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2020年3月

2020年3月31日 (火)

天寿を全うする

母は若いころから腎臓が悪く、また、血圧を下げるものなど多くの薬を服用していて、本人はあまり長く生きることはできないと思っていたようです。

それでも最後の入院中に92歳の誕生日を迎え、その後一か月生きました。

92歳はほとんど意識もなかったですが、長くなった日本の平均寿命も超えて、長生きしてくれました。

「まさか、ひ孫の顔を見られるとは思わなかった。」とも話していました。

若いころには戦争も体験して、大変なことも多かっただろうと思います。ですから、本人が自分の人生をどのように評価するかはわかりません。

それでも、それなりに楽しんでくれたと思いますし、天寿を全うしたという言葉がぴったりだ、とも思います。

2020年3月30日 (月)

もう一度

昨日書きました「帰って来たよ!」という言葉ですが、今となってはその意味を特定はできません。

家で待っている人はいないので、単なる「ただいま」のつもりなのか、それとも亡夫の遺影に言っていたのか、もしくは他に意味があったのかはわかりません。

母は糖尿病で月に一度、検尿と血液検査をしてから診察を受けていました。ですから、ほとんど悪化も見られずに無事に帰宅することができて、うれしかったのかもしれません。

最後の入院の前は帰宅に前向きになっていましたから、実現すれば、玄関で元気に「帰って来たよ!」と言うのが自然な流れ。

それまでの経験から、私は無意識にそう思い込んでいたようです。

本当に、もう一度だけでも聞きたかったですね。

2020年3月29日 (日)

「帰って来たよ!」

母は施設に入所した後は、家には帰ってきませんでした。

昨年11月の最後の入院前には体調も良さそうで、家の様子を見に来ることにも前向きになっていましたが、残念ながらそれは叶いませんでした。

もし、母が家に帰ることができたら、母は玄関で「帰って来たよ!」と元気な声で言うだろうと、なぜか私には確信めいたものがありました。

自分ながら、どうしてそう思っていたのだろうと不思議でしたが、だんだん思い出してきました。

母が家にいたときは、ほとんど外出しなかったのですが、月に一度は受診のために一緒に出掛けました。

その頃のことを思い出すと、母は外では車椅子に乗って移動していましたが、家では一人で伝い歩きをしていました。

病院から帰って玄関前まで来ると、車椅子から立ち上がらせて、手を引いて玄関に入り、靴を脱がせてあげていました。

玄関から上がると、母は大きな声で言いました「帰って来たよ!」。そして母は伝い歩きで室内に入って行きました。

すっかり忘れていましたが、毎月のように聞いていたので確信していたのでした。

2020年3月28日 (土)

シクラメン

昨日は母と花見のドライブをしたことを書きましたが、家のベランダにも鉢植えの花を欠かさないようにしていました。

ゼラニウム、オリズルラン、フリージア、桜草、桔梗、クレマチスなどいろいろありました。

ただ、ちょうど母が骨折で入院したころにマンションのリフォームが行われていて、しばらく花の鉢を室内に置かざるを得なくなり、ダメになってしまったものもたくさんありました。

その一つにシクラメンの鉢植えもありました。これも一時、根腐れしたのか元気がなくなり、もう咲かないのかと思っていました。

ところが、花屋の店先にシクラメンが並び始めたころに、このシクラメンも葉が生えそろい始め、元気が出てきました。

母が亡くなる前に咲くことはありませんでしたが、少し遅れて春になりきれいにピンクの花が開きました。

うれしかったので母にも見せてあげようと思い、並べて写真を撮りました。

2020年3月27日 (金)

花見ドライブ

2年まえの今日、2018年3月27日に母とお花見のドライブに行きました。母は4日前の23日に椅子から落ちて、まだ足が痛そうでしたが私の提案に「行く」と答えました。

駐車場への移動は車椅子ですが、駐車場の階段を降りる必要があり、そこだけは私につかまりながらも、なんとか4段歩いて車に乗ることができました。

足はかなり痛かったと思いますが、自動車で20分ほどでしょうか、近所の桜並木などを回りました。

桜は見ごろで、母も元気ならば楽しめたのでしょうが、やはりどこか気もそぞろな感じでした。

振り返ってみると、ウチの自動車に乗ったのも、外を歩いたのもこの日が最後になりました。

2020年3月26日 (木)

面会禁止

先日、母が入院していた病院に用事があり久しぶりに行ってきました。受付には、当分の間面会禁止との表示がありました。

もちろん、新型コロナウイルスの感染防止のための措置です。確かに新型コロナは怖ろしいですね。

ただ入院患者、特に高齢者にとっては刺激もなく一日中ベッドで寝ていることも同じように心配です。

持病の悪化、認知の悪化、体力の低下、ストレスなど不安な点はいろいろあります。

母がいた施設でも、入所者が感染症に罹患した場合は面会禁止になる場合がありました。それはフロアごとでしたので、運よく母のいるフロアはそういうことにはなりませんでしたが。

今の状況は、母が存命であれば心配が絶えないところですが、その上に面会禁止となると家族にとっては心配する以外は、なすすべもなく辛いだろうと思います。

2020年3月25日 (水)

ガーリックトーストスプレッド

以前も書いたように母が家にいたころの朝食は、ほとんど毎日のようにパンを食べていました。

ホームベーカリーで作った食パンに「何をつけて食べますか?」と尋ねると母の答えは決まっていました。「ガーリック」

どのくらいの期間続けていたのか思い出せないくらい、飽きずにこれを塗ったトーストを食べていました。

今日スーパーで買い物をしていると思い出したので、久しぶりに買ってきました。本当にお気に入りでした。

塗って焼くだけ

2020年3月24日 (火)

足の骨折

高齢者が足を骨折することはよくあることだ、とは知っていました。それでも母が椅子から落ちた時、打撲だったらいいな、と思っていました。

母も同じ考えだったでしょう。ただやはり骨折していました。その時、母は90歳でした。

母は年齢の割には元気ではありましたが、90歳でも手術できるのかなと疑問でした。実際、手術するしかないわけですが。

先生の話によると、高齢者の大腿骨骨折はよくあるとのことで、手術も1時間ほどで終わりました。

母にとっては人生で最初で最後の手術でしたが、心配するほどのことではありませんでした。

これなら椅子から落ちた時にすぐ検査すればよかったかな、と思ったものでした。

2020年3月23日 (月)

2018年3月23日のこと

  二年前の今日、3月23日(金)の午後3時頃、母が椅子から落ちました。ドスンという大きな音がしました。隣の部屋にいた私は母を抱き起し、椅子に座らせました。母は足の爪を切ろうとして落ちたと言っていました。

左足を下にして落ちたようで、左足を非常に痛がっていました。私は骨折しているのではないかと思いましたが、本人が納得しなければ病院に行くことはないので、とりあえず経過を見ることにしました。

翌日からは少しづつ痛みも和らいだようでしたので、打撲だったのかなとは思いました。

4日後の27日には少し歩いて自動車に乗ることもできて、満開の桜を見ながらドライブに行ったりしました。

ところが、実際は骨折をしていました。後から思えば、この日をきっかけに生活が変わることになるわけです。

 この日から日誌を書き始めました。

2020年3月22日 (日)

「初めて食べた」

家で母を介護している時期、母は毎食前にインシュリンの注射をしていました。インシュリンを打っていると怖いのが低血糖です。

寝ている間に低血糖を起こさないように夕食前は少なめに打ち、昼食前はおやつを食べることを前提にやや多めに打っていました。

大体時間を決めて、3時頃におやつを食べていたわけです。和菓子、洋菓子、果物などいろいろと食べました。

糖尿病なので控えていましたが、母はもともと甘いものが好きだったようです。なんでもおいしそうに食べてくれました。

ある時、コンビニで買ってきたティラミスを出しました。それを食べた母は「おいしい。こんなの初めて食べた」と言いました。

実際は3日前にも食べているのですが、母は時々この「初めて食べた」という言葉を使いました。

あまり大げさなことを言わない母にとって、この言葉は最大級の賛辞だったのだと思います。

今風に言えば「めっちゃおいしい」ということでしょうか。

2020年3月21日 (土)

折り鶴

2017年6月、私の弟が亡くなりました。その際、母と相談して弟のために鶴を折ることにしました。

母は一日に五羽折ることを目標にしていました。そして、それは母が翌年3月に足を骨折するまで続きました。

最終的には4~500羽できたでしょうか。その一部は、施設で行われた展示会の作品にモビールなどとして使っていただきました。

母はとても喜んでいました。

また、残りは母の葬儀の際に、花などとともに棺に入れて、母の周りを飾ってくれました。

それでもまだ家に残っていますから、よく作ったものだと思います。

2018年11月26日 折り鶴のモビールとともに

2020年3月20日 (金)

彼岸の中日

今日は母の命日ですので、仕事帰りにお墓参りをしてきました。早いもので、もう3か月たちました。

今日はちょうど彼岸の中日にあたり、霊園はいつもより混雑していて、駐車場では交通整理をしているほどでした。

これまでは父の命日の10日にお参りして、お彼岸の時期は避けていましたので、こういう状況は知りませんでした。

日本人の宗教心もまだ捨てたものではないということでしょうか。

帰りにスーパーに寄ってもち米を買い、おはぎを作って食べました。

2020年3月19日 (木)

桜咲く

今日は日中20度を超えるほど暖かくなり、近所の桜も咲き始めました。今年はとても暖かいので、満開になるのも早いでしょう。

母は桜をはじめとして、花が好きでした。家ではテーブルに切り花を飾ったり、旧家にいるころは庭につつじを植えたりしていました。

施設でもベランダにゼラニウムの鉢植えが置いてあり、よくそれを眺めていました。

昨年は桜が満開の時期には入院中でした。4月の初めに退院後のリハビリ中、立ち上がる運動をした際に外が見えて、桜が見えたと喜んでいました。

すでに半分葉桜になっていましたが、とてもうれしかったようです。

2020年3月18日 (水)

巨人ファン

母は巨人ファンでした。野球が好きというよりも巨人ファンという言葉の方が当てはまると思います。

晩年は高橋由伸がお気に入りでした。選手として魅力を感じていたようで、監督になってからはあまり熱くなかったですが。

施設に入ってからもラジオで野球の中継を聴いていました。ただ、ラジオだとなじみのない選手などはよくわからないので、試合途中で眠ってしまうことが多かったようです。

施設では高橋由伸のタオルを枕カバーとして使っていました。最後に入院した病院で亡くなった時も枕カバーはそのタオルでした。

 

2020年3月17日 (火)

ホームベーカリー

母が施設に入所する前は、私が家で介護していました。といっても、面倒を見るのは食事と薬の管理くらいでしたが。

毎日このブログを更新していると、その頃の記憶が少しずつ戻ってくるような気がします。思い出したものの一つがホームベーカリーです。

母はパンが好きで、朝食にはパンを出していました。市販のものを食べていたのですが、ある時私がネットで調べ物をしていると、市販のパンには様々な食品添加物が含まれていることを知りました。

そこでホームベーカリーを購入して、自宅でパンを作ることにしました。塩や砂糖も少なめで添加物も入っていないので、市販のものよりは健康には良かったと思います。

ただ、すぐに固くなってしまうのが欠点でしたが、母は「おいしい」と言って、毎朝食べてくれました。

母が骨折で入院するまで3年ほど使ったホームベーカリーでしたが、不思議なことに、母が入院後初めて使った時に壊れてしまいました。

そんなわけで、今は私は市販のパンを食べています。

2020年3月16日 (月)

午後4時の面会

母が施設にいた期間は1年4か月ほどになります。その間私はほとんど毎日面会に行きました。

台風が接近して荒天が予想される場合は前日に「明日は台風が来そうだから来れないよ」と母に予告しておきました。そんな日が数日はありましたが、それ以外は全て会いに行っています。

母は認知はほとんど問題なかったのですが、場所と時間に関しては少し戸惑うことがありました。そのため、面会時間は時計代わりに、なるべく午後4時に行くようにしていました。

時間が決まっているので、エレベーターの前で母が待っていてくれたこともありました。そんなことも思い出しました。

今日は晴天ながらも北風が強く音を立てて吹いていました。こんな風の中も面会に行っていたんだな、と思うと、我ながらよくやっていたと思います。

2020年3月15日 (日)

夕焼け

この頃はかなり日が長くなってきました。もうすぐ春分の日で、昼と夜の長さが同じになります。

母が入所していた施設には、面会用の広間が9階にありました。そこは西向きの部屋で、大きな窓から外を見ながらよく話をしたものでした。

天気の良い日には遠くに富士山が見えました。見えるといっても小さいので、母は「そう言われると、見える気がする」そんな感じでした。

秋から冬にかけては日没が早いので、話をしているうちに夕焼けがよく見られました。特にきれいな夕焼けが見られた時、母は歓声を上げて感動していました。

ただ、母の寝室も西向きでしたし、日没は少し寂しいようでした。本当は日の出こそが見たかったのだろうと思います。

施設で決めることなので仕方ないですが、東向きの部屋で寝かせてあげたいな、と思ったものでした。

2020年3月14日 (土)

五木ひろし

母が好きだったものといえば、演歌は欠かせません。特にお気に入りは五木ひろしでした。

学生の頃、母にレコードを買ってきて欲しいと頼まれました。「あなたの灯」という曲でした。

初めて母が五木ひろしのファンだと知った時でした。母は舞台も新橋演舞場や明治座などに見に行っていました。

ある時、舞台を見て帰ってきた母が「今日の舞台で共演していた女優さんのこと知ってる?」と聞いてきました。

その女優さんとは、和由布子という人でした。のちに五木ひろしと結婚することになる女優さんです。

母はその時の舞台を見て、女の勘でピンと来たようです。まさかと思いましたが、当たりました。

2020年3月13日 (金)

年を取る

母は要支援1、要介護1、要介護4というように介護度が進んでいきました。

当然ですが、徐々に人の助けが必要になっていきました。年を取ればだれでも同じだと思います。

そのような状況の変化は仕方のないことではありますが、本人がどこまで受け入れられるかという点は難しいものがあります。

老化による変化は多くの場合回復不可能ですから、本人にとっても年を取ることそのものがストレスになります。

そういえば、誕生日が全く嬉しくなくなったのは、いつ頃からだったでしょうか?

2020年3月12日 (木)

カブと油揚げの煮物

ブログに記事を書くためにいろいろ考えていると、忘れていたことを思い出すこともよくあります。

母が足の骨折で入院するまでは、しばらく家で面倒を見ていました。といっても、ほとんどのことは自分でできていましたから、食事の面倒くらいでしたが。

母は煮物が好きでした。冬になると欠かせません。特にカブと油揚げの煮物です。

料理初心者だった私は初めて作った時に、カブが溶けるくらい煮込んでしまいました。

今日は、そんな思い出のある品を作ってみました。

 

2020年3月11日 (水)

東日本大震災から9年

9年前の今日、東日本大震災が起きました。当時は旧家で母と二人住まいでした。

その日私は仕事でしたが携帯電話が繋がらず、母のことも心配でしたので4時半に職場を出て、3時間かけて徒歩で家に帰りました。

5時半頃、途中の公衆電話で家に電話をしたところ繋がり、母の無事が確認できたので安心したことを覚えています。

旧家はその時すでに築50年ほどになっていました。それでも、その後2年近く住みましたが、大きな余震も何度かあって怖い思いをしました。

2020年3月10日 (火)

帰るコール

今日は父の命日で、仕事が終わってからお墓に寄って線香をあげてきました。父が亡くなってから去年で10年が過ぎました。

父は最後に三か月ほど入院していました。確か、この時の入院をきっかけに私は、仕事が終わってから帰宅する際に母に電話を入れることを始めたと思います。

それは母を介護するために離職するまで続けましたから、およそ6年いわゆる「帰るコール」をしていたことになります。

電話の内容は、これから帰るということと、何か買い物が必要かという二点でした。当時母はすでに80代でしたが、食材を買って帰れば、料理を作ることはできたと記憶しています。

「はい、はーい」と、電話に出るときの声は年齢の割には若く、いつも元気に答えてくれたことを覚えています。

2020年3月 9日 (月)

1か月を過ぎて

母の四十九日が過ぎて間もなく、このブログを始めました。そして、早いもので一か月が過ぎました。

四十九日までは長く感じましたが、その後は時間が飛ぶように過ぎていく感じがしています。このままでは、母と過ごした時間もあっという間に過去の歴史になってしまいそうです。

それでも毎日少しずつ母のことを思い出しながら書いていると、記憶も少しずつよみがえって来るようです。

ぜひ書き留めておきたい母との思い出がいくつかあります。今後も少しでも長く、このブログを続けたいと思っています。

2020年3月 8日 (日)

大相撲春場所

今日から大相撲が始まります。母は大鵬・柏戸の時代よりも前から相撲が好きで、家にいるときは土俵入りの時間からテレビの前に陣取り、結びの一番まで見ていました。

ひいきの力士は遠藤と、少しマニアックですが妙義龍の取り組みを楽しみにしていました。また、そのほかの力士の取り組みでも熱戦には歓声を上げていました。本当に相撲が好きでした。

病院や施設では、ラジオで楽しんでいました。ただテレビで見なくなると、少しずつ力士の区別がつきにくくなり、相撲への興味も薄れつつあったように思います。

母が足を骨折したのは2018年3月、脱水症状での入院がその年の5月、施設への入所が7月でした。その後の入院が2018年11月、2019年3月、7月、そして最後の入院が11月でした。以上すべてが相撲の開催月です。

振り返ってみると、晩年の母は相撲の開催月に何かが起きるリズムになっていました。

2020年3月 7日 (土)

新型コロナウイルスの影響

昨日、母が入院していた病院に用事があって、久しぶりに行ってきました。同じ病院に行くのでも、母の状態を心配する必要がないので気分は楽でした。

病院の受付には、新型コロナウイルスの感染予防のため、今月の15日まで面会禁止という表示が貼り出してありました。

高齢の家族が入院していたら、そんなに長い面会禁止は心配ですし、入院している方も寂しいでしょう。また、認知にも影響が出るかもしれません。

昨冬はインフルエンザの心配をしましたが、今冬も入院していたとすれば、ダブルで心配しなければならなくなるところでした。

2020年3月 6日 (金)

意外だったリハビリ好き

運動が苦手な母が入院中のリハビリを頑張っている姿を見て、私は涙が出るほど感動しました。その後、施設に入所して3か月は週に4~5日リハビリがありました。

施設でもリハビリを頑張り、3か月後には歩行器を使って10メートルくらい歩いて往復できるようになりました。

このように成果が出たこともあってか、母はリハビリがお気に入りで、「毎日でもやりたい」とよく言っていました。

自分で考えていたよりもよく出来るので、自信を持ったのだろうと思います。自分より若そうな人よりも、自分の方ができると胸を張っていました。

母がリハビリ好きになるとは意外でしたが、楽しそうな母を見ることができてうれしかったですね。

2020年3月 5日 (木)

リハビリ

子供の頃に聞いた話です。母は運動が苦手で、体育の成績が良くないために学校の先生になれなかったとのことでした。そんな母が90歳で足を骨折し、手術後にリハビリをすることになりました。

年齢のこともありますし、運動があまり好きではない母がどこまで回復するのか、とても心配でした。

病院でリハビリを始めてしばらくして、家族に状況を見てほしいとのことで、見学することになりました。内容は、左右の手すりをつかんでその間を5メートルほど歩くものでした。

真剣な表情の母が、両側の手すりをつかんで車椅子から立ち上がりました。母は手すりをしっかりとつかみ、慎重でゆっくりながらも確実な足取りで向こう側まで行き、そのまま往復しました。想像以上の回復と、母の神妙な顔を見て私は感動しました。

病室に戻って母に「緊張していたの?」と聞くと、「緊張するわよ」と言いながらも笑顔を見せてくれました。

2020年3月 4日 (水)

料理

母を家で介護することになって困ったのが料理でした。それまでほとんど作ったことがなかったからです。

ネットでレシピを調べたりして少しずつ作れるものが増えましたが、初めの頃は時間ばかりかかっていました。

慣れてくると今度はメニューがなかなか決まりません。毎日夕方になると、あれこれ悩んで胃が痛くなることもよくありました。

自分が料理をすることになって、それまでの母の大変さがよくわかりました。同時に料理ができると生活の幅が広がります。その点では母に感謝です。

2020年3月 3日 (火)

良い睡眠

晩年の母は、必ず横向きで寝ていました。そして、睡眠中に寝返りを打つことがありませんでした。

見たことのない人は、このように説明しても誰も信じません。私は二年以上家で母を介護していましたが、必ず出入り口の側を向いて眠っていて、反対側を向いて眠っている姿を見たことがありません。

ただ、そういう眠り方ですと熟睡できません。そのためか朝は気分がすぐれないことがよくありました。

自分の経験からしても、よく眠れた朝は気分が良いものです。元気な生活のためにはグッスリ眠ることが欠かせません。そして、良い睡眠のためには精神的な安定が必要な気がします。

2020年3月 2日 (月)

母の好物(3)

施設で何回か母と一緒に昼食を食べました。ほうれん草のおひたしや、煮物、トマトなどを持っていきました。

煮物の大根や、酸っぱいトマトは母の好物で、「おいしい」と言いながらたくさん食べてくれました。

ただ一番喜んでいたのは、デザートで出したキューイフルーツでした。キューイがそんなに好きだったとは知りませんでした。

多くの家庭で家族の食事を作っているのはお母さんだと思います。ですから子供にとって、本人が意思表示しないと母親の好物はわかりにくいものなのですね。

2020年3月 1日 (日)

母の好物(2)

母はあまり好き嫌いなく何でも食べていましたが、年齢を重ねるにつれ歯が悪くなり、柔らかいものを選んで食べるようになりました。

そんな母が好きだったのが煮物です。特に出汁の味が染みた大根が好きでした。

いつの頃からか、母に代わって私が料理を作るようになりました。自己流で煮物も作ってみました。その中で母が「おいしい」と言ってくれたものがありました。

それはさつま揚げでした。少し甘みがあって確かにおいしいですが、近所のスーパーに普通に売っているものです。

それでも自分の作った料理を母がおいしいと言ってくれたことは、とてもうれしかったことを覚えています。

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