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2008年3月 6日 (木)

究極の自己責任

小泉内閣の頃からでしょうか、自己責任という言葉がよく聞かれるようになりました。
全ての国民が全ての行動を自己責任で行えれば、それはそれで良いのかもしれませんが、生活を続けていく中で、さまざまな点で公的な補助が必要になることがあるものです。

それに対して、国や自治体などが自己責任という言葉で突き放した場合、どのような事態が考えられるでしょうか。
その一例のような事件が今日の毎日新聞に載っていました。


殺人:妻子3人を絞殺か 「生活困窮」遺書残し男性重傷--浜松

5日午前10時15分ごろ、浜松市東区小池町の配管工、大岡直樹さん(43)方2階寝室で、一家4人が布団に並んで倒れているのを知人の通報で駆けつけた静岡県警浜松東署員が見つけた。妻の美容師、木綿子さん(41)▽長女で市立与進北小4年、日菜乃さん(10)▽長男で同1年、拓実君(7)--の3人が死亡し、大岡さんも重傷。大岡さんは殺害を認め、同署は大岡さんから殺人容疑で事情を聴く。

調べでは、3人の首には手で絞められたような跡があり、大岡さんが書いた「生活に困窮し行き詰まった」という内容の遺書が見つかった。【平林由梨】

[毎日新聞 2008年3月6日 東京朝刊]


これは生活苦による一家心中事件だと思われます。
もちろん、この国の政府や自治体が「生活困窮者は死ね」といっているわけではありません。
それでも、現在の日本では、生活が苦しくなると一家心中をするというのが選択肢の一つであるのは間違いないようです。


もう一つ、悲惨な事件が同じ3月5日にありました。
こちらも毎日新聞から引用します。


殺人:寝たきりの妻を絞殺、87歳夫を逮捕 千葉・鴨川

寝たきりの妻を絞殺したとして、千葉県警鴨川署は5日、同県鴨川市京田の無職、岩波武容疑者(87)を殺人容疑で緊急逮捕した。 

調べでは、岩波容疑者は同日午後4時ごろ、自宅寝室で眠っていた妻ゆうさん(82)の首を浴衣の腰ひもで絞めて殺害した疑い。ゆうさんは13年前の交通事故の後遺症で寝たきりで、岩波容疑者も昨年から介護疲れで体調を崩していたという。調べに「家族にこれ以上、迷惑を掛けたくなかった」などと供述しているという。

岩波容疑者は▽ゆうさん▽息子(58)▽中学生の孫(14)の4人暮らしで、帰宅した息子が同署に通報した。【神足俊輔】

[毎日新聞 2008年3月6日 東京朝刊]


こちらは、介護に疲れた87歳の夫が寝たきりの82歳の妻を殺したという事件です。
誰しも長生きはしたいものですが、87歳まで生きてきて、殺人犯になるというのも哀しいものです。

介護に疲れたお年寄りが殺人者になってしまう社会。
我々は今、そういう国に住んでいるのです。


おそらく、事件のような生活苦の一家や介護に疲れた老人が頼るべき何らかの制度は、国や自治体に用意されているのかもしれません。
それでも、そういった情報が必要とする人々に行き渡らなければ何もないのと同じことです。
まして、自己責任などという言葉が権力者側から発せられてしまえば、国民が社会に対して絶望してしまうのもやむを得えないことでしょう。


一家心中や妻殺しは決して褒められることではありませんが、家族や夫婦を一つの組織として見ると、その自己責任の取り方としては究極のものであるのかもしれません。

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コメント

そもそも本質的・究極的自己責任論はシステムや制度・我々の考えるような贖罪などとは相容れません。

なぜなら本質的自己責任論は「全ての結果に対して自分は関わる事が出来た(決める事が出来たではない)」と言う、
違法も含めた無数の選択の話ですからね。

チベット問題や何かが解決しないのは自分「達」の割く労力が足りなかったり、やり方に問題があったからと言う、
「どのような結果もそれを生む為に変えれるのは自分の行動だけ」と言う世界の原初的姿の事です。

社会的話として自己責任を語る時に必要なのは「どこまで」が自己責任で「どこから」が社会の責任とするか?と言う裁量の問題です。
はっきり言えば、政治家は自己責任以外に社会的責任もかなりの比重で背負っているので、
社会情勢に対して「自己責任」と言うのは「政治家」と言う職としては非常に無責任ですね。
そもそも政治家は「自己責任」とは程遠い「システム」「制度」を決める側の人間です。
その自分達が「システム」「制度」に責任を持たないなどと言ったら誰が「社会」に責任を持つやらと言った感じです。
それこそ法律なぞ捨てて近隣住人の原始的なパワーバランスに任せなさいと言いたくなります。(そして当然政治家と言う役職は廃止)

危険だから行くなって注意したのに、行って捕まって助けてーって叫んでるって言う話じゃあるまいしと思いますね。
あと、組織の所属が現実的に選べるかと言うと難しいので、そもそも家族を一個の連帯責任組織とする事自体が相当理不尽です。
(本質的・究極的責任論は理不尽だと思えばそれをしない・変えようとする事が出来る(変えれるかは別)と言う事です。)

投稿: 猫 | 2009年9月22日 (火) 10時38分

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