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2021年7月

2021年7月31日 (土)

「隣の人は3度ともパンだ」

2年前の2019年7月31日は水曜日、晴れて34℃の暑い日、この日も午後4時10分頃母の施設に面会に行きました。

ものすごく暑い外から室内に入ると、涼しく感じられる部屋のいつもの場所に母はいました。

母を連れて9階の面会室に行き、いろいろと話をすることにしました。

母は朝食後には便通もあって「今日の体調はいいよ」と言っていましたが、朝の血圧は高かったということでした。

血圧を測った看護師さんに「気分はどう?」と言われたそうで、母は少し気にしている様子でした。

午前中にはタオル折りをしたこと、隣の人の食事が3度ともパンだ、ということなどを話してくれました。

また、新しく入所した人がいて、その人には息子さんが面会に来て、夜勤明けで来たようだということまで教えてくれました。

そんな母の姿は、その日にあったことを一生懸命思い出しながら話してくれているように見えました。

ただ、気になったのは、話し声が小さく少し元気がないような様子に見えたことでした。

入院前の6月頃からそれまでとは異なり、施設の不満を言ったり、イライラしたような態度が始まったように感じていました。

食事も病院の方が美味しいと言っていたので、この先の施設での生活も少し心配だな、と思いました。

それでも、着替えをしたり話をしているうちに声にも元気が出てきたので、少しホッとして帰ることができました。

2021年7月30日 (金)

座る生活で脚にむくみ

2年前の2019年7月30日は火曜日、晴れて暑い日、母が退院した翌日、以前のように午後4時10分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの場所にはいませんでしたが、職員さんが部屋で寝ていることを教えてくれました。

部屋に行くと、こちら側を向いてベッドに横になっていましたが、ラジオを聴いているようで目を開けていました。

挨拶をすると話し始めたのが、朝の血圧が高く、少しフラフラする感じだったということでした。

それでも午前中にリハビリに呼ばれて、久しぶりのリハビリは普通にできたと言い、安心させてくれました。

そのリハビリから戻ってタオル折りをして、お昼を食べてから昼寝をしたとのことでした。

そして先ほどおやつを食べて再び横になっていたのだと、話し始めると時間の流れを追いながら、熱心に話してくれました。

その後、久しぶりに着替えをすると、前日まで枯木のように細かった脚が既に少し太くむくみ始めていました。

座っている時間が長くなると下半身はむくみますが、声には苦しそうな感じもなく地声がしっかり出ていました。

便通もあったということで、寝起き以外は体調も良かったようで、退院初日は話をしているうちにどんどん元気も出てきました。

最後に前日送ってもらった曾孫の動画をスマホで見せると、「かわいい」と言いながら笑顔で見入っていました。

母がとても喜んでいた様子を見て、もっと大きな画面で見せてあげたいと思いました。

2021年7月29日 (木)

退院して緊張気味

2年前の2019年7月29日は月曜日、33℃になる晴れた日、母の退院のため午前9時過ぎに病院に行きました。

母はまだパジャマで、その上にちゃんちゃんこを着てベッドに寝ていました。

顔色も良く体調も良さそうで、朝は食堂で食べてトイレに行って、ひとまず休んでいたということでした。

その後、午前10時半頃に一人の看護師さんが付いてきてくれて隣の施設に移動しました。

母は前と同じ部屋の同じベッドを使うことになりました。

私は手続きなどを済ませて一度帰宅して、いつものように午後4時5分頃に施設に面会に行きました。

すると母は以前の定位置にしっかりと座っていました。

話を聞くと「トイレから自分で車椅子を動かして戻って来た」と、元気なことを強調していました。

この日の朝まで病院にいて、ほとんどベッドの上の生活でしたから、本人もどこまで出来るか心配だったのだと思います。

久しぶりに9階の面会室に行き外の景色を見ながら話をしましたが、少し緊張しているのか、硬い感じの表情の写真になりました。

部屋に戻ると、同室の人が熱烈に歓迎をしてくれたので、母は感激で少し涙ぐんでいるように見えました。

2019年7月29日

2021年7月28日 (水)

むくみの無い脚の写真

2年前の2019年7月28日は日曜日、晴れて32℃の暑い中、この日は午後3時10分頃母の病室に行きました。

母のベッドは空でラジオも置いてあったので、トイレだろうと思い、広間の方で待つことにしました。

高校野球のテレビ中継を見ていると、看護師さんと一緒に母がトイレから出てきて「出なかった」とのことでした。

そのまま部屋に戻って、母をベッドに座らせて、しばらく話をしました。

日曜日なので、病院もまったりとしているようで看護師さんに「トイレに行ってみる?」と訊かれたので行ってみたということでした。

ここ2~3日は車椅子でトイレに行っていますが、立ち上がるとおしっこが出てしまうと、悩んでいました。

暫くカテーテルを入れてベッドで寝ていたので、退院後は筋力の強化も必要になりそうでした。

この日もたくさん話をしてくれましたが、声は以前ほど大きくはありませんが、むくみが無くなって地声で話している感じがしました。

むくみ始めると、押し出すような苦しそうな発声の仕方になるのですが、今は楽に話せているように聞こえました。

また、いつものチェックポイントである脚のむくみは、入院早々に無くなって既に枯木のような細さになっていました。

翌日の退院を記念して、この日の脚の写真を撮っておきました。

2019年7月28日

2021年7月27日 (火)

細くてばあさんみたいな体

2年前の2019年7月27日は土曜日、晴れて暑い中、午後4時5分頃に母の病室に行きました。

母は入り口側を向くような感じで右側を下にして横になっていて、目を開けたままラジオを聴いていました。

「お風呂に入って、パジャマも替えた」と、母は確かにサッパリした笑顔で話してくれました。

前日まで着けていたいくつかの計器のコードも全て無く、こちらもスッキリしていて気分良くラジオを聴いていたようでした。

今回の入院中はずっと元気そうな様子の母でしたが、見た目にももはや病人ではない、という感じになっていました。

そして「病院の浴室には大きな鏡があって、自分の体を見た」と話し始めました。

「細くてばあさんみたいな体で、シワだらけだ」と言いながら母は自分で大笑いしていました。

また、テーブルの上には、『土用の丑の日は「う」の付くものを食べよう』と書いてある紙が置いてありました。

「ウナギが出たの?」と私が訊くと、母は「うどんだった」と苦笑いでした。

それでも、この日も車椅子でトイレに行って便通もあったと、嬉しそうに話していました。

そのトイレからの帰りは自分で車椅子を動かして戻って来たと、満足そうな笑顔を見せてくれました。

話し声も元気で顔色も良く、翌々日の退院に向けて準備もできたという感じの母でした。

2019年7月27日

2021年7月26日 (月)

思いがけない嬉しい面会者

2年前の2019年7月26日は金曜日、晴れて33℃になる暑い日、午後4時10分頃母の病室に行きました。

前日と同じように左側を下にして、壁側を向いて横になっていました。

ただ、眠っていたわけではないようで、挨拶をするとすぐに母は話を始めました。

「今さっきまで看護師さんがいた」と笑顔で報告してくれました。

今回、母が入院していたのは6階で、前年からこの年までの入院のうち3度は7階でした。

「久しぶり」と言いながら7階でお世話になった看護師さんが二人、来てくれたということでした。

その中の一人は、前の入院で母のちゃんちゃんこに名前とウサギの刺繍をしてくれた人だそうです。

母は「顔も名前も良く分からない」と言いながらご機嫌で、看護師さんたちといろいろ話ができて楽しかったようでした。

また、この日の朝は良い天気で、病室の窓からも青空が良く見え、雲の流れが早かったので風が強いのだろうと思った、と言っていました。

この日は車椅子でトイレに2回行ったそうで、体調に問題は無く元気な声でたくさん話をしてくれました。

前夜はラジオをよく聴いたということで、野球の結果を知っていて、近づいている台風の情報も知っていました。

思いがけず楽しい面会者が来てくれて嬉しかったのでしょう、この日の母は終始屈託のない笑顔という感じでした。

2021年7月25日 (日)

退院に向けて順調

2年前の2019年7月25日は木曜日、晴れて32℃になる暑い日、午後4時10分頃に母の病室に面会に行きました。

母は左側を下にして壁側を向いて寝ていました。

エアコンの風が涼しいからか、タオルケットと布団をお腹にまで掛けていました。

肩をトントンと叩くと目を覚ましてくれましたが、よく眠っていたようでした。

話を聞くと、車椅子でトイレに行くと便通もあって、気分良く眠っていたとのことでした。

それを聞いて母のお腹を触ってみると、柔らかくなっていてペチャンコにへこんでいました。

これまで施設でズボンがきつく感じられ、お腹を押すと固い感じがしたのは、大部分がむくみだったのかもしれません。

頭頂部の瘤はまだ小さく残っていましたが、顔の内出血は治まり、左目の赤みも無くなっていました。

トイレに行くときは、ちゃんちゃんこを着て行くと快適で気分が良かったようでした。

また、心電図や脈拍も安定していて、血中酸素濃度も問題なさそうで、体調はとても良さそうに感じられました。

昨日は久しぶりに晴れたので、窓の外に夕焼けのようなものが見えて、きれいだったと笑顔で話してくれました。

この日の母は少し抑え気味な話し方でしたが、体調に問題は無く退院に向けて順調なように思いました。

2021年7月24日 (土)

「来週の月曜日には退院だよ」

2年前の2019年7月24日は水曜日、この日の朝、施設の看護師長から電話があり、母の退院が29日に決まったとのことでした。

この日も午後4時10分頃に母の病室に面会に行くと、ラジオのイヤホンを耳に入れて左側を下にして眠っていました。

肩を叩くと母は目を覚ましましたが、退院に関してはまだ聞いていないとのことでした。

昨日ぶつけた頭のてっぺんは赤く小さな瘤が残っていて、左目も少し赤いように見えましたが、母はもう痛くはないと言っていました。

この日は病室にレントゲンを撮りに来て、それ以外は何もなく寝ていたと話していました。

「来週の月曜日には退院だよ」と伝えると「知らなかった」と母は言いました。

その後看護師さんと主治医が続いて退院について話をしてくれました。

母は退院が決まったことを聞いて施設での生活を考えたのか、少し不安そうな様子に見えました。

確かに6月頃の母は、施設の食事について不満を言ったり、他の入所者に対して嫌がっているようなところがありました。

今回の入院中は、それを忘れたようにすっかりくつろいで笑顔が絶えなかった母でしたが、施設での記憶が蘇って緊張し始めた感じでした。

血圧が高いことで入浴の際にひと悶着があったり、座席を動かされたりすることを、この時も口にしていました。

ほとんどベッドで過ごしていた病院から退院が決まり、現実に戻されて施設の生活をいろいろと思い出し、不安そうな表情の母でした。

2021年7月23日 (金)

「昔、行ったことがある」

2年前の2019年7月23日は火曜日、午後4時5分頃、母の病室に面会に行きました。

母は少し立てたベッドに右側を下にして寝ていて、ラジオのイヤホンを左耳に入れて目を瞑っていました。

朝、ベッドに頭をぶつけたと言い、帽子を脱いで頭頂部にガーゼのようなものを貼って冷やしているようでした。

関係があるのかどうか、左目が少し充血しているようでしたが、話し声はいつものように元気がありました。

朝食にパンが出たそうで「珍しい」とは言いましたが、味についてはあまり触れませんでした。

また、この日は車椅子に乗って2度トイレに行き、便通もあったと報告してくれました。

「車椅子のクッションが無かった」とのことで、これからまた必要になりそうなものが出てきました。

ただ「車椅子の乗り降りは思ったほどスムーズにはできなかった」と言っていました。

入院以来10日ほどベッドで過ごしましたので、筋力が低下したことを改めて感じているようでした。

それでも、車椅子で外に出られてテレビのある広間に行き「前の入院の時、あそこでご飯を食べたことを思い出した」と嬉しそうでした。

最後に、この日の夜に近所で恒例の花火大会があることを教えると「昔、行ったことがある」と覚えていました。

その上、母はウチのベランダに出て見たことも覚えていて、確かそれは2年前のことだと思いますが、こちらは私にとって意外でした。

2021年7月22日 (木)

「腕のシワが目立ってイヤだね」

2年前の2019年7月22日は月曜日、曇りでいくらか涼しい日、午後4時5分頃母の病室に行きました。

母は右側を下にして耳にイヤホンを入れて眠っているようでした。

順調な回復を表すように点滴は取れていて、トントンと身体を叩くと母は目を開けました。

ちょうど入って来た看護師さんによると、飲み薬の利尿剤を増やして点滴は取ったとのことでした。

顔もすっきりした感じでむくみはなく、内出血も完全に消えていました。

母はこの日も少し便通があったと言って、体調は良さそうで元気な声でたくさん話をしてくれました。

前日は大相撲の千秋楽をラジオで聴いて、お気に入りの妙義龍が一つ勝ち越しで終わったことを喜んでいました。

また、この日は月曜日ということで、なぜかリハビリを思い出したと言っていました。

ずっとベッドで寝ていたので、体調の回復とともに退屈なこともあって、リハビリが恋しくなったのかもしれません。

確かに点滴も取れたので、そろそろ車椅子に乗って動くか、大部屋に移動する可能性もあります。

いずれにしても、この日の母は声も良く出ていて、とても元気でした。

ただ「むくみが無くなると腕のシワが目立ってイヤだね」と、自分の腕をしみじみと見入っていました。

2021年7月21日 (水)

「それは退院後のお楽しみ」

2年前の2019年7月21日は日曜日、曇りながらも28℃の蒸し暑い中、午後4時頃に母の病室に行きました。

母は奥の方を向きながら、左側を下にして寝ていました。

ラジオを聴きながら眠ったようでしたが、イヤホンが外れていて、ラジオも電源が切れていました。

目を覚ました母が話したのは、お昼を食べた後に便通があって、しばらくしたらまた出たと。

そのためもあり、またむくみが取れたこともあって、お腹はすっかりペチャンコだと母は笑っていました。

「もうお腹が空いた」と言いながら「日曜なのに穴子が食べられないのが残念」とも言いました。

「それは退院後のお楽しみだね」と私が言うと、母も笑顔で頷いていました。

この日は心電図も安定していて、脈拍も58~60くらいで安定していました。

日曜日で病院内も静かで、母の体調も安定してきて精神的にも穏やかに過ごせているようでした。

レッグウォーマーを着けた両足にはまだ点滴を入れていて、これが取れれば退院も間近かという感じなのでしょう。

脚のむくみは早くに取れ、お腹も苦しくなくなり、顔の内出血もなくなっていました。

この日で相撲が終わり少し寂しくなりそうですが、元気な声でたくさんの話をしてくれて順調に回復しているようで安心しました。

2021年7月20日 (火)

扇子を使って「涼しい」

2年前の2019年7月20日は土曜日、曇りで29℃という蒸し暑い中、午後4時10分頃母の病室に行きました。

母はベッドに仰向けに寝ていて、左耳にイヤホンを入れてラジオを聴いているところでした。

「大沢悠里を聴いている」と、懐かしい名前を口にしました。

この日の外は蒸し暑く、病室の中も暑く感じられるようで、母はポーチから扇子を出して使っていました。

「涼しい」と言いながら、優雅にあおいでいました。

そこに先生が現れて「大分良くなってきました」と教えてくれました。

先生の話では、利尿剤の点滴をいつ取るかという状況だということでした。

私が「胸からお腹の辺りがむくんだのですか?」と尋ねると「肺です」という先生の答え。

また、脱水の怖れもあるので、施設の生活では入院中のようには利尿剤は使えないとのことでした。

それでも以前よりは利尿剤を増やすことも考えているようでした。

母の要望で持って行った折り紙をテーブルに置くと、母は「折り紙をする時間はある」と言いました。

かなり体調は回復していて話し声も元気で、病院での生活を楽しんでいる様子もあり、時間を持て余し気味な感じでした。

2021年7月19日 (月)

「いくつあるの?」

2年前の2019年7月19日は金曜日、曇りのち晴れで30℃、午後4時10分頃母の病室に行きました。

母はこちら側を向き右側を下にして横になり、目を開けたままでラジオを聴いていました。

「お相撲が始まったところ」と言っていました。

この日も良く食べたと言い、脚のむくみはすでになく、お腹の張りも気にならなくなったようでした。

また、晴れてきたので窓から青空が見え「明るくていい」と、気分も良さそうでした。

ここのところ時間を持て余し気味でしたので、持参した大相撲の本を見せると「後で見たい」と言うので置いてきました。

「時間のある時に折り紙をやりたいので、箱に入れて持って来てほしい」とも言って、元気な上に積極的になってきました。

この日もいつものように帽子と靴下を交換すると、看護師さんに帽子のことを「いくつあるの?」と訊かれたと話してくれました。

相変わらず、母の体には様々な計器が着けられていましたが、母自身は退屈しながらも、とても明るく楽しそうな様子でした。

声も元気で顔のむくみも取れ、入院前の内出血もほとんど治まっていたので写真を撮りました。

2019年7月19日

2021年7月18日 (日)

「暇なので、すぐ寝てしまう」

2年前の2019年7月18日は木曜日、曇り空ながら暑い日でしたが、いつものように午後4時10分頃、母の病室に行きました。

母は壁の方を向いて左側を下にして眠っていました。

トントンと叩くと目を開けて「暇なので、すぐ寝てしまう」と言いました。

窓から見える空もどんよりとしていることもあり、暇を持て余し気味でラジオを聴くくらいしかすることがないとのことでした。

その分ラジオは良く聴いていて、大相撲の情報も良く知っていました。

左腕には腕帯を巻いて常時血圧を測定していて、150くらいの数値が表示されていました。

この日は先生と、もう一人の男の人が様子を見に来たいうことでした。

また、脚のむくみはもう無くなっていて、ほとんど枯れ枝のような太さになっていました。

その細い脚の靴下と、帽子を交換してあげました。

便通があったからか、お腹の張りも柔らかくなっていて、少し鼻声である以外はとても元気で、体調に問題はなさそうに見えました。

最後に、孫娘が『お大事に』と言っていたよ、と伝えると、先日見せた曾孫の動画のことを思い出していました。

その中では、電車で遊んでいた様子が印象的で記憶に残っていると言っていました。

2021年7月17日 (土)

「施設よりも食事が美味しい」

2年前の2019年7月17日は水曜日、曇り空ながら暑い中、月曜日に入院した母の面会に行きました。

母に時間が分かりやすいように、施設での面会と同様に午後4時10分頃病室に入りました。

母はラジオのイヤホンを耳に入れながら仰向けで寝ていました。

トントンと肩を叩きながら「来ました」と言うと目を開けました。

鼻からの酸素吸入は取れていましたが、この日も母は鼻が詰まったような声で喋りました。

まず話してくれたのが、この日は先生が病室に来て、母の身体に触れてむくみの様子を調べていたということでした。

他にもたくさん話をしてくれて、利尿剤を増やしてカテーテルを入れたと言っていました。

また、少し前に測った血圧は150くらいで、降圧剤も増やしていると。

お粥の水分が多すぎてイマイチだけど「施設よりも食事が美味しい」と笑っていました。

夜は良く眠れていて、目が覚めるとラジオをずっと聴いている、と時間を持て余し気味な様子でした。

母の脚に触れてみると、既に脚のむくみは無くなっていましたが、お腹の辺りが張っている感じが残っているようでした。

私が病室にいる限り、いくらでも話が続けられそうなほど、この日の母は元気でした。

2021年7月16日 (金)

「昨日はよく眠れた。珍しい」

2年前の2019年7月16日は火曜日、雨の降る中、午後4時頃に病院に面会に行きました。

母は左側を下にして、壁側を向いて寝ていました。

トントンと肩を叩くと目を開けて、元気そうな表情を見せてくれました。

「昨日はよく眠れた。珍しい」と、ラジオを聴きながら寝たと言っていました。

入院したことで体調の不安を考える必要がなくなり、心理的に落ち着いてよく眠れたのかもしれません。

また、この日はいろいろと検査に連れていかれた、と話してくれました。

「ここの食事は多いので全部は食べられない」と笑いながら「キューイが出た」と喜んでいました。

とても元気にたくさん話をしてくれましたが、やはり胸からお腹にかけて息苦しい感じはあるようでした。

前日、姉がお見舞いに来てくれたことも覚えていて、昨日入院した患者とは思えないほどしっかりしていました。

最後には、笑顔の写真も撮れました。

2019年7月16日

2021年7月15日 (木)

7月15日、また入院

2年前の2019年7月15日は月曜日、海の日ということで祝日でしたが、私は午前中仕事に出かけていました。

午前9時8分、母の施設から電話があり、母が胸が痛くて苦しいと訴え、脈拍が40しかなく酸素吸入が必要な状態で入院したということでした。

そのため私は仕事を早く切り上げて、午前11時頃に施設に併設されている病院に着きました。

母はナースステーションの隣の個室で眠っていました。

鼻から酸素吸入をして、指に血中酸素濃度の計測器、胸には心電計を着けていました。

暫く看護師さんと話をして、入院のための書類を書いている時に母は目を覚ましました。

母は入院の経緯をほとんど分かっていて、看護師さんたちが母のことを良く知っているので安心だと笑っていました。

この日は朝食を全部平らげた後、トイレに行ったりしているうちに胸が熱くなり、苦しくなってきたとのことでした。

ただ、その間も意識ははっきりしていたそうで、話し声も聞こえていて、周囲とのやり取りもできたということでした。

話をしている間に昼食が来て、ハンバーグのようなものがある普通の食事に見えました。

母は食欲も旺盛でほとんど全部食べ、いつものように良く喋ってくれて、変わらず元気なように見えました。

それでも、前夜は少し息苦しかったし、今朝の胸の熱さは初めて経験したものだったと振り返っていました。

2021年7月14日 (水)

この日も昼食は穴子寿司

2年前の2019年7月14日は日曜日、雨の降る中、母と一緒にお昼を食べるため、午前11時10分頃施設に行きました。

母はちょうどトイレに入っているところで、出てくるのを待って面会室に移動しました。

面会室には7月17日が夏祭りという掲示があり、提灯も用意してあって、来る水曜日にはこの場所で何らかの催しがあるようでした。

母の顔の内出血は少し薄くなったようで、目には点眼薬を使っているとのことでした。

昼食のメニューは穴子寿司やトロサーモン、煮物、焼売など、いつもとほとんど同じで母のお気に入りのものです。

母は少し食べて「お腹いっぱい」と言いながら、その後もいつもと同じくらい食べていました。

このところ体調には心配な点がありましたが、食欲はまだ衰えていないように感じました。

食事を終わって部屋で着替えをすると、この日も涼しい日でしたのでレッグウォーマーを着けていました。

右足のレッグウォーマーの上の部分に浮腫みが溜まっているような感触があり、新たな心配の種が出てきました。

話し声も少し押し出すような、息苦しそうな感じがするのがここ数日と同じでした。

それでも、大相撲では母のお気に入りの妙義龍が好調なことを知っていて、とても喜んでいました。

この頃は徐々に健康上の心配事が増えていましたが、母自身はあまり感じていないようで、この日も食事や会話の様子は元気そのものでした。

2021年7月13日 (火)

穴子寿司を約束

2年前の2019年7月13日は土曜日、曇り空の中、午後4時10分頃施設に面会に行きました。

母は前日、左目の辺りを内出血していたので、その様子も少し心配しながらエレベーターを降りました。

母は定位置にいましたが、顔を見ると前日の内出血はほとんど変わっていないように見えました。

ただ本人の話では、目の見え方を始めとして調子の悪い点はなさそうだということでした。

部屋に移動して着替えをしていると、爪を切ってもらってきれいになっていることに気づきました。

それでも「親指は難しいね」と言われたとのことでした。

食事は問題無く良く食べて、便通も朝食の後くらいにあったように思うという話で、体調の問題はなさそうでした。

ただ、この日はどんよりとしていて何も行事がないので眠くなったと言っていました。

朝の寝起きに少し寒く感じたので、この日も厚手のカーディガンを着て、一日ボーっとしていたとも言いました。

血圧を測ると200を超え、3回目の測定で194/80、本人は気分は悪くないということでしたが、少し心配でした。

どんよりとした天気の中、一日まったりと過ごし少しボーっとしていましたが、この日の母はそれなりに元気でした。

翌日の日曜日は、また一緒にお昼を食べることを約束しました。穴子寿司です。

2021年7月12日 (月)

「その顔どうしたの?」

2年前の2019年7月12日は金曜日、雨降りの中、午後4時10分頃に施設に面会に行きました。

この頃は母自身は元気なことがほとんどでしたが、脚のむくみや血圧、少し苦しそうな声など不安な点もありました。

この日も母はいつもの場所にいましたが、顔を見ると左目の辺りが赤くなっていました。

痛々しい姿でしたが、職員さんの話では「朝よりも良くなってきた」ということでした。

看護師さんは「原因は分かりませんが、普通に見えているので特に処置はしないでも一週間ほどで引いていくでしょう」と言っていました。

内出血しているようで、寝ている間にどこかにぶつけたのかもしれませんし、血圧やむくみと関係があるのかもしれません。

心配は尽きませんが、母は朝からリハビリにも行き普通にこなして、体調に問題はなさそうでした。

朝起きると「その顔どうしたの?」と言われ、目の奥に少し痛みがあったようですが、見え方に問題はなかったということでした。

血圧も135/75で普通よりも低いくらいで問題なく、むくみや発声の苦しさも悪化した感じはありませんでした。

ただ、やはり今日は少し鼻が詰まる感じがあると言い、内出血の影響がいくらかあったのかもしれません。

それでも「今は痛くない」と言っていて、顔以外はいつもと変わらず元気な母でした。

2019年7月12日

2021年7月11日 (日)

入浴と調髪で上機嫌

2年前の2019年7月11日は木曜日、曇りのち雨の天気の中、午後4時10分頃施設に面会に行きました。

この頃は脚のむくみが出始め、血圧が高いことも多く、発声も押し出すような感じがして、心配しながら通っていました。

この日も母はいつもの場所にいて、こちらを見ていたので手を振ると気付いたようでした。

母の話では、今朝は髪をカットしてもらって入浴もしたと言い、とても気持ちの良さそうな表情でした。

朝食後には便通もあったということで、体調が良いのかとても元気に話をしてくれて、心配が吹き飛んでしまいました。

部屋に行くと、まず帽子を取って前後からカットした髪の写真を撮りました。

血圧は178/78、脚のむくみも変わりない感じで、発声も話をしているうちに楽になってきたように思いました。

爪切りを頼んだけれども、まだ切ってもらえていないというので、親指だけ切ってあげました。

母は私が爪を切るのをとても怖がり、指を掴んで爪切りを近づけただけで「痛い」と言っていました。

「まだ切っていないよ」と私が言うと、母は苦笑いをしていました。

この日は入浴と調髪で気持ちも良いからかとても元気で、全く心配する必要がありませんでした。

2019年7月11日

2021年7月10日 (土)

「自分の方が2歳上だった」

2年前の2019年7月10日は水曜日、午後4時10分頃施設に面会に行くと母はいつもの場所にいて、左隣の人と話をしていました。

母の話では、その人と話したのはおそらく初めてで、「年上だと思ったら、自分の方が2歳上だった」と笑っていました。

また、この日はリハビリもなく一日まったりと過ごしていたようでした。

そして朝食後には便通もあって、前日出なかったのでホッとしたと言っていました。

食事のことでは、5ミリ角くらいの豆腐が出たと教えてくれました。

気になる脚のむくみは変わっていませんでしたが、昨日までと違って押しても痛みは無いようでした。

血圧は186/69、相変わらず少し心配な数値でした。

それに発声が押し出すような感じの、少し苦しそうに聞こえる点がやはり気になりました。

それでも、前日見せた曾孫の動画を見せてあげると、この日もまた歓声を上げて喜んでいました。

また、前夜はラジオでナイターを聴いて、巨人が1対0で勝ったことを知っていました。

むくみ、血圧、発声と気になる点は増えてきましたが、食欲はあって体調も良さそうで元気に話をしてくれました。

ただ、前日来た姉と曾孫の親である姪を混同しているような感じでした。

2021年7月 9日 (金)

「待っていたよ」

2年前の2019年7月9日は火曜日、曇りでやや涼しい日でしたが、午後3時40分頃施設に面会に行きました。

この日は姉が来てくれて一緒に母のフロアに行くと、母はいつもの場所にいてラジオを聴いているようでした。

大相撲中継を聴こうとしていたようでしたが、ラジオでの中継は4時過ぎからなので、まだ放送前でした。

母は姉の姿に気づくと手を振りながら「待っていたよ」と笑顔で言いました。

姉と一緒に壁に貼ってある母の習字の作品を見てから、着替えのために部屋に移動しました。

この日は朝からリハビリに行ったところ人がたくさんだったとか、お昼にはソバが出たとか、いつもであれば私しか聞かない話を、姉も聞いてくれたので母はとても嬉しそうでした。

ただ、ふくらはぎを揉んでいると「痛い」と声を上げる場所がありました。

むくみも少しずつ気になってきていて、血圧も190/82で、少し心配な点が増えてきました。

姉が来てくれたので母の声もいつも以上に元気でしたが、良く聞くと少し絞り出すような発声をしているようにも感じました。

また、姪が送ってくれた曾孫がトウモロコシを食べる動画を見せると、母はとても喜んでくれました。

姉との話が楽しそうで、この日の母も元気でしたが、脚のむくみ、発声の仕方や血圧など心配な点も出てきました。

2021年7月 8日 (木)

「話したいことがたくさんある」

2年前の2019年7月8日は月曜日、午後4時6分頃施設に面会に行くと、母はいつもの所にいました。

母の前のテーブルには小皿とカップが置いてありました。

話を聞いてみると、午後は昼寝を早めに切り上げて入浴をしたので、今おやつを食べ終わったところだということでした。

部屋に移動して血圧を測ると173/69、この頃としてはそれほど高くない数値でした。

ここ数日気になり始めた脚のむくみを見てみると、くるぶしの少し上くらいまで、むくみが分かるようになってきました。

足指も少し膨らんできていて、ふくらはぎを押すと痛みを感じる部分もあるようでした。

体調は問題無いようでしたが、この脚のむくみ方は注意が必要な状態だなと感じました。

ただ、話し声は元気で「昨日のお昼は美味しかった」と、穴子やトロサーモンを思い出して「また食べたいね」と嬉しそうに言いました。

また、前日が初日だった大相撲中継は聴かなかったということでしたが、結果はニュースで知っているとも話していました。

最後に「明日は姉が来れるかもしれない、と言っていたよ」と私が母に伝えました。

すると母は「久しぶりだね。話したいことがたくさんある」と喜んでいました。

こういう予定を何日も前に伝えると、母は楽しみにし過ぎて「今日じゃなかったの?」と、日付を誤解して落胆することもよくありました。

2021年7月 7日 (水)

「また出るかもしれない」

2年前の2019年7月7日は日曜日、この日は母と一緒にお昼を食べるために午前11時10分頃施設に行きました。

その前に、いつもの日曜日のように穴子寿司や煮物などを途中で買い、母のフロアに向かいました。

母は定位置に座っていましたが、頭を傾けて居眠りをしているように見えました。

この日は雨降りで涼しく、母も厚手のカーディガンを着ていました。

部屋も外も薄暗いため、じっとしていると母も眠くなるのでしょう。

それでも面会室に移動して食事を始めると元気になってきて、「おいしい」と言いながらたくさん食べてくれました。

もちろんウチにいた当時ほどは食べませんでしたが、母の年齢の割には食べる方だったと思います。

この日は朝から便通が少しあったと言いながら「たくさん食べたから、また出るかもしれない」と笑っていました。

体調も問題無いようでしたが、測ってみた血圧が145/60、脈拍が50という結果でした。

いつものように高くはないのですが、こういう数値は滅多にないので逆に心配になりました。

2019年7月7日

2021年7月 6日 (火)

絶好調という感じ

2年前の2019年7月6日は土曜日、この日は母の通院ということで午後3時頃に施設に行きました。

母のフロアでエレベーターが開くと目の前で母が採血をされていました。

しかし結局そこでは採血ができず、病院に行ってから採血をしていただくことになりました。

母は以前から腕の血管が分かりにくく、さらに年齢とともに血管が細くなったからか採血に手間取ることは時々ありました。

病院での採血を終えて一度施設に戻って、おやつを食べ、着替えを済ませてから病院での診察となりました。

血液検査の結果は、心臓と腎臓の値がいずれもやや悪化していましたが、薬は今まで通りのものを続けることになりました。

私が見た限りでは貧血がやや良化していましたが、他の数値はかなりバラつきが目立ってきていました。

また、血圧もここのところやや高い値が続いていて心配な点は増えてきましたが、本人は体調も良さそうでとても元気でした。

先生との会話でも意識はしっかりしていて、まさに母は絶好調という感じで話をしていました。

ただ、血液検査の結果については加齢によるものも大きいのだろうと感じていました。

この日の診察の結果、不安な点も増えてきてしまったわけですが、加齢によるものは心配していてもどうにもなりません。

私は、体調も良さそうで楽しそうに話をする母の姿を見て、こういう状況が一日も長く続けばいいな、と思いました。

2021年7月 5日 (月)

「珍しくおいしかった」

2年前の2019年7月5日は金曜日、午後4時10分頃施設に面会に行くと母はいつもの所にいて、うたた寝をしていました。

着替えながら話をするために部屋に移動して、まず血圧を測ってみると、182/80、やはり少し高めでした。

それでも話し声には元気があり、見た目にも体調に問題はなさそうでした。

母の話では、この日はおやつの前にリハビリがあって、たくさんの人が来ていたとのことでした。

また、前夜は横になってからナイターを聴いたとのことで、巨人が勝ったことを知っていました。

それから、初めて着た新しいパジャマについては「薄地で良かった」と喜んでくれました。

いつも夜中が暑くて寝苦しいと言っていたので、夏用の七分袖のパジャマを気に入ってくれたようでした。

食事の話では「何か変わったおいしいものを食べた」と言いました。

カレーのようにご飯にかけて食べたそうですが、何か肉が入っていて味付けは良く分からなかったということでした。

それでも「珍しくおいしかった」と言っていて、この頃少し不満を漏らすこともあった食事も満足したようでした。

そしてリハビリが混んでいたため、帰りのエレベーターを待つことになったそうで、その時間で久しぶりに鶴を折ったと言っていました。

そのオレンジ色の折鶴が枕元にあり、それが母の元気さを表わしているようで、とても嬉しく思いました。

2021年7月 4日 (日)

「どうなっているかねぇ」

2年前の2019年7月4日は木曜日、雨上がりの午後4時10分頃、面会のため施設に行きました。

母はいつもの所にいて、リハビリに行ったということで元気な様子でした。

厚手のカーディガンを着ていて「昨夜から寒かったのでこれを着ている」と、言っていました。

この日はお風呂に一番に入って、おやつを食べてからリハビリに行ったということで話し声も元気でした。

入浴前の血圧測定は一回だけで、この時測った値も170/70で、この頃にしては高くない感じでした。

前夜は8時頃にベッドに来たらナイターがかなり進んでいて、最後まで聴いてはいなかったが、巨人が勝ったことは知っていると言っていました。

「今日で一年だから」と言いながら持参した菓子折りを見せると、母はにっこりとほほ笑んでいました。

「もう一年お願いします、と言いながら渡してね」と言うと「どうなっているかねぇ」としみじみと呟きながらも笑顔でした。

私が、一年前に入所した時は向かい側のベッドだったことを話すと、母は覚えているかどうか微妙な様子でした。

また、新しく買って来た夏用のパジャマを見せると「あら、涼しそう」と、興味深そうに触れていました。

脚のむくみもそれほどではなく便通もあったようで、声も元気で明るく、体調は良さそうでした。

部屋のカーテンを開けて外を見せると「うわぁ、明るいわねぇ」と雨が上がった空を見て、母は歓声を上げていました。

2021年7月 3日 (土)

珍しい「おいしくなかった」

2年前の2019年7月3日は水曜日、曇りで蒸し暑い日、午後4時10分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの場所にいましたが、テーブルの配置が変わっていて母はテレビに背を向けて座っていました。

まず、前日話をしていた頭髪のカットを頼んだかどうか確認すると母は「まだ」と答えました。

そこで、私が職員さんにカットの予約をお願いしてから部屋に行き、着替えをしながら話をすることにしました。

この日は外が蒸し暑いからか部屋の冷房が効いていて、ベッドの柵も少し冷たく感じるほどでした。

母の話ではリハビリもなく、一日まったりと過ごしていたということでした。

また、珍しく「おやつとお茶が美味しくなかった」と言いました。

施設に入所以来、母は明るい表情でいることが多く、このような不満を言うことはほとんどありませんでした。

これまでも、この年の2月ごろに不機嫌そうな時季があったように思いますが、一時的なもので終わりました。

今回も少し心配ではありましたが、いろいろ話しているうちにいつもの元気さを取り戻してきたようでした。

見た目の体調も良さそうで、ただいつものように血圧が193/82、高めなのが不安でしたが。

最後に「明日で入所してから1年だよ」と伝えると「そう、早いねぇ」と、母は感慨深そうに答えていました。

2021年7月 2日 (金)

「今日はいろいろあった」

2年前の2019年7月2日は火曜日、ここ数日と同じように梅雨時の曇り空の中、午後4時10分頃施設に面会に行きました。

母はいつもの場所にいて「今日はいろいろあった」と最初に言いました。

この日もリハビリがあって、たくさん人がいたので「適当にやって」というように扱われた、と不満そうに言いました。

リハビリは今後、回数が減ると言われているので「何か運動を考えないとね」と私が言うと「そうだね」と母も同意してくれました。

また、この日は歯医者が来ていたそうで、それを見て母は髪を切って欲しくなったということでした。

理容師は毎月中旬頃に来ているので早速予約をしてあげることにしました。

この日の食事ではオムライスの皮のように薄い玉子焼きが出てきて、これが美味しかったと言っていました。

便通もあったそうで、声にも元気があり、むくみも目立たず、少なくとも見える範囲では体調に問題はなさそうでした。

ただ、血圧は184/73、この日もやや高めなのが心配でした。

いろいろと話をしているうちに部屋に日が差してきて、この頃としては珍しく周囲が明るくなりました。

100円ショップで買ったミニひまわりの造花をベッドサイドの棚に置くと、花好きの母は喜んでくれました。

最後に「いろいろあったと言ったけど、何があったの?」私が尋ねると、母の答えは「忘れた」でした。

2021年7月 1日 (木)

「少し憂鬱だ」

2年前の2019年7月1日は月曜日、曇り時々雨のいかにも梅雨という天気の中、午後4時10分頃施設に面会に行きました。

母は厚手の白いカーディガンを着ていつもの所にいましたが、丁度リハビリから戻ったところで面会に来るのを待っていたと言いました。

この日は午前中に入浴をしたそうですが、便意を催して風呂場のトイレで出たと喜んでいました。

また、入浴前には血圧を2回測っていたとも言っていました。

午後はおやつを食べてからリハビリに行き、リハビリは来週からさらに回数が減ると言われたとのことでした。

前日は一緒にお昼を食べて、その直後には「お腹がいっぱい」と言っていましたが、夕食も普通においしく食べられたということでした。

この日の朝食も普通に食べて便通もあり、体調は良さそうでした。

リハビリでも最後に3回立ち上がったと、嬉しそうに話してくれて声にも元気がありました。

ただ、しばらく鬱陶しい天気が続くことが予想されていて、「少し憂鬱だ」とも言っていました。

最後に測った血圧は190/77で、入浴前にも2回測ったそうですが、このところ高めの数値でこの点は心配でした。

それでも足に浮腫みはなく、細すぎるくらいに見えていました。

また、入浴とリハビリがあったためか肌もツヤツヤしていて、少なくとも見た目には全く問題ありませんでした。

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