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2021年2月

2021年2月28日 (日)

「おやつが美味しい」

2年前の2019年2月28日は木曜日、冷たい雨の降る中午後4時に面会に行きました。

母はいつもの場所からどこかに行こうと動いていたので、声を掛けると「迎えに行こうと思っていた」と言いました。

部屋の中が暑い上に、そろそろ私が来る時間だと思って移動したとのことでした。

この日は午後も遅くに入浴して昼寝の時間がなかったので、起きて待っていてくれたようでした。

この日は朝も冷え込んで「朝寒くてね」と母は言い、厚手のパジャマで良かったと笑顔でした。

「何かおいしいもの食べた?」と尋ねると水羊羹を食べて「甘い紅茶が美味しかった」と言いました。

このころは元気がないときには食事を残したりもしていたようですが「おやつが美味しい」とのことでした。

また、前日に私が施設に電話をしたことを知っていました。

「鼻声だから熱を測って」と言ったと説明すると「今日は熱がなかったので入浴できた」と言いながら「鼻声だけどね」と付け加えていました。

このころ、時間を持て余しているような話をよく聞いていたので、百人一首のペン習字帳を持って行きました。

母はペン習字にはあまり興味はなさそうでしたが、百人一首はかなり覚えていました。

この日の音声を改めて聞くと、少し押し出すような声ながらも苦しそうな感じはあまりなく、お風呂上りだからか明るく元気な様子でした。

2021年2月27日 (土)

心配で施設に電話

2年前の2019年2月27日は水曜日、この日も午後4時頃に面会に行くと母はいつもの位置にいました。

見た目から元気がなさそうでした。

話を聞くと、お腹がやわらかく調子が悪いと言いました。

それでもこの日は2月の誕生会があって、チョコレートケーキを美味しくいただいたとのことでした。

ただ、珍しく食事を残したと本人の弁。

また、このころ欠かせないウンチの話は、おやつの前に行きたかったが食べてから行けばいいと言われ、ケーキを食べてから行くとたくさん出たということでした。

食べることと出すこと、これが母が元気をなくしている最大の問題になっているように感じました。

この日は午前中にリハビリがあって、一往復歩けたと嬉しそうに話してくれました。

足を見てみると、右足のくるぶしの辺りのむくみが目立つようになってきていました。

ただ、しばらく話しているうちに声も出てきて、少しは元気になってきたように感じました。

しかし、この日の母の元気の無さは帰宅後も心配で、施設に電話をして職員さんと話をしました。

職員さんはウンチのことで何か言っていなかったかと、質問してきました。

もしかすると、本人から聞いている以外にも何かがあって、母は体調とともに精神的にも参っているのかなと思いました。

2021年2月26日 (金)

「お粥よりはるかにいい」

2年前の2019年2月26日は火曜日、ここ数日母はどことなく元気がないので不安を抱えながら面会に行きました。

この日も午後4時頃に行くと母は定位置にいました。

おやつを食べてトイレに行って手を洗ったところだと言い、たくさん出たと嬉しそうでした。

ただ、やはり少しボーッとしているのか時間の感覚がイマイチで、話が分かりにくいところがありました。

それでも、しばらく話をしていると徐々に意識もはっきりしてきたようで、元気も出てきました。

この日はリハビリはなく、タオル折りをしたとのことでした。

そんなことを話しているうちに母は「思い出した」と言いました。

この日の朝食にパンが出たことを思い出し、おかずが足りなかったと不満を言っていました。

それでも「水浸しのお粥よりはるかにいい」と笑っていました。

この日は足のむくみもそれほどではなく、呼吸も息苦しそうな感じもないので体調は良さそうでした。

また、とりあえず排せつの悩みもないので、この頃としては珍しく不安を感じずに母と話ができました。

2021年2月25日 (木)

「トイレに行きたい」

2年前の2019年2月25日は月曜日、前日の母の様子が今一つでしたので、不安を抱えながら面会に行きました。

この日も午後4時頃に行くと、母の姿が見えないので職員さんに尋ねると、ベッドで寝ているとのことでした。

この日は入浴が午後になったので、その後におやつを食べてから休みに行ったということでした。

部屋に行くと母はベッドで横になっていましたが「ほとんど眠っていない」と言い、起きていました。

お風呂上りに着替えた時に厚手の帽子を被ったようで、薄手の物に替えてあげました。

レモン味の飲むゼリーを渡すと半分くらい飲みました。

血圧は170/70でいつもと同じくらいでした。

前日は夜も便通がありましたが、この日はまだないということでした。

ラジオの調子が悪いので見て欲しいと言われて見てみると、ボリュームが絞られていました。

この日の午前中はタオル折りをたくさんして、その中にはサイズの違うものもあったとか。

いろいろな話をしているうちに「トイレに行きたい」と言い出して、今にも出そうだと慌てだしました。

ただ、車椅子に移動する足もとはしっかりしていました。

いずれにしても便意が急過ぎて、あれでは間に合わないこともあるのだろうと納得するとともに心配になりました。

2021年2月24日 (水)

ひと騒動

2年前の2019年2月24日は日曜日、この日も午後4時過ぎに面会に行くと母はいつもの位置にいました。

母に挨拶をする前にある職員さんが話しかけてきました。

母が昼寝の際にウンチを漏らしてしまって、そのために気落ちをしているということでした。

母に声を掛けると確かに元気がありませんでした。

母にも職員さんとの話が聞こえていたようで、気にしていたので状況を知った旨を伝えました。

母の中では、それが起きたのが昼寝の時か前夜のことか良く分からないとのことでした。

ひと騒動の後にも、少し横になって寝たようなので覚醒レベルも今一つのようでした。

部屋に行くと「ズボンも汚したらしい」というのでロッカーを見ると、ズボンが洗って置いてありました。

この日は午前中にタオル折りをやったかな、と記憶もイマイチでしたが話をしているうちに少しずつ元気な声にはなってきました。

それでもやはりショックが大きかったようで、いつものようには話が弾みませんでした。

高齢者が介護が必要になると、ほとんどの場合徐々に状況は悪化していきます。

介護する方も大変になりますが、介護される方も身体的にも精神的にも不安定になりがちです。

このころ数日前から、私は母の体調を心配し始めていましたが、この日からは精神的なことも不安になってきました。

2021年2月23日 (火)

「重そうですね」

2年前の2019年2月23日は土曜日、晴れて暖かいながらも午後になって北風が強くなりました。

この日は午後4時より15分ほど早く行くと、母は丁度手を洗っているところでした。

「タイミング良かった」おやつを食べてトイレも終わり手も洗ったところで私が現れ、母は笑顔で挨拶をしてくれました。

この日は土曜日でまったりと過ごしたようで「今日は何もないよ、ずっと寝てた」と言いました。

先日の通院で塩分の不足が指摘されたこともあって、干し梅を持って行って食べさせてあげました。

母も嫌いではないようで、しばらく舐めていて最後には飲み込んでいましたが、少しは効果があればいいなと思いました。

この日の朝はきれいな日の出が見えた、と笑顔で話してくれました。

着替えながら新しいトレーナーのような上着を着せてみると「薄手だけど暖かい」「花柄がカワイイね」と喜んでくれました。

また、母はほとんど歯がなく、眠っていると涎が出て衣服を濡らしてしまうことがよくありました。

この日はそうして濡れてしまったパジャマが洗濯物としてタンスにしまってありました。

帰り際に、私がそのパジャマを含めて持ち帰る洗濯物を入れたカバンを抱えると、母は「重そうですね」と言ってくれました。

「あなたの洗濯物だよ」と私が答えると、母は「ハハハ、そうだね」と大笑いしていました。

この日も話をしているうちに段々と元気が出てきたので安心しました。

2021年2月22日 (月)

「フラフラした」

2年前の2019年2月22日は金曜日、晴れて暖かい日でした。

この日も午後4時過ぎに面会に行くと、母はいつもの位置にいて手にクリームを塗っていました。

おやつにはクッキーの様なものが出て、それを食べているときにフラフラしたと言いました。

よく訊いてみると午後昼寝をして、おやつの直前までぐっすりと眠っていたようでした。

その後おやつ、トイレと済ませて、クリームを塗っていたところで、その最中にフラフラしたとのことでした。

持参した血圧計で計測してみると、85/54、かなり低い値が出ましたが途中で腕が動いたような気がしました。

そこで改めて測ると、170/67、170/59、2度いつものような値になりました。

今では最初の値が単なる間違いかどうかは分かりません。

ただ、この2週間後に母は再び心不全の疑いで入院することになります。

そのような状況を考えると、既に心不全の影響が出始めていたのかもしれません。

それでも、この日の帰りには私に手を振ってくれて、元気を取り戻したように見えた母でした。

2021年2月21日 (日)

けん玉

2年前の2019年2月21日は木曜日、この日も午後4時過ぎに面会に行きました。

母がいつもの場所にいないので職員さんに尋ねると、部屋で寝ているとのことでした。

何かあったのかと思いましたが、午後、入浴が遅くなったためおやつを食べた後に昼寝をしているとのことでした。

部屋に行くと母は、いつものように入口の方を向き左側を下にして横になっていました。

ぐっすり眠っていたらそのまま帰ることも考えましたが、少し動いたように見えたのでトントンと体を叩くと目を開けました。

「少し前に目が覚めた」と言いながら、ベッドの手すりを掴んで上手に起き上がりました。

入浴後には体にクリームを塗ってもらったそうですが、足は塗っていないというので塗ってあげました。

むくみはほとんどありませんでした。

その後ベッドから車椅子に移動する際は、結構楽に移動して「今日は足の踵が痛くない」と言っていました。

この日はカセットテープを持って行き、施設入所前に良く聴いていた三山ひろしの歌を聴かせてあげました。

「いい声だね」と母は言いましたが、画像がないのでよく覚えていないようでした。

そこで「けん玉が上手な歌手だよ」と教えると、何となく思い出したような表情をしていました。

2021年2月20日 (土)

お寿司が出た

2年前の2019年2月20日は水曜日、午後4時過ぎに面会に行くと母はいつもの位置にいました。

この日も何か工作をしたと言っていました。

濡らした紙を丸めて球を作ったとのことですが、作品が出来上がらないと何を作ったのか分からないようでした。

おそらく、雛祭りに使われる作品の一部になるのではないかと話していました。

他には、午前中にリハビリをして、午後は昼寝といういつもの流れ。

リハビリでは一往復歩いたとのことで、前日から母は言っていたのですが、右足の踵に力が入ると痛みがあるとのことでした。

それでも歩けたようでしたので少し安心しました。

足のむくみもほとんどなく、前日の通院で出してもらった新しい薬を塗ってもらったこともあって、背中も痒くないと。

少し痰が絡むような話し方をしているのが気になりましたが、咳ばらいをさせると若干良化したようでした。

その他に母が話してくれたのは、昼食にお寿司が出たということでしたが、ネタが何かは分からないとのこと。

魚の切り身のようだったと言っていましたが、生ものは出ないはずですので焼き魚だったのでしょうか。

この日の母は多少の不安はありながらも、相変わらず元気にいろいろな話をしてくれました。

2021年2月19日 (金)

最大のチェックポイント

2年前の2019年2月19日は火曜日、久しぶりの通院の日でした。

この日は午後2時半に施設に行きますと、母はいつもの場所に座って何か工作をしていました。

いつもは昼寝をしている時間ですが、病院に行くのでおそらく横にならずに時間を潰していたのでしょう。

母は元々腎臓が悪く、血液検査でも腎臓に関する数値だけを私は心配していました。

もっとも、最後の入院をする2019年11月の数か月前くらいからは、他の数値にもかなりバラつきが出てきていました。

ですから、このころはまだ検査でも腎臓に関する数値以外は問題ありませんでした。

ただ検査結果は施設に渡していましたので、今では詳細な数値が分からないのが残念ではあります。

この日は母の体調も良さそうでしたし、足のむくみもほとんど気にならない状況でしたので一安心でした。

しかしながら、わずか半月後に母は再び入院することになります。

おそらく心不全が発症してから、母のむくみは下半身よりも上半身に現れていたのだろうと思います。

今ではそのように考えていますが、この当時はそれまで通り足のむくみを最大のチェックポイントにしていました。

2021年2月18日 (木)

楽しみな入浴

2年前の2019年2月18日は月曜日、暖かい日でこの日も午後4時過ぎに面会に行きました。

母はいつもの場所にいて、この日も「暑い」と言いました。

室内が暑い上に外も暖かく、さらに西日も強く差し込んでいました。

この日も母は元気に話をしてくれましたが、午前中に入浴をして午後は昼寝をしたということでした。

入浴の前には3回も血圧を測ったと言いました。

気になったので持参した血圧計で測ってみると、164/57で、いつもとそれほど変わりませんでした。

また、この日の母はお風呂でのことについて熱心に話してくれました。

特に背中にお湯を掛けてもらうのが気持ちがいい、と強調していました。

母は80代に腰を痛めてから浴槽に入らず、身体を拭いて済ませることが普通になっていました。

それが足を骨折して手術をする前日に体を洗ってもらって「気持ちよかった」と言っていました。

その後、施設に入所してからはお風呂が楽しみだったことは間違いないと思います。

介護が必要ないときには想像もできないことですが、介護されるようになっても気持ちよく入浴することができると分かった母は、お風呂でのことを楽しそうに話すことが数多くありました。

2021年2月17日 (水)

ラジオがガーガー

2年前の2019年2月17日は日曜日、午後4時過ぎに面会に行くと母はいつもの所で居眠りをしていました。

やはり室内が暑いので、じっとしていると眠くなってしまうのだということでした。

日曜日なので特に行事もなくまったりと過ごしていて、昼寝の後におやつを食べてくつろいでいたようでした。

この日も母の部屋に行って着替えをしながら話をすることにしました。

まったりと過ごす日々が続くと運動量も落ちるので、元気がないように見えてしまいます。

また、覚醒のレベルも少し落ちているように思えて、反応も遅いように感じました。

それでも話をしているうちに次第にしっかりしてきて、いろいろな話をしてくれました。

前夜の睡眠中にラジオがガーガー言い出して、どうにもならなくなってしまったとのこと。

そこで呼び出しボタンで職員さんに来てもらったが、夜勤の人たちでは直せなかったとのことでした。

私がバッグから出してラジオを見てみると、既に直っていて普通に聴こえました。

他の職員さんが後で直してくれたものと思いますが、高齢者にとって機械の操作はなかなか難しいようです。

話しの合間に久しぶりに持参したヤクルトをあげると、暑さでのどが渇いていたのか、あっという間に一本飲み干しました。

食欲もあって体調は問題ないようでした。

2021年2月16日 (火)

「あの靴どうしたの?」

2年前の2019年2月16日は土曜日、曇りがちながらも暖かい風の吹く日でした。

この日も午後4時過ぎに面会に行くと、母は元気そうな声で「雪降ってないの?」と尋ねてきました。

前日は確かに小雪がチラつきましたが、「今日は暑いよ」と私が言うと「何もやることがないから皆寝てるよ」と母。

室内が暑いので、じっとしていると眠くなるようでした。

母は昼寝をした後、かりんとうのようなおやつを食べたところだと言いながら、元気にいろいろと話をしてくれました。

まず、おしめで股擦れをしたようだと報告をしてくれました。

それから自分の朝食が最後に出てきたので、今日はパンかと思ったら、水分の多いお粥が出てきてがっかりしたと笑いながら言っていました。

それでもオムレツのような玉子焼きが美味しくて、今日も完食したとのことでした。

また、前日も話していた新しい靴のことを言いました。

刺繍で名前が入った明るい水色の靴を先月から履いていたのですが、「あの靴どうしたの?」とみんなに訊かれると。

洗うために持ち帰っただけなのですが、高齢者としては明るい色だからか、予想外に反響が大きかったようです。

口ぶりから母も気に入ってくれていたようで、選んだ私としてはとても嬉しかったことを覚えています。

2021年2月15日 (月)

「シワかぁー」

2年前の2019年2月15日は金曜日、午後4時過ぎに面会に行くと母はいつもの位置にいましたが、居眠りをしていました。

肩をトントンと叩くと目を開けて「暑いから眠くなる」と言いました。

この日は昼頃には小雪がチラつくほど寒い日でしたが、施設内はエアコンが効いてかなり暑い感じでした。

母は「雪降ったね」と、職員さんに聞いたようで外の寒さを知っていました。

私の手が触れた時に「手が冷たいね、なんで手袋はめないの?」と母が聞くので、私は「持ってないんだ」と答えると母は笑っていました。

昼頃に雪が降って来た時には、ある職員さんが「息子さん来ないかもしれないね」と言っていたと話してくれました。

その他の母の話では、この日は爪を切ってもらって、おそばを食べて、リハビリに行ってそれ以外は寝ていたとのことでした。

昼寝の前には看護師さんに背中に保湿クリームを塗ってもらったということでした。

その際に看護師さんから「ほかに何かありますか?」と言われて母は「手がカサカサする」と答えたそうです。

そこで母が指さすところを見てみますと、それは増えてきたシワのことのようでした。

「シワじゃないの?」私が言うと、母は「シワかぁー」と言いながら大笑いしていました。

最後に「爪が揃って気持ちいい」と、爪を切ってもらったことを喜んでいました。

この日の母は最初の寝起きの声から、徐々に元気な声になりました。

2021年2月14日 (日)

足取り軽い帰り道

2年前の2019年2月14日は木曜日、曇りで寒い日でした。

この日も午後4時過ぎに面会に行くと、母はいつもの場所にいましたが、カーディガンを着ていませんでした。

聞いてみると、午後に入浴をした後でおやつを食べて、くつろいでいるところだと言っていました。

お風呂上りということもあるのか「暑い」と言っていましたが、室内は暖房もかなり効いていて確かに暑く感じられました。

そのまま部屋に行って話をすることにしましたが、少しろれつが回っていない話し方に感じました。

入浴が午後になり、昼寝をしていないので眠気があるためかな、などと思いました。

ただ、いろいろと話をしているうちに段々といつもの元気さを取り戻してきました。

便通も午前中から何回か出ていて、食事もおいしく完食していると話してくれました。

今から振り返ると、この日のように特別に何もない面会ができたことが楽しかったのだと、つくづく思います。

面会に行くときはいつも少なからず不安もありましたが、このような日の帰り道は足取りも軽かったことを覚えています。

2021年2月13日 (土)

美味しい食事とリハビリ

2年前の2019年2月13日は水曜日、前日は母の体調があまり良くなかったので、少し心配しながら面会に行きました。

午後4時過ぎに行くと、母はいつもの位置にいて「暑い」と言っていました。

この日も直接部屋に行き、着替えながら話をすることにしました。

この日はリハビリがあり、久しぶりに伝い歩きで2往復歩いたとの話でした。

母が言うには月曜日が休みだった影響か、リハビリが少し混んでいるように感じたとのことでした。

また、朝食にパンが出たと嬉しそうに話してくれました。

その上、一緒に出てきた薄い玉子焼きも美味しかったと満足そうでした。

昼寝の前には看護師さんに保湿クリームを塗ってもらったとのことでした。

そのためか昼寝もよく眠れたと言い、その影響もあってか母の体調はとても良さそうでした。

リハビリの効果もあったようで、車椅子とベッドの移動も前日と違ってスムーズにできました。

少し不安を持ちながら面会に行ったわけですが、母の元気な姿を見て一安心でした。

美味しい食事とリハビリが効果的だったように思います。

2021年2月12日 (金)

再び体調不安?

2年前の2019年2月12日は火曜日、この日も午後4時過ぎに面会に行きました。

母はいつもの位置にいて「手を洗っていたところ」と言いました。

おやつの後にトイレに行き、洗面所で手を洗って戻ったところのようでした。

この日も部屋に行き着替えながら話をすることにしましたが、母は体調がイマイチだと言いました。

聞いてみると、前夜はよく眠れなかったようでした。

この日はリハビリもなく、ひたすらタオル折りをしていたそうで、タオル折りは問題無いが目が良く見えていない気がする、と言っていました。

一週間後に通院があるので、この日から血圧を把握しておこうと思い、血圧計を持って行っていたので測ることにしました。

その結果は、190/70、脈拍は70でした。

久しぶりに測定した母の血圧はかなり高いものでしたが、この日の体調との関連は分かりません。

また、着替えの際の車椅子とベッドとの移動も少し心許なく、以前より危ない感じもしました。

この日の体調不良の原因は特定できませんが、このころから再び母の体調に不安な点が出てきたようには思います。

2021年2月11日 (木)

記録することの大切さ

2年前の2019年2月11日は月曜日、とても寒い中、この日も午後4時過ぎに面会に行きました。

母はちゃんちゃんこを着て、いつもの位置にいました。

ただ、今日はこれ以上のことは分かりません。

いつもは日記や音声に基づいて2年前のことを振り返っていますが、2月11日の記録は以上のものしかありません。

この日は月曜日なので入浴をしたものと思われますが、それ以外は今となっては分かりません。

推測ですが、当時の母の様子からしますと、変わりなく元気で心配なかったのだろうと思います。

特別なことがあれば印象に残りますが、いつもと同じであればすぐに忘れてしまうものです。

そのために記録をしておくことの大切さを、今日改めて痛感しました。

2021年2月10日 (水)

「久しぶり」

2年前の2019年2月10日は日曜日、午後3時半頃に面会に行きました。

母はいつもの位置にいたので、私は向かいの鏡に向かって手を振りました。

それに気が付いた母は「久しぶり」と挨拶をしてくれました。

前日は雪の影響で面会に来なかったので、久しぶりといえば確かにその通りでした。

母は丁度おやつを食べたところで、「暑い」と言っていました。

この日は晴れて寒い日でしたが、外が寒いだけ室内の暖房が効いているようでした。

二日ぶりに会った母は相変わらず元気でしたが、室内の暑さと乾燥が気になっているようでした。

そのために朝、かゆみ止めを背中に塗ってもらったと話していました。

また、靴を履かせてくれた職員さんに「足が臭い」と言われたと。

施設での生活は寝ている時以外は靴を履いていますので、室内が暑いと足も汗を掻いて匂ってきてしまうようです。

新しい靴も、そろそろ持ち帰って洗わなければいけない時期になっていたようでした。

2021年2月 9日 (火)

楽しかったかな?

2年前の2019年2月9日は土曜日、朝から雪が降り、うっすら積もった日でした。

前日、母に「大変な雪になったら来ないかもしれない」と話しておいたので、それほどの雪ではなかったのですが、この日は面会に行かないことにしました。

当時の母は心身ともに好調で大きな不安もなかったので、私も安心して家にいることができました。

 

ところで、2020年2月9日から始めたこのブログも早いもので一年になりました。

何とか一年間、一日も欠かさず続けることができました。

このごろは2年前の母の様子を書いています。

当時の記録を見ると、様々な記憶が蘇ってきて楽しいものです。

母の第二の人生は結局一年半くらいで、いろいろありましたが、本当に貴重な時間だったと思っています。

母が亡くなって間もない頃は、寂しさや後悔の念が私の胸の中のほとんどを占めていたように思います。

ただ、今では「母も楽しんでくれたな」という満足感が胸中の多くを占めています。

そんな母との楽しかった時間を、今後も書いていきたいと考えています。

2021年2月 8日 (月)

「来なくていいよ」

2年前の2019年2月8日は金曜日、曇りでやや肌寒い日でした。

この日も午後4時過ぎに面会に行くと、母はいつもの場所にいました。

やはり少し寒いのか、珍しくちゃんちゃんこを着ていました。

この日は午前中にリハビリがあって、いつものようにリハビリルームで行ったということでした。

施設のインフルエンザも一段落したということでしょう。

久しぶりに歩行訓練も一往復行ったようでした。

食事にはお吸い物が出て、おやつも甘いものでしたが「おいしかった」と言っていました。

便通も柔らかいものが良く出ているとのこと。

足にローションを塗るときに見ると、むくみも全くない感じでした。

以上のように体調も良さそうで声も元気でした。

翌日の天気予報が雪と言っていたので「大変な雪なら来ないかもしれない」と母に伝えました。

母の方も体調に不安もないし、かえって心配するとのことで「来なくていいよ」と言ってくれました。

2021年2月 7日 (日)

「そこでたくさん出た」

2年前の2019年2月7日は木曜日、この日も午後4時過ぎに面会に行きました。

母はいつもの位置にいましたが、この日も部屋に直行して話をすることにしました。

木曜日なので午前中に入浴をして、午後はいつもの昼寝をしたということでした。

ウンチも柔らかいものが良く出ていると言っていました。

お風呂の前には出なかったのが、お風呂場に行って出そうになったので、裸のままトイレに入ったといいます。

「そこでたくさん出た」と笑顔で話してくれました。

この日は入浴したので着替えは必要ないのですが、入浴後に背中にクリームを塗っていないというので、背中にだけ保湿クリームを塗ってあげました。

また、この日のおやつには、かりんとうが出たそうです。

母はこの日も話をたくさんしてくれて、体調も良さそうでした。

ただ、ここ数日、耳が少し遠くなったような感じや巻き舌のような話し方、声が小さくなったかなと思っていました。

これは大きな不安がないので、小さなことが気になっていただけなのかもしれませんが。

2021年2月 6日 (土)

心身ともに良好

2年前の2019年2月6日は水曜日、この日も午後4時過ぎに面会に行きました。

母はいつもの場所にいて、珍しくちゃんちゃんこを着ていました。

昼寝の後、食堂に戻ると寒かったので着たのだということでした。

確かに外でも冷たい雨の降る日ではありました。

この日は特に行事もなく、午前中はタオル折りをして過ごしたということでした。

午後は昼寝をして、おやつにゼリーを食べたということです。

2日続けてヤクルトを飲んだ影響か、便通もいい感じだと言っていました。

また、保湿クリームを塗ってもらって寝ているので身体が痒くなく、よく眠れているとのことでした。

足のむくみも全くといっていいほどなく、この日も元気にたくさん話をしてくれました。

このころは母の調子が心身ともに良好で、何も不安なく毎日面会に行っていました。

話しをする内容はいつも同じようなものでしたが、その繰り返しが毎日楽しかったのですね。

2021年2月 5日 (金)

出張リハビリ

2年前の2019年2月5日は火曜日、この日も午後4時過ぎに面会に行きました。

前日はエレベーターのドアが開くと目の前で母が待っていて、驚かされましたが、この日も目の前に母はいました。

ただ、この日は待っていたわけではなく偶然だったようで、そのまま部屋で着替えをすることにしました。

このころは施設にインフルエンザが入り込んでいたため、各フロアで面会をすることになっていました。

母の話では、午前中にリハビリがあったとのことでした。

リハビリも先生が出張してきてくれて、母のフロアで行ったということでした。

コンパクトな手すりを持って来ていて歩行訓練もできたので、久しぶりに少し歩いたようでした。

また、前日にヤクルトを飲んだためか、便通も良いということを話してくれました。

着替えとともに、背中と足に保湿クリームを塗ってあげました。

気になる足のむくみもほとんどありませんでした。

この日も体調には問題なさそうで、話し声も元気でした。

2021年2月 4日 (木)

お待たせしました

2年前の2019年2月4日は月曜日、この日も午後4時を過ぎた頃に面会に行きました。

私が乗ったエレベーターが母のいるフロアに着いてドアが開きました。

すると、目の前に車椅子に座った母がこちらを向いて笑っていました。

「どうしたの?」私が尋ねると、職員さんが時間を見て移動させてくれたのだそうです。

そのまま母を連れて部屋に行き、着替えながら話をすることにしました。

この日は午前中にはタオル折りをして、午後おやつの前に入浴をしたとのことでした。

入浴後は保湿クリームを全身にたっぷり塗ってもらったようでした。

足のむくみも確認しましたが、ほとんどありませんでした。

入浴したということで着替えはしませんでしたが、昨夜の八分袖パジャマの着心地を聞いてみました。

母の話では、寒くもなく気に入ってくれたようでした。

また、昨日朝食にパンが出たので、今日も期待していたそうですが、水分の多いお粥で残念だったと言っていました。

ただ、お肉がおいしかったとも教えてくれました。

この日もいつもの時間に行き、待っていてくれた母と元気に話ができ、私の帰宅する足取りも軽やかでした。

2021年2月 3日 (水)

前夜は熟睡

2年前の2019年2月3日は日曜日、母はまったりと過ごしていたようでした。

この日も午後4時過ぎに面会に行くと、母はいつもの位置でラジオを聴いているようでした。

この日の朝食にパンが出たと報告してくれました。

今回のパンは、あんパンのような形をしていて、ジャムなどを塗って食べたとのことで「おいしかった」と喜んでいました。

また、前夜は7時ごろにベッドに入り、朝4時頃まで何も覚えていないほど熟睡したようだと話していました。

前日は節分の行事があって昼寝をしていないので、疲れもあってよく眠れたのだと思います。

母はこの日の昼寝もあまり眠れなかったと言っていましたが、暑さだけでなく、睡眠が足りていたことも大きかったのでしょう。

それ以外にも母が言うには、前夜は体が痒くなかったこともあったようです。

この日の夜は暖かいという予報でしたので、新しい八分袖のパジャマを勧めてみました。

少し薄手のピンクのものでした。

当時のことを振り返ってみると、母のために新しい衣類などを探すのは楽しかったですね。

この日母は着替えながら、自分の足を見て「細くなった」と、しみじみと言っていました。

2021年2月 2日 (火)

鬼退治

2年前の2019年2月2日は土曜日、この日も午後4時過ぎに面会に行きました。

母はいつもの位置にいましたが、テーブルに伏せて寝ているようでした。

「こんにちは」と声を掛けると「おっ」と起きました。

「外、寒いらしいね」と、確かにこの日の朝は冷えました。

話を聞いてみると、昼寝の時間に鬼退治をしたとのことでした。

「青鬼と赤鬼がいた」と言い、豆ではなく紙の球をぶつけたとのことでした。

やらない人もいて、その人の分の球をくれるので、母はバンバンぶつけましたと。

「大活躍だね」と言うと、母は鬼退治をして楽しそうな笑顔を見せてくれました。

「鬼は外」ばかり言うのもおかしいので、最後には「福は内」も言っておいたとか。

この日も元気な声で、いろいろと思い出しながら話をしてくれました。

このように特別な行事がある日は、母はいつもよりも一層生き生きとしていました。

2021年2月 1日 (月)

「まん丸だ」

2年前の2019年2月1日は金曜日、この日も午後4時過ぎに面会に行きました。

母はいつもの位置にいて「暑い」と言っていました。

確かに食堂はいつも暑く、この日は特に暑いように感じました。

一緒に部屋に行って着替えながら話をすることにしました。

この日はリハビリやタオル折りさえもなく、一日まったりと過ごしていたそうです。

前夜は体が痒くなかったからか、よく眠れたとのことでした。

このころの母の悩みは、体の痒みと便通が最大のもののような感じでしたので、快眠ができたようです。

また、この日の食事はいつものように水分の多いお粥ではなく、普通のご飯だったと喜んでいました。

そして大皿のおかずもミンチではなく、形のある白身魚の切り身で、美味しくいただけたと満足そうでした。

最後に、昨日撮った母の写真を姉に送って見せたことを話しました。

姉が「後光が差していて、よろしいですね」と言っていたことを母に伝えると、喜んで笑顔を見せてくれました。

母はその写真を改めて見て「まん丸だ」と、自分の顔の感想を言っていました。

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