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2020年12月

2020年12月31日 (木)

「後は、紅白歌合戦を聴くだけ」

2年前の2018年12月31日は月曜日、晴れて寒い日でした。

この日も午後4時頃に面会に行くと、母は定位置にいて「丁度トイレから戻ったところ」だと言っていました。

昨日、今日とまだ便通がないとも言っていました。

この日は午前中はタオル折りをして、午後に入浴をしたので、お昼寝タイムはなかったとのことでした。

持参した新聞に紅白歌合戦の曲順が載っていたので見せると、ハズキルーペを掛けて見ていました。

そこそこ見えているようで、しばらく見入っていました。

この日のお風呂では、背中にたっぷりお湯を掛けてくれて気持ちが良かったと喜んでいました。

その後、背中と足が痒いと言ったら保湿クリームを塗ってくれて、またドライヤーもしてくれたと嬉しそうでした。

「だから今日はきれいだよ」と、気分も良さそうで、ご機嫌でした。

また大晦日のこの日は、夕食にはそばが出ると言われているとのことでした。

「後は、紅白歌合戦を聴くだけだ」と、既に母の中では予定を決めているようでした。

体調も良さそうな上、気持ちも安定していて、良い年越しができそうな母の状況でした。

2020年12月30日 (水)

楽しい昼食

2年前の2018年12月30日は日曜日、私の姪が施設に面会に来てくれました。

二人でお昼の食事をしているというので、少しだけ顔を出してきました。

テーブルに二人で並んで座っていましたが、話が弾んでいるようで母の食事はほとんど進んでいませんでした。

見てみるとご飯はお粥で、デザートなど5~6品はありました。

二人でゆっくり話してもらうために、夕方にまた来ることを伝えて5分ほどで帰りました。

姪が帰った後に連絡をしてくれました。

母は「食事が多い」と言いながら、春雨サラダ以外は完食したとのことでした。

また、リハビリのこと、パンを食べた話、曾孫の動画のことなどいろいろな話をして盛り上がったそうです。

そして、母が書いた習字や作ったダルマを見たりして楽しかったと言って、一緒に撮った写真を送ってくれました。

その表情を見ますと、間違いなく母も楽しんでいたことが分かりました。

2018年12月30日

2020年12月29日 (火)

パンが出た

2年前の2018年12月29日は土曜日、良い天気の中、午後4時頃に面会に行きました。

母はいつもの位置にいて、挨拶をするなり朝日を見たことを話し始めました。

この日は珍しくフロアの南側の窓のところまで行って朝日を見たとのことでした。

南側には高い建物が多いという感想も話してくれました。

9階の面会室に移ると「今朝はパンが出た」と嬉しそうに報告してくれました。

食事が変わることは言われていましたが、突然のパンの出現には驚き、それでも「柔らかくて美味しかった」と。

「何か月ぶりかな?」と母は首をひねっていましたが、確かに半年以上前に自宅で食べて以来のことだったと思います。

母はパンが好きで以前から「パンが食べたい」と言っていましたから、私も良かったねと素直に喜びました。

パンを食べた後には便通もあったそうで、母は満足そうな笑顔でいろいろと話をしてくれました。

そうするうちに夕日が沈み、この日も富士山のシルエットが現れたので、西の窓から一緒に眺めました。

部屋に戻り、翌日孫が来ることになったので、笑顔で歓迎の写真を撮りました。

2018年12月29日

2020年12月28日 (月)

「あらら、見えた」

2年前の2018年12月28日は金曜日、良く晴れて風の強い寒い日でした。

午後4時頃に面会に行くと、母はいつもの位置にいました。

9階の面会室に行くと、大きな西向きの窓から富士山のシルエットが見えました。

母にそれを教えて見せましたが、西日がまだ眩しくて良く分からないようでした。

また後で見ることにして、ひとまずテーブル席で話をすることにしました。

この日は午前中にリハビリがあって、戻って来ると3日ぶりの便通があり「3日分出た」と本人の弁でした。

リハビリの先生は、むくみのほとんどない母の足首を見て「ずいぶん細くなったね」と言っていたそうです。

それに対して母は「おかげさまで」と、とりあえず言っておいたと笑っていました。

他に食事の話などをして、再び西の窓から外を一緒に見ました。

「あらら、見えた」「良く見える」と、今度は母にも富士山の姿が見えたようでした。

西日がかなり沈んで、富士山のシルエットがはっきりしてきて母は「シルエットだけど形で分かる」「素晴らしいですね」と感嘆していました。

この日の母は、取分け元気で明るい表情に溢れていました。

2020年12月27日 (日)

「お刺身が食べたい」

2年前の2018年12月27日は木曜日、晴れて日差しがまぶしい日でした。

母はいつもと同じ場所にいて、久しぶりに緑色の帽子を被っていました。

この日は午前中に入浴をして、その他にはダルマの顔を描いたと話していました。

この日に面会室で話した主な内容は、食事についてのことでした。

以前から25日ごろに食事が変わると聞いていて、母は楽しみにしていました。

私が面会に来る前に栄養士の方が話に来て、何かを増やすと言われたと母は言っていました。

この時点で私は施設での食事を見たことがなかったのですが、とりあえずお粥ではなくなっているようでした。

本人に希望を尋ねてみると「お刺身が食べたい」とのことでしたが、さすがに生ものは出さないだろうと思いました。

ただ、母はこの時点で91歳です。

母の楽しみの一つは食べることでしたから、個人的には好きなものを好きなだけ食べて欲しいと思っていました。

やむを得ないことではありますが施設での食事は融通が利かない点もあり、これ以後も、母も私も残念に思うことが何度かありました。

2020年12月26日 (土)

「皆にそう言われる」

2年前の2018年12月26日は水曜日で天気は曇り、午後4時頃に面会に行きました。

母はいつもの位置にいて、私と顔を合わすなり「何時かわからない」と言いました。

この日は遮光カーテンがすでに閉められていて薄暗く、母も外を見ることができず退屈そうでした。

「今日はウンチが出ない」とも言いました。

「昨日たくさん出たから、そんなに出ないでしょ」と私が言うと「皆にそう言われる」と母は少し不満そうでした。

前日は久しぶりの診察があって疲れたようで、夕食後7時くらいには寝たとのことでした。

一寝して起きてラジオを聴いたら「10時です」と言っていたので、3時間くらいはぐっすり寝られたと話していました。

また、25日を過ぎても食事にそれほど変化はないようで、お粥の水分が少し減ったかな、という程度だと言っていました。

ただ、この日のおやつには甘いものが出たようですが、母は以前のゼリーの方がお好みだとのことでした。

この日は話し声も大きくしっかりしていて、全体的に元気でした。

振り返りますと、ほぼ毎日面会に行っていましたが、会う前は一抹の不安な気持ちがあるものでした。

この日のように元気な母と話ができた帰り道は、気持ちも足取りも軽くなったように記憶しています。

2020年12月25日 (金)

クリスマスツリー

2年前の2018年12月25日は火曜日、午後に退院以来2回目の診察の予定がありました。

午後2時過ぎに施設に行くと、母はいつもの通り昼食後の昼寝をしていました。

ラジオのイヤホンを耳に入れながら気持ちよさそうに眠っていました。

起きてから話を聞くと、午前中にはリハビリがあったということでした。

また、この日も便通が軟らかいためか頻繁にトイレに行き、行くごとに出ているそうでした。

病院に向かう前に、施設の入り口に置いてあるクリスマスツリーを見つけると、母はしばらくそのツリーを笑顔で見つめていました。

診察の結果は、レントゲンも血液検査も悪化は見られず、貧血はやや良化しているということでした。

施設に戻ると母は早速トイレに行っていました。

今でも私が残念に思っていることは、血液検査の結果を施設の看護師さんに渡してしまっていたことです。

もちろん渡す前にざっと目を通してはいました。

ただ、母の検査結果はその後少しずつ悪化していったのですが、その変化が今では分かりません。

元々は腎臓関係の数値だけが悪かったのですが、その後は徐々に多くの項目が正常な範囲を外れていった記憶があります。

2020年12月24日 (木)

お湯たっぷりの入浴

2年前の2018年12月24日は月曜日、母が入浴する予定の日でした。

この日も午後4時頃に面会に行くと、母は珍しく定位置にいませんでした。

職員さんの話では、午後にお風呂に入ったので、おやつを食べて横になっているということでした。

そこで母の部屋に向かうと、職員さんが一緒に来てくれて母を起こしてくれました。

この日は母をベッドに座らせたまま話をすることにしました。

母の話では午前中にはタオル折りをして、午後に入浴をしたということでした。

入浴後には背中と足に保湿クリームを塗ってもらって、満足して横になっていたとのことでした。

また、この日の入浴を担当してくれた職員さんがお湯をたっぷり入れてくれたそうです。

そのため足や体全体がお湯に浮かんで、いつも以上に気持ちが良かったと喜んでいました。

母は80歳を過ぎたころから足元に不安を感じて、自宅でも浴槽には入らないようになりました。

ただ、施設での入浴はいつも「気持ちいい」と喜んでいて、施設での生活の楽しみの一つになっていました。

2020年12月23日 (水)

トイレと食事

2年前の2018年12月23日は日曜日、午後4時頃面会に行くと施設の中はこの日も暖かでした。

母は元気そうな様子でいつもの場所にいました。

9階の面会室に移動して話をすると「ウンチがよく出る」と、まず言いました。

この日はトイレに行くたびに少しずつ出るらしいのですが、トイレに行く前に出ることもあったということでした。

おむつをしているとはいえ、その中に出ると気持ちが悪いので、頻繁にトイレに行っていると言っていました。

リハビリの回数も減り、加齢もあるので筋力が低下していることが原因かと感じました。

また、料理の話では、お粥やミンチになっているおかずには不満があるようでした。

得体の知れない、味も良く分からない物を食べていると言っていました。

25日には食事が変わるという話があったので、それを楽しみにしているようでした。

必要な介護は、それぞれの人の状況によって異なります。

母については、トイレと食事が特に介護が必要で、そこが施設に期待する点でもありました。

この日も母は元気で安心でしたが、トイレと食事、この重要な点で少し不安も出てきました。

2020年12月22日 (火)

楽しみな新メニュー

2年前の2018年12月22日は土曜日で曇りの肌寒い日でした。

午後4時頃に面会に行きますと、母はいつもの位置にいました。

この日は外が薄暗いこともあり、珍しく食堂のテレビが見えたのでフィギュアスケートを見ていたと言いました。

その後、面会室のある9階に移動すると、既に正月用の鳥居や賽銭箱が準備してありました。

この日も朝から便通があったと母は言い、体調は良さそうでした。

午前中はタオル折りをかなりの数やって、午後はラジオを聴きながら昼寝をしたとのことでした。

また、前日に続いてひ孫の動画を見せてあげると「カワイイね」と楽しそうでした。

動画を3回見た後には、その足取りがしっかりしていることを感心していました。

着替えの時に足のむくみを見てみると、くるぶしの上くらいまで少しありましたが、まだ柔らかい状態でした。

また、お昼のお粥が水分が多くて美味しくなかったと、珍しく食事に不満を表していました。

前日に25日から食事が変わると聞かされたと話していたので、今の食事内容が物足りなく感じるようになったのでしょうか。

同時に、早くも新しいメニューを楽しみにしているようでした。

2020年12月21日 (月)

「90年なんて、あっという間だね」

2年前の2018年12月21日は金曜日、この日も午後4時頃に面会に行きました。

母はいつもの位置にいましたが、おやつにチョコレートを食べたということで、カーディガンの前を少し汚してしまっていました。

昨夜からウンチも柔らかく良く出ているとのことで体調も良さそうでした。

また午前中にリハビリがあり、おかげで昼寝がよく眠れたとのことで、話し声にも力があって元気でした。

職員さんからは食事の話があり、お粥からご飯に、おかずもミンチから形のはっきりしたものになる予定だと言われたとのことでした。

これも母にとっては楽しみが増えて、嬉しいことだったのだと思います。

この日は曾孫の動画を見せてあげようと考えていたので、話もそこそこにして母の部屋に移動しました。

スマホで曾孫の動画を見せると「もう歩いてる。早いものだね」と、母は楽しそうに見ていました。

写真と違って動きがあるので、母にとっては見やすいようで「かわいいね」と、笑顔で何度も繰り返していました。

また、動画を見ながら改めて「ひ孫なんだね」としみじみと言いました。

私が「90歳違いの曾孫だよ」と言うと、母は嬉しそうに大きく笑いました。

そして一言「90年なんて、あっという間だね」。

2020年12月20日 (日)

「首のあたりがスースーする」

2年前の2018年12月20日は木曜日、晴れて暖かい日でした。

午後4時頃に面会に行くと、母はいつもの場所にいて「暑い」と言っていました。

この日は午後に入浴して、背中や脚にたっぷりクリームを塗ってもらったと満足そうに話してくれました。

午前中にはタオル折りをたくさんしましたとの報告がありました。

お風呂の前には何回もトイレに行きましたが、全く出なかったとのことでした。

入浴後には冬物の半袖の肌着を着せてもらいましたが「首のあたりがスースーする」というので、ハイネックのものに替えると喜んでくれました。

足のむくみについては、柔らかいが前日よりも少し上の方までむくみが進んでいるように感じました。

この日は雲が出てしまって、母が期待するような夕日は見ることができませんでした。

ところで、今日は母の命日ですが、新型コロナの影響で人が集まることは自粛して、一人でお墓参りをしてきました。

早いものでもう1年が経過しました。

2020年12月19日 (土)

クリスマス会

2年前の2018年12月19日は水曜日、午後4時頃に面会に行きましたが、母はいつもの位置にはいませんでした。

職員さんによるとトイレだというので、先に母の部屋に行って待っていることにしました。

母は挨拶もそこそこに「出た」と言って、笑顔を見せてくれました。

この日は午前中にリハビリがあって、いつものように伝い歩きを2往復したとのことでした。

午後は昼寝をしてからおやつを食べ、その後トイレに入っていたということでした。

おやつの時間にはクリスマス会が催されたと教えてくれました。

職員の皆さんがサンタクロースに扮して「きよしこの夜」や「ジングルベル」を一緒に唄ったそうです。

また、アイスクリームやリンゴジュースが出て、いつもよりも豪華なおやつだったとのことでした。

このような催しがあると、母もいつも以上に意識がはっきりしていました。

目がすっきりと見開いていて、声もしっかりと出ていて全体に活気がありました。

欲を言えばきりがないのですが、当時の母はこのような行事を本当に喜んでいましたので、こういう催しがもっと頻繁にあれば、より楽しく過ごしてくれたかなとも思います。

2020年12月18日 (金)

「いいもの見ましたね」

2年前の2018年12月18日は雲一つない快晴の暖かい日でした。

この日も午後4時頃面会に行くと、母はいつもの位置にいて会うなり「暑いでしょう」と一言。

外も暖かかったですが、確かに室内はいつも以上に暑く感じられました。

この日はリハビリもなく、いつものタオル折りもしないで一日中暇にしていたとか。

その分、昼寝をたっぷりして便通もあり体調は良さそうで、元気な声で話してくれました。

おやつのゼリーが冷たくて美味しかったこと、レモンのような味がしたことを教えてくれました。

朝から雲一つない快晴であることを母は知っていて、そろそろ夕焼けが見えるかなと期待しているようでした。

9階の面会室で一緒に夕日を見ながら「富士山が見える」と、私が言うと「えっ、本当?」と母は言いました。

ただ、初めのうちははっきりとは見えていないようでした。

しばらく話をしていて、夕日がいよいよ沈む時に母は「あっ、いいじゃない」と、そのきれいな光景を喜んでいました。

「その右側に富士山があるよ」と私が教えると、今度は「そう言われればそんな気もする」と母は言いました。

その後も母は「早いから」と、あっという間の日没を見続けていました。

「まぁ、いいもの見ましたね」と母は言いながら、最後には富士山も分かったようで「今日は富士山も見えましたね」と満足そうでした。

2020年12月17日 (木)

鏡の中の笑顔

2年前の2018年12月17日は月曜日、この日も午後4時頃に面会に行きました。

母の定位置はエレベーターに背を向ける位置なのですが、この日も母はその場所にいました。

私は母に近づくと向かい側にある鏡に向かって手を振りました。

母はそれに気づいたようで、鏡の中の母の顔が笑顔になりました。

母の話によれば、お風呂に入っておやつを食べたところだとのことでした。

珍しく午後に入浴したので昼寝をしていないそうで、その分意識がはっきりしていたのか、とても元気がありました。

午前中にはタオル折りをたくさんやったとのことでした。

午後は昼寝をせず入浴、その後は背中や脚に保湿クリームを塗ってもらい、手の爪も切ってもらったと満足そうでした。

入浴前に便通もあり体調に不安がないからか、ご機嫌で口数も多く声もしっかりしていました。

2年前の記録を見ていると、このころは寒い日が多かったようですが、毎日夕方に母に会いに行っていました。

母の体調も精神面も安定していた時期でしたから、寒い中の行き帰りも楽しかったように覚えています。

2020年12月16日 (水)

赤ちゃんのように

2年前の2018年12月16日は日曜日、曇りでとても寒い日でした。

この日も午後4時頃に面会に行くと母はいつもの場所にいました。

丁度、男性の職員さんとボール投げをしているところで、とても楽しそうな表情をしていました。

顔を合わすとすぐに出たのがウンチの話でした。

おやつを食べる前に出て安心しているとのことでしたが、前夜も出たことを教えてくれました。

前日の面会時にも出たことを話してくれましたが、夜もベッドに入ったところで出てしまったそうです。

そのため、赤ちゃんのようにおしめを替えてもらったとのことでした。

そのためによく眠れたと、明るく話してくれたので、こちらもホッとしました。

こういう事態は精神的に不安定な時期ですと、ショックで塞ぎ込んでしまうことも考えられますから。

いずれにしても、2日続けて便通があったことは良かったのですが、おしめの中に出てしまうのは困ったものでした。

加齢の上にリハビリの回数も減って、筋力が落ちてきたのかということを考えてしまいました。

それでも、この日の母は体調も良さそうで口数も多く、とても元気でした。

2020年12月15日 (火)

便秘解消で一安心

2年前の2018年12月15日は土曜日、良く晴れて北風の強い日でした。

午後4時頃に面会に行くと、母はいつもの位置にいました。

会うなり「朝から出た」と嬉しそうに報告してくれました。

2日続けて出なかったので、そろそろ下剤を使うことを考えていたようでした。

おやつを食べた後のトイレでも出たというので、またしばらくは心配しないで良さそうでした。

退院して半月ほどが過ぎ、むくみもあまりないので、この時期の母にとって最大の心配は便通ということだったと思います。

この日は晴れて風が強いので、面会室から富士山が見えるかと期待しながら9階へ向かいました。

ところが西の方には雲が出ていて富士山は見えませんでしたが、きれいな夕焼けが見えました。

母の話では午前中には年賀状作りをやって、午後は昼寝をしたとのことでした。

着替えの際には、前日に初めて来てみたハイネックの肌着の感想を聞いてみました。

「首の部分があまり高くなく、キツくないのもいい」と、気に入ってくれたようでしたので、同じものの色違いを着せてあげました。

この日は体調も良さそうで元気があり、話をしている間にもいい笑顔が何度も見られました。

2020年12月14日 (月)

「冬だよ、これは」

2年前の2018年12月14日は快晴ながらも北風が強くかなり寒い日でした。

午後4時に面会に行くと、母は車椅子に座って両足を浮かせるようにして運動していました。

この日母は木曜日だと思っていたところ、午前中にリハビリに呼ばれて金曜日だと分かったとのことでした。

リハビリでは、先生が伝い歩きの2回目を「やりますか?」と聞いたので「やりたい」と答え、もう一回やりましたと。

そして午後は美容師さんが来てくれて、頭髪をカットしてもらったとのことでした。

「長いのが気になっていた」と、久しぶりに髪を切ってもらってさっぱりしたからか、この日は口数も多く上機嫌でした。

この日は、新しい長袖のハイネックの肌着を試しに持って行きました。

その肌着を見た母は「冬だよ、これは」と驚いたように言っていましたが、私が「冬だよ、今」と返すと大笑いしていました。

施設の室内が暖かいので、あまり季節を感じることができないようでしたが、母は試着してみていました。

「今まで首が涼しそうだったからね」と私が言うと「フィットして、すごくいい」と母は喜んでくれました。

再び髪をカットしたことに触れて「みんなカッコいいと言ってくれた」と満足そうでした。

足のむくみもほとんどなく、体調も良さそうで元気で明るいこの日の母でしたが、雲が広がり夕焼けが見えなかったことだけ残念そうでした。

長袖ハイネック

2020年12月13日 (日)

年賀状作り

2年前の2018年12月13日は木曜日、母が入浴をする予定の日でした。

この日も午後4時ごろに面会に行くと母はいつもの位置にいました。

外は曇りで寒い日でしたが、暖かい室内の母もこの日はカーディガンを着ていて、テーブルにはハズキルーペが置いてありました。

話を聞いてみると、年賀状を書いていたのだということでした。

この日は午前中に入浴して、背中や脚に保湿クリームを塗ってもらって気持ちが良かったと言っていました。

また、看護師さんが「初めて切る」と言いながら手の爪を切ってくれたということでした。

深爪にならないようにしたとのことで、見てみるとかなり遠慮した切り方でした。

足のむくみも見てくれて「ないわねえ」と言ってくれたとのことでした。

確かにむくみは前日よりも良化しているようで、ほとんどわからないくらいでした。

午後には昼寝をした後、年賀状作りをしたということでした。

その後のおやつはいつものゼリーと紅茶だったそうですが、何かプラスアルファがあったようで「特別に美味しかった」と喜んでいました。

西側の窓から見る景色は一面の厚い雲で、残念ながらこの日も夕焼けを拝むことはできませんでした。

母は「朝、富士山と筑波山を見たと言っていた人がいた」と教えてくれました。

2020年12月12日 (土)

ひと騒動

2年前の2018年12月12日は水曜日、寒い中この日も午後4時前に施設に面会に行きました。

母はいつもの位置にいましたが、どことなく元気がなさそうでした。

話を聞いてみると、昼寝の前にトイレに行ったところ少し出て、そのまま寝ようとしたところ、ベッドでまた出てしまったということでした。

前々日の夜にもベッドで出てしまったと、前日に聞いたばかりでした。

出ないで悩むよりは良いのですが、出すぎるのも困ったものです。

母は「後始末が大変だ」と言って職員さんを心配していましたが、本人の心理的なショックもかなりのものだったと思います。

この日は午前中にタオル折りをたくさんして午後に昼寝をしようとしたところ、ひと騒動あったというわけでした。

逆に、昼寝をしないでずっと起きていたからか、話声もしっかりしていて元気な感じがしました。

おやつはゼリーと紅茶だったので「美味しく頂きました」とご機嫌でした。

その後部屋に着替えに行き、高橋由伸のタオルで背中を拭いてあげました。

「それが気持ちいい」と母は喜んでくれました。

2020年12月11日 (金)

「お腹ペチャンコだ」

2年前の2018年12月11日はとても寒く、面会のために重い腰を上げるのが大変でした。

午後4時頃施設に行きますと部屋の中はとても暖かく、母はどことなくお疲れの様子に見えました。

母の話では、昼寝をしていると2時半頃リハビリのために起こされ、戻ってからおやつを食べて忙しかったとのことでした。

リハビリには見学の学生が来ていて緊張したことや、おやつは12月の誕生会でコーヒーとゼリーだったことを教えてくれました。

コーヒーが久しぶりで美味しかったと言っていて、確かに先月は入院中で誕生会に参加できなかったのでした。

特に11月は母の誕生月で、10月には「次は自分の番だ」と楽しみにしていたので大変残念でした。

また、他の人達はケーキだったようですが、母はいつものゼリーだったので、これも少し残念そうではありました。

ところで、前日はトイレに行くたびにウンチが出たということでした。

それは良かったのですが、夜ベッドに行ってからも出てしまって職員さんを呼んだとのことでした。

夜8時頃のことで、トイレに行ってスッキリしたおかげで良く眠れたと言っていました。

その上、また今朝も出て「お腹ペチャンコだ」と大笑いしていました。

この日はお疲れ気味ながらも口数も多く元気で明るい母でした。

2020年12月10日 (木)

「良かったよ」

2年前の2018年12月10日は月曜日、曇りで寒い日でした。

午後4時に施設に行くと施設内はやはり暑いくらいで、母はカーディガンを脱いでいて「暑い」と言っていました。

この日も元気で、朝からたくさん出たことや、午前中に入浴をしたことなどを話してくれました。

前日まで展示会場だった9階に行くと作品の多くは片づけられていましたが、いくつか残っている作品を見ながら話をしました。

この日、6時ごろ起きたらまだ真っ暗だったことや、移動の廊下だけ寒いということ。

寝起きにトイレに行ったらたくさん出て、その後もまた出たけれど、さっき行ったらもう出なかったことなどを話して大笑いしました。

その後母の部屋に行くと、ベッドに鶴がたくさん置いてありました。

「そこにも鶴がいる」私がベッドを指さして言うと、母は「あれ本当だ、知らなかった」と言いました。

前日まで展示してあった作品を職員さんが持ってきてくれたことは知っていたそうです。

展示してあった折り鶴もベッドサイドの棚にあることは分かっていたそうですが、ベッドの方は気付かなかったようです。

「鶴がたくさんだね。展示してもらってどうだった?」と私が母に尋ねると、母は「良かったよ」と嬉しそうな笑顔で答えてくれました。

この日の母は気分も良さそうで、元気な声でひたすら話をしてくれました。

2020年12月 9日 (水)

ハズキルーペ

2年前の2018年12月9日は日曜日、曇りで北風が強く寒い日でした。

この日もいつものように午後4時頃に面会に行きますと、施設内はかなり暑く感じられました。

この日の母は、珍しく午前中に塗り絵をしたと話してくれました。

その塗り絵が細かいものだったので、母がバッグからハズキルーペを出したところ、その眼鏡の話でかなり盛り上がったということを教えてくれました。

しばらくテレビを見ていない母は、あまり意味が分からなかったようでしたが。

この日は朝から便通があったということで体調も良さそうで、気分も良かったのか元気にたくさん話をしてくれました。

その後、いよいよ最終日となった展示会を見に行きました。

展示会場で写真を撮ってあげると、母は自らポーズをとってくれました。

この日は曇り空で夕焼けも見えませんでしたが、母の元気が戻ってきて嬉しかったことを覚えています。

2018年12月9日

 

 

2020年12月 8日 (火)

「うれしいねぇー」

2年前の2018年12月8日は土曜日、曇りで肌寒い日でした。

この日も午後4時頃面会に行きますと、母は「出ましたよ」といきなり言ってくれました。

この日の朝便通があり、2本出たと嬉しそうに報告した上に「暑いわよ」と元気でした。

「外は寒いよ」と手に触れると「あっ、冷たい」と驚いていました。

9階の面会室に移動すると母は「ここは涼しくていいね」と言い、確かに曇りで西日が入らないので少しひんやりしている感じでした。

9階ではまだ展示会が続いていて母も見慣れてきたようで、自らいろいろと見て回っていました。

鶴を見つけて「母さんの鶴だよ」と私が言うと「うれしいねぇー」「いいねー」と改めて喜んでいました。

展示の前で写真を撮りましたが退院から10日ほどが経過し、元気が出てきて表情にも余裕があるように見えました。

2018年12月8日

2020年12月 7日 (月)

冷たいゼリー

2年前の2018年12月7日は金曜日、前日は病院で診察がありました。

この日も午後4時頃に面会に行くと、母はトイレに入っていたために少しの間看護師さんとお話をしました。

次回の診察が25日で、当日は午後2時半ごろに来て欲しいと言われました。

私からは前日の先生の話、当面様子を見ることと、むくみがひどくなれば25日の前でも来るように言われたことを伝えました。

そんな話をしているうちに母がトイレから戻ってきました。

母の話では、前日は病院から戻ると昼食、そしてすぐにお風呂に呼ばれて忙しかったとのことでした。

またこの日は朝、ラジオ体操をしているとリハビリに呼ばれたということで、週2回目のリハビリになりました。

午後には少し昼寝をしたということでした。

前日の入浴後に厚手の肌着を着たために暑いというので、この日はブルーの夏用の半袖Tシャツを着てもらいました。

部屋が暑いので、おやつの冷たいゼリーが美味しかったと喜んでいました。

この日は雲が多く、残念ながら夕焼けを見ることはできませんでした。

展示会より

2020年12月 6日 (日)

退院後初めての診察日

2年前の2018年12月6日は施設に入所以来初めての通院の日で、午前11時くらいに施設に行きました。

看護師さんも今一つ手続きが分からないようで、受付は済んでいましたが、病院の待合室で待つことになりました。

母も待合室を思い出して「大分待つのではないか、寒いのではないか」などと心配していました。

そのためマスクを着けて、ちゃんちゃんこを持つと、母はさらにいろいろと記憶がよみがえってきたようでした。

結局、12時まで施設で待ち、さらに病院の待合室で12時40分くらいまで待つことになりました。

待っている間、母は「こんなにきれいだったかな?」と言って、かなり思い出してきたようでした。

考えてみますと、病院の待合室で待つのは4月2日に足の骨折で入院した日以来でした。

診察時の先生のお話では、母の状態は退院時とあまり変わっていないということでした。

血圧が高めなことと、貧血気味なので今後も続くようならば輸血を考えると言われました。

むくみは老化現象の一つなので確実に繰り返すことと、前のように急激にむくむこともありうると注意されました。

このころの母の体調は安定しているように見えていたので、それほど心配はしていませんでしたが、診察後は疲れがドッと出ました。

翌日母に尋ねると、病院から戻ると昼食、そしてすぐに入浴に呼ばれて忙しかったと話していました。

2020年12月 5日 (土)

「ブラウスを着て行きたい」

2年前の2018年12月5日は水曜日、曇り空の中この日も午後4時前に施設に行きました。

翌日が病院での診察なので、母に挨拶をする前に看護師さんと話をしました。

受け付けと採血は施設の方で済ませるので、病院から呼ばれてから行けば良いということでした。

看護師さんと打ち合わせが終わり母の方を見ると、この日も暑いようでお気に入りのカーディガンを着ていませんでした。

面会室に行って話を聞くと、朝から便通があったとのことでした。

午前中にはラジオ体操をしてからタオル折りをして、午後はいつものように昼寝をしたそうです。

退院後は毎日昼寝をしているからか、足のむくみはあまり目立っていませんでした。

翌日の通院の話をすると母は「ブラウスを着て行きたい」というようなことを言っていました。

私は病院に行くのだからパジャマでもいいのではないかとも思いましたが、母は元々それなりの服装をしないと外出しないタイプでした。

今にして思えば施設に入所後は着飾ることもなかったわけで、少しはおしゃれをさせてあげれば良かったかな、とも思います。

このころ母はよく「足が痒い」と言っていたので、この日も保湿クリームを塗ってあげました。

前日も塗っていたので「夜も痒くなかった」と喜んでいました。

最後に一緒に窓の外を見ましたが、曇り空で夕焼けは見られず残念そうな表情の母でした。

2020年12月 4日 (金)

「気をつけて」

2年前の2018年12月4日は火曜日、最高気温が22℃まで上がった蒸し暑い日でした。

母はいつもの場所にいて、会うなり「暑い」と言いました。

「外も暑いよ」と私が言うと「そう」と母は言いながら、暑くてあまり眠れなかったとことをこぼしていました。

午前中にはリハビリをやって、午後は昼寝をしたそうですが、ベッドが暑くてほとんど寝ていないとか。

少し前にはおやつに出た、熱くて香りの良い紅茶と冷たいゼリーを美味しくいただいたとのことでした。

着替えのために母のベッドのところに行くと、枕元の気温計は26℃と表示していました。

前夜も暑さと足の痒さでよく眠れなかったということで、足に保湿クリームを塗ってあげました。

母は「足を触ってもらうのは気持ちいいね」と満足そうでした。

着替えを終わって、最後に夕焼けを見ようと西の窓から外を見ると、まだ赤というよりもオレンジ色の空でした。

母は前日も食堂のカーテンを開けて夕焼けを見たことを教えてくれました。

「今日もすごい、こんなのはなかなか見られない」と、この日の夕焼けも感心して見ていました。

その後、エレベーター前で「気をつけて」と、手を振って見送ってくれました。

2020年12月 3日 (木)

厚手の肌着

2年前の2018年12月3日は月曜日、この日も午後4時頃に面会に行きました。

「今まで夕焼けを見ていたよ」母はいつもの位置にいましたが、直前まで西向きの窓から外を見ていたとのことでした。

この日は午前中に入浴して、リハビリはなかったと言っていました。

12月に入って、施設での冬の生活がどうなるのか心配な点がいくつかあり、特に不安なのが温度と湿度でした。

加湿器については持ち込みを拒否されましたが、室温に関しては経験してみないと分かりませんので対策を考えていました。

厚手の肌着や帽子など寒さに対する衣類も少し用意しておきました。

この日の入浴後には冬用の厚手の肌着を着たため、母は「暑い」と言っていました。

風呂上りに厚手の肌着を見た時「えーっ」と思ったとのことでした。

職員さんは季節に合わせた肌着を選んでくれたのでしょうが、施設にいる限り冬支度は必要なさそうでした。

部屋に戻って、半袖の肌着と薄手の帽子に着替えました。

着替えを終えて、やはり西向きの部屋の窓から外を見ると、すでに真っ暗で近くのマンションの灯が輝いていました。

「じゃ、また明日来ますからね」「はい、ご苦労様でした」いつものように、そんなやり取りをしてお別れしました。

2020年12月 2日 (水)

「事件があった」

2年前の2018年12月2日は日曜日、曇りで最高気温13℃の寒い日でした。

午後4時ごろに面会に行きますと、母はいつもの場所にいました。

この日は外が寒いので逆に室内の暖房が効いていて、母は日中ずっとカーディガンを脱いで過ごしていたそうです。

一緒に面会室に移動していると、母が「事件があった」と話し始めました。

前夜は早めにベッドに行って横になったところ、便意を催して出てしまったということでした。

そのままトイレに連れて行ってもらったところ、母の話では「ものすごく出た」とのことでした。

そのためかよく眠れて、そのうえ「今日はよく食べられる」とも話していました。

朝から食欲があって「お腹がペチャンコだったから全部食べた」と退院以来一週間で、食欲も元に戻ったようでした。

この日は体調が良いからか、口数も多く積極的にいろいろな話をしてくれました。

ただ曇り空のために、いつも楽しみにしている夕焼けを見ることはできませんでした。

2020年12月 1日 (火)

「みんな忙しいから仕方ないね」

2年前の2018年12月1日は土曜日、晴れて暖かい日でした。

この日も午後4時ごろに母に会いに行きました。

室内が暑いので母はカーディガンを脱いで、いつもの場所で寛いでいました。

この日は午前中にリハビリをして、午後は一時間ほど昼寝をしたとのことでした。

その後おやつにゼリーを食べてそのままその場所にいたようでした。

ここ数日は毎日、展示会を誰も見に来てくれないことを残念がっていました。

「みんな忙しいから仕方ないね」この日もそう言いながら、寂しそうな様子がうかがえました。

それでも退院してから6日が経過し、徐々に元気が出てきて顔にも活気が表れたように思えたので写真を撮りました。

ただ、以前のような屈託のない満面の笑顔とはまだいかないようでした。

2018年12月1日

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