人命より尊いものはない
週末に悲惨な事件がありました。携帯電話サイトで知り合った3人組が金銭目的で、面識のない女性を殺害したということです。少し長いですが、以下毎日新聞の記事を引用します。
岐阜県瑞浪市の山林で25日夜、名古屋市千種区内から拉致、殺害された女性の遺体が見つかった事件で、愛知県警捜査1課と千種署は26日、自首してきた住所不定、無職、川岸健治容疑者(40)ら男3人を死体遺棄容疑で逮捕した。3人は女性から現金7万円やキャッシュカードを奪ったうえ、殺害したことも認めており、県警は特別捜査本部を設置、強盗殺人容疑でも追及する。3人は犯罪仲間を募る携帯電話サイトで知り合ったといい、金目的で拉致を計画し、面識のない女性を襲ったと供述している。
ほかに逮捕されたのは ▽愛知県豊明市栄町西大根、朝日新聞外交員、神田司(36) ▽名古屋市東区泉1、無職、堀慶末(32)の両容疑者。殺害されたのは同市千種区春里町2、派遣社員、磯谷利恵さん(31)。調べに対し、3人は容疑を認め「弱い女性ならやりやすいと思い、たまたま通りかかった女性を狙った。顔を見られたので殺した」と供述している。
調べによると、3人は25日午前4時ごろ、磯谷さんの遺体を岐阜県瑞浪市稲津町小里の山林に遺棄した疑い。3人は24日午後10時ごろ、磯谷さんを千種区自由ケ丘の路上から車で拉致して現金などを奪い、25日午前0時ごろ、愛知県愛西市の駐車場に止めた車内で、ハンマーで頭などを殴って殺害、遺体を山林へ運んだことを認めている。また、カードで現金を引き出そうとしたとも供述している。磯谷さんは帰宅途中だったとみられる。
3人は最近、携帯電話のサイトで知り合い、事前に顔合わせをして拉致を計画。だが、本名を名乗った神田容疑者を除き、川岸容疑者は「山下」、堀容疑者は「田中」と偽名を使い、互いの素性はほとんど知らない関係だったという。川岸容疑者は遺棄後、愛知県警に通報したといい「死刑になりたくなかったので自首した」と話している。
[2007年8月27日 毎日新聞]
全くひどい事件です。
「こういう連中は死刑にすべきだ」という感情論はみのもんた氏にお任せするとして、容疑者の一人が「死刑になりたくない」という理由で通報したために、第二、第三の事件を防ぐことができたのかもしれません。
そういう意味では、死刑が存在することに意味があったともいえます。
ただ私は、第二、第三の事件ではなく、最初の事件が起きない世の中を望みます。
そのような考えから昨日、死刑制度に反対の記事を書きました。( 死刑の代わりに懲役60年 )
つまり、いかなる理由があろうと人の命を奪ってはならない、そして、その姿勢を国が死刑を廃止することで示してほしいということです。
北九州市で生活保護を受けられなかった男性が餓死しました。日本では毎年100人近い餓死者がいるそうです。
また、今夏は熱中症で数十人が亡くなっています。
そして、今回のような殺人事件が頻発していますし、毎年の自殺者は約3万人です。
なにか、生命の大切さを訴えてもむなしいような状況です。
この国では、人の命が大変軽いものになっています。
一方、政治の世界は今日、安倍首相の「再チャレンジ」ということで、組閣の話題一色で忙しそうです。
国は国民の生命、財産を守るためにあるはずですが、この国の政府や政治家から、人命の大切さを訴える声はあまり聞かないように感じます。
餓死がニュースになっても、自殺者が3万人でも、それに対する政治家の声が聞こえません。
彼らは、自分達のことにしか興味がないようです。
今、この国では、あたかも命よりも金の方が大事だというような風潮があります。
当然ですが、その考えはおかしいです。
命よりも大切なものはないはずです。
このような風潮を変えていくためには、前述したように国が国民の命を大事にする姿勢を示すことが必要です。
死刑を廃止して、国といえども人の命を奪うことはできない、という状況を作ることも人々の意識を変える方法の一つだと思います。
殺人事件はあってはならないことですが、私は、国による殺人もあってはならないと考えます。
そのような理由から、死刑や戦争に反対します。
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コメント
私は磯谷利恵さんの友人です。
元々死刑廃止論には反対なのですが、
この事件を期に益々その思いは強くなりました。
p.s ごめんなさい。つい感情で書いてしまいました。
投稿: 友人 | 2007年8月28日 (火) 00時40分
友人様
こんにちは。コメントありがとうございます。
このような事件に触れますと、残虐な犯人に極刑を求める声が上がることは感情的には理解できます。ある意味、当然のことだと思います。
ただ、私が死刑制度に反対するのは、国による殺人を認めることが恐ろしいことだと考えるのが一点。
もう一点は、死刑存置国が人命の大切さを訴えても説得力が乏しいということです。
例えると、暴力教師が暴力反対と言っても効果が期待できず、学校が荒れる、というような事態を危惧するからです。
磯谷利恵さんのご冥福をお祈りいたします。
投稿: もそもそ | 2007年8月28日 (火) 10時42分
今回の事件の原因は拝金主義・金儲け第一主義にあります。
自民党政権は憲法改悪を画策していますが、それは、戦争で金儲けをしようとしている財界の意向です。
企業が労働者を過労死するまでこき使うことが日常的に行なわれています。
生活保護を打ち切られ、餓死した人もいました。
いわば、国策として人命軽視・金儲け第一の政策が行なわれているのですから、どんな事件が起きても不思議ではありません。
マスコミは今回の事件について大騒ぎしていますが、マスコミこそ金儲け第一主義です。
マスコミは犯人グループがインターネットで知り合ったということで、「ネット規制をすべきだ」などと言っていますが、それは危険なことです。ネット規制には断固反対すべきです。
投稿: kuroneko | 2007年8月29日 (水) 09時16分
はじめまして。こんにちは。
>死刑存置国が人命の大切さを訴えても説得力が乏しいということです。
揚げ足を取るようですが、例えばイスラエルなどはどうなんでしょう。廃止国ですが、多数のパレスチナ人を殺傷して何ら恥じてはいません。ペルーも廃止国ですが、例の大使館事件の時、投降して武器を捨てた犯人たちを容赦なく射殺しました。所謂「事実上の廃止国」とされるロシアでは、御存知の通り、政権に批判的なジャーナリスト等が不審な死を遂げています。また、チェチェンにおける強圧的な姿勢も非難されています。
一方、日本では凶悪な犯罪者に対しても銃器の使用は極めて抑制的です
存置、廃止にかかわらず、命を大切にしている国もあれば、そうでない国もあるということではないでしょうか。
「存置国=命を軽視」という図式は少々短絡的かと思います。
投稿: DH | 2007年8月29日 (水) 18時51分
TBありがとうございます。
“人命よりも尊いものはない”。確かにそのとおりです。でも、実際には“自分と自分のかけがえのないものほど尊いものはない”が真実でしょう。残虐な犯罪を犯す犯人も死刑を恐れて自首したという事実がそれを証明しています。
“人命よりも尊いものはない”なんて、フィクションです。大切なフィクションですが、しかし真実の前には簡単に敗れ去ってしまいます。ご友人の感情的な、けれど人間として至極当然のコメントもそれを示しています。
フィクションといえば、国家という存在もそうです。誰も国の権威など認めなくなってしまえば、国なんてすぐに崩壊する。今のイラクがいい例です。ですが、国家というフィクションは必要です。現代社会ではもはやなくせない。
問題は双方のフィクションの優先順位の問題です。国家が大事か人命が大事か。そういうことだと思います。昨今は遺族感情が大きく取り上げられ、死刑求刑を“人間として当然”という表現で100%容認するような発言が多いですが、これはとんでもない。いかなる場合においても、“人間として当然”なことを100%容認していてはフィクションが成り立たない。
基本的人権を国家存立の基本条件に据えている民主主義国家にとって、“人命ほど尊いものはない”というフィクションは、最も大切なフィクションでなければならないはず。国家が人命を奪えるのは、そうしなれけばこのフィクションが成立しないときのみです。死刑は“そうしなけばフィクションが成立しない”という要件を満たしません。
投稿: 愚樵 | 2007年8月31日 (金) 07時14分
kuroneko様
こんにちは。コメントありがとうございます。
仰るようにこの国は、政府だけでなく財界、マスコミも含め金儲け第一主義ですね。
その中で人命が軽すぎます。
今後、政府やマスコミは「ネット規制」に力を入れてきます。
「殺人者は死刑にしろ」「有害サイトは規制しろ」どちらも反対しにくいことですが、死刑や規制の対象が拡大されないとも限りませんから、導入の時点で反対することが最も大切だと思います。
投稿: もそもそ | 2007年8月31日 (金) 13時34分
DH様
はじめまして。こんにちは。
コメントありがとうございます。
もちろん数多い死刑廃止国の状況は、それぞれの国によると思いますが、例示していただいた事件を見ますと、ほとんど政治的な背景があるようです。政治的な謀殺や内戦または戦争ではないでしょうか。
確かに、廃止国でも殺人の数などはあまり変わらないとも言われていますので、人命に対する人々の意識は大差ないのかもしれません。
それでも日本のように死刑を存置する国はそれなりの理由があると思います。おそらく国が国民を殺す権利を持ち続けたい理由が。戦前の事情を考えると、その点に不安を感じます。
投稿: もそもそ | 2007年8月31日 (金) 14時18分
愚樵様
こんにちは。コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、国家と人命とどちらが大事か、その優先順位の問題と捉えると大変分かりやすいですね。
ただ、日本の国民は概して国家というフィクションに対しての考え方が甘いと感じますし、そこに感情論も絡んで来ますので、死刑制度に反対するのが難しくなっているのですね。
貴重なご意見ありがとうございました。
投稿: もそもそ | 2007年9月 1日 (土) 12時49分