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2020年11月

2020年11月30日 (月)

11年前のこと

2年前の2018年11月30日も午後4時前に面会に行きました。

母は丁度トイレに入っているところでした。

おやつにゼリーを食べてからトイレに行ったとのことでしたが、この朝に退院後初めて便通があったとのことでした。

本人も一安心で、午前中にはラジオ体操をして、午後は昼寝をしたと話してくれました。

施設での生活にも慣れてきて、話し声にも元気が戻ってきていました。

ただ、元気になってくると退屈なようで「誰も来てくれない」と、展示会を見に来てくれる人がいないことに不満を漏らしていました。

入院前から楽しみにしていた展示会を見て欲しい、という母の思いの強さが感じられました。

ところで、11月30日は私が母を連れて初めて温泉に行った日です。

父の四十九日が終わって少し経ったころのことでした。

その後の3年ほどで2~30回くらい一緒に行ったように記憶しています。

それは2009年、もう11年も前のことになりました。

2009年11月30日

2020年11月29日 (日)

「また来てね」

2年前の2018年11月29日は木曜日、この日も午後4時頃に面会に行きました。

木曜日は入浴をする日で、午前中にお風呂に入って午後は昼寝をしたと母は言っていました。

この日も展示会場に行きましたが、見慣れてきたようで母は他の人の作品を見て感心したりしていました。

話し声にも元気さが戻ってきていて、普通の生活に慣れて活気も出てきたように感じました。

入浴があったこの日は着替えはしないで、タンスに入っていた洗濯物を持ち帰りました。

家に帰ってから洗濯をしようと持ち帰った洗濯物を改めてみると、他の人のものでした。

施設に連絡して翌日交換することにしましたが、どこか介護の現場の大変さが垣間見えたような気がしました。

また、曾孫の動画を送ってくれた孫娘に母の動画でお礼をしようと考え、母に手を振ってもらいました。

「また来てね」母は笑顔で手を振りながら言ってくれましたが、残念ながら手違いで写真になってしまいました。

「また来てね」

2020年11月28日 (土)

「誰か見に来てくれるといいな」

2年前の2018年11月28日も午後4時ごろに面会に行きました。

施設の1階のエレベーターの前で会った職員さんが「毎日面会に来て大変ですね」と私に話しかけてきました。

『大変なのかな?』あらためて私は考えてしまいましたが、糖尿病の母の食事を考えるよりは時々会いに来るだけの方が楽なように感じていました。

特に施設入所後の母は、毎日元気で楽しそうに過ごしていましたから、私も会いに行くのが楽しかったように記憶しています。

この日も母は午後に昼寝をして、おやつにゼリーを食べて寛いでいるところでした。

退院してまだ間がないので食事の量が多く感じるようで、お粥を少し残してしまったと話していました。

また、この日も一緒に展示会を見に行きましたが、3日目なので慣れてきたためか母は他の人の作品も楽しんで見ていました。

そして、入院中から楽しみにしていた展示会ですから「誰か見に来てくれるといいな」と控えめな声で言っていました。

施設での生活も3日目になって全体的には少しずつ元気になってきていました。

ただ、この件については「みんな忙しいからね」と自分を慰めるように言いながら、はっきりと口には出しませんでしたが寂しそうでした。

2020年11月27日 (金)

「私と同じだ」

2年前の2018年11月27日は母が施設に再入所して2日目でした。

この日も午後4時前に面会に行くと、母はいつもの定位置にいて寛いでいました。

午前中にリハビリをして、午後はベッドで横になり、今おやつを食べてからトイレに行ったところだと言います。

話をしていますと、前日私が医師と話をした自分の状況について尋ねてきました。

私は心不全という病名を告げることにはためらいがあり、どこまで話そうか考えてしまいました。

とりあえず、今後は通院することと12月6日に病院に行く予定であることを伝えました。

母と話をしている間、数人の職員さんが母に声を掛けて復帰を喜んでくれていました。

また、孫娘が送ってくれた曾孫の動画を見せてあげました。

曾孫が安定感なくフラフラと立ち上がる動画を見て母は「私と同じだ」などと笑いながらも、曾孫が立ったことを喜んでいました。

動画を見る姿は楽しそうで、またこれまでと同様に施設での生活を楽しんで欲しいなと思ったものでした。

そして、それほど寒くはなかったこの日に、母がとてもこだわっていたのが『ちゃんちゃんこ』でした。

病院の看護師さんにポケットを縫ってもらって、ついでに名前とウサギを刺繍してもらったものですが、母にとって大切なものになったようでした。

2020年11月26日 (木)

退院、再入所

2年前の2018年11月26日は母が病院から施設に再入所する日でした。

午前10時に病室に行くと、母は既に着替えていて、荷物もまとめてありました。

主治医から10日後に診察するとの連絡があり、今後は定期的に通院することになりました。

施設に移ると、前回と同じ部屋の同じベッドに案内され、同じ環境で過ごすことになりました。

その後施設の医師が来て、私だけが事務所に一緒に行き、母の状況について聞きました。

医師の話では、心臓の弁膜の具合が不調で血液が多少逆流しているとのことでした。

おそらく加齢によるもので、ステージは4のうち2くらい、治すとすれば手術しかないけれども、すぐに手術が必要というほどではないと。

若ければ手術しますが、年齢からするとこのまま手術なしで過ごすことになるのだろう、というのが医師の見解でした。

結局、心臓は丈夫だが効率が悪く血圧が不安定でむくみやすいので、利尿剤で対処していくということのようでした。

この日はその後、午後4時前にクッションなど必要なものを持ってまた面会に行きました。

母は久しぶりにトイレを使ってみたようですが、ウンチはまだ出なかったとのことでした。

また、母が楽しみにしていた展示会の会場に行きますと、母の習字や折り鶴が展示してありました。

折り鶴と一緒に笑顔の母の写真を撮ったつもりでしたが、緊張気味のこの日は母の笑顔もまだ調子が出ない感じでした。

2018年11月26日

2020年11月25日 (水)

「今?見たいねぇ」

2年前の2018年11月25日は日曜日、良い天気ながら空気の冷たい日でした。

この日も午後4時ごろ母の病室に面会に行きました。

母はベッドに寝ながらラジオを聞いていました。

そろそろ大相撲中継が始まる時間で、母は「今日で終わりだもんね」と言いました。

私が挨拶代わりに母の手に触れると「冷たいねー」と驚いていました。

この日も寝たまま話していたので鼻声でしたが、元気でいろいろと話をしてくれました。

「今日はずっと起きていた」と、ラジオで懐メロをやっていて一緒に歌ったことを楽しそうに話しました。

「ちゃんちゃんこを縫ってもらった」と、ポケットが破れていたのを看護師さんが縫ってくれたと喜んでいました。

そのちゃんちゃんこには、ウサギと母の名前まで刺繍がしてありました。

リハビリの話では「板でスルスル行くわけよ、怖いよあれ」などと、最近のリハビリの様子を教えてくれました。

トイレはまだ使っていないようで、施設に行けば便器に座るから出やすくなるだろうと期待していました。

「施設で展示会をやっているよ」と伝えると「今?見たいねぇ」と即答でした。

最後に母の手を握ると母は「暖かくなったね」と私の手が冷たくなくなって安心してくれたようでした。

2020年11月24日 (火)

「お別れが淋しい」

2年前の2018年11月24日は、晴天ながらも肌寒さを感じる日でした。

この日も午後4時ごろに母の病院に面会のために行きました。

病室を覗くと母のベッドは空でしたが、同室の人が「あそこじゃないの」と、ナースステーションを指さしました。

ナースステーションの中を見に行くと、ちゃんちゃんこを着てラジオを持った母が車椅子に座っていました。

母の話では午前中にリハビリをして、午後は入浴をしたとのことでした。

入浴後に部屋に戻らずラジオを持ってきてもらって、そのままナースステーションで過ごしていたようです。

そこから広間に移動して窓から外を眺めながら話をしました。

まだトイレは使っていないと言いますが、明後日には施設に戻るのに大丈夫なのかなと少し心配でした。

また、少し元気がないように感じたので尋ねると「看護師さんたちとのお別れが淋しい」と言いました。

施設に入所する前と同じフロアの看護師さんたちに囲まれて、楽しく入院生活を送っていることが感じられました。

話をしているうちに陽が少しずつ傾いて、空がだんだんと朱くなってきていました。

病院や施設では、よく母と一緒に夕焼けを見たものでした。

2020年11月23日 (月)

「忘れちゃったよ」

2年前の2018年11月23日は金曜日、晴れて寒さを感じる日でした。

この日も午後4時ごろに母の病室に行きました。

母はベッドで眠っているのか目を瞑っていたので、身体をトントンと叩きました。

すぐに目を開けて「ウンチが出ない」と言いました。

ただ、前日の面会時に「朝からたくさん出た」と聞いていましたので、それほど深刻でもないかなと思いました。

また、食事は既に毎回広間で食べているそうで、前夜も相撲中継を見ながら食べたと言っていました。

この日は良く晴れていて、特に朝は見通しがよく富士山もきれいに見えていたことを母に伝えました。

すると母は、病院から筑波山が見えると言われたけど、よく見えなかったと教えてくれました。

そして今日の寒さを良く知っていて、自分に触れる人の手が冷たいので外の寒さを感じるとのことでした。

そこで私が母の手に触れてみると、母の手は暖かくというよりもむしろ熱いくらいで、この日も元気なことがよく分かりました。

最後にカレンダーを見せながら「今日は結婚記念日じゃないの?」と尋ねてみました。

「そうだね、忘れちゃったよ」と母は笑顔で言いました。

2020年11月22日 (日)

「今日は寒かった」

2年前の2018年11月22日は木曜日、曇りで最高気温も14℃という肌寒い日でした。

午後1時過ぎに病院の主治医から電話があり、内容は前日に施設の看護師長からのものとほとんど同じでした。

ただ、退院後も通院することと、その際は親族が付き添う必要があるとのことでした。

また、入院中に使用している高価な薬は施設では断られたとも言っていました。

母の面会は、いつものように午後4時ごろに行きました。

母はベッドに横になってはいましたが起きていて、看護師さんが持ってくる薬を待っているとのことでした。

「今日は寒かった」と母は言いました。

食事のために広間に行く途中の通路が、とても寒かったということでした。

この日も午前中にはリハビリがあり、前日のように板を使って歩行訓練をしたと教えてくれました。

起きたばかりで、おしめを替える暇もなくリハビリの先生が来たので、恥ずかしかったと母は話していました。

たくさん出ていたとかで、健康状態は良さそうでした。

前日は大相撲中継のテレビの前でお別れをしたので、その後のことを尋ねてみました。

結局、夕食の時間まで大相撲をかぶりつきで見ていたと言っていました。

慣れるにしたがって良く見えたそうですが「久しぶりで力士の名前がわからない」ということでした。

2020年11月21日 (土)

「また太るかな」

2年前の2018年11月21日、母は入院中でしたが施設の看護師長から私に電話がありました。

主治医から施設に連絡があって、26日に退院して施設に戻る予定だという連絡でした。

母の面会はこの日も午後4時ごろに行きました。

病室を覗くとベッドが空だったのでナースステーションで尋ねようとすると、母はすぐそこに座っていました。

そのまま食堂に一緒に行って、話をすることにしました。

丁度大相撲が始まった時間なので、テレビをつけて相撲を見せましたが、小さくてよく見えないと言いました。

この日は午前中にリハビリをして、午後はお風呂に入ってそのままナースステーションにいたようでした。

お風呂は本当に久しぶりで気持ちが良かったと喜んでいました。

また、リハビリの伝い歩きはいつもの棒を掴むのではなく、平らな板に手を置きながら歩いたとのことでした。

最初は怖かったそうですが、いつもと同じように2往復歩けたと胸を張っていました。

26日に施設に戻るようになったことを伝えると「また太るかな」と心配しながらも帰ることを楽しみにしているようでした。

最後に、テレビの大相撲がよく見えるように、かぶりつきの位置に母の車椅子をセットしてお別れをしてきました。

2020年11月20日 (金)

体重測定

2年前の2018年11月20日も午後4時前に面会に行くと、母はラジオを持って仰向けに寝ていました。

挨拶をすると、そろそろ4時になるから面会に来てくれるかと思っていたと言いました。

前日はラジオで相撲を聞いてみたとのことですが、相撲の実況が早すぎて何を言っているのかよく分からなかった、と話していました。

この日は血液検査をしたようで、左腕のひじの内側あたりに絆創膏が貼ってありました。

また、耳に付いていた検査機器とカテーテルが外されていました。

状況としては、ほぼ普通の生活をする準備が始まったという感じになってきました。

母の話によりますと、この日は体重を測ったとのことでした。

この日の体重は41㎏だったそうですが、看護師さん4人がかりで測って「重かった」と言われたと笑っていました。

骨折前の、家から定期的に通院していた頃は44㎏くらいでしたが、その頃はよく食べていました。

その後の、脱水で入院して施設に入所する頃は37.5㎏ということでしたので、かなり痩せていました。

そのように考えますと、この日の体重をみると栄養状態には問題なさそうで、当時としてはベストだったのかもしれません。

その他には、外の寒さや日没が早くなったこと、大相撲のことなどを話しましたが、母は相変わらず元気で暇を持て余し気味のようでした。

2020年11月19日 (木)

「退院したらお祝いしましょう」

今日11月19日は母の誕生日です。

2年前の2018年11月19日は月曜日、この日も午後4時前に母の病室に面会に行きました。

母は仰向けでラジオを持って相撲を聞こうとしていたようですが、相撲の放送は4時からなので、まだ少し早すぎました。

昨夜には便通もありおしめも替えたそうで、この日は新しいピンクのパジャマを着ていました。

母は「今日は日曜日だと思っていたら、リハビリに呼ばれた」と言いました。

伝い歩きを2往復して、明日はリハビリはお休みですと言われたとのことでした。

今日は自分の誕生日だと、リハビリの先生に話したそうで「退院したらお祝いしましょう」と言われたと、笑顔で教えてくれました。

母は自分の誕生日を始め、高齢になってからも家族などの誕生日を良く覚えていました。

最後に、前日持って行った看護学生が作ってくれたカレンダーがサイドテーブルの上にあったので母に見せました。

今日の日付を確認してもらおうと思って見せたのですが、母は「これを探していた」と探し物が見つかったことを喜んでいました。

2020年11月18日 (水)

「今日にも見に行きたいね」

2年前の2018年11月18日は日曜日、曇り空で肌寒い日でした。

午後4時前に面会に行くと、母はベッドに横になっていて退屈そうにしていました。

「外は寒いよ」と私が言うと母は「暑い」と言いました。

確かに病室の中は暑いくらいでしたが。

そして「今日展覧会があってさ、見に行った?」と尋ねてきました。

施設での展示会のことのようでしたが、それは23日からでした。

説明すると「今日で終わりじゃないんだ」と納得してはいましたが、展示会のことがかなり気にかかっているようでした。

母が入院してから、私が施設に行った時に職員さんに「元気になったら見に来てくださいね」と言われたことを伝えました。

すると母は「今日にも見に行きたいね」と、入れ込み気味でしたが、私が「まだやってない」と言うと、母は大笑いをしてくれました。

この日も元気でしたが、病院も日曜日なのであまり人の気配もしないうえ、構ってもらえず暇を持て余しているようでした。

最後には「誰かに会ったらよろしく言ってね」「もう大丈夫だから」と人恋しい感じの母でした。

2020年11月17日 (火)

「向こうも手を振ってくれた」

2年前の2018年11月17日は土曜日、朝から暖かく爽やかな天気でした。

この日も午後4時前に母の病室へ面会に行きました。

母は眠っていたようでしたが、からだをトントンと叩くとすぐに目を開きました。

「二人でお茶を飲みに行ったんじゃないの?」夢でも見ていたのか最初にそんなことを言いました。

「今日は日曜だから誰か来てくれるんじゃないかと思った」とも言っていました。

ただ、この日は土曜日で、話をしているうちに午前中にリハビリをやったことが分かりました。

前日にはベッドと車椅子の移動を練習したことを聞いていました。

ですから、本格的なリハビリはこの日が初日のはずですが、いきなり伝い歩きを2往復して先生が驚いていたと、自慢げに話してくれました。

また、とても良い天気だったのでリハビリルームからベランダに出てみたとのことです。

隣の老健とリハビリルームが隣り合わせで、その老健の方から見ていた人がいたので母は手を振ったそうです。

すると「向こうも手を振ってくれた」と喜んでいました。

食事はこの日も食堂で食べたとのことですが、まだ食欲が今一つなのか母にしては珍しく、おかずを残してしまうようでした。

いずれにしても回復は順調で元気もあり、時間を持て余し始めたように見えました。

2020年11月16日 (月)

なんとなく違和感

2年前の2018年11月16日も午後4時前に母の病室に向かいました。

この日もいつものように左側を下にして寝ていましたが、目を開けていました。

「面会だよ」と声を掛けると、いつものように話し出しましたが、なぜか声をひそめてヒソヒソ話のような話し方でした。

母の話の内容は、リハビリの先生が来て、先生の肩を借りながら何度かベッドから車椅子に移動する練習をしたとのことでした。

昼食は車椅子に乗って食堂に行き、テレビの前で食べたということです。

ただ、まだ食欲があまりないので、おかずを一品残してしまったと残念そうでした。

また、病室と食堂の往復の際にナースステーションの前を通り、以前入院していた記憶がよみがえったと話してくれました。

そして、食堂への移動の時にはちゃんちゃんこを着て行ったとのことで、そのお気に入りのちゃんちゃんこを布団の上に広げていました。

かなり体調も回復してきて、暇な時間は退屈なようでした。

そこでラジオを聞かせてあげようと思って試してみると、窓側のベッドでないので雑音で聴きにくい感じでした。

この日の母も元気ではありましたが、声をひそめるような話し方には少し違和感がありました。

2020年11月15日 (日)

「すぐ思い出した」

2年前の2018年11月15日は快晴で、私の仕事先のマンションからも富士山がよく見えました。

この日も午後4時前に母の病室に面会のために行きました。

面会時母は眠っていましたが、丁度看護師さんが採血するために来て起こしました。

何か新しい薬を使ったために採血をすると説明してくれました。

この日は点滴を外していましたが、カテーテルはまだつけている状況でした。

母の話ではリハビリの先生が来て、ベッドの柵を使って起き上がらせたということでした。

意外と簡単にやって見せたので、リハビリの先生は驚いていたと話してくれました。

母はこの時90歳でしたが、骨折で入院する4月まではほとんど普通に生活していましたので、腕力もそれほど衰えてはいなかったはずです。

そのリハビリの先生の声を聞いて母は「すぐ思い出した」と言っていました。

この前に入院していた時の記憶が、少しずつよみがえって来ているようでした。

また、母のベッドの位置からは寝たままで窓の外が見えるということでした。

そのために、この日の好天も良く知っていて「今日は朝からすごくいい天気だった」と嬉しそうな笑顔を見せてくれました。

2020年11月14日 (土)

「遠くまで来てくれてありがとう」

2年前の2018年11月14日は午後4時ごろ母の病室に面会に行きました。

この日も鼻から酸素吸入をして、足には点滴をして仰向けに寝ていました。

挨拶をすると母は、いつもと同じ病室で寝ているにもかかわらず「遠くまで来てくれてありがとう」と、なぜかお礼を言ってくれました。

この日は検査で病院内を移動したために、母は違う場所で寝ていると思っていたようでした。

前日に姉が来たことを覚えているかと尋ねると、一瞬怪訝そうな顔をした後に「二人で来たことは覚えている」と答えてくれました。

母と話をしているうちに、主治医が病室に現れて、明日にも点滴を外して近いうちにリハビリを始めると説明してくれました。

貧血などはまだ残っているそうですが、ひとまず徐々に普通の生活に戻らせるようでした。

この日、外は冷たい風が吹き始めましたが病室内は暖かく、母は「暑い」と言っていました。

帰宅後、施設に電話をして復所について尋ねてみました。

施設での生活が出来るようになれば、改めての申し込みはしないで復帰できるということでした。

ただ、今後は通院する必要がありそうで、老健は健康保険が使えないため、特養の申し込みもしておくことを伝えておきました。

2020年11月13日 (金)

「また鍛えよう」

2年前の2018年11月13日は火曜日で、姉が一緒に面会に来てくれました。

午後3時半に病室に向かうと、丁度ベッドメイキングをしているところで少し待ちました。

病室に入ると、母はほぼ仰向けで寝ていて、少し鼾をかいているようでした。

鼻にはまだ酸素吸入をしていましたが、この日は点滴は外しているようでした。

顔のむくみもほとんど解消されていて顔色も良好でした。

よく眠っているようにも見えましたが、肩をトントンと叩くと母は目を開けました。

姉が声をかけて顔を覗き込むと、すぐに分かったようでした。

姉が面会に来たことが嬉しいようで、話を始めると止まらなくなりました。

食事は三食出ていて、お昼には洋食が出たと教えてくれました。

「おいしかった、初めて食べた」と、母の最大級の賛辞が贈られました。

また、眠る前には看護師さんたちと話をしたり、顔を撫でられたりして楽しく時間を過ごしていたとのことでした。

この日も元気でしたが、布団をめくり細くなった脚を姉に見せました。

「また鍛えよう」母はリハビリに前向きでした。

2020年11月12日 (木)

緊張感ある特養のロビー

2年前の2018年11月12日は母が入院して4日目、午後4時に面会に行きました。

この日は鼻から酸素吸入をしていましたが、相変わらず左側を下にして寝ていました。

右肩をトントンと叩くと母は目を覚ましました。

ほとんどむくみは無くなっていて、この日のお昼から起きてご飯を食べ始めたということで一安心でした。

お粥とジャガイモの練ったものが美味しくて、出されたものは完食したと話してくれました。

とりあえず順調に回復しているようでホッとしました。

その後、私は病院の隣にある特別養護老人ホームを訪ねました。

病院を挟んで母が入所した老健と反対側の建物にある施設がその特養です。

私は入所の申込書を頂こうと思っていたのですが、わざわざ指導員の方が説明をしてくださいました。

その時の話では、入所は早くても2~3か月先になるということでした。

その際に私が以前から気になっていたことを率直に尋ねてみました。

私の問いに対する答えは「特養が空くということは、基本的に亡くなるということです」という説明でした。

「看取りをする場所とはそういうことです」と、老健とは明らかに異なる雰囲気が漂い、広いロビーにも緊張感を感じました。

2020年11月11日 (水)

「そうだね、あそこでね」

2年前の2018年11月11日は日曜日、午後3時過ぎに母の病室に行きました。

この日も左側を下にして寝ていましたが、トントンと叩くと起きていたようで、すぐに目を開けました。

ずっと寝ていたからか鼻が詰まったような声でしたが、話し声には元気がありました。

左側の顔と腕がまだ少しむくんでいましたが、だいぶ回復しているように見えました。

看護師さんには「もっと早く来ればよかったのに」と言われたことを教えてくれました。

私もずっと心配していましたが、施設に入っているとなかなか思うようには動けませんでした。

また、前日施設に行った時に、同室の方が心配して寂しがっていたことを伝えました。

すると母は「けんか相手がいなくなってね」と言いながら笑っていました。

この日は全部着替えてさっぱりしたと、気持ちの良さそうな表情をしていました。

最後に脚を見せてもらうと、すっかり細くなっていて「枯木のようだ」と言うと母はまた大笑いをしました。

「また鍛えないとね」と私が言うと「そうだね、あそこでね」と、リハビリに対する意欲を見せる母でした。

今から振り返ってみても、母はリハビリ、特に施設のリハビリルームがお気に入りだったなと思います。

2020年11月10日 (火)

枯木のようなお年寄りの脚

2年前の2018年11月10日、午前10時に母の入院先の病院から電話がありました。

母の容体は前日とあまり変わらないとのことでしたが、尿は出ていると言われ、一安心でした。

また、この日の午後1時から母が前回入院した時の主治医が面談をしてくれるということでした。

病院に着いて、まず母の病室に向かいました。

母は横向きに寝ていて、下になっている左側はまだ瞼などがむくんでいましたが、右側はかなり良化していました。

布団を捲って脚を見てみると、前日までパンパンだったのがウソのように細く、枯木のようにシワのあるお年寄りの脚になっていました。

本人の意識もはっきりしていて、話の内容も辻褄が合い、よく眠れたようだと話していました。

その後の主治医の話では、加齢により心臓の働きが落ちているということでした。

降圧剤の副作用に関しては何とも言えないとのことでしたが、心不全がむくみの主な原因であることは確かなようでした。

今後はスピードが勝負で、回復すれば施設に戻れるというようなことを話してくれました。

病院の後には母の荷物を回収するために施設に行きました。

心配していた同室の人に「だいぶ良くなりました」と伝えると、安心していましたが「寂しくなる」と言ってくれました。

2020年11月 9日 (月)

「戻って来るのが早すぎる」

2年前の2018年11月9日は金曜日、朝9時35分に施設から電話が来ました。

母が、むくみが悪化して体調不良を訴えて朝食も取れずに、今は隣の病院で検査をしていて、そのまま入院になりそうだとの連絡でした。

意識はあり話もできるがストレッチャーで病院に行ったとのことで、仕事が終わり次第病院に行くこととなりました。

『いよいよ循環器系の病気かな』、『昨日の医師との話はやはり遅すぎたな』などと考えながら病院に向かいました。

話はできると聞いていたので少しは安心しながら、病室でベッドに寝ている母と会いました。

前日までとは違って、母の顔は両瞼までプクリとふくれて、パンパンにむくんでいました。

ただ、痛々しい見た目ほど本人は苦しそうではなく、意識もはっきりしていて話し声も元気でした。

前回の入院と同じフロアなので、看護師さんからは「戻って来るのが早すぎる」と言われたと笑いながら話してくれました。

その後、診察をした医師から「心不全です」と言われたとき、私は少し驚きました。

元々母は糖尿病でこの病院に通っていたわけですが、時々心臓のエコーや心電図を取っていました。

その時には必ず「心臓は元気ですね」と太鼓判を押されていましたので意外な感じがしました。

この日は『心不全』と言われてもピンと来ませんでしたが、『突然死の可能性が増えたのかな』そんな不安が胸をよぎりました。

2020年11月 8日 (日)

医師との面談

2年前の2018年11月8日は施設の医師と面談の約束があり、午後3時に面会に行きました。

丁度おやつの時刻で、母はカーディガンを着ていつもの位置にいました。

この日は、おやつの時刻まで昼寝をしていたとのことで寝起きのような状態でした。

午前中に入浴をして、その際に体重を測り、爪を切ってもらったとのことでした。

また、お腹が膨れている感じがするので食事も全部食べると多いと感じると話しました。

そして、話をすると苦しい感じがするとも母の方から言い出しました。

そんな会話をしていると、医師が現れて話をすることになりました。

医師の話では、母の血圧が高いのでいろいろな薬を試しているとのことでした。

私が、母のむくみは降圧剤と関係があるのではないかと質問すると、現場の看護師が心配するので使わないわけにはいかない、との答えでした。

また、その後私は施設入所後使っていないインシュリンの話も出しました。

そのため医師は多少誤解したのか「明日血液検査をしてインシュリンを使うかどうかを決めたい」と言いました。

私としては、降圧剤やインシュリンのことはともかく、むくみの状態が最も心配な点でした。

「とりあえず、むくみの解消を最優先して欲しい」と伝えると、医師も利尿剤を増やして対応することを了承してくれました。

2020年11月 7日 (土)

4か月間通院なし

2年前の2018年11月7日の面会時、母は丁度トイレに入っていました。

珍しくフロアの廊下の一番奥のトイレを使っていました。

この日は朝も昼も便通があり良い感じだと話していて、むくみ以外の体調は良さそうでした。

私は、この日の午前中に施設の相談員に連絡をして、明日施設の医師と話をすることが決まりました。

この医師とは、母が入所した当日以来の面会ということになります。

10月から母のリハビリの回数が減り、歩行練習をフロアですることになってから、血圧が高いことが問題になりました。

そのため、さまざまな降圧剤を使っているということを聞いているので、その確認をしたいと考えていました。

もう一つ、血圧よりも目立っているむくみの解消を優先してほしい旨を伝えようと思っていました。

いずれにしても母は入所以来4か月間、全く通院をしていません。

私が知る限り、少なくとも20年以上、月に一回の通院を欠かしていなかったと思います。

このあたりで母の健康状態を知るためにも一度、通院が必要ではないかと感じていました。

2020年11月 6日 (金)

「明日から寂しいね」

2年前の2018年11月6日の面会時、母はいつもの場所にいました。

母の前のテーブルの上には紙のサンマが置いてありました。

母の隣の人はカニで、前に座っている人は鯛のようでした。

話を聞いてみると、実習に来ている看護学生の人たちと釣り大会をして、気に入った魚を各人がもらったということでした。

午前中のリハビリにも看護学生が一人、付き添って来てくれたそうでしたが母は「おかげで緊張した」と話していました。

リハビリは短めで時間が余ったので窓を開けてベランダに出てみると、涼しい風が吹いていたと教えてくれました。

リハビリの先生から「今日はかなり足がむくんでいる」と言われたそうで、母も「足が硬くて痛かった」と言っていました。

足を始めとしてむくみが目立ち、息苦しそうな話し方をすることは非常に心配でしたが、声自体には元気があり、その他の体調は良さそうでした。

前夜は看護学生の一人が担当になってベッドメイキングなど、お世話をしてくれたそうです。

その看護学生の人たちはこの日が最後だとのことでした。

「明日から寂しくなるね」私が言いますと、母は「うん、寂しいね」と、しんみりしていました。

2020年11月 5日 (木)

2年後も胸騒ぎ

2年前の2018年11月5日の面会時、母はいつもの位置にいて居眠りをしていました。

おやつを食べてトイレに行った後、少しゆっくりしていたようでした。

この日は午前中に入浴をして、午後は看護見習の学生たちと歌を唄ったり、工作をしたりしたとのことでした。

この日も室内は暑く、母はカーディガンを脱いでいて、冷水をいつも以上にたくさん飲んで「おいしい」と一言。

車椅子に座って話している時は、それほど息苦しさは感じませんでした。

それでも、着替えをするために車椅子からベッドに移動すると呼吸が苦しそうな感じになりました。

背筋が曲がったり前屈みになると呼吸をするごとに気道からか音がしていて、本人も少し苦しいと感じているようでした。

状況としては、前日までとあまり変わっていないようでした。

ここ数日は徐々に息苦しくなってくる母の様子を思い出しています。

2年も前のことですが、母の体調が少しずつ悪化していくことを考えていると、当時の心配がよみがえり、胸騒ぎがするような感覚があります。

2020年11月 4日 (水)

「それくらいできる」

2年前の2018年11月4日、いつもの時間に面会に行くと、母はいつもいる場所にはいませんでした。

少しの間探していると、自分で車椅子を動かしていました。

おやつの後にトイレに行って手を洗い、戻って来たところだとのことでした。

この日は日曜日で、午前中はタオル折りをして午後はおやつまでの時間、歌を唄っていたと教えてくれました。

母が話をするとやはり少し息苦しそうな声に聞こえました。

本人も前屈みの姿勢は苦しいと言い、車椅子を動かして息切れしたとも言っていました。

足のむくみも目立ってきて、寝る前には20回ずつ胡坐をかいて揉んでいるとのことでした。

私は、足の骨折以来の状態を良く知らないので「胡坐かけるの?」と聞いてみると「それくらいできる」と母は当然という調子で答えました。

部屋で着替えが終わると、この日も深呼吸の練習をしました。

母は苦手だと言いながら深呼吸をしてみると、少しは声が出やすくなったようにも感じました。

ただ、いかにも気道が狭くなっているように思われ、本人も自覚し始めたので体調がさらに悪化しているのは明らかでした。

2020年11月 3日 (火)

「月曜日だ」

2年前の2018年11月3日、祝日で特に行事もなく母はまったりと過ごしていました。

この日も室内は暑いのでカーディガンを脱いで、いつもの場所で腕を組んで居眠りをしていました。

話を聞くとこの日は便通がよく、まだ出たいくらいだと言っていました。

話し始めると、ここ数日と同じように息苦しそうな話し方に聞こえました。

そのため、母が苦手だという深呼吸を練習してみました。

深呼吸をした後は少し声の出方が良くなったように感じられました。

また、足のむくみは相変わらずある程度ありますが、眠る前によく揉んでいるとのことで「痛くはない」とのことでした。

室内が暑く乾燥していることもあって、持参した冷水を3口ほど美味しそうに飲みました。

久しぶりにカレンダーを見せると「月曜日だ」と、母は自分の誕生日の19日を見つけて叫びました。

この日も話し出すと元気なのですが、のど鳴りのような音が聞こえることと息苦しそうな発声が気になりました。

肺の問題とか、気道が狭くなっているのかなどと、当時は考えたものでした。

4時30分頃からは夕日が沈むところを窓辺で一緒に見て、母は「すごいね」「早いね」と感嘆の声を上げていました。

2018年11月

2020年11月 2日 (月)

母の第二の人生

このごろは毎日のように2年前のことを振り返りながらここに記しています。

2年前の今頃は、母のむくみが目立ってきた時期でした。

7月に施設に入所して4か月、インシュリンの注射を止めて通院もしないで過ごしてきました。

以前から足がむくむことはよく見ていましたが、この時は顎下にたるみができて段々と大きくなってきていました。

結局、11月9日に入院することになりますが、その前の1週間から10日くらいはとても心配でした。

施設の医師との面会をお願いしたりして、不安な気持ちを抱えながら日々を過ごしていたことを思い出します。

11月9日の入院後に心不全と診断されますが、見たことのない上半身のむくみはそのためだった可能性が高いようです。

加齢による心臓の衰えと説明されましたが、糖尿病の悪化もあったのかもしれません。

それでも母はそれまでの4か月、それ以前とは違い体調の不安や心配を感じさせずに施設の生活を楽しんでくれました。

それは文字通り母の第二の人生と言えるような日々でした。

この時期があったからこそ、私はこのブログを始めたといっても過言ではありません。

2020年11月 1日 (日)

顎下のたるみ

2年前の2018年11月1日は木曜日で、母は午前中にお風呂に入ったと言いました。

入浴の前には、看護師さんがお腹の写真を撮影していたと教えてくれました。

前日看護師さんが気になると話をしていた、母のお腹のふくらみを撮影したのだと思われます。

長年インシュリンの注射をしていたところなので、その影響ではないかと私はお答えしたのですが。

また、体調のことでは便通がまだないというので、持参したヤクルトを久しぶりに飲ませてあげました。

この日それ以上に気になったのが、顎下のたるみが大きくなってきたことです。

1週間ほど前からたるみが目立ってきて、カロリーオーバーで太ってきたのかと当初は思いました。

ただ、同じころから息苦しそうな話し方をするようになってきて、関係があるのかなと思い始めました。

この日は話をしていても、どこかゼイゼイするような感じがするので深呼吸をさせてみました。

せき込むことはありませんでしたが、のどの奥がヒューヒュー鳴る感じがしました。

結局、上半身にもむくみが出ていたのだろうということが後で判りました。

前夜はのどが渇いたので、職員さんを呼んで吸い飲みで水を飲ませてもらったと話していました。

今から思うと、これもむくみと関係していたのかもしれません。

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