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2020年4月

2020年4月30日 (木)

病院からの電話

母が入院していた病院から電話がかかってきたことが何回かありました。

もちろん亡くなった日の午後4時20分頃にも電話がきました。

この時は既に危ない状況でもありましたし、覚悟もしていましたので、それなりに落ち着いていたと思います。

とうとう来たか、という感じでした。

それ以外に2018年の5月8日には朝の7時に電話がありました。

この時は骨折で入院していたのですが、時間が時間なのでかなり驚いた記憶があります。

聞いたところでは、自分で靴を履こうとしてベッドから滑ったのか、体育座りのような姿勢で見つかったとのことでした。

大事には至りませんでしたが、病院からの電話は心臓によくありません。

特に早朝は。

2020年4月29日 (水)

カリフラワー

先日、テレビの料理番組について書きました。

今日は料理番組を見ていると、ブロッコリーとカリフラワーを茹でていました。

それを見て、カリフラワーは久しぶりに見たなと思うと同時に、母がよくカリフラワーの酢の物を作っていたのを思い出しました。

母はすし飯など酢の味付けが好きで、また、健康面も考えて塩味よりも酢で味付けをしていたこともあるのだと思います。

母は腎臓が悪く、塩分を控えめにするように気を使っていましたから。

ただ、今でこそ私も酢の物を普通に食べますが、子供のころはあまり好きではありませんでした。

カリフラワーの酢の物もほとんど食べなかったので、母としては残念だったかもしれないな、などと思いました。

2020年4月28日 (火)

笑顔の遺影

母の葬儀は、10年前に父の葬儀を行った同じ場所で行いました。

父の葬儀の際、写真をたくさん持ってくるように言われました。

それを覚えていましたので母が入院している間に、大きなA4サイズの母の写真をたくさん用意しておきました。

ところが、今回は写真の用意は特に言われませんでした。

それでも写真を集めているうちに、いい笑顔の写真が多数あることに気づきました。

遺影の話が出たときに、「笑顔で帽子を被っていてもいいですか?」と尋ねてみました。

昔の遺影は多くが証明写真のようなものでしたが、今は笑顔も帽子も構わないとのことでした。

それで母の遺影は、このブログの冒頭のページのものになりました。

いつでも笑顔の母に会える。笑顔の遺影もいいものです。

2020年4月27日 (月)

料理番組

外出自粛の雰囲気の中、家で過ごす時間が多いとテレビを見ることが増えてしまいます。

今日も午前中からテレビを見ていると、一つ思い出したことがあります。

それは母が若いころからよく料理番組を見ていたことです。

「きょうの料理」「キューピー3分クッキング」など本当によく見ていました。

私も母を介護するようになってから、料理をすることが必要になりました。

初心者にとって料理をすることそのものも確かに大変なことです。

ただ、それ以上に大変なことがありました。それはその日のメニューを決めることです。

そういえば母から「夕飯に何を食べたい?」と何度か聞かれたことがあります。

おそらく、母はメニューのヒントにするために料理番組を見ていたのかな、と今では確信しています。

2020年4月26日 (日)

ゴールデンウィーク

昨日からいわゆるゴールデンウィークが始まったとのことです。

今年は新型コロナの感染拡大防止のために、外出の自粛を呼びかけられているため、平日と休日の違いがあまりありません。

入院や施設での生活も入所者にとっては平日と休日の区別はないはずですが、様々なサービスが違います。

2年前に骨折で入院していた母は、順調にリハビリを続けていましたが、4連休後に少し元気がなくなってしまいました。

施設でもリハビリは休んでしまったので、連休明けの体力を心配したものです。意外にも母がリハビリを気に入っていただけに残念でした。

高齢者にとっては、認知や体力の衰えが生命にかかわってくるので、連休というのはどうにかならないものかと思ったものでした。

2020年4月25日 (土)

競馬場

もう30年以上前のことになりますが、母は競馬場に行ったことがあります。

私の愛馬がレースに出ることになり、一緒に見に行ったのです。愛馬といっても、いわゆる一口馬主ですが。

レースでは、愛馬はスタートからゴールまで終始後方のまま、ゴール近くで待つ私たちの前を駆け抜けていきました。

「なんだ、ビリじゃない。」母が言いました。「まだいるよ」はるか後方に本当に最下位の馬がいました。

いい姿を見せてあげることはできませんでしたが、当時60歳くらいの母は億劫がらずによく外出していました。

確か、競馬場にももう一回一緒に行ったような気がします。残念ながら、よく覚えていないのですが。

2020年4月24日 (金)

抑肝散

昨日に続いて薬の話です。

母は、骨折で入院した後、家で二週間ほど過ごしましたが、脱水症状を起こして再び入院しました。

その家で過ごした二週間は、体調も良くなさそうでしたが、それ以上に気になったのが精神的な不安定さでした。

そのため、脱水症状で入院した際に主治医の先生に、できれば抑うつ剤も考えてほしい旨を伝えました。

その時に使った薬が「抑肝散」です。調べてみると効能は、夜泣き、疳の虫、更年期障害などでした。

この薬が母には合っていたようで、退院するころには、すっかりハイテンションになっていました。今までの母の人生で最も陽気で楽しそうな状態でした。

そのおかげで、施設にも入所後すぐに馴染んでくれました。

施設の職員さんによりますと、介護状態の高齢者にはうつ病も多く現れるそうですが、「抑肝散」が効かない人もいるようです。

もし母がもっと早く「抑肝散」を服用していたならば、より楽しく人生を送れたのかな、などと考えてしまいます。

2020年4月23日 (木)

モニラック

先日、家の整理をしていたところ、モニラックという薬がたくさん見つかりました。何の薬だったかな、と思いネットで調べたところ、便秘の薬でした。

それで、いろいろと思い出しました。母は若いころは毎日出さないと気持ちが悪いと言っていましたが、さすがに年を取ると便秘気味になりました。

下剤は気持ち悪くなるとのことで、優しい効き目のものを希望して、通院時に主治医から出してもらっていました。施設でも時々便秘気味になると、座薬なども使っていたようです。

体調も良く、気分の良い日には「今日はウンチ出たよ」と笑顔で教えてくれたものでした。

2020年4月22日 (水)

誕生会

母が入所していた施設では、毎月後半に誕生会を催していました。

もちろん、その月に誕生日がある人をお祝いする行事ですが、その日はおやつの時間にケーキやコーヒーをいただけるので、母はいつも喜んでいました。

昨年の今日、2019年4月22日に4月の誕生会が行われました。母は昼寝から目覚めると、みんなのにぎやかな声が聞こえたと話していました。

母の誕生月は11月で入所中2回ありましたが、どちらも入院中で、自分の誕生会には参加できず残念でした。

2020年4月21日 (火)

のり巻き

昨年の今日4月21日は日曜日で、母が施設に入ってから初めて一緒にお昼を食べた日です。

あらかじめ食べたいものを尋ねたところ、「のり巻きが食べたい」とのことでした。

さらに尋ねると、「穴子寿司」も食べたいというので、当日はどちらも買っていきました。

その他に、ほうれん草のおひたしと、トマト、キューイフルーツを家から持っていきました。

その日は、久しぶりに母が食事をするところを見たのですが、箸も普通に使っていましたし、目もよく見えているようで、家にいたころよりも元気な感じもしました。

家では、のり巻きのかんぴょうを噛めなかったのですが、この日はかんぴょう巻きも丸ごと口に入れ、全部食べられました。

さすがに食事の量は少し減ったかもしれませんが、食べるもの食べるものすべて「おいしい」と言いながら、満足そうでした。

食欲も旺盛で安心したことを覚えています。

2020年4月20日 (月)

徒歩で行けるお墓

今日二十日は母の命日です。早いものでもう四回目になります。

寒い雨が降る中、お墓に花を供えに行ってきました。歩いて行ける距離にお墓があるのはいいことだ、と改めて思います。

また、施設や病院に会いに行っていたころは、毎日毎日、それなりに必死で一生懸命に歩き続けました。

少し時間が経過して振り返ると、いろいろと見えてきたものや、新たに考えたことなどがいくつかあります。

そういったものを今後も書き続けたいと思います。

2020年4月19日 (日)

尊厳を保つ

今日の朝刊に介護に関する本の書評が載っていて、その中に「父からもらったもののうち命に次いで大切なプレゼントは、父が見せてくれた老いと、その最期の日々だった。」という言葉がありました。

この書評を書いた詩人の北原千代さんのお父様は、二か月の絶食でやせ細って全くの寝たきりになり、それでも尊厳を保ち、自ら望み病床洗礼を受けて、十日後に召されたとのことです。素晴らしい最期です。

介護される状況になったり、寝たきりになっていよいよ最期かという時にも尊厳を保つというのは、なかなか難しいと思います。

また、「自立とは社会に迷惑をかけない状態ではなく、ありのままの状態の存在自体で自立しているのだ」との言葉もありました。

自立し、最期まで尊厳を保つ。難しいけれども大事なことだと思います。

2020年4月18日 (土)

運動不足

母が施設に入所中はほぼ毎日会いに行きましたが、仕事を含めて一日に17,000~18,000歩ほど歩いていました。

それくらい歩くと結構食事を摂っても、太るどころか体重が徐々に減っていきました。

現在は、新型コロナの対策で外出の自粛が呼び掛けられていますので、一日の歩数が半分に満たないほどに減っています。

それだけでなく、母に会いに行く必要が無くなったことも大きいわけですが。そのため2キロほど太ってしまいました。

以前と同じくらい歩けば健康のためにも良いのですが、なかなか気力が湧いてきません。

今にして思えば、母に会いに行くことは当時の自分にとっては生きがいだったのだな、と実感している今日この頃です。

2020年4月17日 (金)

温泉

父が亡くなり三か月ほど後に、母と二人で温泉に行きました。

父は車の運転が好きで、私が子供のころから家族で温泉などへ旅行に行ったものでした。

父の運転でなくても母は温泉に行くかなと、恐る恐る尋ねたところ、意外にあっさりと行きたいとの返事でした。

当時母はすでに82歳で、外を歩くときに杖を使うという状態だったと思います。足も浮腫みがちでしたので、温泉に連れて行ってあげたいと思っていました。

当時母は家では入浴せず、浴槽に入るのは温泉に行った時だけだったと記憶しています。

そういうこともあって、その後ほぼ毎月のように温泉に一緒に行きました。

三年ほど続きましたが、母も楽しんでくれたと思っています。

2020年4月16日 (木)

母とラジオ

母はよくラジオを聴いていました。

台所仕事をしていたころは、耳にイヤホンを入れて野球の中継を聴きながら、夕食の支度をしていました。

テレビでの野球の中継はナイターの場合、午後7時から始まることが多かったので、試合開始からそれまではラジオでした。

入院したり施設に入った後も、ポータブルラジオをいつもポシェットに入れていました。ほとんどは眠るときに聴いていたようですが。

入院はいつも同じフロアでしたから、馴染みの看護師さんたちに母は「帽子とラジオ」で覚えてもらっていました。

晩年は自分で電池が替えられなくなったので、二日に一度は交換してあげていました。

そんなに替える必要はないのですが、夜中の電池切れが不安そうでしたので「電池、替えたよ」と伝えると、安心していました。

2020年4月15日 (水)

一抹の寂しさ

新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、外出の自粛が叫ばれていますが、今日は爽やかな良い天気なので、近所を散歩してきました。

今年は桜が咲くのも早く、すでにほとんど散っていますが、つつじがそろそろ見ごろを迎えています。

近くの団地の庭には藤棚があるのですが、藤の花も半分咲いていました。今年は暖かいので、どの花も見ごろが早いようです。

昨年の春は桜やつつじなどの写真を撮って、スマホで母に見せたものでした。花が好きな母はいつも喜んでくれました。

今年は同じ場所の同じ花が見ごろになっても、一抹の寂しさを感じます。

2020年4月14日 (火)

腎臓と心臓

以前も書いたことですが、母はもともと腎臓が悪かったのですが、心臓は検査をしても「元気ですね」と言われていました。

ところが母の死因は心不全でした。亡くなる一年ほど前に心不全と診断されました。

私は医学については素人ですので詳しいことはわかりませんが、腎臓と心臓が密接に関係していることは理解しているつもりでした。

理解はしているつもりでしたが、実際に心不全と聞いた時は実感がなく、キツネにつままれたような気がしました。

それでも、今までよりも突然死の可能性が増えたかな、とその時は思いました。

その後の一年も、心臓が悪いということはあまり感じさせずに生活していましたが、自覚症状が出てからは一か月ほどで亡くなりました。

腎臓の悪化には長い間注意していましたが、心不全で亡くなるとは本当に意外でした。

2020年4月13日 (月)

「じゅん散歩」

新型コロナ対策での緊急事態宣言以来、外出を自粛していて午前中に時間ができたので、今日は朝からテレビを見ていました。

「じゅん散歩」という番組があります。母は生前、この番組をよく見ていました。

芸能人が町中を練り歩く散歩の番組や、電車やバスで旅をする番組は、少し前から増えてきたように思いますが、そういう番組は母も好きでした。

今の「じゅん散歩」は高田純次が出演していますが、その前に同じ時間帯で地井武男がやっていた「ちい散歩」の頃から見ていました。

番組の初めに高田純次が挨拶をしながら手を上げると、母もテレビに向かって「よっ、純ちゃん」と言いながら手を上げて挨拶を返していたこともよくありました。

そんな姿を久しぶりに思い出しました。

2020年4月12日 (日)

手術の日

今日4月12日は2年前に母が手術をした日です。90歳にして初めての手術とのことでした。

手術前に少し話をする時間があり、不安を和らげようと思い「長く生きているといろいろあるね。一度くらい手術をしてもいいんじゃないの?」と言うと笑っていました。

先生の話では、高齢者の大腿骨の骨折はよくあることで、手術も頻繁に行っているということで、それほど難しいものではなさそうでした。

実際に一時間ほどで終わり、病室に戻って来ました。

2020年4月11日 (土)

久しぶりの入浴

2年前の今頃、母は足を骨折して入院中でした。

2年前の今日、4月11日は手術の前日で、母は入浴をしたと話していました。さっぱりして気持ちがよかったと言っていました。

実は母は腰を痛めていた時期があり、それ以来、足が滑ると危ないからと湯船に入らず、濡れタオルで体を拭くことで我慢していました。

いつから始めたか覚えていませんが、少なくとも4~5年ぶりの入浴になったと思います。

その後は施設でも週に2回入浴がありましたが、いつも入浴後は「気持ちよかった」とご機嫌でした。

2020年4月10日 (金)

甘酒

母は糖尿病を患っていました。毎食前にインシュリンの注射を打っていました。そして、血糖値を朝と夜に測定していました。

夜は寝る前に測っていました。睡眠中の低血糖を一番心配していました。

一般的には70以下が低血糖とされていますが、母は夜の数値が100をわずかに超えるくらいですと心配だったようです。

そういう場合には糖分を補給するわけですが、母がよく飲んだのは甘酒でした。普段はめったに飲みませんでしたが、甘酒はもともと好きだったようです。

糖分補給が必要なことが時々あるので、買い置きは欠かせませんでした。

2020年4月 9日 (木)

面会禁止の悲劇

今日は床屋に行ってきました。新型コロナウイルスで緊急事態が宣言され、明日から自粛要請が出され、その中に理容業が入るかもしれないということで今日行くことにしました。

床屋さんも昨年末に母が亡くなったことを知っています。そして、妹さんが特別養護老人ホームに入所中です。その施設が現在は面会禁止だそうです。

毎日その施設に面会に行っていた親族の方がいるそうですが、面会が禁止になって、その方は泣いていたということでした。

今の面会禁止はいつ解除できるか全くわかりませんので、これからも辛い思いが続くことになりそうです。

それを思うと、母はいい時期に亡くなったのかもしれないですね、という話で一致しました。

もちろん、亡くなっていいということはありませんが、現在の状況は医療や介護の関係者や利用者にとって、とても厳しく悲劇的なものになりつつあるということだと思います。

2020年4月 8日 (水)

自宅での介護

施設に入る前の母は、2年半ほど私が自宅で介護をしていました。介護といっても家の中では、食事の世話と薬の管理くらいでしたが。

その後、車椅子生活になってからは施設へ入所しましたから、私たちは運がよかったのかもしれません。

世の中には介護疲れでの自殺や殺人、心中のニュースが時々流れます。理解できるとまでは言いませんが、そういうこともあるだろう、とは思います。

自宅での介護は気分的にも落ち込みやすく、引きこもりになりがちだからです。そして情報不足もあって、絶望してしまう。

自分の経験で言っても、使える施設やサービスなどの情報がもっとあれば、介護生活をより楽しく送ることができたのではないかと思います。

2020年4月 7日 (火)

最後の桜

昨年の4月5日に母は退院をして施設に戻りました。病院にいる間には桜を見る機会はありませんでした。

翌日の4月6日にリハビリに呼ばれ、リハビリ室のベランダに出て外の桜を見たそうです。

その時の桜は今年の今頃と同じように既に半分葉桜でしたが、「きれいだった」と母は喜んでいました。

「まさか、今年の桜を見ることができるとは思わなかった」とも言っていました。前年の2018年は心身ともに不調な時期があり、本人も弱気になっていたのでしょう。

私もその時期には、もうダメなのかなと考えたこともありましたが、桜を見てうれしそうな母を見ることができて、本当に良かったと思いました。

2020年4月 6日 (月)

病院からの電話

今日は母が入院していた病院に行ってきました。お願いしていた診断書が出来上がったと連絡があったからです。

電話が鳴り、病院の名前を見ると、今日も一瞬ドキッとしてしまいました。今でも心臓に良くないですね。

考えてみると、病院からの電話は母が亡くなった日以来でした。病院に着くと、入り口で体温を測られました。新型コロナ対策です。

当分の間の面会禁止も続いているようですから、母が今も入院していたら大変だったと思います。

自由が制限され、院内感染の怖れもあります。また、今回の面会禁止はいつまで続くのかわかりませんから、この時期の入院は高齢者だけでなく誰もが大変なことになりそうです。

2020年4月 5日 (日)

食事制限

昨年の今日、2019年4月5日に母は一か月ぶりに退院して施設に戻りました。それまでも少し食事制限があったのですが、退院後はさらに厳しくなったようです。

そのためか、5月の後半くらいから食事に不満を言い出したり、気分的にいらいらした感じになり、それまでの陽気さとは少し変わってきたように思いました。

心不全ですから、水分や食事が制限されるのも仕方のないことではあるでしょう。ただ、食べることは楽しみでもあります。

特に母は食べることに問題はなく、量的にも年齢の割にはよく食べていましたので、不満だったと思います。

家で面倒を見ていれば、好きなものをある程度食べさせてしまいますが、施設では融通は利きません。

91歳で心不全。体調にために厳しく食事制限をするのか、好きな食事をして楽しく過ごすのか、難しい選択ですが、施設の中では選択の余地はありませんでした。

2020年4月 4日 (土)

叔母の電話

2年前の4月2日に母は足の骨折で入院しました。それは二日前の記事に書きましたが、その日は病院の待合室でかなりの時間待たされることになりました。

その待ち時間に叔母さんから電話がありました。叔母というのは母と9歳離れた妹で、かつては一緒に温泉に行ったりしていました。

私が仕事をしていた頃には、母を病院に連れて行っていただいたこともありましたが、私が家で母の面倒を見るようになってからは、連絡することもあまりなくなっていました。

そんな叔母から久しぶりに電話が来たのが緊急事態の最中だったので、少し驚きました。4月2日午後2時半ころでした。

「お宅のユウタ君アメリカに行くんだって?」そんな内容の電話でした。内容はともかく、そのような状況の時に母の妹から、珍しく電話が来るとは不思議なものだと思いました。

母の介護中にはいろいろと不思議なことがありました。それがこのブログを始めた理由の一つです。そして、この叔母の電話のタイミングも忘れることのできない出来事です。

2020年4月 3日 (金)

低血糖

昨日書いたように2年前の4月2日に母は骨折で入院しました。

翌3日の午後3時頃に面会に行った時、母はベッドで意識がない状態でぐったりしていましたので、すぐに看護師さんを呼びました。

看護師さんが来て血糖値を測ったところ、なんと30台で低血糖を起こしていました。当時の母は毎食前にインシュリンの注射を打っていたのです。

睡眠時に低血糖が起きるのが不安だということもあって、夜はインシュリンの量を少なめにしていましたが、昼は3時におやつを食べることを前提に、逆に多めの量を打っていました。

入院して間もないために、それが伝わっておらず、また病院ではおやつもないので、昼食をしっかり食べないと低血糖を起こしやすい状況だったわけです。

インシュリン注射はおそらく20年近く打っていたと思います。その間に何度か低血糖を経験したようです。

そのためか、低血糖に対する不安をいつもどこかに抱いているような感じで、出かけるときは必ず飴やブドウ糖を持っていました。

2020年4月 2日 (木)

骨折で入院(2年前の今日)

2年前のことです。3月23日に椅子から落ちた母の左足が動かなくなったのは4月1日のことでした。

椅子から落ちた当日はかなり痛そうにしていましたが、その後徐々に動けるようになっていましたし、母も痛そうな表情もしないので打撲だったのかと思っていました。

正直なところ、希望も込めてですが。その希望が打ち砕かれたような気がしました。

2018年4月1日は日曜日でしたので、翌日の2日にケアマネージャーに連絡して介護タクシーを呼んでいただき、通院している病院に行きました。

もう記憶はあいまいですが、介助して椅子から立たせて車椅子に乗せることは、介護タクシーの運転手さんの手を借りてできたと思います。

病院には予約をしていないので、結構な時間待たされました。問診の後レントゲンを撮り、その後の診察で骨折していることがわかりました。

最初は、一旦帰宅して痛み止めを服用し、後日入院と言われました。しかし、足が動かないのでトイレを使うのも難しいなどと、こちらからお願いして、結局そのまま入院することになりました。

午後から出かけて、病院の外に出たのは6時半頃だったと思います。すでに暗くなっていたように記憶していますが、病院を出るところで介護タクシーの運転手さんに会いました。心配で見に来てくれたとのことでした。

彼に入院したことを伝え、一人で徒歩で帰りましたが、どんな気持ちで帰宅したのかということまでは覚えていません。

2020年4月 1日 (水)

心不全

母の死因は心不全ということです。最後の入院の一年ほど前に心不全と診断されました。

以前から書いているように、母は若いころから腎臓が悪く糖尿病もあり、月に一度の検尿と血液検査を受けていました。

また、心臓のエコーと心電図を一年に一度くらい受けていました。心臓に関しては「心臓は元気だね」といつも太鼓判を押されていました。

心不全の診断とともに私が聞いた説明では、弁膜の動きが悪くなっているとのことでした。「おそらく老化によるもので、若ければ手術するところですが……」

90歳を超えてからの心臓の手術は母も断るでしょうし、私の頭の中にも手術の選択肢はありませんでした。

結局、その後の猶予は一年しかなかったということでした。

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