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2007年8月26日 (日)

死刑の代わりに懲役60年

ブログを始めた時から一度書こうと考えていたことがあります。それは死刑制度に関してです。私は死刑制度には反対ですが、現在の日本には死刑制度が存在します。ですから、死刑が執行されることはやむを得ません。先日3人の死刑が執行されたというニュースがありました。


東京、名古屋両拘置所で23日、強盗殺人罪などで死刑が確定していた3人に刑が執行された。

法務省は同日、執行の事実と人数だけを発表した。死刑執行は今年4月に3人に執行されて以来で、長勢法相が昨年9月に就任後、3度にわたり計10人の死刑が執行されたことになる。後藤田正晴元法相が3年4か月ぶりに死刑執行を再開した1993年以降、歴代法相の中で死刑執行命令書にサインした数は最多となった。

関係者によると、死刑が執行されたのは、東京拘置所に収容されていた岩本義雄死刑囚(63)と竹沢一二三死刑囚(69)、名古屋拘置所に収容されたいた瀬川光三死刑囚(60)の3人。

(後略)
[2007年8月23日 11時40分 読売新聞]


今回の3人がどのように選ばれたのか分かりませんが、3人が執行されてもまだ103人の生存死刑囚がいるそうです。そして法務省では「執行を増やすのが大切だ」という意見が大勢を占めているということです。それでしたらいっそのこと、最近では最も仕事をした長勢大臣が全ての死刑囚の面倒を見てあげたらいかがですか。

テレビなどのマスメディアも殺人事件が起きると、容疑者の逮捕や裁判、死刑判決までは大々的に取り上げますが、死刑の執行はほとんど話題にしません。
また、法務省も今回のように執行の事実と人数だけしか発表しません。
なぜ、ここまで隠すように死刑を執行するのでしょうか。

おそらく、世界的な死刑廃止への動きやアムネスティの抗議などを気にしてのことだと思いますが、死刑制度がある以上、非難されても堂々と執行すれば良いのです。
私は死刑判決が確定した時に、死刑を求刑した検察官と、判決を下した裁判官によって死刑が執行されると良いと思います。
冗談のようですが半分本気です。それくらいの信念を持って求刑をし、判決を下してほしいからです。

少々過激になりましたが、冒頭に述べたように私は死刑制度に反対です。
最大の理由は「いかなる理由があろうと国が国民の命を奪ってはならない」と思うからです。
今の日本のように、何らかの理由があれば国民の命を奪えるという国では、人命が軽視されがちです。
ですから、国は殺人を犯したものであろうと国民の命を奪えない、というように定めておきたいものです。

死刑を容認する人々が、よく問題にするのが被害者の遺族の感情です。昔のように敵討ちは許されませんので、国が代わりに死刑を執行するわけです。その死刑は国が法律に基づいて行いますから、そこから感情は排除されます。つまり多様な遺族の感情のうち死刑によって救われるのは、犯人がこの世からいなくなればいいという感情だけなのですね。
死刑があってもなくても、これはほぼ解決不可能な問題だと思います。


最後に勝手に死刑廃止後の試案を発表します。

殺人罪の裁判では被告が有罪かどうかだけを争います。精神鑑定や情状酌量はしません。
被告が有罪となった場合、 その量刑は一人の殺人につき懲役60年とします。二人殺せば120年です。三人で180年になります。これは被告の年齢は関係ありません。
そして、収監後に精神鑑定を行い、おかしい人は入院していただきます。
それ以外の人で反省が顕著であったり、行いがよろしい模範囚は大幅に減刑をします。
最終的には専門家が判断して社会復帰できそうな人は社会に戻す。
今までとは反対に裁判を簡単に終わらせ、塀の中の長い生活で最終的な刑期が決まる。


真夏の夜長に、こんなことを考えてみました。


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コメント

自分も死刑制度は反対です。非生産的であり単なる感情論ですから。

とにかく死刑にする代わりに、完全無期懲役で懲役期間中は死ぬまで、無休で一日16時間労働をさせれば死刑よりもキツイはずです。(過労死したりしないため休憩もいれた軽作業を延々にさせる。)

または精神異常者として死ぬまで人里から隔離された精神病院に入院してもらい、あらゆる心理学的実験をしてもらいたいです。


上記の場合は、かなり酷い犯罪者に適応するものであり、同じ死刑に当たる犯罪者でも、やはり懲役100年とかにしてそれまで刑務所で過ごす事のほうが現実的だと思います。

上記とは矛盾するが、犯罪者に苦痛を与えるのではなく、まして犯罪抑止力のために恐怖心を煽るのではなく、あくまでも犯罪者の更正が刑罰の目的ではないかと思います。


投稿: 通りすがり(左翼) | 2009年1月27日 (火) 12時02分

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