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2021年1月

2021年1月31日 (日)

久しぶりの写真

2年前の2019年1月31日は木曜日、この日も午後4時頃に施設に行きました。

母はいつもの場所にいて、おやつを食べ終わったところだと言っていました。

この日は午後に入浴をしたので、おやつが少し遅い時間になってしまったようです。

体にクリームを塗ってもらうと同時に、皮膚科の医師に診てもらったとのことでした。

このところ内出血が激しい部分にシールを貼られていたりしていて、気になる皮膚の部分を診てくれたようでした。

また、元々母は類天疱瘡があるので、その点もあったのかと思います。

母の話では、この日の午前中はタオル折りをして過ごしたそうで、他に歌も唄ったりしたようでした。

入浴後なので着替えはしない予定でしたが、入浴後に着た半袖の肌着を替えたいと言うので、ピンク色のハイネックで長袖のものに替えました。

足のむくみはほとんどなく、声も良く出て元気でした。

久しぶりに写真を撮りましたが、自然なポーズと笑顔でした。

Img_20190131_162340_202101311737012019年1月31日

2021年1月30日 (土)

「何を書いたか忘れた」

2年前の2019年1月30日は水曜日、この日も午後4時過ぎに面会に行きました。

施設の受付に、母のフロアでも感染症が出たとの表示がされていました。

フロアの職員さんに伺うと、しばらくはフロア内で面会してくださいとのことでした。

この日母はいつもの位置にはいないで、丁度トイレに入っていました。

しばらく待っていると、トイレから出てきて「3日ぶりに出た」と笑顔で報告してくれました。

そして、いつものように部屋に行き、着替えながら話をしました。

前夜は寝てから体が痒くなり、職員さんを呼んでクリームを塗ってもらったとのことでした。

また、この日も昼寝の前に塗ってもらったそうで、まだ体がしっとりとしていました。

その他には、この日の午前中には久しぶりに習字をしたとのことでした。

「何を書いたの?」と私が尋ねると母は「なんだったかなぁ、忘れた」との返答。

いずれにしても退屈そうにしていることも多い頃でしたから、特別な催しがあるのは嬉しいことでした。

この日の母も体調には問題なく、とても元気でした。

2021年1月29日 (金)

「着替えて暖かくなった」

2年前の2019年1月29日は火曜日、この日も午後4時頃に面会に行きました。

母はいつもの所にいて、エアコンの風が強いようで「頭が寒い」と言っていました。

外が晴れていて室内が暑いので、エアコンから涼しい風が出ているようでした。

この日も部屋で着替えをしながら、いろいろと話をしました。

午前中はリハビリがあって、ただこの日は歩行訓練はしなかったとのことでした。

午後はいつものように昼寝をしましたと。

前夜は保湿クリームを塗ってもらったのに痒かったというので見てみると、背中と腕に少し掻き傷がありました。

足のむくみもほとんどなく、ただ便通が今日もまだないと心配していました。

お昼にはうどんが出たと報告してくれましたが、うどんはそれほど好きではないような反応でした。

最後に「肌着を替えたら暖かくなった」と言って嬉しそうでした。

ここ数日と同じように、母は元気な声でたくさん話してくれました。

今から思うと、特に変わったところのない普通の面会ですが、このころは私にもほとんど不安がなく、母に会いに行くのがとても楽しみでした。

2021年1月28日 (木)

「いい身分だよ」

2年前の2019年1月28日は月曜日、母の入浴がある日でした。

この日も午後4時頃に面会に行くと、暑い部屋の中でちゃんちゃんこを着た母は、いつもの場所にいました。

「暑くないの?」と尋ねると「背中が寒い」と母は言いました。

特に体調が悪いわけでもなく、元気で明るい声でした。

入浴は午前中だったそうですが、すぐに昼食だったので慌しかったとのことでした。

お風呂は「3人も4人も寄ってたかって洗ってもらった」と言っていました。

それからすぐにお昼を食べたそうで「いい身分だよ」と、笑っていました。

昼食後にはおやつで、冷たいゼリーを「ペロッと食べちゃった」と嬉しそうでした。

足のむくみが全くないと教えると「ないのよ!」と、これもまた嬉しそうでした。

残った心配は便通のことのようで「毎食後に行くんだけどね」と、なかなか出ないようでした。

その後もトイレでの手順の一つ一つを丁寧に教えてくれました。

この日も元気な声で一生懸命、楽しそうに話をしてくれたのが印象的でした。

2021年1月27日 (水)

怪訝そうな顔

2年前の2019年1月27日は日曜日、この日も午後4時頃に面会に行きました。

母はカーディガンを着て、いつもの位置にいましたが「暑い」と言っていました。

例のように午後は昼寝をしたとのことですが、日当たりが良く暑いので、1時間ほどで起きたようでした。

また、日曜日のため特別な行事もなく、一日まったりと過ごしたとも話していました。

早いもので大相撲がこの日で終わることを母は知っていました。

そして、ご贔屓の妙義龍が残念ながら負け越したことも知っていました。

施設では感染症が出て、面会室の9階がしばらく使えないので直接母の部屋に行き、着替えることにしました。

背中と足に保湿クリームを塗ってあげましたが、背中の掻き傷はほとんどなくなっていました。

パンを持って行って一緒に食べてから一週間が経ちましたが、その後パンは出ていないと言っていました。

そろそろ「パン食べたい」と囁いた方がいいよ、と伝えると母は笑っていました。

最後に車椅子を押しながら、私が母の肩に手を置いて「今日もありがとう」と言いました。

元気な母に会えたことを感謝して言ったつもりでしたが、その時の母が少し怪訝そうな顔をしていたのが印象的でした。

2021年1月26日 (火)

「キャー、冷たい!」

2年前の2019年1月26日は土曜日、曇りで北風の強い寒い日でした。

この日も午後4時過ぎに面会に行くと、母はいつもの場所にいました。

後ろから向かい側の鏡に向かって手を振ると、私に気づき「寒いでしょ」と話掛けてきました。

おやつの時間まで、ラジオを聴きながら昼寝をしていたので外が寒いことを知っていました。

この日は何もなくまったりと過ごしていたようで、昼寝もぐっすりとよく眠れたと言っていました。

「今日は何もないから皆寝てるよ」と、確かに多くの人がテーブルに伏せて寝ていました。

この日はタオル折りもなく「ただ飲んで食ってだよ」と母。

部屋に着替えに行くと、部屋もいつものような暑さはないので、母の背中も汗をかくこともなく、珍しくサッパリしていました。

それでもクリームを塗るために母の背中に私の手が触れると「キャー、冷たい!」と声を上げました。

この日は北風が強く、向かい風の中をずっと歩いていた私の手はとても冷たくなっていました。

母はいつも、「介護してくれる人の手の冷たさで外の寒さが分かる」と話していました。

「今夜はカキなべだ」と私が言うと、母は「あらいいわねぇ、カキなんて出ないね」と残念そう。

「じゃ、また来ます」「ありがとう」この日も母は体調が良さそうで、声も元気でした。

2021年1月25日 (月)

母の背中

2年前の2019年1月25日は金曜日、この日も午後4時過ぎに面会に行きました。

母は定位置でラジオのイヤホンを耳に入れていて、おそらく大相撲中継を聴いていたのでしょう。

挨拶をすると、この日も元気そうな様子でした。

午前中には9階に行って、紙にピンクの色を塗ったと言っていました。

何かの催しに使用する道具作りを手伝ってきたようでした。

また、午後は昼寝をしたとのことで、その間に何度か便通もあり体調に問題はなさそうでした。

その後は部屋に行き、いつものように着替えをしました。

この日も室内は暑く感じられ、母の背中もうっすらと汗ばんでいました。

私が家で母の面倒を見ていた頃、いつからか背中を拭いてあげるようになりました。

ですから、母の背中は数年に亘って見ていると思います。

母はふっくらとした体型で、あまりシワが目立ちませんでしたが、中でも背中は最後までシワが現れませんでした。

ただ、この日気付いたのは、筋肉が柔らかくなっていて、何よりも背中がかなり小さくなったように感じました。

2021年1月24日 (日)

1月の誕生会

2年前の2019年1月24日は木曜日、この日も午後4時過ぎに面会に行きました。

母はいつもの位置にいて、おそらく大相撲のラジオ中継を聴いているようでした。

見ると、母の前のテーブルの上に何かが置いてありました。

それは母の正面に座っている人が作ったという、ウサギや雪だるまのような人形でした。

全部白い人形で3つあり、話を伺うとその人はこの日が誕生日だとのことでした。

母の話では、午後に1月の誕生会があったそうでした。

久しぶりにコーヒーを飲んだり、おせんべいを食べたりして楽しんだとのことでした。

「まだお腹が一杯で夕食が食べられるか心配だ」とも言っていました。

この日もみんなと良く話していたようで声も大きく、とても元気な話しぶりでした。

また、午前中には入浴をしたと教えてくれました。

食事のことのついては、日曜日以来パンは出ていないと言っていました。

皆の耳元で「パン食べたい」と囁けばそのうち出てくるよ、と母の耳元に囁くと「ハハハ」と大笑いしていました。

2021年1月23日 (土)

隣の人と昔話

2年前の2019年1月23日は水曜日、この日も午後4時過ぎに面会に行きました。

食堂に行くと珍しくテレビが大相撲中継をしていました。

母はいつもの場所にいて、隣の人と話をしているところでした。

母によると、その人は浅草付近で生まれた人で、コッペパンのことなど昔の話をしていたということでした。

これまで話し相手になる人がいなかったのですが、昔話ができる人がいて良かったと母は言っていました。

人と話をしていたこともあってか、この日の母の声には力強さがありました。

また、予定通りこの日もリハビリがあり、改めて先生が大柄だと感じたと話していました。

何があったのかは聞きませんでしたが。

そして午後は例によって昼寝をしたということでした。

この日は体が痒くなかったので保湿クリームを塗ってはいないとのことでした。

話をしているうちに思い出してきたのか、先ほど話をしていた人は下谷の生まれだったとか。

おはじき、塗り絵、蝉の話で盛り上がったのだと楽しそうに、元気な声で話してくれました。

2021年1月22日 (金)

刺繍ネーム入りの靴

2年前の2019年1月22日は火曜日、この日は母が病院の診察がある日でした。

午後2時半に施設に行くと、母は既にマスクをしていつもの場所で待っていました。

昼寝を早めに切り上げて準備をしていたとのことでした。

母の話によると、この日は午前中にリハビリがあり、久しぶりに伝い歩きを2往復したと話してくれました。

そして診察の結果は、このころの元気さを裏付けるように、ほとんど悪化は見られませんでした。

また、この日母は、前日に初めて履いた明るいブルーの靴を履いていました。

この靴には刺繍でカタカナの名字が入っていました。

そのため、この靴のことでリハビリの先生と話が盛り上がったとのことでした。

高齢者用の衣類などは一般的に薄暗い色のものが多いような気がします。

私は母のために、どちらかと言えば、あえて明るい色のものを選ぶようにしていました。

高齢者にとって見やすい上に、興味を持った人と話が弾むことを期待したからです。

この靴は名前入りということもあり、私の思惑が狙い通りにうまくいったようでした。

2021年1月21日 (木)

「90ばあさんだよ」

2年前の2019年1月21日は月曜日、晴れて暖かい日でした。

この日も午後4時過ぎに面会に行くと、母はいつもの位置にいました。

前日の昼食のことを母と話したという職員さんが話しかけてきて、母は「ハムを食べた」と言っていたそうです。

確かにハムサンドを食べたので、印象に残っていたようです。

このころ施設では感染症が出たということで、面会室には行かずに母の部屋に行って話をしました。

この日も母は元気で、午前中は入浴をして、午後は昼寝をしたとのことでした。

入浴をしたので着替えはしませんでしたが、新しく買った上着と靴を試着してもらいました。

そして、新しい水色の靴をそのまま履いてもらうことにしました。

この日に母がしてくれた印象的な話は、入浴に行った時に担当の職員さんから「カワイイ」と言われたということでした。

施設では入浴時、各フロアから担当が何人かずつ集まるようで、普段は見かけない職員さんもいたようです。

おそらく、帽子を被ってちゃんちゃんこを着た母のふっくらとした顔を見て、言ってくれたのだと思います。

それに対して母は「90ばあさんだよ」と言ったとのことですが、嬉しそうで満更でもなさそうな顔で話してくれました。

2021年1月20日 (水)

「満腹だ」

2年前の2019年1月20日は日曜日、この日は母と一緒にお昼を食べる予定でした。

かぶと油揚げの煮物、牛肉と豆腐のすき焼き、サンドイッチなどを作って11時半に施設に行きました。

母はいつもの場所にいて、既に前掛けをしていてお昼の準備が出来上がっていました。

挨拶をすると「朝、パンが出た」と母は言い「朝食がパンだとお腹が空くね」とも言っていました。

この日はまだ便通がなく、お腹が張り気味だとも言っていましたが、珍しく空腹感を口にしました。

母は、私が持参したものを一通り食べた上で、施設の食事もほとんど平らげました。

私も初めて施設の食事を食べてみましたが、お粥は塩気がなく、他のものもかなりの薄味でした。

どうも食事を残すと何か言われるようで、なるべく残さないように母は一生懸命食べていました。

久しぶりにたくさんの量を食べたので「満腹だ」と母は満足そうに言ってくれました。

ただ、心不全の診断があるのでやむを得ないかもしれませんが、施設の食事だけでは少ないようにも感じました。

母は家にいた頃の食事をほとんど覚えていないようでしたが、年齢の割に結構食べていましたので。

この日はエレベーター前まで見送りをしてくれるというので、「じゃ、またね」と手を振り合ってお別れをしました。

2021年1月19日 (火)

「他の人は来ないでしょ?」

2年前の2019年1月19日は土曜日、この日も午後4時過ぎに面会に行きました。

母はいつもの位置にいましたが、「暑い」「痒い」と言っていました。

この日は特に行事もなく、保湿クリームを塗ってもらって昼寝をしたとのことでした。

おかげで良く眠れたそうですが、室内が暑く乾燥しているので、起きてから間もないのにもう痒いようでした。

部屋に行き汗を拭いてから、またクリームを塗ってあげて着替えると「サッパリした」とご機嫌でした。

また、翌日の日曜日には昼食を持って来て一緒に食べることを伝えました。

「サンドイッチ持ってくるから」と言うと「はい、ハハハ……よろしくね」と少し嬉しそうな反応でした。

ただ「サンドイッチおいしいでしょうね」と言いながらもカロリーの心配をしていました。

他には「妙義龍が勝った」と嬉しかった相撲の話や、「夜中の3時くらいには演歌もやってる」とラジオの話など、とても元気でした。

「明日はお昼前に来ますから」と言うと「はい、他の人は来ないでしょ?」と母。

昼食は嬉しそうでしたが、私の他に面会に来る人がいないのが淋しいようでした。

それだけ母の体調も良く元気な時期だったのだと思います。

2021年1月18日 (月)

「寝ながら掻いた?」

2年前の2019年1月18日は金曜日、この日も午後4時過ぎに面会に行きました。

施設のインフルエンザも一段落して、久しぶりに9階の面会室で話をすることにしました。

9階に行くとカーテンが開いていて、西日が入って来ていてとても眩しく、日陰の場所で話しました。

この日は特に行事はなく、午前中はタオル折り、午後に昼寝をしたとのことでした。

ただ、母の部屋も日当たりが良く暑いので、あまり眠れなかったと言っていました。

よく見ると、母の肌着のハイネックの部分が伸びていました。

「寝ながら掻いた?」と私が聞くと、母は照れ笑いしながら頷きました。

その後の着替え時に見てみると、胸から腕、特に右腕をかなり掻いたようでした。

施設でも肌の保湿はケアしてくれていましたが、乾燥する時期はそれでは追い付かないのですね。

自宅では、母のベッドのそばに加湿器を置いていたことを思い出していました。

また、そういえば母はシッカロールを使っていたなぁ、と思い出しました。

2021年1月17日 (日)

「少し眠ってた」

2年前の2019年1月17日は木曜日、晴れてやや暖かい日でした。

この日も午後4時過ぎに面会に行くと、いつもの場所に母はいませんでした。

職員さんに尋ねると、入浴が遅くなったので今ベッドに横になっているとのことでした。

そこで部屋に行くと、母はラジオのイヤホンを耳に入れてベッドに寝ていました。

そろそろ大相撲中継が始まっている時間でした。

母が少し動いたので声を掛けてみると「少し眠ってた」と言いながらも目を開けました。

この日は入浴をしたため着替えが必要ないので、帽子だけを薄手のものに交換してあげて、そのままの姿勢で話をすることにしました。

母の話では午後3時ごろからお風呂に入って、おやつを食べてその後は便通もあったとのことででした。

前日は便通がなく、二日ぶりにたくさん出たといい「ホッとした」と、一寝していたようでした。

入浴後には保湿クリームをたっぷり塗ってもらって気持ちが良かったとも話していました。

しばらく話した後、夕食までにはまだ少し時間があるので、横になったままの母に手を振ってお別れをしました。

2021年1月16日 (土)

脛に内出血

2年前の2019年1月16日は水曜日、午後4時頃に面会に行きました。

母は丁度トイレに行こうとしているところで、私は先に部屋に行って待つことにしました。

私が持参した洗濯物をタンスに入れていると、職員さんが母を連れてきてくれました。

母は「出なかった」と、この日はまだ便通がなく、前日の朝から出ていないと言っていました。

午前中にはリハビリがあったそうですが、今週のリハビリはもうないと言われたようでした。

この頃の母はリハビリを楽しみにしていましたから、とても残念そうでした。

また、午後は昼寝をして、この日はよく眠れたとのことでした。

それから、珍しく食事の材料の説明をしてくれたことも話してくれました。

着替え中には脛に瘤ができているのを見つけました。

母に尋ねると、トイレに行った時に脛を車椅子にぶつけたとのことでした。

晩年の母は腕を掴んだだけで赤くなるくらい、内出血しやすくなっていました。

この日も母は元気でしたが、高齢になるとちょっとしたことが心配になったものでした。

2021年1月15日 (金)

「あら、いいじゃない」

2年前の2019年1月15日は火曜日、曇りがちでにわか雨も少し降ったりしていました。

この日も午後4時過ぎに面会に行くと、フロアは静かで暑いくらいでしたが、母はいつもの位置にいてラジオを聴いていました。

「来ましたよ」私が言うと、母は「始まったの」とラジオで大相撲中継が始まったことを教えてくれました。

ラジオを聴いていたことで、少し前ににわか雨が降ったこと、稀勢の里が連敗中であることを知っていました。

この日はそのまま部屋に着替えに行きました。

部屋の窓から外を見てみると、少し日が差してきて明るくなってきたので「あら、いいじゃない」と母は嬉しそうに言いました。

「4時になったらラジオを出した」「ニュースやってた」「今日はソバが出た」「2~3cmに切ってある」

着替えをしながらいろいろと話してくれました。

昼食にソバが出たけど短く切ってあって、箸が用意されていても食べにくいのでスプーンで食べたとのことでした。

このソバはあまり美味しくなかったようでした。

私が「職員さんの耳元でソバ美味しくない、パン食べたいと囁くといいよ」と言うと、母は大きな声で「ハハハ」と笑っていました。

部屋での着替えも終わり食堂に戻る前に、また西向きの窓から一緒に外を眺めました。

かなり赤みがかった夕空を見て「あら、いいじゃない」もう一度、母は言いました。

2021年1月14日 (木)

成人の日の振袖姿

2年前の2019年1月14日は月曜日、午後4時過ぎに面会に行くと母はいつもの所にいました。

耳にイヤホンが入っていて、ラジオを聴いているようでした。

大相撲中継を聴いているとのことで、この日は食堂のテレビも珍しく相撲をやっていました。

その時、職員さんが話しかけてきて、施設でインフルエンザが出たそうで、9階の面会室が使用禁止とのことでした。

そのため、母の部屋で着替えをしながら話をすることにしました。

母の話では、この日は午前中に入浴をして、午後は2時間くらいぐっすり寝たとのことでした。

朝から2度ほどトイレに行ってたくさん出たということで、よく眠れたのかもしれないと言っていました。

お風呂上りには保湿クリームを塗ってもらったけれども、既に少し痒いということでした。

室内が暑く乾燥しているので、便意とともに肌の痒みがこのころの悩みの種でした。

それでも、この日も明るい声で話をしてくれて、とても元気でした。

また、成人の日ということで、入所者の方のお孫さんが振袖姿で面会に来ていたことも話してくれました。

何気ないことですが、そのようなことも母に元気を与えてくれた刺激の一つだったと思います。

2021年1月13日 (水)

「ゆっくり食べて」

2年前の2019年1月13日は日曜日、午後4時頃面会に行くと母はいつもの位置にいました。

母に挨拶をする前に職員さんが話しかけてきました。

この日の母の昼食を出していいのかどうか、少し迷ったという話でした。

というのは、私が日曜日の昼食にパンを持ってくる、というようなことを職員さんと木曜日に話したからでした。

ただ、翌日の金曜日の食事にパンが出たことを聞いたので、今回はいいかなと思って止めたのでした。

母にもその話はしていないので断る必要もないかと思ったのですが、職員さんが心配してくれたようです。

私がお昼に現れないので、母には「ゆっくり食べて」と言って昼食を出したということでした。

母は「変だな」と思いながら食べたと言い「何かパンの話もしていた」と不思議そうにしていました。

先日のパンの感想を聞くと「おいしいパンだったよ」と言いながらも「めったに出ないからね」と残念そうでした。

そこで「耳元でパン食べたいと囁けば、また出るかもしれないよ」と、私が母の耳元で囁きました。

それを聞いて母は大笑いをしていました。

この日から始まる大相撲の話などもして、母は気分も良さそうで、とても元気でした。

2021年1月12日 (火)

「今日は大変だった」

2年前の2019年1月12日は土曜日、曇りの寒い日で午後4時過ぎに面会に行きました。

母はいつもの位置にいましたが、テーブルに突っ伏すように居眠りをしていました。

その肩をトントンと叩いて起こすと、目を開けるなり「今日は大変だった」と一言。

話を聞いてみると、最近便通がないので座薬を使ったとのことでした。

下剤を使うとしばらく調子が悪くなるので、母はあまり使いたがらないのですが、やむを得なかったようです。

その効果があったのか、お昼前に出たそうですが、その後も気になって仕方がないとのことでした。

そのため昼寝をしないでタオル折りや散歩をして、気分を紛らせていたようでした。

そうしていると3時頃リハビリに呼ばれて、帰って来てからおやつを食べて居眠りをしていたところだという説明。

おやつには甘いお饅頭が出たと言い「おいしかった」と、食欲は大丈夫なようでした。

部屋で着替えをしていると「背中が痒い」というので見てみると、かなり汗をかいていました。

タオルで背中を拭いてあげて、足と背中に保湿クリームを塗りながらいろいろな話をしました。

ただ、この日は便意が気になるようで、話をしていても心ここにあらずという感じの母でした。

2021年1月11日 (月)

「朝、パンが出た」

2年前の2019年1月11日は晴れた金曜日、この日も午後4時頃に面会に行きました。

母はいつもの場所にいましたが、室内は暖房が効いていて「暑い」と言っていました。

この日はリハビリもなく、午前中はタオル折り、午後は昼寝というこの頃よくあるパターンで過ごしていたようでした。

話しているうちに「朝、パンが出た」と思い出したように言いました。

2週間ほど前と同じで薄い食パンに何かが塗ってあったということでした。

「おいしかった」と母は嬉しそうでしたが「味は良く分からなかった」とも言っていました。

どうやら、私が思っていた以上に母はパンが好きだということだったようです。

また、おかずがいつもと同じだったそうで「せめてサラダでもあれば」と母は言い、確かにその通りだなと思いました。

この日は晴れてはいましたが西の方に雲が現れて、きれいな夕焼けと富士山を見ることはできませんでした。

その代わり、見事に一直線に伸びた飛行機雲を見ることができました。

珍しい飛行機雲の出現に母は、しばらくの間感心しながら見入っていました。

2021年1月10日 (日)

乾燥が最大の敵

2年前の2019年1月10日は木曜日、空気の冷たい肌寒い日でした。

この日も午後4時過ぎに面会に行くと、母はいつもの場所にいました。

話を聞くと午前中に入浴をしたとのことでした。

前日、背中を掻いて傷を作っていたのでその点を心配して母に尋ねてみました。

母の話では、前日の夜に保湿クリームを塗ってもらったので、睡眠中も痒くはなかったとのことでした。

また、この日の入浴後もたっぷり塗ってもらったので、今も痒くないと言っていました。

そして、面会室での話が終わって着替える際にも、母はクリームを塗って欲しいと言いました。

寒い時期の施設は暖房が効いて暑いくらいのことが多かったですが、やはり乾燥が最大の敵という感じでした。

2021年1月 9日 (土)

「あれが気持ちいいんだ」

2年前の2019年1月9日は水曜日、良く晴れていましたが北風の強い寒い日でした。

この日も4時過ぎに面会に行くと母はいつもの位置にいました。

暑いのだと言って、カーディガンを脱いでいました。

これといった行事はなくまったりと過ごしていて、午後はいつものように横になっていたようでした。

ただ、日当たりが良く部屋が暑かったとのことであまり寝られなかったと言っていました。

また、寝ながら背中を掻いたら“ぬるっと”したので血が出たのではないかと心配していました。

着替えの時に見てみますと、全体的に擦ったような傷があり、その中に小さな出血部分がいくつかありました。

乾燥していることもあり、かなり強く掻いてしまったようでした。

母は家にいるときから背中を掻くことがよくあり、ある時は割り箸を使って掻いたために傷だらけになっていました。

母は「あれが気持ちいいんだよね」とよく言っていました。

ただ、傷だらけの背中を誰かに見られると、息子が虐待しているように思われる可能性もあります。

私がそのように言うと、母は苦笑いをするだけでした。

2021年1月 8日 (金)

介護は一人で抱え込まない

2年前の2019年1月8日は火曜日で晴れてやや暖かい日でした。

この日は4時過ぎに面会に行くと、母はいつもの位置にいました。

午前中にリハビリがあり、いつものメニューで、歩行は一往復だけだったとのことでした。

また、ウンチが良く出たと。

リハビリの前、昼寝の前、おやつの後の3回だったような話でした。

そして、食事はこの日もお粥の水分が多かったようですが、牛肉のひき肉のようなものが出たと言っていました。

必ずほうれん草のお浸しのようなものがあり、この日は温泉たまごのようなものが美味しかったそうで最後に飲んだとか。

ところで、母が家にいる頃はトイレは一人で行けましたので、面倒を見ると言っても食事の支度と清拭のタオルを用意してあげることくらいでした。

施設に入ってからトイレとリハビリ、入浴が加わったくらいでしょうか。

亡くなるまで認知もしっかりしていましたので、介護としてはそれほど大変なほうではなかったと思います。

それでも、本当に必要な介護というものは人それぞれなので、介護する方は一人で抱え込まないことが大事だと感じています。

2021年1月 7日 (木)

「パン食べたい」

2年前の2019年1月7日は晴れた月曜日、午後4時頃に面会に行きました。

ちょうど母は、いつもの位置でタオル折りをしていました。

皆で「そろそろ私が来る」という噂をしながら作業をしていたそうです。

確かに私は、時計代わりになるように毎日ほぼ同じ時間に行くようにしていました。

施設の感染症も治まったので、久しぶりに9階の面会室に行って話をすることにしました。

晴れていましたが、ちょうど富士山の辺りには雲がかかっていてシルエットを見ることはできませんでした。

この日は午後に入浴することになり、その前に久々に便通があって良かったと言いました。

お腹が張っていたので、お風呂の前に出ないと心配だったとか。

入浴後には保湿クリームを背中と足にたっぷり塗ってもらったと、嬉しそうに教えてくれました。

また、食事の話で「パンは出た?」と尋ねると、この日も「水分の多いお粥だった」と不満そうでした。

「パンは一度出たきり、その後は出ない」とのことでした。

そこで「パン食べたいと、しつこく呟いたらいいよ」と教えると、母は大笑いしていました。

2021年1月 6日 (水)

「いつパンが出るのかな」

2年前の2019年1月6日は日曜日、曇り空の寒い日でした。

この日も午後4時頃に面会に行くと、母はいつもの位置にいました。

日曜日ということで特別な行事はなく、まったりと過ごしていたようでした。

母の話では、この日の昼食のお粥が水分が多くべっちゃりしていて、美味しくなかったとのことでした。

そのためか、今度いつパンが出るのかと楽しみにしているとも言っていました。

確かに、家で母の面倒を見ていた頃は毎朝のようにパンを食べていましたが、母がそんなにパンが好きだったとは思いませんでした。

これは新しい発見でした。

また、この週は一度しか入浴していないからか、昨夜は肌が痒かったとのことでした。

その上、乾燥していることもあって肌がカサカサしていたので、足に保湿クリームを塗ってあげました。

この日はまだ便通もないようでしたが、体調は良さそうで声も良く出ていて、とても元気でした。

このころの母の写真がないのが、今となっては残念です。

2021年1月 5日 (火)

好きなものを好きなだけ

2年前の2019年1月5日は晴れた土曜日、この日も午後4時頃に面会に行きました。

母はいつもの位置にいましたが、施設で感染症が出て9階の面会室が使用禁止になっているとのことで、母の部屋で着替えながら話をすることにしました。

この日はずっとまったりと過ごしていて、特に行事はなかったようです。

昼寝の前にウンチが出て、おやつの後にも出たとのことで体調はとても良さそうで、とても元気でした。

ちなみにこの日のおやつは皆がゼリーだったとのことでした。

ところで、最近は2年前の母を毎日振り返っていますが、このころの母は心身ともに好調さを取り戻していました。

退院してからひと月ほどが経過して、かなり元気で陽気でしたが、今から思えば気になる点もありました。

それは退院後に食事が変わったことも関係していて、時々食べるものに対する不満を言うようになったことです。

入院前の食事制限のないときにはなかったことでした。

実は、この数か月後に母が心身の状態を崩すことがありました。

その時も食事のことが問題の一つになりましたが、私としては好きなものを好きなだけ食べて欲しいと思い続けていました。

2021年1月 4日 (月)

ゼリーの方が口に合う

2年前の2019年1月4日は金曜日、午後4時頃に面会に行くと母はいつもの位置にいました。

後ろから近づいて向かいの鏡に手を振ると気付いてくれました。

前日と同じ服を着ていたので、この日もお風呂はないようでした。

3が日が終わったので、リハビリがあったのではと尋ねると、リハビリはやったとの答え。

9階の面会室に行くと、日が長くなってきたので夕日がまだかなり上の方にあって、夕焼けを見るには少し時間がありました。

富士山も夕日に光ってしまって、眩しいだけで良く見えなくなっていました。

この日は朝から便通があり、お昼の後にも出たとのことでお腹も柔らかく、しばらく安心できそうでした。

リハビリは今年初めてで久しぶりなので、歩行は一往復だけだったそうですが、かなり緊張したようでした。

午前中にリハビリをして、午後はいつものようにお昼寝とのこと。

おやつに出たものが、あんこの入ったお菓子で、いつものゼリーの方が口に合うような話をしていました。

制限食が普通食に変わると、口に合わないものも出てくるようで、この辺りは難しいものがありました。

また、手の爪を切ってもらったことを嬉しそうに話してくれました。

この日はリハビリがあったためか、意識がより一層はっきりしている感じで、元気があり話もしっかりしていました。

2021年1月 3日 (日)

「私が一人で喋っていた」

2年前の2019年1月3日は木曜日、午後4時頃に面会に行きました。

母は丁度トイレに入っていて、少し待ってから一緒に9階の面会室に行って話をしました。

この日の話はまずウンチのことで、今ちょうど出たこととその前にも一度出ていたとのことでした。

ここ数日出ないので心配だったようで、摘便や座薬も考えていたようですが、久しぶりに2回出たとホッとしていました。

また、この日はタオル折りや昼寝で、まったりと過ごしていたことを話してくれました。

それから、いつも身近に置いているバッグが一時見当たらなくなったことも話していましたが、これは少し分かりにくい内容でした。

前日は姉一家が来て、思ったよりも母が元気なので安心していたことを伝えると「私が一人で喋っていた」と恐縮していました。

私以外に話を聞いてくれる人が来たので、話したいことがたくさんあったのでしょう。

それでも、お義母さんがパーマをかけていたとか、ネックレスをしていたなど良く見ていました。

また、習字の作品を見てもらったりして久しぶりに会えて嬉しかったようでした。

この日も体調の良さもあってか、たくさん話をしてくれました。

ただ、話したい気持ちが前のめりになりすぎていて、少し落ち着かない感じもありましたが、とにかく元気でした。

2021年1月 2日 (土)

「思っていた以上に元気」

2年前の2019年1月2日は良い天気の水曜日、施設に姉一家が面会に来てくれました。

私がお昼過ぎに行くと、母は自分の昼食をすでに食べ終わっていて、姉たちを前に元気に話をしていました。

姉たちはそこでは昼食を食べることもなく、母の話の聞き役に徹していました。

実は姉一家は面会に来る前に食べるものを買ってきていて、母と一緒に食べるつもりでいました。

ただ、入所者が食べられないお寿司などの生ものがあるので、母の前では広げられないと遠慮したのでした。

特にマグロの刺身などは母の好物ですので、気を遣ってくれたようでした。

ただ個人的には今でも、母には好きなものを好きなように食べて欲しかったと思っています。

もちろん施設に入所している以上、食中毒などには気をつける必要があるので多少の制限はやむを得ないことではありますが。

姉一家は母の習字や展示会の作品を見たり、母の話を聞いたりして楽しんでくれました。

そして、皆さんが母のことを「思っていた以上に元気」と言ってくれました。

確かに、この日の母はいつも以上に元気で、普段は私しか聞かない話を多くの人に聞いてもらえて、少し興奮気味でした。

2021年1月 1日 (金)

「来ないの?」

2年前の2019年1月1日は火曜日、この日も午後4時頃に面会に行きました。

私が母に「今年もよろしく」と言うと母は「来ないの?」と尋ねてきました。

どうも、お正月に姉が来ることを話していたので、今日来るものと思っていたようでした。

確かに他の入所者のご家族が何組か来ていたようで、寂しさもあってか期待していたようです。

「明日だよ。お義母さんも来てくれるらしいよ」と言うと、母は一瞬緊張していました。

「お義母さん久しぶりだね。年取ったんだろうな」などど、自分のことを棚に上げて人の心配をしていました。

9階の面会室に移ると、富士山のシルエットを見ながら「ここの奥に来てダルマを作ったよ」と言っていました。

年末に見せてもらったダルマは9階に来て作ったことを教えてくれました。

また、前日の夜は紅白歌合戦の始まりを食堂のテレビで見て、続きをベッドに行ってラジオで聴いたとのことでした。

ただ、ラジオでは会場の歓声ばかりが聞こえてうるさいので、途中で消してしまったと言っていました。

そして今朝は窓から日の出を拝んだことを話してくれました。

施設で迎えるお正月は普段の生活とほとんど変わらないものでしたが、母にとっては結局この一度だけになってしまいました。

「明日は楽しみだ」母は久しぶりに姉一家と会えることを楽しみにしていました。

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