司法制度

2008年2月27日 (水)

死刑に定年はない?

興味深い裁判の記事がありました。
この裁判の被告人は強盗殺人で2人の命を奪ったとして起訴され、一審判決では無期懲役となりましたが、今日の控訴審の判決では死刑が言い渡されました。


被告に逆転の死刑判決 広島・岡山2人殺害事件控訴審

現金を奪う目的で広島、岡山両県で一人暮らしの高齢者2人を殺害したとして、2件の強盗殺人罪などに問われた住所不定、無職片岡清被告(76)の控訴審判決が27日、広島高裁岡山支部であった。小川正明裁判長は「確定的殺意を抱いていたことは明白だ」と指摘。広島の事件に関して殺意を認めずに無期懲役とした06年3月の一審・岡山地裁判決を破棄し、死刑を言い渡した。閉廷後、弁護人は「上告を検討する」と述べた。

判決などによると、健康器具のローンの返済に困った片岡被告は03年9月28日夜、広島県東城町(現庄原市)の無職村田ミサオさん(当時91)宅に金銭目当てで侵入し、村田さんの首を絞めて殺害。金目のものを探したが見つからず、そのまま逃走した。さらに、04年12月10日夜には、パンクした自動車の修理代やガソリン代を奪おうと、岡山県井原市のそば店店主片山広志さん(当時76)宅に侵入。片山さんの頭などをバールで数回殴って殺害し、現金約5万円の入った財布を奪った。

一、二審で争点になったのは広島の事件における片岡被告の殺意の有無だった。片岡被告は捜査段階と初公判で殺意を認めたが、一審公判の途中で「首を絞めた後、『落ちた(気を失った)』と思い、すぐ手を離した」と否定した。

一審判決は、広島の事件での殺意を認めず、強盗致死罪にあたると判断。「重大な犯行だが、矯正が全く不可能とまでは言えない」として無期懲役を言い渡し、検察側が控訴していた。

控訴審で検察側は、「犯行の下見をした際に被害者に顔を見られており、殺すつもりで1分以上、両手で首を絞めた」と改めて強盗殺人罪が成立すると指摘。これに対し、弁護側は「当初は被害者を脅して金を借りようと思っていた。騒いだ被害者を黙らせようと思い、片手の指で数秒間、首を絞めただけだ」として殺意や計画性を否定していた。

小川裁判長はこの点について、「被告は被害者が抵抗しても、2~3分にわたり首を両手で強い力で絞め続けた。その後も救命救護の措置を取らず、毛布を頭からかぶせ金品を物色した」と述べ、殺意を認定した。

[2008年02月27日12時11分 asahi.com]


強盗殺人を2件犯した被告人に対する刑罰として、無期懲役と死刑のどちらが妥当か、またはそれ以下の有期懲役が選ばれるべきかは事件の内容によるでしょう。
当然、一概には言えません。
それにしても、この事件の裁判には、裁判というものに関して考えさせられる点がいくつかあります。


まず最初に、2年前の一審判決は「(被告人は)矯正が全く不可能とまでは言えない」として、無期懲役を言い渡しました。
当時既に70代半ばという年齢の被告人に対して、矯正の可能性に言及して無期懲役という判決はどうなのでしょうか。
何とも言い難い微妙な判決という気はします。
これに対して、検察側はその判決を不服として、死刑判決を求めて控訴したわけです。


次に、控訴審の判決がまた微妙です。
引用した記事によりますと、控訴審では検察側は「殺すつもりで1分以上、両手で首を絞めた」と殺意があったことを指摘しています。
そして、判決で裁判長は「2~3分にわたり首を両手で強い力で絞め続けた」として、殺意を認定しました。
なぜか裁判長は検察側が主張する以上に強く殺意を認定しているように思えます。

その殺意に関して被告人は、初公判以降は否定しているということです。
にもかかわらず、この裁判長は確信があるかのように殺意を認定して、死刑判決を出しました。
裁判官というのはつくづく立派な方なのだな、と感じます。


最後に、刑罰も多少は年齢を考慮した方が良いのではないでしょうか。
この裁判では、70代半ばの被告人に一審で無期懲役の判決が出ました。
それを検察側が不服として控訴しました。
良く使われる表現ではありますが、分かりやすく言いますと、検察の目的はこの被告人を死刑にすることだということです。

弁護人によると、最高裁に上告するようです。
判決が確定する頃、被告人は80歳近くになっているでしょう。
無期懲役でもそれほど変わらないように思いますが、検察はそれでも死刑を求め続けるのでしょうね。


まあ、検察も鳩山法務大臣のことを少しは考えてあげて下さい。
いくら死刑を執行しても死刑囚が減らないじゃないですか‥‥。

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2007年10月11日 (木)

精神鑑定の問題点

オウム事件や光市事件などでもそうなのですが、日本の裁判は長すぎるとよくいわれます。理由はいろいろあるのでしょうが、その中の一つが精神鑑定だと思います。
精神鑑定は被告人の責任能力を判断する上で大切なことは分かりますが、どこまで信頼できるものなのでしょうか。

10月9日に名古屋地裁で、ある事件に対し懲役30年が求刑されました。
この求刑にも精神鑑定が影響を与えています。


愛知県安城市の大型ショッピングセンターで05年、男児(当時11カ月)が刺殺され、女児らがけがを負わされるなどした事件で、殺人や傷害などの罪に問われた住所不定で無職の氏家克直被告(37)の公判が9日、名古屋地裁であり、検察側は有期懲役刑では最も長い懲役30年を求刑した。

論告では「殺人の故意は明らか。まれにみる残虐な通り魔殺傷事件だ」と指摘しながらも、「犯行当時は心神耗弱だったと認めざるを得ない。無期懲役が相当だが、法律上の減刑事由にあたり、考慮せざるを得ない」と求刑理由を述べた。

犯行時の被告の精神状態は、完全責任能力があったと認める検察側の鑑定に対し、地裁の鑑定では心神耗弱、弁護側の2件の鑑定では心神喪失と結果が分かれた。弁護側は心神喪失による無罪を主張している。

検察側は、弁護側の2件の鑑定について「わずか3回の面接と、面接せずに書かれたもの」などと批判。一方、裁判所の鑑定をめぐっては「十分信頼に値する」と評価しつつ、殺人前後に行われた窃盗と傷害の両罪の完全責任能力を認めた点について「わずか3分間で差異を設ける理由は見いだし難い」と、すべての犯行で心神耗弱だったとの判断を示した。

[2007年10月9日20時27分 asahi.com]


記事によりますと精神鑑定は4件行われています。弁護側が2件、検察側が1件、地裁が1件です。
結果は、弁護側の鑑定が心神喪失、検察側が完全責任能力あり、といかにも予想通りのものでした。
そして、地裁による鑑定の結果は両者の間を取ったような心神耗弱。
全て最初から結論ありきの精神鑑定のように見えてしまいます。

それらの鑑定を受けて検察側が求刑をしたわけですが、検察側は自分たちの鑑定結果を採用せず、なぜか地裁の結果を採用しました。
それもそのまま採用したのではなく、わざわざ修正して全ての犯行が心神耗弱だったとしています。

検察側が自らの鑑定結果を採用しないことにも呆れますが、地裁の結果を一部では採用しながら他の部分を勝手に変えていることもおかしいです。
それなら専門家による精神鑑定など必要ないでしょう。時間の無駄です。

勝手な想像をしますと、表現は悪いのですが、被告人は「あまり普通ではない」のではないでしょうか。だから何度も精神鑑定をしているし、検察側もさすがに心神耗弱は認めざるを得なかったと考えられます。

弁護側、検察側、裁判所の鑑定結果が全て違っています。
それは精神鑑定が法廷戦術の一つになっていることに大きな原因があると思います。
もちろん鑑定結果が判決に与える影響が大きいので当然とは言えますが、その結果として、精神鑑定そのものに対する信頼性が損なわれてしまいます。

私は以前 死刑の代わりに懲役60年 という記事の中で、精神鑑定は裁判が終わった後にやれば良いと書きました。
もちろんこれは、現状では素人の暴論に過ぎませんが、その方が裁判を迅速に終わらせるためにも、また、精神鑑定の信頼性を高めるためにも貢献すると考えます。

そもそも精神鑑定にしても、法医学鑑定などにしても、同じ人や物に対して弁護側と検察側でまったく異なる結果が出るならば、双方がやる必要はありません。
ひとまず暫定的な判決を出してから、改めて必要であれば精神鑑定やその他の鑑定、情状酌量などをして、その上で判決も調整できるようにする。


裁判もそのくらいの柔軟性があった方が良いように思いますが‥‥。

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2007年10月 4日 (木)

11カ月の勾留とは

9月11日の記事 痴漢報道の危うさ の中で紹介しました野村高将さんが手記を発表されました。
http://www.japancm.com/sekitei/note/2007/note36.html

野村さんは電車内での痴漢の疑いで逮捕され、11日間の勾留後、不起訴で釈放されました。その間の事情が細かく語られていますので、少し長いですがぜひご覧いただきたいと思います。

野村さんの場合はまだ運が良かったといえるでしょう。逮捕後もほとんど変わらずに社会生活が送れているようですから。
それでも、11日間も勾留されていたわけです。
一方、11カ月の勾留後に無罪判決が出た事件もあります。


知人女性の胸を触るなどし、首をねんざさせたとして、強制わいせつ致傷罪に問われたイラン国籍の古物商の男性(44)に、横浜地裁は27日、「女性の供述は変遷しており信用できない」として無罪(求刑懲役4年)の判決を言い渡した。

判決理由で栗田健一裁判長は、男性が女性に抱きつくなどした点は認めたが、女性が男性に駐車場まで送ってもらおうとした点を挙げ「被害の切迫性に乏しい」とした上で、女性のねんざは「送ろうとしない男性に女性が柔道技をかけ(自分から)転倒した」と認定。犯罪の証明がなく、無罪と結論づけた。

また、判決は、神奈川県警が女性の供述の変遷を慎重に検討しなかったとして「証拠の収集に不十分な点があった」と指摘した。

男性は昨年1月28日、横浜市緑区の自宅で女性(33)の胸を触るなどし、首にねんざを負わせたとして起訴された。

県警は昨年8月に男性を逮捕。起訴後も拘置し、男性が保釈されたのは逮捕から約11カ月後の今年7月だった。

[2007年9月28日2時41分 nikkansports.com]


裁判で争われた事件は、昨年の1月28日に起きています。
そしてイラン国籍の男性が逮捕されたのは、約半年後の昨年8月です。
この記事だけでは詳細は分かりませんが、神奈川県警はおそらく女性の証言だけでこの男性を逮捕したのでしょう。

今回の横浜地裁の判決は「女性の供述は変遷しており‥‥」と述べています。
女性の供述だけで逮捕・起訴したとすれば、それが変われば事件そのものが変わってしまうのは当然です。痴漢事件の持つ性格からして、どうしてもこのようなことは避けられないと思います。

9月11日の記事では、容疑者が否認しているにもかかわらず、痴漢で逮捕された時点での実名報道はいかがなものかと疑問を呈したわけですが、今回の事件で疑問なのは、起訴後も合計11カ月に亘って身柄を勾留しているということです。

野村氏の手記によりますと、取り調べで移動する際に手錠をかけられ、人目のある場所でいわゆる「汽車ポッポ」をさせられた、などとあります。
その後に無罪と言われても、その間に罪人扱いされた屈辱感は消えるものではありません。
今回の男性は11カ月もの勾留ですから、その苦悩も大変なものだったと思われます。

そもそも半年も前の事件であり、証拠隠滅の恐れがあるとも思えないのに、11カ月も勾留する理由はいったい何なのでしょうか。
そして、何という法律に基づいているのでしょうか。
まさか法律に基づかずに警察や検察が身柄を拘束するはずはないと思いますが。


日本は法治国家のはずですから。

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2007年8月29日 (水)

「御殿場事件」は事件なのか

先週、御殿場事件という「事件」の控訴審判決が東京高裁でありました。
テレビなどでも取り上げられましたのでご存じの方も多いと思いますが、ご存じでない方のために、かなり長くなりますが読売新聞の記事を紹介します。


静岡県御殿場市で2001年、少女(当時15歳)を乱暴しようとしたとして、婦女暴行未遂の罪に問われた当時16~17歳だった元少年4人(22~23歳)の控訴審判決が22日、東京高裁であった。
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 中川武隆裁判長は、4人を懲役2年(求刑・懲役3年)とした1審・静岡地裁沼津支部判決を破棄し、いずれも懲役1年6月の実刑判決を言い渡した。弁護側は上告した。

 判決などによると、元少年4人は01年9月に仲間の少年6人と、少女を同市内の公園に連れ込み、乱暴しようとしたとして逮捕された。4人は捜査段階で容疑を認めたが、家裁の少年審判で否認に転じ、検察官送致(逆送)後、起訴された。

 ところが、1審公判で、少女が犯行日についてウソをついていたことが判明。検察側が犯行日を同年9月16日から同月9日に改める異例の訴因変更を行った。このため、少女の供述の信用性と、ウソの犯行日を前提に犯行を認めた4人の自白調書の信用性が最大の争点となった。

 高裁判決はまず、少女の供述について、「犯行日について変更したが、被害を受けた経緯や被害状況などについてはほぼ一貫しており、内容も具体的で自然だ」と指摘。ウソをついた点についても、「他の男性との交際を隠すためだったなどの理由は十分理解できる」とし、「被害自体が虚構だったとは言えない」と判断した。

 一方、4人の自白調書について、判決は「間違った犯行日を前提とした部分を除き、根幹部分は十分信用できる」とし、実際の犯行日の元少年らのアリバイ主張についても、「いずれも信用できない」と退けた。

 弁護側は、公判途中で犯行日を変更した手続きは違法とも主張したが、判決は「捜査機関の当初の裏付け捜査が万全を尽くしたとはいえなかった」としながらも、「被害者の供述変更によるやむを得ないものだった」と述べた。刑を軽減した理由については、「被害者の被害申告にも問題があった点を考慮した」と説明した。

          ◇

 この事件では、当時中3~高2の少年10人(15~17歳)が逮捕され、捜査段階では全員が犯行を認めた。しかし、静岡家裁沼津支部で行われた少年審判で5人が否認。このうち4人が検察官送致(逆送)され、起訴された。別の1人は、刑事裁判の無罪に当たる「不処分」となったが、検察側が抗告。東京高裁、最高裁で不処分が取り消された後、起訴され、1審で有罪判決を受けた(控訴中)。

 一方、少年審判で非行事実を認めた5人のうち4人は中等少年院送致、1人は保護観察処分となったが、その後、無実を訴えていた。さらに、少年院送致されたうちの1人は、処分の取り消しを申し立て、静岡家裁沼津支部が今年1月、刑事裁判の再審に当たる「審判開始」を決定している。

[2007年8月22日12時41分  読売新聞]


10人の少年が15歳の少女に乱暴しようとしたとして、訴えられました。少年たちは捜査段階で全員容疑をを認めました。その時点では犯行日は9月16日ということでした。
その後、少年審判で5人が否認(最終的には10人全員が否認)し、そのうち4人が起訴されました。
つまり、少年たちは裁判ではずっと否認しているわけです。

裁判中に少女が犯行日についてウソをついていたことが分かります。そのため検察側が犯行日を9月9日に変更します。 9月16日には少女が他の男性と会っていたことが判明したからです。

少年たちは一旦犯行を認めてはいますが、 その際の犯行日は9月16日でした。一方的に日付を変えてそのまま犯行を認めろ、というのもひどい話です。
その上、この日付の変更には重大な意味があります。
それは9月9日の現地の天気は雨だったというのです。にもかかわらず、雨に関してはどの供述にも一切ないそうです。

このほかにも少女の供述は途中で何点か変更されたということです。
それでも判決は、少女の供述は「根幹部分は十分信用できる」としていますが、懲役2年の一審判決を懲役1年6か月に軽減しました。その理由が「被害者の被害申告にも問題があった」というものです。
つまり少女の供述は信用できるが、問題もあるので減刑します、ということでしょうか。

私もこの事件は今回の判決で初めて知りました。ですからあまり詳しくはないのですが、どうも冤罪の香りがします。
この事件は初めからなかった、と考えると一番スッキリするような気がします。

容疑者が捜査段階では容疑を認めたが、裁判で否認する‥‥。
新たな事実が出て来ても、強引にそのまま裁判を進めてしまう‥‥。
などは、典型的な冤罪のパターンです。

この高裁の判決を見ると、日本の司法は大丈夫かと不安になりますが、私達が知らないだけで、こういう判決はそれほど珍しくないのかもしれません。

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この事件・裁判に関する記事を以下に紹介させていただきます。

長野智子blog
阿曽山大噴火コラム

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