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2021年3月

2021年3月31日 (水)

「お花見に行くの?」

2年前の2019年3月31日は日曜日、この日は母の病室に午後3時45分頃に行きました。

母は窓側を向いて左耳にイヤホンを入れたまま眠っていました。

トントンと肩を叩くと目を開けました。

この日はラジオでプロ野球を放送しているはずなので、ラジオをプロ野球中継に合わせてあげました。

母は前日、巨人が勝ったことを知っていました。

ただ、寝起きだったためかこの日は元気はあっても、少し話の辻褄が合わないような感じもありました。

印象的だったのが、起こした時に「お花見に行くの?」と言ったことです。

看護師さんとそのような話をしたのか、夢を見ていたのか分かりませんが、置いて行かれたと思っていたようでした。

いつもよりも少し耳が遠い感じもして、覚醒のレベルも今一つのように思いました。

それでも昼食にはうどんが出て、美味しかったとも言っていました。

ただ、短いうどんだったとのことで、食べ辛かったので最後には飽きてしまったとも話していました。

この日は日曜日ということもあって、病室内も静かで退屈だったためなのか、母は元気はありましたが寝ぼけ気味という感じでした。

2021年3月30日 (火)

「人が多くて待たされた」

2年前の2019年3月30日は土曜日、曇りで肌寒い日でしたが午後3時40分頃、母の病室に面会に行きました。

この日も母のベッドは隔離のためのカーテンで仕切られていました。

窓側の方まで回って正面から母の顔を見ると、起きていてラジオを聴いていました。

高校野球をやっていると言っていました。

この日も食事はベッドで食べているようでしたが、朝早くからレントゲンを撮りに行ったということでした。

その際はエレベーターに乗って行ったそうですが、パジャマのままで行ったので「寒かった」と話していました。

また「人が多くて待たされた」とも言っていました。

覚醒レベルも良く、記憶もしっかりしていて元気な様子でした。

これまでの隔離から外に出始めたことで、そろそろ退院も間近なのかなとも感じました。

桜の見ごろも終わりに近づいていた時期でしたので、桜が残っているうちに見せてあげられたらいいなと思いました。

2021年3月29日 (月)

「いつまでも寝てられないね」

2年前の2019年3月29日は金曜日、曇りで寒い中、午後3時40分頃に母の面会に行きました。

母のベッドは相変わらずカーテンで隔離されていました。

カーテンを開くと、母はこちら側を向いてラジオを聴きながら横になっていました。

高校野球を聞いているとのことでした。

この日からは母が楽しみにしているプロ野球も始まるので、ラジオの電池を交換しておきました。

カテーテルを取ったからか、看護師さんがよく来てくれるとのことで、私が来る少し前にも体位を変えてもらったと話していました。

そのためか、この日はベッドに横になっていてもはっきり覚醒していて、話し声もしっかりしていました。

顔色も良く、かなり元気になって来たことが分かりました。

「もうすぐ4月だよ」と私が言うと「そうだね、いつまでも寝てられないね、桜が散っちゃうね」と、笑顔で答えてくれました。

食事はまだベッドで食べているようでしたが、また車椅子で移動できる日も近い感じがしました。

表情も爽やかで、日に日に明るく元気になっていました。

2021年3月28日 (日)

「冷たい手だね」

2年前の2019年3月28日は木曜日、この日は午後3時45分頃に母の病室に行きました。

隔離用のカーテンの向こう側で母は、こちら側に背中を向けて良く寝ているように見えました。

そのため帽子だけ交換して起こさずに帰ろうとすると、母は突然「冷たい手だね」と話を始めました。

結局、少し話をすることになりました。

母の顔を見て「顔色も良いし、元気そうだね」と私が言うと「みんな、そう言う」と母は笑いました。

お腹の調子も含めて体調は良さそうでした。

先生が一日に一度様子を見に来るそうで「どうですか?」「大丈夫です」と、そんなやり取りをしているようでした。

この日は検査もなく、時々看護師さんが来て話をしてくれるくらいだ、とのことでした。

話をしながら腕を掻いていたので「痒ければ薬を塗ってもらうといいよ」と伝えておきました。

しばらく入浴をしていないことに加えて、爪が伸びていることが見えたので少し気になって言いました。

ただ、既に下痢ではなく食欲も普通にあるそうで、話しぶりも元気で体調の良さが表れていました。

寝起きにもかかわらず覚醒のレベルも問題なく、楽しく会話ができる状態になり安心して帰ってきました。

2021年3月27日 (土)

「巨人と広島だ」

2年前の2019年3月27日は水曜日、この日も午後3時40分頃に母の病室に面会に行きました。

病室に入ると母はこちら側を向いて横になっていました。

話し始めると「誰もいない」とか「整理しようと思っていた」などと良く理解できない言葉を発していました。

どうもカーテンで隔離されているので、周囲の音が聞こえず放っておかれているようで、不安になってしまったようでした。

ただ、話をしているうちに「お昼の玉子焼きが美味しかった」などと、少しずつ思い出してきました。

また、看護師さんと見頃になってきた桜を見に行こうと話したことも教えてくれました。

その他には「ずっと静かだった」「夜中に起きたりした」「おしめの交換は何度かしてもらった」など言っていました。

この日もずっと寝たまま話をしたので鼻声でしたが、声を聞いていても元気な感じがしました。

とりあえず隔離ということで人との接触がほとんど無く、最初は少し寝ぼけ気味だったようでした。

それでも食欲もあり、話し声も元気なことが分かって安心できました。

「金曜日からはプロ野球が始まるよ」と私が言うと「巨人と広島だ」と、母はなぜか知っていました。

2021年3月26日 (金)

「面会を待っていた」

2年前の2019年3月26日は火曜日、この日は姉と一緒に午後3時半頃に面会に行きました。

母は前日から隔離されることになり、この日もカーテンで囲われた中で、ベッドに仰向けになっていました。

少し赤い顔をしているように見え、本人も「暑い」と言っていました。

細菌が検出されたとはいえ、とても元気で暇を持て余しているのか「今日も面会を待っていた」とのことでした。

この日は姉が来てくれたことが嬉しいようで、母の話し方には一層力が入っているように見えました。

ただ、母が一生懸命に話している内容は、私が毎日のように聞いていることとほとんど同じです。

それでも私は、このように母が面会に来てくれた人と嬉しそうに話をする姿を見ることが好きでした。

そういう時の母は、家で面倒を見ていた頃には考えられないような明るい表情をしていましたから。

誰でも入院中に人が面会に来てくれると嬉しいものですが、母の話し方も勢いを増していました。

またそれは体調の良さも示していて、隔離中ではありましたが、かなり回復したような様子に姉も安心していました。

2021年3月25日 (木)

「天気が良くて良かった」

2年前の2019年3月25日は月曜日、この日も午後3時40分頃に母の病室に行きました。

母は左側を下にして寝ていました。

そこに看護師さんが現れて「ウンチから細菌が出た」と言いました。

このところ水っぽいお通じが続いていたので調べたところ、下痢をする細菌が出たということでした。

カーテンで囲って簡単な隔離をするようにしていて「面会は大丈夫ですが、消毒と手洗いをよくしてください」と言われました。

せっかく車椅子で外に出られるようになったのに、一週間ほど外で食事ができなくなったのは残念でした。

この日の朝までは広間で食事をしたそうで、その後に細菌の感染が判明したとのことでした。

ただ、母の体調は4、5日前が最悪だったような感じで、この日も顔色は良く元気にたくさん話をしてくれました。

この日はパジャマと下着を新しいものに替えてもらって「気持ちがいい」と喜んでいました。

また、前日のお昼には私と一緒に外の景色を見たことを覚えていて「天気が良くて良かった」との感想でした。

もう一つ、前夜目が覚めた時にラジオをつけると、丁度懐メロをやっていて嬉しかったと言っていました。

寝たまま話をしましたから少し鼻声でしたが、意識もしっかりしていて楽しそうに話していました。

2021年3月24日 (水)

「遠足に行くところだね」

2年前の2019年3月24日は日曜日、前日に約束したように昼食の時間に面会に行きました。

母は広間で食事中でした。

三日前にも同じ時間に同じ場所で母はお昼を食べていましたが、その時とは表情が全く違っていました。

食欲も旺盛なようで、ほとんど完食していました。

食後には三日前と同じように、南側の窓の方に移動して外の景色を見ながら話をしました。

2~30分ほど外を見ていると、徐々に光に慣れてきたようで「段々景色が見えてきた」と言いました。

母はウチにいた時も南側の窓からよく外を見ていて、天気の良い日は窓辺で過ごすのがお気に入りでした。

しばらくして病室に戻り、また東側の窓から外を見ました。

そこから遠くに見える清掃工場の煙突を見つけて「遠足に行くところだね」と、目も良く見えてきたようでした。

その後、看護師さんにお願いしてベッドに横になり、ラジオで高校野球を聞き始めました。

体の動きを見ていると少しずつ身軽になってきた感じで、徐々に体力も回復しているようでした。

また、声にも元気さが戻って来つつあって、数日前の意識も怪しい状況からは脱したように思いました。

2021年3月23日 (火)

目を閉じたままで

2年前の2019年3月23日は土曜日、この日も午後3時40分頃に母の病室に面会に行きました。

母は右側を下にしてベッドに横になっていました。

トントンと肩を叩いて来たことを知らせると、母は目を閉じたままですぐに話し出しました。

「今日はウンチが出て仕方ない、止まらない」と言い、確かに少し匂っている気がしました。

それでもお昼にはうどんを食べて美味しかったし、玉子焼きも美味しかったと言っていました。

外に出るのは心配なのでベッドで食べたとのことでしたが、食欲があることが分かって少し安心できました。

この日はレントゲンの検査もあって、ベッドまで撮りに来てくれたと話していました。

午後4時を過ぎて大相撲が始まるのでラジオを探すと、母の背中の方にありました。

この日はラジオも聴かずに横になっていたようでした。

翌日の日曜日はお昼に来ることを約束して、そろそろ帰ろうかと思った頃に母はようやく瞼が開くようになりました。

手を振ってお別れをすると、にっこりと笑ってくれました。

体調が万全ではなく元気は今一つでしたが、意識ははっきりしていて明るく話をしてくれました。

2021年3月22日 (月)

「明日、お花見に行こう」

2年前の2019年3月22日は金曜日、晴れて24℃まで上がり暑いくらいの日でした。

この日は午後4時15分くらいに母の病室に行きました。

ここ2、3日体調が良くなさそうで、それまでの元気が見られなかったのが心配でした。

母は右側を下にして横になっていましたが、目は覚ましていてラジオを聴いていました。

挨拶をすると、ニュースを聞いていたようで「子供の自殺について話していた」と、教えてくれました。

この日は久しぶりに顔色も良く見え、意識もはっきりしていて元気そうでした。

朝から食事のために広間に行き、しばらく放っておかれたと言いながら、その後は看護師さんたちと話をしたりして盛り上がったと言って笑顔を見せてくれました。

そろそろ桜が咲き始め「明日、お花見に行こう」と誘われたと嬉しそうに話してくれました。

また、パジャマとベッドのシーツを新しいものに交換してもらって気持ちがいいと、こちらも嬉しそうでした。

最後に、ラジオをすでに始まっている大相撲中継に合わせてあげました。

ここ数日とは違って体調が良さそうで、その上母にとって楽しいことがたくさんあり、明るくご機嫌に話をしてくれました。

私も「久しぶりにぐっすり眠れるな」と思いながら帰りました。

2021年3月21日 (日)

食後の日光浴で

2年前の2019年3月21日は木曜日、この日は昼食の時間に合わせて面会に行きました。

広間に行ってみると、母は奥の方にボーッとした表情で座っていました。

隣の席に座って声を掛けると「ここに連れて来られたけど、何をしたのか分からない」と言いました。

おそらく、ここに来る直前まで眠っていたのだと思います。

昨日、私が2回来たことも知らないと言っていました。

前日とこの日の様子からして、昨日と今日はほとんどずっと横になっていたのでしょう。

後になって、この頃母が細菌に感染していたことが判明するのですが、この二日間が最も体調不良だったように感じました。

食事の後には、日当たりのいい南向きの窓の方に移動して二人でゆっくりと話をしました。

「こういうところでマーボーと話がしたいね」と、母はあまり元気の無い声で言いました。

体調がイマイチで、暇を持て余し気味なこともあり寂しいのか、母は叔母と話がしたいと呟いていました。

良い天気の中、見晴らしのいい場所で話をしているうちに、少しずつ元気が出てきたようでした。

一時間ほど窓の前で過ごし、病室に戻ってからレッグウォーマーを交換してあげました。

2021年3月20日 (土)

「痛いよう」

2年前の2019年3月20日は水曜日、この日も午後3時40分頃面会に行くと、母は右側を下にして熟睡していました。

茶色の帽子も頭の上方に跳ね上がっていて大きな寝息を立てていたので、起すことなくラジオの電池の交換だけして、夕食時にもう一度来てみることにして、一旦帰りました。

そして午後6時45分に再び病院に行きました。

母は病室のベッドで窓の方を向いて、やはり右側を下にして横になっていました。

近づくと「痛いよう、痛いよう」との声が聞こえました。

「どこか痛いの?」と尋ねると、気がついたようで、別にそうでもないような返事でした。

夕食をたくさん食べてから横になったとのことでした。

この日は夕食前まで寝ていたようで、相撲のラジオも聴かなかったと言っていました。

「右足が痛い」というので見てみると、心臓に取り付けた機械のコードを踏んでいました。

寝言のような「痛いよう」という言葉は、このことだったようです。

しばらく話をしていると少し匂ったので「ウンチ出たの?」と聞くと「自然と出ちゃう」という答えでした。

施設にいた時のようにベッドで漏らしちゃうのは厄介だな、と筋力の低下を心配しました。

ただ今回は後で判るのですが、細菌に感染して下痢をしていて体調も良くなかったようでした。

2021年3月19日 (金)

せん妄の兆候?

2年前の2019年3月19日は火曜日で晴れて暖かい日、この日も午後3時40分頃面会に行きました。

母はベッドで右を下にして横になっていましたが、ラジオを探しているようでした。

結局カーテンの向こう側にテーブルがあり、ラジオはその上に置いてあって、母は見つかって喜んでいました。

やはり、ずっとベッドで寝ていると時間を持て余すことと、もうすぐ大相撲が始まるので焦っていたようです。

ちゃんちゃんこを着たまま寝ていて、食事の時に車椅子で広間に行ったからだということでした。

移動の際にいろいろな景色を見ていることもあってか、病院と施設のことを混同している様子もありました。

また、話しの内容もラジオで聴いたことと過去のこと、周囲の人の話などが混ざっているように感じました。

その上、鼻が詰まっているような声のため聞き取りにくいこともあり、少し会話がかみ合わないような印象もありました。

話し声や動きなどは元気そうでしたが、入院も二週間近くなってきて、せん妄の兆候も表れてきていたのかもしれません。

前日まで着けていた血圧計がなかったように、体調は良化していたのでしょうが認知面が少し心配になってきました。

帽子を交換してあげて、大相撲中継が始まったところで帰ることにしました。

2021年3月18日 (木)

細い左足

2年前の2019年3月18日は月曜日、朝から快晴の良い天気の中、午後4時に面会に行きました。

母は4人部屋のいつものベッドでラジオを聴きながら横になっていました。

この日は国会中継があるので大相撲は午後5時からということで「文化放送を聞いてる」と言っていました。

この日も仰向けに寝ているためか鼻が詰まると言い、聞き取りにくい言葉もありましたが、意識ははっきりしていました。

主治医の先生も様子を見に来たそうで、表示されていた血圧は160/60、脈拍も70前後で体調は安定しているようでした。

食事は寒くなければ広間で食べているようで、完食ではないが結構食べていると話していました。

久しぶりに見た足には施設から来た時のままのレッグウォーマーを着けていました。

ずっと同じものをしているので、帽子のように時々は交換してあげようと思いました。

また、良く見ると足の太さが左右でかなり違っていました。

右足の方が太いのはおそらくむくみではなく、左足が細いのだと思いました。

この一年ほど前に骨折したのが左足で、もちろんその影響もあるでしょうが、本人の話ではその前から左は細かったのではないかとのことでした。

いずれにしても、一見して分かるくらい違っているのには少し驚きました。

2021年3月17日 (水)

入院から十日

2年前の2019年3月17日は日曜日、この日も午後3時40分に面会に行きました。

入院して十日が経過し、母は個室から4人部屋に移り、奥の東側の窓に向いたベッドで寝ていました。

前日に先生が話していたように点滴は取れていましたが、血圧計などの器械はまだ付けていました。

ベッドに横になってはいましたが、目は覚めていたようで「ラジオが聴こえない」と退屈そうでした。

日曜日ということで検査や診察などはないので、暇を持て余しているように思いました。

それでも、看護師さんと一緒に写真を見る時間はあったようでした。

また、食事は広間の方へ行って食べたが、その後パンは出ていないと残念そうに話してくれました。

今日も便通はないけれども、苦しくはないとも言っていました。

時々血圧計が動いて測っていましたが、150/65くらいで脈拍も安定していました。

寝たまま話しているので鼻が詰まったような声でしたが、目や耳の感度は悪くなさそうでした。

体調はほとんど問題なく回復してきたようでしたが、病院では寝ている時間が多いので体力が心配になってきました。

聴こえるようになったラジオで大相撲中継が始まったので「また来るよ」「ご苦労様」と、手を振ってお別れしました。

2021年3月16日 (火)

ホッと一安心

2年前の2019年3月16日は土曜日、曇りがちの天気の中この日も午後3時40分に面会に行きました。

母はいつもの個室にいませんでしたが、看護師さんが4人部屋に移ったことを教えてくれました。

母は東側の窓に向いたベッドで寝ていました。

挨拶をすると、丁度寝起きで寝ぼけていたのか、私に「ご飯食べたのかな?」と尋ねてきました。

私には分かりませんが話を聞いてみると、食事はテレビのある広間で食べているようでした。

車椅子で移動ができるようになったので、なるべく外に連れ出すようにしてくれているのだろうと思いました。

まだ点滴や心電図を診る器械を付けてはいましたが。

話をしていると主治医の先生が来て「血圧はまだ高いが、順調に回復しているので明日の朝に点滴を取ります」と言ってくれました。

今回の入院は当初から母が元気でしたので、それほど深刻には感じなかったのですが、今から思うと点滴を取るまでにも十日ほど経過していました。

それでも大部屋に移動して点滴も取れるということで、ホッと一安心でした。

2021年3月15日 (月)

「お手伝いはやらなかった」

2年前の2019年3月15日は金曜日、この日も午後3時40分頃に母の個室に面会に行きました。

母はベッドに仰向けになっていましたが、起きていたようで「何も聞こえないの」とラジオの話を切り出しました。

横になったまま話しているので鼻が詰まったような声で「お昼食べたのかな?」と、寝起きだったのか少しぼんやりしているようでした。

「前、お手伝いしたところにずっといた」とナースステーションに行っていたことを教えてくれました。

車椅子でナースステーションに行って、写真を持って行って見せたことを話してくれました。

入院して一週間が経過し、初めて車椅子に乗ったようですが「お手伝いはできないからやらなかった」とも言っていました。

以前の入院では看護師さんたちのお手伝いをしたのに、今回はまだできないことが少し寂しかったようでした。

「皆で写真を見たけど、お仕事は頼まれなかった」とも言いました。

「またお手伝いできるようになるといいね」と私が言うと、母は「そうだね」と頷いていました。

もうすぐ大相撲中継が始まるからか、この日は、しきりにラジオのことを気にしていました。

午後4時を過ぎて、ラジオの電池を替えて聴かせると「太鼓の音、大阪」と母は呟きました。

どうやら大相撲中継が始まったようで「これから始まる、どうもありがとう」と、徐々に元気になった母はお礼を言ってくれました。

2021年3月14日 (日)

「頭が寒いよう」

2年前の2019年3月14日は木曜日、晴れていましたが風が強い日で、この日も午後3時40分頃に面会に行きました。

母はベッドを半ば立てて、耳にはイヤホンを入れたまま眠っているようでした。

寝息を立てていたので起さないようにして、帽子を交換してあげようと思い、帽子を取りました。

すると母は「頭が寒いよう」と突然、寝言を言いました。

ただ、それほど深く眠ってはいなかったようで、それをきっかけに目を覚まして話し始めました。

前日に持って行った写真を看護師さんたちと一緒に見たこと。

今日は窓を開けたら風が強くて寒かったということ。

などを話していると主治医の先生が現れて、かなり回復したということを説明してくれました。

血圧が下がっているのは薬の効果で、食事もほとんど食べているとのことでした。

心電図、血圧計はずっと付けていて、点滴は足から入れていました。

本人の話しでは、便通は未だにないということでした。

「3月14日は五木ひろしの誕生日だよ」と言うと「そうだね」と即答でした。

元々認知に心配はありませんでしたが、こういう記憶はいつまでもしっかりしていました。

2021年3月13日 (土)

80年前の写真

2年前の2019年3月13日は水曜日、晴れて暖かい日でした。

この日も午後3時40分頃、母の面会のため病院に行きました。

いつもの個室に入ると、母は入口の方を向いて眠っていました。

肩をトントンと叩くと起きたようで動き出しましたが、よく眠っていたようで目がなかなか開きませんでした。

この日は前から話していた母の子供の頃の写真が見つかったので持って行きました。

それは小学校の卒業写真で80年近く前のものになりますが、母は懐かしそうに見ていました。

また、前日に主治医の先生が「むくみはかなり良くなりました」と言っていたことを教えてくれました。

食事は良く食べているけれど、便通がまだだとも話していました。

いろいろと話しているうちに腕帯が膨れ出し、血圧を測り始めました。

134/49、脈拍は68という数字が現れ、前日までと違ってかなり低くなっていました。

まだ食塩水と利尿剤の点滴をしていましたが、少しずつ良くなっているようで、近いうちには点滴も取れて大部屋に移動かな、と思いました。

この日はラジオでは国会中継をやっていて、大相撲の放送は午後5時からで、午後8時からは演歌の番組があることを伝えて帰ることにしました。

2021年3月12日 (金)

懐かしい写真

2年前の2019年3月12日は火曜日、晴れて暖かい日で午後3時40分頃病室に行きました。

前日に言われた母の子供の頃の写真は探しましたが、なかなか見つかりませんでした。

母にはその旨を伝えて、代わりに昭和30年代の写真を数枚持って行き見てもらいました。

母の待ち望んでいた写真ではありませんでしたが、懐かしそうに見てくれて、とても嬉しそうな表情をしていました。

この日も時折血圧計が動き、たまたま見た数字は187/70で前日よりは下がっていましたが、まだ高めでした。

看護師さんにも「血圧が高い」と言われたとのことでした。

また、母の話では、この日は検査もなくずっと病室にいたようでした。

相変わらず足から生理食塩水と利尿剤の点滴を入れていて、ベッドに横になったまま話をしましたが、顔色も良く元気そうに話してくれました。

身体の内部の状況までは分かりませんが、元気はあるので少しずつでも回復していけばいいなと感じました。

そろそろ母が楽しみにしている大相撲の中継が始まるので、ラジオの電池を交換してから帰ることにしました。

2021年3月11日 (木)

「探してみるよ」

2年前の3月11日は月曜日、この日は午後3時半頃に母の面会のため、病院に行きました。

母はベッドを半ば立ててラジオを聴こうとしていました。

4時から大相撲中継が始まるのに、FMになってしまって直せないと焦っていました。

この日も顔色は良く元気もあり、便通はないがまだ余裕があるとも言っていました。

この日は病室にレントゲン技師が来て、助手とともにレントゲンを撮った、検査はそれだけだと話していました。

それ以外は静かで退屈だとのことでした。

前日の日曜日は、顔見知りのにぎやかな看護師さんが3人来て、みんなで話をしたということでした。

看護師さんが母の子供の頃の写真を見たいと言っていたというので「探してみるよ」と答えておきましたが、あるのかな?と不安になりました。

話をしていると時々腕帯が動き出して血圧を測定していました。

その時の血圧は207を記録して、それ以前の最高値は210が記録されていました。

母は入院以来ずっと元気に見えましたが、血圧はずっと高いようでその点は少し心配でした。

2021年3月10日 (水)

「一人で笑っていた」

2年前の2019年3月10日は日曜日、午後3時40分頃に母の病室に面会に行きました。

母はベッドを途中まで立ててラジオを聴いていました。

日曜日ということで暇を持て余し気味なので、ずっとラジオを聴いていて「演芸が面白くて一人で笑っていた」と言いました。

また、4時からは相撲だということで楽しみにしているようでした。

食事のことを尋ねてみると「味付けが美味しいからいいね」と満足しているような笑顔でした。

左腕に腕帯を巻いていて時々血圧を測っているようで、最高値が191と表示されていて少し気になりました。

それから入院後はまだ便通がないので、看護師さんに指で確認してもらうと「まだ出口にはない」と言われたそうでした。

こういうことも入院や施設での生活で慣れてきたので、母も安心できるようになっていました。

また、母は何気なく腕を上げて見て「シワだらけ」と、しみじみと言いながら笑っていました。

見た目の体調は良さそうで、目も良く見えているようでした。

食事は食べていましたが点滴を足から入れていて、その足を見るとむくみはほぼなくなっていて、すっかり細くて軟らかくなっていました。

午後4時5分になり、大相撲中継が始まったところで帰ることにしました。

2021年3月 9日 (火)

「全部食べたかった」

2年前の2019年3月9日は土曜日、母の入院3日目で午後4時頃に面会に行きました。

前日は午後6時の夕食時に行ったため、母は「来ないのかと思った」と言って心配していたようでしたので、いつもの時間に行くことにしました。

母はベッドを少し起こしてこちらを見ていて「そろそろ来る頃だ」と待っていたとのことでした。

とても元気そうに見えて時間を持て余し気味のようで、ラジオをたくさん聴いていたと言っていました。

プロ野球のオープン戦が始まっていることもラジオで聴いて知っていました。

話し始めるとすぐに食事のことになり、この日もおいしい肉が出たと笑顔で話してくれました。

ただ、硬くて半分しか食べられず「全部食べたかった」と、残念そうにしていました。

また、この日は叔母の誕生日だということも覚えていて、記憶もしっかりしていました。

他にはレントゲンを撮ったことなどを話してくれて、声も良く出ていました。

寝ながら話していたのでいくらか鼻声でしたが、目も良く見えると言い、耳も遠くなく話が弾みました。

テーブルには前日に借りた料理の本にルーペが挟んであり、施設での体調とは全く違って、すっかり元気になったようでした。

私にとっても、母が施設で体調悪そうにしているより、病院にいる方が万一の時も安心なので、気持ちが楽になったのは確かでした。

2021年3月 8日 (月)

「おやつが出なかった」

2年前の2019年3月8日は金曜日、前日に入院した母の面会に行ったのは午後6時ころでした。

母は入院した時と同じ部屋にいて、ちょうど食事中でした。

施設の食事と違い、形のはっきりしたものを箸を使って食べていましたが、母の顔色は良く、食欲旺盛な食べっぷりという感じでした。

「朝はパンが出た」と嬉しそうな表情で話してくれました。

心不全と診断されてから施設では制限食になり、かなり不満が募っていたようでしたから、病院の食事を美味しそうに食べていました。

「おやつが出なかった」と不満そうに言いながらも、食事は病院の方が気に入ったようでした。

同じフロアへの入院は3回目なので、顔馴染みの看護師さんが次々に挨拶に来てくれて楽しかったとも言っていました。

かなり元気になって逆に退屈だったのか、看護師さんから借りたと思われる料理の本がベッドサイドに置いてありました。

覚醒レベルも高く、耳の聞こえ方も良好で目もおそらく良く見えているようでした。

前日まで十日間くらい、具合が悪そうにしていたのがウソのようにも思えました。

原因としては塩分不足、貧血または心臓の状況によるのか分かりませんが、母は病院の点滴で元気になることがありました。

母は「昨日お風呂に入らなかったから良かった」と言っていましたが、朝早く施設に電話して診察をお願いして良かったと私も思いました。

2021年3月 7日 (日)

そのまま入院

2年前の2019年3月7日は木曜日、雨の降る寒い日でした。

前日の帰宅後に施設に電話をして母の体調が不安であることを伝えましたが、私はその後も不安が募り、この日の朝には主治医の先生に診てもらいたいと考え、再び施設に電話をしました。

前年の11月に母が入院した時には、むくみが顔に出るまで病院に行かなかったわけですが、今回は意外と簡単に許可が出て病院に行くことになりました。

前回はかなりむくんでも母は元気で、苦しそうにすることもなかったのに対して、今回は十日ほど前から体調の悪さがある程度確認されていたからかもしれませんが。

いずれにしても午前11時頃に施設に行くと、母はいつもの場所にいて居眠りをしていました。

かなり深く眠っていたようで、涎を拭いながら目を開けて、しばらくは何事かなかなか把握できないようでした。

その後病院に行き、検査から診察を受け、結局そのまま入院することになりました。

その後の状況から考えると、このころから外に見えるむくみよりも体内のむくみの方が早くなっていたように思えます。

足がパンパンにむくんでいた頃は、見ている方は痛々しい感じでしたが、本人はそれほど苦しそうではありませんでした。

それが今回は、足はそれほどむくんではいませんでしたが、本人は体調不良を訴えていました。

あくまで私見ですが、これまでの足のむくみは腎臓からで、体内に貯まるものは心臓からだったのかなと今では思っています。

2021年3月 6日 (土)

「うまく書けた」

2年前の2019年3月6日は水曜日、この日も午後4時頃に面会に行くと母は定位置にいました。

目は開いていましたが、どこか元気がないように見えました。

話を聞くと、おやつは食べましたが、この日も食欲がないので昼食を抜いたとのことでした。

それでも午前中にリハビリに行き、戻ってから習字をして、既に3枚壁に貼ってありました。

本人も「今、気づいた」と言っていましたが、久しぶりにしては上手な字で書いてありました。

母も「自分ながら、うまく書けた」と言っていて、なかなかの手ごたえだったようです。

そこへ職員さんが私に話しかけてきて「この頃食欲がなくて食べなかったり、元気がなかったりする」と心配してくれました。

その点は私も2月の後半くらいから気になっていたことでした。

この日も話をしていると徐々に元気にはなってきましたが、記憶にあいまいな点があったりしました。

ベッドに座ってもらうと、2018年11月に入院する前と同じように、笛の音のような呼吸音が聞こえました。

母は息苦しいことはないと言っていましたが、翌日に予定されている入浴は自信がないとも話していました。

状態が前回の入院前に似てきたという不安を抱きながら、私が帰宅後に施設に電話をして母の状況を説明すると、翌朝施設の医師が診ると約束してくれました。

2021年3月 5日 (金)

入院二日前

2年前の2019年3月5日は火曜日、晴れて暖かい中、午後4時過ぎに面会に行きました。

食欲がないと言って前日の昼食を抜いたりしていたので、母の体調を心配しながらの面会でした。

この日、母はいつもの位置にいましたが、目を瞑っていて少し居眠りをしているようでした。

話を聞いてみると、おやつの前後にトイレにいき、おやつを食べて、今は一休みしていたとのことでした。

おやつの前のトイレでたくさん出て良かったことと、おやつは草餅のような色をしたお饅頭だったということを教えてくれました。

また、心配だった前日の夕食は普通に食べられたことも報告してくれました。

この日の昼食もうどんが出て、短くカットされていたものをスプーンで食べたということでした。

職員さんは、それをチャンポンだと言っていたようでしたが。

この日の母は、ここ数日の中では食欲もあり体調も良さそうに見えました。

足のむくみは足首の上くらいまでありましたが、触ってみると柔らかいのでまだ少し余裕がある感じでした。

車椅子とベッドの移動もスムーズにできて、足も痛くないと言っていたので、私の不安も少し和らぎました。

それでも、二日後には入院することになるわけですが……。

2021年3月 4日 (木)

涙目の苦笑い

2年前の2019年3月4日は月曜日、寒い雨の降る日でしたが、この日も午後4時頃面会に行きました。

母がいつもの場所にいなかったので職員さんに尋ねると、部屋で寝ているとのことでした。

部屋に行くと母はベッドに横になっていましたが、声を掛けるとすぐに目を開けました。

この日は午前中に入浴をして、すぐに昼食だったけれども、食欲がなかったので食べなかったということでした。

その後昼寝をしてからおやつを食べて、その後また寝ていたようでした。

ただ、それ程具合が悪いようには見えませんでしたが、血圧を測ると187/73、高めでした。

おやつは甘いカステラのようなものを食べて美味しかったとも言っていたので、何も食べられないわけではありませんでした。

それでも、お風呂の後に昼食になって目が見えなくなったと言っていたので、このころ気になっていたむくみだけでなく、自覚症状が表れたようでした。

実際に3日後には入院をすることになります。

この日は夕方になっても食欲がないと言っていました。

帰り際に「なるべくたくさん食べるようにね」と声を掛けると、少し涙目で苦笑いのような表情をしていました。

話をしている限りは変わらない感じでしたが、母はどことなく体調の変化を感じているようで心配が募りました。

2021年3月 3日 (水)

「パンが来るのかな?」

2年前の2019年3月3日は日曜日、この日は雨の降る中、午後4時頃に面会に行きました。

母は丁度、いつもの場所からどこかへ行こうとしていました。

トイレに行くとのことで、先に部屋で待つことにしました。

少し待って、トイレから帰ってきた母の血圧を測ると、181/71と少し高めでした。

このころは毎日血圧を測っていましたが、この数日は上が170~180で高めの日が続いていました。

そして足のむくみも目立つ感じになってきていました。

この日は日曜日なので特に催しもなく、ラジオ体操をやったかなという程度とのことでした。

おやつには桜餅が出て「これが美味しかった」と、とても喜んでいました。

また、朝食の配膳が自分の所だけ遅かったので「パンが来るのかな?」と期待してしまったとのことでした。

ところが「やっぱり、お粥だった」と残念そうでした。

「桜の時期には散歩でもしようか?」という私の提案に、母ははっきりとは答えませんでしたが少しは興味がある感じでした。

ほぼ1年、母は同じ建物の中にいて外に出ていないので、心身の健康のために散歩を考えたのですが、実際に散歩ができたのはこの年の10月になってからのことでした。

2021年3月 2日 (火)

愚痴が出始める

2年前の2019年3月2日は土曜日、晴れて暖かい日でしたが、この日も午後4時過ぎに面会に行きました。

母はいつもの位置にいて、何か工作をしていました。

紙を台に貼るために糊を塗っているところでしたが、途中で止めて部屋に行きました。

話を訊くと、この日もリハビリはなく一日まったりと過ごしていたということでした。

前夜はあまりよく眠れなかったと言い、そのためか昼寝がよく眠れたそうで、少し寝ぼけ顔のような感じでした。

おやつには草餅が出て美味しかったと言いました。

部屋が暑いこともあってか、私が持参したレモン味のゼリーも美味しそうに半分くらい飲みました。

また、朝から便通があって、そちらの心配はなさそうでした。

ただ、車椅子とベッドとの移動時に右足の踵が痛いと言い、むくみもくるぶし辺りまで目立ってきました。

いまから思えば、こういった症状をもう少し重要視しておくべきだったかなという思いもあります。

それでも、いろいろと話をするうちに元気が出てくるのはいつもと同じでした。

少し気になったのは珍しく愚痴が多かったことで、体調なのか精神的なものか、心配な点がまた現れました。

2021年3月 1日 (月)

手を振ってお別れ

2年前の2019年3月1日は金曜日、この日も午後4時過ぎに面会に行くと、母はいつもの場所にいて目をつぶっていましたが、肩を叩くと目を開けました。

午後、昼寝をして、おやつを食べてからトイレに行ったら、たくさん出たと嬉しそうな表情をしていました。

おやつに食べた玉子のような冷たいものが美味しかったと、これも嬉しそうに話してくれました。

この日は覚醒のレベルも良い感じで、言葉もはっきりしていて、この数日の中では元気がありました。

前日に持って行った百人一首は使っていないとのことでしたが、職員さんの中で興味を示してくれた人もいたようでした。

また、数日前から調子が良くないといっていた右足の踵は、この日も調子が良くないと話していました。

そこで足を見てみると、右足はくるぶしの辺りまでむくみが目立ってきていて、左足も少しむくみ始めている感じでした。

この日はリハビリもなく、午前中にはタオル折りをたくさんやったとのことでした。

食事の話では、詳しくは分からないが美味しいお肉があったと、笑顔で話してくれました。

この日は全体に意識がはっきりしていて元気がある母と話ができて、ここのところ心配していた私も楽しめました。

最後にはエレベーター前で手を振ってくれました。

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