日なので、母にお祝いのメッセージを送ろうと提案をして、動画を撮ることにしました。

母の声には相変わらず元気がありませんでしたが、それでも頑張ってお祝いの言葉を話してくれました。

最後には「今日はラジオを聴いていない」と言うので、久しぶりにラジオをバッグに入れてあげました。

「ラジオは早くてついていけない」という理由で最近は聴いていなかったはずですので、少しは意欲が出てきたのならいいな、と思いました。

2019年9月30日

2021年9月29日 (水)

「9月はいろいろあった」

2年前の2019年9月29日は日曜日、晴れて28℃の日、午後3時55分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの場所にいましたが、挨拶する前に看護師さんが「今日は泣いてしまいました」と教えてくれました。

母にその理由を尋ねると、いろいろと話してくれましたが、どれも良く分からないものでした。

「便通が悪くて薬を飲んだ」「爪切りをお願いしても放っておかれた」など、いずれにしても落ち込んで寂しがっているのを感じました。

家に帰る話で、私が「明日、前のケアマネが会いに来てくれるよ」と言うと、母の反応はどうも帰りたくないようでした。

そこで、「ここにいれば安心なの?」と聞くと「安心だけど置いて行かれそう」などと言い、不安な気持ちが勝っているようでした。

とにかく「家に帰るのは不安だらけ」と言っていたので、帰宅の話が気分の落ち込みに拍車をかけているように思いました。

体調面では、顔や脚のむくみはほとんど無く、背中や右腕の掻き傷はかなりきれいになっていました。

また、ふりかけご飯のおかげか塩分不足が解消されたようで、認知はかなり良くなってきた感じでした。

ただ、逆にいろいろと考えるようになって、気分が落ち込んで不安が募ったり弱気になっているようでした。

最後に、カレンダーを見せながら「もう明日で9月も終わりだよ」と母に教えてあげました。

すると母は「9月はいろいろあった」と、しみじみと呟いていました。

2021年9月28日 (火)

「リハビリの先生に心配された」

2年前の2019年9月28日は土曜日、晴れて28℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの場所で、前日と同様にこめかみの辺りを押さえながら「しっちゃかめっちゃかだ」と言っていました。

なかなか気分が優れず、意識もはっきりしないようでした。

それでも朝からリハビリに行ったとのことで、前日までよりも少し元気があるように感じました。

この日は家でほうれん草と玉子の油いためを作り、キューイフルーツ、チョコレートも持って行きました。

面会室で母に食べさせると、おやつの後のはずでしたが「おいしい」と言いながら、思った以上に食べてくれました。

こういうことからも、ただ単に食べられないとか食欲が無いということではないのだろうと感じました。

ただ、見た目の元気の無さは明らかで、「リハビリの先生に『元気がない』と心配された」と母自身が話していました。

その後の着替えで、ボタンのあるブラウスを着せてあげると、母はボタンを上手に嵌めていました。

また、腿上げ20回も楽にこなし、車椅子とベッドとの移動の際の足取りも、いつもよりも軽い感じがしました。

このころの母の状態について私は、身体的な落ち込みよりも気分的な落ち込みが気になっていました。

それは、あながち間違いではなかったと思いますが、現実の前ではオロオロするばかりといった状況でした。

2021年9月27日 (月)

「しっちゃかめっちゃか」

2年前の2019年9月27日は金曜日、晴れて27℃の日、午後4時10分頃施設に面会に行きました。

この日は面会前に、母が家にいた当時お世話になっていたケアマネージャーに連絡して、9月30日に母と会ってもらうことになりました。

この日の母はいつもの場所にいましたが、こめかみを抑えるような姿勢をしていて調子が悪そうに見えました。

しきりに「寝ていない」とか「しっちゃかめっちゃか」などと言っていて、意識がしっかりしていないような表情でした。

面会室に移動して日光浴をしながら話をすると「気持ちいい」と言い、その後に曾孫の動画を見ましたが、あまり元気は出ませんでした。

帽子を裏返しで被っていることを教えると「いつものマークが無いなと思っていた」と言っていました。

部屋に戻って、着替えの際の車椅子からベッドへの移動は比較的楽にでき、体調はそれほど悪くはなさそうでした。

ただ、気分的に落ち込んでいる様子で、「爪切りを誰に言おうか気になっている」と細かいことを気にしていました。

また、「トイレに行きたい気もするけど、今頃皆忙しいだろうな」などと妙に遠慮している感じでした。

施設で何があったのか、私が知る由もありませんが、職員さんに対して妙に気を遣っている様子でした。

このころの私は、このような状況から、体調の問題よりも気分的なものが大きいのかなと思っていました。

それで環境を変えるためにも、自宅に戻ることも選択肢の一つとしてどうだろうかと考えていました。

2021年9月26日 (日)

「喜んでくれて嬉しい」

2年前の2019年9月26日は木曜日、晴れて27℃の日、この日は面会に行く前に母の帰宅を考えていることを施設に伝えました。

午後4時10分頃母のフロアに行くと、丁度入浴に行っているところでした。

そこで、面会室に行っておよそ10分ほど待っていると母は現れ「お風呂でヒゲをいじられた」と言いました。

いつからか母の口の脇には一本だけ長くなるヒゲが生えるようになっていて、時々切ってあげていました。

そのヒゲを後で切ってあげることを約束して、この日も曾孫の動画を見せてあげることにしました。

もうすぐ2歳を迎える曾孫に母の名前でプレゼントを贈っていて、その箱を開けるところから動画は始まっていました。

母はその様子を見て「喜んでくれて嬉しい」と笑顔で言っていました。

この日のことでは、「お風呂で荒々しく扱われた」と、少し不満そうに呟いていました。

食事にはすき焼き風のお肉が出たけど、かなり残してしまってその代わりに、ふりかけご飯はたくさん食べたと話していました。

ただ、しきりに「今日は休みだ」とか「3連休だ」などと言っていて、そのあたりの認識がかなり怪しくなっていました。

そのためか一昨日来てくれた姉に対して「明日来るのかね?」と言い、少し認知が不安になりました。

母の頭の中ではいろいろ考えているようで、帰宅を考えていることを伝えたことで、さらに混乱してしまったように感じました。

2021年9月25日 (土)

「お勝手もできないし」

2年前の2019年9月25日は水曜日、晴れて29℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母は相変わらず硬い表情でいろいろと話してくれましたが、もう一つ要領を得ない感じに終始しました。

午前中にはリハビリに行ったようですが、やはりほとんど見学をしていたと言っていました。

他には「爪切って」と言っても「忙しい」と断られたようで、そのような不満を色々と口にしていました。

ただ、前日に姉が来てくれたことは覚えていて、印刷して持って行った集合写真を見せると、とても喜んでくれました。

このころ私は、母を家に連れ帰ることも考え始めていました。

私の悪い癖かもしれませんが、母が現状に不満を漏らすことが多くなってきたので、状況を替えてあげたいと思ったのでした。

現状のトイレでの様子を母に尋ねると、ほとんどお任せで、一人でオムツを脱ぐのは難しいと言っていました。

次に、ウチに帰ったら何をしたいか聞くと「お勝手もできないし」と、弱気の答えをしたので「それは別にして」と言うと「ペン習字」と。

以前、家で鶴を一日五羽ずつ折っていたことを伝えると、思い出したようでした。

最後に、「家に帰ったら何が必要か考えている」と私が言うと、母は「大変だよ」と、不安そうに微妙な反応をしました。

母の心身の調子があまり良くない時に、余計な問題を考えさせることになって、さすがに時期が悪かったと今では思います。

2021年9月24日 (金)

出血で大騒ぎ

2年前の2019年9月24日は火曜日、晴れのち曇りでにわか雨も降る31℃の日、午後3時40分頃施設に面会に行きました。

この日の朝9時ごろに施設から連絡があり、母が右腕から出血したとのことで、いつも以上に心配して会うことになりました。

母はいつもの位置にいましたが、両手で頭を抱えるようなポーズで、いつも以上に元気がなさそうな表情でした。

この日は姉が娘を連れて面会に来てくれたので皆で挨拶をしましたが、母の応答はとても小さな声でした。

その元気の無い母を連れて面会室に移動すると、空が明るくなってきていて、それを見て母も少し元気が出てきたようでした。

母の話を聞いてみると、出血したことで大騒ぎになって、気分的に落ち込んでしまったようでした。

そのためかリハビリも見学することになって、ほとんどずっとリハビリルームの鉢植えの花を見ていたとのことでした。

「この頃はリハビリをあまりやらせてもらえない」と、周囲が心配し過ぎていることにも不満を漏らしていました。

それでも皆で曾孫の動画を見たりしているうちに、母も段々と元気が出てきて、声を上げて笑ったりしていました。

その後、部屋に戻ってから五木ひろしが歌っている写真を見て、「良くなったら、また見に行きたい」と、意欲的なことも言っていました。

「体調は悪くないけど、休みなさいと言われて憂鬱になった」と、この日元気がなかったことを母はこのように説明してくれました。

2019年9月24日

2021年9月23日 (木)

「脚が軽くて歩けそう」

2年前の2019年9月23日は月曜日、晴れて31℃まで上がった日、午後3時55分頃施設に面会に行きました。

前日は意外に元気でしたが、この頃は体調や気分の振れ幅が大きく、いつも不安半分で母に会いに行っていました。

この日の母はいつもの場所にいて、丁度おやつが終わったところで、残った飲み物を持って面会室に移動しました。

お風呂から帰って来て間もない様子で、そのためおやつが少し遅くなったようでした。

窓から見える空には雲が増えてきたので日光浴はできず、母がお茶を飲み干したところで部屋に戻りました。

前回の退院後、2か月が過ぎようとしていましたが、むくみは脚も瞼もほとんど目立ちませんでした。

いつものように腿上げを20回やると、この日もとても良く上がっていました。

母は「むくみがないので脚が軽くて歩けそう」と、前日と同じように意欲的なことを言っていました。

また、「爪切って」と言っても誰も切ってくれないというので、切ってあげましたが深爪を嫌がるので、サッと切ってあげました。

他に気になったのが、ラジオはうるさいといって、聞く気になれないと言っていたことでした。

翌日には姉が来ることを伝えると「嬉しいけど、悪いねぇ」と、ひたすら恐縮していました。

このころとしては普通な感じで、意識もまずますで元気もそこそこというところでした。

2021年9月22日 (水)

「その辺りを歩きたい」

2年前の2019年9月22日は日曜日、晴れのち曇りで27℃の日、少し早めの午後3時30分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの場所にいて、おやつのお茶を半分ほど残していたので、それを持って面会室に移動しました。

外は既にどんよりと曇っていて、日光浴はできませんが窓際で話をすることにしました。

前日に巨人が優勝したことや大相撲が千秋楽であることなどを話しましたが、これまでよりも会話がかみ合ったように感じました。

部屋に戻り着替えでは、頭をゴシゴシ拭いてあげると「気持ちいい」と喜んでくれました。

便通もあり、相変わらずふりかけご飯がおいしいと、体調はかなり良さそうでした。

腿上げを20回やり、むくみもほとんど無く足が軽いので、「その辺りを歩きたい」と、珍しく積極的な発言もありました。

ただ、すぐそのあとには「でも転んだら危ないからね」と、良く分かっている様子でした。

また、前日私が食べたお寿司の写真を見せると「一人で食べたら罰が当たるんじゃないの?」と軽口も出ました。

それから「ラジオで淡谷のり子の曲をやっていた」と教えると、母は『別れのブルース』の一節を唄っていました。

最後に私が「明日はお彼岸の中日だ」と言うと、「お墓行かないといけないけどね」と、母はしんみりとしていました。

話し方がゆっくりで、声が小さめなのはいつも通りでしたが、この日は意識がしっかりしていて反応が良かったのが印象的でした。

2021年9月21日 (火)

「速すぎて追い付けない」

2年前の2019年9月21日は土曜日、25℃の曇りの日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの位置にいて、「今日はリハビリがあった」と話してくれました。

外は曇り空でしたが、面会室に行って話をすることにしました。

べた曇りで日光浴はできませんでしたが、窓際で話をすると母は「暖かい」と言っていました。

リハビリでは腿上げはやったそうですが、それ以外はほとんどリハビリルームの鉢植えを見ていたような口ぶりでした。

母に元気がないからか、このころのリハビリではあまり運動はせず、花を見ている時間が多いようでした。

部屋に戻って着替えでは、この日も背中に掻き傷があり、Tシャツに点々と血が付いていました。

「昨日はラジオの調子が悪かった」と言うので、ラジオをNHKに合わせると「お相撲の中継が速すぎて追い付けない」と母は寂しそうでした。

体調の方は、前日の騒動以来便通はないそうですが、「お腹が空くので良く食べている」ということでした。

ただ、この日も声にはあまり元気がなく、話しのテンポもゆっくりで老化が進んだのかとも感じました。

最後にこの日も曾孫の動画を見せると、いつものように笑顔で見入って喜んでくれました。

話は普通にできますが、声が小さくて元気がなく、全体に年を取ってしまったなぁと感じた一日でした。

2021年9月20日 (月)

親指の爪だけ

2年前の2019年9月20日は金曜日、晴れて27℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの位置にいましたが、ちょうど動き出そうとしていたので訊ねると「トイレに行く」ということでした。

10分ほど部屋で待っていると「出た」と言いながら戻ってきたので、面会室に移動して話をすることにしました。

その移動中のエレベーターで「ウンチが漏れた」と言うので、またトイレに戻ることになりました。

結局その後、部屋で着替えをしながら話をすることにしました。

この日は行事もなく一日まったりと過ごしていたということでした。

朝から便通があり、お腹が空いたので、ふりかけご飯がおいしくてたくさん食べたと話してくれました。

また、おやつも全部食べて、そのためかこの日は機嫌が良い上に声にも少し元気があり、良く喋ってくれました。

ただ、気になったのは、このころは腕や背中を掻いているようで、背中に血が滲んでいたり腕が内出血していました。

タオルで頭をゴシゴシ拭いてあげると「気持ちいい」と喜んでいましたが、痒い所を力を入れて掻いてしまっているようでした。

なるべく身体を傷つけないように、爪を切ってあげようと思いましたが、母が怖がるので親指の爪だけ切りました。

精神的に不安定になっているので、力を入れて自分の体を傷つけているような感じもあり、その点も心配でした。

2021年9月19日 (日)

「こんな子が欲しいね」

2年前の2019年9月19日は木曜日、晴れて27℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母がいつもの場所にいないので職員さんに尋ねると、部屋で横になっているということでした。

ベッドを覗くとすぐに目を開けて、おやつを食べた後に「腰が痛くなるから」と言って、横になっていたとのことでした。

この日は天気も良く日光浴にピッタリでしたが、そのまま部屋で話をすることにしました。

朝から入浴をして、何かしら忙しかったと言っていましたが、どのように忙しかったのか今一つ母の話が理解できませんでした。

この日は、話をしている間に「寒い」と言ったり、少し鼻声だったり、くしゃみもしていたので体調があまり良くない感じでした。

それでも話し声にはいつも以上に力があり、機嫌も良かったような気がしました。

ベッドに座りながらタブレットで曾孫の新しい動画を見せてあげると、「カワイイね。こんな子が欲しいね」と、大喜びしていました。

その他にも、この日の朝撮った富士山の写真を拡大して見せると「何となくわかる」と、笑顔で言ってくれました。

いろいろな話をしているうちに「トイレに行きたい」と言うので、車椅子でトイレに連れて行きながら帰ることにしました。

この日は本人が感じる体調には少し不安があったようですが、声や意識にはいつもよりも元気さを感じました。

このころは、心身ともに日ごとに調子の波の変動があるようでした。

2021年9月18日 (土)

「千葉は広い」

2年前の2019年9月18日は水曜日、雨の降る24℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの場所にいて、今日も便秘の処置をしたと言いましたが、まだ出てはいないとのことでした。

ただ、それほど切羽詰まった感じもないので面会室に行って話をすることにしました。

残念ながら雨降りなので日光浴はできませんでしたが、タブレットでいくつか写真を見せてあげました。

前日の夕焼けをウチのベランダから撮ったものを見せると、昔の記憶が少しよみがえったようでした。

また、台風で千葉県の一部が被害を受けたことを話すと、母は「千葉は広い」と言っていました。

この日は、変ったことは何もなく、座薬を入れたことくらいだとか。

部屋に戻り、着替えの際の車椅子からベッドへの移動は楽にできましたが、背中を見ると掻き傷ができていました。

クリームは塗ってもらっているようですが、どうしても腕や背中を搔いてしまうとのことでした。

その後、腿上げを20回やったりして、少しずつ元気になってきていましたが、相変わらず声は小さくおとなしい感じでした。

便通などの他にも気になっている悩みがあるようで、気分的に落ち込んでいるのような様子でした。

会話は普通にできますし、明るい表情や笑いが時々は出ますが、長続きしないという状態がここ数日続いていました。

2021年9月17日 (金)

「脚は上がるけど歩けない」

2年前の2019年9月17日は火曜日、晴れて31℃の日、午後4時5分に施設に面会に行きました。

母はいつもの場所にいて、「今日は久しぶりにリハビリに行った」と、戻ってきたばかりのようでした。

そして、この日もまた何か便秘の対策をしていて、まだ出てはいないと言っていました。

面会室に日光浴をしに行くと、快晴で西日が眩しいので背中で温もりを感じながら話をすることにしました。

この日は珍しく面会室のテレビが大相撲中継をやっていました。

母は前日の敬老会のことを覚えていて、細かな内容はともかく「楽しかった」と笑顔で言ってくれました。

暫く背中を温めてから着替えのためにフロアに戻りました。

部屋の窓を開けると、母は隙間から手を出して外の風に当てて気持ちよさそうな表情をしていました。

リハビリのおかげか、車椅子とベッドとの移動はとてもスムーズでした。

面会室の日光浴で温めていた背中は少し汗ばんでいて、タオルでゴシゴシ拭いてあげると「気持ちいい」と喜んでいました。

リハビリのあったこの日も、いつものように腿上げを20回やりましたが、いつも以上に調子が良く楽しそうでした。

ただ、「脚は上がるけど歩けない」と寂しそうな表情で呟いていました。

2021年9月16日 (木)

2回目の敬老会

2年前の2019年9月16日は月曜日、雨のち曇りで28℃、この日は敬老会のため午後2時に施設に行きました。

もう皆が着席をしていて、すぐにも始まるところでしたが、母はしっかり起きていて私の一列前にいました。

入所者に100歳を迎えた方がいて表彰されたり、施設の職員さんたちの歌など、昨年と同じ流れでした。

最後に皆で「見上げてごらん夜の星を」を唄って敬老会は終わりました。

昨年は皆で2曲歌って踊って、そのための練習も熱心にやっていましたが、今年はかなり質素になったなという感じでした。

母も昨年は花で飾った冠を被せてもらっていて、終了後は「楽しかった」と笑顔で言っていましたが、今年は特に感想もありませんでした。

敬老会の後は部屋に着替えに行きました。

車椅子とベッドの移動は比較的楽にでき、いつもの腿上げ20回も簡単にこなしていました。

前日に便通があって「楽になった」ということで体調も良さそうで、声にも少し元気が出てきたように感じました。

また、前日のことを覚えていたように、徐々に意識もしっかりしてきたように思いました。

最後に、前日見せた町会からの長寿のお祝いを持って記念撮影をしましたが、笑顔はまだ長続きできないようでした。

食堂に戻ると、皆さんのおやつはほとんど終わっていて、母の前に出されたおやつは紅白饅頭でした。

2019年9月16日

2021年9月15日 (水)

「何にもしてないのにねぇ」

2年前の2019年9月15日は日曜日、晴れて30℃の日、午後4時頃に施設に面会に行きました。

母はちょうどトイレに行っているところで、便通が無いので何か処置をしてもらったということでした。

看護師さんの話では、まだ出口には来ていないとのことで、やはり食べる量が少ないからでしょうか。

ただ、母の話では「食事はおいしくいただいています」というので、それなりに食べる意欲は戻ってきたようです。

「少し温まりますか?」と、日光浴を兼ねて面会室に行って話をすることにしました。

母の服装が変わっていたので尋ねると、敬老会の前日なので代わりに今日入浴をしたということでした。

面会室の窓辺で、町会からいただいた母の長寿のお祝いを見せると、「何にもしてないのにねぇ」と謙遜か卑下かという口調で一言。

この日も話は普通にでき、声も徐々に元気になってきたようでしたが、便意が気になるのか少し気もそぞろという感じでした。

部屋に戻って血圧を測ると、159/63で、母は「血圧が低い」と言いながら「道理で頭も痛くないはずだ」と一人で納得していました。

この日は便通以外の体調は良さそうで、車椅子に座ったまま腿上げを20回、膝も良く上がって楽にこなしていました。

翌日は、前年母が元気に楽しんだ敬老会ですが、今年はあまり練習していないと言っていました。

今年は気分的に落ち込んでいるような感じがあるので、明るく元気に楽しんでくれればいいなと思いました。

2021年9月14日 (火)

どことなく他人行儀

2年前の2019年9月14日は土曜日、曇りで25℃の日、午後4時10分頃施設に面会に行きました。

この日は外も涼しいので、室内のエアコンも止まっているのか少し暑いくらいでしたが、母はいつもの場所で厚手のカーディガンを着ていました。

「あったかい」と母は言っていて日光浴の必要はなさそうでしたが、面会室に行って話をすることにしました。

曇り空を見ながら話を始めると、この日も声に元気はありませんでしたが、意識はかなりはっきりしてきたように感じました。

また、「ふりかけご飯はおいしい」と嬉しそうに言いながら、しっかりと食べているようでした。

この日は特別なことは何もなく、新しく履いた靴について触れてくれた職員さんがいたそうで、履き心地は「いいですよ」と言ってくれました。

外を見ているうちに明るくなってきて、「ここに来ると温まる」と笑顔で言いました。

部屋に戻って着替えの際に背中を見ると汗をかいていたので拭いてあげると「真ん中が気持ちいい」と、喜んでくれました。

その後に頭もゴシゴシ擦ってあげると、「気持ちいい」と言いながらも「力が強いですねぇ」と、どことなく他人行儀な感じでした。

また、「パジャマ洗って来たよ」と言うと、「すみませんね」とこちらも他人行儀な雰囲気で。

最後に「大分調子良くなってきたね」と母に言うと、「そうみたいだね」と、本人も少しずつ回復している自覚があるようでした。

声の元気は今一つでも普通に話ができて笑いも出ますが、感情の起伏が無くどこか落ち込んでいるような感じの母でした。

2021年9月13日 (月)

「良く膝が上がる」

2年前の2019年9月13日は金曜日、曇りで25℃の日、午後4時5分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの場所にいて、目が合うと私を認識しているような表情をしていました。

そのまま面会室に行きましたが、曇り空のため日光浴はできませんでしたが少し話はできました。

前日は面会時に母が熟睡していたので、私がそのまま帰ったことを母は「知っている」と言っていました。

この日も話し声にあまり元気がないのは変わらないですが、普通に話ができる状態で安心しました。

部屋に戻り、着替えの際のベッドへの移動は思っていたよりも楽にできました。

前日の久しぶりの入浴について母は、「最初は怖かったけど、気持ち良かった」と話していました。

また、久しぶりにリハビリ代わりに腿上げを20回やりましたが、「良く膝が上がる」と自賛していました。

それから、近づいた敬老会のための歌の練習をしているようで、気分的には明るくなってきたようにも思いました。

ただ、ベッドに座らせた時に、そのまま横になって寝ようとするなど、まだ意識がおかしい部分が残っていました。

慣れない場所にいるかのように感じている様子もまだありました。

とにかく元気を取り戻してほしい、と思っていた時期でした。

2021年9月12日 (日)

安心して帰れる日

2年前の2019年9月12日は木曜日、晴れて28℃の日、午後4時10分頃施設に母の面会に行きました。

少しずつ食欲も出てきて意識も戻りつつあるので、安心と不安が半々といった気持ちで母のフロアに着きました。

母はいつもの場所には見えず、職員さんに聞くと部屋で寝ているとのことでした。

部屋に行くと、母は夏物の七分袖の上着を着てこちら側を向いてよく眠っていました。

なかなか母の寝顔を見ることもないうえに安らかな寝顔でしたので、写真を撮っておくことにしました。

前週の月曜日以来、久しぶりに入浴をしたので疲れたのでしょう、目覚めそうにないので起さずにそのまま帰ることにしました。

職員さんの話によると、昼食後に入浴をしたために昼寝をする時間がなかったので、おやつを食べてから寝ているとのことでした。

食事に関しては6~8割くらい食べているということで、状態はかなり良くなっているように思いました。

おそらく前日よりもさらに意識もはっきりしているのだろうと勝手に想像しました。

母の寝顔を思い出しながら、不安な点はあえて考えないようにして、安心した気持ちで帰りました。

2019年9月12日

2021年9月11日 (土)

「今日はタオル折りをやりました」

2年前の2019年9月11日は水曜日、晴れて33℃の暑さの中、午後4時10分頃施設に面会に行きました。

母はエアコンが効いた室内で、ちゃんちゃんこを着ないでいつもの場所にいて「寒い」と一言。

暑い中を歩いてきた私の汗まみれの腕を掴ませると「そんなに暑いの?」と驚いていました。

どんよりと曇ってしまったので面会室でも日光浴はできませんでしたが、窓辺で母は「暖かい」と言っていました。

曇り空を見ながら母は「4時頃から降ると言っていたから来ない方がいいと思っていた」と、ラジオで聴いたのか心配してくれました。

前日、病院で頭の検査をしたことは覚えていて、「異常なしだから、ふりかけご飯をしっかり食べてね」と私は母に言いました。

すると母は「なんだかご飯まで変わったようにおいしい」と笑顔で答えてくれました。

また、「今日はタオル折りをやりました」と言いながら、タオルの巻き方まで教えてくれました。

そして近づいた敬老会のために「大きな栗の木の下で」の歌を練習したことも話してくれました。

この日はかなり意識がはっきりしてきた様子で、いろいろ話をして声にも少し元気が出てきたようでした。

やはり検査をして「異常なし」と言われたことが、食欲につながっているのかもしれません。

それでも、まだ悲観的な言葉が出ることもあって、心理的に不安定な状態は続いているようでした。

2021年9月10日 (金)

ナトリウム不足と診断

2年前の2019年9月10日は火曜日、晴れて最高気温が36℃にまで上がった日、脳外科を受診するために午前10時に施設に行きました。

母はいつもの位置で起きていましたが、周囲に折り畳まれたタオルが積んであることを「知らない」と言っていました。

病院から呼ばれて最初の検査がCTで、母は以前に何度か受けたことがあるはずなのですが、この時はかなり怖がっていました。

その後、診察室で結果を聞きましたが、医師の話では脳には異常はないということでした。

その他の血液検査などの結果を見て医師は「ナトリウム不足でしょう」との診断でした。

ナトリウム不足は様々な症状が出るので、慣れない医師だとあまり大事に考えないこともある、などと話してくれました。

施設の看護師さんの話で、施設の食事は普通食でも塩分が3gほどしか取れないということで、ふりかけご飯を始めて5日目になっていました。

まだ効果ははっきりとはしていませんでしたが、母が「おいしい」と言いながら食べてくれていたので、様子を見てみようと思いました。

この日は午後4時10分頃に再び母に会いに行くと、午前中に病院に行ったことはしっかり覚えていました。

意識も少しずつはっきりしてきた感じで、話をしていても時々笑顔が出ることもありました。

まだ声に元気が無く、悲観的な言葉も出ましたが、状況の理解は徐々にできてきているようでした。

ただ、制限していた塩分を取らなければならなくなり、心臓や腎臓には心配な状況になってしまいました。

2021年9月 9日 (木)

入浴を断る電話

2年前の2019年9月9日は月曜日、台風一過で晴れて36℃の日、朝8時半に施設に電話をして母の入浴を止めてもらいました。

同時に前日お願いした頭の検査を念押しすると、午前11時頃に翌日の10時に受診できる旨の連絡をいただきました。

母の面会は、いつもと同じように午後4時10分頃行きましたが、母はちゃんちゃんこを着ていつもの場所にいました。

目が合って手を振ると母は分かったようで、少し笑顔を見せてくれました。

「おやつを食べたところ」と母は言い、「甘いものだった」と付け加えていました。

「ご飯を食べたかどうかは覚えていない」と言いながら、「ふりかけご飯はおいしかった」とも言っていました。

面会室で日光浴をしながら「明日、ケガした頭の様子を病院で調べてもらう」と伝えると、少し怖がっているようでした。

内科的な数値は良化していることを説明しても、母は今一つ納得できない様子でした。

そして、相変わらず時間と場所の感覚が怪しいようで、この日は施設のトイレの使い方が分からなくなっていました。

着替えの際のベッドへの移動は少し安定してきましたが、ラジオを聴くような自発的な行動は意欲が沸かない感じでした。

また、この日の入浴を断る電話を私がしたことは伝わっていて、母も知っていました。

最後に、翌日の午前中に来ることを伝えておきましたが、母がそれを覚えていることはなさそうだと思いました。

2021年9月 8日 (水)

脳の検査のお願い

2年前の2019年9月8日は日曜日、晴れて33℃の日、台風が接近しているため少し早い午後2時45分頃、施設に行きました。

ちょうどおやつの準備をしている時間で、母はいつもの場所にいましたが、おやつまで面会室で日光浴をすることにしました。

暫く面会室の窓辺にいると、母が「暖かくなった」と言うので、おやつを食べにフロアに戻りました。

この日も話をする声に元気が無く、感情の起伏が無いような表情をしていて「ご飯を食べたかどうか覚えていない」と言っていました。

便通は「いっぱい出た」とか「今日のおやつはおいしかった」など、はっきり覚えていることもありました。

「最後に先生が手を振ってくれたね」と、前日の病院でのことを私が言うと、母は覚えているのか笑っていました。

また、曾孫の動画を見せると「カワイイね」と笑顔で言ってくれました。

会話は普通にできますが小さな声で話し、記憶が怪しいというのは数日前から変わりありませんでした。

このような症状が気になってネットで調べてみると、一つの病名が目を引きました。

それは『慢性硬膜下血腫』というものですが、このころの母の状況がこの病気の代表的な症状と良く似ていたからです。

7月の入院時に母がベッドに頭をぶつけて瘤を作ったことがあり、ケガから4~6週間という発症の時期もピッタリでした。

そのため、施設に脳外科の受診を希望する手紙を書きました。

2021年9月 7日 (火)

「3時半って、昼の?」

2年前の2019年9月7日は土曜日、晴れて33℃、この日は元々通院予定の日で午後3時ごろに施設に行きました。

病院の予約時間が3時半ということで、母はおやつを食べていたので、私は部屋で待つことにしました。

その後、母はトイレに寄ってから部屋に笑顔で現れましたが、少し顔の血色が良くなっているように感じました。

ただ、「3時半って、昼の?」と訊いてきたように、場所と時間の感覚はこの日も戻っていないようでした。

結局診察は4時頃まで待たされましたが、この日の母はボーッとした感じはなく、ずっとしっかり起きていました。

そして「先生の声が小さい」と不満を口にしていました。

検査の結果は、ほとんど前回と変わりなく先生は「新しい薬が効いている」と言っていました。

ただ母自身は「体調が良くないのに問題無いわけがない」と、納得がいかない様子でした。

施設に戻って着替えの際のベッドへの移動は、動き自体は大変そうでも意外と足取りは軽い感じがしました。

「明日からお相撲が始まるよ」と教えても、このころの母は相撲や野球の話題にも、あまり乗り気になることはありませんでした。

それでも笑顔が出たり、顔色などの外見では母の体調は少し良化しているように見えました。

ただ、声が小さく元気がないのは変わりが無く、場所や時間の感覚が戻っていないことなどは相変わらず心配でした。

2021年9月 6日 (月)

「顔馴染みですか?」

2年前の2019年9月6日は金曜日、晴れて33℃、午後4時5分頃に施設に面会に行くと母はいつもの場所にいました。

居眠りはしていないで起きていましたが、やはり状況が把握できていないような表情をしていました。

職員さんによると、ふりかけご飯で5割ほど、おかずは2割ほどは食べていたとのことでした。

面会室に移動して、いつものように日光浴をしながら話をすると、母は「ふりかけご飯がおいしかった」と言いました。

半分しか食べなかったことに関しては「あれくらいでいい」と、食欲はまだ今一つのようでした。

それよりも気になったのが、時間と場所をはっきり認識できていないことでした。

前日の夕方もベッドで横になりながら「ここ、どこ?」と言っていました。

病院にストレッチャーで行ったこともあって、入院したのだと勘違いしているのかと思いましたが、施設の記憶も薄れているようです。

部屋で話をしていると、同室の入所者が現れて私と話をした後、母が「顔馴染みですか?」と訊いてきたのには驚きました。

母が入所以来ずっと同じ部屋で過ごしている人ですから、知らないはずはありません。

それでも、曾孫の写真を見せて先日一緒に遊んだことを説明すると「のり巻き食べて、おいしかった」と、その時のことを思い出しました。

心配は尽きませんでしたが、少しずつ食べられるようになってきたようなので、元気を取り戻せるといいなと思いました。

2021年9月 5日 (日)

食事制限から「ふりかけ」へ

2年前の2019年9月5日は木曜日、朝8時50分頃に施設から電話があり、母が前日の夜とこの日の朝の食事を食べなかったと。

加えて血圧が低く脈拍も40台で病院で診てもらうというので、私も仕事を早めに切り上げて病院に行くことになりました。

午前11時頃に病院に行くと、主治医が血液検査とレントゲンでは特に悪化はしていないと言っていました。

先生と話をして、本人が嫌がっていたお粥から「食事制限を外して様子を見てみましょう」ということになりました。

そこで施設に行って看護師さんに相談をすると「ご飯にふりかけを使ってみましょうか?」と言われました。

そして、この日の昼食は母と一緒にいつもの面会室で食べることになり、コンビニで納豆巻きや五目稲荷などを買ってきました。

母は「おいしい」と言いながらたくさん食べてくれて、デザートのみかんもしっかり平らげていました。

その状況を見ても、全くものが食べられないわけではなく、時々元気が出なかったり、食欲が無かったりするような感じでした。

一旦ウチに帰り、途中でふりかけを買って午後4時10分頃、いつものように洗濯物を持って再び施設に面会に行きました。

母はおやつを食べてから寝ていましたが、新しいブラウスを着せてあげるととても喜んでくれたので写真を撮りました。

食事のメニューが変わることは母もわかっていたようで、食欲が戻って元気を取り戻してくれるといいなと思いました。

2019年9月5日

2021年9月 4日 (土)

肩パッドが合わない

2年前の2019年9月4日は水曜日、この日は午後4時5分頃、施設に母の面会に行きました。

前日、少し様子がおかしかったこともあって心配しながら母を見ると、いつもの位置で居眠りをしていました。

そして、母のズボンの上にはゼリーのかけらのような物がいくつか落ちていました。

やはり、意識がぼんやりしているのかなと思っていると、職員さんが食事は以前よりも食べていると教えてくれました。

その後面会室に行き、曇り空の窓辺でチョコレートを食べ、タブレットに入れて持って行った花の写真を見せてあげました。

花好きの母は、ウチのお墓がある霊園の藤の花が満開の時の写真を見て、とても喜んでくれました。

この日の母の様子は、どことなく元気がないけれども、会話は普通にできているという感じでした。

特に行事の無い日だったので、母はほとんどずっとテーブルに突っ伏して寝ていたようでした。

着替えの際のベッドへの移動の足取りは軽く見えましたが、母は少し怖いようで「気を遣うね」と言っていました。

そして前日と同じように、カーディガンの肩パッドを自分の肩に合わせることができず、ズレたままで着ていました。

それでもリハビリの代わりに、車椅子に座ったまま腿上げをやってみると10回軽くこなし「結構上がる」と自画自賛していました。

食欲は戻りつつあるようでしたが、認知の問題なのか寝ぼけ気味なのか不安を感じながら帰り道につきました。

2021年9月 3日 (金)

「なに、花の絵?」

2年前の2019年9月3日は火曜日、29℃の曇りの日、午後4時10分頃に施設に面会に行きました。

母はいつもの位置にいて居眠りをしていましたが、挨拶をしてもなかなか気づかず、かなり深く眠っていたようでした。

いつものように面会室に移動して話をすると、まず「お昼にパンが出たけど自分は食べなかった」と言いました。

また、何か工作をしたようで「画用紙に丸を描いた」と教えてくれました。

朝からリハビリがあり、軽いメニューでしたが問題なかったとのことで、体調は順調だと母は言っていました。

着替えの際のベッドへの移動は、リハビリのおかげか足取りが軽いように感じました。

右の腕と首筋にかなり激しく掻いたような跡があって、おそらく寝ながら掻いたものと思われます。

やはり室内が暑く感じられる時があるようで、タオルで頭をゴシゴシ擦ると「気持ちいい」と、喜んでくれました。

この日も安心して帰れるかなと思いましたが、カーディガンを着るときになって母の様子が少しおかしくなってきました。

ボタンや肩パッドの位置をうまく合わせられず、そして眠たくなってきたのか動作がゆっくりになってきました。

その後、タンスを見て「なに、花の絵?」と、少し認知が怪しくなったようなことを言い始めました。

この日の最後は、このころよく話していた「何となくボーッとする」という状態になってしまったようでした。

2021年9月 2日 (木)

ウチのゼラニウムの写真

2年前の2019年9月2日は月曜日、晴れて31℃の中、午後4時5分頃に施設に面会に行きました。

エアコンが効いた室内で、母はいつもの場所にいて挨拶をすると「寒い」と、言いました。

いつものように面会室に行き、日光浴をしながら話をしようとした時、母が昼食をほぼ完食したことを職員さんが教えてくれました。

また、3日間便秘をしていたため座薬を使って出た、という嬉しい報告もありました。

その後面会室に移り、窓辺でこの頃お気に入りのチョコレートを食べて「おいしい」と、この日も母は喜んでくれました。

話を聞くと、朝から入浴をして「クリームを塗ってもらってスベスベだ」と笑顔で自慢をしていました。

また、面会室のベランダにあるゼラニウムの鉢植えを見ながら、いろいろな話ができて、この日の母は全体にしっかりしていました。

それから、タブレットでウチの鉢植えのゼラニウムの写真を見せると、少し思い出したようで懐かしそうな様子で見ていました。

この日は入浴して、さっぱりしたこともあってか、母は元気があって機嫌も良く、声にもいつもよりも力がありました。

ただ、車椅子からベッドへの移動は息切れをしていて、体力的にはかなり難しい状態なのだと感じました。

それでも、この日のように母が元気で、ほとんど不安な点が無いというのは嬉しいものでした。

2019年9月2日

2021年9月 1日 (水)

「暖かいところへ行こう」

2年前の2019年9月1日は日曜日、晴れて33℃の暑い日、午後4時頃に施設に面会に行きました。

エアコンが効いていて寒そうな室内で、母はちゃんちゃんこを着ていつもの場所にいました。

「暖かいところへ行こう」ということで、面会室で日光浴をしながら話をすることになりました。

ただ、この日は日曜日で、一日まったりと過ごしていたようなので、少し元気が無いように感じました。

昼寝をしてから、おやつにあんこの入ったものを食べて甘かった、と話してくれました。

それでも、最近恒例になっているチョコレートは「おいしい」と言いながら食べてくれました。

窓辺でしばらく日に当たりながら話をすると、「温まった」と母は穏やかな表情で呟いていました。

面会室のベランダに咲くゼラニウムの花や、その他の鉢植えを見ながら二人で静かに話をしました。

この日の母は全体的に眠そうなボーっとした感じで、話がかみ合わないところもありましたが、それなりに楽しい時間でした。

着替えの際のベッドへの移動はこの日も少してこずりましたが、体調はそれほど悪くはなさそうでした。

体力的にも精神的にも今一つ元気がないのが気になりましたが、話をしているうちに笑顔も出てくるようになりました。

「日光浴して、着替えして温まった」と、この日も満足そうな表情が見られました。

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