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2020年6月

2020年6月30日 (火)

「寝起きにしてはよくできた」

2018年6月30日は晴れて33度の暑い日、午後3時30分に面会に行きました。

病室に入ると、リハビリの先生がいました。

ちょうどリハビリから帰って、ベッドに横になったところだということでした。

前夜、何日ぶりかでお風呂に入って、パジャマと下着を替えてもらって気持ちがよかったと。

そのため午前中はぐっすり寝てしまって、リハビリがこの時間になってしまったということでした。

リハビリに行く前にも寝ていたとのことで、「寝起きにしてはよくできた」と母は自讃していました。

持って行った水筒の水を飲ませると、「冷たい。おいしい」と本当に美味しそうに何口か飲んでいました。

前日のお風呂の時、フィラのTシャツを着ていて、「しゃれたシャツを買うね。いい趣味だね」と言われたとのことでした。

それに対して、「息子が選んだ」と答えたと報告をしてくれました。

カレンダーを見せながら、「今日は6月30日で今年も半分終わりだよ」と教えると、「早いねー」との声。

この日はリハビリで針の糸通しのようなことをやったことも話してくれました。

「パズルより全然いいわ。パズル分かんない」と、明るく笑っていました。

この日も良く寝て、運動して、冷たい水を飲んでご機嫌な母でした。

2020年6月29日 (月)

梅雨明け

2018年6月29日午後3時40分、病室に面会に行きました。

前日はリハビリを見学して、退院はいつでも大丈夫という状況であることはよく分かりました。

そこで、このころは次の施設探しを同時に進めていて、病院の隣に併設している施設(老健)を第一希望に考えていました。

その施設から7月4日に入所可能との連絡があり、病院ともそのように調整を始めていました。

そのことを母に初めて伝えると、さっそくやや緊張気味になり、いろいろと心配を始めました。

それでも、この日も元気にたくさんの話をしてくれました。

この日に梅雨が明けたこと、6月中に梅雨が明けるのは初めてだと伝えると「あらまぁ」と反応してくれました。

もう6月も29日だと言うと「ひと月あっという間だねぇ」「年取るねぇ」と大笑いしていました。

当時の母は、認知はほとんどしっかりしていましたが、場所の認識がいまいちのようでした。

特徴的なのが、病院のナースステーションのことを駅または事務所と思っているようなことでした。

他には病院の通路が駅のホームで、エレベーターが電車だと考えているように思えました。

そのためか、この日の会話にも「事務、販売、売り場、売り子」などという言葉も出てきました。

知らない人がこれを聞くと、母を認知症だと思うかもしれません。

私にも当時は分からない点もありましたが、母の中では辻褄があっていて、いつも元気で明るく楽しそうに話をしてくれました。

2020年6月28日 (日)

感動のリハビリ見学

2018年6月28日は母のリハビリを見学するために午前10時30分に病室に行きました。

病院としては、親族が次の行き先を考えるために、母がどの程度動けるかを見て欲しいということでした。

「誰が見に来るの?」母は外部から誰かが見に来て、テストのようなことをするものと思っていたようで、大変に緊張していました。

リハビリの先生が病室に現れ、一緒にリハビリルームに移動して、まず左右の手すりをつかんで立ち上がる運動から始めました。

緊張した面持ちの母が手すりを掴んでゆっくりと立ち上がり、背筋を伸ばしました。

私は母のその真剣な表情を見たとき、ほんのひと月前には意識不明で入院したことを思い出して、涙が出そうなくらい感激しました。

次には、立ち上がって手すりから手を離して10数える運動を5回、その次は手すりを掴みながら3メートル歩く運動を2往復しました。

その後には、この日が初めてという横歩きまで行い、母は「ハァハァ」と息が切れるほどの相当ハードなリハビリとなりました。

考えていた以上に厳しい運動を、考えていた以上の動きで一生懸命に行う90歳の母を見るのは感動的でした。

「6月に入ってから飛躍的に向上しました」とリハビリの先生が言いました。

先生の話では、骨折で入院した時とは母の気持ちが違うので、進み方も早いということでした。

「順調に進めば、歩行器で歩けるくらいまで回復しそうですね?」との私の言葉に先生も頷いてくれました。

リハビリルームを出て「あの部屋を出るとホッとしますか?」先生が母に質問しました。

「そうですね」母はその問いに同意しましたが、その表情は満面の笑顔でした。

2020年6月27日 (土)

大好きなリハビリ

2018年6月27日午後3時45分、病室に面会に行った時、母はリハビリ中で不在ということで、リハビリルームに行ってみました。

前日にリハビリの先生から「パズルや目の訓練などもしています」と聞いていたように、その時母はパズルをしていました。

パズルに描いてある絵が小さめなので良く見えていない感じでしたが、それなりに楽しそうにやっていました。

母はこの頃から亡くなるまでの約1年半、第二の人生という感じで、明るく元気に過ごしてくれました。

そして、その母の第二の人生はリハビリによって始まった、といっても過言ではないように思います。

昏睡状態で入院し、徐々に意識を回復しましたが、体力的にはほとんど動けなくなっていました。

その後、看護師さんたちとの交流やリハビリの先生の力もあって、少しづつ母は動けるようになっていきました。

入院後およそ一か月が過ぎ、ポータブルトイレを経て車椅子でトイレに行けるようになりました。

また、ベッドから車椅子への移動も、介助があればほとんど一人で出来るようになってきました。

普通は老化で徐々に動けなくなるものですが、母の場合は徐々に動けるようになることで、気持ちも前向きになったようでした。

身体が良く動くようになることで、何をするのも楽しそうで、母の周囲にはいつも笑顔が絶えなくなりました。

思いがけず母はリハビリを気に入り、その後もリハビリのない日は残念がっていました。

亡くなるまで体力的には問題なく、それはこの当時のリハビリによる効果も大きかったと思っています。

2020年6月26日 (金)

現状把握

2018年6月26日午後3時45分、面会に行きました。

看護師さんが話があるということで、この日はまずナースステーションへ。

話の内容は、問い合わせている介護施設ではインシュリン注射に対応するフロアの空きはなく、いつ空きが出るかも分からないとのこと。

現状の母は病状も回復し、リハビリも進んでいるので、在宅で世話をする介護人に今の状況を見て欲しいということでした。

そこで、翌々日の28日にリハビリを見学することになりました。

母に「あさってリハビリを見に来るよ」と伝えると、早くも緊張しているようでした。

その後、病室にリハビリの先生が来て、ベッドから起きて車椅子に乗るところまでをやって見せてくれました。

母はスムーズな動きで一通りできましたが、補助があるとは言いながら、立ち上がるのは少し怖いようでした。

先生の話では「リハビリではパズルや目の訓練などもやっています。明るく元気になってきたので、病院にいるのがもったいないです」

この日の母は声も元気で、会話も普通にできていました。

トイレはポータブルトイレではなく車椅子で行っていて、食事は食堂で完食したということでした。

確かに、身体的にも精神的にも、移動をするにはいい時期であることは間違いないようでした。

この日の時点では、施設が第一希望だとしても、本人の意見も聞きながら自宅に戻ることも考える必要があるかな、と思っていました。

2020年6月25日 (木)

夢のような時間

2018年6月25日はとても暑い日でした。この日も午後3時40分頃面会に行きました。

母はこれまでと変わらず元気で、30分ほどいろいろな話をしてくれました。

この日はリハビリに行ったけれど、とても暑かったこと。

リハビリではいろいろなことをやっていて、だいぶ慣れたが、まだ方向転換をするときにフラフラすると言っていました。

ラジオを良く聴いているが、どこでも歌謡曲をやっていないと不満のようでした。

食事については、お粥は元々好きではないが仕方がないので全部ペロッと食べているとのことでした。

その他には、缶詰のようだがミカンやパインが美味しいということでした。

この日の昼食時には、70歳くらいのおばあちゃんから「おばあちゃん、いくつですか?お若いですね」と言われたと話してくれました。

いつもは食堂でも皆静かに食べているようですが、珍しく話ができて嬉しかったようです。

ポータブルトイレが立派で大きいから楽だとか。「でも大きいからウチには置けないね」と独り言のように。

左足の脛に何か傷のようなものが出来て痛かったが、テープを貼って処置してもらったとのことでした。

その他に、看護師さんなどに「似合う」と褒められているちゃんちゃんこは、三越か高島屋で買ったことまで教えてくれました。

ずっと一緒にいれば、いつまでも話を続けてくれそうなほど元気で、精神的にも安定しているようでした。

一か月前の状況を考えると、まるで夢のような時間でした。

2020年6月24日 (水)

「シワだらけ。ヤダねぇ」

2018年6月24日は日曜日で、この日は午後3時30分に面会に行きました。

日曜日なのでリハビリもなく暇を持て余している風で、ベッドに寝ながらラジオを聴いていました。

「今日は人手が多いらしい」とニュースで聞いたのか、話してくれました。

「競馬ばっかりやっていて、ラジオが面白くない」と言っていましたが、意識も完全にはっきりして、内容をしっかり聞き取れているようでした。

この日は朝からポータブルトイレでウンチがたくさん出て、お腹がすいたので朝食をたくさん食べたことも報告してくれました。

朝は寒いといけないので食堂にカーディガンとちゃんちゃんこを両方着て行ったが、今日は暑くなったと、両方とも脱いでテーブルに置いて寝ていました。

持って行ったカレンダーを見せながら「今日は6月24日だよ」と教えると、「早いねぇ~」と一言。

前日に主治医と話した介護施設に空きが出れば、早いうちに行けるようになるかもしれないことを説明をしました。

母はハッキリとは言いませんが、内心では家に帰りたい様子でしたが、施設の話をしたことで少し緊張した感じでした。

私自身が施設を見学して気に入ったことと、前回の退院後帰宅して再び脱水で入院させてしまったことで、もう失敗できないという考えから、施設への入所が既定路線のように話してしまったのは悪かったかな、と今では反省しています。

この日も元気に30分ほど話をしましたが、一番印象に残ったのは、母が自分の腕を見ながら言った次の一言でした。

「シワだらけ。ヤダねぇ」

2020年6月23日 (火)

リハビリの効果

2018年6月23日も午後3時45分に面会に行きました。

母が元気を取り戻してから1週間ほど、この日もそれまで以上に元気でした。

リハビリをやり、シャワーで体を洗ってもらって、疲れて食欲がなくなったとのことでした。

内職をやるところ(ナースステーション?)でペットボトルのお茶を貰ったと言い、テーブルに置いてありました。

リハビリの内容のことなのか、洗濯ばさみを挟むところがあり、小さな女の子(?)と一緒にやったけど難しかったと言います。

でも、その子に負けちゃいけないと思い、つい一生懸命にやってしまったとのことでした。

さまざまなリハビリの効果で腕にも力が入るようになり、ベッドの柵を握って軽く上体を起こせるようになったと、実際にやって見せてくれました。

リハビリの効果を母も自覚したようで「休めなくなったね」と話し、このころから母のリハビリ好きが始まったようです。

その他にも食事のことなどを話してくれてました。

「お吸い物の具はあさりやハマグリが多い」「みかん(缶詰?)がおいしい」など、元気に30分ほど話しました。

ベッドサイドのポータブルトイレも慣れてきたようでしたが、「一人でできそうだけど、まだ怖いね」と言っていました。

元気な母の姿を見られるのは嬉しいことですが、無茶なことをしないかな、と心配になるほどの状態になってきました。

2020年6月22日 (月)

自然な笑顔

2018年6月22日も午後3時45分に面会に行きました。

病室に入ると、母はこちら側を向いていて、目が合い「今来たの?」との挨拶でした。

また、ベッド脇のポータブルトイレを今使ったところだと話しました。

採血をしたようで、左腕には絆創膏が貼ってありました。

リハビリもあったようで「手も足も前より出来るようになってきた」と、ご機嫌でした。

リハビリの先生には「以前と同じくらいまで出来るようになるかもしれません」と言われて、気を良くしたようです。

看護師の皆さんとも仲良くしていただいているようで「みんながちゃんちゃんこを褒めてくれる」と、喜んでいました。

また、新しい帽子を被った時には「いいのがあるじゃない」「似合う」などと、言ってくれたとのことでした。

脱水症状を起こして昏睡状態で入院してからほぼ1か月が経過して、かなり元気を取り戻してきました。

この日も15分ほどの面会中、ずっと元気で、何の問題もなく普通に話をしてくれました。

正直なところ、入院当初はここまで回復してくれるとは思いませんでした。

嬉しさのあまり、写真を撮りました。

 2018年6月22日撮影

2020年6月21日 (日)

3時に息子が来る

2018年6月21日は午後3時20分頃、面会に行きました。

母はべッドに仰向けで寝ながらラジオを聴いていました。

挨拶をすると、こちらを見て、すぐに話し始めました。

少し前までナースステーションで何か作業をしていて、「3時に息子が来るから戻る」と言って、戻って来たとのことでした。

そのようないつもの流れも理解できるようになり、意識はほとんど回復してきました。

その他にも、「足にできものができた」。

ポータブルトイレは「すごくいい」。

食事は「おかゆなのが今一つだけど、おいしかった」などと、いろいろ報告してくれました。

リハビリも「手を離して立っているのは怖いけど、段々出来るようになった」と、自信が出てきたようでした。

先生は「この前出来たから出来る」というけど、自分ではやった覚えがないとのこと。

「いつも一生懸命で必死だから、わからないうちにやっているらしいね」と、笑顔で楽しそうに話していました。

「だから、リハビリから帰って来ると、ぐっすり寝ちゃうんだね」とのことでした。

面会時に寝起きでボーッとしていることがあるのは、こういう理由のようです。

この日は30分ほど元気に話し続けてくれました。

そろそろ帰ろうとすると、家のことを話題に出し始めました。

元気になってきたこともあって、退屈で寂しく、家に帰りたいという気持ちが出てきたように感じました。

2020年6月20日 (土)

ポータブトイレ

2018年6月20日、そろそろ入院して1か月になり、かなり体調が回復してきていました。

この日は窓側のベッドサイドにポータブルトイレが置いてあるのが見えました。

面会時、母はベッドに仰向けに寝てラジオを聴いていました。

手に触れると「冷たいね、雨なんでしょう?」と、ラジオを聴いていたからか、ずっと雨降りだということを知っていました。

ポータブルトイレのことを尋ねてみると、直前に使ったようですが、おしっこは出たが、ウンチは難しいとか。

また、この日はリハビリはなかったけれど、昨日は棒から手を離して歩かされて、すごく怖かったと改めて強調していました。

ただ、リハビリが順調に進んでいるからか、笑いながら楽しそうに話していました。

ベッドから出かけるときに、オレンジ色の高橋由伸のタオルをひざ掛けに使ったら、看護師さんにこれは誰か聞かれたとのことでした。

母は高橋由伸が巨人の監督をしていることを忘れていたようでした。

「今、巨人で監督をしているよ」と教えると、「監督の素質があるの?」と母が尋ねました。

「ない」と即答すると大笑いしていました。

2020年6月19日 (金)

手を離して10

2018年6月19日15時45分、面会に行くと母のベッドの方から何か話し声が聞こえていました。

「寒いよう、寒いよう」母が窓の方を向きながら、寝言のように言っていました。

見ると窓が開けられていて、涼しい風が入ってきていましたが、母の体に触れてみると冷たいことはなく、むしろ熱いくらいでした。

手を握りながら「また来たよ」と言うと、目を開けました。

この日もリハビリをして、食堂でお昼を食べて、しばらくしてから戻り、そのまま寝ていたとのことでした。

昨日持ってきたカーディガンを早速着て寝ていて、寒いことはなかったはずですが……。

母によると、体は寒くはないが、風が冷たい感じがしていて、暑いのか寒いのか分からなかったとのことでした。

この日のリハビリでは、先生に体を支えてもらいながら棒から手を離して10数えたとのことで、本人も満足そうでした。

また、私が持参した新聞社の大きなカレンダーを見て、「これだけ大きいとよく見える」と喜んでいました。

「もう6月19日だよ」と教えると「早いなぁ、まだ6月の初めかと思っていた」などと言っていました。

ラジオも時々聴いているらしいので、電池を替えておきました。その他には、夜暗くなると怖いなどとも話していました。

面会時はベッドにいることがほとんどですが、前の日からカテーテルを外しているので、日中はトイレなどでも起きて行くのかもしれません。

そのためか、体力にも少しずつ自信が出てきたようで、話を続けるうちにどんどん元気になってきました。

2020年6月18日 (木)

おばあちゃんの誕生日

2018年6月18日、このころは雨降りで寒い日が多く、この日も肌寒い日でした。

面会時、母は布団をしっかりと掛けて、ちゃんちゃんこも着たままベッドに寝ていました。

手を握ると、目を開けて早速話を始めました。

この日はウンチが2回出たのでスッキリしたが、ちょうどそのタイミングでリハビリの先生が迎えに来たので、リハビリは中止になったと。

よく聞くと、掻き出したなどと言っているので、どうも摘便をしてもらったように思えました。

「6月18日はおばあちゃんの誕生日じゃない?」と尋ねると、「そのようだ」との返事。

「明治38年じゃないか」とか「おじいさんとは8歳違う」などと、自分の母親のことを懐かしそうに話していました。

「それじゃ今日はお赤飯だね」と言うと「いいなぁ、食べたいな」と元気に笑っていました。

食べることにも意欲が出てきたようで、笑顔や笑い声も自然に出てくるようになってきました。

冒頭に紹介したように、涼しい日が続いていたので、カーディガンを持って行き見せました。

「もし寒かったら着た方がいいよ」と言うと、とても喜んでくれました。

ここ数日と同様に、この日も大変元気でした。

2020年6月17日 (水)

「家の様子を見たいなぁ」

連日のように書いていますが、2年前の今頃、母は徐々に元気になりました。

2018年6月17日、この日もリハビリをやって、食事もよく食べたとのことでした。

少し前に孫が面会に来てくれて、バラの本を見せてくれたり、折り紙を一緒にやったと話していました。

折り紙で風船を作ってくれたけれど、その風船を上手に上げられなくて大笑いしたと喜んでいました。

リハビリでは先生に体を支えてもらいながら、立ったまま棒から手を離すところまでやっていると話していました。

「これが怖くてね」と言いながら笑っていました。

この日はこれまでで一番元気があったように感じられました。

「腕を動かすと胸が痛いので肺の病気じゃないかと思ったけど、リハビリで腕を使うので筋肉痛かもしれないね」と言いながら、また笑っていました。

最後に帰ろうとした時に、「家の様子を見たいなぁ」と控えめな声で言いました。

骨折から退院する時は、家に戻るのは自信がない感じでしたが、今回は自ら帰りたいと意思表示をしてくれました。

そこまで元気になってくれたのは嬉しかったですが、退院後の施設を探している身としては悩ましくなってきました。

2020年6月16日 (火)

切手貼り

ここのところよく書くことですが、2年前の母は当時私が感じていたよりも元気だったようです。

2018年6月16日も午後4時頃に10分ほど面会してきました。

この日はちゃんちゃんこを着たまま布団を掛けて寝ていました。

「今日も来ましたよ」と声をかけると起きていたようで、すぐに目を開けました。

そして、「2時半まで切手を貼っていたけど、まだやっているんじゃないの」と母は言いました。

おそらく、食堂で昼食を食べて、帰りにしばらくナースステーションで切手貼りをやったのだと思います。

今では私にもこのように想像できますが、その時は『切手貼り?夢の話でもしているのかな』と思っていました。

つまり、面会時にせいぜい10~数10分しか会わない私が感じている以上に、母はすでに元気になっていました。

それで主治医も次の行き先を早く決めるように言っていたのでしょう。

私にはまだ早いのではないかと見えていましたが。

この日も「今日は6月16日だよ」と教えると、「のぶさんの誕生日がそろそろじゃないかな?」と言いました。

のぶさんというのは母の母親です。確かに6月18日が誕生日です。

こういう記憶もしっかりしていました。

2020年6月15日 (月)

「老健」か「特養」か

2年前の今頃のことです。

昏睡状態で入院した母は3週間ほど経過して、意識も回復してきました。

また、食事の量も増えてきて、リハビリも順調に進みだしたようでした。

そうなってきますと、病院側から次の行き先を考えておくように言われます。

主治医と面談した時に「介護老人保健施設」を知り、そこを第一希望には考えていました。

ただ、介護施設は入所を待たされることが多く、他も当たってみた方が良いとのことでした。

そこで、いわゆる「特養」にも見学を兼ねて、申し込みをしておきました。

ただ、こちらの方が待たされそうでしたし、基本的に施設を選べないのは難点でした。

さらに「特養」で見かけた高齢者の方々は、母よりも若い人が多く、普通に歩いている人もかなりいて、ほとんど認知症の方のように見えました。

その点でも、母の体力が回復すれば「老健」が相応しく思いました。

普通であれば、家に帰ることが当然なのでしょうが、家では脱水症状を起こしてしまいました。

2週間足らずの家での介護でしたが、正直なところ私にとっても限界でした。

あのまま続けていたら、いわゆる介護地獄に嵌っていたかもしれません。

そんなこともあって、「老健」がベストかなと、勝手に決めていました。

2020年6月14日 (日)

「おいくつですか?」

記録によりますと、2年前の2018年6月13日、14日はどちらも面会時にベッド上で起きていて、元気に話をしてくれました。

両日ともにリハビリに行って、昼食も食堂で完食したようです。

リハビリも先生に押さえてもらいながら立ち上がったりして、段階があがってきたようでした。

また14日は、入院して3日後に意識を取り戻してハイテンションで話をしてくれた時のように、ひたすら喋っていました。

食堂で一緒に食べていた人から、「おいくつですか?」と聞かれたと笑いながら話してくれました。

また、母の方からラジオのことを尋ねてきて、元気になったことでさまざまな意欲が出てきたようでした。

昏睡状態で入院して3週間ほど経過して、意識が回復し食欲も出てきて元気になって来たようです。

後は体力が戻って来るのを待つばかり、という感じになってきていました。

2020年6月13日 (土)

記録の大切さ

ここのところ2年前の2018年の今頃のことを書いています。

それは、この時期の母の状況の変化が私にとっても驚きで、何か奇跡のように思えたからです。

当時のことを書くために、記録を読んだり母とのやり取りの音声を聞いたりしています。

2年前、母が昏睡状態で入院してから2018年6月13日で3週間が経ちました。

意識はかなり回復しましたが、体力が追い付いていないような状況でした。

私が面会に行っていた夕方には横になっていることが多く、毎日心配することが多かったと記憶しています。

ところが実際には、調子の良いときはリハビリやナースステーションで手仕事をすることもよくあったようです。

また、改めて音声を聞きますと発声も結構しっかりしていて、話の内容も今では理解できることが多いです。

つまり当時は心配するばかりでしたが、結構回復していて元気になっていたのだな、と今では思います。

母はこの後、順調に回復して無事に退院することになります。

母が骨折で入院してから、いつ最後を迎えるか分からないと思い、日記を書いたり話を録音することを始めました。

記憶は少し違っていたり、思い込みがあったりするので、記録によって振り返ってみることの大切さを感じる今日この頃です。

2020年6月12日 (金)

昼夜逆転

2018年6月12日、姉が面会に来てくれました。

姉が看護師さんと話したところによれば、母は話が面白くて、かわいい、と言われたとのことでした。

面会時は寝ていたり元気がないことも多いですが、時間によっては看護師さんたちと楽しく話をすることもあるようです。

この日もリハビリに行き、昼食は食堂まで行って食べたとのことでした。

そのために疲れたのか、夕方の面会時は寝ていました。

「また来たよ」と言いながら手を握ると「ありがとね」と答えてくれました。

「もう夕方だよ」というと「あら、また怒られちゃう」と言いました。

聞いてみると、昼夜逆転することがよくあって、夜寝ないので怒られるとか。それで面会時に寝ていることも多いようです。

この日も話をしているうちに段々と元気になってきました。

リハビリに行って竹を持ったとか、あまりできなかったとか、思い出しながらよく喋ってくれました。

この頃は意識はだいぶ回復してきましたが、体力がまだついてきていないような状況だったと思います。

食事も毎回完食とはいかないまでも、徐々に食べられるようになってきていたようです。

本人もリハビリや食事に意欲が出始めてきた頃でした。

2020年6月11日 (木)

お別れの挨拶?

2018年6月11日、午後4時に面会に行きました。

この日も母は赤いちゃんちゃんこを着たまま、左側を下にして入り口の方を向いて寝ていました。

眠っているものと思い、手に触れると「手が冷たいね」と、目を閉じたまま言いました。

この二日間冷たい雨が降っていました。

この日は声は大きくなかったですが、しっかりとした口調で話をしてくれました。

ただ、その内容には元気がなく、お別れの挨拶のようなものばかりでした。

「ありがとね。お世話になりました」から始まりました。

先日孫が来てくれたことも覚えていて「みんな長生きしてください」「皆さんによろしく」「もっと早く会えれば良かった」などと話していました。

最後には「春まで生きられればいいけど、難しい」とも言いましたので、「しっかり食べれば大丈夫だよ」と返しました。

すると「食べたいけど、なかなか食べられなくてね」会話は普通にできました。

元気は今一つでしたが、意識はしっかりしていましたので、一安心といったところでした。

振り返ってみますと、こういう日もあったのですね。すっかり忘れていた、というのが正直なところです。

2020年6月10日 (水)

徐々に安定

2018年6月10日の面会時、母はぐっすり眠っていました。

前日は孫が来て、長時間元気に話をしたので疲れもあったのでしょう。

いつものように右側を下にして、ちゃんちゃんこを着たまま布団を掛けていました。

顔色も悪くはないし、顔を触ってみても暖かかった。

そして穏やかな表情をしていました。

話はできませんでしたが、体調に問題はなさそうでしたので、この日は起こさずに帰ることにしました。

徐々に安定した感じになってきました。

ただ、体調が戻ってくると、退院後の話を進めなければならず、それはそれで難問でした。

2020年6月 9日 (火)

介護施設を見学

2018年6月9日、午前11時に介護老人保健施設を見学に行きました。

相談員の方の話では、習字や俳句、計算ドリルなどの行事もあるとか。

病院にいるよりは刺激もあり、もう少し元気になれば一刻も早く申し込みたいと思いました。

午後からは面会です。4時前に行きました。この日は姪が先週に続いて面会に来てくれていました。

私が着いたとき、すでに長いこと話をしていたようでした。

この日の母は、かなりしっかりしていました。

看護師さんの話によれば、精神安定剤を止めたので、気分がスッキリしているのかもしれないとのことでした。

姪が帰った後、部屋に戻って久しぶりにラジオを聴かせたところ、「中国語?」などと言って、よく聞き取れないようでした。

話のスピードにまだ頭がついていかないようでした。

それでも少しずつ意識も戻ってきて、元気になりつつあるのは良い傾向ではありました。

退院後の介護施設を真剣に考えなければならなくなってきました。

2020年6月 8日 (月)

二日で一日

この3日ほど、面会時に寝ていたため話ができませんでした。

また、食事もほとんど摂れていないようでした。

そこで、また点滴をお願いしようかと考えながら、2018年6月8日午後3時半に面会に行きました。

病室に入ると、車いすに乗った母が3人の看護師さんに囲まれていました。

看護師さんたちは皆笑顔でしたが、母は飲み物のコップを無表情に持っていました。

そのまま皆で部屋を出て、食堂の方へ行きました。

移動中に看護師さんに尋ねると、今日は朝はあまり食べませんでしたが、お昼は完食したとのことでした。

「昨日は一日臥せっていたので、二日で一日なんですかね?」と看護師さんが言いましたが、それは私にも全くわかりません。

さらに看護師さんによれば、昼夜が逆転することもあると言っていました。

つまり面会時に寝ていても、ずっと寝ているとは限らないようです。

いずれにしてもこの日の状況では、点滴の要望は場違いなものになりました。

食堂で母はコップのストローを口に持っていこうとしましたが、手が震えてなかなか口に入りませんでした。

久しぶりに起きて、筋力が落ちているのでしょうか?そして、食堂にいる間、母はほとんど無表情で無言でした。

それでもこの日は、お昼を食べて、車椅子に乗っている姿を見て一安心しました。

2020年6月 7日 (日)

再び点滴?

前2日、寝ているままで話もできず、ほとんど食事もとっていないようでした。

そんな心配をしながら、2018年6月7日の夕方、面会に行きました。

この日も病室の出入り口の方を向いて寝ていました。

手を握ると多少反応があったかな、と思いましたが、声をかけても動きはなく眠っているようでした。

脈も呼吸も普通のようでしたが、外に出ていた右腕を触ると、とても冷たくなっていました。

そこに看護師さんが何か書類を持って入ってきました。

やはり精神的に落ち着かないのか、ベッドの柵を掴むか何かするようで、柵をベッドに固定するようです。

今日の様子を尋ねてみると、昼食時には車いすで食堂に行ったが、食べなかったとのこと。

その後もベッドから出そうとしたところ「ごめんなさい」と言って断ったとのことでした。

ずっと眠っているわけではないようで、その点は安心できましたが、栄養面の不安は残りました。

何かに脅えているようで、家での不安定な状況に戻ってしまったような感じでした。

このままならば、また点滴をしてもらうようにお願いしてみようか、などと考えていました。

2020年6月 6日 (土)

無言で頷く

前日の精神状態が心配でしたので、不安を抱えながら面会に行きました。

2018年6月6日のことです。

この日は病室の入口の方を向いて横になっていました。

見えた表情は穏やかでしたが、タオルケットを掛けただけで眠っているのかなと思いました。

「寒くない?」と尋ねてみると、眠ってはいないようですが、目を瞑ったまま頷いてくれました。

それから手を握っても嫌がる感じもなく、声をかけるとやはり頷いてくれました。

体調はともかく、精神的には前日と違って落ち着いているようでした。

それでも目を開けたり話をする元気はなさそうなので、「また来るよ」と言うと、これも頷きました。

前日は体に力が入ったり、顔を隠して泣いているようで、家にいるときの精神状態に戻ったように感じられました。

とりあえずこの日は気持ちは穏やかそうでしたが、元気がなく、栄養状態には依然として不安が残りました。

2020年6月 5日 (金)

顔を隠す

前日はリハビリに行き、昼食は完食ということでしたが、夕方の面会時には少し疲れたのか元気がないように感じました。

2018年6月5日も夕方に面会に行きました。

仰向けで寝ていましたが、近づくと体に力が入っているようで、小刻みに震えていました。

手を握ると、何か夢でも見ているのでしょうか、大きく喘ぎ出しました。

手を離そうとすると力を込めて握ってきて、そのうちタオルケットを顔の上に引き上げて、顔を隠すようにしました。

意識があるのかどうか分からず、また、泣いているようにも見えました。

昨日からの変わりように、なすすべも無く立ち尽くすばかりでした。

いずれにしても、この状況では話もできそうにないので、この日は帰ることにしました。

帰り際に、頭を撫でながら「また来るよ」と言うと、タオルケットの中で頷いたように見えました。

ただ、もしかすると、また精神的に落ち込んでしまったのかな、と思いました。

2020年6月 4日 (木)

介護老人保健施設

2018年6月4日の面会時、母はベッドにあおむけで静かに寝ていました。

話しかけると、こちらを見て少し話をしましたが、眠っていたからかあまり元気がありませんでした。

ただ、心配していたウンチは出て、リハビリにも行ったことがわかりました。

看護師さんの話では、昼食も完食だったそうで、お昼までは元気だったことがわかって安心しました。

他の看護師さんによると、この日はリハビリに行くのも元気がありましたが、日によって差があり、全然ダメな時もあるとのことでした。

面会時の様子だけでは本当の体調もなかなか分からないということでしょう。

ところで、この日は主治医の先生と話をすることができました。

先生が仰るには、脱水症状はすでに心配なく、自分で食事が摂れるので点滴も必要なく、いつでも退院できるとのこと。

もちろん血液検査をすればキリがないが……のような話。

こちらとしては、自宅での介護は難しいので、施設を考えていると話しました。

その時先生から、「介護老人保健施設」という施設があることを初めて聞きました。

「特養」や「老人ホーム」は知っていましたが「老健」については知りませんでした。

その後、いわゆる「老健」を第一希望として調べることになりました。

2020年6月 3日 (水)

インシュリン注射

2018年6月3日には私の姪、母にとっては孫の一人がお見舞いに来てくれました。

このところ2日間は元気でしたが、残念ながら、この日は少し元気がないようでした。

それでも日中、孫娘と1時間ほど話ができたようです。

私は夕食時に面会に行きましたが、どうもお腹が張っていて食欲もあまりない感じでした。

このところよく食べていたので、そろそろ便意を催しているようでした。

そのため機嫌もあまり良くなく、話をしていてもかみ合わず、気もそぞろな感じです。

このころは体調が良ければご機嫌で、良くなければボーッとしているような日を繰り返していました。

この日で入院して10日ほどになりますが、初めて食事に付き合いましたが、食前にインシュリンの注射をしませんでした。

少し驚き、いいのかな?と思いました。

ただ、食べない時もありますし、食べる量もわからないので、インシュリン注射をすると、低血糖を心配しなければなりません。

そう考えると、当時の状況では血糖値よりも低血糖の方が心配なので、頭痛の種が一つ減り、その点では良かったかなとは思いました。

2020年6月 2日 (火)

レモン味ゼリー

前日は意識もはっきりしていて元気に話をしてくれましたが、調子の変動も大きいので心配しながら面会に行きました。

2018年6月2日のことです。

この日も起きていて、よくしゃべりました。

状況を看護師さんに尋ねると、朝食は8割ほど食べたが、昼は1~2割ほどとのこと。

おやつ代わりに持参したレモン味ゼリーを飲ませてみると「おいしい」と言って数回飲みました。

このころは、体調や意識が日によってまちまちで、一時よりは元気でしたが、まだ回復途中という感じでした。

この日も1時間ほど話をして、演歌や野球の話も出て、精神的にはかなり安定してきたようでした。

2020年6月 1日 (月)

お昼は完食

あまり食べない日が続いていたので、プリンやゼリーなどを食べさせることを提案しようか、などと考えながら面会に行きました。

2018年6月1日のことです。

この日は仰向けで寝て、タオルケットを掛けて布団のカバーをしきりに触っていました。

話しかけると、昨日よりも元気な声でしゃべり始めました。

内容もかなりしっかりしていて、午前中にリハビリに行って、桜並木を見たと言っていました。

また、お昼は完食で、ここのご飯は温かくておいしいとも言いました。

体調が良ければしっかり食べられることが分かって、ホッとしました。

そして、私が帽子を脱いで刈ったばかりの頭を見せると、ケラケラ大笑いをしていました。

結局、この日は30分以上しゃべり続けて、私が帰ろうとすると、「ウチが見たいな」と言いました。

意識がはっきりしていて、話す内容もしっかりしていたので一安心でした。

こういう日が続けば、プリンやゼリーの提案は必要なくなるかな、と思いました。

当時は毎日変わる状況に、心配や不安でいろいろと考えては止める、そんな日々でした。

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